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2011年5月

2011年5月31日 (火)

『ソーシャルメディア革命』じゃなくてブログ革命なんだよな

 ソーシャルメディア革命なんていうからツイッターとかフェイスブックに関係する話かと思ったら、勿論それにらには触れているけれども、基本的には「ブログ」についての話なのであった。

『ソーシャルメディア革命 「ソーシャル」の波が「マス」を呑み込む日』(立入勝義著/ディスカバー携書/2011年1月20日刊)

 で、日本におけるグリーやミクシィはソーシャルメディアではないというのが立入氏の発想である。多分それは匿名でも参加できるという部分もあるし、よりリアルな世界と繋がっているかどうかとういうことが大事なそうだ。まあ、たしかにフェイスブックはそれがある。で、日本でそうした「ソーシャルメディア」が立ち上がらない理由として10の原因を立入氏は上げる。

1 既存の大手メディアの影響力が多すぎる

2 人権意識が低い

3 政治(や社会)とジャーナリズムへの関心度が低い

4 個性を認めない「出る杭を打つ」文化の存在

5 自営・独立をする人が少ない

6 非営利団体に対する支援と理解の欠如

7 語学力の低さと国際意識の欠如

8 PV神話が根強い

9 先駆者としての匿名掲示板の存在

10 芸能ネタへの偏り

 とまあ、言われてみればその通りと言うしかないような理由ばかりなのだ。しかし、ひとつだけ優位な点として言えるのは9番目の「匿名掲示板」だけだろう。これは「2ちゃんねる」のことなんだけれども、たしかに一時期「2ちゃんねる言論」なんてのもあった時期はあったが、結局それは「匿名」という部分に於いて本質的な言論にはならず、言いっぱなしのやらずぶったくりの言論でしかないし、そんなものは「言論」とは言えないということになり、更には「脊髄反射」みたいな書き込みが多くなった時期からは、全く「言論」としては機能しなくなってしまった。この辺は、ツイッターも同じであり、ツィートする方はいいけれども、それにたいするリツィートは完全に脊髄反射だけの反応が多く、特にそれがこの3.11以降によく見られた状況を見ると「日本における」ツィッターは「もう終わったな」という感さえするのである。要は、メディアというのは中立なものでしかないが、メディアの存立を決めるのはそれを使う人間次第なのだということだろう。

 で、最後に立入氏的プロブロガーになる方法だ;

1 トピックを絞り込む■自分が得意で差別化できる分野を探す

2 継続は力なり■少しずつでもいいからとにかく毎日書く

3 ブランドを意識すべし■ブログもビジネスと同じ

4 アクセスに興味をもつ■リスニングはエンゲージメントに欠かせない

5 ブログのSEO効果を知ること■上位に表示されるために工夫する

 ということだそうだ。この辺だと、私も結構気にはしている部分である。5番目だけはあまり意識してはいないが、それ以外は私も意識している項目ではある。

 ただし、ひとつだけちょっと違うかなと思うのは『ブロガーは、主婦やニートにこそチャンス?』という部分だ。確かに、家庭にいる専業主婦が(あるいは子育て時期だけの専業主婦かもしれないが)プロブロガーになれるチャンスはあるかもしれない。それは自己表現意識をもった女性がたまたま専業主婦になってしまっていることがあるかもしれないからだ。そんな彼女たちにとってみればブログという形で自己表現ができるのであればそんなラクなことはない。しかし、ニートの連中って、そんな意識もないんじゃないのか? 彼らが何らかの自己表現とか自己表出とかの志向性があるのであれば、とっくに何かをしている筈だ。

 で、結局ニートはニートでしかない。この、滅びの道にある日本と同じ運命を辿る人生なのだろうな。

 立入氏は一生懸命日本のソーシャルメディアが立ち上がる方向やら、方法やら、アメリカ発のソーシャルメディアに対抗して日本がソーシャルメディアを立ち上げることを提案しているのだが、多分、それは無理だろう。最早、日本における新しいメディアの立ち上げはない筈である。もし、あるとするならば、それは日本人によるどこか別の国でのメディアの立ち上げである。もう、この国ではガラパゴス以外の立ち上げはないのだろう。

『よく日本の常識は世界の非常識だと言われる。この言葉が正しいかどうかは別にしても、視点の100%を日本に向けたモノづくりをしてしまうと、日本では売れるが、世界で通用しなくなる。』と立入氏自身が書いているではないか。

 海外にいると、自分は海外にいるからその原点である日本に対してどうしても「日本がんばれ」というような言論になってしまう人は多いのだが、今、日本にいる立場からすると、「もう、日本はダメだよね」ということになってしまうのだ。

 特に、3.11から後は特にね。政治もダメだし、経済界もダメダメだし、これで選挙民がダメになってしまってはいけないから、なんとかしようとは思っているのだが・・・はたして。何しろ、芸能人のクーダラナイ「今日こんなもの食べました」とか「お化粧を変えました」とか「お風呂に入りました」なんてブログが日本ではたいそうページビューを稼いでいるというか、ほとんどそんなブログばっかりじゃないか。

 まあ、こんな芸能人ブログがメインである間中は日本におけるブログ事情は今からあまり変わるとも思えず、まあ、それがブログにおけるガラパゴスなのかな。

 まあ、「滅びの世紀」にいる日本が今から新しいことはできないのです。取り敢えず、昔から(といったってせいぜい30年くらいなのだけれでどもね)と同じことをやりながら、まあ滅びを迎えるのです。その時には、日本の若者は世界中に行っているでしょうね。そうであれば、それでいいのじゃないでしょうか。

 問題は、その後に及んでも日本の若者が海外に行っていないかもしれない、ニートのままなのかもしれない、ということなのだが・・・。

 

2011年5月30日 (月)

ふるさと山古志に生きる

 先週に引き続き山古志の話である。今日は、牛の角突きではなくて本によって山古志村を知ろうという話。

『ふるさと山古志に生きる――村の財産を生かす宮本常一の提案』(山古志村写真集制作委員会編/農村漁村文化協会/2007年4月25日刊)

「宮本民俗学を引き継ぐ農文協の本」の中の一冊として刊行された本書は、一方で『写真集 山古志村/農文協/20005年10月刊)と対になった中越地震で被災した山古志村への支援本の一つである。

 先ほどから「山古志村」という言い方をしているが、つまり今は「長岡市山古志」という地名になっているが、元々は「新潟県古志郡山古志村」という地名で、要は古志郡の中の山の中ということなのだ。で、中越地震が起きた時はまだ古志郡山古志村であり、その後長岡市になった時には当初は「山古志」から「山」がとれて「古志」と言う地名になり、つまり先週行った山古志闘牛場の場所は以前は「長岡市古志池谷」とい地名だった。それが、最近「山古志」という旧地名が使われることになり「長岡市山古志池谷」とか「長岡市山古志虫亀」という両方とも闘牛場がある場所なんだけれども、そういう昔からの地名が使えるようになったというわけだ。

 で、『ふるさと山古志に生きる』なんだけれども、山古志村の三つの特徴というか名物というか、がメインのポイントである。つまり、「棚田」と「牛の角突き」と「錦鯉」である。いずれにせよ、結構根本が分かっているような話である。つまりまず「棚田」に関して言ってしまうと、やはり山がちの山古志村(まあ、村の名前に「山」が入っている位だからね)では、狭い山の斜面を利用してそこに田圃を作るということになるのだろうな。これは能登の千枚田なんかと同じ発想だ。しかし、この棚田というのは一つの田圃がとても小さくて実に効率が悪い。しかし、そんなところにも田圃を作らなければならないというお百姓さんでもあったのだけれども、そんな田圃にも水を引かなければならないので、そのための灌漑用の池があるのだ。で、その池をうまく生かそうというのが錦鯉の養殖というわけだ。

 前にも書いたけれども、牛の角突きの牛は基本的には南部牛。つまり、昔は岩手県からいろいろなものを新潟県まで持ってきた牛をそのまま新潟で売ってしまったのが新潟の牛の角突きのはじまりだということ。

 そういう意味では、山古志村は新潟県でも有数の「売り物」を持っている村ではないのかなとも思うのだが、どうだろうか。

 そんな、山古志村をどうしたらいい村にできるか、ということを宮本常一が、1978年(昭和53年)に山古志村に来て講演をしているそうだ;

第一話――人口減少をくい止める核づくり

第二話――農協合併は村の意識を高める

第三話――本当の畜産は山の資源を利用するところから始まる

第四話――安易な工場誘致をしてはいけない

第五話――錦鯉の大衆化で山古志の名を高めよう

第六話――模型づくりや文化財保存を通して山古志を知る

第七話――自分たちの山を生かして使おう

第八話――誇りをもって農業をしよう

第九話――観光と農業を組み合わせた村づくり

第十話――観光の基礎・風景と味を作り出す

 というのが、まあ宮本氏の提案の各テーマなのだけれども、それぞれみんな腑に落ちるものばかりだ。でも、結構この提言通りのことを山古志の人たちはやっているようだ(まあ、あまり大企業から目をつけられるところではないからな)。まあ、それが今に見る山古志村復興の姿だし、錦鯉だし牛の角突きの姿でもあるようだ。

 まあ、とりあえずは関越高速道を堀之内インターチェンジで降りて、それから山の方にどんどん入るのですが、とにかくどんどん山の方に入っていただき、山古志村に行ってください。まさに、「棚田」がいっぱい、「錦鯉池」がいっぱい、で、「闘牛場」です。じつは、山古志闘牛場(池谷)のことをずっと書いているけれども、そのすぐ近所には(とは言っても別の山ですが)虫亀闘牛場もあるし、市は違うけれども小千谷市の闘牛場も、じつはほとんど山古志闘牛場の裏山当たりなんだよね。そうつまり昔の新潟二十村と言うい方をされていた古志郡のメインである小千谷市と山古志村ということなのだよな。

ということで、とりあえず山古志と小千谷の闘牛サイトを置いておきます。

山古志のブログかこちら→http://www.soiga.com/togyu/

小千谷の方が結構ちゃんとしている→http://www.tsunotsuki.com/

 そこからいろんな所へ行けると思います(新潟にも近いし、湯沢にも近いし、ってまあ丁度真ん中なんだけれども)どうぞ。新潟も新潟市や上越のスキー&温泉ばっかりじゃなくて、こんなエンターテインメントもあるんですよ、というところで。東京からも近いしね。

 で、こちらの本もよろしく。↓

 

2011年5月29日 (日)

『大津波と原発』って安易なタイトルだなあ。でもその安易さがいいんですけどね。

 4月5日にUstreamで行われた鼎談をそのまま本にしたのがこの本なのだが、こうした安易な出版姿勢と言うのはブログを基に本を出す内田氏らしくて大変良い。まあ、こうした本は早いところ出すことに意味があるのであるから、どんどん出して、日本の出版文化を壊してほしいものだ。

『大津波と原発』(内田樹・中沢新一・平川克美著/朝日新聞出版/2011年5月30日刊)

 しかし、内田樹氏と平川克美氏は幼馴染で一緒に『東京ファイティングキッズ』なんて共著もある位なので、組合せとしては分かるのだが、何故中沢新一氏なのだろう。と思っていたら『中沢 そうなんです。原子力は一神教的技術なんです』ときた。『第一次革命:火の獲得と利用。~第二次革命:農業と牧畜が発達して、いわゆる新石器の時代がはじまる。~第三次革命:家の「炉」から冶金の「炉」が発達して、金属がつくられるようになる。~第四次革命:火薬が発明される。~第五次革命:石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立される。~第六次革命:電気と石油。~第七次革命:原子力とコンピューターの開発。いずれも第二次大戦の刺激によって発達した技術である。コンピューターは電子の量子力学的ふるまいを情報処理に利用した技術だが、この技術がなければ原子力エネルギーのコントロールはほとんど不可能に近い。』(A.ヴァラニャック『エネルギーの征服』蔵持不三也訳、新泉社より要約・・・本書より孫引き)という第七次革命について中沢氏は『第七次エネルギー革命というのは、決定的に今までのものとは構造が異なっていて、生態圏の完全に外にあるエネルギー源を取りだそうとした。原子核の中に操作を加えるということですね。それまで使われてきた化学エネルギーは、外側の電子の部分だけが問題だったんですが、原子核の内部に操作を加えちゃうというのが第七次エネルギー革命の発端になっているわけです。~その第七次エネルギー革命が起こると同時に火力や水力による発電も発展してきますけれども、それをとおして大量消費時代がはじまったわけです。~ぼくはですからね、数十年先に日本史を書く人がですね、「2011年に起こった出来事が、日本においては第七次エネルギー革命にひとつの挫折を生じさせて、そこから別のエネルギーの形態がはじまった」というふうに記述するようにしたいんです。~第七次エネルギー革命のいちばんの問題点は、これが大量生産と大量消費による経済成長をもとめる産業界と結びついて、ひとつの盲目的なイデオロギーを形成してきたというkとなんですね。~それは単一化をすすめるイデオロギーを形成しますが、それはモノティズム(一神教)の思考法の変形版で、単一原理を蔓延させていこうとしています。日本はもともとはモノティズム的な発想は苦手で、いろんなものを寄せ集めてね、神様も仏様も習合しちゃえっていう、この考え方でずっとやってきた民族です。そういう人たちは、ブリコラージュは得意ですけれども、モノティズムは今までにノウハウを蓄積してこなかった。~しかし産業イデオロギーの巨大な渦の中に日本人は巻き込まれ、原発の開発をやみくもに推進してきました。原発の意味も自由競争の意味も棚上げにして、走ってきた。そして、福島の事故にまでたどりついてしまいました。』とする。

 これに対して内田氏は『そうそう、日本人って、これが大好きなんだよ。利害関係を複雑怪奇にするのが。あるプロジェクトの利害関係者が増えれば増えるほど、そのシステムは安定するというのは日本人のある種の経験知何だと思う。それが日本人の「神的なもの」の対処法の基本のかたちをなしているんじゃないかな。「荒ぶる神」の遭遇すると、とりあえずそれを既知のなにかとくっつけて、「神的なもの」と、「ちょっとだけ神的なもの」のアマルガム(合金)をつくるんだよね。神仏習合がそうだけど、外来の強大な神様を受け容れるときに、とりあえずその辺の土着神と混淆させちゃうの。「なんだかわからない、すさまじく恐ろしいもの」と「わりとわけのわかった、それほど恐ろしくないもの」とを混ぜちゃう。~一神教の文明の中には、恐るべきものをどうやって制御するかということについては伝統的なノウハウがしっかり血肉化していると思うんだよ。「鬼神を敬して之を遠ざく」だから。鬼神の扱い方って、それぞれの社会の霊的な文化的特徴と同期するでしょう。日本人は日本人独特のしかたで荒ぶる神を制御しようとするんだけれど、「恐ろしいもの」を「あまり恐ろしくないもの」と見境がつかないように「ぐちゃぐちゃにする」というのが日本的なソリューションだから。』と応える。

 そして最後には「フランスの原発のデザインってやっぱり神殿だよね」「インドの原発はシバの男根の形をしている」それが日本の原発は普通の工場みたいで、神聖さのかけらもない、ということになる。で、結局『まったく別種の一神教の神様を自分の内部に持ち込んでいるにもかかわらず、それをしっかり包囲し、コントロールするシステムを持たないで、神仏習合の考え方でごくナチュラルに、「安全です」「クリーンです」と言って、ナチュラルに包容しちゃったというところが、問題です』ということになるのだ。

 つまり一神教たる原子力エネルギーを、キチンと一神教的な方法でコントロールせずに、なんとなく多神教的なアマルガムのなかで制御しようとしてきたことに問題がある、ということなのだろう。ということは、結局、日本人の思想では原発は制御できない。日本はもともと原発を持っちゃいけないということなのだろうか。この辺は、昨日書いた理系で元々は原発の設計をやっていた大前研一氏との大いなる違いである、文系の発想。

 更に東北復興のイメージを宮沢賢治のイーハトーブの思想に求め、東京はもう終わったという。まあ、確かに東京の果たしてきた日本の牽引車としての役割はもう既に終わったとは言えるだろう。ただし、政治都市と経済都市の分離というようなアメリカ式の国家計画は日本では取り敢えずは難しいだろう。なぜならば日本の場合あまりにも政治が経済に立ち入る隙が多すぎるからだ。もうちょっと国家の経済に対する規制をなくし、経済が勝手に動いていくことを国が奨励すべきなのであるが、ではそういう政体の場合なにが問題かと言えば、要は官僚の数を減らさなければならないということなのだ。官僚の数が多すぎる日本では、結局そんな官僚たちがよせばいいのに自分たちの仕事を作るために、結局は政治による経済の規制を増やさなければならなくなるということなのだ。日本の官僚がもう少し仕事をしたくない連中が多ければいいのだが、残念ながら日本の官僚は結構仕事が好きだし、仕事もできる連中が多いということなのだ。問題はそこなのだよな。

