「牛の角突き」の予告
実は、今日は本を読む暇が全然なくてまだ読み終わっていないのが『闘牛』という作品なのだ。つまり、それは徳之島の闘牛のノンフィクション・ノベルでありまして、結構これが面白い。とは言うものの、まだ読んでいないので、前に見に行った山古志の「牛の角突き」の写真でちょっと誤魔化し・・・という訳ではなくて、来週の日曜日には山古志の角突きに行く予定なので、その予告なのであります(なんて苦しい言い訳をしています)。
ガツンという立ち合いで頭をぶつける牛たち。痛くないのかね、とも思うがいやいやこれが平気なのですね。
山古志の牛の角突きは勝負を決めない。とにかくすべての取り組みが「引き分け」なのである。それについてはいろいろ理由があるのだろうけれども、それについては明日か5月22日以降に書きます。実は本当のところはよくわかっていないのです、諸説あるので。
で、牛の角突きでも、徳之島の闘牛でも大事なのは、この牛の周りにいる「勢子」だという。勿論、基本的には牛本人(?)の闘争本能というものなのだろうが、それをうまく炊きつけたり、抑えたりするのが勢子の仕事であるという。
で、どうも見ていて「こりゃ勝負あったな」というところで角突きは終わるのであるが、徳之島の闘牛はそこでは終わらないらしい。でも、そんなことしちゃったら、今後一切負けた牛は「再戦」なんてしないはずだ。これは動物としての本能であるはず。つまり、一度負けた相手とは絶対に再戦はしないはずなのだけれどもなあ。それが、徳之島では大丈夫、一度負けた相手でも再戦するようなのだ。う~む、これは今週末に行った時に聞いてみよう。
で、その強い牛たちも実は優しい動物なのだ。まあ、元々は草食動物だしね。こんな女の子に角を触られても平気だし、この子はおっかなびっくり角を触っているけれども、こんなに怖がらなくても、地元の子どもたちは平気で牛たちと遊んでいる。
とまあ、予告編をつらつら書き述べましたけれども、取り敢えずは明日あたりに下記の『闘牛』について書き、来週早々には「山古志の牛の角突き」について書きます。
というところで、今日は予告編でおしまい。
NIKON F4 Nikkor 70-200, LEICA M6 Summilux 50mm (c)tsunken
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