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2011年6月

2011年6月30日 (木)

『ネットデフレ』ってそういうことだったのね

 別に中央大学の後輩が書いた本だから、と言うわけではなく、タイトルが面白そうだから買ったのであるが・・・。

『ネットデフレ IT社会が生み出した負のスパイラル』(川北潤著/マイコミ新書/2011年6月30日刊)

「ネットデフレ」とは何か、『ECサイトではパッケージ商品を売ることはできても、アレンジ商品・説明商品・人的サービスを売ることはできません』つまり『ECサイトは自販機と酷似しているのです』『サービス業のEコマース化は小売業のそれと同義の内容でしかなく、人的サービスは一切Eコマース化されないということです』。ということは、結局ECサイトで売れるものは、評価の定まったものとかユーザーが既にその商品についての知識があるものだけであり、そんな商品を様々なECサイトで同じく扱っているということは、価格競争だけが決め手であるということであり、「価格・コム」あたりの価格比較サイトでユーザーは一番安いところから買うことになる。

 つまり『ネットデフレの1つ目の問題は、ECサイトで売るために、何でもかんでもパッケージ化しようとして、人間が販売時に提供すべきだった付加価値を捨ててしまうことです。

 そして、2つ目の問題は、付加価値をそぎ落されたパッケージ商品は、価格勝負でしかなくなり、一番安いものしか売れなくなるということです』ということ『1つ目の問題は、雇用機会を著しく狭めていきます。2つ目の問題は、商品価格の下落傾向に歯止めをかけることが困難になります。そして、両方の問題がリアル店舗の商行為にまで悪影響を与えていきます』という問題がある。要は『例えば、家電量販店に買い物に行き、店員にさんざん商品の説明をさせておきながら、値引き交渉でアイフォーン(iPhone)を持ち出してECサイトの商品価格と比較して「高いから」と帰ってしまう』といったような、客の側のモラルの低下のようなことも、ECサイトは促するのである。

 結局『ネットデフレは、「インターネット上でウェブ閲覧とコミュニケーションが統合されていないために発生している」』ということなのだ。つまりウェブ閲覧をしつつ、同時にそのままシームレスに例えばメールやチャットなどでお互いにウェブ閲覧をしながら、コミュニケートできないという問題なのだろう。メールやチャットのむこう側とこちら側で同じウェブを閲覧しながらコミュニケートできれば、そこには例えば「店員と客」の会話が成立するだろうし、同じウェブを見ているAさんとBさんの会話も成立するわけだ。

 それを解決しようとして川北氏が開発したのがシンクプラス(SyncPlus)というソリューションで『シンクプラスの基本となるプロダクトは、ブラウザ通信チャネル構築する通信機器「シンクルーター(SyncRouter)」と、シンクルーターによってつながったブラウザの表示を同期させるソフト「シンクプラグ(SyncPlug)」の2つです。また、ブラウザ通信チャネルの上に接客型のショップを開くアプリケーションとして、「シンクショップ(SyncShop)」もリリースしました』ということだ。

 あとはシンクプラスの宣伝(advatisementやpublic relationsの意味で使っているんだけれども、ネット的にはevangelismなんだろうなあ)になってしまうので、興味がある人は本書を読むなり、シンクプラスのサイト(http://www.syncplus.com/)に行って読んでみてください。

 まあ、所詮リアルな関係ではないから、一部のサービス業(モノの移動を伴わない事業)ではうまくいくかもしれないが、「商品」が介在する事業では、結局、シンクプラスで店員の話を聞いた客は、その段階でネットを遮断。そして「価格・コム」に行っちゃうのではないか、と考えるのだが、それは皮相?

 川北氏は『ウェブを共有しながらコミュニケーションができる新しいネットの世界を、“真のサイバー空間”と呼びたいと思います。真のサイバー空間とした理由は、限りなく現実に近い空間、という思いを込めたからです。

 人間は強欲な生き物ですから、究極までバーチャルにリアルを求めて行くはずです。ところが、ネットに大きな欠陥があったために、それが妨げられていただけなのです。

 真のサイバー空間では、人と人が出会い、リアルの世界と同じようにコミュニケーションや経済が営まれるようになります』と最後に書く。

 なんとそれは『トータルリコール』『マトリックス』やあの『アヴァロン』のような世界なのか、なんていう言い方はあだしごとかもしれないが、取り敢えず『現在グーグルやアップルが仕掛けている垂直統合時代は、集中と分散を繰り返すIT業界の特性から、必ず終焉を迎えます。そして、次のパラダイムシフトが起こるときに、ブラウザ通信チャネルが広がり、インターネットは真のサイバー空間として生まれ変わるはずです』という言葉に期待しておこう。

 

2011年6月29日 (水)

『重信房子がいた時代』はいい時代だったよな・・・と遠い目

 筆者は明治大学の文学研究会で重信房子の2年下にあたり、一緒に『一揆』という個人誌を作った仲間である。そんな身近にいた人から見た、重信房子像とはいかなるのであるか、というのが本書への興味である。

『重信房子がいた時代』(由井りょう子著/情況新書/2011年6月10日刊)

 由井りょう子氏自信はブントとは係わりを持っていなかったようで、どちらかというと政治活動や左翼活動にはニュートラルな立場からの重信像である。したがって、ブントの活動家としてよりは、なんとなく左翼活動に巻き込まれてしまった救対の女子学生がいつのまにかアラブまで行ってしまった、という捉え方をしている。

 事実、我々が重信房子の名前を知ったのもアラブに行って「アラブ赤軍」を名乗った頃からである。それ以前の共産同赤軍派が初めて登場した全国全共闘設立集会の際には、私も会場にはいたのだが、まだ重信なんて名前は知らなかったし、「よど号ハイジャック」の時にも重信房子なんて名前は指導者として出てきていない。まだ塩見孝也が最高指導者だったはずである。そういう意味では「重信房子は日本赤軍(アラブ赤軍)のリーダー」という言い方は間違っており、せいぜい「PFLP(パレスチナ人民解放戦線)との連絡・交渉役」兼「対日本へ向けたスポークスマン(スポークスパーソン?)」という立場に過ぎなかったんだと思う。

『赤軍-PFLP世界戦争宣言』という映画でもって、我々は初めて重信房子を知ることになるのだけれども、まあ、美人でもないし普通の女の子という、そんなイメージだった。けれども、何故か日本では「日本赤軍(アラブ赤軍)のリーダー」と呼ばれている。まあ、マスコミ的には「美女が過激派テロ組織のリーダー」というイメージの方が「面白い」ということなのだろう。

 そういう意味では、由井りょう子氏の見るとおり「救対の女の子がいつのまにかアラブに行っちゃった」という見方の方がより実態には近いのではないだろうか。勿論、その後共産同赤軍派幹部が次々と逮捕されたり、死亡したりしたことの結果、重信房子がいつの間にやら「リーダー的立場」になってしまったというのが実態だろう。

 ということで、実態として赤軍派のリーダーになってしまった重信房子である。しかし、変な話、重信房子にそんなリーダーになりうべきカリスマ性とか、実態としての指導性とかがあったのかどうかといえば、それはかなり怪しいというしかないだろう。

 むしろ、重信メイの母親としての存在感の方がいまや強い。ああ、あのメイちゃんのお母さんなのねということであり、あのメイちゃんのお母さんがそんなにすごい革命家(別名、テロリスト)なのかという意識はみんなないのではないか。

 結局、由井りょう子氏にとっての重信房子は、同じ文学研究会にいた先輩学生というだけの存在でしかない。別に、重信が赤軍派であってもそうじゃなくてもどうでもいいのである。それがいいのである。そんな付き合いの中から、実際の人間対人間の付き合いができるのである。

 そんな「場」を提供できる日本の大学っていいじゃないか。

 そこには、主義・主張を越えた付き合いがあるのである。それがいい。

 

2011年6月28日 (火)

『それでも「日本は死なない」これだけの理由』という暴論

 いやはやなんともこの時代に勇気を与えてくれる本である、という事だけは事実である。

『それでも「日本は死なない」これだけの理由 なぜ欧米にできないことができるのか』(増田悦佐著/講談社/2011年6月21日刊)

 内容は;

第一章 日本人だけが知らない「日本の本当の実力」

大震災は日本の強さを教えてくれた

外国企業は日本製品を買うしかない

アジア向け輸出の半分は円建て決済

日本製品が飛ぶように売れる理由

新日鐵と住友金属工業の合併は天下の愚策

独占企業の横暴で国民がバカを見る

M&Aは金融機関が儲かるしくみ

韓国経済が直面するウォン安リスク

「世界の潮流」のウソに騙されるな

対GDP研究開発費比率は日本が断トツ

日本人の家計財政センスは世界一

国債問題は低利で借り換えればOK

「税金」も「国債」も結局中身は同じ

二五兆円の公共事業が始まる

ピラミッドが教える自然の猛威とのつき合い方

本当は「計画停電」は必要なかった!

「再生可能」エネルギー源による発電の実用性

「二酸化炭素=地球温暖化元凶」説の誤り

電力安定供給への「最善の道」

世界最適! 日本の地熱発電の可能性

日本が世界に発信するポスト原発「新エネルギー」

 ときて、

第二章 「ジャスミン革命」は終わらない

 では、中東から中国、アメリカと「ジャスミン革命」が起きてくるだろうと予想し、

第三章 滅びゆく強欲国家・アメリカ

 では、いまやヨーロッパ以上の階級国家になってしまったアメリカの現状を説き、同時に金融大国になってしまっているアメリカの現状を斬る。

第四章 ヨーロッパ経済はすでに「地獄」に堕ちている

 では、唯一ヨーロッパの経済危機から逃れている(ように見える)ドイツが如何にしてその危機から逃れる方法があるだろうかと問いながら、その難しさを話す。

第五章 中国の空中分解が始まった

 では、中国のGDPに隠されている問題点を探る。

 という具合に、日本の企業と政府の分析から始まって、中東、アメリカ、ヨーロッパ、中国を含むBRICs国家群に対する分析を行っている。

 基本的には、「製造業を続けること」「独占企業を作らないこと」「金融資本への移転を行わないこと」、ついでに言うと「コストが安いからといって簡単に企業(生産)移転を行わないこと」ということなのであるけれども、四番目はもうすでにかなりの部分で我が国の企業もそのような状況になってきている。

 つまり「独占企業を作ってしまえば」それはメーカー側でいくらでも好きな価格設定を出来ることになってしまうわけで、そこにはコストダウンのための工夫とかイノベーションがなくなってしまう。「金融資本への移転」が行われてしまえば、企業がお金儲けをする方法が「モノを作る」という地味なところから、M&Aみたいな「ラクして儲けよう」というところに経済がシフトしてしまう。実は、それは経済バブルを求める欲求の始まりなのだ。

 ということで、取り敢えず3.11の震災を経ても取り敢えずはそうした状況に陥っていない日本経済を称賛しているわけなのだ。つまりそれは、まだまだ日本の製造業は健全であるという証左なのかもしれない。

 しかし、3.11以降、日本脱出を狙っている企業はかなりあるし、法人税が特に高い日本からは出て行こう、で、現地で安い労働力と日本からの高い知力を混ぜて使えばそこそこの労働コストが可能になるという発想もある。まあ、それが徹底されてしまうと日本の将来も、まあ欧米と同じかなとなってしまうのだけれども、その辺、どうなんだろうか。

 増田氏が言うほど日本人の精神性が高いとは思えないし、日本人が中国人化・ヨーロッパ人化して、「自分と自分の家族だけ」の事しか考えなくなってしまえば、とたんに日本という国家は崩壊してしまう。別に、我々は「国によって生かされているわけではないし」「国があっての存在」でもないのだから、いつ「日本国」が無くなってもいいとは思っている。いいじゃないかよ、別に我々が何人になっても。ただし、問題はその時には新しい国の社会保障制度に則るわけであるし、ということは現在の日本のような社会保証制度以上の国はないわけで、ということは確実に今の社会保障制度よりは劣悪な状況の中で生きなければいけないのだ。当然、今まで我々が積み立ててきたものなんかはチャラですね。

 まあ、本当に増田氏が第一章に挙げるような日本の経済・社会制度によってこれから日本が世界一の経済大国になる(どうみてもそういう書き方でしょ)という発想にはなれない私たちではあるけれども、そんなに悲観するほどのもんでもないのかも、という多少の安心感を与えられるものかもしれない。

 その程度のものだ、という風に読んでいればとても気分がラクになる本なのだ。

 最後に『世界中で愚民政治といえば、エリートがやりたい放題に好き勝手なことをするために大衆を愚鈍にとどめておくことだ。だが、世界で唯一、日本の愚民政治だけはまったく反対だ。エリートが勝手な悪事を働かないように、賢明な大衆が政治家や官僚や一流企業経営者を愚鈍なままにとどめておくことを指す。~危機に際しては、あたふたオロオロあわてふためき、しどろもどろのコメントしかできない指導者しかいない。だからこそ、日本経済は力強く回復するし、東北地方は立派に復興するだろう。基本的にはウソのつけない誠実な人間が、寄り集まってつくっている社会だからだ』という『おわりに』からの暴論を紹介する。

 本書の内容を規定するのはそんな暴論・トンデモ論なんだけれども、なぜかしっくりするのも一方で事実なのだ。もしかすると、本当は正論なのかもしれない。

 

2011年6月27日 (月)

ウィーンの光と色と田中長徳氏

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 銀座4丁目にある三愛ドリームセンター8階にあるリコーフォトギャラリーRING CUBEで『ウィーン 街の光・冬の影 田中長徳 写真展』を開催中である(7月10日まで)。

 田中長徳氏とウィーンと言えば『ウィーンとライカの日々』という写真集を思い浮かべるが、その本に出てくるライカで撮られたモノクロのウィーンのイメージと、今回デジタルカメラ(当然、リコーのGXR、GRD、CX5)で撮られたカラーのイメージが随分違うことに驚かされる。

 田中氏は1973年から1980年にかけてウィーンに在住。そのころ撮られた写真を中心に構成されたのが『ウィーンとライカの日々』であるわけで、まだ多少は第二次世界大戦の名残の残ったウィーンがどこか陰鬱なヨーロッパの雰囲気を残しているのに比べて、2011年の年初に撮られた今回の写真展の作品が妙な明るさをもってしているのは、分からないでもないが、それだけではない何かがありそうだ。

 田中氏がウィーンに滞在したのは別に自らの仕事があって行ったわけではなく、美佐夫人のバレエ留学に付き合ってウィーンに言ったのである。言ってみれば8年近くの執行猶予というか、特に予定のない8年間をウィーンで過ごしたわけである。無聊をかこっていたわけではないが、でも、それに近い状態で、何の目的もなく毎日毎日ウィーンの旧市街を散歩していたわけである。そんな「目的のなさ」がどことなく陰鬱な雰囲気となってあらわれたのかもしれない。勿論、その一連のモノクロプリントには女性下着メーカーの派手なポスターなんかも写っていて、よく見れば結構明るい題材が写っているわけであるのだが、でも基本的には「暗さ」が主調となっている。