 ということで、日本の復興のためにはまず衆議院、参議員の数を減らし、その後、官僚の数を減らし、その後、政治からの経済に対する規制をやめて、そして東京からの遷都を考えればいいのだ。いずれにせよ、すでに明治元年になって日本の首都に形式上なってから140年あまり、徳川家康が江戸幕府を開いて実質上の日本の首都になってからではすでに400年以上にわたって、東京は日本の政治的な首都であり、経済的な首都であり続けたのである。パリやロンドン、アテネなどもっと長い間首都であり続けた都市はいくらでもあるが、まあ、東京がその役割を終えても文句を言う人はいないだろう。文句を言うのは(もうすぐ死んじゃう)石原慎太郎くらいなもんだ。

 遷都先はどこがいいのかはその時考えればいいのだろう。東北でもいい、仙台案、山形案なんてのもあってもいいし、札幌でもいいじゃないか。博多案なんてのもいいし、それこそ那覇に持っていくなんてドラスティックな発想があってもいい。もはや首都を捨てた東京人が言うべきことではない。一方、天皇は再び京都に戻っていただいて、日本は「天皇のおわしますべき所」「政治的な首都」「経済的な首都(これは相変わらず東京なのだろうな)」という三都体制に持って行ってリスク分散をするのだ。

 いずれにせよ、1000万人も住人がいる街なんてのがおかしいのだ。東京もその結果300万人位の都市になればいい。そうすれば東京ももうちょっとは住みやすい街にになるのだがなあ。

2011年5月28日 (土)

日本復興計画

 5月の半ばに入って突然東日本大震災関連の本が出始めた。3月11日の震災があって、そこから企画して1カ月位で書きあげて4月半ばに入稿、ということでこの5月半ばがまず第一の震災本ラッシュというわけだ。これから、数カ月はこうした「震災関連本」が出続けるということになる。まあ、講談社がここまで大きくなった一つの理由には、関東大震災が起きた大正12年に、幸い震災にあっても潰れなかった社屋があったために、『関東大震災写真集』を出版できて、それがすごい勢いで売れたということもある。まあ、他人の不幸で稼ぎまくるという出版社の基本的な姿勢が良く表れているといえばその通りなのだけれども、そんな感じで各社稼ぎまくるぞという姿勢があってよろしい。もっとも、一番売れているのは朝日新聞社の震災写真集であるというのも、やはりねというところである。講談社では「PRAY FOR JAOAN」という震災直後に慶應義塾大学の学生が立ち上げたサイトに集まった世界中からのアクセスをそのまま掲載した本が売れているようだ。

 まあ、そんなわけでやたら多い「震災本」だし、原発叩きや東電叩きや原子力安全保安院叩きの本なんて今更読む気にもならないので、結局は震災からの復興をどうすべきか、という本に興味は行くわけだ。

『日本復興計画 Japan ; The Road to Recovery』(大前研一著/文藝春秋社/2011年4月30日刊)

 とはいうものの、大前氏もMITで原子力工学で博士号を取り、日立製作所で原子炉の設計に携わった人であるから、まずは今回の福島第一原発の事件に対する考察から入る、というより全三章のうち二章を原発事件に使ってしまうのであった。で、結局どうなるかと言えば、『まず、国内に新たに原子炉を建設することは、もう不可能だ』ということになったのだ。『これで、日本の原子力輸出政策は終わり、日立・東芝などの原子炉メーカーとしての未来もこの段階で終わったということである』というのは事実であろうけれども、しかし、日本の民間企業の腰の強さは、これだけでは終わらせないというところで、これからは廃炉ビジネスなのである。フランスのアレバなんかもそうなのであるが、アレバ社は原子炉メーカーであるとともに、廃炉ビジネスの一大メジャーなのだ。つまり、原子炉というものは40年位経つともう廃炉にしなければならない、結構短命な発電機構なのだ。まあ、それだけ周囲の原子炉圧力容器とか原子炉格納容器に与えるストレスが大きいということなのだろう。

 一つの原子炉を完全にシャットアウトするまでは10~20年かかるそうだ。そうすると日本に54基あるという原子炉全てをシャットアウトするまではのべ540~1080年という時間がかかるわけで、これは結構廃炉ビジネスも大きなビジネスになるというわけだ。まさに究極のマッチポンプだね。おまけに原子力発電所は半年に一回くらいづつ1カ月停止して定期点検をしなければならない。その定期点検をする原子炉メーカーの孫請けかひ孫請け会社に日雇い労働者になったというのが『原発労働記』なのだけれども、そうした定期点検も含めて実は先にあげた54基ある原発の半分しか稼働していないという事実。要は、原発は一回作ってしまえば半年に一回のメンテナンス、そして40年位で廃炉という、結構原発メーカーにしてみれば「おいしい」ビジネスなのだ。こりゃあ、車なんかを作って定期点検なんかいい加減にやっているエンドユーザーに届けるよりずっといい商売だ。おまけにしょっちゅう故障する。こんなに故障する車だったらユーザーからは見はなされてしまうのだが、原子炉はそういうことはなく、ちゃんとユーザーが同情して協力しながら修理に対応してくれる。

 まあ、B to Cのビジネスではあり得ないことがB to Bのビジネスではあるということですね。お互い会社員だし、まあ波風立てないで行きましょうや、ということなのかもしれない。地域独占の半官半民みたいな東京電力のような企業でも所詮は民間会社、どちらかと言えば、どちらの社員も自らの立場を守ることの方が大事だから、あまり相手会社の悪口を言わなくなってしまうのですね。だって、相手会社の悪口を言ってしまえば「そんな会社を選んだのはお前だろう。じゃあ、お前が悪いんじゃないか」と言うことになってしまうわけだ。で、すまじきものは宮仕えではないけれども、まあ、そんな宮仕えの集大成が東京電力の各部署における事件対応なのだろう。上から下まで。現場はどうなっているかは知らないが。

 で、肝心の復興の方はどうなのよ、ということなのであるが、大前氏の建言はさほど変わったものではない。要は道州制と国民の意識変化である。まあ、両方とも「やれればいいけれどもねえ」というところ。道州制に関しては官僚のアタマを全て入れ替えるつもりがなければできないだろう。つまり、それは官僚の仕事を全て奪い、いまから官僚の数を数分の一にしようという発想なのである。そんな発想の考え方に対して官僚側が了解するわけはないし、そんな官僚が制御している政治家が了解はしないだろうし・・・ということを考えてしまうと、それこそ革命を起こし国の作り方の根本を変えないとだめということになるだろう。そこまでやる気があるのですか? もしあれば、そこには参加したいと思うけれども・・・。

 もう一つは「日本国民のメンタリティを変えよ」ということである。要は、今までのような右肩上がりの経済を前提にした生き方を変えて、右肩下がりの経済にあわせた生き方をしようよということなのであるが、まあ、これは実現不可能ではないだろう、というより既に若い人たちの生活がそのようなものになりつつあるのだ。車は買わない(買えない?)、家も買わない(買えない?)、高級品は買わない(買えない?)、結婚しない(こりゃ困った)という小さな生活を今の人たちはしている。こうした小さな生活を送っている限り、日本経済は大きくはならないだろうけれども、このまま小さくなってきてもそれにあわせて小さくなることができるだろう。

 大前氏が最後に結論付けた通りのことはまさに事実であろう。

『個人は最小英剤単位だ。あるいは家族が最小の経済単位だ。政治家に頼ってはいけない。政府に頼ってもいけない。国がなんにもしてくれないことは、すでに明らかだ。自分自身だけが頼みの綱と覚悟を決める。そうしなければ、この日本も元気になりえず、復興もありえない。』

 ということである。つまり、それは国や政府を捨てろということなのだ。逆に言えば、自分の考え方にフィットした国があれば、そちらに行ってしまうのも選択肢だよ、ということ。まあ、もはや日本人が日本にいなくてもいいという時代になったのだ。面白そうな国に行って、そこで波乱万丈な人生を送ることも楽しいと思うよ。

 で、この『日本復興計画』を買うと、137円分が震災復興計画に使われるそうだ。まあ、小さな応援ですね。

 で、ついでに宣伝しちゃいますと、この本「PRAY FOR JAPAN』も印税は全部震災の義捐金になります。

2011年5月27日 (金)

『喜婚男と避婚男』というよりも、もっと大きな文明論としてとらえたい

 このツノダ姉妹というところにダマされてしまうんだろうな、世の中のオジサンたちは。本に載っている写真や、HPの「ツノダ姉妹」の写真をみると「おおっ」てなもんで、それは「叶姉妹」みたいなもんで、要は「叶姉妹+知性」ってなもんで、くるっとおじさんたちは騙されちゃうんだろうな、というのが第一印象。でも、同じウェーブプラネットの社長プロフィールと見ると、まあ普通のおばさんの写真がでてきたりして、それでも充分美しいのですが。

『喜婚男と避婚男』(ツノダ姉妹著/新潮新書/2011年5月20日)

 いわゆるバブル世代の真っ最中に青春を送ったツノダ姉妹である。当然、その後の世代に対しては厳しいものの見方をするのであろう、と思ったら逆に「バブル女は死ねばいい」とか言われてしまい、本来「女の時代」を作るべき筈のバブル期におおいに女の立場を強めたはずの女たちは、残念ながらまた普通の女に戻ってしまったのか? というのが本書の論考である。勿論、それに対抗する形での「男たち」がいるわけなのだが。

 ポイントは「女の社会進出」と「男のオウチ進出」だという。女の社会進出は良くわかる。普通にそれはあったわけだし、学校の成績だって大体女の方が上だし、多分、入社試験であってもペーパーテストは女の方が上だろう。ということで、女側からの「男とおなじ仕事をしたい、男と同じ収入を得たい」というごく当たり前の要求からきたものだ。そのための女の側のプレッシャーもあるだろう。当然、そのプレッシャーは「仕事と子育て」ということに集中するだろう。

 というところまでが、普通の女の考え方。一方で、それとは別に、「家庭」というものを見いだした男たちがいたわけだ。そんな男たちを「喜婚男」と「避婚男」というふうに区別しているのだが、この二つ累計ってのは、実はそんなにかけ離れてはいないのではないだろうか。だって、「喜婚男」だって「避婚男」だって、向かっているのは「家庭」でしょ。それが「妻」と一緒の家庭に喜びを見いだすのか、自分ひとりの家がいいと思うのかという(実は大いなる)違いでしかない。

 まあ、問題は子どもを夫婦で何人作るかという、実はこれは「人口論」的な問題でもあるのだけれども、もはやこんな論議をしている場合じゃないのだろうな。だって、結婚をしない男、つまり子どもを作らない男が増えているのだ。

 こうして考えると、やはり日本は「滅び」の方向に向かっているのかという感覚が出てくる。それは、それでしょうがないのかな。一つの文明・文化が最高段階についてしまうと、そのあとは「滅び」しかないわけだ。日本文明もここで一つ終わりをむかえるというのもいいんではないでしょうか。

 問題は、そのあとの文明をどう作っていくのか、どういう考え方で作っていくのか、ということなんだけれども、考えてみればそんなことは我々が考えることではないのだ。我々が考えなければいけないのは、どうしたら今の文明を我々の見える形で終了させることができるのだろうか、ということなのだ。

 どうやって、今の文明に対する終焉の報を「誰に対して」「どうやって」告げるかということなんだけれども、どうなんだろうか。

 

2011年5月26日 (木)

『検証 東日本大震災の流言・デマ』にはインターネットの基本的な問題が書かれている

 まあ、ツイッターなんかはその代表選手なんだけど、要はこうした「流言・デマ」を拡げる媒体はいくらでもあるということなのだ。

『検証 東日本大震災の流言・デマ』(荻上チキ著/光文社新書/2011年5月20日刊)

 荻上チキ氏は、3.11以後のツイッターやチェーンメールでの「流言・デマ」を分析し、同時に「流言・デマ」を防ぐためのツィートやメール発信をしていたようだ。その、取り敢えずのまとめが本書である。したがって、これまで荻上チキ氏のブログを読んでいた人たちは、本書の文章には既に読んでいる人もいるかもしれない。

 問題は、自分は何もしていないのに「拡散希望」とかいうツィートに対し簡単に(何も考えずに)リツィートしてしまうバカな人間が如何に多いのかということなのだ。本人としては、それで何かいいことをしたつもりになっているのかもしれないが、最初のツィートのソースも確かめず、事実のウラも取っていないままでリツィートするという態度は、少なくとも「メディアにかかわる人間」がやってはいけないことなのだ。実は、いまやマスメディアだけじゃなくて、ツイッターや2ちゃんねるのようなソーシャルメディアであっても、メディアにかかわる人間になってしまっているわけで、そういう意味ではそうしたソーシャルメディアで発信しようという人たちであっても基本的な「メディアリテラシー」を持っていなければいけないということなのだ。でなければ、彼らが言うところの「マスゴミ」以下の存在にソーシャルメディアがなってしまうということなのだ。つまり「脊髄反射」は一番やってはいけないこと。もうちょっと考えて、ソーズを確かめれば、最初のツィートの真贋はすぐにわかることなのに、それもしないで勝手に「脊髄反射」でリツィートしてしまう態度は、まさにその人の「メディアリテラシー」の不足と言うしかないだろう。要は、彼らが人をバカにして言うところの「情弱」に、自ら陥っているということなのだ。

 というところで話を変えるが、そろそろマスコミ(新聞、テレビ)も署名記事を始めるべきではないのだろうか。つまり、発信する情報に対して個人として責任を負うということ。「マスゴミ」と言われる本当のところの理由は、新聞もテレビも記事について署名がないわけで、その署名がないゆえに書けば書きっぱなしということで、後に分かって間違っていても知らんぷり、という態度がそういう言い方を許しているのではないだろうか。個人名で記事を書くことになれば、そこには書いた人間としての責任が生じるし、であれば間違ったことを書いてしまえばそれについての悔恨の情もわくだろう。だとしたら、そのことについてまた更に署名記事を書けばいいのである。多分、そうすることによって読者との信頼関係が築けると思うし、記事に対する信頼性もわいてくるというものだ。

 所詮、人間が書いている記事である。間違えることだって沢山あるだろう。それを何の誤謬もないと主張することがおかしいのであって、それは東京電力が「原子炉は絶対安全です」と言っているのと同じくらい実はウソであったというのと同じウソなのだ。したがって、会社として「この間の記事は間違っていました」と言うのが難しいのだろうから、あくまでも個人の記者として「間違ってしまっていました」と言えばいいのである。そして会社としては個人の間違いはあることだからしょうがないということで済ませれば、そこで会社としての信頼感はもっと上がるのではないだろうか。

 で、そこでソーシャルメディア批判をすればいい。ツィッターにしても、2ちゃんねるにしても要は「匿名」で書き込みをできることが問題なのだ。Webの世界ではこうした匿名情報が基本的に行き交わされている。こうした匿名情報こそが怪しい情報の基本なのだという根本的なメディアリテラシーを持っていない連中が、しかし、インターネットの中心ユーザーになってしまたところに日本のインターネット社会の「歪み」がある。

 何でもいい。自分から情報を発信する人間は「まず自ら名を名乗れ」というのがメディアの基本である。「匿名」という自らを隠した形でいたいのなら、メディアで発信するのをやめろよ。自分の発言に責任を持てよ、というのが基本である。

 匿名がインターネットを促進しているというなら、そんなインターネットはいらない。昔のような、ご近所の噂話に戻れば? と思うのだが、そこだって匿名ってことはないでしょう。

 匿名でインターネットに投稿している人たちに言いたいのだが、君たちはそんなことで面白いのですか? 

