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2011年2月11日 (金)

「一枚の写真」に意味はなくとも、「量」に意味があればいいのだ

 ここのところ森山大道と講談社『HUgE』のコラボレート写真集(その全てが再刊である)が連続して出版されている。

『71 NEW YORK』(森山大道著/講談社/2011年2月4日刊)

<ウィリアム・クラインの『NEW YORK』、ブルース・デイビッドソンの『BROOKLYN GANG』、ウィージーの『NAKED CITY』、アンディ・ウォーホルの『THE SILVER FACTORY』、ルー・リードの『VELVET UNDERGROUND』、ダスティン・ホフマンの『MIDNIGHT COWBOY』、ジェームス・ボールドウィンの『ANOTHER COUNTRY』、そして金坂健二の『地下のアメリカ』。

それら全てが、若い日々にぼくが憧れた”NEW YORK”への入り口であり通路であり実態の総体であった。

そして1971年初冬、ぼくは初めてニューヨークの地を踏み、マンハッタンの舗道に立ちつくしていた。>

 という言葉で始まるニューヨークの写真集が2月に出版された。ひとこと言ってしまうと『MIDNIGHT COWBOY』はダスティン・ホフマンとジョン・ボイドが主演はしたけれども、作品としてはジョン・シュレシンジャーというユダヤ系アメリカ人の映画なのである。つまり、アメリカ合州国は自分たちも参加して作った国なのだけれども、何か疎外感をもったまま参加せざるを得ないという状況がある。そんなアメリカにたいする疎外感を描いた映画なのだろう。まあ、シュレシンジャーもホフマンもユダヤ系というところでは、同じ「アメリカ合州国に対する思い」というのもあるのだろうけれども、だったらウッディ・アレンは? とここで論議を広げても意味はない。問題は、森山大道氏の写真の「量」なのだ。

 これまで出版(再刊)されている写真集は以下のとおり。

 このうち、『BUENOS AIRES』『Sao Paulo』の二つは比較的最近になって親本が出版されているのでそうでもないが、この『71 NEW YORK』も含めて他の三点はかなり以前の「アレ・ブレ・ボケ」時代の作品である。ということは、この大量の写真群のすべてが以前の森山大道写真を思い出させる。

 しかし、最近になっていろいろ再刊される森山大道の写真群はまさに写真群としか言いようのない、大量の写真であって、それだけ大量に我々の前に放り出されると、その写真はドンドン均質化してきて、それが新宿を撮ったものであれ、大阪を撮ったものであれ、ニューヨークを撮ったものであれ、南米の街を撮ったものであれ、何か同じ場所で撮った写真のような気になってくるのが不思議である。

 要は「量は質を凌駕する」ということなのだ。森山大道氏のこの写真の量というものが、その写されている「対象」、写している「方法」、そして写されているものの「意味」を超えて、「量」が語っているのだ。そうして見ると、昔の「アレ・ブレ・ボケ」写真も今の「ピントクッキリ写真」も同じ意味でもって我々に語りかけてくる、つまり、「写真の方法論ではなくて、写真はその量で語るのだ」ということである。

 いまやフォトジャーナリズムというものが、ほとんど意味をなさなくなってきてしまった現代において、しかし、この写真の「量」を維持している森山大道という人は、やはり「すごい人」と言うしかないのであろうか。一枚一枚の写真には何の意味もない。これはたった一枚の写真に「意味」を求めるフォトジャーナリストの立場とは違う写真家の立場がある。しかし、フォトジャーナリストが求める「一枚の写真」に対抗する「意味」が、森山大道氏の場合にはその「量」にあるのだ。

 我々は「一枚の写真」に「意味」を求めたフォトジャーナリズムの方に、それこそ写真の「意味」を求めてきたのではないか。しかし、一方でそんな「一枚の写真」はまったく「意味」を求めないで、ひたすら「量」に「意味」を求めた写真家がいたのだった。

 しかし、こうした写真家が生活出来てきたことが不思議だ。

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