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2011年2月14日 (月)

そこそこ面白い映画『武士の家計簿』でちょっと残念なこと

 昨年12月13日の記事で書いた『武士の家計簿』の映画を今頃になって観た。

『武士の家計簿』(原作:磯田道史/監督:森田芳光/脚本:柏田道夫/制作:エースプロダクション)

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(c)「武士の家計簿」製作委員会

 原作(っていうより原案みたいなものだろうな)を読んだ時の私なりの結論は、『しかし、猪山家は9代目の成之の時に軍務官を経て海軍省に勤めることになり、無事明治政府での出世を果たす。勿論、海軍といっても主計官である。要するに、明治以降の世界では軍務も大事だが、それ以上に経理が大事であるという時代になったのである。ロジスティックの大事さがこの時代では政府部内では認識されていたことがわかる。ところが、その後に昭和になった頃にはこの思想はまったく忘れ去られて、ロジスティック無視のとんでもない戦争に突入したのは、やはり武士階級出身の将軍たちによるものだったのだ。まったく、武士階級ってものはいつまで経ってもアタマが悪いのだろう、ということである。』というものであったが、そうした原作の意味合いからは大きく離れ、森田映画ではひたすらファミリードラマとして描こうとする。

 つまり、加賀藩の御算用者としての猪山家のファミリードラマとしてという部分に終始しようとする。しかし、そうしようとすると加賀藩がなぜあれだけの大藩であり続け得たのかという部分や、武士という階級が如何に体面を重んずる人たちだったのか、という実は原作で一番面白い部分は欠けてしまうのだ。

 とは言うものの、そうした原作の面白さとは別のところで映画の楽しさはあるわけで、原作を知らずに観れば、それはそれで面白く見られる作品にはなっているのはさすがに森田映画である。脚本も丁寧に作ってあるし、宴会シーンなんてまんま『家族ゲーム』だもんな、てな感想を皆もつわけだ。

 特に、父親・猪山信之役の中村雅俊、息子・直之役の堺雅人の親子役が面白い。二人とも「武」に生きる侍としての緊張感のまったくない顔を持つ役者である。中村雅俊の飄々とした風情やら、堺雅人のいつもニヤニヤしているようなしまりのなさが、如何にも「算盤侍」として生きる猪山家の惣領という雰囲気ではまり役ではある。

 ただし、ひとつだけ不満を述べさせていただければ、例の「絵鯛」である。実は、本当はこれは嫡男・成之の着袴の儀の際のエピソードではなく、映画では成之の妹として描かれている成之の姉の髪置の儀の際のエピソードなのである。そりゃそうだろう。成之は猪山家の嫡男である。そんな嫡男の大事な儀式の時に「絵鯛」なんか出したらそれこそ切腹ものである。これは女の子だからまあ世間も許したのであり、嫡男でそれはいくら貧しくてもできない相談なのである。せめてその辺だけでも原作通りに作っていたら、武士が如何にして体面を保つことに汲々としていたか、という武士階級のつらさのようなものが描かれたのではないか、と思うのである。

映画のHPはコチラ↓

http://www.bushikake.jp/index.php

原作はコチラ↓

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