2011年5月25日 (水)

なんとなく見た目よりは育ちが良さそうなひとが書いた『女子校育ち』

 お祖母ちゃんが十文字、お母さんが白百合、本人が女子学院という筋金入りの女子校(なおかつ中高一貫校)育ちの辛酸なめ子氏による女子校論考である。

『女子高育ち』(辛酸なめ子著/ちくまプリマー新書/2011年3月10日刊)

 我が家も、妻と娘は「同じ」女子高出身で、なおかつ妻は小学校から、娘は幼稚園から高校までで、という完全に人生間違っとるような、公立共学育ちの私からすると、およそ想像だにできない世界で生きてきた人たちが身近にいるので、思わず手にとってしまった、というわけだ。

 ただし、我が妻やら娘から取材したところでは、特に女子校だからといって特別変なところはない。便所掃除がやたら完璧を求められたり、とにかく掃除関係はやたらうるかったようだが。

 白百合の例『放課後に一時間かけて念入りに掃除をして床をツルツルにすると、終了後はシスターがやってきて、昔の昼ドラの姑のように、窓の桟を指でさっとぬぐって埃チェックをするそうです。チェックが通らないと家に帰れません。掃除の後には反省会もあります』と言う話は、白百合ではないが、同じカトリック系の女子校に学んだ我が妻からも聞いた話。要は同じカトリック系の学校にいくとこんなもんだというところでしょう。要はカトリックということではなくて、「女と女の世界」ということなんだろうか。しかし、東京純心女子のような『中でもきついのはトイレ掃除。週番で回ってくるのですが、終わった後必ずシスターがチェックしに来て、なんと直接便器を手で触るそうです。さらには、「あなたたち、これをなめられるの?」と厳しく追及されることも・・・』という極端な話までは聞いていなかった。「便器をなめる」って、趣味じゃないし、ええ、そんなこともあるのかと思いながらも、しかし我が妻を見ると、そんなに掃除は好きそうでもない。まあ、家の中はきれいになっているけれども、「もう、面倒くさい」というのが妻の感想である。つまり、基本的には掃除をしなければならないことは良くわかっているけれども、面倒なものは面倒、好きじゃなければやらないわよ、というのが普通の反応なのだろうな。

 ところで東京近郊の有名な女子校をタイプ別に分類すると『お嬢様系』に大分類された『深窓お嬢様系』と『お嬢様系』、『ニュートラル系』に大分類された『温室・夢見がち乙女系』『良妻賢母系』『モテ系』、『勉強系』に大分類された『努力型秀才系』そして『性超越系』というのがあるそうだ。フーム、なるほど同じ雙葉学園でも田園調布と四谷と横浜では違うわけね。「性超越系」で桜陰や女子学院は分かるけれども、慶應は違うんじゃないかとか、「努力型秀才系」の豊島岡なんかは少し前まではスケバン高校だったような気もする、なんて昔のことを思い出したりしながら読み進むのだが、そういえば美智子皇后も「お嬢様系小学校」から「深窓お嬢様系中学~高校~大学」へ進んだわけで、なるほど宮内庁も考えているわけなのだった。

 で、結局この本で辛酸氏が何を言いたいのか、女子校を引き摺り下ろしたいのか、あるいはこんないいところはないですよ、と持ち上げたいのか、それは良く分からないのだが、「おわりに」で書いてあるとおり『自然に媚を売れなくても、気が利かないと言われても、変な男性にだまされそうになっても、負け犬呼ばわりされても、サバイバルしていける・・・・・・。女子校出身でない人にも、この本からめくるめく女子校エキスを吸収することで、明日への活力や回春の原動力としていただければ幸甚です』ということなのだ。しかし、果たしてこの本が「回春」の役にたつのかどうか・・・は、まあ読んだ人のエッチ度次第なのだろう。ちなみに私は、既に妻と娘から女子校の実態を知らされている(でも、ほんの一部分だけだろう。すべてはさらけ出していないはずだ)だけに、読んでみると「ああ、なるほどね」というだけであった。

 で、結局どうなのかといえば、まあ女子校に行ったって、男子校(私の息子2人がいっていた)に行ったって、結局はそれぞれの方法で青春を送っている(楽しんでいるとは言わないが)ということなのである。結構、つまらない結果でしかないな。まあ、所詮、大学に行ってしまえば、普通は「男と女の付き合い」も出来てしまうし、それまでの親の苦労(というか心配)なんてものは笑い話にもならないのだけれども、それでも女子校神話って生きているんでしょうか? もう、みんな携帯だって「親公認携帯」と「自分用(カレシ用)携帯」を使い分けている時代である。もはや、親による子どもの支配は小学生までだけなのかもしれないね。中学生以上になったら、もう駄目です。

 まあ、それでも結構普通の中・高生は普通に生活を送っているものです。一部、ちょっとトンガッた人はいるけれども、それは極く一部の人たちだけで、大半は普通の満たされない、つまらない3年間(か6年間)をおくっているだけなのです。まあ、6年間のモアトリアムの後で、ハジけるかどうかは知りませんが・・・。

 ちなみに辛酸家(って言っていいのか?)三代の順番ではお祖母ちゃんが「温室・夢見がち乙女系」、お母さんが「お嬢様系」で、本人が「性超越系」ということであり、そういう家庭に育つと、ああいう人になるのか。まあ、別に美人でもないし、男を従えている雰囲気も持ってないし、かといって男にかしずいている雰囲気もないし、でも、なんとなく「お嬢様オーラも少しあるし」ということで、フムフム・・・なんてね。

 まあ、美人の部類ですよ。と言っておこう。

2011年5月24日 (火)

『岳』という映画は山岳映画なのか、アイドル映画なのか。まあ、どっちでもいいけど

 映画『岳』(石塚真一原作/片山修監督/吉田智子脚本/製作プロダクション:東宝映画/2011年5月7日公開)を観てきた。

 うーん、これは山岳映画(原作寄り)なのか、アイドル映画なのか。まあ、アイドルというには年をとりすぎているのかも、じゃあ山岳映画なのかなあ・・・。

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公式サイトのURLはコチラ→http://www.gaku-movie.jp/index.html

 原作コミック『岳』(ビッグコミックオリジナル連載)は愛読していたので、まあ主人公役のイケメン小栗旬には若干戸惑いを覚えながらも楽しみにはしていた作品であった。原作のイメージからすると、もうちょっとブサイクな山男というイメージが主人公・島崎三歩なのだが、まあ、これは映画の集客を考えると仕方のないことだろう。

 しかし、それ以上に気になったのは、一話完結の連載という原作の関係から、下手な脚本の作り方をすると「串団子」のようなシナリオになってしまうということなのだ。『シナリオ』6月号に載った脚本家・吉田智子さんのインタビューによれば、そこを山岳警備隊の新人・椎名久美(長澤まさみ)に視点を移すことによって、久美の成長話というストーリーを構築できて、そこにいつも久美が見つめる三歩という形で話ができるという構成になっていて、それはうまく作用している。

 原作の久美は別に山好きでもないし、父親が山岳警備隊の隊長でもないし、たまたま長野県警に就職したら配属が山岳警備隊だったということなのである。しかし、それが次第に山に興味を持つようになり、いずれは一人前の山岳警備員になるのであろうという話がサイドストーリー的に進められている。しかし、映画では山岳警備隊長だった父親が18年前に遭難者の救助の最中に亡くなり、それまでは誕生日、運動会、入園式にも来てくれなかった父親が嫌いだったのが、17回忌の時に父親に救助された全国の山屋の手紙を読み、父親が久美にのこした最期の時のボイスレコーダーを渡され、その結果、自ら志願して山岳警備隊に入隊するという、ある種、山に入ることになる久美の運命ストーリーになっているのだ。そしてストーリーはそんな久美が進行役になって、彼女の成長ドラマとして進行する。

 ことに、ラストシークエンスでは完全に久美が主役である。父親と娘の救助に出かけた久美は娘を救助ヘリに乗せた後、ますますひどくなったブリザードの中、自ら救助ヘリから落ちて父親とともに雪原に残る。最後は、雪崩に飲まれてクレバスに落ちた父親は、久美の献身的な努力の結果死なずに済んで、むしろ久美が仮死状態に陥ってしまう。三歩の話はここからで、そんな久美の心臓マッサージを行い、人工呼吸(つまり小栗旬と長澤まさみちゃんがキッスをしちゃうのね)を行うということだけだ。

 勿論最後は久美も助かるのは長澤まさみが演じている以上は当然なのであるが、つまりラストシークエンスは完全に久美のシークエンス。勿論、それで久美の山岳警備員としての成長を描いたのであろうが、その分、主人公・三歩の見せ場が無くなってしまったのも事実。まあ、こういう映画があってもいいのかもしれないが、最後は主人公が大活躍して一件落着というハリウッド的スペクタクルはそのにはない。まあ、これはハリウッド映画ではないので、全然問題はないのだが、一方、三歩の本来は見せ場であるはずのラストシーンが無くなってしまったはちょっと残念。

 うまくいけばシリーズ化も可能な作品である以上、最初はこんなものでいいのかな。あまり、三歩がスーパーマンであると映画としての今後も途端にルーティン化してしまうしな。もっとも、原作は最初から三歩はスーパーマンで、話は完全「串団子」なんだけれども、それは連載コミックという形式の話だからそれでいい。

 で、私は山登りはやらずに、基本的に麓で山写真を撮るだけなので、この程度の山岳映画でも満足するのだが、山屋さんたちはどんな反応を示すのだろうか。『剣岳 点の記』という、一切CGを使わない(というか監督がCGの使い方を知らなかった)山岳映画の傑作があった以上、それとの比較になってしまうのだが、その比較はどうなんだろう。山好きの皆さん、どうでしょうねえ。

 で、原作の紹介はあまりにも巻数が多いので、1巻目と最新刊(14巻)の表紙を紹介します。

2011年5月23日 (月)

2011年始めての「牛の角突き」

 5月22日に、今年になって始めての「牛の角突き」を、山古志闘牛場まで見に行った。今回はちょっと前の飲み会で話をしたら乗ってきたY川氏とH坂氏夫妻と一緒という、今までにない形での観戦である。

 実は5月3日には小千谷市小栗山闘牛場で、5月4日、5日には長岡市山古志闘牛場で、既に今年の場所は開催されていたのだが、残念ながらその3日とも別に用事があって行けず、結局5月22日が今年初めての闘牛観戦ということになったのだ。残念ながら天気は雨。屋根はあるものの、寒さもあってレインコートを着たままの観戦と相なった。

2011_05_22_128_2 勢子たち

 ただし、今年は昨年までとちょっと違う雰囲気があり、福島県南相馬市から長岡市に避難している人たちが招待されてきており、南相馬市の桜井勝延市長も観戦、挨拶をしていた。

 実は、南相馬市には「相馬野馬追」という重要無形民俗文化財があり、「無形民俗文化財」つながりという意味でも、長岡市山古志とはつながりがあるようだ。

2011_05_22_005_2 観戦する南相馬市民。左から2人目が桜井市長

 更に、山古志から「天の風」という牛が「天の風浜街道」として南相馬市に寄贈されて、この牛の所属は「東日本」という形になって、今後も山古志闘牛場で戦うことになるのだろう。

2011_05_22_011_2 東日本所属「天の風浜街道」である。角が折れているのがちょっと痛々しい?

 何故、長岡市というか旧山古志村の人たちがこれほどまでに地震被災者に気を使うかというと、当然、それは当然2004年の中越地震の頃の話に遡る。当時、壊滅的な災害にあった旧山古志村は全国(海外も含む)数億円の義捐金により立ち直ることができた。そんなことから、新潟県は今回の東日本大震災にあたってもいち早く被災者の受け入れに積極的で、「被災者からは一銭ももらうな」を合言葉に、とくに避難者の受入れを行ってきているのだ。

 つまり、津波というのは自身経験はしていないけれども、地震の被害を受けたということでは全く同じ災害被災者としてのシンパシーがあるのだろう。

 更には、福島ではないが、もともと越後牛の出身地である南部地方(岩手県)に対する想いもあるのだろう。とにかく、新潟県というか長岡市民というか旧山越村民の福島県、岩手県に対する思いは普通ではないようだ。

 が、まあ角突きは通常通り行われる。22日はアトラクションとして、今年初めて角突きに参加する牛同士のトレーニング的な対戦が6番行われ、全22番が行われた。通常は16番~20番なので、ちょっと多い番組だ。が、以前小千谷市小栗山闘牛場で行われるものとの比較で言ったことがあるが、闘牛場は山古志の方が立派であるが番組的には小栗山の方が上じゃないか、という感じはやはりある。

 それでも、戦っている牛にはどこの闘牛場で戦っているのかなんてことは関係ないだろうから、それぞれ真剣勝負である。八百長はない。唯一八百長と言えるのは「引き分けで終わらせる」ということであろう。どうしても、見た目にはどちらの勝ちかということは「戦意の喪失」した方を見ればわかるのだが、それでもどちらも勝ちにしない・負けにしない・・・でも、多分、勢子やら地元の人たちのなかでは勝ち負けと決めて「○○○」をやってるんだろうな。そうだよね、衆議院議員選だって、都知事選だって、じゃあ目の前に次に来るのは女か男かだけだって「●●●」の対象にしちゃう我々だもの。

 でも、これは「神事」だから勝ち負けは決めないの、と言われれば「はいそうですか」と聞く我々・・・ねえ、結局は山古志の人たちだけで楽しんでいるんでしょ。

2011_05_22_148_2 将来の勢子。大丈夫かい?

 で、緊急事態で一時中断はあったけれども最終取り組みがこれ。「繁蔵vs.金重号」の闘い。さすがに最後に行う闘いだけあって両方とも横綱相撲。両者一歩も引かず押しあい、技を出し合う。勢子も力が入る。さすがに「結びの一番」です。

2011_05_22_265_2 結びの一番

NIKON D100 Nikkor Zoom 70-200 (c)tsunoken

 で、9月11日には「全国闘牛サミット in 小千谷」というのが小千谷小栗山闘牛場で開かれるそうです。ここには、越後だけでなく、徳之島、沖縄、宇和島、隠岐の島、岩手と当然、山古志と小千谷の牛全部が集まって闘牛をやります。それぞれの地域でのルールの違いとかはどうするんだという気持ちもありますが、一方、よその牛ってどういうもんかというのも知りたいということもあり、9月11日には小千谷に行こうかな。

 実は、今年は花巻祭りが9月9日から11日まで、というところでこの辺をどういう風に都合付けようかなというところがむずかしいのだ。

2011年5月22日 (日)

『ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968』を見ながら自分の1968年を想う

 石原慎太郎の唯一の善政である(って、もう何度も書いているが、多分彼が都知事を辞めるまで書くんだろうな)東京都写真美術館で『ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968(Invasion Prague 68 Josef Koudelka)』という写真展が開催されている。7月18日まで開催。

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(c)Josef Koudelka/Magnum Photos

 言うまでもない、1968年にソビエト連邦とワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻し、当時進みつつあった民主化(いわゆる「プラハの春」)を叩き潰し「共産主義への正常化政策」を推し進めようとした事件があったが、その時のプラハ市民の抵抗を撮影した写真群である。クーデルカはその写真を秘密裏にアメリカに持ち出し、マグナム会長のエリオット・アーウィットの手により「プラハの写真家」という匿名者による写真展として発表され、写真家は匿名のままロバート・キャパ賞を受賞した。クーデルカがこれらの写真が自らのものであると名乗りを上げたのは、1984年に彼の父親が亡くなって、家族に類が及ぶ心配が無くなってからのことであった。

 その結果、ジョセフ・クーデルカ(チェコ風にいうとヨセフ・コウデルカ)の名前はフォト・ジャーナリストとして一躍世界から注目される存在となったのであるが、それほどまでに当時の東西分離状況、冷戦状況は厳しかったのだなということである。しかし、既に第二次大戦直後とは異なり情報規制はしていてもそれなりに規制はユルい状態になっており、1968年の当時にはプラハの春からソ連軍の侵攻まで、西側には筒抜けになっていた。

 つまり1968年という年は、フランスではパリ五月革命があり、それはその後ヨーロッパ全体に拡がり、アメリカではマルチン・ルーサー・キング師が殺されその後「貧者の行進」という黒人解放運動の歴史上大発展に繋がり、日本では10.21国際反戦デーで初の騒乱罪適用となったり成田闘争は盛り上がり東大闘争も重要な局面を迎え、中国でも「造反有理」という文化大革命の真っ最中であり、つまりそれは1989年のベルリンの壁崩壊に向かって世界が一直線に動き始めた年でもあるのだ。

 そんな年の記録の一つとしてこのプラハの記録を見ると、自分の1968年が見えてくる。私にとっての1968年とは高校生運動の1968年ということだろう。そんな立場からプラハの姿を見ると、我が国だって宗主国の戦車が駐留している状況はチェコと変わりはなかったわけで、日本の民主化運動についてもいつアメリカ軍の戦車が出動したっておかしくはなかった状況ではあった。まあ、ソビエトよりは大人の対応をしてくれたアメリカのおかげで、東京はプラハにならなくて済んだ。というよりは、当時のアメリカ軍はベトナム戦争にかかりきりで、そんな属国の民主化運動なんてものには係わる余裕もなかったのだろうが。

