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2011年3月

2011年3月31日 (木)

『東京随筆』はいい。しかし、時代は遷都論である。

 もう、東京が政治的首都と経済的首都と文化的首都の三つを負うのはやめようよ。

『東京随筆』(赤瀬川原平著/毎日新聞社/2011年3月5日刊)

 こんなのんびりした散歩カメラが出来ればいいんだけどね、ということで章タイトルと行った先だけを書く(項目タイトルが知りたい人はは本を読んでね);

『歴史の痕跡』 池上/千足池/五反田/戸越銀座/高輪/青物横丁/六郷土手/大森/品川/天王洲アイル/大井町/羽田

『江戸の味わい』 森下/門前仲町/両国/向島/京島/木場/砂町/亀戸/亀有/柴又/田端/王子/赤羽/旧古川庭園/錦糸町/北千住/小岩/葛西臨海公園/潮見/清澄/隅田川水上バス/浅草/東京スカイツリー

『下町の愉しみ』 根岸/三ノ輪/吉原/千駄木/谷中/東京藝術大学/不忍池/国立科学博物館/上野動物園/上野公園/合羽橋商店街/アメ横/東上野

『絵筆と街並み』 西池袋/雑司ヶ谷/椎名町/サンシャインシティ/巣鴨/駒込/目白/常盤台/上板橋/江古田/石神井公園/豊玉/白山/茗荷谷/湯島/護国寺/江戸川橋/後楽園/東京ドーム/本郷/東大本郷キャンパス

『円の中心』 京橋/築地/銀座/新橋/汐溜シオサイト/日本橋/人形町/小伝馬町/月島・佃島/霞ヶ関/永田町/国会議事堂/兜町/番町/靖国神社/皇居/皇居一周/北の丸公園/日比谷公園/丸の内/有楽町/神田/お茶の水/神保町/秋葉原/岩本町

『青山 赤坂』 麻布/赤坂/青山/愛宕/広尾/白金台/浜松町/東京タワー/六本木/アークヒルズ/代官山/恵比寿/目黒/渋谷/ハチ公前/青山学院/表参道ヒルズ/神宮前/原宿/代々木競技場/明治神宮/代々木上原

『途中下車のすすめ』 松陰神社前/三軒茶屋/駒澤大学/桜新町/用賀/二子玉川/等々力渓谷/田園調布/世田谷ボロ市/豪徳寺/経堂/馬事公苑/成城/下北沢/駒場/下高井戸

『木漏れ日 武蔵野』 中野/新井薬師/沼袋/高円寺/阿佐ヶ谷/荻窪/吉祥寺/三鷹/深大寺/野川公園と国際基督教大学/小金井公園/府中/国分寺/玉川上水/国立/田無/多摩都市モノレール/立川/日野/青梅/御嶽

『路地と坂道』 中井/下落合/神楽坂/高田馬場/市ヶ谷/四谷の路地裏/四谷荒木町/新宿御苑/西新宿/新大久保・コリアンタウン/代々木の踏切/千駄ヶ谷

『遠足記』 山下公園/港の見える丘公園/鶴岡八幡宮/鎌倉大仏/箱根関所/大涌谷/鉄道博物館/伊豆大島

 毎週毎週4年間にわたって行った「散歩カメラ紀行」である。さすがに、東京を下町中心にかなりの場所を踏破している。う~ん、老人力侮りがたしである。おまけに、この老人力は興味の赴くままに自由に行くのかと思っていたら、そうでもなくて、ある場所に行くとそれに関連する場所も気になってそこにまた行くという、普通の人々のような連関で行く場所を決めているようなのだ。

 勿論、その場所には赤瀬川氏なりの思い出のある場所もある。だが行ってみると昔赤瀬川氏が行ったときとは全く違う様相を見せている場所が多い。当然である、「変化する街」が東京である以上、昔と同じ場所はないのだ。

 ここで、昔からの東京(江戸? 人によっては)をどう懐かしむかという部分において、その人がそういう経緯で「東京人」になったのかということが重要になってくる。私のように「東京で生まれたからいやでも東京人」である人間と、物ごころついてから東京にきた人たちつまり、「自分で東京人であることを選んだ人たち」である。

 私にとってみれば、「自分で東京人であることを選んだ人たち」は、まあ、勝手だよな、ということである。東京と言う街に勝手なイメージをつけていて、自分なりの「東京イメージ」を勝手に作って、それでその通りにならないように変容してしまった東京のイメージを「怪しからん」とか言っている奴。「う~ん、僕が見ていた東京のイメージじゃないんだよね」とか勝手なことを言っている奴。そんなものは、あらかじめ我々が思っている東京のイメージじゃないんだから、当たり前じゃないか。というか、東京のイメージを変えたのはあなたがたでしょう、という気分。

 要は、東京(江戸)は元々は日本における単なる田舎町(でも大きい)にすぎなかったのだ。それが徳川家が実質首都としてしまってから政治・経済における日本の首都として作ってしまったからいけないんだよな。もういいいじゃないですか。政治の中心は例えば京都において、経済の中心だけを東京に置けばという考え方もあっていい。勿論、伊達藩の仙台遷都というのも考慮の範囲だ。

 札幌首都なんてのも個人的にはいいじゃないかとも思う。まあ、札幌に首都を置けばロシアもあまり北方領土にも干渉したくはないだろうし、いいんじゃないでしょうか。

 まあ、今それを言うべき時期ではないことは分かっているが、しかし、ボチボチ遷都論を言い始めていい時期ではないかな。

2011年3月30日 (水)

『貧困都政』というよりは贅沢貧乏都政なのだ

 貧困というよりは、もはや贅沢貧乏というやつだな。本来の贅沢の仕方をしらない男が金を遣いまくっている、という。

『貧困都政 日本一豊かな自治体の現実』(永尾俊彦著/岩波書店/2011年2月18日刊)

 著者の永尾氏はあとがきに書く『この12年間の都政とは何だったか。福祉や医療で削った金を知事の思いつきに投資して大失敗したのに誰も責任をとらない。それどころか知事は、公費での豪華外遊や高額接待を繰り返す。のみならず、身内に都の仕事をまかせるなどの公私混同さえ行われた。また、市場を汚染地に移して食の安全を危険にさらした。「日の丸・君が代」の強制や職員会議での採決禁止に象徴されるように、都の方針に従わない教師や職員を処分・左遷し黙らせる。福祉や医療は崩壊し、道徳は地に堕ち、民主主義は失われた。まさに都政の「失われた12年」だった』と。

 目次を見てみよう;

第1章 福祉炎上

第2章 病院が消されていく

第3章 将軍様の銀行

第4章 オリンピック招致をは何だったのか

第5章 築地市場は誰のものか

第6章 夜間中学からの抵抗

第7章 トップダウンに「自治の花」が咲くものか

 という具合。、まさに石原〈天罰〉慎太郎東京都知事の悪行の数々である。何故都民はこんな悪行知事に都政を12年間も任せたのだろうか。

『1999年、26人。2008年、43人』って何の事だか分かりますか? この10年間で増えた「餓死者」の数である。この数は病気(拒食症を含む)に起因する栄養失調の死亡者は除いてあり、いわゆる「飢え死に」した人の数なのだ。東京都の2011年度の年間予算は一般会計、特別会計、公営企業会計合わせて約12兆円である。これは、石原自身が『韓国は約14兆円、ノルウェーが12兆円、サウジアラビアが11兆円というところでありまして、これだけの予算規模をもった都市というのは世界に例がない』と自慢話をするとおり、これだけの「豊かさ」を誇った都市は世界で東京都だけである。ところがそんな豊かな都市で何故餓死する人が出るのか。

 美濃部亮吉、鈴木俊一、青島幸男の後を引き受けて石原が都知事になった1999年、東京都の財政は逼迫していた。そんな「非常時」には石原のような「ワンマン体制」「独裁体制」が必要なことは分かる。とにかく、福祉大事、ギャンブル切り捨てで財政を悪化させた美濃部体制。そんな美濃部体制を批判して登場したものの、結局は「箱モノ」行政でやはり財政悪化の原因を作った鈴木体制。「都市博中止」という公約は見事「ワンマン・独裁」で果たしたものの、それ以外はすべて官僚任せにして、結局は有り余る税収入がありながらやはり財政悪化させた青島体制の後を引き受けた石原である。それこそ地方交付税交付団体になりかねなかった東京都を立て直さなければならないということで、都職員(都知事・都議も含む)の歳費カットや無駄の徹底的な見直しという大ナタを振るわなければならなかったのは事実であるし、そうした場合には強権も振るわなければならない。

 しかし、その結果、東京都の財政は健全化、どころか今や余剰金が1兆円もある状態になっているのだ。その時に至っても未だに「ワンマン」「独裁」体制を維持しているというのは、どうしたものだろうか。自分が解決した財政赤字だから、自分が勝手に使っていいと考えているのだろうか。切り捨てられた福祉、医療は相変わらずそのままであるし、一方ではオリンピック招致に現状を無視して150億円も費やすというのは、まったく現実を見られなくなった「裸の王様」としか言いようがない。石原の「思いつき」一発で出来てしまった新銀行東京も、結局は他の一般銀行よりも高い金利で厳しい融資条件を借主につけてしまい、これでは東京都のほとんどの税収をあげている中小・零細企業にとっては何の意味もない銀行であるしかない。そんな、破綻した銀行に追加融資を決めている東京都なのである。

 そんな、石原の暴走を止められない都議民主党も同罪である。本来は石原都政に対する批判勢力である筈の都議民主党も、築地移転問題でも本来は反対勢力だったにもかかわらず賛成に回ってしまい、青少年保護育成条例改悪についても、元々は反対だったのが、二次案になったら賛成に回ってしまうというのは、選挙民に対する裏切りでしかないのではないか。

 いまや東京都は「非常時」ではない。こんな平時にはトップダウンではなく、ボトムアップで問題を掬いあげ、政治を行う必要があるだろう。自分の能力なんかは限りがある。その時に有効な力を発揮するのは東京都の有能な官僚たちなのだが、そんな官僚の姿がこの男には見えていないのだろう。で、相変わらず「ワンマン」「独裁」体制を変えようとしないのだ。

 それにしても、文学者であった石原の筈であるが、これほど言葉遣いに気を遣わない男も珍しいだろう。オリンピック招致に瑞穂町が招致賛同決議案を否決した時に石原は『頭がどうかしてるんじゃないのか。三多摩(で国体)がある。その時になって、吠え面かかないようにした方がいい』と言って恫喝したそうだ。そういえば、青少年保護育成条例改悪に異議を唱え、東京都が主催する東京国際アニメフェアから撤退し、自らアニメコンテンツエキスポを立ち上げたコミック10社の会に対しても「後から吠え面かかないようにした方がいい」という言い方をしていた。もっとも、この後、アニメフェアへの「低姿勢な協力要請」をしてきたのには笑いましたがね。でも、まあこれも地震のおかげで双方とも開催が取りやめになったりはしたけれども。

 まあ、いずれにせよこんな石原にまだ都知事をやらせたらいかんのです。ワタミでもいい、そんまんまでもいい。まあ、まともなのは共産党の小池くらいだが。誰でもいいから、取り敢えず石原都政にまずストップさせなきゃいかんのです。

 

2011年3月29日 (火)

『戦場カメラマンという仕事』で戦争中毒にならないように

 問題は、なぜ彼は戦場フォトグラファーという仕事を選んだのか、ということである。

『戦場カメラマンという仕事』(洋泉社MOOK/2011年3月23日刊)

 戦場フォトグラファーという仕事が仕事として成立したのは第二次世界大戦の頃ではないだろか。そのころロールフィルムを使用して連続撮影できる小型携帯カメラと高感度のフィルム(といってもISO10とか30とか言う今では超低感度フィルムなのだが)が出現したのだ。当時の資料写真なんかを見ると1925年発表のライカIA、1932年のコンタックスI型、1937年のローライフレックスオートマットなどが、大体第二次世界大戦中の戦場フォトグラファー御用達のカメラのようである。勿論、それらは戦場用に開発されたのではなく、アマチュアが気楽に撮影できる写真機として開発されたわけであるが、その携帯性が身軽な撮影が求められる戦場フォトグラファーに気に入られた。というよりは、そうした携帯性に富んだカメラが出てきたおかげで、戦場フォトグラファーという業種が生まれたのだ。

 で、では何故彼らが戦場を目指すのだろうか。一つには「それで一旗揚げよう」という目的がある。ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』なんかを読むとしょっちゅうお金に困って人から借りたり、アメリカ国籍がないためにアメリカ国家から不利益な扱いを受けたりしていて、その結果として「戦場フォトグラファー」として活躍しなければならないキャパ自身が登場する。そんなキャパも功なり名遂げて『毎日カメラ』の招きで日本を訪れている最中に、インドシナ取材の要請を受けて赴き、そこで亡くなる。すでに一旗揚げてしまったのになぜ? という疑問があるのだが、そこは今度は「戦争中毒」のようなものかもしれない。

 こうした「一旗揚げよう」派は多分ベトナム戦争の頃まではいたのだろう。別に戦争は好きではないけれども、戦争写真、戦場写真は特に写真技術がなくても、度胸一発で撮れたりする。そんな度胸一発写真でも世界的に有名になれたりする、というドリームメイキングが戦争写真、戦場写真なのだ。特にベトナム戦争の頃はアメリカ軍もメディアにオープンで、フリーのフォトグラファーにも簡単に取材許可を出して、従軍も可能という今では考えられない自由な取材対応であった。多分、1960年頃まではアメリカもまだまだ自由主義、平等主義、民主主義というものをアプリオリに信じていた時代であり、そんな自由に取材させることがアメリカの民主主義にとってはいいことであるという思想が生きていた時代なのだったのだろう。

 しかし、アメリカ軍も今や厳しく取材制限をするようになった。大手のメディアに所属していないフリーのジャーナリストにとっては、実に取材のしにくい軍になってしまったのだ。勿論、自衛隊なんかは完全にフリーは問題外である。アメリカ軍も「グランドルール・アグリーメント」という従軍ルールに従うことを要求されるし、自衛隊でも厳しく取材制限が行われ”広報写真”以外の戦場写真は撮影できない。そんな、状態でもフリーランスで戦争写真や戦場写真を撮りたいと考え、取材に来るフォトグラファーのモチベーションとは何なんだろう。

 それは「戦争を身近で見たい」「戦場を身近に体験したい」ということなのだろう。常に「死」と隣り合わせになるという緊張感。歴史の最前線で何が起こっているのかという興味。勿論、「反戦」という立場から最前線で何が行われているのかという興味もあるだろう。一方、その逆で軍事・ミリタリーという興味から最前線へ行くという人もいる。『女性兵士』『戦場のハローワーク』『35ミリ最前線を行く』などでおなじみの 軍事ジャーナリスト・加藤健二郎氏なんかは自ら戦争に参加したくてフランズの傭兵部隊に入ろうとしたりしたが、それが叶わずやむなく軍事ジャーナリストになったという変わり種だが、こうした変わり種も含めて戦争を身近で見たいというのが、その大体の理由であろう。

 しかし、そんな戦場フォトグラファーたちの仕事の場である、新聞や雑誌ジャーナリズムの弱体化と、ビデオカメラのデジタル化によって、今やスチールフォトグラファーが同時にビデオカメラも回さなければいけなくなってしまった。忙しいことである。そんなスチールフォトの退潮もあってか、最近は写真展や写真集の出版に重点を移すフォトグラファーも増えてきたようだ。

