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« 『名古屋発どえりゃあ革命!』ったって、この程度じゃ革命じゃありゃせんがね | トップページ | 『末裔』は末裔に関する話ではあるけれども、それ以上でもそれ以下でもない »

2011年3月10日 (木)

『アイヌときどき日本人』というタイトルはいいのだが・・・

『東京都が1989年に行った調査では、都内に住むアイヌ人口は2700人と推定されてます。首都圏には、少なくとも5000人のアイヌ民族が暮らしているとも言われています』という冒頭の文章にはちょっとびっくりした。

『アイヌときどき日本人 増補改訂版』(宇井眞紀子著/社会評論社/2009年9月20日刊)

 本州というか東北地方(岩手、青森には特に)にはアイヌ語を由来とする地名がたくさん残っており、それらの地域にはアイヌが普通に暮らしていたのだろうということは容易に想像できる。ただし、このアイヌと「蝦夷」が同じものなのかどうかはいまだに分かっていない。というか「蝦夷」民族が亡くなってしまっているという歴史上の記述によれば、もはや「蝦夷」はいないということになるのだが、このアイヌと「蝦夷」が一緒であるという記録もないし、一方、別であるという記録もない。もし「アイヌと蝦夷は一緒」ということになると、日本の先住民として認識されている「蝦夷」つまり「アイヌ」が日本の先住民であり、そのことによって日本の古代史は全面的に書き換えられなければならなくなるのだ。

 つまり、渡来民族たる「天孫族」は、それまで日本にいたアイヌを次第に北の方へ追いやりながら日本の支配権を獲得していって、6世紀の継体天皇の時にその支配権を確立し、あとは「蝦夷」を確実に駆逐するための「征夷大将軍」を決めてそのものに「蝦夷征伐」をまかせつつ、一方で、日本に対する支配権を完璧なものするために、それまで以前のヤマト王権の時代のストーリーを作り上げ、神武天皇という神話上の人物を天皇の始祖にした「お話」を日本の本来の出来あがった話として『古事記』やら『日本書紀』という壮大な神話を作り上げたのだ。

 一方、アイヌ側もじゃあ渡来民族の持ち込んだ「農耕」という弥生民族の文化に対抗する「縄文文化」との親和性については、ちょっと繋がりが難しいところもある。確かにアイヌも農耕をしていた記録もあるし、狩猟やら自然に出来ていた木の実ばかりを食料にしていたということはないのは記録にも残っている。じゃあ、縄文人が「蝦夷」なのか。縄文人は弥生人によって全滅させられたのか。ということになると、もっとわからない。

 いずれにせよ、今の我々は弥生民族の末裔なのだろうけれども、その中には以上述べた時代の変遷から「縄文人と弥生人の混血」なんてのもいっぱいあったのだろう。先日書いた「国立歴史民族博物館」には縄文人と弥生人の骨格の違いなんてものも展示されていたが、当然その中には「混血」があったわけで、そういう中で縄文人の血は薄められ次第にみんな弥生人になってしまったというのが普通の考え方だろう。だって、弥生人の生活の方が縄文人より確実に「ラク」なんだもん。

 いずれにせよ、いまでもアイヌ民族というものは残っている。この人たちを先住民族として認めないわけにはいかないだろう。とはいうものの、日本人が入植して(アイヌから取り上げたのかもしれないが)開拓した土地を返せといわれてしまったら、どうするのだろうか。多分、そこまでアイヌの人たちは求めてないのだろうが、どこまで求めるのかが気になる。

 取り敢えず、最初に書いた『東京に2700人、首都圏に5000人』というアイヌ人口のことが気になる。当然、この人たちは明治5年(1872年)に開校された『開拓使仮学校』(現在の北海道大学の前身)の付属『北海道土人教育所』!(すごいねこの名前。当時は土人という言い方が普通だったのだろうなあ)にいた人たちの末裔ではない訳で、その後自らの意思で東京に来た人たちだろう。

 その人たちも「アイヌ」だからということで「差別」を受けたのだろうか。その、差別を受ける理由って何だのだろうか。名前? そんなに内地の人と変わりないじゃない。顔? 確かに少し違って堀が深いとかというのはあるけれども、そんな人は内地の人にもいるしなあ。毛が濃い? そんなのは内地人だってそんなのは一杯いる。じゃあ、なんなのさ。

 ということで、それほどアイヌと我々(多分、弥生人の末裔)を隔てるものはないのだが、でも、そこにある「微妙な違い」が民族を隔てる。まあ、「民族」「人種」なんてものはそのような微妙な違いでしかない。その「微妙な違い」をことあげて差別するのがいわゆる「差別主義者」なんだろうけれども。そのような差別をして、多少は自分の立場が強くなるとでもいうのだろうか。

 それが不思議だ。

 

 

 

 

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