 なんてね。そうしてみなさん一人ひとりの1968年を思い浮かべながら、クーデルカの1968年を見るのも悪くはないだろう。

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EPSON RD1s Elmarit 28mm (c)tsunoken

 同じ美術館の3階では、数多くの写真家が捉えた1930年代から現在に至る子どもたちと戦争のかかわりについての収蔵展『こどもの情景 戦争とこどもたち』も開催中です。

2011年5月21日 (土)

『原発労働記』は原発だけじゃなくて、日本経済の根本問題なのだ

 もはや今更という感じがないでもないが、しかし、重要なことなので一度読み返してみるのも悪くはないだろう。そこにあるのは、単に原発の問題だけではなく、日本の経済構造「元請けからその下請け、孫請け、ひ孫請け」という順番に仕事が降りてきて、その降りてきた順番に劣悪な作業環境になってきて、なおかつ収入は確実に少なくなっていき、そしてその最底辺の日雇い労働が、結局は一番底辺で日本経済を支えてきているという実情だ。

『原発労働記』(堀江邦夫著/講談社文庫/2011年5月13日刊)

 堀江氏は美浜原発(関西電力)、福島第一原発(東京電力)、敦賀原発(日本原電→中部電力、北陸電力、関西電力に配電)という3か所、3電力会社の原発で仕事をしてきたわけだけれども、おかしいのはその3か所ですべて「被曝量」の測定方法やら、判断基準やら、「被曝労働」につての会社の考え方が違うということなのだ。つまり、そこには国としての厳格な基準があるわけではなく、単に各発電会社が自社基準で持っている方法を国が追認するだけなのだろう。

 ということで考えてみれば、今回の福島第一原発事件の際の東京電力と国(原子力委員会・保安院、政府)の発言も良くわかる。つまり、福島第一原発の事件に際してとにかく国は東京電力の発表を後付けするだけで、国としての独自の判断は全く出てこなかった。東電が「まだ大丈夫だ」と言えば国も「まだ大丈夫だ」といい、東電が「メルトダウンしていない」と言えば国も「メルトダウンしていない」といい、東電が「実は2か月前にメルトダウンしていた」と言えば国も「実は2か月前にメルトダウンしていた」という。「こだまでしょうか」というACのコマーシャルのまんまじゃないか。

 しかして、電力会社が「原発は安全です」と言えば国も「原発は安全です」と言い続ける構造が出来上がってくるのだな。国として独自の安全基準を待たず(持てず?)、単に産業界の言いなりになって安全基準を追認するだけの国なんて、まさに国としての体をなしていないとしか言いようがないだろう。「原発の危険性」というものを世界で一番気にしていなければならない国の行政がこんなもんである。こんな世界最低の国に何故我々は住んでいなければならないのか。たしかに生まれた町に対する愛着はあるし、故郷を思う気持ちは十分にある、しかし、そこを本来守らなければいけない「行政=官僚」は、そんなことは全く考えていないのだ。彼らにとって一番大事なのは、自分の体面だけであろう。つまり、「この国を動かしているのは我々だ」という思い上がりだけなのだ。ところがそんな思い上がりも、いまや国がなくなってしまう危機にある時に何の役に立つのだろう。もう、こんな危険な国からはみんな出て行きたがっている。問題はいろいろの仕事やら、人間関係やら、経済状況の中で出ていけない人たちがいるだけなのだ。そこで勿論、そんな原発で仕事をしなければいけない「臨時労働者」たちは、そんな国から出ていける経済状態でもないし、そとに出て行ってもそこでどうやって仕事を探せばいいのかもわからないから、いやいや原発の被曝労働を受けざるをいねいのだ、という堂々巡り。その堂々巡りの中に、われわれすべての日本在住者がいるという問題。

 堀江氏が書く通り『原発を設計する際、単に稼働中のことだけを考慮し、定検(定期検査:引用者注)などは二の次、三の次、労働者を使えばなんとかなるだろう――と設計者が考えていたとしか、私には思えない。定検を義務づけているのは法律、つまり国だ。その国がこんなズサンな設計の原発を許可していること自体、なんとも理解に苦しむ』という言い方、更に『制御棒を上下させるための装置「CRD(制御棒駆動機構=長さ4.4メートル・直径10センチ・重量200キロ)」は、定検時になると引き抜かれ、分解・除染が行われている。従来、その引き抜き作業は労働者の手によって実施されていたのだが、敦賀原発では、私が同原発で働く前年の78年5月、「CRD遠隔交換装置」を設置することで作業の自動・遠隔化をはじめた。「被ばく低減」がその目的であった。

 が、その効果のほどについては、いささか疑問がのこる。それというのも敦賀原発では、定検がはじまるたびにそれ専用の電源を引き入れているのと同様にして、この交換装置にしてもやはり定検ごとに設置・解体を繰り返している――実際、私のペデスタルでの作業もその設置のためのものであった――のであって、その際に労働者たちは否応なく大量被ばくをしているからである』という、つまり敦賀原発では、もともと定検用には電源が用意されてはおらず、ということは「CRD遠隔交換装置」があっても定期検査の際には、そのたびごとに「CRD遠隔交換装置」を動かすための電源を装設しなければならないということ、つまりそのためには原子炉下部に入り込大量に被曝しながら作業をしなければならないということなのである。つまり、CRDを労働者の手によって引き抜き分解・除染を行っていた時と同じような被曝作業だということなのである。

 つまり、それは所詮日雇いは日雇いにすぎず、どこで野垂れ死にしようが関係ないという、「会社の事情」なのであろう。ということになってしまうと、結局そうした原子炉の近いところで大量に被曝しながら作業を続ける人たちは、地元の青年とかじゃなくて、まさしく堀江氏のような「原発ジプシー」になってしまうのだろうということ。

 地元の青年は確かに原発で働くことによる現金収入も魅力かもしれないが、それ以上に被曝が怖い。そんなに被曝した青年とは結婚したくないと思う女性は多いだろう。そんな被曝した男の精子は受けたくないはずだし、多少見てくれがいいとしても、結局自分たちの新婚生活に放射線はいらないはずだ。

 ということで、結局原発労働をするのは「原発ジプシー」たる「放浪する若い者(でも30代くらい?)」と地元の農漁民でもう子ども作りは終わった50代・60代の男ばっかりになるのだ。で、そんな人たちの労働力に頼っている原発であっては、まあ、まともには動かないだろう。で、中心労働はせいぜい下請け・孫請け位の会社の従業員が動くのである。でも、その人たちは放射線の怖さを良くわかっているから、あまり中心部分にはいかない。

 これは単なる原発労働者の問題ではなく、日本の経済構造に基づく問題であり、しかし、これがそう簡単には解決しない問題でもあるのだ。

 巻末で松岡信夫氏が書くように『私たちの世代がせいぜい何十年かにわたって電力を消費し、近代的な生活をたのしむために、その汚い危険な廃物をそれほど長い間(何万年、何十万年と言われている:引用者注)、後世の子孫たちに残すことが、はたして道徳的に許されるだろうか』という言葉は重いのだが、考えてみればそれは原発問題だけじゃなくて、例えば年金問題だってそうじゃないかよ。

 要は、われわれ世代が後世に残しておくものとして、ひとつは「年金問題」という負の遺産があったわけなのだけれども、そこにもうひとつ「原発問題」が加わったということである。でも、こちらは我が子ども世代どころかその何十世代もあとに禍根を残すわけで、いやはや申し訳ないなんて言って許される問題ではないだろう。

 まあ、少なくともバブルからここ数年の「贅沢ジャブジャブ使いたい放題」を経験した世代はみな懺悔ですな。

 でも、懺悔したからって何も始まらないのだけれども・・・。

 

 

 

2011年5月19日 (木)

天才アラーキー 写真ノ愛・情

 もともと写真を質よりは量で語ってきた荒木経惟である。その量で写真を語ってきたアラーキーの最新の本は、『天才アラーキー 写真ノ方法』『天才アラーキー 写真ノ時間』でコラボレーションしてきた和多田進氏が勝手に選んできた荒木氏の写真についてアラーキーが勝手なおしゃべりをするという、素敵なスタイルの写真集(?)なのだ。

『天才アラーキー 写真ノ愛・情』(荒木経惟著/聞き書き:和多田進/集英社新書ヴィジュアル版/2011年5月22日刊)

 ところで、話は全く異なるのだが、一昨日5月16日のブログが499アクセスという、それまでの300~350という数から突然増えて、えっこのままいったら500超えちゃうじゃない、という状況に至ったのだが、何故だろう。その日のタイトルは「『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』はいちいち腑に落ちる話ばっかりだ」というもの。3.11以降で出始めて、今月当たりは各社入り乱れて新書のタイトルになっている「原発モノ」「地震モノ」のひとつなのだけれども、その中でやはり以前から「反原発」という旗印をしっかりもっていた広瀬隆氏の書き下ろしというところが良かったのかな。まあ、広瀬氏の書き方も多少はエキセントリックな部分もあるのだが、その結論はいちいち腑に落ちることばっかりということで、上記のブログを書いたのだが、さすがに今一番のテーマということなんでしょうか。

 5月17日以降のブログはしっかり元どうりのアクセスに戻りました。まあ、皆さん注目しているのは「FUKUSHIMA」なのね。多分、それで検索エンジンなんかで引っ掛かったのかもしれない。

 で、今日はそんな事とは何の関連もなく「アラーキー」なのだ。と、思ってみなさい。実はアラーキーも昨年こんな本を出しているのだ。題して『東京ホーシャセン』。まあ、こちらは原発とは関係なく、要は自分の前立腺癌とのかかわりの中で、普通に写真を撮っただけなのだが・・・。

 これも、一年後に出したらすごい話題にはなっただろうな。まあ、顰蹙を買うのか、勇気(蛮勇?)を評価するのか、どちらになるのかはわからないが・・・。

 で、この本なのだが、取り敢えず掲載されている写真は全てどこかで見たことがある写真ばっかりなのだが、そりゃそうだ。

 つまり、CONTENTSとして言ってしまえば;

第1章 私写真論

第2章 陽子、わが愛

第3章 身近なひとの死が教えてくれた

第4章 バルコニー

第5章 オンナはすべて素晴らしい!

第6章 街は気配とバランス

第7章 チロちゃんのこと

第8章 花はミモザ

 ということなのだけれども、要は第2章、第3章で言いたいことの殆どはいいつくしているのではないのだろうか。要は、アラーキーにとってみれば、最大のモデルであり、最愛のモデルであり、そして最も美しいモデルでもある荒木陽子さんの存在が一番大きいのである。第4章から第8章は付けたしでしかない。第7章の「チロちゃんのこと」にしたって、それは陽子さんがいないことに対する代償行為でしょ。言ってみれば、陽子さんがいない分、その愛情を猫のチロに注いだってことでしょう。まあ、荒木の写真を見ていると、この人「私写真」しかとらない人だから、みれば荒木の心理まで見えてしまうところもあるのだけれども、陽子さんが亡くなってからの荒木のチロという猫に対する愛情の持ち方は、完全に人間の女性に対する愛情の持ち方と変わらない。つまり、チロは荒木にとっての「愛人」なのである。

 でも、この本で一番いい写真は250-251ページに載っている「空をバックにして、左上にどこか戦後の写真風な感じがあって、実はど真ん中に載っている写真が荒木経惟の赤ちゃんのころの写真」というコーラージュ写真だろう、これが全く今のアラーキーと変わらない荒木経惟赤ちゃんなのだ。

 まあ、爺さんになっても子どもの時と見た目がかわらないのは当たり前であるけれども、いやあ、これほど変わらないのも面白い。

 この写真を見るだけでも、この本を買う意味はあるというものだ。

 あはは、面白いな。

2011年5月18日 (水)

『闘牛』というより「牛の角突き」について語りたくなってしまうのだ

『闘牛』(小林照幸著/毎日新聞/2011年3月20日刊)というまさしくそのまんまのタイトルがついた本である。

 まさにそのタイトルが全てを表している、つまり徳之島における闘牛の歴史を「実熊牛」というひとり(?)の牛に託して、その「[闘牛」としての一生を描いた本なのだ。

 徳之島では、当然なのであるが「勝ち」と「負け」をしっかり決める勝負を闘牛で決める。気になるのはその時に「勝ち」「負け」が決まった牛は、その後、戦うことが、というか戦えることができるかどうかということが気にかかるのだ。動物というものは、基本的には一回自分が負けた相手には絶対喧嘩をしかけないものだ。リベンジできるのは人間だけ。ところがこの本では「実熊牛」はちゃんとリベンジしているのだ。そうか、ちゃんと分かっている牛にしてみれば、負けた理由が自分なりに分かっていれば、ちゃんと次回は復讐できることはわかっているのかな。そうういう意味でも「実熊牛」はすごかったんだな、頭も良かったんだなということだけはよくわかる。

 新潟、長岡山古志の「牛の角突き」ではそういった観点からなのか、あるいは別の観点からなのか、牛同士の最終的な勝負には至らないように、その一瞬前で勝負は終わってしまう。要は、山古志や小千谷の闘牛は、「神事」だという理由で牛が血を流したり、牛同士がどちらが勝ちか負けかということもなしで、終わる。まあ、見ていると大体どっちが勝ったのかはわかるし、血も流れますがね。

 というところから見れば、勝ち負けにこだわる徳之島の闘牛に比べてれば迫力はないのかもしれない。でも牛の迫力といったものはそんなにかわらないとおもうのだがなあ。

 ともあれ、実熊氏が自らの牛「坊」に対して注いだ愛情やら、勢子の福富久氏とともにすごした時間は測りきれないであろう。

 ともかく、徳之島に「実熊牛がいた」ということがわかるだけでもいいのだ。いやはや、すごい「横綱であったことだけは間違いはない。

 こうなると、一回は徳之島に行かなければならないなあ。やはり、徳之島の「闘牛」を見なければ山古志に「牛の角突き」も語れないなあ。

 徳之島に行かなければ・・・。

Tougiyu11 実熊牛のモニュメント。実熊家の庭にあるそうだ。なんか、優しい雰囲気の牛である。

 という気分にさせる本ではあったのです。

2011年5月17日 (火)

「牛の角突き」の予告

 実は、今日は本を読む暇が全然なくてまだ読み終わっていないのが『闘牛』という作品なのだ。つまり、それは徳之島の闘牛のノンフィクション・ノベルでありまして、結構これが面白い。とは言うものの、まだ読んでいないので、前に見に行った山古志の「牛の角突き」の写真でちょっと誤魔化し・・・という訳ではなくて、来週の日曜日には山古志の角突きに行く予定なので、その予告なのであります(なんて苦しい言い訳をしています)。

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 ガツンという立ち合いで頭をぶつける牛たち。痛くないのかね、とも思うがいやいやこれが平気なのですね。

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 山古志の牛の角突きは勝負を決めない。とにかくすべての取り組みが「引き分け」なのである。それについてはいろいろ理由があるのだろうけれども、それについては明日か5月22日以降に書きます。実は本当のところはよくわかっていないのです、諸説あるので。

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 で、牛の角突きでも、徳之島の闘牛でも大事なのは、この牛の周りにいる「勢子」だという。勿論、基本的には牛本人(?)の闘争本能というものなのだろうが、それをうまく炊きつけたり、抑えたりするのが勢子の仕事であるという。

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 で、どうも見ていて「こりゃ勝負あったな」というところで角突きは終わるのであるが、徳之島の闘牛はそこでは終わらないらしい。でも、そんなことしちゃったら、今後一切負けた牛は「再戦」なんてしないはずだ。これは動物としての本能であるはず。つまり、一度負けた相手とは絶対に再戦はしないはずなのだけれどもなあ。それが、徳之島では大丈夫、一度負けた相手でも再戦するようなのだ。う~む、これは今週末に行った時に聞いてみよう。

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 で、その強い牛たちも実は優しい動物なのだ。まあ、元々は草食動物だしね。こんな女の子に角を触られても平気だし、この子はおっかなびっくり角を触っているけれども、こんなに怖がらなくても、地元の子どもたちは平気で牛たちと遊んでいる。

 とまあ、予告編をつらつら書き述べましたけれども、取り敢えずは明日あたりに下記の『闘牛』について書き、来週早々には「山古志の牛の角突き」について書きます。

 というところで、今日は予告編でおしまい。

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2011年5月16日 (月)