 ただし、2011年のカラープリントもよく見れば写っている題材は昔のモノクロと同じようなものだ。おまけに色彩の乏しいヨーロッパではある。ということは、実は昔の写真も今の写真もたいして変わりはないという事なのかもしれない。

 ああ、それがウィーンの「光と色」なのか。

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 同じ銀座のニコンサロンでは下瀬信雄氏の『結界Ⅶ』というモノクロプリントの写真展を開催中(こちらは7月5日まで)。こちらは植物だけが写っている、なんか妙な写真展ではある。

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EPSON RD1s Summicron 35mm (モノクロモードで撮影) (c)tsunoken

2011年6月26日 (日)

春のカレッジフットボール閉幕

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 今日で春の学生アメリカンフットボール・シーズン閉幕だ。

 後は、前期試験と夏合宿で、その後9月からいよいよ今シーズンの公式戦が始まるわけだ。春シーズンはそんな公式戦の為の新チームの慣れと練習、関東・関西・東海などの定期戦にあてられている。

 東大は学習院大、筑波大、国士舘大、関東学院大、専修大、京都大、防衛大と7戦を戦い、京都大との定期戦を除き6勝をした。特に3戦目から5戦目までは一部リーグAブロックのチームとの試合で、そこで全勝したことについては選手もおおいに自信を持ったに違いない。しかし、その他の3試合は下部リーグであるにも関わらず、結構苦戦をしており、勝ったものの反省の多い試合でもあった。特に、昨日の防衛大戦については、その前節で一部リーグの神奈川大戦に勝って勢いのある防衛大に対して、試合未経験者を含む東大の2軍と言ってはいけないが、まあ、せいぜい1.5軍位の力ではたいした力にならず、結局第3クォーターの始めの方からは守備チームが、後半からは攻撃チームの編成が1軍となって何とか盛り返した程度と、かなり反省材料の多い試合ではあった。本来なら50点ゲーム位にならないとマズいのだが、結局、第1クォーターに10点、第4クォーターに12点と合わせて22対6という結果だった。問題は第2クォーターと第3クォーターに1点も入れられなかったこと。各クォーターに得点できれば50点ゲームになったのに・・・。

 この辺を夏の合宿でどうアジャストしてくるか。特に公式戦前半は神奈川大学、一橋大学、立教大学、拓殖大学という格下のチームとの試合になるので、その試合では前半に大量リードして、後半は新人たちの出番を多くしないと、来年からのチーム作りに関係してくるので、そういう意味ではやはり1軍がしっかりしないとマズいということになるのだ。後半の、法政大、中央大、慶應大戦はどうなるかは全く分からないが、まあ、法政大戦は難しいだろうな。ただし中央大戦と慶応大戦は、分からない。昨年は公式戦の最終戦、一昨年は春シーズンの最終戦と格上の中央大に勝っている東大なのである。まったく、司法試験で負けて、アメフトでも負けてどうするつもりなんだ中央大と言いたい限りである。せめてアメフト位は勝てよ。その為に、中大付属にも「ラクーンズ」があるんだろう。

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 その他、今年の明治大が意外と弱かったこと、その一方、中央大がかなり強そうなこと、早稲田も末吉がいないと結構苦戦すること、法政大がかなり強そうであること、ああ、日本大が強いことは分かっているのだが、何故その強い筈の日本大がリーグ制覇できないのかは相変わらず不明である、ということなどが今春のシーズンの結論かな。

NIKON D50 AF-S NIKKOR 70-300mm (c)tsunotomo

2011年6月25日 (土)

『甲子園だけが高校野球ではない』というのは当たり前の話ではあるのだけれども

「甲子園だけが高校野球ではない」なんてことはは当たり前なのである。それを、弱小都立高校のマネージャーが一年発起して、ドラッカーを読んで、その年には自分のチームを甲子園に連れていくという、「全くあり得ない」ストーリーを書いた『もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』がベストセラーになったおかげで、「甲子園だけが高校野球ではない」というストーリーの監修を務めるというのは、なんか皮肉だし、「そんなに分かっているのだったら、『もしドラ』だってもっとリアリティのある、東京都予選で終わる話にしたってよかったんじゃないか、それはそれで盛り上がる話なのだから、という気分にもなってくる。

『甲子園だけが高校野球ではない』(岩崎夏海監修/廣済堂出版/2010年8月4日刊)

 岩崎氏も書く通り『その昔、高校野球というものの残酷さに、ちょっと慄然とされられたことがある。というのも、例えば出場校が4000校あったとすると、勝ち残るのはたったの一校で、残りの3999校は必ず「負け」て終わらなければならないからだ。その「負け」のおびただしい集積が、高校野球というものの正体なのである』ということだ。

 もう少し言えば、全国4000校の全てが基本的には「甲子園」を目指して日々野球の練習をしているわけだ。勿論、その中には「うちはせいぜい県予選3回戦までだよな」とかいうチームもあるだろうし、「部員も足りないし、県予選に出られただけでも幸せ」というチームもあるだろう。しかし、大半のチームは「叶わない夢」としても、取り敢えず「甲子園」を念頭に置いて練習をしている。まあ、そのほとんどが「お前ら自分を買いかぶり」とか「甲子園を甘く見てるんとちゃうか」という話なのであるが、でも「甲子園」を夢見ていることだけは確かである。でも、そんな夢に見ていた「甲子園」を3960校、75240人の生徒は夢をズタズタにされてしまうのである。そしてえらばれた40校程度だけが「甲子園」のグラウンドに立てて、39校は負けて、1校だけが栄冠を勝ち取るのだ。つまりその1校19人の裏には75981人の「負け」があるのだ。そんな76000人から選ばれた19人の栄光なのだが、ではその栄光はその後もずっと続くのかと言えば、それは決してそんなんことはない。だって、たかだか18歳の人生でしょう。そんなもの、その後に続く60年以上の人生に比べれば、ホンの入り口にすぎない。つまり「高校の時の栄光」なんて、まさしく「高校の時だけの栄光」にすぎないわけで、その後の人生、例えば大学野球に進んだとしてそこで活躍できるか、社会人野球に進んだとしてそこで社会人としてと同時に野球選手としてどういう人生を送れるのか、プロ野球人になってもそこでどういう活躍ができるのか、勿論、高校で野球をやめてそのまま社会人になる人も多いだろうが、そういう人たちだって社会人としてどういった生活を送るのか、ということが大事なのであり、その際には「高校野球の栄光」なんてものは、何の評価もされない。

 つまり、高校野球ジャーナリズム(なんてものがあるのか?)にとっては、高校野球が全てではあるけれども、野球選手自身にとっては、所詮、高校野球なんてものは単なる「通過儀礼」みたいなもんで、終わってみれば「ああ、いい思い出だったな」ってなもんである。

 唯一、岩崎氏もいいことを書いている『甲子園という山は、あまりにも高い。それゆえ、多くの選手が、それに登ることに集中するあまりに、「その後どう降りてくるか」ということを忘れがちだ。

 しかし、これは覚えておいて損はないだろう。人生も同じで、どう登るのかと同じくらいに、どう降りてくるかということも、やっぱりとてもだいじなのである』という事である。

 まあ、これは760人の「甲子園出場球児」だけの問題である。「自分たちは『甲子園』に出た」という自意識をどこで捨て去ることができるのかということであろう。まあ、それが難しいのですよ。で、結局は世の中に「オレは甲子園出場したんだぜ」ということだけしか言う事のない中途半端な連中がはびこってしまうのだ。その後も、野球をやってればいいのに、野球をやってない連中まで「元甲子園球児」を言ってもねえ。まあ、こういう人たちは、岩崎流に言わせると「降り方を知らない」人たちなんだろうな」。

 まあ、ともあれ全国75000人以上の高校生が県予選という名の公式戦を始める時期が近づいた。多分、各県とも7月初めから夏の甲子園県予選が始まるんじゃないか。しかし、そんな県(都・府)予選に赴く観客としては、予め「甲子園だけが高校野球ではない」なんてことは承知の上で身にいくわけで、選手もそんなことは承知で試合をするわけである。

 そんな、甲子園までずう―と遠い予選大会が、7月からは始まる。これはこれで、面白いんですよ。予想もつかないしね。ただし、大体春大会で勝ち進んだチームが強い。

 東京都の東地区の予選は以下の球場で;

 球場は;

・市営立川球場

・昭島市民球場

・府中市民球場

・明大球場

・大田スタジアム

・江戸川球場

・都営駒澤球場

・神宮第二球場

・神宮球場

 試合の組み合わせは下記のURLで;

 http://www.tokyo-hbf.com/news.php?nid=45d3a22dbca16ee5d6be942a83f183e3

2011年6月24日 (金)

『菊池寛と大映』って確かに初代社長だけど。実はそれがいけない始まり?

 大映(今は角川映画になってしまっているが)というと、私たちの年代では「永田ラッパ」という「大言壮語」と「ワンマン経営」というイメージがある。その大映に初代社長として就任したのが菊池寛氏である。

『菊池寛と大映』(菊池夏樹著/白水社/2011年2月25日刊)

 菊池寛氏は元々小説家であることはご承知の通りであるが、同時に自ら興した『文藝春秋』や文藝春秋社の大成功は、皆さんも知っているところだ。しかし、1925年に文化学院文学部長になったり、1928年には衆議院選挙に出馬して落選したり、日本麻雀聯盟初代総裁を務めたり、要は「担ぎやすいオヤジ」的なスタンスがあって、結構そういうお膳立てには乗りやすい人なのだろうな。

 で、専務・永田雅一氏によって担ぎ出された初代社長・菊池寛氏の社員に対してはなった演説が結構いいのである。つまり『劇映画の劇という字はね、劇薬の“劇”なんだよ。それは即ち、人生のもっとも激しい場面の連続じゃなきゃいけないんだ。感情的にも、行動的にも、劇しい場面がなければ劇は成り立たないんだよ。だから、すべてはシナリオなんだ。シナリオが一番大切なんだね。松竹や東宝は直営館を持っている。少々作品の出来が悪くてもなんとかなる。しかし、うちの社。大映は違うんだよ。製作の善し悪しだけで決まるんだよ。製作の一本一本で失敗すれば大変なことになるんだね。僕はね、シナリオオンリーでいくよ。いま流行しているような偏重したリアリズムはよくないんだ。おもしろくない真実よりも、面白い噓のほうがずっといいんだ。観客はね、おもしろいものを待っているんだよ』というシナリオ観は全くその通りだと思うし、現代にも繋がる考え方である。つまり『おもしろくない真実よりも、面白い噓』のほうが観客は求めているんだ、という言い方は、まさしく「大衆部文芸作家」ならではの言い方ではある。更に『映画の題名は、ミステリーでなければいけない。ひとの人生を描くのもミステリーなんだ。ミステリーがひとを引きつけるのだよ』なんて言葉をひくと、「本当にそんなこと言ったの?」といいたくなってしまう。だって、菊池寛はミステリーなんて書いていないのに、何故、そんなことが言えるの、ってもんである。勿論、知識としては数多くのミステリーも読んでいるとは言えるかもしれないけれども。

 最終章の後半は永田雅一についてさかれているのだけれども、結局それは永田の愛人であった中田庸子という女優との関係から、永田の子ども時代、つまり京友禅の老舗であった実家のその後のありさまとそのなかで生きてきた永田自身を思い出し、そこに同じような人生を生きてきた中田庸子の人生を重ね合わせたわけなのだけれども、27歳も年下の愛人に対して同年代の男のようには付き合えるわけでもなく、それははかない想いのなかでの愛人との付き合いだ。

 1971年、ついに大映は倒産し、最初は徳間書店が経営参加することになる。まあ、徳間康快氏自身が永田雅一氏と同じような資質を持っていたのか、というところでは『未完の対局』『敦煌』『おろしや国酔夢譚』などの超大作路線はことごとく失敗し、結局、徳間書店による再建はならず、とういうか徳間書店自身がそのころ殆ど債務超過の状況に陥っていて、倒産した映画会社を助けるような状態ではなかったのであるけれどもね。

 で、結局2004年になって角川映画になるわけなのだけれども、結局、大映という会社は出版社に頼っていかなければならない会社なのだろうか。

 ただし、本来「映画」と「文学」は全く異なる表現形式であり、それらの間には何の関係もない。しかし、映画の企画と通す時に「この映画の原作小説は○○万部売れてます」と言えば企画も通しやすいし、もともとの本を出版社のメディア(その出版社が雑誌も出していれば、ということですが)も映画のプロモーションに使えるとうことで、ますます出版社への企画頼みが増えている。

 本来は、映画の映画オリジナルの企画を出す方が、長い目で見れば、脚本家も育つし、ということなのだがなあ。

 

2011年6月23日 (木)

『熟女ホテトルしびれ旅』はいいのだが、その後の作者の動向が気になる

 まあ、たまにはこういう本も読むんですよ。実際には下半身からの欲求で本を読むこともあったりして。

『熟女ホテトルしびれ旅』(東陽片岡著/青林工藝舎/2011年1月25日刊)

 で、この東陽片岡氏は自分の趣味なのか、あるいは編集部(週刊漫画サンデー)の趣味なのかは分からないが、とにかく熟女(40代・50代..60代!)の女性を求めて鴬谷とか渋谷のホテトルにED治療薬を服用しながら出撃するわけだ。

 たしかに、40代はまあOKとしても50代・60代となってしまうと、普通の男はあまり勃たなくなってしまうのではないか? でも、そんな50代・60代の女性に対してもちゃんと勃たつという(まあ、ED治療薬を使っているのだけれども)のは、東陽氏に50代・60代の女性に対する愛情があるということなのだろう。

 で、ホテトル料金はいくらかかるのかと言えば『ワタシが熟女ホテトルに通い始めた20数年前と、現在の料金を比べますと、実はナンとほとんど同じか下がっている場合が多く、ホテトル代つーのは、実は物価の優等生なのであります。 

 だいたい80~100分で2万円前後、高級店は3万円+αつーのが現在の相場となっいます。それにホテル代が数千円かかりますので、おおむね2万数千円でシアワセのひと時を送れるつー訳でございます。

 これを高いと感じるか安いと感じるか、それはすべて女性とのおセックスにかかわっているのであります。ハッキシ言って「この人とはしたくない」つー感じの方がいらしゃるという事も、ままあったりします。ワタシがルポする時、読み手はそちらの方が喜んでくれるものですから、チェンジはなるたけ、いやゼッタイしないよーに決めました。』

 というのだから、東陽氏自身のプロ根性も見えてくるという訳だ。

 しかし、こうしたルポルタージュって、実際いくつまでできるのだろうか。どうも東陽氏は殆ど私と同じ年齢か若くても10歳も下ではないだろう。だとすると、こうした「体当たりルポルタージュ」はもう無理だろうな。その後、東陽氏はどうするんだろうか。基本的に、自分の体験をコミックで報告してくる「コミック・ルポルタージュ」とか「コミック・エッセイ」の形で自作を発表してきた東陽氏である。

 今後の働き方が気になる東陽片岡氏ではある。

 

2011年6月22日 (水)