『撮った写真が売れるかどうかよりも、とにかく「何が起こっているのか自分の目で見てみたい」という気持ちです。うまく表現できないのですが、関心または好奇心です。

 でも、好奇心はジャーナリストにとって重要で、「特ダネを取ろう」という野心だけなら、私は多分行かないでしょう。大事なのは、「そこへ行きたい」という自分の気持ちなんです』というのはベトナム戦争の写真で有名な元祖・米軍従軍カメラマン石川文洋氏ならではの発言である。しかし、若いフリーのフォトグラファーはやはり未だに「一旗揚げよう」だったり、「一発特ダネ写真を撮って見せよう」だったり、「下手な写真でも戦場写真なら売れるかも」だったりという「不純な」動機なのだろう。

 それでいいのである。しかし、その結果、そんな緊張感の毎日の生活が普通になってしまい、それこそ「戦争中毒」になってしまうことのないように注意してほしい。加藤健二郎氏のバグパイプってのは、案外、加藤氏なりの「中毒除け」なのかも知れない。

2011年3月28日 (月)

『ベッティナ・ランス写真展 女神たちの楽園』

 前から何度も書いているが貧困なる石原〈天罰〉慎太郎都政の唯一の善政である東京写真美術館で『ベッティナ・ランス写真展 女神たちの楽園 セレブたちの美しき幻影と気品』を観にいった。

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EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 マドンナ、シャロン・ストーン、ソフィー・マルソー、シンデシィ・クロフォード、シャーロット・ランプリング、ナオミ・キャンベルなど、映画や音楽、ファッションなどで一時代を築いた女性たちがベッティナ・ランスのカメラの前で、何気ない風で被写体となっている。モデルになった女性たちはベッティナの前で演技をすることもなしに、普段の自分をさらけ出しているように見える。とは言うものの、勿論それは十分計算しつくされた”演技”であることは間違いないのだが、それでも演技と思わせないその仕草はモデルたちのそれこそ”完璧な演技”によるものなのか、あるいはフォトグラファーの自然主義のたまものなのか。

 ところが、そんな60点あまりの写真の中で唯一”ピクトリアリズム”を感じさせる写真が、ポスターにも使われているモデル、道端ジェシカのポートレイトである。

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(c)Bettina Rheims

 カメラを見つめる視線。スックといすに座った姿勢。美しい鎖骨。しっかりした胸。キチンと揃えられた膝。そして膝の上の猫までがまるで演技をしているように見える。完璧な”演技”とでもいうよな完成性があるこの写真だけが、その他の写真群と異なり異彩を放つ。

 最初ポスターでこの写真を観た私はこうした如何にも”作られた写真”たちばっかりなのかと思ったのだが、それは逆でこの写真だけが異質なのだ。この差異は何なのだろう。道端ジェシカの希望によるものなのか、あるいはフォトグラファーの意向なのか。

 いずれにせよ、ますます興味が尽きない写真群であることだけは間違いない。

 5月15日まで開催中。

 同時に、幕末の開国と時を同じくして日本にもたらされた写真術による日本の初期写真群『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 四国・九州・沖縄編』、および『芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展』も5月8日まで開催中。

 

2011年3月27日 (日)

『パチンコがアニメだらけになった理由』って、単なるネガティブ・メディアミックスなのだが

 ライセンス料の安いアニメ作品を利用して液晶演出をうまくなおかつ安く上げようというパチンコ台製造業界の思惑と、いまやDVDなどの映像ソフトの売り上げに頼れなくなってしまったアニメ業界の思惑がうまく合致したのが、その理由なのだけれども、最早そんなネガティブ・メディアミックスは先が見えているという状況なのだ。

『パチンコがアニメだらけになった理由』(安藤健二著/洋泉社/2011年1月25日刊)

 もともとは『がきデカ』や『ルパン三世』という普通のアニメーション作品のパチンコ・ライセンスだったものが、やたらテレビCMが沢山流れて一般の人びとの眼に付き始めたのは『新世紀エヴァンゲリオン』とか『超時空要塞マクロス』あたりか。テレビCMというのも時代の相を表わしていて、自動車や化粧品のCMがやたら多かった前世紀に比較して、今世紀に入って最初の頃はサラ金のCMがまず最初に目立ってきて、最近はパチンコのCMばっかりである。それはその時その時の一番当たっている業界のCMが多いのであるが、同時にテレビ会社側の「CM枠を売らなければいけない」というやむにやまれぬ事情から、それまで断ってきたサラ金やパチンコ業界のCMを入れなければならないというテレビ会社の追い込まれた状況と言うのも読んでとれる。

 つまり、海外販売とDVDソフトの売り上げで製作費を回収するというビジネス・モデルが成立しなくなってしまったアニメ業界側の思惑。ロボット物が多いオタク・アニメは「勝ち負け」をはっきりさせる液晶演出と相性がよく、実写ドラマよりライセンス料が比較的安く許諾がとりやすく、なおかつ知名度が低いオタク・アニメはなおさらハードルが低いので飛びつきやすいというパチンコ側の思惑。そして、何が何でもCM枠を埋めなければならないというテレビ側の思惑。こうした三者の思惑が合致した場所に「やたらオタク・アニメを使ったパチンンコ機のCMがテレビで流される」という現在の現象になっているわけなのだ。

 しかし、これって2005年に971億円という過去最高額の映像ソフトの出荷額を誇ったものの、その僅か4年後の2009年には736億円という4分の3程度に落ちてしまったアニメ業界。1995年には2900万人いた遊技人口が2008年には1580万人とほぼ半減してしまったパチンコ業界。そして、今や落ちるところをしらないテレビCMの世界。その結果、『在京キー局のパチンコCMの放送回数は、04年度には2758回だったのに対して、08年度には17822回と約6倍にも膨れ上がった』ということになったのだ。

 つまりは、これは負け状況の三者の敗者連合。

 パチンコ側では、ライセンス料とCM代がかさむためにパチンコ機の値段があがる。その結果、パチンコ店の経営を圧迫し、パチンコ台の釘調整はきつくなり、資金を投入しても大当たりが出にくくなり、パチンコ・ファンのパチンコ離れが加速する。

 アニメ側では、アニメに興味のないパチンコ・ファンが勝手にアニメ・キャラの話をすることに嫌悪を覚え、そんなオタク・アニメから離れつつある。彼らは、決してパチンコなんかはしないのだ。

 著者・安藤氏はこう結論づける。『「オタク向けアニメのパチンコ台」が、ビジネス上のメリットだけで生まれている以上、原作ファンから熱い支持を受けることはないだろう。パチノ・ファンも、乱発されるオタク系コンテンツとのタイアップ物に飽きる日が来るかもしれない。末期症状の患者同士の延命治療は、いつまで保つのであろうか』と。そして、そんな悲劇的な終末を迎える時期を早めようとテレビがCMをバンバン打つのである。

 

2011年3月26日 (土)

『ウィキリークス以後の日本』というよりも現代マスコミ批判なのだ

 きっかけはウィキリークスかもしれないが、問題はそうじゃなくて「記者クラブ」なんだ。

『ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命』(上杉隆著/光文社新書/2011年3月20日刊)

 勿論、ウィキリークスは大きなテーマである。

 その存在が大きく知られたのは2010年11月末にアメリカ国務省の秘密外交文書25万点を公開し始めて、アメリカだけなく世界中の政府を狼狽させたことから始まるのであろう。勿論それ以前から2007年に活動を開始した時から様々な国家の政府の秘密を暴き始めていたわけで、その存在は知られていたわけではあるけれども、日本のメディアでは単なる「暴露サイト」ということで無視され続けていた。しかし、今やウィキリークスは単なる暴露サイトではなく、最早「メディア」として動き始めているのだ。それに気づいている人は内部には多いのだろうが、そう認めるわけにはいかないのがMSM(メインストリームメディア=大手メディア)であり、とりわけ日本のMSMを形成している記者クラブに所属しているメディア(新聞、テレビ)なのである。

 そこで、本書の後半ではウィキリークスについての記述ではなく、ほとんどが「記者クラブ」批判に費やされる。まさに「官房機密費」問題であり、「尖閣ビデオ」問題であり、石川知裕議員女性秘書「監禁」事件であり、もっと言ってしまえば西山毎日新聞事件であり、そして本書では時間的に触れることはできなかった、今起こっている東電原発事故問題なのだ。

『ジャーナリストの最大の使命は、権力者が人びとに知られたくない、つまり彼らにとって不都合な情報を暴くことである』という至極まっとうな、本来の仕事が、「新聞社」とか「テレビ会社」という「会社組織」に捉われてしまうと、その組織内での自分の立場を守ることに汲々としてしまい、ジャーナリストとしての本来の使命を忘れてしまうということになってしまうのである。彼らだって、その会社に入ろうとしたときには、そのような「ジャーナリスト」になりたいと考えていた筈である。しかし、そのような組織の一員になってしまうと、今度はその組織を維持する方向にベクトルが変わってしまい、というか先輩社員の連綿とした組織維持の中に捉われてしまい、結局は記者クラブ維持とか、現状の会社組織維持とか、とにかく「保守」の側に回ってしまうのである。ということをやっているうちに、マスコミ自体が権力になってしまい、暴く側から暴かれる側になってしまったのである。

 これは日本人特有の「村社会」的発想が「会社」という組織に繋がっているのだろう。つまり、自分個人の発想よりも「村」としての組織の発想に自分も従うという。しかし、そんな発想がそろそろ疲弊してきて、記者クラブというよりも既存の新聞、テレビというメディアがどうしようもなくなってきているということに気づくべきなのだ。「暴露サイト」のあり方とは本来のメディアのあり方ではないのか。

 権力者(政治もそうだし、資本もそうだし)が隠したいと思っている「不都合な真実」を「暴露」する、というのは、勿論彼らのプライベートなことを暴露しても意味はない。しかし、それらの「公人」としての部分であればいくらでも暴露してもいいのである。

 ところが日本のマスコミはそうはしない。本書に即して言えば、上記のアサンジのウイキリークスが大々的にアメリカの秘密公文書を公開した時に、日本では海老蔵の事件に追われていた、というか、海老蔵事件に追われていた風を装ってウィキリークス事件を追わなかった。市川海老蔵というのは「公人」なのか「私人」なのかは知らないが、その彼がどういう行動をとったのかということと、それを報じるマスコミに接する人間にとってどのように関係があるのかと言えば、何の関係もないだろう。

 むしろ、ウィキリークスによって報じられたことの方が、よっぽど我々の生活には関係が多いことなのだ。そういうことに気づかない、あるいは気づかないふりをしているマスコミってなんでしょうね。

 ということで、もはやマスコミは信じないようにしましょう。マスコミで報じたことに対しては、一発、何かこの裏にはあるぜっていう見方をしましょう。

 まあ、そんなことですね。

2011年3月25日 (金)

『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』って、仕事をしないからなのだ

 つぶれないというよりは仕事をしていないからつぶれようがないのだ。

『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』(牧野知弘著/祥伝社新書/2011年2月10日刊)

 町の不動産屋は「売買益」を求めて一生懸命仕事をしていないからつぶれないのであり、「売買益」を求めると一生懸命「機を見て」仕事をしなければならなくなり、そうなると「機を見る」ことに失敗して倒産せざるをえなくなるということなのだ。

 つまり、この本は「不動産で儲けようと思ったら売買益ではなく運用益で稼げ」ということを言っているのだ。

 取り敢えず、目次から;

序章  ふたたび「危機」といわれる不動産業

第1章 不動産で儲ける2つの道

第2章 不動産投資は、ギャンブルなのか?

第3章 なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか?

第4章 「サラリーマン大家さん」のススメ

第5章 「土地は裏切らない」ということを、もう一度考えよう

 ということであり、要は「町の不動産屋がつぶれない」というテーマで書かれたのは第3章の全24ページにすぎない。その他は、すべて売買益を求める不動産業がバブルの時に如何にしてつぶれたのか、三井不動産や三菱地所はなぜつぶれないのか、ということに費やされている。そして、その理由は簡単。三井不動産や三菱地所は「土地は買うものであり、売るものではない」ということに徹したから。

 結局、売買益を求めて不動産に手を出すということは、より大きな儲けを求めるために売り時を逃すことになり、そこで大損をするということになる。ということは、しかし、売り時を逃さず「売り逃げ」をしてバブルで大儲けをして、バブル崩壊の際にはしっかり売り抜けて儲けている会社もあるということである。一方で大損をする会社がある以上は、もう一方で大儲けをする会社もあるというのが資本主義であるのだから、そういう関係になるのだ。それはそれ、「2割は大儲けをして、6割はそこそこ、2割は大損をする」というギャンブルの常識がそこにもあるわけですね。まあ、バブル崩壊の時には「2割は大儲けをして、残り8割は大損」という構図かもしれないが。

 これは株も同じこと、株の場合はだいたい損切りが出来なくて失敗する。株価が下がってどんどん名目安になるのに、いつまでたっても「いや、これから上がるかもしれない」といって手放せなくなり、そのまま破滅への道を突っ走る。株で儲ける人はだいたいこの「損切り」がうまい人なのだ。株の場合は最後は紙くずになってしまうのだから、損が少ないうちに逃げ切る。

 土地の場合は逆。地価が下がって「これじゃあ借金が返せない」といって、あわてて売りに走り、だいたい失敗する。ところが土地は紙くずになることはない。とにかく頑張って持ってれば、いずれ地価の下落は収まる。その後は反昇するかと言えば、残念ながらそんなこともなくても、紙くずにならない以上、運用益は求められる。取り敢えず、たいした利益にならなくても運用することによって多少の利益を出しながら、時を待つということだろう。

 三井不動産や三菱地所はそうして「買うだけで売らない」で、ひとつひとつは小さなものだけれども、大々的に所有した土地の運用益によって稼いでいるのである。

 そこで、なぜ町の不動産屋はつぶれないのか? つまり、彼らのほとんどは売買益で商売はしていないで、運用益から入るわずかな手数料がその収入のほとんどであり、基本的にはつましい生活をおくりつつ、たまに手に入る売買益のおこぼれをボーナスとして受けるという商売をしているからなのだという。

 なるほど、さすがに元三井不動産の人のいうことは正しいのだな。と、ここで考えたのだが、そんな土地をも買えない人はどうすればいいのだろう。「金を借りて」土地を買わなければならない人にとっては、やはり厳しい資本主義の世界ではある。

 しかし、皆が皆、土地を欲しがるというのは何故だろう。実は、皆が自分の土地を持ち始めたのは戦後の高度成長期になってからのことである。それまでの戦前の日本社会では土地は基本的には「借り物」であり、そんな借地の上に自分の家を建てたのである。世の中には広大な土地を持った「地主さん」がいて、年間僅かな地代をとっていたのである。地代は僅かであり、そんなに生活を苦しめるようなものではなかった。家も小さなものだった。それで十分生活はできたのであり、それで不満は出なかった。

 もはやそんな生活は出来ないのかな。

2011年3月24日 (木)

東電の官報報道には要注意・・・東電は一度死ね

 もうぼちぼち「地震報道」について批判してもいいだろう。

 要は東京電力なのである。地震は確かに天災ではあるけれども、東電の原発事故は完全に「人災」なのである。そこをいっしょくたにして東電も天災だと言ってはいけないのだ。

 まず、最初には「どんな地震が来ても大丈夫です」と言っていた東電のウソを見なければいけない。「いやいや津波は想定外」というのは駄目ですね、だって、津波がきてもおかしくないところに原発を作ったのだから。それは何故かと言ったら、冷却水をとりやすい海岸に作るのが原発を作るのが当たり前だろってなもんなんですから。

 で、問題は1号炉に最初に「海水を入れて冷やせ」といった米軍や国に対して、東京電力はそれを断ったのである。何故か、要はそれをしちゃうと「原発がもう使えなくる」からなのである。海水を入れないで普通の冷却水だけでやってれば、なんとかそれで冷やせれば、元の原発を再度、発電が出来ると考えたのだ。

