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2011年1月 8日 (土)

『江戸・東京』ったって、こんなもん?

 筆者の荒井修氏は1948年という団塊の世代真っ最中の人である。この「団塊の世代」っていうのは最悪であって、とにかくそれまでの世代のことを全否定して、じゃあお前らがなにか残したのかよと言えば何にも残していない最低の世代ではある。

 その団塊の世代に属する著者によって書かれたのが本書である。

『江戸・東京 下町の歳時記』(荒井修著/集英社新書/12月22日刊)

 こうした江戸の頃の日本の姿や、あり方を書いた本はいっぱいある。本書もその一部にすぎないわけでもあるのだけれども、一部分面白いとろこがある。それが筆者自身「どうでもいい話、してもいい?」と書き出す部分である。つまりそれは江戸の職人の経済状態に関するものである。つまり『江戸の職人の一日の手間賃がだいたい五百文。当時は百文あれば、一升五合から二升の米が買えた。百文でだよ。それで長屋の家賃がだいたい五百文から六百文ぐらい。つまり二日間働けば、ある程度生活できるってわかるでしょう』ときて『っで、蕎麦が、普通のかけとかもりだったら十六文。ただし蕎麦屋で酒を飲むと四十八文取られるんだけどね。』『江戸の職人は朝飯を炊いて昼は冷えたご飯を茶漬けで食って、夜はほとんど外食だから』ということ。

 つまり、江戸の経済を支えた一番下の職人(外職の職人ということです)ですら、今のフリーターの経済状態よりは良かったってところ。同じ「日雇い」でしかないのに、同じ「日払い」でしかないのに、この違いは何なのだろう。要は、江戸時代には、こうした職人の数が意外と少なかったということではないのか。江戸の長屋の噺といえば大体こうした職人の話が多いのだが、たしかに「長屋の花見」なんて噺は貧乏人長屋の噺でもあるし、こうした外職の職人ってのはそんなに多くなかったのかもしれない。というか、そこで目を付けられた人たちは鳶から話をもってこられたかもしれないからね。「お前ぇこっちきなよ」なんてね。

 ということは、大半の江戸職人なんてものは、半端職人であってたいしたもんじゃないってことになるんだろうけれども、それは事実だろう。大体が、田舎の農家の次男坊、三男坊が、これじゃあ畑や田んぼを継げないなってことで、それじゃあということで江戸に出てきたわけでしょう。そんな連中の職人芸であるわけです。こりゃあまともな職人芸になるわけはないよね。

 ということで、江戸の職人芸なんてものも今や風前の灯ってなもんですな。それもそれ、人間の歴史ってものはそうやって過去を忘れることによって成り立っているんだろうな。

 だからこそ、こうした江戸の町の昔話をする人が必要なのだ。

 まあ、だからといって荒井氏のような「団塊の世代」ど真ん中を支持する気もないけどね。

 

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