『太宰治の作り方』は、太宰治と津島修治の間を繋ぐのか、分けるのか

 要は、「太宰治」と「津島修治」の間を繋ぐのか、分けるのか知らないがその「一人にして二人の人物」を描こうとした本なのである。

『太宰治の作り方』(田澤拓也著/角川選書/2011年3月25日刊)

 太宰治自身が標榜したわけではないけれども、太宰作品に言われる「私小説」に筆者の筆は及ぶ。つまり、かれがなしてきた自殺の問題も結局は「私小説」の「ネタ」ではないのかという考え方。つまり『ともあれ、見てきたように、この五度のうち二度目から四度目までの事件について、太宰は、それぞれ何度も“生環記”を小説に書いている。一度目についてのディテールがどこにも記されていないのは、あるいは、まだ“自伝”形式で小説をかいていない時期だったからだろうか。まさか事件そのものが幻だったわけではあるまい。五度目についてどこにも書かれていないのは、いうまでもなく、太宰が玉川上水の現場から生還しなかったからである』ということなのだ。どうも、太宰のような「私小説」作家にとっては自らの「死」をも、それこそ「死」のあとも、もし書けるならば自らの「死」を書きたかったんだろう。もっとも、自らの「死」を書ける機会があれば書いてみたいという作家は私小説作家じゃなくても、みんな書いてみたいだろうけれども。

 つまり、太宰にとっての「私小説」とは「私の周辺を描いた小説」ではなくて、「私はここにいる、この私をみて!」という小説なのである。要は、究極のナルシシズム。田澤氏が何度も書いている『太宰の小説は私小説ではなく「私の小説」なのである』というように、本来私小説とは言っても登場人物は多彩に及ぶ、しかし、太宰の場合「私」以外の登場人物の存在感は薄く、結局は「私」を浮き上がらせるための「モノ」でしかない。

 ただし、それはどうでもよい。問題はそんな「私小説」に「純文学」を重ねてきてしまった、我が国の文学界ではないだろうか。そんな自分自身のナルシシズムによるところの文学を最高の文学として、市井に生きる人たちの姿を活写した文学を大衆小説とか中間小説として分けてきた文学観を変えなくてはいけないじゃないだろうか。

 太宰は別に太宰であっていいわけである。つまり『いつでも太宰治は百パーセント自己中心。自分の「愛」や「苦悩」しか頭にはなく、何度も何度も同じ話を繰りかえし、激しい自己否定の言葉をつらねる手口で、その実、強烈な自己肯定を表現していく』という人間なのだ。

 ひとつだけ言っておくことがある。太宰の作品は決して『小説のストーリーとともに、同時進行で彼の生活背景も読んでいくわけですよ。いろんな女性の問題だとかね。そこに太宰の人間性が垣間見えて、読めば読むほど面白くてやめらんなくなっちゃった』ということは、自由であるけれども、実際にはそうでもなかったということも、どこかで知ってほしいのだ。

 作家の実像を知ることは、別に、その作家の読者には求められることではない。作品を通して感じた作家の感性やら知性を信じればいいのである。とはいうものの、やはり作家の実像には迫りたい人もいるわけで、そんな人たちには「がっかりしないでね」と言うしかない。

 ま、そのくらい、作家が自ら描いている世界と、作家の実像とは違う、ということですね。

2011年6月21日 (火)

『書店ほどたのしい商売はない』とはいっても、そうなのかなあ・・・

 経営してる方は楽しいだろけれども、勤めている店長にとっては結構厳しい現場ではある。特に「書原」ではね。

『書店ほどたのしい商売はない』(上村卓夫著/日本エディタースクール出版部/2007年3月5日刊)

 上村卓夫氏はいまは書原の社長ではない。いまは社長を息子の上村智士氏に譲っている。ただし、書原という書店の方針は変わっていない。

 で、この上村氏の基本が「マルクス主義的教養主義」なのだが、それは理由があるらしい。それは、開店当時、1967年頃は開店したばっかりの書店には大出版社が売れそうな本(新刊や文庫本)を配本してくれない。そこで人文書に力を入れて、既刊本をたくさん仕入れて、妙な魅力のある阿佐ヶ谷本店ができたわけだ。いまは多少変わったけれども書原の阿佐ヶ谷本店は昔から「ちょっと変な人文書にやたら力を入れている店」であり、「ちょっと変な人文書」を求める読者からは、「あそこはちょっと変な書店だよ」ということでいろいろ話題になっていた書店であったことだけは間違いない。おまけに、同じビルの3階にマッドハウスというアニメーション制作会社があったこともあって(今はない)、私はちょくちょく顔を出していたのだが、そのたびに書原を覗く、というのが日常になっていたのだった。ここには、ちょっと変わった本が置いてあるということで。

 その位、変な魅力のある店であった。

 で、その後、出版社の販促部門に異動となり、その経営者の上村氏と会うことになったのはなんという邂逅であろうか、普段は新橋店にいる上村氏に会った私は、まずマルクス主義の日本における敷衍の状況から話を聞き出して、その後の書店経営の話を聞き、現在の状況を聞いたという、多分、各出版社の書原に対する営業マンと同じ待遇を受けたのだった。まあ、書原と付き合う出版社の営業マンなんてのはそんなもんですよ。まずは、日本におけるマルクス主義の問題から、というのが基本パターンね。

 で結局「スリップから何を読み取るか」という上村さんの発想に辿りつくという訳だ。しかし、POS全盛の時代になんでスリップ? という疑問は当然である。

 POSで売れた物の発注は出来てしまうからいいじゃないか、というのが普通の書店の発想である。しかし、そうではない、スリップの状況から別の判断が出てくるというのが上村氏の発想なのだ。例えば;

『この前、新橋店の「売上スリップ」の中から『デザインの原形』(六曜社、2004年)と『エレメンツ・オブ・デザイン』(美術出版社、2006年)と『芸術起業論』(幻冬舎、2006年)の三枚が続きました。

 ひとりの読者が買ったことは明らかで、この読者がデザインの入門書を探しながら、商業化する立場にあることがわかります。もしかすると、デザインとアート、ビジネスとエコの関連性を狙っている建築家かもしれません。「売上スリップ」からの推測はこの程度です。

 現場を把握している、隣の店長に聞いてみると、「『芸術起業論』が積んであり、よく売れていて、何刷もしている」と言います。幻冬舎ですからね。直感的に、アートと投資そのものの関係性が鮮明になります。

 積んである場合は様子を見ます。どれも積んでない場合は手ごろな一点を選び出し、三冊か五冊ぐらいの補充をかけてみます。

 ――探りを入れる?

上村 そうです。要チェックです。

 作業的には観察(WATCH)から始まり、疑問(WHY)へ、そして次に連想(INSPIRATION)があって、考察(THINK)へ、、最後に補充(ACTION)の順になります。この繰り返しですが、やはり最初に疑問(WHY)を持つことですよ。

 ――おもしろいですね。すると、各店長は即座に?

上村 店内にある八割以上の新刊、既刊を把握し、私の質問に反応しなければ、失格です。社員と店長の違いは商品知識でしょう』

 という具合に、一枚の(数枚の)スリップから読者像を想像し、そこから新たな客を想像して商品構成を考えるというのは、確かにPOSでは思いつかない発想法である。

 しかし、こんな社長(今は社長ではないが)と付き合う店長も大変だな。社長現場分かりすぎ。

 こんな現場分かりすぎの社長と付き合っちゃうと、店長は仕事をする気になるのか、逆になくなっちゃうのか、まあ、ふたつにひとつだろうな。

 でも、そういう関係にならなければ面白い人です。上村卓夫さんて。

 で、ここまで読んできて「何か変だなあ」と思ってみたら・・・・・・出版されたばっかりの頃に、上村さんの話をエディタースクールに聞きに行った際に、購入して読んでいるのであった。ああ、またやってしまった。

 ただ、まだ初版のままっていうことは、あまり売れていないのかなあ。確かに、その後の書店事情は激変していて、今では上村さんの話だけをみると「牧歌的だなあ」と思うような部分もある、しかし、変わっていない部分も多く、そこは興味を持って読めるのだが・・・。

 

2011年6月20日 (月)

『ふしぎなキリスト教』はそんなに不思議じゃなくて分かりやすいのだった。だって神様が一人しかいないなんてのは単純じゃないか。

 世界の一神教の大もとはユダヤ教であり、預言者で商人のムハンマッドによって継承されたのがイスラム教であり、「神の子」イエスによって批判的に継承されたのがキリスト教である、という程度のことは皆知っているのではないだろうか。ただし、それが儒教や仏教などとの対比で話をされると少しわからなくなる。日本神道なんかの神様とどう違うかというと、八百万という位の神様の量になると、多分日本の神様は我々人間とあまり変わらない存在であったような気がするし、とはいっても神様の子どもは神様でしかなく、人間ではないわけで、え? どう違うのよ・・・てなもんだ。

 ということで、取り敢えず読んでみた。

『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎・大澤真幸著/講談社現代新書/2011年5月20日刊)

『第1部 一神教を理解する――起源としてのユダヤ教』と『第2部 イエス・キリストとは何か』はいい、やはり気になるのは『第3部 いかに「西洋」をつくったか』である。

 つまり『一神教では、神は世界を創造したあと、出て行ってしまった。世界のなかには、もうどんな神もいなくて、人間がいちばん偉い。人間が神を信仰し、服従することは大事ですけれども、神がつくったこの世界に対して、人間の主権があるんですね。ほんとうは神の主権があるんですけど、それが人間にゆだねられている。スチュワードシップというのですが、空き家になった地球を人間が管理・監督する権限があるんです。その権限には自由利用権も含まれていて、クジラに脂身がたくさんあって油が採れるとなれば、クジラを獲ってロウソクをつくってもいいし、石炭を掘り出してもいいし・・・・・・。こんなことは、キリスト教徒しかやらないんです。』ということで、キリスト教徒は原子力利用なんてものまで始めてしまい、プルトニウムなんて自然には殆どなかった元素を大量に作り出したわけだ。

 例えばこれが日本だと『山には山のカミ、川には川のカミ、植物には植物の、動物には動物のカミがいるでしょう。山に穴を掘ったり、自然の実験・観察をしようとしたりすると、カミと衝突してしまうわけです。カミに、それはやめえtくれ、と言われてしまう。日本では工事をするのに必ず地鎮祭をするけど、昔だったらそんなことをするくらいなら、工事はしなかったんじゃないか』ということになるのだ。

 まあ、これが一神教と多神教の大きな違いなんだけれども、まあ、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、結局は砂漠ばっかりの不作な土地で生まれた宗教である。そんな土地ではいかにして自然を抑えつけて生活に必要なものを得るのかというのが大事なことになる。その点、自分の周囲にいくらでも食物になる自然の生成物があった我が国とはおおいに違う周辺の雰囲気だし、それが一神教と多神教になった原因かもしれないと考えられるのだ。

 で結局どうなるのかといえば『キリスト教世界と違った世界がいくつあるのかと言えば、大きいところで、イスラム世界、ヒンドゥー世界、中国世界がある。それぞれ固有の論理を持っていて、簡単に変わらないと思います。それぞれに、伝統的エートスがありますから。ただ、ヨーロッパ=アメリカ連合(キリスト教文明)の、デファクト・スタンダードがあるので、いまはそれに合わせている。

 その結果、中国とインドは最近、資本主義モードの入った。中国は相当に成功。インドもそれなりに成功してきた。出遅れているのは、イスラムですね。イスラムは製造業が下手くそで、モノをつくることにあんまり熱心でない。それが理由です』。なぜ、イスラムは製造業がだめなのか。『もしかすると、クルアーン(コーラン:引用者注)があまりに文学的にすばらしくできていて、クルアーンの精神世界が魅力的すぎるせいなんじゃないかと思う。だから、クルアーンに触発された文学などはとても立派。それから、クルアーンに基づいた法学、これもすばらしく立派。政治もそれなりにうまい。ビジネス、商業もうまい。でも、製造業がちょっと見劣りします。クルアーンが描くのは徹底した一神教の世界だから、モノにスピリットをみとめる余地がない』ということなのだ。

 なりほど、例えば日本のモノづくりのスピリットなんてロボットやそうした製造物に対して名前を付けて呼んだりして、完全に物神化した発想だものな。それに比較して、イスラムの世界では石油は産出するが、それを輸出した富をモノの生産の方には一切回さないで、結局はヨーロッパやアメリカのキリスト教企業に対する投資にばっかり回しているわけだ。

 それが結局どうなっているかと言えば『植民地時代は、グローバル・ルールはキリスト教文明だ、文句あるかで押し切った。そして、植民地政策に支障がなければ、「お前たちが自分のことをローカル・ルールで決めるぶんには全然かまわない。ただし、近代化が遅れてもしらないからね」という態度で臨んだ。二重基準だった。

 いまはその、二重基準の垣根がなくなって、ガチンコ勝負になっている。中国企業がIBMのパソコン部門を買収したり、中国がアメリカ国債を大量に取得したり、ヨーロッパの財政破綻国の国債を買い支えたりしている。これから、日本やアメリカの企業がどんどん中国企業に買収されると思う。気がついたら上司が中国人。そうなれば中国人のものの考え方に、キリスト教徒が影響されていく。そういう新しい局面が、二十一世紀の基調になっていくでしょう』ということになるのだ。

 うーむ、面白いなあ。確かに、いま世界はそのような方向に動いている。

 もうひとつ面白いのは、マルクス主義とキリスト教の関係を言っているくだりで、『ヘーゲルの弁証法はもっとあからさまに、キリスト教の論理を取り込んだものになっている。三位一体説を下敷きにしたものだと思います。ドイツ語んは再帰動詞というものがある。「自らを○○する」のような、自動詞でも他動詞でもない第三の動詞なのですが、この動詞の用法が弁証法のロジックとシンクロしている。ルターのドイツ語訳聖書が、この組み合わせを生みだしたのだとすると、ヘーゲルも、マルクスも、その残響のなかで仕事をしている。

 マルクス主義は、この弁証法に駆動されています。マルクス主義は、唯物論を標榜し、キリスト教と関係ないことになっていますが、私からみると、神がいないだけで、ほとんどキリスト教と同じ。教会の代わりに共産党がある。共産党はカトリック教会のように、一つでなければならないとしている。それは世界全体が、歴史法則に貫かれているからなんです。やがてやってくる世界革命は、終末とよく似ている。プロレタリア/ブルジョワの二分法も、救済される/されない、の分割線なのです。もう全体が、キリスト教の部品装置でできてるのですね。というふうに、たとえばマルクス主義を生みだしてしまうのは、キリスト教の重要な性質のひとつだと思われる』ということなのだが、むしろマルクス主義と似ている(逆か「マルクス主義が似ている」と言わなければならないのかもしれないが)のはキリスト教よりもユダヤ教のような気がする。カール・マルクス自身も父親はユダヤ教のラビだし、幼いころは普通にユダヤ教の世界で生きていた筈なのである。

 しかしまあ、そんな一神教による世界のデファクト・スタンダードも最早破綻がきている状態なのではないだろうか。デファクト・スタンダードの最たる原発も、最早EUでは基本的には廃炉の方向に向かっているし、ということは核兵器もなくなる方向だろうし、いまや力をつけているのは儒教の中国とヒンドゥー教のインドである。その後にブラジルが台頭すれば多少はキリスト教の方向に振れるのかもしれないが、いずれにせよ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教のような「砂漠の宗教」が世界を支配するのだけはカンベン願いたい。

 やはり、へっついの神様やら便所の神様なんてのまでがいる日本みたいな八百万の神様がいて、みんな勝手なことをやっている方が、面白いし、他の神様と戦争をしようなんてことは考えないから、世界も平和でいいじゃないですか。

 私は、八百万の神様のいる日本神道と仏教哲学が入り混じった、日本式のごちゃ混ぜ宗教の方が、心地よいな。

 

 

2011年6月19日 (日)

紫陽花には雨と蝸牛がよく似合う

 紫陽花には雨と蝸牛がよく似合う、なんてことを考えながら白山神社の紫陽花祭りに行ってきたのだが、残念ながらいまにも降りそうな天気ながらも雨にはならず、雨の紫陽花にはならなかった。蝸牛もいないし・・・。

2011_06_18_006_2 白山神社入り口

2011_06_18_045_2 へえ、お祭りの時にはこんな案内図が出るのだ。白山神社や紫陽花祭りも何度も来ているのだが、初めて見たなあ。

2011_06_18_027_2 白山神社本殿です。手前の紫陽花は鉢植えです。

2011_06_18_014_2 で、これが庭に咲いている紫陽花。

2011_06_18_033_2 白山神社境内の浅間神社。この期間だけ公開される富士塚です。でも何でだろう?