 ただし、問題は現場の作業員たちがどう考えたのか、ということだ。多分、現場では「もう原発は駄目だ」ということに結論づけたに違いないのだ。だいたい、現場で作業している人たちは東電の社員じゃなくて下請け会社の人たちなのだ。

 ところが、内幸町の本社にいて何の痛みも感じていないバカどもは、今後の操業のことしか考えていない。

 ま、取り敢えず東京電力と言う会社には一度死んでもらうしかないんでしょうね。

 地域独占企業の問題ですよ、ということは社員といっても殆ど公務員みたいなもんでしょう、これは。

荒井春彦vs絲山秋子裁判高裁判決が出たけど

 昨日は東京高裁で「荒井春彦vs.絲山秋子裁判」の判決言い渡しを傍聴。

 まあ、予想はしていたけれども地裁判決と同様、原告である荒井春彦氏、協同組合日本シナリオ作家協会の主張は全て斥けられることとなった。

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 荒井春彦vs.絲山秋子の裁判については昨年1月13日に「重箱の隅をつつく」で初めて紹介し、その地裁判決については同じく9月26日「荒井春彦vs絲山秋子裁判その後」及び10月9日「『荒井春彦vs絲山秋子裁判』の詳報が『シナリオ』誌に載っている」で詳しく紹介している。

 要は、絲山秋子氏の本『イッツ・オンリー・トーク』を原作とした映画『やわらかい生活』に関して、映画化、DVD化、海外販売は絲山氏側もOKしたのだけれども、唯一その荒井春彦氏による脚本の年鑑収録だけを拒否したというもの。地裁では荒井氏、シナリオ作協側の主張は全部斥けられ原告敗訴となったものが、高裁へ控訴となり、昨日その判決が言い渡されたということである。

 問題は、小説と同じ文字表現である脚本の出版だけは、映画化、DVD化、海外販売とは違うというおかしな論理が被告である絲山側の主張であり、映画の二次利用に関しては原則としてOKしてるじゃないかというのが原告側の主張。憲法に絡むような裁判じゃないし、原告が求めている賠償金も「1円」という冗談みたいな裁判で、裁判所も「面倒くせえなあ」というところなのだろうか、あまり高裁で地裁に差し戻しになるという期待はなかったが、その通りになってしまったというわけだ。

 しかし、この裁判。「映画の二次利用」という部分では大きな問題を残している。つまり、基本的にはもし脚本が気に入らなければ、その段階で映画化を拒否する権利を原著作者は持っているわけで、だったらプロデューサーが何と言おうとその段階で映画化を拒否すべきだたのである。ところが映画化をOKしていながら、その二次利用についてDVD化や海外販売という原著作者に収入があるものはいいけど、脚本の年鑑収録という一銭にもならないものについては原著作者の権利を振りかざしてやっちゃ駄目というのは、原著作者の権利の横暴だろうし、大人の態度でもない。

 結果として、荒井氏およびシナリオ作協が次にどういう手で出てくるか、最高裁までいくのかどうかは、いずれ分かると思うのでそこでご報告します。

 取り敢えず、今日は昨日の高裁判決のご報告まで・・・。

2011年3月23日 (水)

一人出版社の時代なのかもしれない

 今売っている『本の雑誌』335号が面白い特集をやっている。題して『一人出版社の時代がきたぞ!』

 内容は『対談:島田純一郎(夏葉社)vs文弘樹クレイン)「一人で出版社をやるなら吉祥寺だ!」/群像社インタビュー「“火中の栗”を拾う人募集中!」/「ひとり出版社のできるまで」谷川茂(双風舎代表)/「殉死・失踪・病死ーひとり出版社の終わりかたー」岩田博(岩田書店代表)/「上海の印刷所で”自分出版”する!」tamioo/社員編集者に聞く・もし一人出版社を起こすとしたら出したい本「とびきりアブナイ本を作ってみたい」土屋和夫(講談社)、「偏愛と妄想の青木社の新刊はこれだ!」青木大輔(新潮社)』というもの。

 電子書籍の時代の到来によって出版社のダンサイジングがやってきたわけではない。要は出版というものを時代が受け容れてくれる状況が変わっててしまい、その結果出版社のダウンサイジングが求められているだけのことであり、電子書籍はそれをホンの少し後押ししているというだけのことである。その出版社のダウンサイジングの究極的な形が「一人出版社」ということであろう。

 特集のコラムによれば『出版年鑑2009』によれば従業員1名と記載されている出版社は全国に120社。全出版社数は3,979社だから約3パーセントが一人出版社。同じ『出版年鑑1999』によれば一人出版社は102社で、全出版社数は4,453社なので約2.3パーセント。この10年間で全出版社数は10.6パーセント、474社減って、一方一人出版社は15パーセント、18社も増えているのだ。

 出版社と言えば編集・業務・営業・経理という各部門があって・・・というイメージなんだけれども、それは大きな出版社の話であって、メーカーだって企画・工場・営業・経理・総務の各部門がある会社もあれば、一方それらの仕事を一人でやっている零細企業もあるわけであり、同じく出版社もそれらの仕事を一人でやっている零細出版社もあるわけである。元々、出版社なんて机と電話があればそれで出来るというベンチャー企業だったわけで、そんな一人出版社があったってまったくおかしくない業種ではあったのだな。おまけに編集の仕事なんていくらでもアウトソーシング出来る先はあるわけで、出版企画さえ立てられれば以降の仕事はすべて外注で、営業と(それも販促だけを請け負う会社もある)経理だけを自分でやれば、それですべてが回ってしまうのだ。それに、自分で出来る範囲で営業をしていれば厄介な取次(ここが出版社をやるときの一番の癌になる)との取引はしなくてもいいし、ネットやツイッターなんかがある時代であり、それらを利用して販売促進なんかもできるし、宅配便を使えばロジスティックの問題もない。優秀な経理ソフトもあるし・・・。

 ということで、一人出版社が増える要素はいくらでもあるのだ。出版企画なんでいくらでも立てられる。それで数千部も売れればOKである。1,500円の本が3,000部も売れれば10%の利益としても450,000円の儲けである。年間2~3点くらいの出版をやっていれば、小遣い稼ぎ位にはなりそうである。

 私も会社をリタイヤしたら一人出版社を起業しようかしら。知っている書店も結構あるし、そんな書店に販売促進をしながら日本全国を旅する毎日なんてのも、楽しそうである。

 うん、これはいいな。

2011年3月22日 (火)

『戦前昭和の社会』と今の時代の単純比較は問題だ

 戦前昭和ヒトケタから十年代というと、大正デモクラシーの時代から一転暗く戦争に向かって突き進むようなイメージがあるのだけれども、意外と明るく未来を見据えた社会背景もあって、「鬼畜米英」へ向って破滅へ突き進んだのは1941年(昭和16年)からの数年間にすぎず、むしろ戦後の方が暗い時代が長かったのだなということが分かる。

『戦前昭和の社会 1926-1645』(井上寿一著/講談社現代新書/2011年3月20日刊)

『電球にはじまり、扇風機、アイロン、コタツなどの家庭電化製品が一般家庭に広まっていた。高価ではあっても、今と変わらない機能の冷蔵庫を手に入れることができた。洗濯機も同様である。新しいメディアのラジオが飛躍的な普及をみせていた。デパートは出店ラッシュだった。売り場には最先端の商品が並んでいる。アメリカ製の家庭電化製品から「10銭均一」商品まで、何でもそろう。映画(活動写真)は大衆の最大の娯楽だった。洋画はハリウッド映画である。一番人気はチャップリンだった。

 このような大衆消費の進展の一方で、社会の格差が拡大していた。鉄筋コンクリート造りの集合住宅(「アパートメント・ハウス」)でモダンな生活を送る人びとがいた。他方でプロレタリア小説が描くように、労働者や農民は過酷な生活を強いられていた。高学歴エリートの大学生の就職難は、「大学は出たけれど」が流行語になるほどだった。

 格差是正の期待を担って成立したはずの二大政党制は、党利党略に明け暮れた。テロとクーデタよりも前に、政党政治に対する国民の懐疑の念が強まっていた。国民は政党よりもカリスマ性のある政治指導者が直接、社会を変革することに賭けるようになる。

 他方で社会の閉塞感は、性的な享楽と醜悪で不可解な事件が頻発する「エロ・グロ・ナンセンス」の風潮を生む。新興宗教が興隆する。』

 といった具合に、ちょうど今の時勢によく似た社会事情ではあるようだ。名目GDPが中国に抜かれたとはいえ、未だ世界の中でもっとも豊かな国であるにもかかわらず、社会の格差は拡大するばかりだし、大学生は就職氷河期の真っ最中だ。二大政党制によって政権交代した菅民主党も、まさに震災と原発事故と言う「国難」を利用して「挙国一致内閣」を構成して翼賛体制を作ろうとして自民党に拒否されたりするという党利党略のみに突っ走る状態だし。そんな社会の中でスピリチュアル・ブームがおきたりしている。

 とはいうものの、こうした社会状況の比較というのは、あまり有効であるとも思えない。そうなってしまうと、では次には「戦争による社会の平準化」を図るのかということになってしまう。一方、日本の周囲は尖閣列島の中国、竹島の韓国、拉致の北朝鮮という具合に、火種にしようと思えばいくらでも火種になってしまう材料には事欠かない。それこそ震災による国難の真っ最中の今ではそういうこともないが、それまでは「戦争をやって若者を鍛えろ」なんて言っていた「天罰男」石原慎太郎なんて輩もいるのである。

 確かに似たような社会状況「も」あるのであるが、そうでない状況もあるのである。そうした似たような状況と似てない状況とを比較して、どこがどう似ていて、どこがどう似ていないかを確認しつつ、未来に向かって検証をすすめていく作業が必要なのだろう。

 

2011年3月21日 (月)

『シュルレアリスム』というよくわからない芸術運動について

 昔は龍土町の交差点という丁字路があって、そこから星条旗通りというのが霞町(今の西麻布)方面に延びていた。なぜ星条旗通りというかというと、その通りに星条旗新聞(Stars & Stripes)という米軍機関紙の本社があったからなのだが、さらに米軍のヘリ基地があったという今の人なら信じられないような都心の基地な訳だ。まあ、もっとも戦争に関係した基地じゃなくて、アメリカ大使館の偉いさんなんかが利用した基地であるのだが。

 その龍土町の交差点が今や東京ミッドタウン西という名前に変わって、星条旗新聞とかヘリ基地がなくなって、政策研究大学院大学と国立新美術館というのが出来ている。

 で、今日はその国立新美術館で開催されている『シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―』を見に行った。

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 アドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』自体は彼の詩集『溶ける魚』の前文として書かれたものであり、つまりそれは詩におけるオートマティスム(自動筆記)について書かれたものであり、あらかじめ書き手の前意識をなくして書くときの筆者の思うにまかせて詩を書くという方法論のことであり、それを芸術的表現の戦略にまで高めたものである。

 したがって、ブルトンのような詩人の場合は判るのだが、絵画や彫刻なんかは、どうしたらオートマティスムが可能になるのかはよく分からない。写真なんかは、撮るまでは何が撮れているかは分からないというところでは、どこかオートマティスムがあるのだろうが、だからといってマン・レイのように、それこそ『蝙蝠傘とミシン』なんていう写真作品は、アンドレ・ブルトンの宣言をそのまま「意識して」写真にしただけではないだろうか、という気にもなってしまう。こうしたシュルレアリスム運動にかかわっていた時期があるというアンリ=カルティエ・ブレッソンは、どういう立場でかかわっていたのだろうか。

 しかし、絵画や彫刻なんかは、基本的に予め「何を、どう作るか」は既に決まっているわけで、ということになると詩のようなオートマティスムによる絵画や彫刻はない訳で、それがどのようにシュルレアリスムなのかはよく分からないところだ。シュルレアリスムの絵画というと、有名なのはサルバドール・ダリの「柔らかい時計」という別名が付いている『記憶の固執』という絵なのだが、それが「シュルレアリスム的なイメージ」の題材を扱っているのはよくわかるのだが、だからと言ってその絵がかかれた経過はシュルレアリスムではない。ダリは予めそのような絵を書こうとしていたわけだ。ということは、題材としてはシュルレアリスムではあるけれども、方法としてはまったくシュルレアリスムではない。つまりそれでは単なる「ジャンルとしてのシュルレアリスム」というものだけであるにすぎない。しかし、シュルレアリスムという「運動」は本来こうした「ジャンルとしての」区分けを否定して出てきたものではないか。それがまた「ジャンル」として囚われてしまうという矛盾。

 でまあ、結局は詩以外の分野でのシュルレアリスムとは「印象派」なんかの制限がなくなった「なんでもあり」の絵画・彫刻形式なのであると考えた方が分かりやすい。だから結局はそのまま抽象派になっていったり、いろいろな広がりをもった芸術運動になって、シュルレアリスムとしては瓦解し、変化をしていったのだろう。

 芸術表現においていろいろな制限やら約束事をなくしていこうという運動。それがシュルレアリスムである。ただし、そう考えると「シュルレアリスム絵画」「シュルレアリスム彫刻」なんてものは「芸術ジャンル」として無くなってしまうのだ。

 アンドレ・ブルトン(巌谷國士訳)『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(巌谷國士訳/岩波文庫/1992年刊)もご一読を。

『自分が自分の本の著者であるとは思わない、なぜならこれはシュルレアリスムの産物としか考えられないもので、署名している者の才能の有無の問題などはすべて排除されているからだ。自分は自分の意見をはさまずにひとつの資料を写しとっただけなのであり、また、罪を問われている書物に対しては、すくなくとも裁判長とおなじくらい無縁なのである』というのが題材においても、方法論においてもシュルレアリスムの基本なんだけれどもね。

『シュルレアリスム展』は5月9日まで開催中。今は結構混んでます。

2011年3月20日 (日)

東京電力本社の写真を撮っていたら職質を受けた

 問題は手前の蒸気機関車ではない。奥の方に見えているタワー。東京都千代田区内幸町1-1-3.東京電力本社である。で、この写真を(もっと近づいて)撮っていたら、警備の警官から職務質問を受けた。なんでだろう。

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 東京、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨、神奈川と静岡の富士川以東を独占している大企業の本社である。まあ、電力会社は皆独占企業なのであるけれども、その各会社における原子力発電の割合は以下の通り。

北海道電力;総発電量741万kw、内原発207万kw(27.9%)

東北電力;総発電量1909万kw、内原発327.4万kw(17.1%)

東京電力;総発電量6270万kw、内原発1730.8万kw(27.6%)

北陸電力;総発電量820万kw、内原発189.8万kw(23.1%)

関西電力;総発電量3574kw、内原発976万kw(27.3%)

中国電力;総発電量1266万kw、内原発10.1万kw(0.8%)

四国電力;総発電量667万kw、内原発202.2万kw(30.3%)

九州電力;総発電量1933万kw、内原発525.8万kw(27.2%)

沖縄電力;総発電量1916万kw、原発はなし

 という具合。なんか皆同じようなパーセンテージになっているのは、なぜだろうか。フランスなんて総発電量の80%位が原子力発電なのだが、このパーセンテージに収まっているというのは、水力発電という天然の地形による優位さもあるかもしれないし、火力発電も多いとはいえ、実は日本はそんなに原発に頼ろうとしていないのじゃないか、とも思える。つまり、原発を開発しようという意図の中にはもっと別のものがあるのではないかと思ってしまう。要は今は核兵器は持っていないけれどもいつでも持てるよという「潜在核」という問題。

