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2011年4月29日 (金)

『ロラン・バルト 中国旅行ノート』というか、ひさびさのバルト先生なのだ・・・

 昨日はコミックネタということでちょっと手を抜きましたが、今日はガッツリ「ロラン・バルト」であります。ロラン・バルトってちょっと苦手なのだよね。モーリス・メルロ・ポンティなんかの現象学は、昔学生の頃に映画評論では結構応用したのだが、バルトの記号論はうまくいかなかった思いがある。それだけ難しいんだよなあの「シニフィエ/シニフィアン」とか「エクリチュール/パロール」てやつは。まあ、「エクリチュール/パロール」は分かりやすいけど・・・。

 で、そんな思いで久々のロラン・バルトである。しかし、バルト先生、今回はちょっと不機嫌である。北京について早々最初の夜は『曇り。睡眠不足、枕が高すぎて硬すぎる。/片頭痛』である。その後も、「ベッドが硬すぎて睡眠不足。片頭痛」といった具合に、毎晩「片頭痛」に対する不満を述べている。

 しかし、そもそもこの中国行きはフィリップ・ソレルスと『テル・ケル』の執筆陣に中国大使館から公式の招待状が送られたことから発している。その『テル・ケル』グループに特別参加したバルト先生なのである。まあ、すべて自費での参加ということであるけれども、当時あまり海外からの訪問者を受け容れてなかった中国にいけるということだけでも、それも「旅行社」と言う名の「政府スパイ」がついている旅行ではあるけれども、まあ、そんな文化大革命の真っ最中の中国にいけるということだけでも、実は貴重な体験なのだ。でも、不満を言い続けるバルト先生なのだ。時は、1974年の4月11日から5月4日までの3週間。北京、上海、南京、洛陽、西安そして北京を訪れたバルト先生たちは中国を旅した。

 しかし、もしかするとバルト先生にははじめからその結果が見えていたのかもしれない。つまり;

『彼らについては何も明らかにできないであろう――ただ、彼らからわたしたち自身のことを明らかにすることぐらいはできる。つまり、書くべきなのは、「では、中国は?」ではなく、「では、フランスは?」である』

と実はこれは中国行きの冒頭4月14日の記述なのだ。要は、そのことを確かめるだけの旅。こういうことはよくある。あらかじめ調べておいた事情を、確認するためのだけの目的の旅。全部知っていることだけを再認識するだけの旅。ああ、そんな旅のどこが面白いんだろう。でもそんなことは承知の上で出立したバルト先生である。絶対何かあると考えるのが普通であるのだが・・・結局なにもない。

 あるのは5月2日、もう旅も最後の時になって『友誼商店。オーダーメイドのスーツを注文した。クリスチャン・チュアル(駐中国フランス大使:引用者注)が私のところに届けてくれることになっている。昔ながらのとても感じのよい老人が寸法を測ってくれる』というところに初めてバルト先生の肉感的な感覚がよみがえってくるのである。ただし、そこだけ。あとは、帰りのエール・フランス機のなかでの食事やら何やらの不満だけだ。

 結局、バルト先生は

『索引を作るため自分のノートを読み返しながら、このノートをそのまま出版すれば、間違いなくアントニオーニ的なものになることに気付く。だが、他にどうすればよいというのか? 実際出来ることと言えば、以下のことである。

――ほめること。《流行り》の言説:無理

――批判すること。時代遅れの言説:無理

――乱雑に滞在記を書くこと。現象学。

アントニオーニ。「許し難い」! 「陰険な意図と軽蔑すべきやり口」』

 けれども、結局、バルト先生の方法論では『乱雑に滞在記を書くこと』に終わっているのだ。つまり、この『中国旅行ノート』をそのまま、雑記帳として出版すること。多少読みづらいことは承知の上で、それを実現すること。つまり、それは ロラン・バルトにおける1974年の中国の実相は書物としてきちんとした「エクリチュール」にするだけの内在性がないということなのだろう。というか、まだまだ変わりつつある中国の実相を見てしまうと、そこで何を言ってもすぐさま別の価値観に晒されてしまい、その時点で最早何の価値もない評論として読まれてしまう、という危険性を感じたのかもしれない。それはやむを得ないことなのだろう。

 当然、その時代にフランス知識人を招いた中国共産党としてはフランス共産党との微妙な関係があり、その結果としての反フランス共産党分子として『テル・ケル』を招いた(でも、旅行費はフランス持ち)のだろうけれども、その効果は上がったのだろうか。フィリップ・ソレルスなんかは結構お調子者なのかもしれないが、中国共産党のというか文化大革命の考え方に同化しているようだが、まあ、そのあと大分反省したのだろうな。だって、フィリップ・ソレルスって一時期はトロツキズムにも賛同していたんじゃないか? 要は、単なる左翼反対派(プチブル左翼)なのだと思うのだけれども、そんな人が何で文化大革命にも賛同してしまうのか、というのが「問題の底をよく見ない似非インテリ」の世界そのものなのだ。表面だけで判断しちゃうってやつね。

 結局、その辺をよく見ていたバルト先生(別にこの人は左翼ではない。ただし、サルトルなんかとは共闘していた時期はあったとは思うのだけれども、まあ、作家とか知識人とかの共闘なんてのは、ほとんど意味はない)は、この中国訪問記を「エクリチュール」としてはまとめずに、パロールとしての(話し言葉ではないけれども)「雑記帳」においておいたのだろう。

 このメモの中にも「日本」と言う形で対比が出てくるのであるが、この少し前70年に書かれた『表徴の帝国』で書かれた日本に対する、例えば「皇居」という空虚な空間が意味するところの、「意味から放たれた日本的自由」の世界というような「シニフィエ」の世界は中国にはまだなかったということなのだろう。

 だが、今の中国にバルト先生が行ったらどうなるだろうか。まさしく「意味」の過剰な世界における現代中国、しかし旧弊が今でも活発に生き残っている中国、というかその共存が今の中国ではないか。そんな今の中国に行ったらどんな感想を持つのだろうか。ということを期待しても始まらない。

 最早、我々がそんなところに行って、発言しなければいけない時代なのだろう。

 しかし、それこそそこらじゅうに書かれている「書(カリグラフィ)」。まさにそれこそ「エクリチュール」(書き言葉)であり「パロール」(絵画)なのである。

 すごいだろう、東洋の文明って。西洋文明は文字を記号化してしまい、文字そのものを絵画的にみるという考え方をなくしてしまった。特にグーテンベルグ以降は。実は、文字世界というのはそんなものじゃないのだ。その辺、西洋文明は東洋より優れていると単純に考えている莫迦な人たちには分からないだろうが、その辺からちゃんと電子書籍なんかにも反乱が起きるのだ。

 

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