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2011年1月11日 (火)

『裁判長! 死刑に決めてもいいすか』なんて簡単に言えないよね

 いるんだよな、東京地裁にいくとこういう裁判オタクみたいな人が。

『裁判長! 死刑に決めてもいいすか』(北尾トロ著/朝日文庫/2010年8月30日刊)

 昨年、脚本家荒井晴彦氏と作家絲山秋子氏の脚本掲載権を巡った裁判を何回か傍聴しに東京地裁にいくと、必ず見る人たちがいた。つまり、傍聴代タダの裁判を楽しみにしているいわゆる裁判オタクという人種が。北尾トロ氏もどうもそうした人たちのひとりらしい。

 つまり、この本はそうした裁判オタクたちであっても、もし自分が裁判員になったらどういう判決を下すことができるのだろうかと考えた本である。つまり、もっと言うと、裁判員裁判の対象となる事件は殺人、傷害致死、危険運転致死、現住建造物等放火、身代金目的誘拐、保護責任者遺棄致死などの重罪犯であり、つまり、それは裁判員という法律の素人が死刑判決を出して被告に対して「お前、死ね」と言えるかどうかを、裁判員制度が始まる前の裁判を傍聴しながら考えた本である。

 で、取り上げられた裁判は5件。一つ目は『79歳の夫が81歳の妻を絞殺した』事件。2つ目は『未成年者が短い期間の間に、窃盗、強盗強姦、強盗強姦未遂、強盗致傷、という連続した事件を起こした』事件。3つ目は『ケンカの絶えない夫婦がいて、寝室に包丁を持ち込んで「刺すなら刺せ」と挑発した夫を妻が刺したら死んじゃった』という事件。4つ目は『元韓国エステ嬢が元韓国エステ店店長に殺された』事件。5つ目が2007年に杉並で起きた『オタクの大学生が隣に住む85歳の母と61歳の長男を殺して金銭とアクセサリー、カードを盗んだ』事件である。

 第一の事件は要は殺した夫は懲役9年という判決が出たのだが、79歳に収監されてそれから9年といったら刑期を終えるのが88歳ということになって、そこで世の中に出てもまず生きていけないじゃないか、という年齢である。

 いっぽう、第二の事件は未成年ということで懲役4年以上8年以下という判決。成人なら求刑10年、判決で八掛けになったとしても懲役8年というところだろう。確かに少年法で守られている立場ではあるものの、それでは少年法の本来の目的である、犯罪に対してしっかり反省して悔い改めて立派な大人になるということに対して、単に犯行が悪質であるというだけで、「なぜ事件が起きたのか」についてたいして考えずに量刑だけを決めている。

 第三の事件も単純に被告の殺意を認めて求刑15年、判決10年という殺人に対する厳罰化を見て、そこには着々と進む裁判員制度に向けた量刑の厳罰化を見るのだ。

 第四、第五の事件はちょっと扱いが大きく、第四の『元韓国エステ嬢殺害事件』については被告が犯行を否認したままの懲役13年の判決に控訴した被告の東京高裁における控訴審である。北尾氏が書いたままを読めばどう考えても確証はなく、状況証拠だけで動機もないのだからこの場合は「推定無罪」ということなのだが、控訴審で一審判決が覆ることは難しく、結局控訴棄却となり有罪。まあ、裁判所も「どうせ韓国人の犯罪なのだから、あまり難しく考える必要もないだろう」というような判断があったのかもしれない。ただし、裁判員裁判は一審だけなので、それを少しは考慮した方がよいかもしれない。

 第五の事件は、永山則夫の裁判の後にできた死刑判決のための「永山基準」に照らし合わせても死刑判決が出る可能性が強かったのだが、裁判長の判断は無期懲役。同じ永山基準に沿ったギリギリの判断として死刑を避けたのであった。

 いずれも死刑判決は出ていない。

 しかし、この第五の事件の判決が出るまで起訴から2年の月日がかかっている。裁判員裁判ではそれを数日のうちに(少ないと3日で)出そうと言うのである。そんな短い期間で「死刑あるいは無期懲役」という重たい判断を出せるのであろうか。終身刑というのもあるそうだが、日本ではそういう刑はなく、死刑の次に重い刑は無期懲役である。無期懲役なら30年位で出所ということもあるけれども、しかし、その間に自ら犯した罪に対する反省の機会があるのだろうか。問題はそこにあるべきだし、そうしてこその刑期の縮小である。

 しかし、やはり難しいのが「死刑判決」だろう。被害者の遺族の気持ちになれば極刑を求める気持ちも分からないではないが、かといって自分が人を死に落とすことができるのだろうか。死刑判決を下すということは、自ら人を死に至らしめることなのだ。人を殺すことと同じなのだ。勿論、だからといってその判決を裁判官だけにまかせるというのも卑怯なのかもしれない。

 だとしたら、裁判員制度実施に先立って「死刑制度」を廃止することも必要だったのではないだろうか。少なくとも、それだけで裁判員になった人の心の負担は軽減されることになる。

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