 おまけに、東京電力の原発は柏崎刈羽発電所と今回問題になっている福島第1発電所と第2発電所だけなのであり、柏崎は今動いていない。ということは、いま東京電力では原発はまったく原子力の電源はないということなのである。

 ところが、この原子力によらない電力だけでも首都を含めて東京電力管内では電力不足にはならなかったのだから不思議だ。まあ、確かに無計画停電だか計画停電によって助けられたということもあるかもしれないが、要は原発なんかなくても首都圏の電気は大丈夫ということではないのか。となると、「原発はいらない」という運動がますます盛んになりそうだ。

 一方で、「やはり原発はあった方がいい」という立場なら、それこそ原発の安全性を主張して、東京のど真ん中にでも原発を作るべきなのではないだろうか。そう、東京都千代田区千代田1-1-1という東京のど真ん中、皇居である。周りに堀もあって水も充分だし、好立地ではないか。でも、そこで放射線漏れかなんか起きて、20~30km以遠に退避命令なんて出たら、みんな東京を後にしてしまうということになるわけだ。

 まあ、それも面白いのじゃないだろうか。

 でも、なんで東京電力の写真を撮っているだけで警官から職務質問を受けなきゃならないのだろうか。別に、勝手に撮ったっていいじゃないか。東電ビルには肖像権でもあるというのだろうか。そんなバカな。

 で、東電の隣がみずほ銀行本店です。えへへ、面白いね。

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2011年3月19日 (土)

『定年後 年金前』は残り20年をどう生きるかということでしょう。どうしようかな

 もはやこんな本を読まなければいけない歳になってしまったのだな。

『定年後 年金前――空白の期間にどう備えるか』(岩崎日出俊著/祥伝社新書/2011年2月10日刊)

 と思ったら、最早遅いのだった。もう3年か4年前に読んでいなければいけなかった本なのであった。定年の4~5年前に読んで、定年後に備えましょう、ったってもうあと1年半しかないのだ。どうする俺? ってなもんである。

 Table of Contentsから;

第1章 年金不安を吹き飛ばす

第2章 定年後の再雇用か、個人事業か

第3章 定年後の個人事業の実際

第4章 無謀な個人事業にしないための7つの原則

終章  再雇用の道を選んだほうが良いケース(7つのタイプ)

 ということで、基本的には定年後に個人事業を始めることを勧める内容なのだが、勿論、定年後に始める所詮は小遣い稼ぎの個人事業であり、基本的には年金(国民年金+厚生年金あるいは共済年金)で足りない部分をちょっとした個人事業で稼ぎましょうという提案なのだ。つまり、定年後に始める事業で大儲けしたり、事業を大々的に拡大したりということは考えていない。当然である。事業を拡大しようというのであれば、それは別に定年後じゃなくても、普通の起業の問題である。そうじゃなくて、年金だけじゃ少し足らないでしょ。それに定年後にも何か生きがいと言えるものを探しましょう。という趣旨の提案なのである。それはそれ、例えばボランティア活動なんかに生きがいを見いだせればそれでもいいし、自分の家にこもって小説でも書くことで生きがいになればそれもいい(かみさんが嫌がらなければ)。まあ、それが出来ない人たちのために、多少は経済的にもプラスになるし、生きがいも見つけられるかもというのがこの本なのである。

 当然、個人とは言え「事業」であるから、それはそれでリスキーではある。そこで第4章では無謀にならないための7つの原則を示している。つまり『1:撤退のルールを決めておく(例えば、1年たっても黒字化しなかったら辞める)/2:企業倫理を遵守する(おいしそうな話にはのらない)/3:来た話には乗らない(それは当然ですね)/4:知らない分野に進出しない(もう長くは生きられないんだから)/5:1年以内の月次黒字転換を目標にする/6:「創業者の狂気」が自分にあるか(サラリーマンを長年やった人には難しい)/7:個人起業が楽しいと思えるか(これが一番大事)』ということである。つまりそれは結局、本人が「若々しい気分をもてるか」ということではないのかな。もう、若くはない。しかし、起業するには若々しいマインドが必要だ。そんな若々しいマインドを持てるかどうかが起業して成功できるか(成功ったって小遣い稼ぎ程度ですよ)どうかのカギであるのだろう。どんな企業であれ、個人事業であれ、始めた時にはみな「若々しい気分」のなかで始めるもんだ。そんな「若々しい気分」が持てるかどうかが、起業であれ個人事業であれ、重要なカギであるようだ。

 この本で良いところは、起業とか個人事業とかを考えずにそれまで勤めていた企業での再雇用を選んだほうが良いケースというのも書いてあるところである。つまり、「皆さん定年後は起業しましょう」ということを呼びかけていないというところ。こんな人は起業なんてことは考えない方がいいですよ、ということも書いてあるのは親切だ。ただし、ここに書かれている人たちは、だいたい起業しようとして失敗する人なのだろうな、とも思えるのだが。つまり『①腰が重い人/②批評家・評論家/③権力にしがみつく人/④仕事の話しかしない人/⑤ゴルフと麻雀の話しかしない人/⑥テレビと週刊誌しか見ない人/⑦同期や同僚が気になって仕方ない人』というのは起業に向かないので、再雇用を選んだほうがいいのだというのだが、まあ、実際にはこういう連中のなかで会社が再雇用をしなかった連中が「起業」をするんだろうな。で、皆失敗するのか。

 まあ、世の中は成功する人間と失敗する人間がいて、それでバランスがとれているので、定年後になっても成功する人間と失敗する人間がいてもおかしくない訳で、ただ単に定年後のジジイになって失敗するようなやつは、それなりの人生しか残されていなかった、ということなのだろう。

 ジジイがどうなろうが若い人には関係ないこと。ジジイが野垂れ死にしようが、起業で成功しようが(まあ、成功すれば若い人たちの一時的な就職先にはなるが)どうしようが、若い人たちには関係ないのだろう。

 だったら、どんどん野垂れ死にするのも、ジジイの宿命かもね。

 野垂れ死にすらならば、本当に「野」で「垂れ」「死に」たいですね。誰にも看取られずに・・・。

2011年3月18日 (金)

『東京を弄んだ男』なんて葬り去れ

 いやあまたやってくれましたね。石原慎太郎の「空気読まない」発言であります。

 つまり「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲。......我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ。」という。

『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(斎藤貴男著/講談社文庫/2011年3月15日刊)

 石原慎太郎については私もいろいろあるのだが、東京都青少年健全育成条例の改正に伴ってコミック十社会が東京国際アニメフェアをボイコットした際に「あとでホエ面かくなよ」と恫喝したのはよく覚えている。結局、東京国際アニメフェアは地震の影響もあって中止となり、私なんかは石原が4選出馬表明をした直後に地震が起きたのを見て、多分これは天が石原に怒ったのではないか、と考えていたら、なんと石原は地震は天罰だというそうな。つまりそれは、自身が4選出馬なんていう身の程知らずの「我欲」に捕らわれた発言をしたための石原に対する「天罰」ではなく、「我欲に縛られて政治をポピュリスムでやっている東北の人に対する天罰」なのだというから、呆れてものも言えない。

 しかし、問題なのは石原ではないのかもしれない。つまりこんな男に12年3期にわたって都政をまかせた都民なのだ。世界に冠たる大都市・東京のまさに一番の恥部が石原なのである。おまけにあと4年、都合16年間も任せるつもりかね。差別主義者で軍国主義者の物欲、金銭欲と権力欲にまみれた小汚い男に。

 都庁福祉局の中堅幹部だった女性から斎藤氏が受け取った手紙の一部に書かれている。

『彼は弱者といわれる者、すべてが嫌いなのです。障害者、高齢者、女性、外国人、貧しい人、失業者、ホームレス etc。でも、地方自治体において、これらの人々のために行う施策は大きな比重を占めるものであり、嫌いだから切り捨ててよいものではないはずです。

 しかし、石原慎太郎は、それを行っているのです。弱者や福祉などという言葉は、彼の前では禁句のようなものでしょう。二代前の福祉局長は女性でしたが、就任して一年位で、ガンで亡くなりました。庁議などでガンガンやられて、忍びがたきを忍んでいたためだろうと、多くの職場の仲間たちのウワサでした。』

 まあ、そんな男なのである。環境庁長官の時に、水俣病の患者たちの陳情もうけずにテニスに行ってしまう男なのである。自ら戦争に行ったこともないくせに、『高校を卒業した年齢の子供は、1年間か2年間、軍隊か警察か消防に入る義務を課すべきだ』と書く男なのである。彼らだって自分と同じ表現者として同列にある筈の、漫画家に対して『ある意味で卑しい仕事をしているのだから、彼らは』といって切り捨てる男なのである。まあ、自分の書いた勃起したペニスで障子を突き破るだけの小説や、女子大生に睡眠薬を飲ませて犯したり、精神障害のある女性を輪姦したりする小説は、卑しくない仕事だと思っているのだろうか。。

 斎藤氏はこう結論づける。

『”空疎な小皇帝”自身は若い頃のまま反逆者のつもりでいるのかもしれないが、現実は決してそうではない。文壇デビュー間もない頃の石原氏に作家の美川きよ氏が投げかけていた言葉が思い出される。

 ――あやつり人形にならないで。

 この国が戦後最大の転換点を迎えている事実は動かない。明るい時代のシンボルだった石原慎太郎という人が、今また暗い時代へと向かいつつある現代において与えられようとしている役割は、あまりにも悲しい。』

 斎藤氏はまだまだ石原には優しい。

 そんなことでは甘すぎる。もはや石原慎太郎なんて輩は、この国から葬り去らなければならないのだ。

 少なくとも都民の皆さん。4選だけはさせちゃまずいですぞ。

 石原じゃなくたって、超優秀な都官僚と有り余る税収のおかげで、誰がやっても都知事なんて出来ちゃうんだから。石原じゃなくてもいいの。

2011年3月17日 (木)

『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』って? 言えますよ

 この大変な時になんちゅうクダラナイ本を読んでいるんだ、というご批判はもっともです。あえて甘受します。でも、書店も早仕舞いで、地震関連本なんかを購入できないので、やむなく順番に買ったクダラナイ本を読んでいるのです・・・。なんてのは単なるイイワケ。まあ、こういう時だから、クダラナイ本でも読んで気を紛らわせましょう。

『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか デラックス』(北尾トロ著/朝日文庫/2011年1月30日刊)

 だいたいタイトルからしてそのクダラナさはよくわかるのだが、で、そのクダラナイ本の内容なのだが、とりあえずTable of Contentsから。

 第1章 ぼくはただキミと話がしたいだけなんだ 『電車で知らないオヤジに話しかけ飲みに誘う/GWのお台場で孤独な男たちと人生を語り合う/クリスマスに、暗い目をした男たちと人生を語り合う/子供と遊びたいと思うのは犯罪なのだろうか』

 第2章 そのひと言がなぜ言えない 『電車でマナーを守らぬ乗客を叱り飛ばす/檄マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する/ウィンズにたむろする席取りオヤジに着席権を主張する/知人に貸した2千円の返済をセマる/町でいちばんの”いいコ”に声をかける/キミはちょい知りの他人に「鼻毛が出てますよ」と面と向かって言えるか』

 第3章 勝負のときはきた 『皐月賞に30万円1点で挑みJRAの帯封付きの札束をモノにする/最終レースで有り金ぜんぶ勝負する/人前で自作の詩を朗読する/「42歳フリーライター」の値打ちを就職試験に問う』

 第4章 センチメンタルジャーニー 『好きだと言えなかったあの女性に23年のときを超えて告白する/クラス一丸でさんざんイジメた担任教師に謝罪する/ぼくはなぜ生まれたのか。母親に恋愛時代の話を聞きにいく』

 ルポ本である。それも他人に話を聞いてそれをまとめた本ではない。書いた北尾トロ氏自身が自分で経験したことを書く、いわゆる「突撃ルポ」ってやつ。ただし、その「突撃」の中身がどうにもどうにも情けないというか、トホホな内容のルポルタージュである。

 電車で知らないオヤジに話しかけようとしてうまくいかなかったり、ゴールデン・ウィークのお台場やら、クリスマスに暗い目をした男たちと話をしてみようとしたり、たかだか電車でマナーを守らない若い男を叱ったり、ウィンズの席取りオヤジと喧嘩してみたり、知人の2,000円を返せと請求してみたり、郵便局のマドンナに声をかけたり・・・というだけの、つまり、それをすることで何やら世の中を変えようとかいうものではない。第3章なんて競馬の皐月賞に30万円を1レースの一本勝負に突っ込んでみようという趣旨でしかしそれが出来なかったり、最終レースで有り金全部を突っ込んで、結果ダメで大井から西荻窪まで歩いて帰ってきたりという、なんか本のテーマとちょっと違うんじゃないかというような題材を選んだりして何か違うなあ。第4章なんて昔の初恋の女性にあって、昔出来なかった告白を今更やってみたり、高校時代の英語教師をイジめたことを今更ながらに詫びてみたりするが、そんなのがルポと言えるのだろうか。まあ、言ってもいいけど、でもルポとしては他人が読んでもなんら意味のないルポである。

 でも、このルポが面白いのは、結局北尾トロ氏の文章力によるものなのだろう。要は、読んで面白いのである。ルポの内容は上記のようにたいしたテーマではないけれども、それでも読ませてしまう力はある。「好きだと言えなかった女性に23年のときを超えて告白する」なんて面白かったな。実は、その女性も北尾氏のことを好きだったのが分かったのだ! わーい、これは昔の恋が焼けぼっくいっていうやつですね。もう姦っちゃえよとも思うのだが(意外とむこうもそれを期待していたりして)、それはしない。まあ、その辺が妙に世間ずれしている北尾氏なのかもしれない。

 まあ、こういう突撃ルポが多いのがマイナーメディア特有のものなのであるが、その中でも逸品の作品なのであろう。

 なにしろ小島慶子さんが解説を書いているのだ。う~ん、羨ましい。小島さんがTBSの朝のニュースに出ていた頃からのファンとしてはね。

2011年3月16日 (水)

吉本隆明の先見性について

 吉本隆明といってもハルノ宵子やよしもとばななのお父さんじゃなくて(勿論、そうでもあるが)、「戦後最大の思想家」と呼ばれる「知の巨人」のことである。

『戦争と平和』(吉本隆明著/文芸社文庫/2011年2月15日刊)

 本の内容は、1995年3月10日に行われた「戦後50周年」という記念講演が『戦争と平和」というタイトルで、1979年5月20日に行われた「”全作家”全国大会講演」が『近代文学の宿命』というタイトルで収められている。更に、この本の成立に大事な要素を持ってかかわった川端要壽による『吉本隆明の日常―愛と怒りと反逆』という、吉本が宵子やばななに対する「親バカ」ぶりが出ていたりするエッセイが面白いのだが、ここでは触れない。基本的には、最初の『戦争と平和』についてだけ語る。

 吉本は「国民主権」という憲法の一番大事な部分に触れながらこう語る『国民が主権を直接に行使したいと考えた場合には、過半数の著名を集めて、無記名の直接投票によって過半数を占めた場合には政府を取りかえられることができるという条項を一つだけ設ければ、戦争は防止されるとは言わないまでも、どんな政府ができても大衆の同意なしには戦争はできないということになるんじゃないかとおもうわけです』と。要は、代議制民主主義に対する批判である。

