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2011年3月15日 (火)

『バラエティ番組がなくなる日』が本当にきたら?

「なくなる日」シリーズとはいっても実はみんななくなるというわけではなくて、「なくなる」という言いかたでそのテーマについて警鐘を鳴らそうというわけである。つまり3月12日のエントリーで書いたのも大学から文学部が無くなってしまうのではなくて、リベラル・アーツたる文学を軽視する現代の大学の風潮を気にした本なのであった。

 本書も同じく、テレビからバラエティ番組がなくなってしまうのではなく。現在のテレビでよくあるお笑い芸人がひな壇にならんで司会者からイジられて喜ぶ形式のバラエティ番組を、それは面白くないだろう、と憂い、そんなバラエティあるいはお笑い番組じゃないもうちょっとインパクトのあるバラエティ番組が出来るんじゃないかという提言なのである。

『バラエティ番組がなくなる日 カリスマプロデューサーのお笑い「革命」論』(佐藤義和著/主婦の友新書/2011年2月20日刊)

 佐藤義和氏と言えば横澤彪プロデューサーと組んで、『THE MANZAI』『笑っている場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』などのお笑いバラエティ番組をヒットさせて、フジテレビのバラエティ路線を定着させ、それまで先行するTBS、日本テレビに独占されていた視聴率競争にフジテレビありという存在感を示し、なおかつ全日、ゴールデン、プライムという三つの時間帯での視聴率三冠王を獲得するにいたらしめた、異常歌手グループ「ひょうきんディレクターズ」の一員である。

 そんな一時期の名物ディレクターでプロデューサーが現在の、「どこのチャンネルを映しても同じような」「マンネリでたいして面白くない」「一発芸だけしかない一発屋タレントばかりの」バラエティ番組を批判し、憂いて、書いた本である。

 佐藤氏の嘆きを「第3章 バラエティ番組をダメにしたテレビマンたち」の各項目タイトルから拾ってみよう。

『バラエティ番組づくりは狩猟民族の仕事/経済的な厳しさの弊害/制作費が使えなくても人気番組はできる/スポンサーは教養バラエティ番組が好き/人材を育てなくなったテレビマンたち/使い捨てにしていいタレントを使うな!/模倣が好きなテレビマンたち/実験を重ねるしか道はない/足し算思考ではなく掛け算思考/パターン化という罠/捨て身になれないエリートテレビマンたち/ロマンあふれたテレビマンを育てられないテレビ局/まずプロデューサーが変わらなければならない/女性向けのお笑いの功罪/誰が「笑い」を殺すのか?』

 なるほどそれらの現在のテレビマンに対する批判というか嘆き節は概ね当たっている。特に今のエリート・サラリーマンの代表者のようなテレビマンからは、新しい思考、新しい実験、新しい方法論などは出てこないだろう。要は「与えられた課題を解くのがうまい」エリートたちには、「狩猟民のように」「制作費が安ければ安いなりに知恵で突撃して」「人真似を嫌う」ような仕事は合わないのである。

 しかし、佐藤氏が言うように、今やテレビは娯楽の王様ではないのだ。若者たちの(若者だけじゃないけど)周囲にはインターネット、ケイタイという楽しみの手段であり、情報収集の手段がいっぱいあり、一方で一日の時間は24時間しかないのだ。当然、それは「若者のテレビ離れ」という状況を導く。しかし、『テレビ局も広告収入の顕著な減少や視聴率の逓減を目の当たりにして、経営方針の転換を模索している。しかし、テレビマンたち、特にバラエティ番組の制作者たちには、どうもその自覚は少ないように感じる。制作費の減少は切実な問題と考えているが、「それでもテレビの影響力が圧倒的だし、日本人がテレビを見捨てるなどということはあり得ない」と多くが考えている。ましてや、自分たちの制作する番組のクオリティの低下が、テレビ弱体化の主因のひとつだなどとは思いもよらないのかもしれない』というのであれば、もはやそんな「バカにつける薬はない」のである。

『私は、日本で新しい笑いを作っていくためには、まず落語の魅力を知る必要があると考え、後輩たちにも常にそのことを伝えてきた』という佐藤氏の言はよし。私も賛成だ。しかし、ここで突然「落語」が出てくるのはあまりにも唐突である。佐藤氏がいま築き上げてきた地位は、「落語」的な練り上げた芸を否定することによるものだ。それを今になって「落語」ですか? 確かに、今や現役を離れた団塊の世代にとって、落語は昔見た近しい存在である。また『笑点』という「お化け長寿番組」が一方である以上、そこには確実なニーズがあるのだろう。

「噺」の世界と言うのは江戸末期から明治初期に完成した笑いの形式であり、SFあり、スラップスティックあり、ナンセンスあり、人情話ありという内容であるのだが、実はテレビとは全く親和性のない世界なのである。つまり、噺は「寄席芸」であるということ。寄席で見る落語が一番楽しく笑える。『笑点』はそれを「落語バラエティ」という形式のテレビ番組としてソフィスティケイトしたものなのだ。

 笑いというものを徹底的に研究し、如何にして人を笑わせるかという事を徹底的に研究しつくして完成させた「古典落語」は、昨日今日の一発屋芸人ではだせない哲学を持った存在なのだ。

 そんなのは、最近のテレビマンでは理解できない世界である。

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