2011_06_18_037_2 で、いつも「何とか祭り」には必ずいる例のカメラおじさんたち。昔はカメラ小僧だったのかなあ・・・って、それを撮ってる私もそうか。

EPSON RD1s + Elmarit 28mm (c)tsunoken

 文京区の五大花まつりといって、湯島天神の梅まつり、菊まつり、播磨坂の桜まつり、根津神社のつつじまつり、と並んでこの白山神社の紫陽花まつりがあるわけなのだけれども、昔からあるのは湯島天神の梅まつり、根津神社のつつじまつりと白山神社の紫陽花まつりなのだ。播磨坂なんかは最近始まったばかりのお祭りで、だいたい播磨坂なんて坂は昔はなかったのだからね。

 白山神社はその名前からして加賀の白山神社から勧請を受けて作られたとされている、全国にある白山神社と同じ由来を持った神社である。元々、本郷一丁目にあったものが現在の小石川植物園に移され、その後、その地に館林藩主徳川綱吉(つまり五代将軍の綱吉です)の屋敷がつくられることなになって現在地へ再度移されたものだ。その縁もあって、五代将軍綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰されたという。

 富士塚は普段は公開されておらず、この紫陽花祭りの時だけ開放される。

 さすがに週末だけあって、おまけに今週末で紫陽花祭りも終わってしまうということもあるのだろうか、かなりの人出だったが、実は雨の紫陽花祭りも人出が少なくなって結構風情があります。ということなので、むしろ紫陽花祭りが終わった後の方が静かになっていいかもしれない。紫陽花祭りが終わった雨に日にまたこようかしら。そうすれば蝸牛にも会えるかもしれないし・・・。

 なんてことを考えていたら、その後、お茶の水で打ち合わせを終えた直後から雨が降り始め、嗚呼何たる不幸か、てなもんである。もうこれから白山神社に戻っても写真を撮るには少々光が足りないし、なんてね。

 白山神社紫陽花祭りは6月19日まで(今日までです。でもお祭りが終わっても紫陽花は咲いていますので梅雨の時期なら全部OKみたいな感じ)。

 場所は、都営三田線白山駅下車。

 

2011年6月18日 (土)

鉄道アミューズメント

 今週は疲れた。月曜日から金曜日まで、何で? っていうくらい毎日毎日パーティが入ってしまって、完全に「飲み疲れ」。仕事で疲れるんだったら、それはそれで納得できるんだけれども、ねえ、飲み疲れって何か虚しいな。毎日毎日お愛想を言いながら過ごす日々って、何なんでしょうね。

 ということで、今日はお気軽な本の紹介だけで終わる。

『全国鉄道アミューズメント完全ガイド』(講談社編/2011年6月1日刊)『懐かしの鉄道パノラマコレクション』(講談社編/2011年6月1日刊)

 つまり、これは「鉄」のお父さんが自分の子どもを、男の子だったら「鉄男」(これは結構、簡単にOK)、女の子だったら「鉄女」(これはなかなか大変です)にすべく、全国の「鉄道博物館」を網羅したのが『全国鉄道アミューズメント完全ガイド』である。全国の鉄道博物館やバー、旅館なんてところを取材して本にしたものだ。つまり、それは全国の鉄道博物館や旅館、バーにあるジオラマを紹介しているのだが、ジオラマってことは、この本は「模型鉄」を育てるための本なの? という疑問も起こってきてしまうのだが、まあ、半分は当たっているだろう。でも、その博物館なり旅館(バーはさすがにオヤジだけだろうから)に行くためには、当然、列車に乗らなければいけないのだから、その部分で「乗り鉄」を育てようという訳か。

 という言い方をするならば、もうひとつの『懐かしの鉄道パノラマコレクション』は、完全に「撮り鉄」のための「撮り鉄」による「撮り鉄」の写真集である。巻末にはその写真の由来は書いてあるのだが、「撮り方」は書いていない。それは当然、その写真を撮りに行こうにも、実は今ではそんな汽車や電車は実は動いていないという事実がある。つまり、本に載っている写真と同じものを撮りに行きたいと思っても、もうそれは無理よということで、じゃあ、この本は全国の撮り鉄を無駄に刺激するだけの本じゃないかよ、というのであればその通り、「やーい、この本を読んだお前ら。もうこんな写真は撮れないんだぞー」っていうだけの、言わば「見るだけ本」でしかない。

 まあ、「模型鉄」を育てようと思うのか、ちょっとちがうアプローチではあるけれども「撮り鉄」を育てようと思うのか、それぞれのお父さんたちの思いによって変わるとは思うけれども、要するに夏休み前のこの時期に、夏休み用の本が出てくるものなのですね。ということで、お父さんたち、今年の夏はお宅のお子さんを「ヲタク」にしましょう、ということで「鉄ヲタ」なのだ。

 でも、この「鉄ヲタ」たちが、さすがに理系(工学系?)を志望して、その後、日本の理系文化を育てようということになるのであれば、完全にオーケーである。今の時代、大学でも理系に行く人たちが減っているという。確かに、文系学部の方が実験なんかもないし、見た目ラクそうなので文系志望者がどんどん増えているのだけれども、理系に行けば行ったで、結構就職率なんかもけっこう高いし、そんなに悪い選択ではないと思うのだがなあ。

 と、高校時代最初は理系だったのに最後に文転した私が言うことではないか。

2011年6月17日 (金)

江戸っ子の意地

 タイトルから感じたのは「これは江戸の市井の人たちの明治維新に対する動き」なのかなと思ったのだが、そうではなくて江戸の与力・同心たちの話なのであった。

『江戸っ子の意地』(安藤優一郎著/集英社新書/2011年5月22日刊)

 まあ、確かに旗本以下の与力・同心なんて下級武士連中も、庶民と同じくは「お上」が何であれやる仕事は変わらないわけで、そんな与力・同心の現場での動きがなければ、徳川幕府であれ明治政府であれ、現場での動きはできなかったわけで、それも薩摩や長州の田舎侍が来たからといってもそんな連中に大都市の治安なんてものは任せられるわけではないわけで、ということは昔からの江戸幕府の与力・同心に頼らざるを得ないわけである、というのはよくわかる。

 と、当然そんな与力・同心連中にも元々の「お殿さま」である徳川家に対して従う気持ちと、同時に、そのままの立場で生活ができるという安心の気持ちの間の揺れ動きはあったのだろう。とはいうものの、明治初期の東京の治安はそんな江戸幕府時代の与力・同心によって保たれたのであった、というのも事実なのであった。

 面白いのは、キリスト教に入信した与力がいたということ。

 このキリスト教に入信した与力というのは原胤昭である。銀座の十字屋の創設にも関わり、現在にも連なる女子学院高校・中学の元となった「原女学校」を作った人なのだ。で、この原氏が昭和6年に書いた記事がいい。とにかく八丁堀与力の最後の今泉雄作氏が亡くなったときの追悼記事なのであるが;

『これで八丁堀の旦那衆と歌われました、八丁堀三百株も、雪駄チャラチャラ江戸の巷を、かんぬき差しの刀の柄へ袂の先を、ちょいと載せて、突き袖の力身姿を見せた者は、全く以てわたし一人になってしまった。』

 って、なんかこの文章に江戸の風物を思い起こさせませんか? いいなあ、「雪駄チャラチャラ」ですよ、雪駄チャラチャラ。この言葉だけで、江戸の与力・同心(まあ、同心の方だろうが)の姿が見えてくるようだろうし、目の前に「火付盗賊改方」長官長谷川鬼平の姿がみえてしまいそうだ。

 いいなあ、あとは福沢諭吉やら渋沢栄一などが元々幕臣だったものが、結局新政府で大活躍をしたことは今さら言うまででもない。

 つまり、明治政府は基本的には薩摩・長州の田舎侍ではどうにもならずに、結局、元々の一大都市・江戸の統治をよくわかっている徳川家の侍を使わざるとえなかったという訳。というか、当時、江戸のような大都市はせいぜい大阪位しかなかったわけで、そんな大都市を統治した経験はさすがに薩摩・長州の田舎侍には誰もいなかったということなのだろう。

 しかし、やはりどうも気になるのは「江戸の庶民」である。筆者と同じ視点での、江戸の庶民史的な立場からの、維新史が見えるとうれしいな。

 

 

2011年6月16日 (木)

『私には女性の排卵が見える』はちょっと怖いけれども、よく考えれば普通にしててもいいんだよ、という本なんだ

 なんか、タイトルに興味を持って読み始めたのだが、最初はちょっと恐ろしげである。

『私には女性の排卵が見える 共感覚者の不思議な世界』(岩崎純一著/幻冬舎新書/2011年5月30日刊)

 つまり、本書の著者岩崎純一氏の持つ不思議な感覚とは;

『・女性の姿を見ると(女性のそばに身を置くと)、その女性が性周期のうちどこに位置しているかが、女性の体に感じる色や匂いや味や触感らしきもの、またはそれらの混ざり合ったもの(生理学的には、後述の「共感覚」と呼ばれている感覚)でわかる。

・時に、女性の排卵痛や月経痛が自分の体内で起こっているように感じられる。

・妊婦のそばを通ると、一緒に「つわる」(悪阻を感じる)ことがある。

・排卵や月経がつらそうな女性に出会うと、しばしば脈拍の増加・発汗・軽度の発熱・偏頭痛・偏頭痛の前兆(後述の「閃輝暗点」と呼ばれる視覚現象)・視野の狭窄などが起きてしまう。

・女性を目視するだけで、女性の体に触ることができることがある。例えば、「自分の右手であの女性の左肩を触ろう」と思って女性を目視すると、実際にその通りに触ることができた感覚を得ることがある。(後述の「ミラータッチ共感覚」に近い。)』

という感覚なのだ。要は、それは岩崎氏のも持つ「共感覚」というものなのだそうだが、更に;

『それに、私の過去の記録を見た限り、排卵や月経が感知できるのは、十代後半から三十代前半までの女性が主だ。つまり、一番私の(男性の)子孫を残してくれやすい時期の女性、体が一番私を受け入れやすい時期の女性について見えているということで、動物のオスとしての私に都合のよいように感知できているのは確かなのだと思う。排卵日も、私の感覚の調子がよいときには、三日前あたりからわかる。』

 つまり、それは;

『ヒト以外の動物のオスは、何らかの形でメスの体をコントロールするか、メスの体の情報を把握していると考えられる。オスの性的能力が種の存続に直結しているのだから、当然と言えば当然しれない。』

 ということであり;

『おそらくは性周期感知の感覚を備えた「性欲を恋愛と生殖の未分化状態」こそが、日本男性や太古の男性の精神と肉体の「標準設定」だったのだと思う。』

 ということなのだ。

 結局、例えば平安時代の美的実感として女性に対して「色」「にほひ」「かをり」「音(ね)」「音(おと)」「よそほい」といった語に内包されている感覚が、実は岩崎氏が現在持っている感覚に近いものではなかったのだろうかと類推する。つまり、平安時代のある種の男たちには、岩崎氏と同様女性の性周期が「見えていた」という考え方。つまり、その頃の男たちにとって(女もそうであるが)女性器のそれぞれ、例えば「膣」「処女膜」「子宮」「卵巣」なんて言葉を多分知らなかったわけであり、それでもちゃんと性交は出来ていたわけであり、子孫を生むことは出来ていたわけである。

 動物(人間もそうだが)だって、性教育を受けたわけではないにもかかわらず、「本能的」に生殖を目的とした性交が出来てしまう(というか、生殖を目的としない性交をするのは人間だけである)というのは、やはりどこかで「このメスが自分の精液を受けとめることができる時期にある」ということを感じ取っているのではないだろうか、というのが岩崎氏の説である。

 そのために、つまり古代の男たちは「生殖を目的としていないセックス」はしないという前提に立って、そうした古代の男たちには(それでも一部かもしれないが)女性の性周期が(つまり排卵と月経が)見えていたのではないかと結論付ける。

 しかし、人間の歴史が進んできて、女性自身が自分のそんな生理現象が分からなくなってしまった。月経はいやでもわかるが、じゃあ排卵の時期が自分で分からない人たちが増えてきているという。でも、それって女が雌であるっていうことの証拠だし、一番大切なことではないのかとも思うのだが、でもそうなってきているらしい。

 そのうち、おんなもソーシャルな存在になってきてしまい、「アラサー」「アラフォー」になっても結婚しない「負け犬」なんてものが跋扈している時代になってしまっている。そんな「アラフォー女」が突然「子どもを産みたい」なんて言って、無理やり医療に頼って子どもを産んだりするのだ。今では、40代で初めての子どもを産むことは普通に可能な時代になってしまったのだが、それでいいのだろうか。物理的には不可能じゃないけれども、生理的というか人生的にはちょっとマズいんじゃないだろうか、というのが普通の感覚である。

 やはり、普通の感覚で言えば『私の過去の記録を見た限り、排卵や月経が感知できるのは、十代後半から三十代前半までの女性が主だ。つまり、一番私の(男性の)子孫を残してくれやすい時期の女性、体が一番私を受け入れやすい時期の女性について見えているということで、動物のオスとしての私に都合のよいように感知できているのは確かなのだと思う。』ということなのだろう。まあ、「アラサー」の「負け犬」までは許すというところのようだ。