 代議制によって選ばれた議員(まさに「代議士」)は、自らのそのような地位が「既得権益」になってしまう。既得権益を持った人間はそんな既得権益を守ろうとする。それは人間としてやむを得ない行動なのだろう。本人は既得権益には拘泥していない、と言ったところで実は拘泥しているのが既得権益というものなのだ。そんな、既得権益をもった人間は、他国との戦争が始まった時、必ずや他国の侵略に対して(本当はどっちが先に侵略したのかは分からないのだけれども)自国の利益を守るように動くだろう。それは自分の権益を守ることにつながるから。つまり、侵略に対しては対侵略というか、反撃権を主張するのだ。しかし、そうやって戦火は拡大するのである。

 そんな戦争に対して、それについて「否」を言うときには「既得権益を持った代議士」に任せてはだめだという考え方が直接民主主義なのだと思うのだけれども、この講演の頃には、まだ『無記名の直接投票』という提案だった。しかし、もしこれが2011年の現在だったらどうなるだろうか。1995年の時代はまだ「パソコン通信」の時代であり、「パソコン通信」をしている人間の間では「ネット民主主義」はあったけれども、それは広い世界の問題ではなかった。

 しかし、いまやそんな時代からは大いに変わって、いまや「インターネット」の時代である。パソコンだって、いまや国民ほとんどが持っているのではないか? おまけにそのパソコン自体がすべてネットに繋がってるのだ。だとしたら、吉本が言っているような「国民投票」をネットでやればいいじゃないか。ということになってしまうのだ。誰かが日にちを決めてネット投票をする日を呼びかけ、その日に一斉にネット投票をする。

 勿論、ネットに関するネガティブな情報もあることは知っている。しかし、それ以上にポジティブなことの方が多いのじゃないか。だったら、もはや一方で完成しているネットの世界の論談も含めて、「ネット世論」というものを主張してもいいじゃないか。で、その延長的な結論が「ネット直接民主制」なのである。

 1995年段階で、こうした「ネット直接民主制」を吉本隆明は想像したのであろうか。あるいは単なる「戦後最大の思想家」の夢想としてそんなものを、それこそ「夢想」したのだろうか。だとすれば、この時点で「直接民主制」ということを言いだした吉本隆明はスゴいなということである。

 つまり、時代は「直接民主制」の方向に動き出しているのである。昔、ローマ時代にやっていたという「直接民主制」である。それもいま一番先端で動いている「ネット」を通して可能なのである。あとはこうした直接民主主義によって、何か仕事をしなければならなくなった人は、要はボランティアでその仕事をやることになるだろう。つまり、代議制による議員たち(それはつまり「既得権益」の保持者)ではなくて、とりあえずボランティアで、その時決まった法律を執行するのである。

 次の問題が出ればそれはそれでまた直接民主主義で選べばいいのである。そうなるとポピュリズムの問題が出てくるが、別にポピュリズムでいいじゃないか。所詮、かなりの政治は今やポピュリズムで動いてるのが現実である。

 そのために優秀な官僚が、日本にはいるじゃないか。

 ただし、この本で一番面白いのは『吉本隆明の日常―愛と怒りと反逆』だけどね。

2011年3月15日 (火)

『バラエティ番組がなくなる日』が本当にきたら?

「なくなる日」シリーズとはいっても実はみんななくなるというわけではなくて、「なくなる」という言いかたでそのテーマについて警鐘を鳴らそうというわけである。つまり3月12日のエントリーで書いたのも大学から文学部が無くなってしまうのではなくて、リベラル・アーツたる文学を軽視する現代の大学の風潮を気にした本なのであった。

 本書も同じく、テレビからバラエティ番組がなくなってしまうのではなく。現在のテレビでよくあるお笑い芸人がひな壇にならんで司会者からイジられて喜ぶ形式のバラエティ番組を、それは面白くないだろう、と憂い、そんなバラエティあるいはお笑い番組じゃないもうちょっとインパクトのあるバラエティ番組が出来るんじゃないかという提言なのである。

『バラエティ番組がなくなる日 カリスマプロデューサーのお笑い「革命」論』(佐藤義和著/主婦の友新書/2011年2月20日刊)

 佐藤義和氏と言えば横澤彪プロデューサーと組んで、『THE MANZAI』『笑っている場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』などのお笑いバラエティ番組をヒットさせて、フジテレビのバラエティ路線を定着させ、それまで先行するTBS、日本テレビに独占されていた視聴率競争にフジテレビありという存在感を示し、なおかつ全日、ゴールデン、プライムという三つの時間帯での視聴率三冠王を獲得するにいたらしめた、異常歌手グループ「ひょうきんディレクターズ」の一員である。

 そんな一時期の名物ディレクターでプロデューサーが現在の、「どこのチャンネルを映しても同じような」「マンネリでたいして面白くない」「一発芸だけしかない一発屋タレントばかりの」バラエティ番組を批判し、憂いて、書いた本である。

 佐藤氏の嘆きを「第3章 バラエティ番組をダメにしたテレビマンたち」の各項目タイトルから拾ってみよう。

『バラエティ番組づくりは狩猟民族の仕事/経済的な厳しさの弊害/制作費が使えなくても人気番組はできる/スポンサーは教養バラエティ番組が好き/人材を育てなくなったテレビマンたち/使い捨てにしていいタレントを使うな!/模倣が好きなテレビマンたち/実験を重ねるしか道はない/足し算思考ではなく掛け算思考/パターン化という罠/捨て身になれないエリートテレビマンたち/ロマンあふれたテレビマンを育てられないテレビ局/まずプロデューサーが変わらなければならない/女性向けのお笑いの功罪/誰が「笑い」を殺すのか?』

 なるほどそれらの現在のテレビマンに対する批判というか嘆き節は概ね当たっている。特に今のエリート・サラリーマンの代表者のようなテレビマンからは、新しい思考、新しい実験、新しい方法論などは出てこないだろう。要は「与えられた課題を解くのがうまい」エリートたちには、「狩猟民のように」「制作費が安ければ安いなりに知恵で突撃して」「人真似を嫌う」ような仕事は合わないのである。

 しかし、佐藤氏が言うように、今やテレビは娯楽の王様ではないのだ。若者たちの(若者だけじゃないけど)周囲にはインターネット、ケイタイという楽しみの手段であり、情報収集の手段がいっぱいあり、一方で一日の時間は24時間しかないのだ。当然、それは「若者のテレビ離れ」という状況を導く。しかし、『テレビ局も広告収入の顕著な減少や視聴率の逓減を目の当たりにして、経営方針の転換を模索している。しかし、テレビマンたち、特にバラエティ番組の制作者たちには、どうもその自覚は少ないように感じる。制作費の減少は切実な問題と考えているが、「それでもテレビの影響力が圧倒的だし、日本人がテレビを見捨てるなどということはあり得ない」と多くが考えている。ましてや、自分たちの制作する番組のクオリティの低下が、テレビ弱体化の主因のひとつだなどとは思いもよらないのかもしれない』というのであれば、もはやそんな「バカにつける薬はない」のである。

『私は、日本で新しい笑いを作っていくためには、まず落語の魅力を知る必要があると考え、後輩たちにも常にそのことを伝えてきた』という佐藤氏の言はよし。私も賛成だ。しかし、ここで突然「落語」が出てくるのはあまりにも唐突である。佐藤氏がいま築き上げてきた地位は、「落語」的な練り上げた芸を否定することによるものだ。それを今になって「落語」ですか? 確かに、今や現役を離れた団塊の世代にとって、落語は昔見た近しい存在である。また『笑点』という「お化け長寿番組」が一方である以上、そこには確実なニーズがあるのだろう。

「噺」の世界と言うのは江戸末期から明治初期に完成した笑いの形式であり、SFあり、スラップスティックあり、ナンセンスあり、人情話ありという内容であるのだが、実はテレビとは全く親和性のない世界なのである。つまり、噺は「寄席芸」であるということ。寄席で見る落語が一番楽しく笑える。『笑点』はそれを「落語バラエティ」という形式のテレビ番組としてソフィスティケイトしたものなのだ。

 笑いというものを徹底的に研究し、如何にして人を笑わせるかという事を徹底的に研究しつくして完成させた「古典落語」は、昨日今日の一発屋芸人ではだせない哲学を持った存在なのだ。

 そんなのは、最近のテレビマンでは理解できない世界である。

2011年3月14日 (月)

現在34歳にとっての『東京大空襲』って何なのだろう

 東京では東日本大震災の影響も大分収まってきたので、前から気になっていた写真展を観に新宿ニコンサロンに行ってきた。

 広瀬美紀写真展『わたしはここにいる -requiem 東京大空襲-』(新宿ニコンサロンにて3月8日から3月21日まで)

 広瀬美紀は1977年生まれなのでまだ34歳。そんな若い人にとっての東京大空襲って何なのだろうという興味があった。

 写真は、1945年3月の米軍による東京大空襲で殺された人たちの「仮埋葬地」、つまり取り敢えず名前の分かる人、分からない人も一緒に埋葬し、その後、実際の墓などに埋葬する予定で仮に埋葬した場所ばかりを撮影した40点のモノクロ写真である。

 写真にはすべて広瀬美紀自身が書いたキャプションがついている。子どもの頃に遊んだ場所などが多いようだが、つまり、そんな自分が遊んだ場所が、実はその昔空襲で殺された人たちの「仮埋葬地」だったということを老人などから教えられて、多分、そのショックがこんな写真を撮る動機になったのではないだろうか。

 そのほとんどが現在は公園などになっているようだ。確かにそのような場所の上に建物を建てたってそこにはあまり入りたくはないだろう。また、場所によっては、そこに建物を建ててはいけないという言い伝えのようなものが残っている場所もあるようだ。

 そのキャプションがなければ、どうということもない公園だったり、グランドだったり、道路だったりという場所である。勿論、建物が建ってしまって、当時の姿がまったく面影もない場所もある。しかし、そのキャプションを読んでしまえば、まったくその景色は変わってしまい、何か「その場所に意味がある」ようにも思えてきてしまう。

 こうして66年前の出来事が今の世界に現前する。まだまだ忘れてはいけない66年前の出来事。

 広瀬美紀の言葉『わたしはここにいる。なぜ私たちは殺されたの? 過去は今に通じ、未来へ繋がる。今の私たちがここにいるのは過去があるからだ。未来は今の人が作る』

 一度、撮影場所に行ってみよう。

ニコンサロンの案内はコチラ→http://www.nikon-image.com/activity/salon/

2011_03_13_006_2

EPSON RD1s+Summicron 35mm  (c)tsunoken

 で、帰りがけにエレベーターの前の張り紙。まだ、震災の影響は癒えていないのだ。

2011年3月13日 (日)

ブログ本を作ったyo

 注文してあった「ココログ出版」のブログ本『tsunokenのブログ 本と映画と写真の徒然』が届いた。

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 なんちゃって、要は本ブログを1冊の本にしてオン・デマンドで本にしてくれるココログのサービスを頼んであったのである。2冊あるけれども別に同じもの2部ではない。印刷したのはこのブログを始めた2009年11月27日から2010年7月31日までの分と、8月1日から12月31日までの分の2刷ということだ。

 最初は1冊にまとめようと思ったのだが、そうするとココログ出版の上限448ページをオーバーして558ページになってしまうとの事だったので、やむなく2分冊にしたのだ。1冊税込5,000円位で作ってくれる。

 それと写真は1ブログにつき5点までと言う制限とか、アフィリエイトの画像は印刷されないなどの、いろいろの条件がつく。それを知っていたら初めから写真は5点までにしておいたのにとは思うが、まあしょうがない。それとアフィリエイトじゃなくて、例えば単にAmazonのページからコピーしただけの表紙画像は印刷されてしまうというのも、何か技術的な問題があるのだろうか。

 それはそれとして、プリント・オン・デマンドではあっても、自分が書いた文章が本になるというのは気分が良い。

 というだけのこと。

 ま、参照用ですね。

2011年3月12日 (土)

ああビックリした

 なんてノンビリしたことが言えるのは東京にいるから。

 先ほどやっと帰宅して風呂に入ったところだ。6時ころ会社をでて、道行くいっぱいの人とは逆の方へ向って歩き、バス停に行ったのだが、3時間待って3本のバスが来たけれども、どれも満員で乗れるのは4~5人ということで、待ってても乗れず、3時間かければそのバスの終点まで歩いてもいける。もういいやということで会社に戻り、近所の鮨屋に行って酒を飲んでいるうちに、私鉄が運転再開の報。じゃあ帰るかということで、先ほど家に着いたのだった。我が家では娘が通っている大学で、息子がどこかの避難所で夜明しをするようだ。

 こうした帰宅困難者は東京で20,000人いるそうだ。どうせなら会社にいたほうが良かったかもしれない。

 東京ではさほど被害が出ていないが、まあ、おかげさまでもっと大きな災害の際の、それこそ東京直下型地震なんかのシミュレーションが、いろいろな部分で少しは出来たのではないかな。まあ、ほんの少しではあるけれども、地震の時の人の動き方とか・・・。

 それにしても、午後10時ころには運転を再開した私鉄各線に対して、早々と昨日中の運転を一切取りやめたJR東日本には、これまた「国鉄体質が残っている」とか「未だに親方日の丸だ」とかの批判が出そうだ。無理して家に帰るより、耐震設計ができている会社にいる方が安全ではあるし(まあ、古いビルに会社があったら無理だけど)、余震の心配のことを考えたら電車を動かさない方が安全であることは事実ではあるが、どこにもいる「いちゃもん屋さん」からは格好のターゲットにはなりそうだ。

 そうした批判をどうかわすかは既に研究済みではあるだろうが、取り敢えずはJR東日本さんご苦労さんというところである。

 

 

『文学部がなくなる日』ったって、なんでそれが問題なの?

 まあ、文学部がなくなるということは、そこそこの大学ではまだないんだな。

『文学部がなくなる日 誰もかかなかった大学の「いま」』(倉部史記著/主婦の友新書/2011年3月10日刊)

 主婦の友新書の「なくなる日」シリーズというのがあって、面白そうなので、しばらく読んでみようかな。

 まあ、ひとつには「文学部」っていうのは何をやっていた学部なのか企業の就職担当者には良くわかっていなかったのだろうということと、所詮「文学部」生なんてのは他の社会科学系の学部にいけなかった「落ちこぼれ」じゃないかよ、という偏見があるのだろう。特に、私がいるような出版社とかじゃなくて、普通の商社とかメーカーだったら尚更そういう偏見を持っていてもしょうがないのかもしれない。

 しかし、文学を「リベラル・アーツ」という視点で捉えたらまた別の視点が生まれる。つまり、リベラル・アーツとは皆が持っていなければいけない、いわば「教養」のようなものだ。その意味では、例えば日本文学に関しての教養があればそれだけで外国の人間とはいい話が出来るのであるし、英文ならイギリスとかアメリカ人、仏文ならフランス人、独文ならドイツ人、露文ならロシア人と、絶対いい話が出来る筈だ、それも相手国の言葉で・・・って、無理ですか? でも、会話は英語でもその国の文学についての話はできる筈だし、かの国の人たちの方が、自国の文学について学んでいる人たちが多いのは事実だから大丈夫。でも、多少は、その国の文学を勉強したことで言葉も少しは話せるでしょう。ということで、この話はおしまい。問題はそうじゃないのだ。

 以上は、普通の大学の文学部の話。そうじゃない大学がいまや日本にはいっぱいあって、「そうじゃない大学」では文学部で一括されてしまうと、そこにいた学生がなにをやっていたのか良くわからないので、なにか具体的な名称の学部を作らなきゃということで、いまややたらカタカナ名前の学部がいっぱい増えたということなのだそうである。

 でも、はたしてそれがどれだけ効果を持っているのだろうか。企業の採用担当者は、結局、高偏差値大学からの採用ばっかりを行っているだろうし、いくら大学側が仕事にすぐに役立つような具体的な学部名、学科名をつけたって、結局、意味はない。採用担当者がなぜ高偏差値大学からの採用しか考えていないのか、と言ってしまえば、単純な論理。結構面白そうな人材がいたからと言って、そいつを採用した時に「なんでこんなバカ(な大学の出身者)を採ったんだよ」と現場の上司から言われるのを嫌うからなのだ。要は、高偏差値大学というのは「安全パイ」であり、それを育てられなかったのは「あんたの責任でしょ」と責任を他人におっつけられるからなのだ。

 ということで、この日本の社会の(停滞し、落ち込んでいく)中でいくら頑張っても、新設大学は生き延びる道はないということ。まあ、大学は生きてもいいんだけれども、そこの学生が生きなくても、というか大学を卒業しても就職の道がないといって大学に文句を言うなよということである。まあ、とにかく若者の50%が大学に行く状況である。大学生の数は増えているが、一方企業の求人は減っている。だったら、そんな若者を今の緊縮しつつある日本の企業が受け容れらないのは当たり前じゃないか。例えば、海外に就職先を求める大学なんてものもあっていいのじゃないか?

