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« 「ソーシャルネイティブ」ったって、問題はそいつらの世界性なのだ | トップページ | ライカウィルスとその亜種の罹患者たち »

2011年2月25日 (金)

要は「オタク」の力をどう使うかということなんだけど、潜在力はあるのか

 要はオタクおよびオタクカルチャーに関しての本なのだ。つまり、それまで「陰」の存在を強いられてきた「オタク」なるものが、ようやく表に出てきて、なおかつそれが今後の日本の文化を代表するようなものになってきている、と持ち上げられている現状についての本である。

 なんか、バカバカしいね。今さら。

『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』(円堂都司昭著/ソフトバンク新書/2011年2月25日刊)

 オタクとかオカクカルカーということでいえば、1980年代の初めからOAV(オリジナル・アニメーション・ビデオ)やらTV版、劇場版のアニメーション作品を作ってきて、十数点の「○○付きチケット」を販売してきたりしてオタクを食い物にしてきたわたしにも、すこしは話をさせてもらおうかな。

 で、本書はゼロ年代の批評文を集めた本なのでどんな本を扱っているのかを取り敢えず紹介;

第1章 ゼロ年代批評のインパクト

 東浩紀『動物化するポストモダン』/宇野常寛『ゼロ年代の想像力』/濱野智史『アーキテクチャーの生態学』/佐々木敦『二ッポンの思想』

第2章 ネットの力は社会を揺さぶる

 北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』/梅田望夫『ウェブ進化論』/鈴木謙介『ウェブ社会の思想』/荻上チキ『ウェブ炎上』

第3章 言葉の居場所は紙か、電子か

 津田大介『Twitter社会論』/前田塁『紙の本が亡びるとき?』/佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』

第4章 データベースで踊る表現の世界

 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』/前島賢『セカイ系とは何か』/福嶋亮大『神話が考える』

第5章 変容するニッポンの風景

 森川嘉一郎『趣都の誕生』/三浦展『ファスト風土化する日本』/速水健朗『ケータイ小説的。』

終章 2010年代にむけて

 ということである。 

 つまり、1900年代には「陰花植物」としてしか思われていなかった「オタク」および「オタクカルチャー」が、2000年代になって、日本のの閉塞状態の中でなんか突然日本のこれからを担うカルチャーとして期待されてしまったという皮肉な状況変化なのだ。そんなに「オタク」に期待ばっかりすんなよ、ということであるが。

 確かに、地方都市郊外にヤマダ電器とか家電店がいっぱい出来て秋葉原の優位性はなくなったのは事実であるし、その結果、秋葉原が「アキバ」になっていまや「AKB」なのであるから、いまやどういうこともない。

 しかし、このオタクおよびオタクカルチャーなんてものが日本のこれからの中心的な文化になるのであろうか。確かに現在は「オタク=クール」ということになっているが、そのオタク連中が世界性をもっていないことが気になるのである。一部のオタク連中でSFマニアとかアニメマニアの中には英語でコミュニケーションすることをさほど気にしていない人たちがいる。そいつらは平気でとんでもないブロークンイングリシュを話しても、「いやあこれで案外通じるんですよ」なんて言ってる。それは知っている。SFワールドコンベンションを日本で開催した人たちだ。

 しかし、その他の、それもアニメ系のオタクたちはどうなんだ。アニメワールドコンベンションをこの日本で(アニメの聖地日本で)やろうという人はいないのか? 多分、それに協力する親父たちはいっぱいいると思う。要は、オタクたちに儲けさせてもらった大人たちだ。そいつらをスポンサーおよびパートナーにして、そんなイベントは出来そうだ。でも、そんな話はない。何故だ?

 要は、この国のオタクたちはそんな力もないし、ヤル気もないし、ただ単に自分が「萌え」たいだけなのか。とすると、それは企業の思惑通りの展開のなかに収まってしまうだけなのだ。だとしたら、もうそんな会社の思惑だけに入ってしまうだけの活動はやめようよ。もっと、自分たちで運動を起こそうよ。オタクの力を(アメリカみたいに)ちゃんと見せるようなイベントを起こそうよ。

 テーマはそれだけ。自分たちでムーブメントまではいかなくても、とりあえずイベントだけでも、それも国際イベントだけでも起こそうよ。

 単に、それだけ。その協力はいくらでもします。

 

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コメント

そういえば。確かにOAV(学研系だけはそうも読んでいた
ような)では案の定当時田中芳樹本を一通り読んでいたので
『創竜伝』は通り一遍観たような。『女神さまっ』のピークは
黒田洋介が絵コンテまで書いていたゲーム版とOVA版までが
ピークで映画は惰性で行った記憶が(そしてまた今度はコミックスに
DVD付けて出すそうな)。ま、惰性で42巻まで買って読んでる
自分も相当酔狂ですけど。

 閑話休題。
>日本のの閉塞状態の中でなんか突然
>期待されてしまったという皮肉な状況変化
時代背景としては2001年の振袖火事が歌舞伎町であった以降
9.11以降色褪せた「飛行機・ステーキ・アメリカ」といふ
アメリカ信仰の後退(まあこの世界観に基づいていた作品を
一つ挙げるとやはり「おジャ魔女どれみ」になったりする)が
結局渋谷できっかり文化を子バカにし、いろいろと搾取し続けた結果
「ローゼンメイデン移籍問題」と「元管理職の9億1230万円着服」
といった最悪の焼け太りの戦犯となった「幻冬舎の暗黒ゼロ年代」
と化した中、気が付けば信じられるものは「己のヲタ文化」って
アイデンティティに世の中が移行していってこの状況、ってのが
確かにあるような(端的に言うと「コピーガード」なる虚喝で
CDを「自主規制」していったら、後にはお布施として買ってくれる
ジャニとアイドルとアニソンしか残らなかった、みたいなものが
あるような)。

 要は日本ではアメリカ信仰の後退でテレ東が痩せ衰えていったのと
同様、内藤新宿的なものを忌避する時代になり、池袋や中野などに
ドーナツ化分散していく中で、主に北関東の盟主になることを避け
続けた埼玉の最大の逃れ先が、結局「秋葉原」に大量に流れ込んだ
(→このまんまな構造が90年代の「クレヨンしんちゃん」に継ぐ
埼玉地盤の作品である「らき☆すた」になるのですが)、と
考えるのは自然かと。

>もっと、自分たちで運動を起こそうよ。オタクの力を
>(アメリカみたいに)ちゃんと見せるようなイベントを起こそうよ。
はそうした「避け続けた行動」=「忌避行動」の末の産物なのですから、
秋元康的な長期的戦略でもない限り、「大乗仏教的なもの」を
求めない傾向にある、と認識すべきなのかと(むしろ「小乗仏教的」に
何らかの形でつながっていれば、と考えるのがごくごく自然で
そういった「ある意味哀れな犬っころ」の消費行動に出る必要性を
感じていない世の中なのでは。最近の「血デジカ断末魔」の叫びは
無用のテロ(テロップ)にまみれている感じで醜悪だし、最近の
テレビに関しては「内容が観たくない不快な物だから観ない様に
して居る」傾向が多く観られるものでもあるので、かえって
「ツルピカ電通マンの気まぐれ」に付き合わずに済む「解放感」が
「ジャスミン革命」並みにワクテカな今日びのこの頃って印象を
持つのですがね)。

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