 で、そんな女性については性周期(排卵と月経)がものの見事に見えてしまう、という特異な才能を持っている岩崎氏である。羨ましいような、でもそこまで見えてしまうと怖いような気もする。所詮、我々一般庶民からすれば「何だかわからないけど、可愛い子なんで思わずセックスしちゃいました」で、出来ちゃったらまあ結婚ですね、というのが一番普通のような気がする。

 所詮、10代から20代の男なんて言ってみれば「性欲の固まり」であり、ちょっと見た目のいい女の子なら誰でもいいからセックスしたくなるものなのだ。その結果として、多少見てくれの良い女の子にみんないてしまうのだけれども、ごく少数の男が「女は見てくれじゃない」と言ってブスでも(でもブスまではないか)いいから「俺の嫁になれ」という奴がいるんだよな。その辺は、多分男の方の「子孫残そう」原則が何かあるんでしょうね。

 まあ、60歳近くなっちゃって、別に子孫を残す必要なんてなくなっちゃうと、普通に可愛い女の子になっちゃうんだけれどもね。おう、もうセックスだってしちゃうよ。月に1回だけだけれどもね(情けない)。

 ということ、つまり今の男の大半には女の性周期なんかは見えないけれども、それが見えちゃうう人がいるんですね、ということ。

 更に、それは『「最低限の回数の性行為で最大限の女性を懐胎させるこのとできる」能力であるわけだ。「女性を懐胎させずに最高回数の性行為だけを楽しみたがる」昨今の多くの先進国男性の性欲とは、逆方向にあると見てよいと思う。』と言う通り、セックス(性行為)というのは、本来は「子孫を残す」ためにやっていることだということがわかるのだが、でもそんなセックスは面白くない。

 やはり、子どものことなんかは知らないよ「気持ちのいいセックス」だよね。

 岩崎氏のように考えていたら、私たちはセックスは出来なくなってしまう。普通に女の子(相手は妻かそうじゃないかも問わず)と姦ってればいいなじゃない。どうせ、我々には、女の性周期なんて見えないのだから。

 ま、その結果を責任持って果たせばいいということなんですよ。

2011年6月15日 (水)

「地デジ化」の大問題

 地デジ化に反対をしているわけではないのだ。ただ、その拙速なやり方に反対しているだけなのだ。

『「地デジ化」の大問題』(坂本衛著/知的発見!BOOKS/2011年6月14日刊)

 筆者は別に地上波デジタル放送に反対しているわけではない。『地上デジタル放送が始まっても、「地デジに反対はしないが、進め方がよくない。視聴者の負担を軽減するよう方向転換するべきだ」というのが、今日までの私の一貫した立場です』ということなのだ。

 要は「80歳以上の高齢者世帯」(250万世帯)や、単身者1000万世帯を相手にしていないアンケートでもって、「いやいやもうすでに地デジの下地は出来ているという」調査報告自体が変だと言っているのである。それだけ。アンケートに応えた世帯の調査では90%を超えている地デジ対応テレビであるけれども、実際の普及率で言ってしまえば80%もいっていないだろう、というのが筆者の主旨である。

 しかしながら、アナログ波がデジタル波になって何が変わるのかということに関して言えば、私はまったく期待していない。基本的にはアナログ普通画質がデジタル・ハイビジョン画質になるわけであるけれども、単にそれだけでしょう。今の制作費が切り下げられたテレビ制作現場では、結局「ひな壇お笑い芸人」(それも若手ばっかり)のつまらないくだらないギャグばっかりの番組になってしまい、そんなものを何故「ハイビジョン」で見なければならないのか。結局、テレビを見ている人たちは、高画質やら高音質なんてものには気にしないで、時々の瞬間的な「笑い」があればいいのだ。だったら、前のテレビにセット・トップ・ボックスを付けただけでもよい。そんな状況でなんで「地デジ・ハイビジョン」なんだ? 

 それでも、東日本大震災の後でもかわらない7月24日の地デジ以降日程。東北だけはそれが1年だけ伸びたようだが、1年でいいのか? そんなにVHFの帯域が必要なのか? 

 つまり、何故地上デジタルをやる必要があるのかと言えば;

『地デジで、テレビが使う電波の帯域を整理すれば空きが出ます。通信事業者に使わせれば、新しいビジネスやサービスが生まれます。同時にテレビ電波も効率利用や高度利用ができ、新しいビジネスやサービスが生まれます。高画質・多チャンネル・移動体通信など新しいサービスができます。すると、テレビ・通信事業者も視聴者・通信ユーザーもテレビ・通信メーカーもよいことばかり。総務省も仕事や予算や所管先や天下り先が増えて大いに結構。一石何鳥にもなります。

 放送局では、NHKがせっかく世界に先駆けて開発したのに鳴かず飛ばずで、しかも伝送方式がアナログだったため時代遅れの烙印を押されてしまったハイビジョンを、今度こそ絶対に普及させたいから、やります。

 民放は、投資がかさむわりに、地デジで広告収入が増える見込みがないので、積極的にやる理由はありません。しかし、ほかのみんながやるといい、アナ・アナ変換の資金も国が出すという話になったから、やります。

 メーカーは、新しい高価な機器が売れるから、やります』

 ということで、要は、テレビ視聴者とか消費者の立場では一切考えられていないのだ。送り手(政府とNHK?)だけの思惑。ここは民放連(あるいは「タモリクラブ」みたいな編成局が勝手にやってれば的な扱いをした番組が)がちょっと反撥して「何で今さら地デジなんですか」という運動をやってもいいような気がするのだが、どうだろうか。地デジになったって制作費が増えるわけではないのだし、むしろ地デジ対策費でもって現場に落ちる金はどんどん減ってきているのだ、それでなくてもスポンサー収入が減っていて番組制作費が減っているのだからね。

 本当に、そんな動きが民放制作現場から出てきたらうれしいな。そうなれば今のテレビも「おうなかなかやるな」という感じで見返すこともあるのだけれども。

 少なくとも、テレビに就職した人たちは、多少なりともジャーナリスト精神は持っているのだろうから、そんな感じで自分の所属する会社と自分というものをもうちょっと相対的に考えてもいいのじゃないか。

 大丈夫、そんなことで斬首される会社はないって。

 正しいことを言っていればね。

2011年6月14日 (火)

『未来ちゃん』は結構示唆的な写真集であるのです

 これはこれでインパクトの大きい写真集なのだ。

『未来ちゃん』(川島小鳥著/ナナロク社/2011年4月1日刊)

 未来ちゃんは佐渡の女の子。今時珍しい真っ赤な頬をした女の子。カメラを見ても決して笑わない女の子。佐渡という場所柄か雪景色がとっても似合う女の子。障子や土管の穴から顔を出すのが好きな女の子。小さなお地蔵さんに囲まれていると、どちらがお地蔵さんだか分からなくなってしまう女の子。鼻水を垂らしている女の子。犬や猫が大好きで、彼らと戯れているのが大好きな女の子。鴎はちょっと怖いかな。着物を着るのが(多分)好きな女の子。お正月らしく着物を着て餅を食べるのが大好きな女の子。しかし、やはり未来ちゃんが一番似合うのは雪の中の未来ちゃんなのだ。佐渡の子だからだろうか。

 映画に関して「子どもと動物はご法度」という言葉があるように、スチール写真に関して言っても、動物(特に子どもの動物)や、子どもの写真はある種「ご法度」である。当然、そこには大人を使って撮影した写真にあるような「演技」はない。そんな「演技の嘘」がないから「子どもや動物」は純粋に見る者を愉しませることができる、というということなのだが。

 世の中見まわしてみるとそんな「やっちゃいけない動物写真」が満載である。それも「動物の子ども写真」だ。

 動物の子どもはまだ自分一人では生きていけない。したがって大人にたいして「これは可愛い子供だ」「保護してあげなければいけない」と思わせるために、動物のこどもは大人から見て可愛く見えるようになっているのだ、という説がある。それは、人間の子どもも同じである。

 で、大人の目から見たら「可愛い」が為に、「これは売れる」とばかりに「動物写真集」「動物の子ども写真集」が世間にいっぱいある。がしかし、そんな写真集は実は1回見たらおしまいなのだ。そうじゃなくて、何度も見返すことができる写真集を・・・と考えているのだが。

 ということで、本書に入るのだが、とりあえず上のアマゾンのアフィリエイト広告の表紙写真部分をクリックしてもう少し大きな写真で表紙を見てほしい。日本間でハムエッグらしきものを食べている未来ちゃんの表情はなんというものだろう、なんかすごい顔をして食べているのだが、それだけ食べることに一生懸命なのかもしれない。それは子どもにとっては、食べることが生死にかかわることだとでもいうように。

 本当はこの写真よりも鼻水たらしている未来ちゃんの写真の方がインパクトがあって面白いのだが、さすがにそれはあまりにも美しくないということで表紙には使われなかったんだろうな。まあ、でもこの表紙だけでも他の写真集との差別化は十分されている。

 これだけ、一人の少女に付き合って撮影された写真集は、もしかすると荒木経惟以来かもしれない。荒木氏の場合はもう少し上の(初潮がはじまるかどうかというところの微妙な)年齢の少女を撮影しているわけなのだし、そこに少女に対する「性」の匂いがあるわけである。しかし、この『未来ちゃん』では、まだまだ「性」の匂いはしない。

 ただし、もう少し(あと5~6年位?)するとこの子も確実に「女」になってしまう訳で、女が「女の子」である時代は以外と短いのだな、ということも考えさせられる。まあ、もっとも女が女じゃなくなってしまう(という言い方をしちゃいけないんだけれども、要は閉経してからの後ということで)時期との合算で考えれば、まあそんなこともないかというところである。

 ともあれ、一度この写真集を見た方がよい。まあ、だからといって貴方の人生が変わるということはまずないだろう。しかし、この写真集に「昭和の雪深い日本の田舎」というものを発見できるかもしれないし、そこに生きる「普通の女の子」を見ることができる。そう、「鼻水たらした普通の女の子」である。

「昭和に会った普通の風景」というよりは本当は「昭和前期(1960年代位)の普通の風景」が、あたかもそこに住んでいる女の子がいるかのように写し出された写真集。それが、本書である。

 荒木経惟氏とはアプローチは違うが、しかし、同じような「人の顔を写す」ということを川島氏は始めるのじゃないか。

2011年6月13日 (月)

『世界報道写真展2011』ではちょっと気分が落ち込み、外に出てくるとホッとする

 石原都政の唯一の善政である(しつこい)東京都写真美術館で6月11日から『世界報道写真展2011』を開催中である(朝日新聞社主催 8月7日まで)。

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 2010年に撮られて発表され、応募された作品は世界125の国と地域からの10万8千点を超える作品は、「Spot News」「General News」「People in the News」「Sports」「Contemporary Issues」「Daily Life」「Portraits」「Art & Entertainmento」「Nature」の9つの部門でのべ54人の写真家が入選。残念ながら日本人はひとりもいない。その中で世界報道写真大賞2010には「ポートレイト」部門の中から南アフリカの写真家ジョディ・ビーバー氏のアフガニスタンの女性を撮った写真が選ばれた。

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 つまりこのチラシの左側(表紙)の写真がそれだ。この被写体であるビビ・アイシャは18歳のアフガニスタン女性。暴力をふるう夫から逃げ出して実家に逃げ戻ったが、夫に連れ戻されてタリバーンに差し出された。「目には目を、歯には歯を」というイスラムの戒律か、この地方のルールかよくわからないが、妻により面目を潰された男は鼻を削ぎ取られるという罰があるそうで、それと同様、夫によって耳と鼻を削ぎ落されたのだった。そのまま捨て置かれてしまったが、カブールにあるアフガン女性を助ける組織によって救い出されて治療を受け、心理的な助けを受け、その後アメリカに送られカウンセリングと再生手術を受けたようだ。

 その美しさと残酷さが混じった写真はかなりショッキングである。堂々とカメラマンを見つめる鼻のない女性の姿。

 しかし、報道写真というものは、結局そこで写されるモノによって規定されてしまうものであり、写真家の問題意識はその社会でのいろいろな矛盾点に向いていくことになる。という訳で、「スポーツ」「アート&エンタテインメント」以外の写真は殆どが社会の矛盾や戦争、暴動、天候異変の姿を捉えたものになる。特に、昨年はハイチの地震や、タイの反政府暴動、パキスタンの洪水、ブリティッシュ・ペトロリアムによる海底油田からの原油漏れなどの大きなニュースがあり、相変わらずアフリカ情勢は不穏なままである。

 普段、普通に日常生活を送っている我々のすぐそばで、こんなに悲惨だったり、大変な思いを持ちながら暮らしている人たちがいるのだ、ということを見せつけられるとだんだん気持ちが落ち込んでくる。しかし、これが世界の現実であり、一方豊かな生活を満喫している我々もまた、世界の現実である。つまり、そんな一方の現実から他方の現実へ何かをなさなければならない、ということを、これらの写真群は訴えているかのようだ。

 ところで、今回の写真展は2010年の写真なので当然3.11東日本大震災の記録は入っていない。そこで主催者はこの機会にということで、講談社がiPhoneとiPad向けに発売したアプリ「3/11 Tsunami Photo Project」のスライドショー上映とiPad版の展示を行っている。多分、来年の報道写真展には3.11とフクシマが入ってくるだろう。

 で、そんなちょっと暗い気分になったものの、会場を出るとこんな日常に引っぱり戻される。ホッとする瞬間だ。

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EPSON RD1s Elmarit 28mm (c)tsunoken

世界報道写真展2011のサイトはコチラ→http://www.asahi.com/event/wpph/

東京都写真美術館のサイトはコチラ→http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1359.html

World Press Photoのサイトはコチラ(英語のサイトですが、受賞作品全てが掲載されてます)→http://www.worldpressphoto.org/

2011年6月12日 (日)

『収監』される前に出所後の日本を想定しているのだが

 そうかホリエモン、収監前の最後っ屁かな・・・・・・。

『収監 僕が変えたかった近未来』(堀江貴文著/朝日新聞出版/2011年6月30日刊)

 と思って「おわりに」を読んでみたら、あと7冊も刊行が予定されているらしいし、獄中からメールマガジンも発信する手はずも整えているらしい。監獄にいる人からのメルマガなんてのも前代未聞だし、これではさらにメルマガの読者は増えるだろうな。刑務所の中なんて知らない人が多く、そこがどんなところか発信すれば、結構読む人は多そうだ。結局、この人は最後の最後まで(ってまだ30代なのですが)ソーシャルな人なのだろう。そんなソーシャルであることを前提に生き、ソーシャルであることで生活をし、そしてソーシャルであることで蘇るのであろう。なーに2年半なんてのはあっという間に過ぎてしまう。普通はその時間は世間から完全に隔離されてしまい、その間に忘れ去られてしまうということなのだけれども、こんなに社会と繋がっている収監者なんて人はいない。はたして、どんな感じでホリエモンは「社会復帰」するのであろうか。

 で、本書はサブタイトルにある通り、日本の「近未来」がどうなっているのかについての、堀江氏なりの論考であり、希望なのであった。つまり;