 大学は就職斡旋機関ではないし、就職のための指導機関でもない。要は、4年間のモラトリアムを受け容れる機関〈でしかないのだ〉。その4年間のモラトリアムでスポーツに励む者もいる、アルバイトで将来の就職に結びつけるものもいる、研究者としての準備期間として使うものもいる、それでいいのだ。それが大学の4年間なのである。所詮、そんなものよ。

 そんな意味では、別に大学から「文学部」なんてものがなくなってもいい。要は、大学が大学として残ってりゃあいいんでしょ。

 

 

2011年3月11日 (金)

『末裔』は末裔に関する話ではあるけれども、それ以上でもそれ以下でもない

 ある朝、起きてみたら自分が毒虫に変身していたグレゴール・ザムザと、種類は違うが同じような不条理を感じていたのだろう。この物語の主人公、富井省三は。

『末裔』(絲山秋子著/講談社/2011年2月17日刊)

「ミシンと蝙蝠傘」のエピソードが出てくるから、これはシュールレアリスムに関する小説なのかと思ったら、要は不条理に関する小説だったのだ。ある日、家に帰ってきた妻を癌で失った主人公はその家の「鍵穴」がないことに気づく。鍵のノブはあるのに鍵穴だけがないという「不条理」。そこからストーリーは始まる。

 主人公は新宿で「乙」という青年に会う。その青年に守られながら、しかし同時にその青年に追い出されてしまい、鎌倉にある伯父の家に行く。何故か、鍵が開けっぱなしになっている伯父の家に居候(?)になりながら、そこに昔からいたインコと出会ったり、疎遠になっている娘(映画の助監督、多分サードかフォースだろう)と巡り合ったり、おまけに娘と一緒に伯父の元妻であったのが伯父の死後、別の男に嫁いだりした伯母と会ったり、信州の佐久で昔の富井家の様子を見たり、そこで「乙」の別世界での在り方を見つけたり、最後はアメリカに行っている筈の弟、義雄が区役所の自分の後輩の娘の夫になるということを知ったり。つまり、その間に自分が気にしていた(とは自分では意識していなかったことなのだが)ことの全てに「解」がでてしまうのである。勿論、その「解」でもって「解決」にはならないのだけれども。

 で、主人公は自宅に帰ってくる。勿論、そこには「鍵穴のない鍵」があるだけなのである。しかし、もはや主人公には怖いものはない。隣のキャンキャン吠える犬も、いまや自分の支配下に置くことが出来る。

 つまり、この物語の主人公、富井省三は、この物語を通じて失った妻に対する思いを、いろいろな自分の関係者に託して描いていたのだろう。次第に疎遠になる息子、突然いなくなったが鎌倉の家で会えた娘、大好きだった伯父の妻だったが伯父の死後別の男に嫁いだ伯母、自分には最早関係なくなってしまったと思えた弟、インコ、犬・・・。

 そしてそうした人々との関係を見つめてやっと、妻と出会えた主人公は自ら感じる。そう、俺は最早自由なのだと。今や58歳の区役所職員である。別に出世を夢見たわけではない。単に、淡々と公務員人生を送ってきただけである。そんな男にも「その後の人生」を考えてもいいとは、公務員時代には考えてもいなかったのだが、今やその後の人生を考えなければならない時期になってしまった。で、結局自分の後半の人生(ったってせいぜい20年くらいだけどね)は勝手にやっていいんだ、ということに気づくお話だったのね。

 シュールレアリスムとは関係ないし、不条理とも関係ない、単なる人生観、つまり系統図における「末裔」って自分じゃない、って当たり前なんだけれどもの、というのがこの話のキモである。

 ところで「不条理劇」って、本来は喜劇なのだそうだ。あんな暗い話だと思っていた『変身』もカフカは喜劇として書いたそうだ。とすると、ある日、玄関から「鍵穴」がなくたってしまった富井省三の話もなんか明るく思えてくる。結構、明るい未来(ってそんなに長くはないが)へ向けての話だったりするのだ。

2011年3月10日 (木)

『アイヌときどき日本人』というタイトルはいいのだが・・・

『東京都が1989年に行った調査では、都内に住むアイヌ人口は2700人と推定されてます。首都圏には、少なくとも5000人のアイヌ民族が暮らしているとも言われています』という冒頭の文章にはちょっとびっくりした。

『アイヌときどき日本人 増補改訂版』(宇井眞紀子著/社会評論社/2009年9月20日刊)

 本州というか東北地方(岩手、青森には特に)にはアイヌ語を由来とする地名がたくさん残っており、それらの地域にはアイヌが普通に暮らしていたのだろうということは容易に想像できる。ただし、このアイヌと「蝦夷」が同じものなのかどうかはいまだに分かっていない。というか「蝦夷」民族が亡くなってしまっているという歴史上の記述によれば、もはや「蝦夷」はいないということになるのだが、このアイヌと「蝦夷」が一緒であるという記録もないし、一方、別であるという記録もない。もし「アイヌと蝦夷は一緒」ということになると、日本の先住民として認識されている「蝦夷」つまり「アイヌ」が日本の先住民であり、そのことによって日本の古代史は全面的に書き換えられなければならなくなるのだ。

 つまり、渡来民族たる「天孫族」は、それまで日本にいたアイヌを次第に北の方へ追いやりながら日本の支配権を獲得していって、6世紀の継体天皇の時にその支配権を確立し、あとは「蝦夷」を確実に駆逐するための「征夷大将軍」を決めてそのものに「蝦夷征伐」をまかせつつ、一方で、日本に対する支配権を完璧なものするために、それまで以前のヤマト王権の時代のストーリーを作り上げ、神武天皇という神話上の人物を天皇の始祖にした「お話」を日本の本来の出来あがった話として『古事記』やら『日本書紀』という壮大な神話を作り上げたのだ。

 一方、アイヌ側もじゃあ渡来民族の持ち込んだ「農耕」という弥生民族の文化に対抗する「縄文文化」との親和性については、ちょっと繋がりが難しいところもある。確かにアイヌも農耕をしていた記録もあるし、狩猟やら自然に出来ていた木の実ばかりを食料にしていたということはないのは記録にも残っている。じゃあ、縄文人が「蝦夷」なのか。縄文人は弥生人によって全滅させられたのか。ということになると、もっとわからない。

 いずれにせよ、今の我々は弥生民族の末裔なのだろうけれども、その中には以上述べた時代の変遷から「縄文人と弥生人の混血」なんてのもいっぱいあったのだろう。先日書いた「国立歴史民族博物館」には縄文人と弥生人の骨格の違いなんてものも展示されていたが、当然その中には「混血」があったわけで、そういう中で縄文人の血は薄められ次第にみんな弥生人になってしまったというのが普通の考え方だろう。だって、弥生人の生活の方が縄文人より確実に「ラク」なんだもん。

 いずれにせよ、いまでもアイヌ民族というものは残っている。この人たちを先住民族として認めないわけにはいかないだろう。とはいうものの、日本人が入植して(アイヌから取り上げたのかもしれないが)開拓した土地を返せといわれてしまったら、どうするのだろうか。多分、そこまでアイヌの人たちは求めてないのだろうが、どこまで求めるのかが気になる。

 取り敢えず、最初に書いた『東京に2700人、首都圏に5000人』というアイヌ人口のことが気になる。当然、この人たちは明治5年(1872年)に開校された『開拓使仮学校』(現在の北海道大学の前身)の付属『北海道土人教育所』!(すごいねこの名前。当時は土人という言い方が普通だったのだろうなあ)にいた人たちの末裔ではない訳で、その後自らの意思で東京に来た人たちだろう。

 その人たちも「アイヌ」だからということで「差別」を受けたのだろうか。その、差別を受ける理由って何だのだろうか。名前? そんなに内地の人と変わりないじゃない。顔? 確かに少し違って堀が深いとかというのはあるけれども、そんな人は内地の人にもいるしなあ。毛が濃い? そんなのは内地人だってそんなのは一杯いる。じゃあ、なんなのさ。

 ということで、それほどアイヌと我々(多分、弥生人の末裔)を隔てるものはないのだが、でも、そこにある「微妙な違い」が民族を隔てる。まあ、「民族」「人種」なんてものはそのような微妙な違いでしかない。その「微妙な違い」をことあげて差別するのがいわゆる「差別主義者」なんだろうけれども。そのような差別をして、多少は自分の立場が強くなるとでもいうのだろうか。

 それが不思議だ。

 

 

 

 

2011年3月 9日 (水)

『名古屋発どえりゃあ革命!』ったって、この程度じゃ革命じゃありゃせんがね

 河村たかし氏は、織田信長のやったことは単なる天下統一ではなくて、『減税が楽市楽座で、規制緩和が関所撤廃で、IT、金融、バイオ、ナノ企業誘致が鉄砲か』といって、現在の名古屋の状況を、中世の貴族社会の荘園制から当時「庶民」だった武士の時代に変えた「革命」にたとえる。じゃあ、その後の徳川家康による天下統一はナポレオン・ボナパルトによる第一帝政のようなものなのか。それじゃあ革命は成就しないでしょ。

『名古屋発 どえりゃあ革命!』(河村たかし著/ベスト新書/2011年1月18日刊)

 河村氏の発想はよい。その行動も、民主党を中心とする名古屋市議会との対立も当然あるだろう。要は、名古屋市議会側と言うのは河村にとっては「旧守派」であるにすぎないのだ。旧守派とは何か。それは官僚に守られた、あるいは官僚と目的を一にする「官僚の仕事を守る人たち」なのだ。では、「官僚」とは何か。つまり、それは国民(名古屋だから「市民」だが)から預かった税金を「うまく」使って国民(市民)のためになることを行う仕事を業務にしている人たちなのだ。では、そこにおける国民(市民)とは何なのか。そこで一大逆転が起きてしまうのだが、要は、そこにおける国民(市民)とは「業者」のことなのだ。勿論、業者とて国民だし市民であることには変わりはない。しかし、「業界に関係していない国民(市民)」もいるのである。そうした国民(市民)の意向はどうなってしまうのか。それは「無視」されるのである。「えっ、何それ?」と思うかもしれないが、それが日本の政治なのだ。つまり、業者・業界と繋がった官僚がいて(当然それはいるわけだ)、その官僚が国民(市民)たる業者・業界のために仕事をまわすのだ。それも、如何にも自分たちの金(本当は国民(市民)たちから巻きあげた税金なのだけれどもね)であるかのように装って、というと後ろめたいので「まさに自分たちの金である」と考えて、業者・業界に下げ渡すのである。そんな官僚たちの仕事を黙認しているのが、河村氏言うところの「職業議員」なのである。そんな、職業議員をなくそうというのが、河村氏の「革命」の端緒なのである。

 確かに、歳費数千万円を受け取り、歳費に含まれない政務調査費を支払われ、なおかつJRなどで議員特権を受け取っている「国会議員」から始まって、県会議員、市会議員、区会議員、町会議員、村会議員に至るまで、それなりの議員特権があるわけで、それをなくそうというのは、よくわかる。特に名古屋市議クラスで1600万円という議員報酬がでているのは超ビックリ。プラス政務調査費ってもの出るわけですね。まあ、そんなこと言っても、秘書の給料だとか、事務所運営費だとかかかるんですよ、というのは分からないでもないが、でも考えても見ろよ、そんなものが議員にならなくても必要なものでしょ。それをなんで議員報酬やら政務調査費から出すのよ。それは議員報酬とは関係ないものでしょ。さすがに、それだけの報酬がもらえるならば、これは稼業になってしまうわけなのだろう。子どもに継がせたいとね。

 ついでに言ってしまうと、東京都議会議員の議員報酬は平議員で月間103万7千円なので、ボーナス(ってものが出るのだ)を含めて、名古屋市議と同じくらいは出るのかな。

 そういうこと言っているから、Chikirinさんというブロガーから「就職難の若者はいっそ地方議員を狙っちゃえば」なんておふざけブログ(でも結構真面目)を書かれちゃうのだ。だって、市議とか言っちゃうと獲得票数もバカじゃないけれども、区議、町議、村議なんてものになると、メチャクチャハードルが下がるのだ。こりゃ地方議員をめざすしかないね、ということなのである。→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110219

 さてそこで、2月6日の名古屋市長、愛知県知事選では名古屋市長・河村たかし氏と、いまや河村氏と結んだ方が得策と考えた元自民党、愛知県知事・大村ひであき氏が圧勝。大村氏は河村氏と同様、県民税10%削減が公約だそうである。3月13日の名古屋市議選では河村氏の地域政党『減税日本』が過半数は難しいが第1党はほぼ確実にしている。こうなると4月の愛知県議選がどうなるか楽しみである。そこは大村氏が何とかしなければいけない場所である。

 まあ、中京都構想とか大阪都構想とかどんどんやってもらったほうがいいだろう。だいたいが東京都構想自体が、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日にそれまで東京府だったものを、二重行政ではうまく行かないからということで施行された法制なのだ。まあ、戦費徴用のために1940年4月1日に給与への源泉徴収が始まったというのと同じ、戦時特別制度が、取り敢えずそのままの方がいいやってことで戦後まで続いてしまった制度なのである。

 要は、戦争という非常時があると何でも出来ちゃうってことですね。その意味では、河村たかし氏がヒトラー、河村氏の子分の愛知県知事が大村氏がムッソリーニにたとえた自民党県議の発想は正しいのかもしれない。そう、ヒトラー、ムッソリーニばりにそんなこという県議はクビにしちゃえばいいのである。革命というのはそこまで「強権発動」をしなければ革命とは言えないのだ。まあ、そこに東條英機がいなかったのはちょっと残念。じゃあ、大阪の橋下氏が東條か? まあ、阿久根市の竹原元市長なんて人もいたしね。でも、この人の方がヒトラーみたいだな。

2011年3月 8日 (火)

石岡市はもともと茨城県の中心地だったのだ

 茨城県の石岡市というのは、今は土浦市と水戸市に挟まれてちょっと地味な存在なのだけれども、実はもともと常陸の国の国府が置かれていた重要な場所なのだ。

 土浦をでた常磐線は隣の神立駅までは平坦なのだが、その次の高浜駅、そして石岡駅へと次第に高度を稼ぎ、その一番高いところにあるのが石岡駅なのである。そして、石岡市の中心部は石岡駅からさらに緩い坂道を上がったところにある。つまり、小高い丘の上にあるという、まさしく昔の城があった場所に共通の位置関係なのだ。勿論、石岡で一度上がった高度はその後次第に下がって行くのだが、水戸の手前でまた高度を上げて、水戸駅および水戸市の中心部はやはり丘の上にある。

