フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 問題は『メディアと日本人』じゃなくて、メディアに騙され続けていた日本人なのだ | トップページ | 『クラウド時代の正体』と言うほどのものじゃなくて、そんなのネット・リテラシーとしては当たり前のことなのです »

2011年4月10日 (日)

『社会主義の誤解を解く』前にある「いっぱいやらなければいけないこと」それが大事なんだよ

 著者の薬師院氏は多分西欧型の社会民主主義のシンパなのだろう。だからこその社会主義の基本定義であったり、資本主義への異議申し立てという第1章の項目立てが始まるのである。

『社会主義の誤解を解く』(薬師院仁志著/光文社新書/2011年2月20日刊)

 しかしながら、一方でソビエト型のマルクス・レーニン主義による社会主義には違和感を持て見ているようだ。そんな気持ちが第4章『ソビエト共産党の時代』の書き方に表れている。それが『二月革命という名の民衆運動もまた、社会主義勢力の指導下で開始された革命と言うより、むしろ偶発的に生じた出来事という性格の方が強い』という書き方やら、『そもそも、1907年から亡命生活を送っていたレーニンは、二月革命に全く関与していなかったのである。二月革命の報を耳にしたレーニンがスイスから帰国したのは、ようやく同年4月のことであった。その帰国を手助けしたのは、敵国ロシアを混乱させようとしたドイツの軍部である。言うまでもなく、レーニンを援助した帝政ドイツの軍部は―日露戦争中の日本政府と同様―その革命思想に賛同していたわけではない。社会主義の理論や思想に導かれた労働者や農民が主体となってロシア革命を起こしたなどという教条的な物語は、もう忘れよう 』という書き方に、あからさまなロシア革命に対する嫌悪感が溢れている。更に、注記で『レーニンやトロツキーと同様カーメネフやブハーリンも二月革命に参加していないということなのだ』と書いたり、『4月16日(ユリウス暦では3日)、首都ペトログラードのフィンランド駅に降り立ったレーニンの課題は、自らの帰国を助けた敵国ドイツの期待も相俟って、ロシアの臨時政府を倒して戦争を終結させることであった』と書いたり、それはレーニンの帰国がまさにドイツによる謀略であり、レーニンはその謀略にのって、ロシア革命を成し遂げるために帰国したのではなくて、ドイヅを勝たせるために帰国したのだというというような書き方なのである。これではまるでレーニンの『4月テーゼ(現在の革命におけるプロレタリアートの任務について)』自体がまるでドイツのために書かれたというような言い方である。更に、その『4月テーゼ』に基づきなされたその後のボルシェビキの決定やら、労・農・兵ソビエトの決定やら活動やらの集大成としての10月革命については『この日に開催予定であった第二回全国労農兵ソビエト大会は、午前10時の宣言から約半日後、午後九時近くから始まった。しかしながら、話し合う前に、既成事実として、レーニンが画策した革命は実質的に終わっていたのである。実際、すでにケレンスキーは逃亡していたし、日付が変わった午前二時半頃には、残った閣僚たちも逮捕される羽目になる。宣伝に満ちた歴史物語では、労働者や農民たちが自ら立ち上がり、勇敢にたたかった末に10月革命が完遂されたことになっているが、そんな伝説はもう忘れよう。現実の10月革命は、ほとんど無血クーデタに近かったのである』と書いて、10月革命が単なる歴史物語の中の「神話」にすぎないと書く。

 ではでは、2月革命のバックボーンは何だったのか。この薬師院氏の書き方だと、なんの前触れもなく突然2月革命が起こって、そこにノコノコとレーニンやトロツキーが帰ってきたような書き方である。そんなバカなことがあるのだろうか。おまけに10月革命だって、突然10月になって革命が起きたような書き方だが、突然10月になって労農兵ソビエト大会が開かれて、そこで革命決議がなされてみたら次の日には革命がなされていたのだろうか。そんなバカなことはないのである。当たり前じゃないか。

