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« 『東大が倒産する日』はこないだろう、多分 | トップページ | 『社会主義の誤解を解く』前にある「いっぱいやらなければいけないこと」それが大事なんだよ »

2011年4月 8日 (金)

問題は『メディアと日本人』じゃなくて、メディアに騙され続けていた日本人なのだ

 いよいよ岩波の出番だと思ったのだが・・・まあ言ってみれば岩波らしい現状確認ではあるのだが。

『メディアと日本人 ――変わりゆく日常』(橋元良明著/岩波新書/3月18日刊)

  日本人が明治以降の新聞をはじめとするマスメディアにどう触れてきたかを、最新のインターネットとケータイを主にしながら語っている。まずはその目次から;

1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか<1 近代日本人の情報意識/2 新聞の発刊と普及/3 ラジオ放送の広がり/4 電話の登場とその影響/5 テレビの衝撃/6 インターネットの浸透>

2章 メディアの利用実態はどう変わったか―1995年~2010年 <1 メディア激変の15年/2 テレビ/3 新聞/4 インターネット/5 ラジオ/6 書籍と雑誌/7 電話>

3章 メディアの「悪影響」を考える―テレビとインターネットをめぐる研究 <1 メディアに対する”ネオフォビア(新規恐怖)”/2 メデァイと暴力/3 テレビは子どもの発達を阻害するのか/4 インターネットは孤独を招くか/5 「ネット世論」は極化する>

4章 ネット世代のメンタリティー―ケータイ+ネットの魅力 <1 「デジタルネイティブ」と「ネオ・デジタルネイティブ」/2 どのようなメンタリティーを持っているのか/3 なぜネットに惹かれるのか/4 ネット依存と人間関係のしがらみ>

終章 メディアの未来にむけて <1 ネットはテレビを浸蝕しているのか/2 「時間代替」と「機能代替」/3 メディアのもつチカラ>

 ということなのだが、結局メディアというものが「悪」であったり「善」であることはない。所詮、メディアというものはニュートラルな存在であり、それを「悪用」したり「善用」したりするのは、結局それを使う人間にすぎない。

 その意味で、本書が伝える各種の調査報告は間違っていない。しかし、その結語で『人々の欲望がテレビやインターネットを生みだしたのではない。発明前は、誰もそれらを夢想だにしなかった。テレビやインターネットの発明が様々な欲望を生み、また新たなつながりの形態をこの世に作り出したのである。

 メディアは、それ自体の存在で我々を変えるチカラを持つ』という言い方だけではダメだろう。勿論、メディア自体はニュートラルな存在ではあるけれども、その存在が我々の生活やら生活の仕方を大幅に変えてしまう力を持つのである。

 日本における登場順で言うなら、新聞(瓦版)の出現、雑誌や書籍の出現(この段階まではまだ木版印刷)、電話の出現、活版印刷新聞の出現、ラジオの出現、映画の出現(サイレントからトーキーへ)、テレビの出現、PCインターネットの出現、ケータイ電話(というかインターネット端末としての)という、殆どは19世紀からのテクノロジーの進展に伴って現れたメディアの出現である。では、それらが我々の生活にどんな変化をもたらしたのかといえば、それはすごいものがある。基本的に言ってしまえば、まず情報の共有である。しかしまだ情報が一部の人間に占有されていた時代があったわけで、それが解放されてしまったのはインターネット時代になってからのことである。「情報の共有」と言ったって、それは上部構造が許した情報だけであり、その他の情報はまだまだ上の人間だけが占有していた。

 しかし、インターネットの時代になって、それが解放されてしまい、いまや国民皆が同じ情報を持ちうる時代になったのかと思いきや、今回の福島第一原発問題で、またまた取り消されてしまった。とにかく記者クラブである。いまや東電や官房副長官・枝野氏の会見は完全に記者クラブの運営のままになされているのだ。その際の基準は基本的に「東電のウソを見破らない」と言うことになっているのである、とりあえずは。あまり東電のことを悪しざまに言うのは、いま福島第一原発の現場で懸命に事態収拾に努めている人たちに対する批判になってしまうということで、取り敢えずは東電に批判は言わないということになってしまっているようだ。本当は「それ」と「これ」は違うんだけれどもね。

 だめだねこの国のメディア・リテラシーってのは。多分5年後くらいになって「あの時の東電の発言はこうだった」みたいな記事が週刊誌に載るんだろうが、その時には今現在被曝している現場の人たちはどうなっているんだろうか。今の現場にいる人たちの被曝量は相当なものだろう。

 まあ、これが我が国を取り巻くメディア状況なのであります。一般国民の若い連中はとにかくテレビしかみないしね。そんなテレビで流されている報道は劣化の極みなのであります。とにかく並列で各局同じ報道しかしない。で、結局「風評被害」であります。

 もはやこんなテレビ報道にたよってはいられないというのが現状ではあるけれども、そんなテレビ報道に勝てるメディアを我々が持っていないというのも残念である。結局、インターネット・メディアといってもそれはテレビメディアの二次報道、三次報道でしかない。

 だとしたら、インターネットってどの方向に行けばいいのだろうか。

 本当はもっともっと情報公開の方向に行かなきゃならないいだろうけれども、こんな情報閉鎖の中ではね・・・。

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