 で、石岡に常陸国府がおかれたのは奈良時代のことだそうだ。その後、200年位は平穏だったのだろうが、天慶2年(939年)いわゆる「平将門の乱」が起きる切っ掛けになったのが、この常陸国府なのである。

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 で、今は石岡小学校の敷地にある石岡国府跡であるが、復元した門だけが唯一の建造物である。石岡小学校がプールとか体育館を建設しようと掘り返してみると出てくるわ出てくるわという感じで、いろいろ昔の建物の跡が出てきたようだ。そりゃそうだろう、だってもともとここに常陸国府があったことはわかっていて、それが一般の土地になってしまうとマズいってんで小学校にしたんじゃないの。

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 こんな土塁は普通にある。でも、こんな土塁なんかは問題にせずに平将門軍は攻めてきたんだろうな。我が家の近くでは豊島城なんかでも見るんだけれども「土塁、空堀」ってどれだけものの役に立ったんだろうか。土塁ったって所詮、土の盛り上がりだけでしょう。空堀なんて、空じゃあ意味ないじゃん。まあ、多少の時間稼ぎ位にはなるだろうけれども、あまり意味のあることとも思えない。あるいは、中世の頃の戦ではそれでも有効な城構えだったのだろうか。いずれにせよ、中世の頃までの城にはこうした「土塁、空堀」が多いのだ。

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 で、さすがにそうした古い町なのだろう。街にはやたら「有形文化財指定」が沢山あって、建物の前にそんな標識があるのですぐわかる。この写真でいえば、真ん中ちょっと右下にあるのがその標識。で、ここから3軒くらいずっと「有形文化財指定・店舗及び住居」なのである。いやあ、すごいなこれは。もっとも、見るとだいたいが昭和期戦前の建築。まあ、そうだわな、3月6日のエントリー『現存せず』ではないが、そんな古いものが今は残ってはいないよな。ただし、特に大きな工場などもなかった石岡市なので太平洋戦争の空襲にもあわなかったようで、こうして昭和戦前期の建物が残っているのだ。おまけに、目抜き通りは大体丁字路ばかりで、これまた古い町独特の街づくりである。

 元禄13年(1700年)に徳川光圀の弟、松平頼隆が常陸府中藩に入封して水戸藩の支藩になり、常陸の国の中心は水戸ということになり、石岡はその立場を失う。

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 街角でやたら目立ったのが、こうした雛人形。まあ、時期ものではあるが、いいのかなあ。もうすでに3月3日はとっくに過ぎているのだが、そんなことしたら石岡の女の子たちは皆行き遅れになっちゃうじゃない。

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 ということで、最後は筑波山でシメ、ということですね。

Nikon D100+AF-S Nikkor 18-105  (c)tsunoken

2011年3月 7日 (月)

『死にゆく妻との旅路』ってベタすぎるタイトルなのだが

 そうなんだよな、夫婦って二人だけなんだよなあ、というのが最初の感想。で、死ぬ前に一度だけ輝く時があるのか、というのが二番目の感想。

『死にゆく妻との旅路』(監督:塙幸成/脚本:山田耕大/原作:清水久典/製作:イメージフィールド)

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 脚本の山田耕大氏とは昔一度仕事をしたことがある。京極夏彦氏の小説『鉄鼠の檻』を映画化しようとして、原作者のOKをとり、監督はフジテレビ・ディレクターの河毛俊作氏にお願いし、脚本に山田氏、プロデューサーに私と、今や東宝の専務になってしまった島谷能成氏という布陣で臨んで、初稿までは上げたのだが、それを御前会議(って誰が出てるのか知らないが)に提出したら、「これは金がいくらかかるか分からない(というか「5億円以上かかりそうだ」というのが正解)」ということになって、結局企画はボツということになり、山田氏のギャラは東宝さんが払ってくれることになり、私は2度目の減給処分を受けることなくなったということだったのだ。

 それ以来、山田氏の作品は大体みていると思っているのだが(だって「鉄人28号」まで見たんだぜ)、その一番最近作がこの『死にゆく妻との旅路』っていうとにかく「ベタ」なタイトルの作品なのである。いやあ、最初から目指すものは見えてますね。「お涙頂戴」というのは、いまでは「一般的には」はやらないのかなあ。

 癌で一度は切除手術はしたのだが、当然といってはいけないが再発の(転移)の可能性があるわけで、そんな妻が「病院においておかれるのは嫌だ、ずっと一緒にいたい」と言われた夫がどうするか、という話なのだ。おまけに、夫の側には夫なりの事情があって、事業に失敗して数百万円の借金と1千万円の税金を納めなければならない。夫は自己破産を宣言するのはいやだ、ということはもはや選べる道は「逃亡」しかないじゃないか。逃亡の果てに何があるのかは考えない。『ブッチ・キャシディとサンダンス・キッズ(「明日に向かって撃て」の原題です)』は逃亡の果ては南アメリカ(ボリビアか)においていたのだが、そこで追われていた事実はなくなるわけで、しかし、結局はアメリカ政府の警察に捕まってしまった。日本で、この島国の日本でどこに逃げるというのだろうか。結局、この夫婦は北陸・関西・近畿・東海をぐるぐる回るだけで、それだけで終わってしまう。まあ、その結果警察に捕まってしまうのは、全『ブッチ・キャシディ~』とは全然関係ないことであり要は「保護責任者遺棄致死」という罪状だそうだ。

 でも、妻との関係を一番大事にするミクロ的な視点を重要にすれば、それは正しいということになる。勿論、反対側の論理で「なんでかみさんを病院に連れていかなかったのか」という論理もある。まあ、たしかに病院に連れていけば、多少はかみさんの寿命も延びたかもしれないが、病院でひとりだけにされてしまうことを嫌がる妻である。だとしたら、やはり死ぬまで妻と一緒にいてあげようというのが愛する夫の立場であろう。たとえそれが罪に問われることになっても。

 寿命というものはそういうものではないのだろうか。要は、ある年齢になると「死んじゃう」ということ。それが「寿命」かもしれない。我々はまだ自分の寿命というものを知らない。しかし、確実にやってくるこの「寿命」というものにたいして、基本的な姿勢を作っておこう。最早、我々、生産に携ずさわらない人間にとっては、もう自分の人生なんてものも、所詮「余生」にすぎないのだ。

 そういうこと、私は50歳になった時に、「ああ、俺は最早これまで生きてきた時間と同じ時間を持つことが出来ないんだ」と感じた時に人生観変わったね。

 もう俺は死んでいくだけの人生なのだとういうこと。

 公開規模は大きくないが、なんかヒットの予感のあるロードムービーだ。

 映画の公式HPはこちら→http://www.tabiji-movie.jp/

原作はこちら↓

2011年3月 6日 (日)

銀座の写真展ふたつ

0302_gin_2 (c)増田彰久

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 銀座ニコンサロンで今『増田彰久写真展「現存せず」―消えた西洋館』という催しを開催中だ。明治・大正・昭和の戦前期に建築された、大きなものから個人の別荘まで含めた「西洋館」であり、戦後の昭和高度成長期から平成にかけて取り壊された建物を撮影した写真展である。

 さすがに、戦前に建てられた西洋館のほとんどは銀行とか証券会社、損保会社などのさすがに昔ながらの金融資本が勢ぞろいしている。上の写真も三菱銀行の東京本店の昔の写真である。さすがに豪勢な雰囲気の内部であるし、当然その外部も大したものだろう。とここまで書いて気がついたのだが、この写真群、銀行や証券会社などの大きな会社に関してはその社屋の内部の写真ばかりなのだ。小さな、個人邸とか別荘なんかは外部写真なのだが、大きな会社は内部だけ。まあ、その方がスケールの大きさが良くわかって、面白いのだが・・・。

 取り敢えず、写真展は3/15まで開催中。まあ、それほどジャーナリスティックな写真展ではないけれども、一見の価値はあるだろう。取り敢えず、その建造物は「現存せず」ということだけでも・・・。

ニコンサロンのHPはこちら→http://www.nikon-image.com/activity/salon/

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2011_03_05_058_2 EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 銀座ではその他にライカ銀座ショウルームに併設されたサロンでも写真展を開催中。こちらは『Tony Vaccaro / In Creative Company; Leica -Style Portraits』という、トニー・ヴァッカロというイタリア系アメリカ人のフォトグラファーの写真展で、帝国ホテルの設計で有名なフランク・ロイド・ライトなどの建築家や画家、女優などのポートレイトの写真展である。ポートレイトの良悪は私には分からない。要はたくさん撮ってその中からいいものを選ぶというのは、普通の写真と同じだろうが、その選ぶ基準と言うのが良くわからない。なにをもって「これがいい」と言うのだろうか。まあ、もっとポートレイトを沢山みればわかるのかなあ。

ライカ銀座ギャラリーのHPはこちら→http://jp.leica-camera.com/culture/galleries/gallery_tokyo/

 ということで、私は上のような無駄写真をいっぱい撮っているのであります。

 ああ・・・。

 増田氏の関連図書はコチラ↓

2011年3月 5日 (土)

『自分探しと楽しさについて』じゃなくて「自分語りと(自分の)楽しさについて」でしょ

 なにか他人のために書いた「自分探し」なんてタイトルをつけているけれども、要は森氏の「自分語り」の本なのであります。

『自分探しと楽しさについて』(森博詞著/集英社新書/2011年2月22日刊)

 森氏は数年前に名古屋大学を辞めたようだ。確かに大学教員としての給与と作家としての原稿料と印税で、最早仕事をまったくしなくてもいい状況になっているようだ。つまり『もちろん、今では仕事は金銭的な問題ではない。仕事をまったくしなくても生活には困らない。でも、仕事をしないと、所得税を払わないことになるから、それだけ社会貢献ができなくなる。遊んで暮らせるとはいっても、必要とされるうちは(必要とされているから稼げるのだが)幾らかでも仕事をした方が良いだろうし、そういう気持ちを持っていることが、自分の生活を社会に定着させる良い「摩擦」になるとも思う。さらにあえて書くならば、こんなに長く生きさせてもらったし、楽しませてもらったのだから、これくらいのお返しはした方が自然だろう、というバランス感覚である』ということ。あと5年位で徐々にマスメディアに登場することを少なくしていき、その後はまったく「ものを書く」ということを辞めるようである。

 私なんかは、森氏の小説作品はまったく読まずに、どちらかと言えば森氏の「趣味人」的な模型機関車やら模型飛行機やら自動車改造趣味の方に注目していた人間なので、森氏が「これからはもう小説は書かない」といっても、「ああ、そうですか」というほかはないのだけれども、森氏の小説のファンにとっては大問題であろう。とはいうものの、作家が「もう書かないよ」と言ってしまえば、もう終りである。まあ、それはそれで仕方がない。

 とはいうものの、一方で70歳になっても一生懸命文章を書いて吉川英治文学賞をとる作家なんてのもいる。では何が彼をそんな表現衝動に導いて、森氏のように表現をやめてしまうということに落ち着くのだろうか。

「現状へのいたたまれなさ」ということは言えるのではないだろうか。多分、経済的には最早問題はないだろう。原稿料だって十分もらっている筈だし、印税収入だってあるだろう。もう、書かなくたっていいような個人的な状況にはあるはずだ。しかし、書きたくなるのは何故だろう。それは何か社会に対する不満があるのではないだろうか。あるいは、自らのおかれた状況に対しての不満だろうか。例えば、自分の支持する政党がいまやどうしようもなくなってダメな政党になってしまったとか。例えば妻が自分につらく当たるなんてのも表現衝動にはつながるかもしれない。要は、何らかの「不満」があるのだろうな。それは小状況かもしれないし、大状況かもしれないが、そうした状況に対する「不満」。

 そんな「不満」が森氏にはないようなのだ。う~ん、羨ましい。たしかにあれだけ趣味を持っていたら、それだけで忙しくって完結してしまって、他の部分には目を配ることはできなくなってしまうのかもしれない。いやあ趣味人ってそんな強みがあったのですね。

 しかし、待てよ。じゃあこの本『自分探しと楽しさについて』ったって、要は自分の楽しさについてだけ語って、「自分探しなんてやるだけ無駄よ」っていう本に『自分探し』なんてタイトルをつけるなよ、という気分にもなる。タイトルは集英社が付けたというのが森氏のいいわけなのだが、しかし著者が認めないタイトルはさすがな編集部でも付けないだろうが。

 だとしたら正しいタイトルは『森博詞の自分語りと楽しさについて』になるのだろうが、でもこれじゃあ誰も買わないよな。多分買うのは森氏の趣味人的な部分が好きな人だけ。

 ということで、『自分探しと~』というタイトルになったわけだが、これで騙されて買う読者もいるわけで、まあ、そういう人には「ご愁傷様」と言うだけだ。

 

2011年3月 4日 (金)

『高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人』って、当たり前でしょ

 昨日、「がんばらなくてもいい教」教組の香山リカさんを取り上げたので、教は「がんばりましょう教」教組の勝間和代さんの本を取り上げます。まあ、これで問題はないでしょ。だって、どちらも最終的には言っているとことは一緒なんですよ。

『高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人』(勝間和代著/小学館101新書/2011年2月6日刊)

 本書でのキーワーードは「アカデミック・スマート」と「ストリート・スマート」という考え方。さらに、「オッカムのカミソリ」と「ヒューリスティック」という方法論です。ようするに、学校とかで「頭がいい」んじゃなくて「実戦世界で頭がいい人」になろうよ、ということなのです。

 で、言いたいことがよくわかる目次が以下の通り;

1章 頭がいい人の7つの習慣 『ものを概念化する癖がある/切れ味のいい「オッカムのカミソリ」を持っている/頭の中に充実したデータベースがある/頭の中から引き出すきっかけを豊富に持っている/数字、特にベクトル数字に強い/リスクテイカーである』

2章 頭がいい人の7つのスキル 『決して情報を鵜呑みにしない/例外処理が得意/自分の意見を持っており、人の意見に左右されない/非常識だが、生産性が高い/経験と概念を上手につなげることができる/到達点のポイントを見極め、手段を自分で見つけられる/圧倒的なメリハリとスピード感が人を魅了する』

3章 新しい考え方をもたらす7つの視点 『知的な継続した興味/クリティカル・シンキング/概念操作能力/データ収集能力/画像化能力/数値化能力/言語化能力』

4章 頭をよくする7つの方法 『知識・教養を楽しみながら修得し続ける/「概念のボキャブラリー」を増やす/とことん、自分で見て、聞いて、考えて、動いてみる/1分あたりの情報処理量を高めるための投資を惜しまない/自然に生まれた人脈から学ぶ/ストリート・スマートな人の生活習慣を身につける/真の意味での「実直さ」「正直さ」こそが、ストリート・スマートを生む』

 要は、人間は「知識」だけじゃダメで「知能」が大事だということ。「知識」をどうやって実践の場で生かすかということの「知能」の問題であるということ。ということでしょう。それは当たり前と言えば当たり前、まあ、皆よくわかっていることではあるのだ。とはいいうものの、実はあまり分かっていないのがその「知識」と「知能」の問題なのだ。「知識」を持っている者はその知識をひけらかすだけでそれを実践の場に使わおうとしない。「知能」がある者は、自分の知識圏内のことだけに止まってしまって、それ以上の「知識」を得ようとしない。という問題があるのであろう。

「知識」と「知能」をちゃんと一致させれば、いい仕事が出来るというのが勝間氏の考え方である。それはそうだ。そんな意味では「アカデミック・スマート」ばっかりの日本の官僚たちの考え方は勝間氏にとっては、もうどうしようもないくらい「ダメ官僚」の集まりにしか見えないだろう。