『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』はいちいち腑に落ちる話ばっかりだ

 原発がそんなに安全だというならば、いっそ一番消費をする東京に原発を持ってきてしまえば送電コストもかからないし、最も良い方法なのじゃないのか、という主張の『東京に原発を』を書いた、反原発ライターの第一人者、広瀬隆氏の3.11以降、初めての書き下ろし本が出た。まあ、いよいよ本命登場という感じだな。

『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』(広瀬隆著/朝日新書/2011年5月30日刊)

 まず、当初発表されたマグニチュードが後に変更された件について、『当初のマグニチュード8.4のままだと、今回の地震が「想定内」の天災ということになり、原発を運転してきた東京電力のみならず、原発を推進してきた政府や「専門家」らも責任を追及されることになるからです』と切って捨て、『事実、沸騰水型原子炉で制御棒が落下し、事故を起こしたケースが日本で過去に何度もあったのに、2007年3月まで隠されてきました。~あまりに危険な事故だったため、電力会社と原子力産業がひたすら国民に対して隠してきたのです。彼らは、それだけでおそるべき犯罪者の集団であることが分かります。福島メルトダウン事故後に、謝る人間が出ていますが、謝ってすむことではありません』と続け、『もう一つ重要なことは、こ何年も続いてきた日本政府の愚かをきわめる無策です。日本は知らないようですが、電力の供給ができるのは、電力会社だけではないのです。保安院の西山英彦審議官は、「原発なしでは日本はやってゆけない。原子力の代わりは停電だ」と国民を恫喝する発言をしましたが、このように電力の実態を知らない人間が日本の行政を動かしていくから、日本人全体が無知になるのです。この審議官の無能さには、あきれて言葉を失います』と、決めつける。

『私はここ二年間、「桜島の大噴火のその九年後に関東大震災が起こっているのですよ。大地震がちかいですよ」と講演会で言い続けましたが、誰も、南の異変を、遠い北の異変につながえては考えてはくれませんでした』と警告を発し、特に今回政府が停止を「お願い」した中部電力浜岡原発については、『浜岡増殖炉は運転技術がむずかしく、核爆走を起こしやすく、ナトリウム火災をおこしやすく、加えて地上最強の猛毒物であるプルトニウムを大量に内蔵する原子炉であるため、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアなど、核技術の先進国が軒並み断念し、撤退してきた原子炉です』と付け加える。

 結局、結論としては;

『福島第一原発という原発震災による放射能汚染は、あまりにも大きくなりました。私たちは、どうすべきか。第一部の最後に、現在の私の考えを示しておきます。これは、まことに中って考えですから、自分で判断なさってくださるようお願いします。

①三十歳以下の人、とくに若い世代、幼児、妊婦や若い女性は、約二百五十キロメートルを最低限の退避圏として、できるだけ福島第一原発から遠いところへ恒久的な移住を考えて逃げる。避難地は西日本のほうが、年間の風向きから考えて長期的な安全性は高いであろう。

②退避する人々の受け入れ態勢を政府がしっかり考える。国民規模の協力が欠かせない。東京電力はそれに専心する責務がある。

③食品汚染の測定は長期にわたって続け、そのデータを一切隠すことなく公表し、その危険性を国民すべてに告知する。

④三十歳を超えた個人は危険性を自ら判断し、人生を選択できるようにしたうえで、農家と漁業者を守るためにすべての出荷制限を取り払い、みながすべての放射能汚染食品をたべるほかない。汚染水も飲む。政府は「ただちに健康に影響はない」と言い続ける。何年か後に、癌になりたい人はなればよい――。』

 とする。これって、結局は原発に関する人間の完全敗北宣言のようなものなのだけれども、それも仕方のないことだろう。

 今回の福島第一原発事件に関しては『ピーク時の電気代を高くするように時間別の電力料金制度を設定すれば、企業はコストに目ざといので電力節約に走り、電力の消費量され簡単に下げることができるのです。また、すぐれた発電法はほかにいくらでもあります。発電所や発電装置はできるだけ分散し、安全で小型なものに向かうべきであって、そのために必要なのは、電力会社が独占してきた電力の完全自由化を、送電線の分離であると、日本全土が声をあげるべき時期です』という、言わば当たり前の結論なのだが、それも結局は、根本の問題である。つまり;

『一体、わたしたちの世代がいなくなったあと、それを誰が管理するのでしょう。私たちの世代が、何も責任のない将来の世代に対してどのような罪を犯しているか、考えたことがあるでしょうか?』

 ということ。つまり何世代も後、どころか数万年後に生きる私たちの子孫たちに対してどうやって責任をとるというのだろう。その為に、核のゴミを捨てる場所探しの為に、宇宙開発をしているという話もあるが、そんなことをしたら核廃棄物を宇宙全体に拡散させることになるだろうし、結局、「原子力は格安のエネルギー源」という話は全くのウソということになるのだ。

『テレビと新聞・雑誌で放射能の安全論を語っている人間は、みな、原子力産業の手先なのです。私は彼らの履歴をすべて調べたので、それを知っています。このことについては、ちかく集英社新書で報告します』という広瀬氏の言葉に期待して、集英社新書の発売を待とう、ということになるのだが、結局そこでは「ああ、いつもの人たち」が並んでいるのだろうな。なぜなら、取り敢えず今テレビなどのマスコミに顔を出している人は全て原発推進派じゃないにしても、表立って反原発を語っている人は誰もいないのだ。

 まるで、官房機密費を受け取ったマスコミ人リストみたいなもので、なんだ結局は田原総一朗氏以外のマスコミ人みんなじゃないか、みたいなことになるのだろう。

 残念ながら・・・。

 

2011年5月15日 (日)

『四谷(駅)界隈』紹介

 四谷界隈といっても、新宿区四谷のことではない。むしろ四谷駅、つまりそこがあるのは千代田区六番町と五番町界隈の話なのだ。

 何で「番町」かと言えば、江戸城から数えて一番近い場所にある「一番町」から数えて「二番~三番~」といって数えたから「番町」なのであり、それが六番まであったからということ。特に、この「番町」は特に徳川家に縁のあった大名が屋敷を構えていたようだ。当然、明治の時代になって廃藩置県となり大名も領地と同様に藩屋敷も手放さなければならなくなり、多少でも余裕のあった領主は大使館やら学校法人に自分の「領地=藩屋敷」を売ったわけだ。一番町にイギリス大使館があることはよくご存知だとは思いますが。ということで、尾張徳川家の屋敷跡が現在の上智大学になったりしているわけです。

 ただし、例えば加賀の前田家の屋敷が今の東大であるような、広大な家屋敷はそこそこない。ただし、よく見ると前田家は「かねやすまでが江戸のうち」といわれた本郷三丁目の外側、まさに「江戸の」外にあるのだ。まあ、その辺が譜代と外様の関係かなとも思わせる位置関係なのだ。

2011_05_14_025_2 上智大学である。というか正面はイグナチオ教会です。フランシスコ・ザビエル教会の。

 しかし、ここに併設されている(上智が併設されている? のかなあ)イグナチオ協会は、毎週日曜日には英語でミサが行われている。そのためにその日は、イグナチオ協会の前は完璧に「フィリピン・タウン」になってしまうし、それはそれで面白いのだ。フィリピン料理の屋台が出たり、フィリピンの新聞が売られたり。ちなみに、イグナチオ協会は、もともと日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル協会なのだ。こちらにも由緒があるのだ。

2011_05_14_024_2 雙葉学園の御堂と修道女の宿舎。こっちは幼きイエス教会(旧サンモール修道会)です。でも、イグナチオ教会と同じカトリック系。

 イグナチオ協会の真ん前にある。何故、キリスト教の施設が江戸幕府のおひざ元に? とも思うのだが、まあ、それだけ余裕のある藩主が余裕のある買い手に売った結果が、キリスト教なのだろう。ザビエル協会とは違うがこちらもカトリックの学校。ということで、協会は違うがイグナチオ協会とは兄弟(兄妹?)関係にある。

2011_05_14_013_2 で、ついでに東京中華学校。

 そう、キリスト教だけでなく、こうした海外学校にも場所を渡している。どうもこの辺は「中島氏」とか「杉原氏」という人の屋敷があってところであり、彼らがどういう人なのかは調べる必要があるが、多分、外堀内にあるのだから、徳川譜代の大名(旗本? ではないと思うが)一人だろう。

2011_05_14_016_2 狛犬が門前に控えているのが、いかにも「中華学校」らしいですな。ジュディ・オング、陳健一、インリンなんてのがOBにはいます。宗教的には全くないようですが、まあ大きくいってしまえば儒教か?

2011_05_14_005_2 日本テレビもいまや駐車場です。もはや、あまり東京のメディア集積地的なイメージはない。こっちは宗教なんて関係ないようだが、でも正力教なんてありそうだな。

 という四谷界隈。本当の四谷界隈、四谷しんみち通りがある場所から四谷大木戸がある場所(今の新宿御苑あたり)までについては、また改めてご紹介したいと思います。

EPSON RD1s Elmarit 28mm (c)tsunoken

2011年5月14日 (土)

『連続殺人鬼 カエル男』は見事なミステリーだ、ただし実はサイコを装っているけどサイコじゃないのだ、これが

 最後に仕掛けられた二重三重のどんでん返しが、この作品が単なるサイコサスペンスに終わらない面白さを保証する。

『連続殺人鬼 カエル男』(中山七里著/宝島社文庫/2011年2月18日刊)

 最初は口からフックを掛けれれて吊るされた全裸女性、荒尾礼子。二番目は廃車プレス機で車と一緒に潰されかかった、指宿仙吉。三番目は体をすべて解剖されてバラバラに公園の砂場に置かれた、保護司にしてピアノ教師の有働さゆりの息子の小学生、有働真人。四番目は河川敷で焼かれた弁護士、衛藤和義。「あいうえ」という頭文字順に殺されて、現場にのこされた幼稚な犯行声明のようなカエルをつかまえた書きこみ。こうしたそれぞれのアイテムが当然のように読者を犯人からどんどん遠ざけていく。

 しばしばでてくる「ナツオ」という名前の少年(だと読む者に思わせるような)のエピソード。そう、実は「ナツオ」は女の子の名前であり、その後、彼女は名前を変えて・・・。

 有働さゆりは14歳の時に幼女を監禁、絞殺したがカナー症候群という自閉症の一種に罹っていて不起訴となり、措置入院していた現在18歳の少年、当間勝雄の保護司をしている、35歳の女性であり、殺された有働真人の母親である。

 犯罪心理学の権威である城北大学の御前崎宗孝名誉教授は、三年前に起きた母子殺人事件で殺された母親の父であり、その犯人である17歳の少年は犯行時に統合失調症であると鑑定されて刑法39条を適用されて無罪という結果となってしまった。その時の弁護士が・・・。

 と話は、有働さゆりと当間勝雄を軸に御前崎教授がからんで進んでいくのであるが・・・。

 マスコミによって勝手に「カエル男」と名付けられた犯人はいったい誰なのだろう。警察は犯人に辿りつけるのであろうか・・・。

 そして最後に仕掛けられたどんでん返しに次ぐどんでん返しにはもうビックリの連続である。最後に仕掛けられた殺される人の名前はなんと・・・、「あいうえお」の順番通りであるとは。

 もう、見事としかいえませんな。

 しかし、ミステリーの書評って、ネタバレできないから書くの方もつらいものだなあ。

 やっぱりノンフィクションの方がいいや。

2011年5月13日 (金)

『JAZZ喫茶マスターの絶対定盤200』は最低のジャズ本だ

 そうなんだよな、要はジャズ喫茶なんてものは、オーナーの物好きだけでやって行くものでしかないのだろうな。

『1枚のレコード演奏が終わり、次のレコードがかかる直前にスピーカーから聴かれる、チリチリとしたノイズ。

 いま思えば、あれはジャズ喫茶でジャズを聴く、最も刺激的な瞬間だったかもしれない・じっと目をつむったままの人、つま先でリズムを刻む人、身体ごとスイングさせる人――ジャズを聴く姿はさまざまだが、レコード演奏の間にふと時間が止まったような静寂が訪れる。次はいったいどんな音世界に誘われるのだろうか。大音量のジャズ喫茶に訪れる沈黙の瞬間には、その場に居合わせた客たちの言葉にならない期待感がたちこめている。』

 という言葉で始まるこの本なのだけれども、完全にジャズ喫茶のオーナーの自己韜晦だよね。だいたい、いまやジャズ喫茶(というものがあるのかどうかもわからないが)だってかけているのはCDでしょ。なら「チリチリとしたノイズ」なんてのもある筈がない。まあ、でもこの気持ちは分からないではない。というか、私自身そうしたジャズ喫茶の世界に一時期身を置いていた頃があるだけに・・・。

 ジャズ喫茶という存在自体が日本特有のものだという。つまり、アメリカ(といったってニューヨークだけなんだけれども)ではこうした「レコーデッド・ジャズ」を聞かせる店なんかはなくて、基本的には生の演奏を聴かせる「ライブ・ハウス」があって、そこでは食事なんかもできるのだ。西海岸に行ってしまうとこうしたジャズのライブ・ハウス自体もなくてライブ・ハウスの主体はロックやポップ・ミュージックばっかり。つまり、アメリカにおいてもジャズなんてのは東海岸のごく一部における音楽運動にすぎなかったわけで、ただしそれが世界で一番影響を与える街、ニューヨークにおける音楽運動だったから、それだけ世界に与える影響の強さということにったんだろうな。その結果が、日本における「ジャズのレコードを聴かせる喫茶店」という形のジャズ喫茶になったというスタイル。でみんな「チリチリとしたノイズ」を一緒に聴くことに対するシンパシーが生まれたのだろうな。もうひとつ言ってしまうと、そんなジャズを聴くスタイルが、何故か反米・反帝・反スタになってしまうのだ。本来はアメリカ文化のひとつとしてジャズを受け容れていた筈なのに、それが反米・反帝になるというのは面白い。まあ、ジャズ・ミュージシャンに黒人が多かったのと、その黒人ミュージシャンが基本的にアフロ・アメリカンとしての自覚を持っていた人が多かったということに刺激されたんだろう。

 で、この本なんだけれども、そうした思想的バックボーンは何もない。それはいい。所詮、音楽なのだから。音楽に思想を持ち込むと結局は「社会主義的リアリズム」の世界に入り込んでしまい、芸術的にはなんらの進歩やら進展がなくなってしまう。が、だからといって、セシル・テイラーや山下洋輔、坂田明やガトー・バルビエリなんかに全く触れていないのは、それはジャズの名盤紹介ではちょっと不親切ではないのかい。

 勿論、こんな本は所詮ジャズ喫茶オーナーの「自分の好きなジャズ・レコードの紹介」にすぎないのだから、例えば「フリージャズの好きな方は買わないでね」とでもいうような帯がついていれば買わないのだ。「セシル・テイラーや山下洋輔、坂田明やガトー・バルビエリの名盤は載っていません」って書いてあれば、誰も買わないのだ。そう私も買わなかった。ということは、静山社新書の編集者がバカなのだろうな。というか、静山社新書の編集者ってジャズのことを全くわかっていないのね、ということでしかない。同じ著者による講談社+α文庫「ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤」ですらよんでないのかもしれない。

 あ、コリャ最低だね。こんな本を読んでジャズには目覚めないいでほしい。せいぜいロックでも聴いていなさい。ジャズを聴きたいのだったら、やっぱりせいぜい岩浪洋三さんの本をよんでからにしたら? というか、これは編集者に言っておきたい文章。お前ら多少は勉強せいよ。

 

2011年5月12日 (木)

『モノ言う中国人』ったって、それは「漢民族」だけの問題でしょう。そこがもっと大きな問題なんだよな

 まあ、ようやく中国にも「言論の自由」というものの萌芽が生まれ始めたというところなんだけれども、でも「言論の自由」というものが本当に「自由国家」(つまり資本主義国家)でもあるのかというと、実はそうでもないというところから考えてみると、所詮「言論の自由」なんてものは「相対的な自由」でしかないことに気付かされるのだ。

『モノ言う中国人』(西本紫乃著/集英社新書/2011年2月22日刊)

 本書は基本的には現代中国におけるネットワーク市民の在り方を描いたものなのだけれども、そこに表れているものは「国家権力=共産党」と「ネットワーク市民」との間の「相対的な言論の自由についての話」なのだ。

