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2011年3月29日 (火)

『戦場カメラマンという仕事』で戦争中毒にならないように

 問題は、なぜ彼は戦場フォトグラファーという仕事を選んだのか、ということである。

『戦場カメラマンという仕事』(洋泉社MOOK/2011年3月23日刊)

 戦場フォトグラファーという仕事が仕事として成立したのは第二次世界大戦の頃ではないだろか。そのころロールフィルムを使用して連続撮影できる小型携帯カメラと高感度のフィルム(といってもISO10とか30とか言う今では超低感度フィルムなのだが)が出現したのだ。当時の資料写真なんかを見ると1925年発表のライカIA、1932年のコンタックスI型、1937年のローライフレックスオートマットなどが、大体第二次世界大戦中の戦場フォトグラファー御用達のカメラのようである。勿論、それらは戦場用に開発されたのではなく、アマチュアが気楽に撮影できる写真機として開発されたわけであるが、その携帯性が身軽な撮影が求められる戦場フォトグラファーに気に入られた。というよりは、そうした携帯性に富んだカメラが出てきたおかげで、戦場フォトグラファーという業種が生まれたのだ。

 で、では何故彼らが戦場を目指すのだろうか。一つには「それで一旗揚げよう」という目的がある。ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』なんかを読むとしょっちゅうお金に困って人から借りたり、アメリカ国籍がないためにアメリカ国家から不利益な扱いを受けたりしていて、その結果として「戦場フォトグラファー」として活躍しなければならないキャパ自身が登場する。そんなキャパも功なり名遂げて『毎日カメラ』の招きで日本を訪れている最中に、インドシナ取材の要請を受けて赴き、そこで亡くなる。すでに一旗揚げてしまったのになぜ? という疑問があるのだが、そこは今度は「戦争中毒」のようなものかもしれない。

 こうした「一旗揚げよう」派は多分ベトナム戦争の頃まではいたのだろう。別に戦争は好きではないけれども、戦争写真、戦場写真は特に写真技術がなくても、度胸一発で撮れたりする。そんな度胸一発写真でも世界的に有名になれたりする、というドリームメイキングが戦争写真、戦場写真なのだ。特にベトナム戦争の頃はアメリカ軍もメディアにオープンで、フリーのフォトグラファーにも簡単に取材許可を出して、従軍も可能という今では考えられない自由な取材対応であった。多分、1960年頃まではアメリカもまだまだ自由主義、平等主義、民主主義というものをアプリオリに信じていた時代であり、そんな自由に取材させることがアメリカの民主主義にとってはいいことであるという思想が生きていた時代なのだったのだろう。

 しかし、アメリカ軍も今や厳しく取材制限をするようになった。大手のメディアに所属していないフリーのジャーナリストにとっては、実に取材のしにくい軍になってしまったのだ。勿論、自衛隊なんかは完全にフリーは問題外である。アメリカ軍も「グランドルール・アグリーメント」という従軍ルールに従うことを要求されるし、自衛隊でも厳しく取材制限が行われ”広報写真”以外の戦場写真は撮影できない。そんな、状態でもフリーランスで戦争写真や戦場写真を撮りたいと考え、取材に来るフォトグラファーのモチベーションとは何なんだろう。

 それは「戦争を身近で見たい」「戦場を身近に体験したい」ということなのだろう。常に「死」と隣り合わせになるという緊張感。歴史の最前線で何が起こっているのかという興味。勿論、「反戦」という立場から最前線で何が行われているのかという興味もあるだろう。一方、その逆で軍事・ミリタリーという興味から最前線へ行くという人もいる。『女性兵士』『戦場のハローワーク』『35ミリ最前線を行く』などでおなじみの 軍事ジャーナリスト・加藤健二郎氏なんかは自ら戦争に参加したくてフランズの傭兵部隊に入ろうとしたりしたが、それが叶わずやむなく軍事ジャーナリストになったという変わり種だが、こうした変わり種も含めて戦争を身近で見たいというのが、その大体の理由であろう。

 しかし、そんな戦場フォトグラファーたちの仕事の場である、新聞や雑誌ジャーナリズムの弱体化と、ビデオカメラのデジタル化によって、今やスチールフォトグラファーが同時にビデオカメラも回さなければいけなくなってしまった。忙しいことである。そんなスチールフォトの退潮もあってか、最近は写真展や写真集の出版に重点を移すフォトグラファーも増えてきたようだ。

『撮った写真が売れるかどうかよりも、とにかく「何が起こっているのか自分の目で見てみたい」という気持ちです。うまく表現できないのですが、関心または好奇心です。

 でも、好奇心はジャーナリストにとって重要で、「特ダネを取ろう」という野心だけなら、私は多分行かないでしょう。大事なのは、「そこへ行きたい」という自分の気持ちなんです』というのはベトナム戦争の写真で有名な元祖・米軍従軍カメラマン石川文洋氏ならではの発言である。しかし、若いフリーのフォトグラファーはやはり未だに「一旗揚げよう」だったり、「一発特ダネ写真を撮って見せよう」だったり、「下手な写真でも戦場写真なら売れるかも」だったりという「不純な」動機なのだろう。

 それでいいのである。しかし、その結果、そんな緊張感の毎日の生活が普通になってしまい、それこそ「戦争中毒」になってしまうことのないように注意してほしい。加藤健二郎氏のバグパイプってのは、案外、加藤氏なりの「中毒除け」なのかも知れない。

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コメント

経験したこともない人の

だろう

と言う考えはとてもありえません、
読者なら本にだけ解釈のみで
わかりやすく説明するだけならまだしも
経験もない勝手な意見は失礼です。

本の解釈はいいけど、戦争が起こらないように戦場カメラマンとして戦場を伝えてる人にとってはかなり失礼な部分があります。
本の解釈だけにしてください
勘違いされますので。
とても不愉快です。

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