 しかし、日本という国はそんな官僚によって動かされているのだ。菅民主党がいくら言っても、そんな官僚体制はみじんともしない。政治は単に官僚体制の上に乗っている「雲」みたいなもんで、陽が当たったら少しは政策も変わるかもしれないが、実際には殆ど変わらないのだ事実である。

 じゃあ、どうすれば「ストリート・スマート」な政治が出来るのかと言えば、それについては中央大学ビジネススクール客員教授の勝間和代氏は応えないのだ。彼女が言うのは単なる「経済状況だけ」なのだ。しかし、いまや経済が政治を動かす時代でしょ。だったら、経済状況を語る人は政治も語らなけりゃいけないんじゃないのかなあ。

 そんな意味では「ちょっと残念」な本ではあるけれども、いわゆる「自己啓発本」というカテゴリーで見てしまえば、それを読んだ読者を少し「突き放し」ている部分で、楽しい。

 つまり「おわりに」で『ここまで、頭をよくする方法について実践編を書きましたが、残念ながら、「すぐに誰にでも通じる魔法のやり方があるのではないか」と期待された方たちに、特効薬をだすことはできませんでした』と書く通り、この本を読んでも「アカデミック・スマート」から「ストリート・スマート」になれる方法論なんて書いていないのである。「オッカムのカミソリ」なんて使える人間にはなれないのだ。

 要は、自分たちの人生論の中でそれを探すしかないということなのだろうな。そこで、「ストリート・スマート」と出会うか、「オッカムのカミソリ」に出会うかしかないのであろう。

 まあ、それが普通の感覚ではあるし、普通の結論なのだ。ってことは勝間さんも言っていし。まあ、普通の結論でしかないということなのだろう。

 要は、自分で頑張れよ、ということでしかない。

2011年3月 3日 (木)

『「だましだまし生きる」のも悪くない』は香山リカの本ではない・・・んですよね

 香山リカさんも50歳を過ぎてやっと自分語りを始めたのかな、というところである。

『「だましだまし生きる」のも悪くない』(香山リカ・鈴木利宗(取材・構成)/光文社新書/2011年2月20日刊)

 だいたい、「香山リカ」という名前からしてふざけていた。ようは「リカちゃん人形」の名前なんだもん(というかなんでタカラトミーは著作権侵害で文句を言わなかったのかな)。1967年にタカラから発売された「リカちゃん」は、1960年生まれの香山リカさんにとってはちょうどハマリの人形なのだろうか。ともあれリカちゃん人形は、アメリカのマテル社が発売したバービーを押しのけて、日本では大ヒットした人形であるし、いまでもヒットし続けている。

 昨日のエントリー『エロチック・ジャポン』でもこの「バービーvs.リカちゃん」が取り上げられていた。ようするに日本ではバービーのような成熟した女性像は人形としては受け容れられなくて、結局リカちゃんのような「少女像」が大人から少女まで「自分たちの仲間で、理想像」という受け容れられ方をしたのであった。要は、日本では理想の女性像は大人の女ではなくて「少女」に求められたのである。つまりそれは「処女性」ということなのだろう。

 そんな「処女性」に重きを置いた香山リカさんなのであるが、さすがに50歳過ぎて「処女」でもあるまい(別に処女でもいいんですけれども)ということで、初めて自分を語ったというのが本書であろう。それも自ら書かずに他人の「取材・構成・執筆」という形をとって・・・。

 問題は「香山リカが処女であるかどうか」ということなのではないだろうか。先に、「処女であるかどうかはどうでもいい」というようなことを書いたが、それは事実としてどちらでもいい、ということであって、現象としては「処女であってもいい」ということなのだ。それは香山リカ氏のいろいろな発言を見て見ると「こいつ処女なんじゃねえの」というような印象を受けることが多かったのであるが、だからといってその発言が間違っているというわけではない、ということも多くあったのだ。「女が処女か処女じゃないかというところで評価が変わる」という、それまでの男の評価基準を変えたというところは、功績大である。

 そんな香山リカ氏が語った「自分語り」ではあるのだけれども、その人生のあまりにも「普通」な生き方には「なるほどなあ」という部分が多い。この「あまりにも普通な生き方」という部分では『負け犬』で有名な酒井順子さんにも通じる「普通の女の子が普通のおばさんになってどこが悪いのよ」という居直りが見える。別にいいんです。普通のおばさんになって、普通のおばあさんになって、普通に死んじゃえばいいのである。

 そう50歳を過ぎると人間は自らの人生の先にあるのは「死」でしかないということに気づくのである。そこで自らの人生を自分語りする人も出てくるし、逆に如何にして自分がその世界にいなかったかのように自らの足跡を消そうとする人がいる。まあ、どちらも結局は自分の足跡を残そうとする行いにすぎないのだけれども、そんな悪あがきを人間というものは「死」を前にするとやるものなのです。

 そんな香山リカさんの墓銘碑が「新書」? ってないんじゃないの。もうちょっとちゃんとした本で墓銘碑を作りましょうよ、って香山さんはこの本が墓銘碑だとは考えたてないのだな、そうか、もっともっと本を書く気であるのは間違いない。

 最後は自ら書く「人生記」になるのかなあ。

 ただ、香山さんはそんな自分の人生ってものに対しても、もうちょっと相対化していますけれどもね。

 まあ、人生記は書かないか。

 

 

 

2011年3月 2日 (水)

『エロチック・ジャポン』の感心するところは、その旺盛な取材だ

『エロティック・ジャポン』(アニエス・ジアール著/にむらじゅんこ訳/河出書房新社/2010年12月20日)

 とにかくすごく旺盛な取材である。その一端を目次で見てみよう。

第1章 パンティ愛 『幼稚な女の子が理想/ロリコン―「あ、いけない。パンティ、みえちゃった!」/可愛いエロティシズム/ブルセラ―純真の香り、売ります/パンティには不死の力があるのか?/行き恥を晒すのなら死を/盗撮同盟』

第2章 恥の文化 『ああ、恥ずかしい/ぶっかけという顔への攻撃/顔のエロス/テレパシーで脱がせて/日本ヌード小史/見てはいけない猿たちをお隠し遊ばせ/ヌードのタブー』

第3章 水と蛸 『世界の終わりはしょっぱい味/触手怪獣―恐ろしき抱擁/どしゃぶりのオーガズム/ホースに犯される!/パンティの中の悪魔祓い/嘔吐ショー/日本の創世物語―クラゲと雫とヒルコ』

第4章 おばけたちの物語 『私は性器から蘇生した/嫉妬深い女たちの復讐/呪われたラブホテル/日本人にはタブーはあるのか?/恋は闇/死者への愛、動物への愛―冥婚/恐るべき処女たち/死者に盗り憑かれた巫女たち』

第5章 暴力 『レイプごっこで「やだ、やめて!」/エログロ―地獄の国のアリス/汚物の楽園―スカトロプレイ/はらわたを見せれば、その人がわかる/切腹エロビデオ/日本サド=マゾ小史/「女犬」クラブ/縄の巨匠』

第6章 お人形 『リカちゃん人形―誘惑のアナトミー/雛祭り、桃、お尻/人形たちの革命/人形学校/エレガント・ゴシック・ロリータ―街のプリンセスたち/代用妻産業』

第7章 異性装と変身 『セーラームーン―月からやってきた女子中学生/制服フェチ/七夕―恋人たちの祭典/コスプレ―オタクたちのロールプレイ/着ぐるみ―アイデンティティの移動/メイドカフェ―あなたの可愛い女中/ヴィジュアル・ショック―日本のロック・クィーンたち/やおい=男+女+アンドロイド?/男装と女装―宝塚の女形たち』

第8章 男らしさの危機 『宦官国、ニッポン?/全国童貞連盟/花婿学校/マザコン/女の子になりたい男の子/去勢―男たちの場所は?/ふんどし―男らしさの最後の砦/田亀源五郎と超マッチョ・ファンタスム/菊と刀―男らしさとナショナリズム』

第9章 女の子革命 『革命少女たちによる支配/ギャルの乱/援助交際―伝説か、それとも現実化?/伸びていく女の子たち/女の子の名前―「子」の終焉/ドミナの学校/セクハラ―OLの乱/「痴漢は犯罪です」―痴漢に気をつけて!/リンダ―セクシー相撲のスキャンダル/強い女の物語』

第10章 セックス産業 『セックスの街―歌舞伎町/<ソープランド>という売春宿/<デリバリー>という名のコールガール/<ヘルス>という名のマッサージサロン/二流のクラブ<キャバレー>とは?/ピンクサロン/ノーパンしゃぶしゃぶ/テレクラ―女子高生たちの売春/ごっこプレイの<イメクラ>/女性専用のクラブ<ホストクラブ>/露出狂たちの<ハプニングバー>/裏風俗<アダルト・パーティー>/売春する人形<ドール風俗>/ストリップ劇場/ビジネス上手な人たちのための風俗/会社の経費で舞妓さんを/雅やかな嘘の世界―<クラブ>/ナンパからチラシまで<女の子獲得合戦>/日本売春小史/ファンタスムの境界線は? 法律の介入はどこまで?』

第11章 大人の玩具 『奇妙な形の妻たち/肉体淫具<名器>/スーパー・オナニズム・マシーン/使い捨て缶<オナニーカップ>/ハグするための空気入り<抱き枕>/腰下人形<性感クッション>/ボーイフレンドの腕枕クッション/千手観音のバイブ・マッサージ機/正座のOLクッション/胸を大きくさせるガム<B2Up>/パンティの香水<あそこ>/丸められた愛―テッシュペーパー/男性器の<縛り>―和式コックリング/聖なる張り型<金精様>/日本<張り型>小史』

 ということである。要は日本のオタク文化とエロチックな表現がその殆どである。まあ、それも今の日本を認識する方法であろう。

 様々な性にまつわる表現が規制されている日本では、そうした規制があるゆえのいろいろ工夫された表現があり、制限のない(イスラム諸国は除く)諸外国に比較して極めて多様な「性表現」のあり方が現れている。つまり規制されればされるほど人間というものは工夫をこらして、如何にしてその規制をかいくぐって自らの「表現」を獲得するかを考えるものだということ。そんな日本であるからこそ、これだけの豊かな「性表現」が実現したのだともいえる。そんなことからすると、規制も悪いもんじゃないということになるが、しかし、規制があることはあまり気持ちの良いことではない。「東京都青少年育成条例の改正問題」だってあまりいい気もちはしない。が、そんな規制があればあるだけ漫画家はその規制をかいくぐる表現を考えるだろう、という安心感というか「期待」も一方であるのだ。

 いってみれば「オタク文化」もそうした「性表現」の一部であるという捉え方をアニエス・ジアール氏はとっているのである。こういうとヲタクの人たちは気を悪くするかもしれないけれども、まあオタク的な表現の中にはある種の「ねじ曲がった性的表現」があるのだろう。いわゆる「2次元コンプレックス」なんてのも、そうした表現の一種なのだ。

 ということで、ジャポニズムというものをヨーロッパに流行らせたフランスのポップカルチャー・ムーブメントの中に本書も含まれるのであろうか。まあ、エロチックな部分だけが日本じゃないんだけれども、それもいいかもね。日本人はエロばっかりという誤解を世界にばらまくというのもいかもしれない。だって、そうなればそんな国を攻めようなんて国はないだろからね。

 まあ、ちょっと間違っている部分もあるかもしれないが、総体的には面白い本書である。一読をお薦めしたい。

 で、最後に間違いの指摘をふたつ。

 一つは106ページ『東北地方では〈オシラサマ〉と呼ばれる民間信仰があるが、これは牛と結婚した若い娘の物語だという』という部分、「オシラサマ」は牛はなくて馬と契った娘のことである、ということ。これは『遠野物語』を読めば分かります。

 276ページ『政府の圧力によって、東京都特殊浴場協会は、トルコに変わる新しいネーミングを公募した。そして1984年12月19日、〈ソープランド〉という名称が選ばれたわけだ。しかしそれにもかかかわらず、トルコ大使館の努力を欺くように、そこで働くソープ嬢たちは今でも〈トルコ嬢〉と呼ばれ続けている』というが、現実はそうでもないだろう。実際は「ソープ嬢」とか『日刊ゲンダイ』風に「泡姫」と呼ばれているのではないでしょうか。

 

2011年3月 1日 (火)

『FRAMES OF LIFE』とは「命の枠組み」っていうことでしょ

 そう、フォトグラファーは現場にいなければならないのだ。

『FRAMES OF LIFE』(高橋邦典著/長崎出版/2011年2月13日刊)

「Chikironの日記http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110223」というブログでカメラマン(フォトグラファー)とライターの階層制度が書かれていたけれども、それ以上に大事なのは、ライターとカメラマン(フォトグラファー)の一番の違いについての記述がなかったことだ。これはマスコミ経験のないChikirinさんではいたしかたないことだが、実は大きな大きな違いがあるのである。

 つまりライターは現場に行かなくても、現場で取材してきた取材記者やレポーターの取材原稿、それこそ最悪は当局発表の広報資料からでも自分が書く記事のネタはとれるのであるが、カメラマン(フォトグラファー)はとにかく現場に行って、自分で(いやそれでもアシスタントに押させる人もいるかもしれないけど)シャッターボタンを押さなければいけないということなのだ。つまり徹底した「現場主義」がカメラマン(フォトグラファー)の大原則なのである。

 そんな意味で、この高橋邦典氏も完全な現場主義の人である。特に、写真に対して事前の思い入れというものはないし、被写体対象に対してもまったく事前の知識はないところからフォトグラファー人生を始めているのだ。それが素晴らしい。写すもの(撮影者)と写されるもの(被写体)の関係をまったく考えていなかったところから、なんで人はこんなに哲学を持ち得るのだろうか。

「ボストン・ヘラルド」「シカゴ・トリビューン」というアメリカの新聞のスタッフ・カメラマンとして働いていた時期の写真と記事内容がこの本の内容である。つまり南アフリカの内乱と革命(マンデラ氏の当選はまさに革命といってもよいものだ)、イラク戦争、リベリアの内戦というところが本書の対象とする戦争だ。しかし、高橋氏はいまフリー・フォトグラファーとしてサウジアラビアから今日にもリビアに行くそうである。いやまったくこりない・・・・・・と言ってはいけないのか。やはり現場主義のフォトグラファーなのである。つまりそれは「戦争写真家」という名前の・・・。

 やはり一度戦場を経験してしまうと、なかなかそこから離れられなくなってしまうのだろうか。「生と死」のせめぎ合い。「一瞬の死」。「覚悟の自爆死」。そんなものに触れてしまうと離れられなくなるのだろうか。そうやって、戦争カメラマンはどんどん「死」に近付いてしまい。やがて自らそのタブーに触れてしまう。

 そして自らその「一歩」を踏み越えてしまうのである。願わくば高橋氏がそんなことにならないでいてほしい、ということだ。

 まあ、それはいいとして、ボストンという街は大きな川に二分された街で、北側はマサチューセッツ工科大学やハーヴァード大学などがある文教地区であり、南側が商業地区になっているというほどの小さな街である。ニューヨークのようにざわざわしていなくて、落ち着いた街なのであるけれども、まあ、やはり小さな街だ「ボストン・ヘラルド」のサイトを見たけれども、やはりまあ小さな街の新聞という感じである。そこで「シカゴ・トリビューン」というワンステップ上がった新聞に移った高橋氏であるのだけれども、その辺はやはりアメリカ流のステップアップのシステムであろう。

 その後のフリー宣言にはなにか期待をしたいものだ。

 で、シカゴって行ったことないので、一度行きたいな。

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