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2011年4月26日 (火)

『フーゾクの日本史』じゃなくて、本当は「男の性の日本史」なのだ

 4月23日に引き続き「エッチネタ」であります。23日は江戸の春画・風俗画から見た、当時の風俗に対する考え方なのであったが、今日は日本の古代から現代までの「フーゾク」に対する考え方を、書かれたもの、「文学」から読んでいこうというものだ。

 とは言っても、それは万葉集からのことであることがちょっと残念である。「万葉集」の中で「遊行女婦」と言われたあそび女・うかれ女と呼ばれた飛鳥・奈良時代の娼婦たちのはなしであるのだけれども、本当はそれ以前からいたはずである。勿論、古代においては貨幣なんかはなかったわけだから、貨幣によって男と寝る女はいなかったわけであるけれども、それなりに「富」とともに男と寝る女はいたはずである。万葉の時代であっても『遊行女婦一人一回のというか、一晩の遊行費(もちろん宴会の花代とそのあとの枕代を含む)は、穀一升か布五尺と言われている』というような書き方をしている以上、それ以前の古代だってやはり妻(その当時「妻」というものが今と違うのは分かっているが)以外の女性とセックスしたいと思った男は、「金」あるいは金に替わるものを使って女との「情」を通じていたわけなのであろう。要は「古事記」や「日本書紀」に書かれていないだけなのである。まあ、それだけ「古事記」や「日本書紀」は神話であり、「事実でない」と言うことを示しているだけなのであろう。そんな意味では「万葉集」が、日本で初めての「神話ではない書きもの」なのだろうということなのだろう。まあ、古代では「妻」と言う存在が絶対的なものではないし、現代のように「妻」に囚われる男もいなかったわけだ。しかし、「イザナミ」「イザナギ」ってやはり夫婦だったんでしょ。ではその夫婦における「貞節」ってのもあったんだろうと思うのだが、如何。

 問題は、江戸時代の男の性である。要は、江戸時代の江戸の世界って、基本的に「男ばっかりの世界」なんだよね。当時は江戸ったって何にもない世界だった。そこに新しい都市を作ろうということなのだから、それは大変な成長世界だった。そんなところには、まず男が来る。つまり、そんな都市を作るための男ばっかりだ。男ばっかりになってしまうので、それはちゃんと「女」もいる世界も出来てきたけれども、それも間に合わず、江戸時代は今以上に「男vs.男」の今言えば「オカマ」とか「カミングアウト」みたいな世界がいっぱいあったらしい。え? 穴ならなんでもいいのかよ。とも思ってしまうが、まあ、そんな世界もあったということですね。うん、アナルセックスも相手が女か男かは別として結構「しまり」がいいようで・・・。

 以降は、様々の書きものに「女」「遊女」「娼婦」は出現する。要は、それだけ男にとっては「女」という存在は大きいということなのだろうけれども、それは「妻」たる女の存在だけではない、男にとって女の存在が「妻」だけであればそれはそれで充足してしまうのである。まあ、少しは充足しない男もいて、妻の他に女を求める男もいるかもしれないが、まあ、それはメジャーではないだろう。まあ、つまり男っていうものはそういう「性」なのだ、といってしまうとジェンダー論者からは絶対に批判を浴びてしまうのだけれども、でもしょうがないよね、やっぱり男ってのは女を求める性なのだから。

 この「男の女を求める性」って何なのかしら。取り敢えず基本的には「男だから女を求めるのは当然」という発想がある。問題は、基本的に「妻」たる「女」がいる男が何故別の「女」を求めるのかということなのである。出張なんかで取り敢えず妻から解放された男が何をするかといえば、まあ、弥次さん北さんの世界ですね。要は、宿場女を買いたがる、ということなのだ。今は宿場女なんていないから、まあそこは・・・ですね。

 何なのだろう。別に私が人ごとみたいに言っているのではなく、自分の経験からも言っているのである。要は、私も出張なんかで東京を離れると思わずうれしくなってしまい、いろいろな「女」を試したくなっちゃうということなのである。といいながら、それは単にその時だけの一時の愉しみがけなのだけれどもね。別に、今の夫婦生活を変えるつもりはない。

 まあ、男の性なんてそんなもんですよ。所詮、妻との家庭を壊そうというほどの覚悟もないし、ちょっとつまみ食いという感じなのだろうな。そんな「つまみ食い」で夫はやってるんだから、妻もちょっとした「つまみ食い」位はいいなじゃないの。たとえば、町で見たちょっとしたイケメンあたりと「ちょっとつまみ食い」位はね。こんなの、「浮気」じゃないんだから、お互いやっちゃいましょうよ。それで、夫婦の幸せが保てるんならいいじゃん。

 ということで、全然、今日の本のテーマとは関係ないことになってしまったのだが、まあ、いつものことなか。それだけ、この本のテーマが意外と「凡庸」だったということ。

「万葉集」から現代の小説まで集めたけど、まあ、読者にとってはあまり意味はなかったということなのですね。 

 残念。

 

 

 

 

 

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