 80後世代における自由、90後世代における自由という具合に、日々、年々、自由に関する定義というか考え方は変わってきているのだ。勿論、党中央に対する批判は許されないだろうが、それ以外の幹部(っても党中央から見れば下っ端)に対する批判は許されているし、その結果、処分された党幹部(っても党中央から見れば下っ端)はいっぱいいるわけだ。問題はこの「党中央からみれば下っ端」の党幹部という存在なのだが。要は、日本で言うところの下級官僚のことなのだろう。そんな連中が威張っているのが今の中国というところなのだろう。そんな連中を批判したところで党中央は困らない、下級官僚を批判したところで民主党(自民党でもいいけれど)は困らない。そんな連中を処分してしまえば一件落着である。

 問題はそんなところじゃないんだけれどもなあ。むしろ下が腐るということは、上が腐っているということの反映なのだということではないのか。胡錦濤やら温家宝の政権自身が腐っているからそんな政権に対する批判が出るんじゃないだろうか。

 というところで現代中国ネットワーク社会批判なのだけれども、『2010年6月末時点で中国のインターネット人口は4.2億人に達している』というのだけれども、それは確かに日本よりも、アメリカよりも多い。でも、中華人民共和国人口で言ってしまうと13億人とも17億人とも言われている。とすれば、全人口に対するネット人口は20%から30%程度なのだ。我が国の70%からすればパーセンテージで言えばまだまだ少ないのだ。要はそれだけ中国には一杯人がいるということであり、実はもう一つ言ってしまえば、漢民族以外の中国人が一杯いるということなのだ。

 たとえばチベット人だって昔からいたのだけれども、要は中国が漢民族が支配していた時期は三回あるのだがその時は全てチベットを抑圧していたという歴史があるんですね。

 で、モンゴル人だって同じこと。内モンゴルとして中国領に入れられてしまったモンゴルは、もはや勝手にモンゴル人の領土に(つまり中国から見れば外モンゴルという名の、モンゴル共和国領内)には入れない。

 さらにウィグル族たちがいる西辺の方なんてどうなんだろうか。ヘタをするとそこにはイスラムのネットワークが来ているかもね。という位、中国はメチャメチャ広いのだ。

 そんな中国の一部を見たからと言って、それで全てを語れるとは西本氏は思っていないだろうけれども、せめて自分が知っている中国というものは単なる「漢民族の中国」であると認識してほしい。確かに、今、漢民族が中国を支配しているというのは当たり前だけどもね。

 過去、漢民族以外の民族が中国を統治していた時代は、もう少し他民族にたいしても緩やかな統治をしていたのだが、漢民族が統治をしていた時期は完璧に他民族抑圧てのはどうなんでしょうね。こうした他民族支配の様相が、それこそネットワークにおいても実施されているのであろう。要は、ネットワークのインフラを作っているのは漢民族が住んでいる場所だけ、なんてね。

 そうなのだ、中国政府は基本的に漢民族だけのことを考えているんだろうな。

 スターリンが、ソ連崩壊後いち早くソ連邦を抜けたグルジア出身なんてことは関係ないのかな。

 で、面白いのは下の写真。「河蟹」という写真なのだが、取り敢えず中国のサイトにアクセスして、「河蟹」を入力すれば見られる映像なのだけれども。まあある種のユーモアとして、いろいろ中国のネットワーク事情が分かる事にもなる写真なのだ。 要は、三権を持ってる奴が一番えらいというだけのことでしなかいなのだけれども。

 そのくらいに中国のネット社会も余裕を持てるようになったのかな、ということで・・・。

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2011年5月11日 (水)

『グーグル 10の黄金律』は「電通鬼十訓」みたいなものか

『グーグル 10の黄金律 天才が集まる会社の仕事術』(桑原亜晃弥著/PHP新書/2011年5月6日刊)

「電通鬼十訓」ならぬ「グーグル10の黄金律」なのだ(ちょっと違う?)。

 つまり;

黄金律1 採用は全委員で――「ハーバードより難しい」採用に受かる法

黄金律2 あらゆる必要を満たせ――グーグルでは「衣食足りて」革命が起きる

黄金律3 一か所に詰め込め――秩序がありすぎると面白いことは起きにくい

黄金律4 調整が容易な環境を――「運に恵まれるネットワーク」のノウハウ

黄金律5 自社製品を使わせろ――いつもとは違う道筋をたどって答えを出す

黄金律6 創造性を奨励せよ――アイデアの質を決定する「二十%」の使い方

黄金律7 合意の形成に努めろ――成功者の「パターン」は隔離して考える

黄金律8 邪悪になるな――優先順位のトップから「収益」を外そう

黄金律9 データが判断を藻たらす――「いつも意見が一致する人たち」に要注意

黄金律10 効果的なコミュニケーションを――頭の「成長限界」をやすやす超える

ということ。

 つまり、これはまだまだ若い企業であるグーグルだから言えるルールなのである。「電通鬼十訓」だって、まだ電通が若くてベンチャー企業だったころは、それが充分機能していたのだろう。しかし、現在の電通マンに「鬼十訓」をいっても始まらないだろう。要は時代の発言というところなのだろう。企業というものは、最初はみんなベンチャーから始めて青年期、壮年期を越えて老年期に入り、消え去るものなのだ。松下幸之助氏が生きていた時代の松下電器(現パナソニック)、本田宗一郎氏が生きていた時代の本田技研、野間清治氏が生きていた時代の大日本雄弁会講談社なんて、まだまだその企業がベンチャー出会った時の名残があった時代なのだ。今後、50年位経ってエリック・シュミット、ラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンがいなくなった後のグーグルがどうなっているのかを考えると、多分、こんな「10の黄金律」なんてものは跡形もなくなっているか、額縁に飾られた「昔の言葉」になっているだろう。

 面白いのは「黄金6」である。つまり、就業時間の20%は自分の興味のあることに使っていいよ、という制度なのであるが、要はそれはアメリカ企業というものが就業時間の100%を自ら与えられた仕事に集中せよという企業文化に侵されているということの裏返しなのだろう。その100%理論から、アメリカ人は自分の仕事が終わったらすぐに家に帰ってしまうとか、仕事のアフターミーティング(日本で言う「飲みニケーション」)は一切ない、というようなアメリカのサラリーマンのビヘイヴュアがあるのだろう。それに対して、まあ20%位なら「何をやっているのか分からないことをやってもいいよ」というのが、このルールなのだ。多分、酒は出さないだろうが、社内のフードサービスなんかはこの「飲みニケーション」の一種なのだろう。

 実は、日本のサラリーマンの世界では、そんなことは当たり前でありまして、先にあげた電通でも「今、金を稼いでいるのは20%。最早箸にも棒にもかからないのが20%。残りの60%はもしかするとこれから稼ぐことになるかもしれないし、駄目かもしれない人間」という人事構成になっているのだそうだ(実際に電通人事部に聞いたわけではなく営業の人から聞いた話なので確かではないが)。

 出版社なんかは、みんな隣の社員が何をやっているのかは分からない。という以上に、隣に社員がいたんだっけ? という位に社員は会社にいないものなのだ。週刊誌なら1週間に1回、月刊誌なら月に1回行われる企画会議に出ていれば大丈夫。まあ、ここまでいい加減な会社も出版業界以外にはないだろうけれども、しかし、そういった社員が自由勝手に動いていいですよという会社が、結局はこれから生きていける会社なのではないだろうか。

 先の電通の60%社員だって、その中のかなりの部分は「何かないかな」といろいろ嗅ぎまわっているだろうし、出版社の編集者もそうである。デスクにしがみついているような奴はいらないのである。まあ、出版社とか広告会社なんてものは永遠のベンチャーなのかもしれない。明日、潰れたっておかしくはないしね。

 ということから考えてみると、グーグルの20%理論って何なのよ。たったそれだけしか社員の自由を与えないの? という気分にもなるのである。

 まあ、この「20%理論」が話題になるということだけでも、アメリカ社会の「息詰まり」状態はよくわかるし、そのあとを追っている日本の企業風土も、先行きは怪しいなという気分にもなってくる。そう、いまや日本にも「100%理論」がはびこってきて、とにかく上長からの指令に基づく仕事をキチンとやることが一番、改善計画なんてものがあれば、それはまず仕事をキチンとやってからのことだ、というある種の「官僚制度」が企業風土にも影響されてしまっているということなのだ。

 みんな、そんなバカな上司の言うことを聞くことはやめましょう。会社は20%程度の仕事をしていれば回って行くのだから、そのあとの時間は自分のために使いましょう。で、それが会社のためになるのであれば会社に企画しましょう。ということである。

 結構、みんな会社のことを考えているのであるから、こうして自由に仕事をやるようにすれば、いいアイデアとかが出てくるように思うのですがね。

 別に、グーグルだけにいい思いをさせる必要ないじゃないですか。

 なんてことを書いていたら、実は今日からグーグルがアンドロイド用にクラウドで音楽配信を始めるそうだ。それが、またまたレコード・レーベルからの許諾なしてやっちゃうってんだから、またまたグーグル・ブック・サーチやグーグルTVの時と同じことをやろうとしている。今回も、文句あるならオプトアウトしてね、なんてやるつもりなんだろうか。

 いやはや、まったく理系人間のやることは理解ができない。

2011年5月10日 (火)

日曜日たち

 基本的には5つの男女の別れ話である。しかし、もうひとつの主人公たちがいる。

『日曜日たち』(吉田修一著/講談社文庫/2006年3月15日刊)

『日曜日のエレベーター』では「パチンコ屋の駐車場でヘンな子供たちに会ってさ」という渡辺が会った子供たち。『もしもこの兄弟が現在家出中の身であるとすれば、どんな大人の言葉を信じ、どんな大人の言葉に警戒するか、渡辺にはそれがよく判るような気がした。子供が家を出る原因は一つしかない。考えてみれば、一緒にいるとき、圭子はほとんど自分の家族の話をしなかった。もしかすると、これまで付き合ってきた他の女たちと、そこが一番違っていたのかもしれない。自分の家族のことはもちろん、渡辺の家族についても何かを尋ねてくることがなかったのだ。』

『日曜日の被害者』では大阪から東京に帰る新幹線の中で間違えて主人公たちの席に座っていた『小学生らしき男の子が二人、ときどき夏生たちのほうへ目を向けながらも、一向に立ち上がる気配も見せずに座っていたのだ。男の子たちは兄弟らしかった。窓際に座った弟のほうが、お兄ちゃんの膝にのせられた巨峰をつまみ、呑気に口に頬張っている。口から皮を出そうとすると、お兄ちゃんがさっとビニール袋を差し出す。混雑したホームで缶ジュースも買えなかったせいか、夏生にはその巨峰がとてもおいしそうにみえた。甘い果肉がつまった一粒一粒が、瑞々しく目に飛び込んできた。』

『日曜日の新郎たち』では『兄弟で遊んでいる風にも見えず、ふたりとも背中に小さなリュックを背負っていた。』『さっき健吾が鮨屋の光景を思い出したとき、その兄弟の姿がそこになかったのは、彼らがカウンターではなく、後ろのテーブルに座っていたからだ。その上、正勝が注文してやった各自一人前の鮨と追加注文したカッパ巻きを、オレンジジュースで流し込むようにして食べ終えると、おそるおそるカウンターのほうへやってきて、「ごちそうさまでした」と、そのまま先に店をでてしまったのだ。』

『日曜日の運勢』では『誰だろうと思って玄関ドアを開けると、そこには男の子がふたり立っていた。兄弟らしく、似たようなリュックを背負っている。』彼らは田端が今住んでいるアパートの部屋に以前住んでいた彼らの母親を訪ねてきたのだった。彼らを不憫に思った田端が、今は荻窪に住んでいるという彼らの母親のアパートまで彼らを送ってきたのだが、そこで『一階の部屋の前に立っていると、なかから女の笑い声がした。幸せそうな声だった。顔を見合わせた兄弟が、「あ、お母さんだ」「うん」と頷き合うので、田端は、「よかったな」と、ふたりの頭を交互に撫でた。』として、そのまま帰ってしまう。結果は見ていない。

『日曜日たち』でその兄弟の結末が語られる。DVに悩む乃里子がNPO法人「自立支援センター」を訪れた日。そこの一時避難センターに泊まることになった乃里子は『そのテーブルで、先に五階に上がっていた所長とまだ小学校に入学したばかりのような男の子がカレーを食べていた。所長は笑顔で乃里子を迎えてくれたが、男の子のほうはちらっと顔を上げただけで、すぐにカレーに視線を戻した。~男の子は、椅子から降り、何も言わずに奥の部屋に入って行った。~ドアが開いたとき、中にいる別の男の子が一瞬見えた。テレビの前に座り込んで、ゲームをやっているようだった。』ということで、初めて兄弟と会った乃里子。その晩、そのNPO法人に泊まった乃里子は施設に送られることになると言われ、そこから脱走しようという兄弟に話し、自らのピアスを渡す。『これ、約束の印だから。絶対にふたりを離れ離れにしないって約束した証だから。これ、持ってれば大丈夫。もし、これでだめだったら、お姉ちゃんのところまで来て。私が絶対に助けてあげるから』といって。しかし、そうはいかず、ふたりは施設に入れられてしまう。

 兄が鳶職になったことを知ったのは乃里子が東京を離れて故郷の名古屋に帰って、乃里子が世話になったNPO法人の姉妹施設が名古屋に出来ることになってそこに勤めることになる最後の日。新大久保のホテルで、兄と別れて四国の学校に通うことになった弟と兄の再会の場だった。

 乃里子に対し兄は乃里子のことを覚えているとして、左の耳たぶに付けたピアスを見せる。

 五つの男女の別れ話のなかに通底する北九州出身の兄弟。この兄弟が五つの男女の別れを見ていたわけではない。しかし、なんかどこかでそれを見ていたような存在感がある。そして結末を見ると・・・なんか予定調和の世界になってくるのだ。

 五つの男女の別れについても、みんな若い男女の話である。ということは、その後の出会いがまたあって、再び別れがあって・・・という具合に、引き続き出会いと別れを繰り返す男女の姿があるわけだ。しかし、最後のエピソードになると、その別れの出会いと別れの連鎖が断ち切られるような思いが出てくる。

 予定調和というと、何故かそれは否定的なイメージにとらわれるけれども、実はエンターテインメントの世界では予定調和が実は大事なのである。こうした予定調和によって、一般大衆は安心する。ね、それも大事でしょう?

2011年5月 9日 (月)

GW終了

 ゴールデンウィークが終わった。

 今年のGWはまず4月29日に田端で潮田文写真展「風に吹かれて」を観て。

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 4月30日は新宿オペラシアター、アートギャラリーでホンマタカシ写真展「ニュー・ドキュメンタリー」。

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 で文化的なゴールデンウィークは前半で終わり、後半は学生スポーツ観戦のGWであった。

 で、5月1日はアメリカンフットボール。

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 5月3日、4日はラクロスの新人戦「あすなろカップ」が葛西臨海球技場で。

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 5月6日は神宮球場で東都大学野球。

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 で、最後は5月8日、アミノバイタルフィールド(味の素スタジアム併設)でアメリカンフットボール。

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NIKON D50 Nikkor 200-300, EPSON RD1s Elmarit 20mm, Summilux 50mm (c)tsunotomo, tsunoken

 その間、5月3日には大学時代の恩師の逝去という出来事があり、その処理をいろいろやりながらの結構忙しいゴールデンウィークではありました。

 しかし、学生スポーツの面白いところは1年ごとに戦力が変わるってところなんだろうな。去年まであんなに強かった早稲田野球が今年は勝ち点1で暫定4位と全然ダメだったりしているわけなんですよね。まあ、昨年まで斉藤祐樹頼みできたツケなんだろうけれども、本当に今年の早稲田大は弱い。立教大より下ですからね。後ろを見ると法政大と東大だけ。

 ということで、今年のゴールデンウィークは全て終了。今日からはまた仕事が始まるわけだけれども、昨日みたいな暑い日が続くと「節電」の方はどうなるのだろうか。取り敢えず「クールビズ」奨励は今月から始まっているみたいだけど、そんなものでは追いつかないはずの日本の夏である。昨日は26度位になったそうだが、それでも時間によっては結構暑かったし、日差しも強かった。

 ウーム、これからの季節をどう乗り切ったらいいのだろうか。まあ、仕事をやらないのが一番いいことはよくわかっているのですが・・・。

 そうしちゃおうか?

