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2011年4月19日 (火)

『不道徳な経済学』と言ったって、結局は全然不道徳でもない、単なるガキの言い草だったりして

 結局、コミュニタリアン的な政府の元で勝手なことを言っているだけなんだよな。

『不道徳な経済学――擁護できないものを擁護する』(ウォルター・ブロック著/橘玲(超)訳・文/講談社+α文庫/2011年2月20日刊)

 著者のウォルター・ブロック氏はリバタニアリストとしても一番極端な「アナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義者)」だそうだ。つまり、政府による産業に対する規制やら口出しに対して一切反対し、とにかく市場の任せるままにしておけ、結果として犯罪が増えてもそれは市場の自然反応の中でやがて減って行くだろうという、小さな政府というよりは「無政府」にしておけという立場なのだ。『すべての不幸は国家によって引き起こされている』という考えのもと、近代において成立した功利主義的なケインズ経済学・政治学に基づく現代のコミュニタリアニズム(共同体主義)的な政体を一切否定し、中世の国家・政体が安定していない時期の「レッセ・フェール(自由放任)」主義的な政治・経済を善とする考え方なのである。

 すごいよなこれは。現在の政体・経済構造に対するアンチとして言っているのなら分かるが、そのアンチとして言っているだけにとどまらず、次期政体(つまり革命政体)としてそんなことを言っているのだったら、それは単なる「バカ」としか言いようがないではないか。だって、今の政体を変革して別の政体を作ろうとしたのならそれは「革命政体」でしかないのであるが、そんな革命政体は基本的に「政府の権限が極限的に大きくなる」のが自然である。今の政体を壊そうと「無政府主義者」が動いたとして、もしそれが成就したのならば「無政府主義者の極限的に大きな政府」という自己矛盾が生じるだけなのである。

 取り敢えずウォルター・ブロック氏が「擁護できないものであるが敢えて擁護したのは」『売春婦/ポン引き/女性差別主義者/麻薬密売人/シャブ中/恐喝者/2ちゃんねらー(インターネットの匿名投稿者という意味:tsunoken注)/学問の自由を否定する者/満員の映画館で「家事だ!」と叫ぶ奴/ダフ屋/悪徳警察官/ニセ札づくり/どケチ/親の遺産で暮らす馬鹿息子/闇金融/慈善団体に寄付しない冷血漢/土地にしがみつく頑固ジジイ/飢饉で大もうけする悪徳商人/中国人(原著では「日本人」だったそうだが、ここでは中国人になっている。しかし、〈アメリカ対日本=ドル対円〉という基軸通貨を巡る話と、〈日本対中国=円対元〉というローカルマネー同士の話は全く違うのでこの「超訳」は経済学的にはあまり意味はない、原著のままの方がよかった:tsunoken注)/ホリエモン(要は「ボロ儲けをする企業化」ということなのだが、ホリエモンに関しては、別に必要以上にボロ儲けをしたわけではない、むしろ普通に起業して突然うまくいってしまったから、既存の資本家から忌避されて、無理やり刑事告訴人にされてしまったリバタリアンからすれば単純な「被害者」ではないだろうか:tsunoken注)/ポイ捨て/環境を保護しない人たち/最低賃金を遵守しない経営者/幼いこどもをはたらかせる資本家』ということであるが、ではそういう人たちを擁護したらどうなるのか。売春婦やらシャブ中は今後政治的にもOKになる可能性はなくもないが、まあ、ようは社会紊乱という問題から規制され続けられるだろう。

 で、ウォルター・ブロック氏はそんな奴らに騙されたり、殺されたりしても文句は言えないだろうけれども、でも騙されたり、殺されたりしたら、やはり自分を騙した奴や、殺した奴を恨むだろう。いやしかし、恨んだりはしないのかなあ。それだったらすごいし、自分の娘が最低賃金を遵守しない経営者に雇われて搾取し続けられても普通にしていられるんだろうなあ。自分の妻がよその男にレイプされても(浮気だったらもっとね)文句は言わないだろうし、そんな無政府状態がいいと考えている人なのだ。

 その他、ウォルター・ブロック氏が書いたけれども、日本では理解できないかもとして橘氏が翻訳しなかった「擁護できないものであるが擁護した」人たちは『宣伝屋/白タク運転手/スラム街の不在地主/スラム街の商人/ブローカー/露天掘り炭鉱夫/非組合員/価格破壊者』である。まあ、リバタリアンが言いそうなことを考えてみれば分からないことではないね。

 しかし、こうしてリバタリアンが勝手なことをほざいていられるのは、実はコミュニタリアン的な政府がしっかりしているからのだ。要はコミュニタリアンへの攻撃材料としてリバタリアン的なことを言っているが、結局はそれはコミュニタリアン政府の保護があるからこそなのである。

 まあ、それが反政府派の皮肉なんだけれどもね。60年代末の過激派反政府派も結局はそんな立場だったんだよな。要は、政府の大きな政策のなかで泳がされていただけのことで・・・。

 

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