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2011年1月10日 (月)

『リアルタイムウェブ「なう」の時代』って、要はツイッターってことでしょう

 第1章のタイトル『「グーグルの10年」の終わり』に期待して読んだのだが。

『リアルタイムウェブ―「なう」の時代』(小林啓倫著/マイコミ新書/2010年12月31日刊)

「リアルタイムウェブ」ったって、要はツイッターのことでしょう。

「プル型」による情報配信でなく、「プッシュ型」の情報配信をする、つまり『ユーザーにチェックしてもらうのではなく、更新した側がユーザーに伝えに行けばよいのではないか――これが「プッシュ型」情報配信の考え方である』ということだ。そしてそれを支えるインフラとしてクラウドコンピュータがある。『必要なときに必要なだけのコンピューティング・パワーを利用できるクラウドサービスであれば、初期投資がいらず、しかも突発的なトラフィックの増加にも対応することができる。まさに、ベンチャー企業がリアルタイムウェブ系サービスの提供に乗り出す上で理想的なインフラなわけである』とまあいいことだらけである。

 しかし、そこで取り交わされる情報というものはどういうものなのだろうか。『テレビを見る人の数が減っていると言われるようになって久しいが、ソーシャルメディア上の会話を見ていると、テレビ番組の内容を基にしたディスカッションが行われていることが多い。~しかもリアルタムウェブ上では、今放送中の番組についてコメントされることも珍しくないのである。~例えば、ツイッターでも、人気テレビ番組の放映時間になると、関連語句がツイッター上で頻出キーワードとして検知されるというケーズが珍しくない。~つまり「テレビを見ながら番組に対する感想やツッコミをツィートする」という行為が定着しているのである』なんてことを堂々と書いてしまうということは、まさしく中川淳一郎氏が言うところの『ウェブはバカと暇人のもの』というまさにそのような状況じゃないか。要は、ウェブにものを書いている連中の元ネタは殆ど「無料で」仕入れられる「テレビ・ネタ」なんだよな、ということを認めたとろでこの著者は切れちゃったんである。「お前らもうちょっと情報を仕入れるのに金を使えよな」ということである。当然、情報は「タダ」では入ってこない。金を使うか、金以外のものを使うかは別だがね。

 一時情報がそのようなソーシャル・メディアから流されるのならいい、一時情報がツイッターから流されて、その後のイラン革命につながった(?)とか、反日デモになった中国情勢なんかを見ると、ちゃんとソーシャル・メディアが実際の行動につながっている健全さが見られる。しかし、そうした健全な発展方向を示していない日本の状況をみると、単に情報が情報だけで独り歩きしてしまい、行動が伴わずにネット言論だけで、行動につながらない日本の若者たちの行いをみるとやはりこれはネット社会の「歪み」じゃないかと思うのだ。

 若者は行動してこその若者であった筈である。先の人生なんか考えずに行動する若者によって、明治維新だって、60年安保だって70年闘争だって行ってきたのではないか。若い時の10年なんて、その後に生きなければならない数十年に比較すれば、たかだか10年なのである。でも、今の若者はその10年が惜しいらしい。その惜しい10年のおかげで、その後の人生が自分の好きにできなくなることも分からずに。

 つまり本来「情報強者」である筈の若者たちが、そんな情報に振り回されて、結果「情報弱者」になっているのではないか。テクノロジーに騙されて、自分たちは情報に強いと思っている人たちが実はいかに情報に弱いか、ということ。つまり「情報収集に強い」ということと、「情報入力に強い」ということは違うのだ。「情報収集に強い」だけならば、情報収集方法をいかに沢山もっているかということだけで勝負できるわけで、それは今の時代の、いわゆる「情報強者」であるのだろう。しかし、「情報入力に強い」かどうかはそうはいかない。つまり、それは入ってきた情報に対して、どれだけ自分なりの判断ができるかということである。本来の情報リテラシーとはそういうものである。

 ポンと入ってきた情報に対して脊髄反応で答えるのは全然情報リテラシーがあるとは言えないし、実際の方向としては情報弱者と同じなのである。ツイッターとかフェイスブックとかMIXIとか、そんなソーシャルメディアから入ってくる情報に対して、如何にして自分のそうした情報に対するスタンスを決めるのかは、自らのセンスによるしかない。つまり、メディアあるいはソーシャル・メディアというものがどんどん発達してくると、それだけ自らのメディア・リテラシーをキチンと整えなければいけないということなのだ。

 ということなので、私はブログを続ける。いまや「リアルタイム・ウェブ」じゃない、最早旧来のウェブなのかもしれないが、今のところ、一番普通にかけるエッセイじゃないかな、というところで。文章の長さもこのくらいが(といってもブログには長さ制限はありません)とってもいいのかもしれません。つまり、自分で決めた400字~800字~1600字という方法論。

 どうもツイッターというのは「140字」という制限があるので、所詮自分の言いたいこと、書きたいことを言えるメディアではないと考えるのだ。やはり、自分の伝えたいことを書くには最低800字は必要だし、その位書かなければ無理である。それを140字で書こうと思えば、それこそ「ラーメンなう」とか「東京駅なう」とか、くだらない、だれもそんなものを読みたいとは思わない情報(?)しかないのだ。誰が、見ず知らずの奴が「今、ラーメン食ってます」とか「今、東京駅にいます」なんて情報をほしがっているのだろうか。

 で、ツイッターは所詮ブログの更新情報だけなのだ。「ブログの更新情報だけじゃだめですよう」なんて言われているが。面倒くさいので、それだけ。まあ、もうちょっとヒマになったら、ツイッターで「寿司なう」とか「酒なう」とかうるさくなると思うけど・・・。

 

 

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