2011年5月 8日 (日)

これは『12人の優しい「書店人」』の闘いの証明なのだ

 しかし、こうして見ると「リアル書店」もまだまだ戦えるな、という気分になってくる。まだ大丈夫だ。

『12人の優しい「書店人」』(山本明文著/商業界/2011年4月1日刊)

 しかし、「電子書籍」と「紙の書籍」、「ネット書店」と「リアル書店」という言呼び方に違和感を持っていたのはいつ頃までだったのだろうか。最早そういう呼び方にも慣れてしまっている自分がいる。

 で、本書に登場する『12人の優しい「書店人」』とはどういう人たちなのか。

まず、『第1章 中小書店の戦い方』では千駄木往来堂書店・笈入建志氏と学芸大学恭文堂・田中淳一郎氏。『第2章 ベストセラーの「舞台裏」』では三省堂書店成城店・内田剛氏と立川オリオン書房ノルテ店・白川浩介氏。『第3章 「本屋大賞」の未来』では現在は文芸評論家だが元々は千葉ときわ書房・茶木則雄氏と現ときわ書房・宇田川拓也氏と三省堂書店京都駅店・中澤めぐみ氏と恵文社一乗寺店・大瀧彩子氏。『第4章 異能の人、終わらない夢』ではふるほん文庫やさん・谷口雅男氏と神保町東京堂・佐野衛氏。『第5章 「書店人」のキャリア』では元ブックストア談で現在は丸善ラゾーナ川崎店の沢田史郎氏。そして『特別インタビュー』の丸善(元)社長の小城武彦氏。

 ふるほん文庫やさんはちょっと異色の存在だが、それ以外のほぼ全員が口にする問題が、いわゆる「パターン配本」というやつ。「パターン配本」とは何か。という前に、「配本」じゃなくて「仕入れ」じゃないのかというのが、普通の商売をしている人たちの感覚であるから、そこから解説しなければいけない。

 本は「委託販売制度」というものがあり、つまり本屋さんに入っている本は本屋さんが独自に仕入れたもの、つまり本屋さんの持ち物ではなくて、とりあえず出版社の持ち物である書籍を本屋さんに預けて、売れた分だけ「仕入れ」て残った分は「返品」出来るという制度なのである。おまけに毎日毎日200点からの新刊が出てくるので、本屋さんがひとつひとつ吟味して、独自に仕入れることはできないという物理的な問題もある。で、取次(販売会社=本の問屋)が独自の判断で各書店の販売力を考慮して「見計らい」で本を送ってくる。その際に、前年のその本屋さんの販売額を参考にして、一定のパターンで本を送ってくるのが「パターン配本」。当然。「パターン配本」ではその本の性格(ある地域に強い作家がいるとか)や、実は客からの注文が既に入っている新刊がある、なんてことは考慮せずに一定のパターンで配本してしまう。そうすると、例えば大きいチェーンの書店なんかには山と積んであるベストセラーなんかが、零細書店なんかには一冊も送られてこないなんてことが多く見られる。

 出版社も小さいし、書店も小さなものしかない時代には、この「パターン配本」も取次がもつ大きな情報量を生かして有効に働いていたのだが、今のように出版社も独自の情報チェーンを持ち、また大資本の大きなチェーン書店がある時代には、一方で書店毎の配本数(ただし、大きい書店だけ)を出版社が指定する「指定配本」がある一方で、この「パターン配本」があるというのはちょっと不都合な訳である。ある種の制度疲労を起こしているともいえる。しかし、すべての出版社がすべての書店の「指定配本」が出来るわけでもなく、一方取次としては出来るだけ多くの書店に本を届けなければならないという取次本来の使命を果たすためには、この「パターン配本」を超える配本方法が未だない以上、この制度は生き残るのである。

 ということで、書店の方から何か動きを起こさなければ問題は解決しない、というところから第1章に書かれている「NET21」という書店協業の動きとか、第2章のようなPOPで勝負したりワゴンセールである種の本を大量販売したりという方法や、第3章のように書店発のベストセラーを作ろうというところから「本屋大賞」のようなものが出来たりするのであろう。

 ところで、本屋さんの売り上げで大きいものはなんとなくベストセラーの新刊にあるようなイメージがあるが、実はそうではなくて、雑誌を別にすれば、文庫本なんかの既刊本から面白そうなタイトルを探してワゴンで展開したり、POPをつけたりして業界用語でいうところの「仕掛け本販売」による、あるタイトルの大量販売によるものなのだ。

 まあ、今までが取次の「配本パターン」で送られてきた本だけを棚に並べて売ってきた、ということは、それは取次に言われるだけを売らされてきたという本屋さんの商売のやり方が、そんな方法だけじゃなくても、もし自分で「仕入れる」という考え方(ってこれは商売としては当たり前なんだけどね)をちゃんと取り入れられれば、まだまだ商売の方法はいくらでもあるということなのだ。特に書籍の売り方で基本は既刊だということがわかればこんな面白いことはない。

 私が、書籍を買う時も、いわゆる「リアル書店」で買う時は何か面白そうな本がないかなという、言ってみれば「衝動買い」で買うのが面白いのであって、それが普通の本の買い方。どうしてもこの本が読みたいけど本屋さんにない時に初めて「アマゾン」なんかの「ネット書店」で買うというパターンである。ではどちらが本当の本の買い方なのかと言えば、当然本屋さんで「何か面白い本はないかな」といって探すときの方である。大体アマゾンのリコメンド機能なんてものは、これまで買った本の範疇でしか「お薦め」をしないわけなのだから、それはこれまで買った本の範疇でしか選べないのである。それでは本の買い方としては面白くない。

 ということで、谷中の往来堂の「文脈棚」を紹介します。ここの「文脈棚」はアマゾンなんかのリコメンドでは範疇モレしてしまうけど、でも何か関係がありそうななさそうな、という曖昧な連鎖の本が並んでいます。

2011_05_05_017_2 往来堂書店(文京区千駄木2-47-11 TEL : 03-5685-0807/不忍通りの根津神社のそばの丁字路正面です)

 とにかく、ここの「文脈棚」は一見の価値あり。『「本はその両隣にある本とのつながりのなかでお客さまに届くものである」という考えのもと、「隣に(あるいは一緒に)何を置くか」という点に最大の注意を払って作った棚のことです。 本はただ一冊でそこにある時より、何らかの意味のある繋がり(=文脈)のあるまとまりとしてお客様の目の前に現れたときのほうが、なぜか魅力的に見えると往来堂は考えています。』というのが「文脈棚」の考え方。笈入氏はこの「文脈棚」を作るためにほぼ毎日神田村(神保町の裏通りにある中小取次店群)に通っている。つまり、積極的に仕入れに動かないとこうした戦略的な棚は出来ないということなのだ。

 まだ、こんな「本のコンシェルジェ」にような人がいる限りは、本屋さんも捨てたもんじゃない、という気にさせる。こんなことはアマゾンでは出来ないことなのだ。なぜ出来ないのか。ってアマゾンではリコメンドをコンピュータにさせているからなのだ。やはり、いまのところ人間の力の方がコンピュータよりは上ということですね。

 ちょっと安心。

2011年5月 7日 (土)

投手が良くても打てなきゃね、という典型試合を見に行った

 中央大学対東洋大学の第2戦を見に神宮球場へ。昨年春に六大学の東京大対立教大戦を見に行って以来だから約1年ぶりの神宮である。特に東都大学野球は初めてである。まあ、ウィークエンドに開催する六大学と比べてウィークデイに開催される東都は観客は少ないだろうと思ったら、結構入っていて、六大学の不人気戦である東大対立教戦位は入っている。ただし、入っているのはバックネット裏の席で、応援席の方はあまり入っておらず、特に学生の姿は登録以外の野球部員の他はほとんどいないという状態。客は両大学のOBらしきおじいちゃんがほとんどで、サラリーマンをリタイヤしてやることがないものだから、後輩の応援に来ました、という感じかな。まあ、学生にも人気のない東都大学野球なのであった。

2011_05_06_092_2_2 トルネード投法の島袋

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 試合の方は、沢村がジャイアンツに入団して戦力の低下が予想された中央大学だが、新規加入の島袋がなかなかの好投を見せて、東洋打線をしっかり押さえている。しかしながら、東洋大の藤岡が好調なのか中央打線は今一つ当たりが出ずに、4回飯田のタイムリー三塁打で1点をとったきり、主砲の4番井上もあと2~3メートル延びればホームランという当たりはでるのだが、不発のままである。そしてついに、6回森に本塁打を打たれて同点に。

2011_05_06_215_2_2 4番井上も不発

2011_05_06_225_2 鍵谷に変わった途端サヨナラ

 で、延長に入り10回、ピッチャーが鍵谷に変わった途端、先ほど本塁打を打った森が三塁打、そのあと1番小田にタイムリーを打たれてサヨナラという試合。

 まあ、ピッチャーがいくら良くても打者が打たなきゃ勝てないよ、という典型的な試合内容であった。中大10安打、東洋8安打というそこそこ打ててゃいるのだが、なんで得点にむすびつかないのかなあ。なんか貧打戦というのもストレスが溜まりますな。しかし、島袋はいいピッチャーのようだから、あと2~3年たって打者が育ってくれば、島袋も早稲田の斉藤祐樹みたいに「僕は持ってます」という具合になるのだろうが・・・はたして。

2011_05_06_051_2 女子応援団長

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NIKON D100 TAMRON 200-500 (c)tsunoken

 それにしても、いまや応援団も女子の時代なのだろうか。チアガールではない。学ランを着た応援団長だ。試合前や7回の攻撃の前に校歌を歌う場所では男子応援団長が立つのだが、それ以外の試合中の応援は殆ど女子の応援団長が「学生チューモーク」なんてやっている。〈応援団=男の世界〉というイメージでいたのだが、最早そんな時代ではないのだろう。しかし、可愛い応援団長というのもなかなか良いもんだ。

2011年5月 6日 (金)

根津神社のつつじ祭り

 谷中にある根津権現で行われている「つつじ祭り」が5月5日で終わるというので、最終日だが行ってきた。

2011_05_05_031_2 根津権現の山門

2011_05_05_026_2 つつじ山

2011_05_05_025_2 乙女稲荷神社へ上がる鳥居

 根津権現という言い方は明治政府の神仏分離政策により「神なのか仏なのかはっきりさせよ」という指示により「神です」というために神社という言い方になったわけだが、要は「権現」という言い方は神仏習合思想に基づく「仏教の仏が神の姿になって現れた」という、いかにも日本独特の思想によって形作られた「神様であり仏様」なのである。根津権現は五代将軍徳川綱吉が養嗣子六代将軍家宣のために作ったものだが、大元は日本武尊が創祀した古社である。そいえば徳川家康も東照大権現という神様になったわけだし、徳川家にとってはこの権現様というのが基本思想なのかな。

 昔の人はやはりこの根津権現という呼び方の方が根津神社というより親しみがあったようで、森鴎外や夏目漱石、宮本百合子の他多くの作家の作品に登場するのだが、そのほとんどすべてが「根津権現」という買い方をしている。

 で、つつじ祭りなのだが5月5日が最終日だというだけあって、つつじの花もかなり疲れた感じで色も大分かすんできてしまっていた。が、まあ取り敢えず最終日ではあっても行ってきた、ということになるのでいいだろう。6月には白山神社のあやめ祭りなんてのもあって、昔からある神社や寺の祭りには事欠かない文京区なのである。

 根津権現には乙女稲荷神社と駒込稲荷神社という二つの神社が境内にあって、この乙女稲荷神社と駒込稲荷神社に上がる坂道には沢山の鳥居がある。雑司ヶ谷の鬼子母神なんかにもあるこの沢山の鳥居の意味って何なのだろう。今度調べてみよう。

 池の亀も健在であるし、まあ、取り敢えず行って良かったかなというところである。

2011_05_05_035_2 権現様門前のいかにもな表具店

2011_05_05_050_2 谷中にあるお寺の付属幼稚園。バイキンマンの門番

EPSON RD1s Elmarit 28mm (c)tsunoken

2011年5月 5日 (木)

『戸塚ヨットスクールはいま』って言ったって、だからそれが何なのよ。いま、戸塚スクールがあることが何か問題なのですか? よくわからない

 う~ん、結局は何を言いたいのかよくわからないぞ、というのがこうしたテレビ・ドキュメンタリーを作っている連中の本なんだよな。何故か、それは基本的にテレビ・ドキュメントを作っている時と同じ姿勢だから。つまり、それは「不偏不党」ということ。それじゃあ本当のドキュメタリーは作れないんだよな、ということが本当には分かっていないテレビマンたちの姿がそこにある。ニュースじゃないんだからさ。

 これもY川さんの推薦図書なんだけどね。

 『戸塚ヨットスクールはいま 現代若者漂流』(東海テレビ取材班・斉藤淳一・阿武野勝彦共著/岩波書店/2011年2月4日刊)

 テレビ・ドキュメンタリーの限界はこの「不偏不党」というメディアに関する誤謬から生まれている。テレビ番組としてのドキュメンタリー番組は、基本的には不偏不党をうたっていながら、じつは当時の権力者の不正を問いただすというのが普通の姿だ。ということは、反権力ということでその当時のどこかの政党に加担することもあるということなのである。でも立場上は「不偏不党」を言う矛盾にたいしてどう応えるのであろうか.

 本書に関して言ってしまうと、戸塚校長が『学校がダメ、病院もダメ、彼女の母親は追いこまれていた。それならば、うちで受け入れるしかないでしょう』ということなのだけれども、でも、基本はあくまでも家族でしょう。不登校やら、ニートやら、家内暴行やらを直すのは本来は「自分の家族」である。それが何故家族の中で解決できなくなってしまったのかと言えば、単純に「家族の臍帯」が崩れてきたことだけでしょう。そこが問題なのである。つまり、家族の中で「問題児」を出さないということ、ということは家族の中には問題児はいないということ。どんなに暴れようが、どんなに自傷しようが、どんなに自殺をしようとしようが、それはあくまでも(親にとっての)自分の家族の問題なのだから、解決方法は自分の家の中にしかないということ。

 戸塚が言うように『学校がダメ、病院もダメ、彼女の母親は追い込まれていた。それならば、うちで受け入れるしかないいでしょう』なんてことを言わせちゃいけないのだ。

 要は、それは親としての子どもの育成に対する自己放棄にすぎないでしょう。ところが、そんなものを自己正当化して、戸塚ヨットスクールに自分に自分の子どもを入れたことで、とりあえず満足するのである。

 言ってみれば、それは自分の子どもにたいする指導の放棄である。子どもを指導するのはその両親の責任である。言ってみれば、その子が「いじめられっ子」になるのも、逆に「いじめっ子」になるのも、不登校児になるのも、ニートになるのも、基本的には親の責任なのだ。自分たちに自信が持てない男と女たちってのがまずあって、その後、そんな男と女たちがよせばいいのに親になってしまうのですね。勝手に子どもを作るわけだ。

 そんな、親としての自覚もない親連中が勝手に子どもを作ってですよ、その、親の責任を果たせない親が増えたのと同時に、そんな親からの「抗議電話」とか「抗議メール」が増えたんだろうな。というとんでもない連鎖。

 戸塚ヨットスクールのスパルタ(あるいはいじめ?)教育には、決して間違いはないとは思いつつも、やはりそこで行われている教育方法には疑問を呈さざるを得ない立場からしてみれば、本書はある意味で中途半端、ある意味で無理、という結論なのだ。

 というこいうとで、実はこの本はあまり面白くなかった。つまり、東海テレビドキュメンタリー班としての「結論」が出てないのだ。おまえら東海テレビドキュメンタリー班としては「戸塚ヨットスクール」の方針に対して「賛成」なのかよ「反対」なのかよ。「あとがき」にも両論の連中を揃えているわけで、本当に東海テレビの考え方は全く分からない。「ここに問題があります」といって結論を放棄するのはジャーナリズムの立場ではない。基本的に自分たちの「立脚点」を明らかにして、それについてのオピニオンを出してこそのジャーナリズムじゃないのか?

