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2011年2月16日 (水)

う~ん、やっぱり女の方がエラいってことでしょうかね

『ヴァギナ 女性器の文化史』(キャサリン・ブラックリッジ著/藤田真利子訳/河出文庫/2011年2月10日刊)

 実はこの本、親本が2005年に出たときには知っていたのである。しかし、何と言ったって、表紙にはモザイクをかけたといったってヴァギナの大写しがドドーンでしょ、おまけに中にもいろんなヴァギナの写真が載っていて、ちょっと引いたというのが正直なところ。しかし、今年になって文庫本が出たのを期に「エイッ」てな訳で買ってしまい、一気に読んでしまった。その結果は、もっと前に読んでおけばよかった、ということであります。

 つまり、これまで我々(男)が常識と思っていたことがことごとく覆されて、う~ん、やっぱり女の方がエラいのね、ってことなのだ。

 例えば、『メスは一匹のオスだけを相手にするという神話は時代の産物で、ヴィクトリア朝の道徳観が反映した誤りだった。これはまた、科学者がいかに見たいものだけを見てとるかという実例として、警告を与えてくれている』という話。つまり、動物は基本的に「一雌多雄」だということ。なんか人間の世界を見てみると「一夫多妻」なんていうイスラム世界が見えてしまうのだが、実は人間も含めて動物は皆「一雌多雄」なのだ。確かに、優良な子孫を残すという目的にはその方がかなっているわけで、人間以外の動物は皆、いっぺんに何匹のオスとセックスをするというのだ。おまけに、そのセックスでオスから射精された精子も、メスの体の中に留め置かれて、そのうちの一番優良なものだけが受胎されるということなのだ。では受胎されなかった精子はどうなるのかというと、まあ膣前庭あたりで殺されてしまったり、殺精子食細胞なんてものに食い殺されたりするならまだいい、シマウマなんかは余分な精液を体外に排出してしまうのである。えー、何のためにメスに嫌われないように一生懸命やった結果がこれ? ってなもんである。まあ、人間は(日本人は)今のところ「一夫一婦」制であることを幸せに思いましょう。

 しかし、男と別れた女はすぐに次の男をみつけてよろしくやっているのに比べ、男はいつまでも前の女のことを引っぱって、いつまでもグジグジやっているというのも、これで理由が分かるような気がしますね。要は、女の方が種を守ることにたいして積極的だということなのだ。これは生き物に共通のものなんかもしれない。

 しかし、女性のそんな種族保守本能なのかは知らないが、メスの体内に入った精子を「そんなに長く保存できるの?」ということである。人間は5日~8日だそうだが、ヘビは最長7年間だそうである。つまり、セックスして7年半くらい経ったあとで蛇の女からヘビの男に向かって「これ貴方の子よ」なんて言われるわけである。男にしてみれば、7年前にそんな女とセックスしたのなんてもう忘れているわけで、そこに突然「貴方の子よ」なんて出てこられてもねえ。ああ、俺は人間で良かった、なんてね。

 でも、その人間にしてもこれまでの「常識」がまったく崩されてしまったというのがこの本である。つまり、クリトリスはペニスではないし、小陰唇は陰嚢ではないということなのである。むしろそれは逆で、クリトリスがペニスの「一部」になっていたりするのである。まあ、たしかに男はXY染色体で出来ているし、女はXX染色体で出来ているという状況を見るだけでも、要は女の方がガッチリ出来ているということなのだろう。

 でも、そんな男と女の違いというか、男優位の考え方がどこから生まれたのだろう、というのが実は本書の一番のテーマではないのだろうか。一つはキリスト教文化というのがあったのだろう。セックスの目的を「生殖」というものだけに限定したキリスト教は「快楽」のためのセックスを禁じたわけだ。まあ、「処女懐胎」なんてものを信じている宗教だからな。継いではそのキリスト教的考え方からも発生している「男性中心主義的イデオロギー」がある。むしろ、このほうが女性史的には罪深いものがあるかもしれない。

 結果、女性の立場から見た、「ヴァギナ論」とか「女性の快感論」とか、それが種の保存のために一番いい方法論なのだ、というような論議は結局今から30年まで位にやっと出現したようなわけである。1990年頃というのは要はジェンダー論が一番かまびすしく言われていた頃であろう。男性中心主義的な「性快感論」をやめて「女だって感じたいの」論がでてきた頃である。

 そうした状況を受けて出るべくして出されたのが本書である。

 最後に本書からの引用でもって終わりにする。

『1948年、人類学者のマーガレット・ミードは、太平洋のいくつかの島の社会を観察して、女性が性的快感とオーガズムを得る能力に影響を与える要素(男性にとっても同じ)について鋭い意見を述べた。ミードは、女性が性的満足を得られるような社会の条件を次のように書いた。

一、自分の価値を認められたいという女性の欲求を認める社会でなくてはならない。

二、女性が自分の生殖器の働きを理解することを許す文化でなくてはならない。

三、女性がオーガズムを得られるための性的技術を教える文化でなくてはならない。』

 ということ。

 女性が「受入れる性」ではないのだ、ということが良くわかりました。

 最後にこの本を読んでいて発見。「natura」(ナチュラ)ってのはラテン語で「女性生殖器」のことなのであった。フジフィルムの人って、そのことに気が付いているのかな。多分、知らなかったんだろうな。

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