『第1章 「検察・メディア」の近未来』では、特捜検察は本当に必要なのかを問い、検察と司法の関係を問い、新聞・テレビのラジオなみのダウンサイジングを問う。

『第2章 「インターネット」の近未来』では、上杉隆氏らが始めた自由報道協会などの開かれた記者会見を取り上げ、それらが守る「知る権利」について語り、ネット時代の著作権の在り方について語り、ネット選挙について語る。

『第3章 「新技術」の近未来』では、超小型CCDカメラを使った人間の可能性について希望し、電気自動車というこれまでの自動車産業にはあり得なかったオープンソースを希望し、現在堀江氏が手掛けている宇宙事業への希望をする。

『第4章 「日本人」の近未来』では、人材の世界的流動化を志向し、日本人の思考停止状態からの脱却を志向する。

『第5章 「日本」の近未来Ⅰ』では、主に日本の政治・行政・外交について提言をする。

『第6章 「日本」の近未来Ⅱ』では、主にネットにからむメディア新時代に思いをはせ、日本人の生活感について思いをはせる。

 要は、2年半たって刑務所から出てきたときの日本の有様についての、堀江氏としての希望が述べられているのだけれども、はたしてそのようになっているのか。

 残念ながら、実はそうはなっていないだろう。堀江氏が「はじめに」でも書いているように、『日本は1000年以上もの時間を大きな革命もなく乗りきってきた。だからこそ、日本人は自国の歴史を誇りに思っているのだが、逆に言うとマイナーアップデートを繰り返して制度疲労などが蓄積されているとも言える。例えば明治維新は革命に近いものであったが、実際には下級武士=官僚が起こした革命であり、真の意味での市民革命ではない。だから、司法制度などは江戸時代のお白州がそのまま生き残ったような制度になっている。メジャーアップデートが行われない状況下では数々の矛盾が置き去りにされているので、世界レベルで考えるとついていけない可能性が高いのだ』というそのまま、この状況は2年半ばかりの時間ではどうしようもなく変化はみられないのではないか。

 多分、いまから10年位経って日本がとんでもなく、どうしようもない国になってしまい、その時、本当の革命が起きれば劇的な変化が見られるかもしれなけれども、それまでは駄目だろう。むしろ、2年半経って堀江氏が出所してきたときがちょうど40歳。ウラジミール・イリイッチ・レーニンがロシア革命時47歳、レフ・トロツキーが38歳。つまり、革命の指導者には最も相応しい年齢だ。

 そう、革命は堀江氏自身が起こさなければならない。

2011年6月11日 (土)

『定年が楽しみになる生き方』を実践するのは、今からでは結構大変そう

 私もあと1年半位で定年になるという立場になると、どうしても自分の定年後がどうなるのか気になるせいか、書店でもこんなタイトルを見ると手に取ってしまう。

『定年が楽しみになる生き方』(吉越浩一郎著/WAC BUNKO/2011年4月27日刊)

 吉越氏はフランス人の妻を持ち、その結果フランス人風の仕事の仕方をして、そしてトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長まで務めた人物だ。トリンプ・インターナショナルといえば女性の下着のメーカー&ショップとして有名な会社である。そんな会社の社長夫人がフランス人であり、そんなフランス人の妻を持った夫がまさにフランス風に残業一切しないという社長であるなんて、なんて素敵な会社でしょう。とはいうもののこの吉越氏、代表取締役在任中(副社長・社長)に19期連続増収増益を達成して、2004年に「平成の名経営者100人」(日本経済新聞社)に選ばれているのだ。フーム、それはそれなりに経営についての様々なノウハウがあるのだろう。

 まあ、日本風に必要以上に頑張ったって、それは無駄骨というものであり、必要なところで頑張り、必要でないところでは家庭を大事にするということなのであり、日本ではそんな必要でないところまで「がんばった風」を装うことが、仲間から見て必要になる、ということなのだろうな。

 話は違うが、その辺の日本風の「がんばり」が、今回、東日本大震災の際に「がんばれ東北・がんばれ日本」なんて大合唱に、皆違和感を覚えたのではないだろうか。「お前に『がんばれ』なんて言われる筋合いはない」ってなもんで。

『ビジネス面でも、ヨーロッパと日本には明確な違いがあります。ヨーロッパのビジネスマンにとって、仕事は「自立した個」をベースとして進めていくものであって、個の能力を買われ、仕事のできる人間は会社からのオファーがあり、職場を転々とします。転職があって当たり前という考え方を持っています。

 一方、日本では、仕事にのめり込んでしまって、会社というコミュニティの中で働くという意識になっています。自立とは眞逆の「埋没した個」となり、滅私奉公で働く。ですから、転職や独立という志向ではなく、例の「キーン」という特殊な音を発しながら大きな会社でいかに出世するかに力を注いでいます。』

 という、まあ、いままでいろいろなところで言われていた「日本人サラリーマン像」をここでもいわれているのである。さらには、こうした社会であるから日本では強いリーダーシップを発揮する人が出てこれずに、1年単位で交代する首相が出てきている、とまあこれまた耳の痛い話ですね。ところで上の文章中の「キーン」というのはまあその社会(企業)の中だけで通じる用語というような意味合いで使われています。

 ただし、こうしたサラリーマン社会のありかたというのは、どうにも第二次世界大戦後の日本で、壊滅してしまった日本経済を立て直すために護送船団方式(日本型社会主義)の政治・法律・経済方式を取りはじめてからのようで、年功序列やら終身雇用なんていう制度も、そうした政治・法律・経済方式になってからのようである。それ以前の、明治・大正・昭和初期の日本のサラリーマン社会はもっと欧米型の「自立した個」の社会であったようだ。要は、そうして日本中が「埋没した個」となることによって、日本経済を立て直してきたのだろうな。だとすると最早戦後70年近くたって、いまや戦後の高度成長モデルもないし、むしろ低成長モデルか、長期衰退モデルになってしまったこの国で、今までのような「埋没した個」モデルが生き残ることはないだろう。もっと熾烈な「自立した個」の競争モデルになるはずである。

 で、結局そんな中途半端な時代の会社に「埋没した個」のような日本のサラリーマンが、定年後には「濡れ落ち葉」やら「粗大ごみ・生ごみ」になって、我が家であるはずの家の中に居場所がなくなってしまっている、ということなのだ。って、そんなこと今さら言われてもどうしようもないじゃないか。もはや「埋没した個」の生活を40年近く送ってきた日本のサラリーマンが、いまさらフランス風のサラリーマンになれるわけではなく、どうすりゃいいのよ。

 ただし、読んでみて納得できる部分も多い。例えば『第1章 定年退職が楽しみになる生き方・考え方』のなかの『定年退職で跡形も消える人脈』とか『社内でしか通じない「共通言語」が使えなくなる」というのは、まさにその通りだと思うし、『定年後に無理して働くことはない』『退職金は投資に回さない方が無難』なんてのはなるほどね、で『「上司も部下もいない」という喜び』というのは、まさにそうだと膝を叩くというところである。

 吉越氏に言わせると定年後の人生は「余生」ではなくて、これからが本当の人生、つまり「本生」だということである。そこで『第4章 吉越流「本生」を輝かせる10のポイント』では以下の実践を描く;

実践その1 夫婦間でも、会社と同じく情報の共有化を心がけよう

実践その2 「笑い」は問題を解決する

実践その3 「歩け、歩け」と「真向法」の勧め

実践その4 人生の春夏秋冬をわきまえる

実践その5 人と会話ができる場所を見つける

実践その6 常識力を養うために本を読む

実践その7 八時間睡眠とバランスの取れた食事

実践その8 世の中の出来事に好奇心を持ち続ける

実践その9 食事会やお付き合いは、割り勘で

実践その10 「ピンピンコロリ」を成し遂げるための強い意志を持って生活する

 というもの。

 確かに、定年になってしまったら、子どもは大体独立してしまっているし、要は妻との二人だけの人生になるわけで、それまで如何に妻を大切にしてきたか(大切にしてこなかったか)が、その後の人生を豊かにするのかどうかの分かれ道になる、というのは良くわかる。

 はたして貴方はどれだけ実践できていますか? ちなみに私は二つぐらいかな。ああ、もう駄目ですね。所詮、私は典型的な日本のサラリーマン。

 さあ、これから1年半で、どれだけ人生を変えていけるだろうか。37年間のサラリーマン人生である。結構変えるのは大変だけれども、まあ、できるところからやってみよう。

 ただし、もっと楽な方法を書いた本に出会ってしまったら、その時は方向転換。

 えっへっへ。

 

2011年6月10日 (金)

『禁煙の愉しみ』とはいうものの、本当に禁煙が愉しみなのだろうか

 そうか、禁煙というものを苦しい戦いだとは思ってはいけないということなのだな。

『禁煙の愉しみ』(山村修著/朝日文庫/2011年6月30日刊)

『禁煙というものは、ミルクのように白い、いい匂いのするクリーム状のものである。

 そのクリーム状のやわらかい固まりが、知らないうちに目の奥あたりに生まれ、わだかまる。ときには温かくとろりと溶け出し、快い眠気をともないながら両のこめかみに広がり、さらには首から両肩にかけて沁みわたる。ときにはまた冷たく固まって、涼しいばかりの覚醒感を呼びながら額や背筋や両腕の皮膚に張りをもたせる。

 クリームはやがて、ふと気づいたときには失せている。そしていつかまた、ほんのかすかに匂い立つように思わせながらよみがえる。

 禁煙はふしぎだ。愉快だ。もちろんクリーム状の物質というのは喩えである。禁煙によって身体が帯びた感覚を言葉にしようとすれば、たとえばそのようにいえるということだ。そのような身体感覚は、おそらく非喫煙者には分からないし、喫煙者にも分からない。さんざん煙草を吸ってきて、あるときを境に一本も吸わなくなった者、すなわち禁煙者になってみないと分からない。

 また禁煙者であっても、禁煙というものが忍耐であり、抑制であり、断念であり、克己である、すなわち禁欲であると思っているという人は、右の感覚を信じることはないだろう。しかし、そうした感覚を図らずも手に入れたこと、またそれによって暮らしを仕切る呼吸のようなものをつかんだことは、私にとって現実である。』

 これは本書の書き出しの文章である。ここだけでほとんど本書の中身は言ってしまっているようなものだが、はたしてエッセイスト山村氏は禁煙というものを、忍耐でもなく、抑制でもなく、断念でもなく、すなわち禁欲でもないと思って禁煙に成功したのである。いや、成功といってしまうとそれはやはり「忍耐、抑制、断念、禁欲」ということになってしまうのかな。つまり、山村氏はそんな「達成感」とは全く別のところで禁煙をしてきたのだ。

 しかし、禁煙というものは喫煙者にしてみれば、やはり「忍耐、抑制、断念、禁欲」の象徴のように映るし、事実、何度も禁煙を試みた喫煙者にしてみれば、やはり禁煙とは「忍耐、抑制、断念、禁欲」でしかないのだ。山村氏が何故自分が禁煙できたのかということを、自己の「優柔不断」に求めているのだが、そんな「優柔不断」は喫煙者すべてがその通りである。多分、喫煙者のほとんどすべてが過去に禁煙を試みて、そして失敗してきた者たちばかりであるとことから考えてみれば、そんな「禁煙挑戦経験者」の全てが自らの「優柔不断」さに禁煙断念の理由をあげるだろうことは間違いない。

 では、そんな「失敗した禁煙挑戦経験者」と「禁煙実現者」の違いってなんだろう。普通はやはり忍耐に優れ、抑制ができて、断念することに強く、禁欲的な人が禁煙できると思うのだが、そんなこともなくて禁煙できる人がいるのだろうか。

 本書の『Ⅳ 禁煙の本棚』では、まさにそんな「失敗した禁煙挑戦経験者」の集まりのようである。南方熊楠と西田幾太郎は度々禁煙に挑戦し、敗北した話で一杯だし、一方、吉野秀雄の禁煙については禁煙者の吉野秀雄がたまたまちょっとしたきっかけで喫煙してしまう話だし、『シェイクスピア物語』のチャールズ・ラムの禁煙にまつわるエピソードだって友人と煙草とやめようという話をした次の日に煙草を吸ってしまうという話だし、安田操一の本についても実は安田本人はそんなこと言っても煙草を吸っていたような雰囲気だし、イタロ・ズヴェーヴォに至っては『私の真の病はタバコにあるのではなくて、禁煙の決意にあるのだ・・・・・・。』と言わしめている。

 つまり、そんなに禁煙というものは難しいものだということ。昔、15世紀の頃、コロンブスの後継者がアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込んだ煙草はたちまち世界中を席巻することになった。まあ、同じころ梅毒もアメリカ大陸からヨーロッパに持ちこまれ、こちらもたちまち世界を席巻してしまったのだけれどもね。梅毒は病気だからそれに対する薬なんかも出来ているのだが、煙草に関しては喫煙は病気ではないのだから薬はない。でも、例えば禁煙できる薬なんかがあれば結構それを買う人はいるかもしれない。ただし、それは専売公社時代は無理だったでしょうね。国の収入になるのだから。でも、今なら出来るのではないでしょうか。もっとも、国がたばこ税の収入をあきらめればということなんだけれども。でも、それがなされないということは、それなりに国(実際は地方税だそうだが)の税収にとっては大事なものなのだろうということだ。

 うーむ、煙草についてはいろいろ奥深い問題がありそうだな。

 とはいうものの、こういう面白い本を「煙草を吸いながら読んでいる私」ってどうなんでしょうね。冒涜? 

 うーん、懺悔!

