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2011年4月 2日 (土)

『レンズが撮らえた 19世紀ヨーロッパ』

 ということで、エントリー書きなおしです。

『レンズが撮らえた 19世紀ヨーロッパ 貴重写真に見る激動と創造の時代』(井桜直美・海野弘・岸本明子・津田紀代・中村静香・中本繁実・本城靖久・山口靖子・共著/山川出版社/2010年12月20日刊)

 要は、19世紀ヨーロッパのテクノロジーの進展に伴う、世の中の変遷を描いたものなのである。それまでテクノロジーと言えばルネサンスの三大発明と言われる、火薬と羅針盤、活版印刷くらいのものしかなく、いまだキリスト教が支配する暗い中世の様相をみせていたヨーロッパであったものが、蒸気機関とか、内燃機関、電気といったエネルギー革命が起き、その結果として、ブルジョワジー(都市富裕層)が出現し、そうしたブルジョワジーによる革命や政変が起きてそれまでの支配層である貴族たちの「働かない富裕層」の没落が始まった時期なのである。

 そうしたテクノロジーの一つが写真術というものであって、その時代の変化を記録するものとしての写真がおおいに役立っている。面白いのは、そんな写真の多くが「ステレオ写真」であるということだ。つまり、現実を写し取る写真と言うものが、しかし立体物である現実世界を平面で写し取ることに対する「苛立ち」のようなものがそこにはあるのだろうか。今となっては写真は平面媒体であるということは自明のこととして、我々は受けとめているのだが、この時代の人たちは、それでは気持ちが収まらない、やはり立体は立体で再現したいという気分が蔓延している有様が見て取れる。まだ、写真がプリミティブな時代の相である。

 もうひとつ面白いのは、ドゥミモンデーヌと呼ばれる高級娼婦たちが、あたかもその後の銀幕のスターのように振る舞い、そんな女たちのブロマイドまで売りに出されていたということである。まあ、当時は売春というものが違法でも何でもない時代であり、日本でも江戸時代には吉原の花魁の錦絵が作られていたようなものなのかもしれないが、そうした高級娼婦を連れて歩くことが、その男の地位の象徴みたいなものである以上、男たちは競って美女を金でものにしたのだろう。如何にも「成り上がり」のブルジョワジーらしい話ではある。

 しかし、そうしたブルジョワジーの出現は、当然ながらプロレタリアート(都市下層労働者)をも生み出しているわけで、そんなプロレタリアートの出現がその後の20世紀初めの革命を用意する。しかし、そんなプロレタリアートの姿はこの本にはない。ただ1項「ロシア革命」があるだけである。そう、19世紀はまだまだブルジョワジーの世紀なのだろう。

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