 2月革命の前には帝政ロシアに対する長年の抵抗運動があったり、ナロードニキの活動があったり、アナーキストの活動があったり、それをロシア社会主義労働者党がまとめてきたというバックボーンがあるからこそ、1905年『戦艦ポチョムキン』で知られる労農兵ソビエトが形作られていったのであるし、そうした活動の結果、レーニンやトロツキーたちが亡命せざるを得なかったのではないか。当然、亡命というのは亡命先の国の保護下にあるという訳であるし、亡命先の保護国にしても「保護する価値がある人物」だと考えるからこそ保護するのである。そんな亡命人を保護する国にとって、保護している人は対戦相手の国にとってマイナスになる行為はどんどんやって欲しいわけだから、もし戦争をしている相手国に革命の動きがあればその指導者を相手国に放ち活動してもらうための資金まで提供する場合まである。

 つまり、ロシアの2月革命だって、それまでのロシア社会主義労働者党の動きと何の関係もなく起きたものではなく、仮に何の関係もなく起きたものであろうとも、そんな社会の混乱に乗じて活動を活発化させるのは政党の常識じゃないか。あたかもそれがいけないような薬師院氏の書き方では、すべての政変や政権交代は選挙によってなされなければいけないというような書き方である。

 まあ、まさにそれは西欧型社会民主主義的な発想ではあるのだが、全ての国がそんな西欧型社会になってない以上、それはそれぞれの国の中の方法で政権交代がなされても仕方がないのじゃないか。キューバは暴力革命で政権を奪ったけれども、いまのところそれにつて反対を言う勢力は大きくない、というか我々のところにまで聞こえてはこない。その後のボリビアとかの「革命」は選挙によるものだ。で、選挙でも「革命」なのかなあ。じゃあ、次の選挙で反対派が勝っちゃたらそれは「反革命」? それも変だね。

 まあ、それはいいとして。薬師院氏に基本的に認識してほしいのは、戦後日本が世界から「社会主義国」と呼ばれた事実である。つまり、日本は戦争中に始まった「統制経済」の発想をそのまま戦後も引き続き、ったってそれは「戦争中も戦後も同じ官僚が」統治している国なのだからしょうがないよね。戦争責任を政治家だけに負わせた東京裁判の発想のおかげで日本の官僚は生きながらえたのである。で、その結果何をやったかと言えば、戦争中の「統制経済」のままに、戦後の「計画経済」を始めたのである。つまり「護送船団方式」という、業界丸抱えスタイルの保護財政と同時に経済指標を与えてそこに向かって努力せよという命令を下す(ファッショ的な)指示なのである。勿論、そのあとには「新規参入の規制」というアメもあるわけで、「新規には参入させないからお前ら俺たち(官僚)の言うことを聞けよな」という指示のもとに戦後日本の高度成長は実施されてきたのだ。

 いまや、その昔「何でも反対党」と呼ばれていた社会党もないし、非合法になっても闘うというような気持ちのある日本共産党もないし、いまさら新左翼でもないしなあ。

 ま、取り敢えずは今日は「石原〈天罰〉慎太郎」に投票するのをやめましょう。

 それから先のことは、その時に考えましょう。

 

« 問題は『メディアと日本人』じゃなくて、メディアに騙され続けていた日本人なのだ | トップページ | 『クラウド時代の正体』と言うほどのものじゃなくて、そんなのネット・リテラシーとしては当たり前のことなのです »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/51324614

この記事へのトラックバック一覧です: 『社会主義の誤解を解く』前にある「いっぱいやらなければいけないこと」それが大事なんだよ:

« 問題は『メディアと日本人』じゃなくて、メディアに騙され続けていた日本人なのだ | トップページ | 『クラウド時代の正体』と言うほどのものじゃなくて、そんなのネット・リテラシーとしては当たり前のことなのです »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?