 

2011年6月 9日 (木)

『文は一行目から書かなくていい』というのは、いかにもネット世代に受けようというタイトルだけれどもね

 文は1行目から書かなくていい、という発想はまさしくパソコン時代の発想なんだけれども、結局は、文章を書くっていう行為の基本は昔から変わらないってことなんですね。

『文は一行目から書かなくてもいい 検索、コピペ時代の文章術』(藤原智美著/プレジデント社/2011年5月30日刊)

 根本は第5章『検索、コピペ時代の文章術』という、まさに本書のサブタイトルそのものの章なんだけれども、『書くために「考える」ということ』がキモなんだろうけれども、例えば『コピペを繰り返すたびに、自分の文章力は衰えていく』なんてのは、コピペの本質を考えてみれば当たり前の話だし、『ランキング思考で直観力が衰える』というのも、ランキングサイトがリコメンドするものばかりを追いかけていったら、実は自分で面白ものを探すことをしなくなってしまうといいうことであり、自分の感覚で物を探すということがなくなってしまう。『自分の直感や嗅覚をたよりに行動したり、書いたりすれば、ときには空振りに終わったり、痛い目に遭うことももあるでしょう。しかし、直観力はそうした経験のなかで磨かれていくものです。さらにいえば、経験のなかでしか磨くことはできない。なぜなら直観とは経験の積み重ねから生まれるものだからです』ということで、「検索、コピペ時代の文章術」とは言っても、結局は昔からの普通の「人に読ませる文章を書く人たちの考え方」というのは変わっていないのだな、ということである。

 ちなみに私のところに来るアマゾンや楽天のリコメンドはまったく的を外していて使い物にはならない。まあ、本やDVDに関するリコメンドが多いのだが、基本的に本やDVDなんてものは興味の方向が常に変わるものだということをアマゾンは理解していないようだ。

 ただし、このブログもそうだが「編集者の目を通す」という作業を経ていない。つまり、最初の読者がこのブログを読んでいる読者なのだ。この「編集者の目を通す」という作業を経ないで読者に提出される文章って、結局は書き手が勝手に書いたものが、そのまま読者に提供されてしまう訳で、そんな意味では書き手は普通のマスメディアで書いているライター以上に、自らが書いていることについて自覚的でなくてはならないということなのだろうけれども、そんなことを意識しているブロガーって何人位いるのだろうか。プロの書き手が書いているブログはまあそれなりに読者を意識して書いているのはよくわかるのだが、そうでもないブロガーも結構いるようだ。

 まあ、Twitterユーザーにはほとんどいないだろう。あの、脊髄反射の状況を見るとね。要は、自分の書いていることに対して、第三者的な立場でしっかり見てくれる人がいるかどうか・・・。

 で、私自身にそんな人がいるのかどうか、ということを問われてしまえば、いません、と答えるのである。じゃあ、そんなブログは信用できるのかといえば、信用しなくてもいいです、と答えるが、しかし結構信用してもいいのじゃないかとは自分では思っているのだ。

 それを何で担保するのかということになるのかということになるのだけれども、まあ、そこは今まで私が書いてきたところで・・・と言うしかない。昔のキネ旬や映画評論に書いてきた映画評論の文章、「アキラ」の関係でいろいろなメディアに発表してきた文書、「ああっ 女神さまっ」のサイトやDVDなどに書いてきた文章などなど、それらについては、いまそれを否定する気はない。

 要は「自分が文章を発表する」ということにたいしては、ちょっとした緊張感が必要だろうということだ。それがネットだろうが紙の書籍・雑誌だろうが、ということである。自分が書く文章が、読み手にどういった反応を呼び起こすだろうか、ということを考えない人間は文章を発表すべきでない。

 まあ、そうじゃない人たちはリツィートとか拡散とかだけに脊髄反射することですね。で、それを受けた人たちは、「まーた、脊髄反射しやがって」と無視すればいいのです。

 要は、メディアで発信しようとする立場には、マスメディアであれ、ブログのようなネット・メディアであれ変わりはないということです。

2011年6月 8日 (水)

池波正太郎氏の『一升枡の度量』には今でも通じる示唆が一杯ある

 腰巻に書かれている惹句は『埋もれていたエッセイを再発掘! よみがえる江戸の男の粋』というものであるが、本書の中で池波氏自身が『私どもでも「江戸っ子」と言ってよいのは祖父母のあたりまでで、私の代になってしまうと、そのようによばれることが面映ゆくてなたぬ。~しかし~「東京人」~とよばれることは、少しも嫌ではない。そのとおりだからだ。』と書くように、そこには「江戸の男の粋」ではなくて、「大正・昭和の男の粋」が書かれているのだ。

『一升枡の度量』(池波正太郎著/幻戯書房/2011年5月3日刊)

 大正12年1月25日に生まれ、平成2年5月3日に亡くなった池波氏は大正12年に起きた関東大震災は小さすぎて記憶にないだろうし、平成23年の東日本大震災は当然経験していない。

 その池波氏がどういうことを書いているかと言えば、『明治以来、日本人の〔収支〕における感覚は鈍くなる一方だ。~この〔日本〕という小さな島国を一升マスにたとえてみようか。~それは実に、一升しか入らぬ小さな国土なのである。~戦後、その小さなマスへ、一斗も二斗もある宏大な国に生まれた機械文明を取り入れてしまい、国土も国民の生活も、これに捲き込まれて、どうしようもなくなってしまったのだ。~戦後の西洋文明というものは、ヨーロッパのものが主体で、アメリカもこれにならっていた。フランス・イギリス・ドイツなど、小さな国土に生まれた伝統ある文明ゆえ、同じ小さな日本にも、うまく似合っていたのである。~ところが、戦後のアメリカには、戦争による科学と機械の発達が、そのまま平和時代の文明として大きくひろがり、日本のみか、ヨーロッパも、「便利・・・・・・」の一点を買い、その新奇なメカニズムに酔い痴れてしまった。~それが、よい悪いという段階は、もはや通りすぎてしまったといってもよい。』という言い方。

 つまり、これこそは今の状況を概観しているといえるのではないか。要は、ドイツやイギリス、フランスなどのヨーロッパの(国土の)小さな国のやり方だけを見ていればよかったものが、アメリカという大国の方法論を受け容れたがための破綻が、いまきているということなのだろう。規制緩和であり原発政策であるわけなのだろうけれども、もうひとつ言ってしまえばアメリカの基地政策もある。たかだか一升しかはいらないマスにこれだけいっぱいのものを入れてしまえば、いずれかそれが破綻するのは目に見えているわけで、それが東日本大震災をきっかけにいろいろ見えてきた、ということなのだろう。

 もうひとつ、面白いことを池波氏は言っている。『大衆は盲動はしないものである。盲動するのは、いつも権力者なのだ。時勢の必然的な流れというものがあり、国民全体が愚かでない限り、多少の政変があろうと本質的には変革はあり得ない。』という。これは1960年安保について語ったことであるのだが、実はつい最近の大震災のことも忘れて「政局」に走った政治家連中のことを語っているようだ。

 まあ、ことほど左様に日本の政治家連中というものは、世の中の「最大関心事」とは別の「政局」ばかり気にして動くという、江戸末期~明治革命の頃からまったく変わっていないビヘイビュアなのである。

 そんな繰り返しばっかりでも、未だにツブれていない我が国は誰が支えているのかといえば、結局それは「庶民」でしょ、ということになるし、意外と庶民のもつ健全な判断というのもバカにしてはならない、ということになるのだ。じゃあ、政治家の役割ってなんなのか、といえば、そんな庶民の持つ平衡感覚に満ちた判断事を後付けでもよいから実際の政治に生かす、ということなのかもしれない。要は、政治家が領導する政治じゃなくて、庶民の知恵を後付けして実際の政治に反映させる政治、というのが日本の政体なのかもしれない。

 う~ん、だとすると、そのとおりにすれば日本は本当の意味での「民主国家」になれるかもしれない。アメリカなんて、所詮は産軍学共同体によって政治家(大統領)が動かされていて、見た目は大統領の独占政治である。見た目は民主主義ではあるけれども、実際は大統領の独裁政治であるし、その大統領を動かすのは産軍学共同体なわけです。「9.11」後のブッシュ大統領のアルカイダ殲滅宣言なんてまさにファッショ宣言でしょ。

 ドイツのナチスだって党の名前は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、そのナチスがソビエト連邦と敵対したのだって、思想的なものではなくて、単なる領土拡張主義同士でぶつかっただけなのである。そういう意味では、本当に独裁主義を標榜した最近の例はイタリアのファシスト党かリビアの現政権くらいなものだろう。それ以外は建前上はすべて「民主的」な政治を目指しているのだ。でも、実はアメリカの例にもあるように、そんなことはまったくないんだけれどもね。

 ということで、以外と「庶民」の力が強い我が国である。その辺で、これからの政治を立て直そうという考え方もあっていいのではないか。

 まあ、それはそれとして、そんな時代の変遷は予想していなかっただろうけれども、そんな時代についても予言的に発言してしまうエッセイストとしての池波氏って、スゴいよね。

 さすがに「作家の感性」ってやつ?

 

2011年6月 7日 (火)

『フーコー』を読んでもフーコーの哲学はわかりません

 本来は分かりやすくするためにテキストにイラストをつけるんだと思うんだけど、何故かかえって分かりづらくなってしまっているのが本書である。

『フーコー』(リディア・アリックス・フィリンガム:文/モシュ・シュッサー:イラスト/栗原仁・慎改康之編・訳/ちくま学芸文庫/2011年5月10日刊)

 基本的には本書はミシェル・フーコーの思想について「分かり易くイラスト(というかヒトコマ漫画)を添えて解説したもの」の筈である。

 紹介するフーコーの著書は『狂気の歴史―古典主義時代における』『臨床医学の誕生―医学的まなざしの考古学』『言葉と物―人間諸科学の考古学』『監視と処罰―監獄の誕生』『性の歴史』という代表的な著書である。しかし、いくつかのバラバラにされた断片的な書き方によってか、何故かもっとわかりやすい筈のフーコーの思想が却って理解されにくくされている。

 何故分かりづらいのか、理由を考えるといくつかの原因が考えられる。

1 元の文章がフーコーを理解していない。

2 元のイラストが全然ダメ。

3 翻訳がまったくもってなっていない。

 などなど・・・。

 しかし・・・もしかすると・・・もっと根本的な理由があるのかも知れない。つまり・・・それは・・・あまり言いたいことではないが・・・もしかすると、フーコー自身がフーコーの思想に理会していなかった・・・なんてことが、あるかもしれない。

 そんなわけないじゃん、と思われるかもしれないが、以外とそういうことはあったりして、哲学者が自らの哲学を自ら理会していなくて、だれか他人から指摘されて始めて「ああ、俺はそういうことを言っていたのか」なんて気付くこともあるのである。

 要はあまりにも難しいことを考えすぎてしまい、自分自身が自分が何を言っているのか分からなくなる、なんてことありそうでしょ。哲学者だってそんな縊路に陥ることだってあるのです。

 基本的にフーコーが一番書きたかったのは晩年に書いており未完のままの『性の歴史』なんじゃなかったのではないだろうか。結局、狂気について書いたり、それを収容する監獄について書いたりしてきたのも、結局は最後の『性の歴史』で自らの同性愛指向をカミングアウトしたかったのではないだろうか。当然、『性の歴史』は未完なのでそこまで至っていないが、最後はそうした告白をしなければ「哲学者」としては完成しない自分を見たんじゃないだろうか。

 いわゆる、後期フーコーといういわれ方をされている理由について後の人たちはこの同性愛指向について論述していないが、実はここが一番大事なことではないのだろうか。

 当然、本書でもそのことは触れられているが、まあそれはかなり遠慮がちにである。しかし、そこを遠慮してしまってはフーコーの思想には触れられない。

 まあ、そこが本書の限界かな。

 そこへいくとこのしいひさいち氏の『現代思想の遭難者たち』(講談社/2006年6月刊)のほうはもっと気楽に読める「哲学書」だ。と言っても、そこはいしい氏である。ニーチェ、マルクスからハイデッガー、サルトル、モーリス・メルロ・ポンティなど、当然ミシェル・フーコーも、全ては4コマ漫画の主人公になってギャグに興じているのだ。そう、漫画で哲学を解説しようなどと無駄な努力はしていない。要は、それらの哲学者を4コマ漫画の主人公にして遊んでいるのだ。

 実は、これが哲学と付き合う一番いい方法なのだ。自分のやり方で哲学者を取りこんで、遊んじゃうという、勿論、哲学を理解するのではなく、遊んじゃうのが一番の方法なんてね。

 結構、オススメ本です。以外と、これでその哲学の本質がわかるものである。ただし、受験生、哲学科の学生にはお薦めしませんが。

2011年6月 6日 (月)

グリーン・マトリックス・システムを歩く

 6月1日のエントリー<『カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう』を読みながら日本の今後を考える>で書いた『日本の森を歩こう』に書かれていたグリーン・マトリックス・システムとはどんなものかということで、横浜市の港北ニュータウンまで行ってきた。

 横浜市の都筑区にある港北ニュータウンはさすがに横浜市の郊外だけあって、もともと緑の多い場所であった。そこでそんな緑の里山の景観を残した公園がたくさんある。そうした里山公園をそれぞれバラバラにせずに、緑道で繋げてしまおうというのがグリーン・マトリックス・システムの一つの考え方だ。勿論、そんな里山公園と緑道だけでなくて、総合的な住宅地の開発自体を里山とその緑を残しながらどうやっていくのか、というものの考え方なのだが、別に港北ニュータウンに住むつもりもない私にとっては「里山公園と緑道」という関係だけでいいのだ。

 で、東横線日吉駅で横浜市営地下鉄グリーンラインに乗り東山田駅で下車、緑道の入り口になる早渕公園を目指す。

2011_06_05_014_2 早渕公園からせきれいの道をスタートしたばかりの場所。石の部分と土の部分があって歩きやすい。みちのかたわらにはせせらぎがある。ここから先の、つまり上の方のせせらぎ公園から流れている小さなせせらぎである。

2011_06_05_023_2  車が走る道路とはこんなアンダーパスや橋で完全に分離されている。このアンダーパスの上が道路になっているのだが、下からは車が見えないようになっている。

2011_06_05_027_2 緑道のそこここにはこんな案内板があって自分がいる場所とどう辿ればどこに行けるかが分かるようになっている。

2011_06_05_035_2_2 緑道のすぐ脇はこんな普通の町になっているところもある。

2011_06_05_055_2 里山の雰囲気が充分ある茅ヶ崎公園。ソーラーパネルは何のためだろう。

2011_06_05_060_2 すぐ上の団地の自治会あたり(写真を大きくすれば上にあるマンションがよく見えます)がやっているピクニックだろうか。まあ、これだけ近ければ便利だよな。

2011_06_05_065_2 アンダーパスのすぐ上はこんな感じ。かなり交通量は多い。こうした車が出す二酸化炭素も緑道の樹木が吸い込んでくれそう。

2011_06_05_078_2 せきれいの道から、途中ささぶねの道に入り、その終点が都筑中央公園。

2011_06_05_086_2 この都筑中央公園も里山の景観をかなり残した大きな公園である。

 横浜の郊外だけあって、結構アップダウンに富んだ緑道。全部で14.5kmあるというグリーン・マトリックス・システムのうちせきれいの道とささぶねの道を歩いただけなので、せいぜい6km位だろうか。それでも結構ツカ」れる。おまけに緑道だけあって、途中コンビニとか食事をする場所もないので、今度来るときは水筒と弁当持参だな。

 もっとも普段この道を使う人たちは、基本的に近所に住む人たちだろうから、途中の食事のことなんかは考えていないのだろう。それにしても、センター南駅の周辺にはコンビニすらないのはどうしてだろう。普通駅周辺には必ずあるコンビニがないというのも、なんかいかにも計画都市風で、そこだけはちょっと気に触る。

 ところで、もう一つ発見。下車駅の東山田もそうだし、その一つ手前の高田駅もそうなのだが、読み方が「ひがしやまた」「たかた」と濁らない。普通の東京弁なら「たかだ」「ひがしやまだ」という風に発音するところだが、これは横浜弁なのだろうか。ちょっと調べたくなった。

2011_06_05_088_2 公園を出るといかにもな計画都市の有様が見てとれる。

EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

2011年6月 5日 (日)

『「おばさん」はなぜ嫌われるか』ではなくて「嫌われるおばさん」にならないような努力を

「おばさん」はやっぱり「おばさん」であってそれ以外ではない。だったらやっぱり「おばさん」でいじゃないか。むしろ、「おばさん」や「オバサン」という呼び方をやめようとするのではなく、そんな呼び方をしても、それがネガティブな呼び方じゃないようにする方向で動いた方がいいんじゃないか?

