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2011年2月24日 (木)

「ソーシャルネイティブ」ったって、問題はそいつらの世界性なのだ

 デジタルネイティブの次はソーシャルネイティブか。しかし、問題はそんなところにあるのではないのだがなあ。

『ソーシャルネイティブの時代 ネットが生み出した新しい日本人』(遠藤諭著/アスキー新書/2011年2月10日刊)

 たしかに、生まれた時からパソコン、ケータイがあったデジタルネイティブから、今や生まれた時からブログ、2チャンネル、ミクシィ、モバゲー、ニコニコ動画、YOU TUBE、U STREAM、ツイッター、フェイスブック、グーグル、そしてそれらを閲覧、検索するためのスマートフォンがある世代はまさにソーシャルネイティブであるのはその通りである。

 著者の遠藤諭氏はアスキー総合研究所の所長であるから、そうした新しいメディアを擁護し、そうした新しいメディアを使いこなす人たち(若者だけではない)を擁護するのは無理もなことだろう。ただし、そうした新しいメディアを使いこなす日本の人たちが、どんなコンテンツと向き合っているのかが重要なのだ。

 本来はインターネットというのは国境を軽々と越えることが出来るメディアなのである。国境を越えて世界中の人たちと「繋がる」ことができる。例えば、日本の若者がアメリカのオバマ大統領と直接話をすることができる(といっても、多分向こう側にいるのはオバマ大統領自身ではなくて大統領の側近だろうけど)。そんな夢のようなメディアがネットなのである。

 ところが今の日本の若者が繋がっている先は、その大半が日本の若者でしかないんじゃないか? 

 例えば、サウジアラビアの政変に際して、サウジの若者とコンタクトをとった日本の若者はどの位いたのだろうか? まあ、たしかにアラビア語を使える日本人は少ないだろうから、多少はしょうがないにしても、英語を使えるサウジアラビアの若者は多いわけで、2月19日のエントリーで書いた通り、グローバルイングリッシュでいいからサウジアラビアの若者とコンタクトをとることは可能なのだ。両方ともネイティブではないのだから、ことは簡単だ。お互いブロークンイングリッシュで結構は話せると思うのだがな。まあ、たまたま私の周辺でサウジアラビアの若者と連絡をとった日本の若者がいなかったからなのだが、しかし、多分少なかったんだろうな。

 勿論、日本人同士のコミュニケーションがいけないというのではない。ただ、それだけではネットの特性を生かしてないでしょ、ということなのだ。ネットの特性あるいは優位性とは、かつて吉本隆明が『ハイイメージ論Ⅰ』で言った「世界視線」を獲得できるということなのだ。グーグル・アースで衛星上からでも見たような世界が見える。そうすると、意外と日本と世界は繋がっているのだということがよくわかる。たしかに、その間には海があるが、そんなに海って広くはない、それこそ東京の対岸はメキシコだという感覚、北海道の対岸はハバロフスクだしロサンゼルスだという感覚。そんな感覚にとらわれないだろうか。要は、総体としては、地球って意外と小さいんだな、という感覚。まあ、この小さい地球に60億人の人が住んでいるんだな、という感覚。そこから、エコを考えなきゃいけないんだ、という感覚。

 要は「世界視線」を獲得するというのはそんな感じ。そういう中にいることが認識できれば、世界中の若者と繋がろうという気分にならないほうがおかしい。地球上の60億人のうち20億人は英語を使える人たちなのだ。それも若者のほうが英語を話せる人たちが多いことを考えるならば、60分の20(33%)じゃなくて、その確率は倍以上になるのだ。つまり、世界中で英語を使える若者の割合はほぼ7割である。

 だったら、もう英語でコミュニケーションしましょう。え? 外国人の友達がいないって? そんなのは大丈夫、そのためにTwitterがあるんでしょ。ツイッターに英語でつぶやいてみましょうよ。フェイスブックでもいいです。とにかく英語でそうしたSNSに書きこんでみましょう。しっかり反応があります。その反応に応えてあげれば、相手は喜んで自分の友達を紹介するかもしれない。そうやって友達の輪を広げていけばいいのです。

 それが本来の楽しいネットの使い方ではないのだろうか。「国境を楽々越える」というネット本来の楽しい使い方を書かないで「ソーシャルネイティブ」なんて言葉を勝手に作るんじゃないよ。あるいは遠藤氏は、ケータイみたいに日本の若者をガラパゴス化させたいのだろうか。だったらその意図は奈辺にあるのだろか?

 そうすることによってアスキーは何か有利な立場になれる部分と言うのがあるというのだろうか。まあ、だったらまあ仕方ないけど、でないのであったら、やはり日本のネットを利用する若者たちの「内向き指向」と、海外に目を向けないがための「国粋主義」をきちんと批判すべきである。

 インターネットというのは基本的に「国際主義」(というかもっとすごい「世界主義」かもしれない)の大きなメディアなのだし、であるからこそ我々(要は親父世代)はそこに大きな可能性を夢見たのだし、そんな大きな可能性を持ったメディアを、矮小な日本主義の中だけに終わらせてなならない。

 世界は大きい。しかし、その大きさは確実に狭まっている。つまりその理由がインターネットなのである。その時に、日本の若者が確実に世界に出ていけるようにするのが、われわれ親父世代の仕事なのである。

 遠藤氏もそういう世代だということを自覚してほしい。

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