 だったら、お前らなんでこんな中途半端なものを本にするんだ。ちょっと、本をバカにしてはいないか。

 ということで、Y川さん。もう人に自分が面白かったからお前も読め、というのはやめようね。Y川さんにとって面白い本、いい本というのもあるかもしれないが、それは他人にとっては面白い本でも、いい本でもないということもあるのです。

  

2011年5月 4日 (水)

『たのしい写真』は本当にたのしく写真を撮るためだけの本だ

 つまり、「写真」は「真実」を「写す」ものではないということ。

『たのしい写真 よい子のための写真教室』(ホンマタカシ著/平凡社/2009年6月1日)

 一昨日「ニュー・ドキュメンタリー」という写真展を見に行ったのだが、そのホンマタカシ氏の写真の本について書こうか。

 まず、目次から;

1.講義篇 02 私家版 写真の歴史/03 年表Ⅰ カメラオブスキュラ~決定的瞬間/04 決定的瞬間/05 小型カメラ「ライカ」が変えた/06 年表Ⅱ 決定的瞬間~ニューカラー/07 ニューカラー/08 決定的瞬間派とニューカラー派、露出はどうやって決めるか?/09 カラーのトーンを決める/10 5つの世界観/11 生態心理学者の佐々木正人さんと話す/12 ポストモダン/13 時代は変えられた?/14 私的な小さな物語/15 現代美術と写真/16 4つの視点/17 振幅するエグルトン/18 スタイルチェンジ

2.ワークショップ篇 19 今日の写真を読むためのワークショップ その1.[写真を読む]/20  今日の写真を読むためのワークショップ その2.[写真を疑う]/今日の写真を読むためのワークショップ その3.[写真に委ねる]

3.放課後篇 22 ポストカードからはじめよう!/23 慌てて買わなきゃ! プラウベル・マキナ/24 ニューヨークが教えてくれたこと/25 オールオウスト・フランク/26 暗室ポートレイト/27 最初が肝心! は・じ・め・て・の写真/28 ライカ対ミノックス/29 ドキュメンタリー=現実?/30 被写体を分類してみたら、面白いこと、発見しました/31 謎の山岳写真家寅彦、現る!/32 ポラロイド=センチメンタル・ジャーニーby松本伊代/33 シュルマンおじいちゃんの建築写真教室

4.補習篇 34 堀江敏幸さんとの対話 すべての創作は虚構である?

 という、取り敢えずは「大学の一般教養の教科書」というイメージでホンマ氏は書いたそうな。しかし、基本的なことを言ってしまうと、上に書いた通りの「写真は真実を写すものではない」という結論ひとつになってしまうのだ。つまり、ホンマ氏が「ニュー・ドキュメンタリー」で指示した通り、写真を見てそこに写されているものの何が本当で何が嘘なのか、ということは写した本人ですら最早分からなくなってしまっていて、あとはひたすら風景や人物などの連鎖があるだけである。ところが、人はその写真のなかに何か真実があると考え、そこにある真実を探そうとする。しかし、写真に写されているのは事実のうわべ、表面的な事実のみなのである。それはアンリ・カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」であろうが、ウィリアム・エグルトンの「ニューカラー」であろうとも、写真が写し取っているのは「表面的な事実」のみであることには変わりはない。

 では人々が求めている写真の真実とは何なのだろう。もしかすると、それは写真を見る人が勝手に写真に付与する、見る人の情報なのではないだろうか。上記目次の中の「20 今日の写真を読むためのワークショップ その2 写真を疑う」で示されている長島有里枝氏の「家族写真」の嘘や、ホンマ氏の「My Daughter」の嘘、リチャード・プリンスの「Untitled (Cowboy)」という複写などは、まさしく写真を見る側の特権的な「思い入れ」だけでその写真の意味が成立してしまうというよい例である。

 ホンマ氏が本書の中で述べているとおり(堀江敏幸さんとの対話)『写真にとっての真実というのは、写真家がその場所にいたということしかないというのは本当にそうだと思います。まったく同じ場所で後日同じように撮っても決して同じようにはならない。その1回性が写真の真実=リアルだと思います』ということなのだろうな。つまり写真家がその日、その場所にいて、シャッターボタンを押した、という事実だけ・・・。でもそれが重要・・・。ということ。

 まあ、写真家がこの本を読んで何かが変わるということはまずないだろうし、写真愛好家がこの本を読んでも彼らの姿勢に変わることもないだろう。ただし、基本的な「写真が真実を写さない」ということだけが分かっていればよろしい。

 まあ、そういうことです。

 貴方も写真を撮るときに「これが真実だ」ではなく「これが表面的な事実にすぎない」という発想で写真を撮ればそれでいいのだ。

 

2011年5月 3日 (火)

岡田先生がご逝去されました

岡田会の皆さま

岡田先生が本日午前11時にご逝去されました。

ひと月ほど前に整形外科の関係で診断を受けたのですが、その際に癌が発見されて入院することになり先日まで闘病されていたのですが、本日それもかなわず逝去ということになりました。

通夜・葬儀など決まれば改めてご案内いたしますが、取り敢えずご報告まで

暗殺国家ロシア

〈暗殺国家〉ったって、昔のツァーリの時代からの〈暗殺国家〉なのかと思ったら、そうじゃなくて社会主義を捨てた今のロシアにおける〈暗殺国家〉ぶりなのであった。だって、ツァーリ時代からの暗殺の歴史って、そのままロシアの歴史なんだもんね。言ってみれば当たり前の歴史ということ、ツァーリ以後もレーニン時代からスターリン時代においてもロシアの暗殺の歴史ってのはしっかりあるわけだし、特にスターリンによるトロツキーの暗殺なんてのは一番有名なものとして、今の我々にもしっかり記憶に残されているのだけれども、そうじゃなくてそれ以降のロシアも結局は〈暗殺国家〉でしかないというのが、本書の主旨であろう。

 この本を「読め」といって薦めてくれたY川さん、ありがとう。

『暗殺国家ロシア』(福田ますみ/新潮社/2010年12月15日刊)

 しかし、本当のことを言ってしまえば、一番「暗殺国家」であった時代は、やはりレーニン、スターリン時代のロシアなんだろうな。やはり一番大きいのはトロツキーの暗殺なのだけれども、とにかくこれはメキシコまでいって殺しちゃったんだからすごい。他の国まで行って、それでも捕まったんだけども、トロツキーを受け容れていたメキシコが「トロツキー」があの「ロシア左翼反対派のトロツキー」であるという風には公式に認めていなかったので、結局単なる殺人事件としか扱えず、結局、普通の殺人事件という扱いになってしまった。ラモン・メルカデルという名前も報道されているし、20年間メキシコに(単なる殺人事件の加害者として)収監されていたけれども、その後釈放された後で「レーニン勲章」を受けたってことは、まさしくスターリン体制の中で公認された「暗殺」だったということでしょう。まあ、国家が殺人というか要は「犯罪」を認めているという、明確な証拠ですよね。

 こんなことは、しかしどこでもあることなのだ。確かにロシアでは「殺人」という明確な形で表れているのかもしれないが、それは却って分かりやすい形なのかもしれない。「表現の自由」というものがあくまでも「相対的」なものでしかない、ということは日本人ジャーナリストならみんな知っていることだろう。つまり、ロシアのような強権的な規制は日本ではないのかもしれないが、でも、日本でも表現の自由に対する規制はいくらでもある。たとえば、讀賣新聞における原発批判記事みたいなものだ。正力松太郎さんが原発を推進しようという立場になってしまったから、それは例えば讀賣新聞では当たり前のこと、傘下にある報知新聞やら日本テレビが反原発のオピニオンを出すことはできないだろう。つまり、日本では「ゆるやかな」形での報道規制とか表現の自由に対する規制が行われているのだ。

 表現の自由ったってそれは「表現の絶対的な自由」を意味してはいない。あくまでも「相対的な自由」でしかない以上、例えば日本であってもメディアは自由にものはいえないというのは当たり前の話。で、それがロシアの状況とどう違うのかと言われても、それはやはり「ロシアに於ける相対的な報道の自由」というものをどうやって獲得していくのかということなのだろう。

 そう、所詮「報道の自由」、「表現の自由」ったって、それは相対的な権力からの自由でしかない。

 ゴルバチョフがそんなに自由な報道にご執心だったとは初めて分かったけれでも、所詮プーチンKGB政権になってしまえば同じこと(つまり報道規制が強まること)だったのだろう。所詮、それはロシア政権の基本的な問題なんだろう。つまり「報道の自由がないことはロシアの歴史では当たり前」。それはつまりこの自由な報道がありそうな日本であっても「報道の自由」はないということなのだ。

 それは上に書いた通り。

 まあ、「報道の自由」がある国なんてもの自体が、マボロシではあるのだけれどもね。

 

 

2011年5月 2日 (月)

ホンマタカシ写真展『ニュー・ドキュメンタリー』を観る

 昨日のOGU MAGから比較すると何とも豪華な写真展がホンマタカシの『ニュー・ドキュメンタリー』である。なにしろ東京オペラシティのアートギャラリーで6月26日まで開催中である。っていうか、東京オペラシティにこんなアートギャラリーがあったなんて知らなかった。

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EPSON TD1s Summicron 35mm (c)tsunoken

 写真展の構成は「Tokyo and My Daughter」「Widows」「re-construction」「M」「Together: Wildlife Corridors in Los Angeles」「Traials」「Short Hope (ポートレイトとして)」という7部構成。

 まず「Tokyo and My Daughter」というホンマが自分の娘の成長を記したもの・・・と思ってたら、まてよこの写真(下の写真の下右)をどこかで見たことあるぞ、と思って家に帰って探してみれば、ホンマが以前書いた『たのしい写真』という本の106ページに掲載されている。そしてそのキャプションには『「My Daughter」と題され、写真家本人とおぼしき人物が女の子と一緒に写っていれば読者は当然「まあ、可愛い娘さん?」と思うでしょう、何の疑いもなしに。でも、もしその女の子はその写真家の子どもでなかったら? 読者はガッカリするでしょうか。急にその写真がつまらなくなるでしょうか。ウソだとしても変わらず魅力的な写真というのはありえないのでしょうか』と書かれている。

2011_04_30_012_2 ←この写真 (c)Honnma Taksashi

 つまり「Tokyo and My Daughter」というタイトルからして、観る者にそうした「勘違い」を引き起こすことを目的としている。更にその写真群にはいわゆるファンド・フォト(found photo)、つまりホンマが撮影した写真じゃなくて、その少女の家族が撮った写真の複写も混じっているのだという。つまり、「写真」の「真実」はどんどん削がれていって、観る者の先入観や期待はほとんど裏切られる。しかし、そうした写真があることは事実だ。つまり、それが「ニュー・ドキュメンタリー」ということなのだろうか。

 それは「Widows」ではもっと徹底され、そこにあるのはホンマ自身が撮影した写真はひとつもなく、すべてはイタリアのジェノバ近郊の町に暮らす11人の未亡人たちのアルバムからとられた古いスナップ写真の複写なのだ。ということは、しかし、その被写体の女性たちが未亡人であるのかどうなのかすらわかりはしない。つまり、それはホンマが「Widows」というタイトルを付けたから未亡人であると、観る者が勝手に考えているだけなのである。

 そうすると「Together: Wildlife Corridore in Los Angeles」に写し出されている、ロサンゼルス郊外のフリーウェイの道路下に開けられてる、野生動物たちの通り道たるトンネルや、その写真に付けられたキャプションを書いたマイク・ミルズなる人物の存在すらもあやふやになってくる。「Trails」で撮影された知床の原生林の雪の上に残る鹿の血液も、はたしてそれが本物の鹿の血なのか、絵具か何かなのか、何故か添えられているドローイング(油絵による「鹿の血」)によって、却って観る者に混乱をもたらすような仕掛けが沢山なされている。「M」というマクドナルドの写真のシルクスクリーンも、同じ素材が何度も使われており、これもまた混乱の元である。

 最後の「Short Hope」(写真家・中平卓馬は常々「みじかい希望(Short Hope)が自分の生き方だと、煙草はShort Hopeしか吸わずに、おまけにそのShort Hopeの箱にいろいろメモを残している)は、中平卓馬がShort Hopeに火をつけるだけの、ごく短い(20秒位?)映像を、真っ暗な部屋でひたすら繰り返し上映する。この中平卓馬は本物か・・・って、映っている中平卓馬は本物だろうが、しかし、この短い映像の繰り返し、繰り返しによって、一度ごとの映像の意味性は薄まってくる。先ほどの「M」に於ける同じ映像の繰り返しと同じ、繰り返し再生による一回ごとの意味性の薄まりかたであり、次第にそれは嫌悪感になってくる・・・か? まあ、問題は観る者はそこまで何回も見ないということなのだろう。

 ということで、次第に薄まって行く「ドキュメンタリー=真実」意識。しかし、それが今の時代のドキュメンタリーということなのだろう。つまり「ドキュメンタリー≒真実」という意識は、当然我々の中にもある。もはや何が真実であり真実ではないのかということは、我々自身が自分で各々が確かめなければならないということなのだ。それこそ今や当たり前となってしまった「事実≒真実」という考え方。そして、そのことだけが「自分にとっての真実」であり、しかし「世の中における真実であるかどうか」は分からないということ。「自分にとっての真実」が「他人にとっては虚」であるということもあるのだ。そんな時代に我々は生きている。したがって、写真家は取り敢えず「自分にとっての真実あるいは事実」だけを写し出すだけの作業をしなければならない。

 それが「写真家にとっての<ニュー・ドキュメンタリー>なのだ」ということで。その中には「嘘」も含まれているかもしれない世界を「ドキュメント」しなければならないという、つらい作業も含まれているのが、今の写真家がおかれた世界なのだろう。

 まあ、ドキュメンタリー作家(写真家)以外には関係ないかもしれないけれどもね。

 で東京オペラシティのサイトはこちら

2011年5月 1日 (日)

『風に吹かれて』という昔聞いたようなネーミングの本と写真展について

 荒川区東尾久4-24-7って結構ディープな場所にあるギャラリーOGU MAGで『潮田文 写真展「風に吹かれて」』が開催されている。5月8日まで。なにしろあまり「閑静」とはいえない住住宅地(というか家内工業地帯だよね)のなかでひっそりあるギャラリーなので、まずギャラリー自体を探すのが苦労かもしれない。

2011_04_29_018_2_edited1 OGU MAG前景(潮田氏を敬してモノクロにした)

EPSON RD1s Summicron 35 (c)tsunoken

 で、なんで潮田文なのかというところから少し。実は潮田氏は昔南原氏といって『月刊OUT』の編集長をやっていた時期があるのだ。『月刊OUT』というのは当時の「オタク雑誌」の走りで当然アニメなんかに多くのページを割いていた。1985年ことからアニメ制作を始めていた私としては、当時付き合っていたアニメ雑誌と言えば『アニメージュ』(老舗!)、『OUT』(オタク!)、『アニメック』(残念ながら中途半端)なんてところが中心で、それ以外は別に「アニメ雑誌」じゃなくてアニメを取り上げる雑誌だったわけだ。『ニュータイプ』なんかはまだまだ出る前であって、そういう意味ではまさしく『OUT』はオタク雑誌としては最高峰ではなかったのかな。そのころに南原氏が編集長を勤めていたのかどうかは知らないが、まあ、なんとなくそんなんところで南原氏と私の間には細い繋がりがあったのだ。

 その南原氏が写真家潮田氏だったと知ったのは、潮田氏のブログを読み始めてからだった。ほ~お、「あしたはどっちだ」を書いている南原氏は実は写真家の潮田文氏なのか、という訳であった。というか「写真家潮田文」という存在を知ったのは、そのブログを読み始めた時からなのであった。

 で、その潮田氏の写真集『風に吹かれて』が刊行されてそれを記念した写真展なのであろう、これは。しかし、展示されている写真の数が少なくて、なんかあまり「写真展」という感じじゃなくて、取り敢えず撮った写真を数枚飾りました的な感じの写真展であったことは事実である、ちょっと残念。まあ、その分、というか所詮は写真集の刊行記念写真展というものは、その刊行した写真集のホンの一部しか展示しなものなのだから、そういうものなんのだろうけれども、そういう意味では、まあ展示写真の少なさというのも意味があるというものなのかな。

 で、まあ結局写真集『風に吹かれて』を買うことになったのであるが、これが結構重い。40年あまりに亘って撮影した写真数百点が収録されていて、ページ数が多いこともあるのだろうが(645ページある)、おまけに読まなきゃならないページもいっぱいある。こんなに読むページがいっぱいある写真集ってのもまずないだろう。

 ということで、写真集・読み物ページを全部読んでから、またブログを書くことになりそうだ。まず、写真にしたっていわゆるコンポラ写真のようなものであって、それを見てすぐに評価せよといったって無理なのであるというか、コンポラ写真ってそうやって判断する写真じゃなくて、大量の写真群を抱えて、その抱えた量から何かを見るというような写真じゃないか。一枚一枚の写真には意味を見いださないというような・・・。

 で、いずれ近いうちにまた本写真集について書きます。

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で、この本に興味を持った方は、購入に際しては書肆蒼穹舎でお求めください。ISBNコードがついてないのでアマゾンでは扱ってません。

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