『「おばさん」はなぜ嫌われるか』(田中ひかる著/集英社新書/2011年5月22日刊)

 どうも女性と加齢についての記述が多すぎるような気がする本書だが、当然加齢によって女は娘からお母さんになっておばさんになるということなのだろうけれども、実はそうじゃないのだ。取り敢えず目次を拾うと;

第一章 なぜ女は年を隠すのか

第二章 男女で異なる〈生殖のリミット〉

第三章 「ババァ発言」の系譜

第四章 職場における女の年齢

第五章 「おばさん」と「オバサン」

第六章 オバサンの社会性

 と言う具合に、年齢によって女は「おばさん」化するような書き方なのだが、しかしそれはしょうがないことなのだ。つまり、出産可能な年齢の女性はそれなりに「オス」を惹きつけなければならないという「メス」としての本能的なあり方から、当然、「メス」としての魅力を出すために「オス」から見たら「感じが良い」「セックスがしたくなる」ように見せる必要があるのだが、閉経後の女性は最早そんな必要はなくなってしまうので、もう「オス」に媚びる必要はなくなって「おばさん」になる、ということだけなのだ。

 スイスに旅行をした女性の言葉を紹介している。『現地では若い女性でも、未婚既婚を問わず「マダム」と呼んで欲しいと思う人が多く、私も「マダム」と呼ばれました。きちんと仕事をしている自立した大人の女性と認められたようで、誇らしかったものです』と言うのだが、実はこの「マダム」「マドモアゼル」というフランス風の呼び方だって「女の子」「おばさん」のフランス風の呼び方にすぎない。「マダム」は「私の」を意味する「mon」と「高貴な女性」を意味する「dam」からの造語。で、この「高貴な女性」というのは「聖母マリア」のことなのだ。つまり「ノートルダム」と同じ意味の言葉なのである。「notre」とは「私たちの」と言う意味で、「mon」の単なる複数形。したがって「マダム」とは「私のお母さん」という程度の意味で、要は「おばさん」。「マドモアゼル」は「マダム」の派生語である。つまり、フランスだって「おばさん」「女の子」という呼び方をしているのである。それが、日本語じゃなくてフランス語ならOKという浅知恵でしかない。

 だから「おばさん」は「おばさん」でいいし、そう呼ばれることに何故抵抗があるのだろうか。つまり、それは自ら「おばさん」と呼ばれることに対する「なんか私年寄りに見られてしまったのかしら」という思い込みに過ぎない。当然、年齢は年齢なみに人から見られるわけで、それでいいじゃないか。「おばさん」はまさしく「おばさん」でしかない。問題は「図々しいおばさん」に見られたくないってことでしょう。だったらそんな「図々しいおばさん」にならなければいいだけのことである。

 世の中には「素敵なおばさま」や「美しいおばさま」が沢山いるわけで、「図々しいおばさん」にならずに、そんな人たちになるように努力すればいいのである。「おじさん」や「オヤジ」だっていろいろいるのである。出来れば「臭いオヤジ」ではなく「素敵なおじさま」になるように努力している(?)のが男の姿であるように、女だってそんな「素敵なおばさま」になるように努力すればいいのだ。大宅映子さんだって若い頃よりはおばさんになってからの方が素敵だし、田辺聖子なんていいう、瀬戸内寂聴さんなんていう「素敵なおばあさん」だっているのである。

 つまり「素敵なおばさま」や「美しいおばさま」になるか、「図々しいオバサン」になるかというのは完全に自己責任の問題。他人がとやかく言うことではない。

 単にそれだけのこと。

2011年6月 4日 (土)

『原発事故はなぜくりかえすのか』は原発関連だけでなく、日本企業の根本的な問題なのだ

 福島第一原発の事故以来、故高木仁三郎氏の著書が各社から復刻されて出てきている。この反原発で知られる市井の学者の本は皆読むに値する本ばかりだが、本書もそのひとつで、読みやすい内容で面白い。つまり、それは原発だけの問題ではなく、広く日本の企業社会の問題でもあるのだ。つまりそれは、原発事故ばかりではない。出版社も同じ状況に陥る可能性もあるのだ。

『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎著/岩波新書/2000年12月20日刊「)

 福島第一原発事故の後を受けて浜岡原発が停止要請を受けることになり、これで一気に日本は原発廃止へ向けて動くことになった。高木氏が今でも生きていたらこうした状況に対してどういった判断をするだろう。しかし、これはこと原発会社とか電力会社だけの話じゃなくて、日本における企業文化の問題なんでなはないだろか、という気がしてくる。

 目次を見るとどそんな気がするのだ;

1 議論なし、批判なし、思想なし

2 押しつけられた運命共同体

3 放射能を知らない原子力屋さん

4 個人の中に見る「公」のなさ

5 自己検証のなさ

6 隠蔽から改ざんへ

7 技術者像の変貌

8 技術の向かうべきところ

 ということなのであるが、やはり基本的には「議論なし、批判なし、思想なし」という第1章が読ませるだろう。これは日本の企業には絶対則なのである。つまり、その企業が新しく発しようとする事業に対しては誰も「批判してはいけない」という大原則がある。それは出版社でも同じであり、あるとき私が某雑誌の新雑誌出版委員会というものに参加した時に、その出版姿勢を批判したらとたんにバッシングの嵐に襲われたのであった。実は私としてはその雑誌を企画した編集長を応援したいがために言った発言なのでるが、それがどう曲解されたのかは分からないが、何故か私がその新雑誌にネガティブな立場だと思われたようで、バッシングにあったようなのだ。実際は、その雑誌は私が発案したネーミングで発刊されたのであるが、その前までの某役員のとの攻防戦はなんだったのでしょうね。多分、そこで私の出世の道は断たれたのだと思うのだけれども、まあ、それはそれでいい。

 つまり、原発をやろうという会社にとっては原発というのは一大事なわけで、その一大事を行おうとするときに、それにたいする議論とか(議論には当然批判があっていい)、批判要素とか、批判に値する思想とかが全て捨象されてしまい、とりあえず会社が今進めようとする原発事業を「どうやったらうまくいくか」というための発案だけが取り上げられる。って、何だそれはファッショじゃないかよと思うかもしれないが、実は会社の決定事(つまり、委員会なんてとこに降りてきたときには会社としては決定事項なのですね)なんてものはファシズムなのだ。民主的な会社なんてものは日本ではありえないのだ。当然。

 ということで、会社が決めた方針通りに原発を作って、運用していくわけなんだけれども、したがって事故が起きた時も現場の方針よりは本社の方針が重要になってしまうというわけなのである。そこで、福島第一原発で会社の方針に逆らって注水を続けた現場の責任者の責任問題が起こっているそうだ。本社は東京にいて原発事故の場所にはいない代わりに政府(経産省や総理大臣)に近いところにいるわけだ。一方、福島第一原発の現場責任者はずっとそこにいるわけでしょう。どちらの判断を大事にするかと言えば、当然現場の判断の筈である。これは、当然の判断ごとなのであるけれども、どうもそれは東電ではいけないことのようだ。となると、完全に『失敗の本質』に書かれてたこととおなじことが、今回も繰り返されていたようだ。要は官僚主義と現場の言葉を聞かないということ。

 まあ、これが日本の企業文化なんだろうな。どうしようもないズブズブの企業文化。これがあるから、日本は「護送船団」方式で第二次大戦後の世界を生き延びてきたのだけれども、その後の「お前ら勝手に生きれば」という世界経済のなかでは、そのままでは生き残れない社会である。我々個人もそうであるけれども、同時に企業もそんな世界に放り込まれたことを意識しないでは生き残れないであろう。

 個々の企業がまさに自分の生き残りを考える時代。個々の個人が自分の生き残りを考える時代。そんな時代に我々ははいっているのだろう。

 そんなときに、原発なんかいらないよね。

 こちらもお薦め本です。日本の官僚主義の基本が見て取れます。それが戦後日本でも踏襲されたと言うことでしょう。

2011年6月 3日 (金)

今日もUPはなし

済みません。今日もBLOGのUPはないです。

昨日、今日といろいろ恩師の偲ぶ会関係の仕事が一杯でブログUP出来ませんでした。毎日、家に帰ってくるとそんな仕事に忙殺されております。データ量が多すぎたわけでもないのだけれども、何故かプリンターがとっても遅くて、なんかねえ。

まあ、ブログなんて所詮はそんなもんだと思うのだが、約300人位いるこのブログの読者には謝っておきます。

でも、偲ぶ会の案内状を本日やっと作り終え、明日には全て投函できそうなので、以降はひとまず普通にブログをUPしていきます。

とりあえず、まず最初は昨日も書いたけど高木仁三郎氏の復刊『原発事故はなぜくりかえすのか』から、次はリディア・アリックス・フィリンガムというわけのわからん人が書いたフーコー論、その次は田中ひかるさんの『「オバサン」はなぜ嫌われるか』を予定しているのだが、それはどうなるかは分かりません。大体、田中さんの本はタイトルが面白そうなので買ったのだけれども、つまりはそこまでの話。面白くなければ書かないよってなもんであります。

ひとつだけ、関係ないことだけれども、お知らせです。

6月1日に辞令が交付されまして、tsunoken人事異動になりました。と言っても、同じ局内の異動ですからあまり態勢には影響がないというか、まあ、殆ど異動の影響はないでしょう。要は、現場は若いものに任せろよと言うことで、老兵はバックヤードにというところです。まあ、この辺が日本の企業のダメなところで、本当はこのバックヤードにも若い感性は必要なんだけれども、どうもどの会社も管理部門はロートルばっかりだよな。本当はそれじゃダメなんだよな。むしろ、若い者をバックヤード部門、ロジスティック部門に登用して、そこからも改革を進めていくべきなのだけれども、結局は若い者は「現場」に行けってなもんで、取材の現場とか、販売促進の現場とか、とまあとにかく新人は現場に行かされるわけです。

 まあ、確かに若手は現場修業を重ねるというのが出版社の仕事の覚え方なんだけれども、その辺も、最近は変えた方がいいのではないか? 「現場の経験」というのは絶対必要である。バカだと思われていた奴が意外とそうでもなかったと認められることもあるかもしれないし、そんなもんですよ。

 ということで、明日からは普通のtsunokenのブログに戻ると思います。まあ、楽しみにしてください。

 

2011年6月 2日 (木)

今日はありません

今日は大学の恩師の逝去に伴ういろいろの仕事で忙しいのでブログのUPはありません。

明日あたり高木仁三郎氏の『原発事故はなぜくりかえすのか』について書こうと思っています。いまや日本では「原発はもうできない」、今ある原発が終わったらそれでおしまいであり、ということはあと40年位たってしまうと日本から原発は無くなってしまうということなんだろうけれども、それだけでいいのか? という問題について語りたいと思います。

 ということで、今日はごめんなさい。

2011年6月 1日 (水)

『カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう』を読みながら日本の今後を考える

 そう元気になりたいのだ。そのために日本の森を歩くって、いいじゃないか。

『カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう』(日本の森を歩く会著/洋泉社COLOR新書/2011年5月21日刊)

 紹介している日本の森とは;

まず巻頭に「屋久島/白神山地/里山/高尾山/伊勢神宮/明治神宮」が紹介されて、第一部では『魅力的な日本の森に出かけよう』として「信濃町 癒しの森/屋久島/戸隠(戸隠森林植物園)/天城山(天城山自然休養林)/命薬の森/高尾山/奥入瀬渓流/梼原町(久保谷セラピーロード)/明治神宮の杜/赤目四十八滝/東京水道水源林/利尻島(利尻島自然休養林)/トトロの森」が紹介。第二部では『森をよりふかく味わう』ということで「白神山地(青森県・秋田県)/生駒山(大阪・奈良県境)/片波川源流域の伏条台杉の森(京都府左京区京北・花背)/日本万博記念の森(大阪府吹田市)/海上の森(愛知県瀬戸市)/春日山原子林(奈良県奈良市)/田上山(滋賀県大津市)」が紹介されている。第三部は『森と木を理解するための20の知識』と言うわけだ。

 日本は国土のおよそ3分の2が森林(および山)である。たとえばこれがフランスやドイツに行ってしまうと、飛行機で上空を飛んでいるときによくわかるのだが、山で人が住めそうもない場所と言うのは殆どない位に平坦なんだな。フランスでは人が住めそうもない山というのはアルプス地方だけなのだ。ドイツでも黒い森地方くらいなものであり、そこだって平坦な森が続いているだけであり、あとはだいたい畑か人が住んでいる町である。それからすると、日本の上空を飛んでみると逆に殆どが人が住めそうもない山岳地帯であり、そんな場所には緑が沢山ある。それだけ日本という国は緑に溢れている国なのだ。

 とまあ、本書はそんな日本に生まれたことを了として、この自然を自らの糧としようということなのだ。森林療法ということもある。単なる癒しの元にもなる。そして、明治神宮やら日本万博記念の森とかいう、都会と近い場所にも森があるということ。これが大事だ。

 里山がある。しかし、今この里山が危なくなっているというのだ。元々、里山というのは人間の生活と密接に繋がっていたのである。里山の森は、人間にとって薪や炭をつくって最近まで(100年前位)はエネルギーの元だったし、落ち葉や下草は畑の肥料にもなっていたのだが、1950年頃からエネルギー革命が起きてガスや電気がそんな里山の近くにも押し寄せ、畑の肥料は化学肥料に変わってしまい、もはや里山の利用価値は無くなってしまった。結果、里山は放っておかれてしまい、その結果植生が大分変ってしまったというのだ。

 そんな里山だけではなく、日本の山の緑にしても、完全な自然のままの森林はないそうだ。いわゆる原生林というのは殆どない位に、昔の日本人は山や森と一緒に生きてきたのだ。そう、つまり日本人は自然とともに生きてきた。欧米の人たちが「自然を征服して生きてきた」のとは違う次元で日本人は「自然と共に生きてきた」のである。

 そんな意味では日本人はもともと「グローバルスタンダード」とは関係ないところで生きてきたのである。つまり、もともと日本人はガラパゴス化することは大前提で生きてきた。IT関係者がやたら日本も「グローバルスタンダード」に合わせなければ海外との競争に負けると言い募るわけだが、たしかに海外との競争に勝つためにはそういうことも必要なのだろうが、そんな事とは日本人は関係なくこれまで生きてきたわけで、これからも同じように生きていくだろう。

 それがガマンならん人たちは勝手に海外に行ってそこの企業に就職するなり、起業すればいいのである。で、日本に残った人間は、エネルギーを使わず、今から50年くらい前の生活を送ればいいのである。あ、パソコンだけは今の仕様でね。たいして電気も食わないし。

 そうやって、日本から日本人がどんどん出て行ってもらえば、日本もそんなに先々の苦労を負わなくて済むのだ。そう、みんな出て行って。君たちの活躍できる社会はもう日本にはないのだよ。海外にしかそんな場所はない。そいうことでどんどん出て行ってください。

 そうしたら、我々ジジイは森に行って健康になりますから。

 

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