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2011年2月 9日 (水)

『日本の若者は不幸じゃない』というけど、やっぱり「不幸な若者」っているのである

 確かに「自己表現」という部分では今はネットもあるし、昔に比べれば圧倒的にハードルは低くなっている。だからと言って、それで不幸か幸福かということにはならないんじゃないか。

『日本の若者は不幸じゃない』(福嶋麻衣子・いしたにまさき著/ソフトバンク新書/2011年1月25日刊)

 貧しいか貧しくないかというのは明確な基準を求めることができる。つまり、年収いくらという基準を設けて、それ以下は「貧しい」、それ以上は「普通」、もっと上は「豊か」とか決めることはできる。ただし、豊かであっても不幸な人はいるし、貧しくあっても幸福な人はいる。ということで、こうした相対的なものに関しては本人の感じ方しかないのであって、それで不幸じゃないというのは自由である。

 福嶋氏は貧しくあっても、自分の表現したいことが表現して発表できる場を持っている日本の若者は不幸じゃないというわけである。確かに、ちょっとアルバイトでもすればビデオカメラを買うことができるし、そうして買ったビデオカメラで撮影してパソコンで編集した素材をYOU TUBEとかUstraemにでもアップすれば、その時から彼はビデオアーチストな訳である。アルバイトで買ったギターを録音してパソコンでミックスした音源をネットにアップするか、CDでも焼いて街に出れば、かれはミュージシャンな訳である。

 そういう意味では、まさに今や一億総アーチスト時代だともいえるし、技術的な習得なんてものの意味がなくなってきているというのも事実だろう。もうちょっと技術的に上を目指したいのであれば、それはそれなりの学校がいっぱいある。勿論、そんな学校に通いながらメディアに顔をだすことは十分可能である。

 そういう意味では、昨日のブログにも書いたけど、『じゃあ、若者はどうすればよいのか』の答えの一番目。『(1)「雇ってもらう」ことを諦め、自営業でたべていこうと考える』ということの一つの方法なのだろうな。

 じゃあそれですべての若者が幸せになれるかというと、これがそうはいかないのだな。つまり、そうしてネットで自己表現したり、秋葉原の路上でパフォーマンスしたり、それこそディアステージで歌を歌ったりできる子たちは、まあ少しは幸せになれるかもしれない。しかし、そんな方法論に気付かない子たちはどうすりゃいいのだ。要は、そんな「幸せになる方法」をまったく知らない子たちがいるということなのだ。

 どういう子たちなのかと言えば、ケータイは持ってるかもしれないがパソコンを持っていない(使っていない)若者が実に多いのだ。2010年の内閣府調査によればケータイ所持率が高校生で96.0%とまあ、殆どの高校生が携帯電話を持っているという結果が出たのだが、一方パソコン使用率(所持率ではなく「使用したかどうか」という)は82.4%となり前年に比べて落ちているということなのだ。勿論、家にパソコンがあり必要があれば使うのだろうけれども、でも使っていない人が多いということなのだ。大学なんかでも休講情報なんかは前はパソコンで伝えていたのだが、最近はそれだと読めない(読まない?)学生が多いということなので、ケータイによるインターネット接続でもって伝えているという話もある。つまり、学生であれば持ってて当たり前のパソコンですら使っていなくて、インターネット接続はケータイのみという学生がいるということなのだ。

 上記の自己表現の道がいまや圧倒的にハードルが低くなったとはいえ、そのハードルを超えるための最低限のインフラであるパソコンすら「持ってない」「使ってない」若者が増えているということではないか。

 そんな若者の一人が「自分のサイトを荒らされた」といって「秋葉原大量殺傷事件」を起こしたのではないか? つまり、若者が不幸にならないためには、不幸にならないために自分自身から何か行動を起こさなければならないということではないだろうか。勿論、そのための行動とは昔に比べればとってもハードルは低いわけで、それこそ「家にあるパソコンを使う」という程度のものであろう。あるいは、大学生であればパソコン位は自分専用のものがあるだろう。でも、それすら使わない若者たちがいる。

 パソコンですら使いこなせずに、所詮ケータイだけの人生を送っている奴らもいるのだ。そういう人は「自己責任」というだけでいいのだろうか。福嶋氏の視点から欠けているのは、そういう言ってみれば「どうしようもない奴ら」なのだ。そんな、「どうしようもない奴ら」も含めて「不幸じゃない」というためには、多分とてつもない投資が必要になるだろう。

 まあ、そんな大人たちからみれば「不幸」に見えるかもしれないが、幸い「幸せになる方法」を見つけた福嶋氏の同行者たちは、まさに幸せである。そうした「幸せになる方法」を語ることには何の不満もない。当然である。

 ただし、それでも幸せになる方法を見つけられない若者もいる、ということに気付いてほしいとも思うのだ。半径5メートルだけじゃなくてね。

 勿論、そんな若者を助けないと福嶋氏を信じないよ、ということではない。

 ただし、いまだに「不幸な若者」がいるってことだけ。

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