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2011年4月30日 (土)

『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本がすき。』って長いタイトルだけども、そんなに長いタイトルは紙の本には向きませんから。

 まあ、日本一電子書籍を売ったといったって、せいぜい数百部ですよ。えっ? 数百部も売ったの? すごいねえ。

『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』(日垣隆著/講談社/2011年4月28日)

 『前篇「電子書籍」を思考整理する』は本書のための書き下ろしであり、『中篇「滅びゆくモノたち」を思考整理する』『後篇「生き残るコツ」を思考整理する』は『週刊現代』の連載『なんなんだこの空気は――メディア考現学』を編集しなおしたものなので、これは別の本とみなす。そこで、ここでは前篇だけをとりあえず取り上げます。中篇・後篇はまあ余裕があればということなのであるのだけれども、本のタイトル『電子書籍を日本一売ってみたけれど』と言う部分にかかわるのは前篇だけなので、それでいいのだ。

 日垣氏が言うところの「総デジタル化時代の著作権について」ということなのだけれども、それについて;

『(1)著作権は2年で充分。それ以上は、遺族の争いのタネになるだけです。著作権を50年から70年に延ばすという議論がありますが、70年というのは、そもそもディズニーの要求です。ディズニーは自分たちがカネをほしいために、米国の著作権法を改正させて、その期限を70年に延ばしたのです。内田樹さんなんて、生きているうちから著作権を完全に放棄しています。「私の書いていることを使って、あなたの名前で本を出していいですよ」とまで過激な意見を言っている。

(2)公共放送は映像へのアクセス権を開放する。民放も国の認可のもと運営しているのですから、すべてをオンデマンドで見られるようにするべき。もしくはアクセスへの要求があった場合、速やかに応じる。

(3)「品切れ重版未定」は絶版とみなす。著者の自由なデジタル化を出版社が妨げる権利はありません。第21条をみてもわかるとおり、著作権法は基本的に著者の権利を強烈に擁護するものです。

(4)雑誌のインタビューなどは、販売期間が過ぎたら、インタビューを受けた人が、自由にデジタル化する権利を持つ。

(5)古典作品の解説は、私的に使う限りにおいてはOKとする。例えば井原西鶴の「好色一代男」をテキストにした読書会を開くとき、西鶴の著作権は切れていますが、テキストに使用する全集の解説や現代語訳の著作権は切れていません。ただこうしたケースでは西鶴がメインであり、解説者はサブなので、使用可能とします。日本を代表する私的な読書会で使用できないことのほうが重大です。

(6)ギリギリの線に触れるものについては敢えて相談しない。いまだ、慣習や常識や契約ができていない特殊なものについて、「これ俺のほうで電子書籍化していい?」と担当編集者に訊ねたら、「上に相談します」→「さらに上に相談します」→「ご容赦願えませんでしょうか」となるのは目に見えています。それでは担当者を困らせるだけ。いちいち担当者に訊かずに、日垣式著作権法に則って(笑)、粛々とデジタル化すべきです。』

という考え方には、全面的に賛成だ。てなことを言ってしまうと、出版社員である私の立場はどうなるのかということになってしまうのだが、まあ、でも現在の出版社のデジタル化に関するスタンスから言ってしまえばこれはやむを得ないのではないか。

 例えば、講談社は「取り敢えず早急に20,000点をデジタル化する」ということを表明して、デジタル化に対して前向きである姿勢を表しているが、かといってでは現在の電子出版・電子書籍にたいして明確なビジョンを持っているとは言い難い。というか、講談社と同様にデジタル化に対して積極的な角川HDにしたって具体的なアイデアを持っているわけではない。取り敢えず、会社的に余裕がある会社がまあ出来る限りデジタル化に前向きな姿勢を示しておいて、本格的にデジタル化が進んだ時に(それはいつのことなのかなあ)遅れをとってならじという風に構えているだけなのだ。

 というならば、「俺の書いたもの自分でデジタル化しちゃいたいよね」という意思のある著者はどんどん自分でやればいいのである。出版社とはデジタル化の契約はしない方が、実はお互いいいのだ。どのみち、いまのところ個人でデジタル化しようが、企業がデジタル化しようが、売れる数は限られているのである。おまけに電子で売れたらかって紙の本が売れなくなるということはないんだし、うまくすれば紙の本のパブリシティ位にはなるってもんだ。出版社とて著者が自分でデジタル化しようという話を担当編集者にしたところで、明確に反対するのは講談社とか角川とか小学館位のもので、他の出版社は著者からそんなことを言われてしまっては、まあ反論はできないだろう。講談社だって村上龍が「歌うクジラ」を自らデジタル化するという話があったときには反対出来なかったわけだから、他の出版社だったら推して知るべしである。

 で、著者自ら本をデジタル化してどうなるのか。まあ、あまり売れないので著者ガッカリ、出版社ニンマリという構図だろう。そんな中、数は多くはないだろうが「電子書籍を日本一売っ」たという日垣氏はスゴい。ただし、日本一売ったといったって、数的には数百部位のものであろう。いやいや、数百部も売れれば電子書籍としては大ヒットなのである。ただし、ここで「日本一売っ」たということが大事なのであろう。要は、それでもって「俺は日本一電子書籍を売ったんだぞ」という存在証明が出来ればいいのである。それだけで、今後威張って「出版界で仕事が出来る」というものである。

 多分、日垣氏が狙っているのはそんなポジションだろう。最早。

 昨年の5月28日のブログで「ダダ漏れ民主主義」について書いたが、その頃と1年後じゃ事情はそんなに変わってはないわけだが、今回、著作権についての日垣氏の考え方が読めたのは良いことだと思う。まあ、取り敢えずこうしてデジタル化しちゃうと、著作権なんてもの自体がなくなってしまうのじゃないかなと考える毎日なのである。それも歴史なのだろうか。

 

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