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2011年1月21日 (金)

よくわかる『電子書籍奮戦記』なのであった

 昨日はすみません。取り敢えず引用しようと考えて表題を書いたのだけれども、その後、書く内容の方向性を決めて、そのままに書いた気になって寝てしまったのだった。しかし、エントリーは零時になると自動的にUPされるように設定してあったので、そのまま載ってしまったのです。嗚呼・・・。いずれちゃんと書きなおして再度UPしますので、よろしく。って、そういうことが出来るのがデジタルのいいところだよね。というのも言い訳だけれども、それが今日の導入部になってしまうとは。

 ということで、今日のブログに(勝手に)繋がるのであった。

『電子書籍奮戦記』(萩野正昭著/新潮社/2010年11月20日刊)

 萩野さんとは以前属していたレーザーディスク社かその後のパイオニアLDC(現在のジェネオン・ユニバーサル)かの頃に、私たちの会社が作ったアニメ映画の出資会社の代表担当者としてお会いしたのが最初なのだから、もう20年も前のことだったのだ。その後、ボイジャー社に移ったことは知っていたが、当然それはパイオニアLDCと米ボイジャー社の共同出資によるものだと思っていた。実は、そうじゃなくて米ボイジャー社と萩野氏自身(プラス出資者)の出資による会社だったというのはこの本を読んで初めて分かったことである。まあ、だからこそ映像会社であったボイジャー社が電子出版の中でのポジションを取りえたのであろう。いまや、日本のというか今や日本にしかないボイジャー社と言えばエキスパンドブックからドットブック、T-Timeという、日本語電子書籍のフォーマットの源泉である。でも、まだ大儲けは出来ていませんね。

 しかし、あの当時っていうから1990年頃だと思うけれど、見せられた「クライテリオン・コレクション」のLD(レーザーディスク!)はすごかった。映画ファンとして見たいものがすべて収められているという内容の「マルチメディア」商品であったのだ。しかし、これを我々が作っていたアニメでやりたいという企画自体は魅力はあったけれども、作るのにお金がかかりすぎそうだったのでお断りした経緯がある。そこまで欲しがるマニアはいないだろうということで・・・。しかし、もしやってたらこの本にも「当時協力してくれたのは『アキラ』の講談社だけだった」なんて書かれたかもしれない。うーん、残念。

 で、この本に面白いことが書かれている。2000年夏のこと、当時電子書籍と読むためのソフト「マイクロソフトリーダー」を販売開始したマイクロソフトが日本進出を狙って、電子書籍において「縦書き」「ルビ」などの日本語表示技術に実績のあるボイジャー社を買収にかかったのである。そのマイクロソフトの電子書籍市場に関するロードマップというのがあったそうだ。つまり;

『2001年までに約100万タイトルの電子書籍が販売あるいは配布される。

 2008年までに電子書籍の販売部数は印刷書籍を上回る。

 2012年、製紙業界が、紙の本を支持する広告キャンペーンをはじめる。「本物の木からつくった本物の本を、本物のあなたへ」。

 2018年、一般の用法として、「電子書籍」(ebook)は単に「書籍」「本」(book)と呼ばれる。

 2020年、販売されるタイトルの90%以上が紙ではなく電子媒体となる。ウェブスター英語辞典は「book」の最初の定義を「一般にコンピュータやその他の個人閲覧デバイスに表示される、文書の実際」という意味に変更する。』

 というものだ。結局、マイクロソフトリーダーもそれほど普及することなく、ボイジャー社の買収も上手く行かず、この時点でのマイクロソフトによる電子書籍化は立ち消えになった。しかし、面白いのはこの期においても「ウェブスター」という権威によりかかっているマイクロソフトの権威主義ではないだろうか。まあ、2000年という時点では仕方ないのかもしれないが、今なら「ウィキペディア」なのだろうな。

 結局、マイクロソフトが電子書籍に失敗したのは「アーカイブ」の思想がなかったからだろう。今ある「紙の本」を電子書籍にするというのは、あくまでも過渡的な方法論にすぎない。そうではなく、「出版=パブリッシング」という発想がなんでアメリカ人になかったのだろう。というか、やはりマイクロソフトのレベルでは「出版=出版産業」という捉え方だったのだろうか。

 つまり、今日本でも言われている「出版危機」というのは単なる「出版産業の危機」であるにすぎないわけで、要は1990年代に「本は儲かる」と思って参入してきたたくさんの新規参入組が、いまやアップアップしているという状況を眺めたにすぎない。勿論、出版人というのも大変軽薄な人種であるから、そんな90年代参画組に迎合して同じことをやったから、まあ、一緒になってダメになっていったわけですね。

 実は「出版産業の危機」とは関係ないところで電子出版の可能性は広がってくるのだ。「産業の危機」は別にして、電子出版というのは「個人のパブリッシング」という部分を大きく広げる可能性がある。パブリッシングというのは「出版すること」ではなく「公にする」ということ、つまり今風の言い方をすれば「ソーシャル化」するということなのだ。

「ガリ版」とか「DTP」とか「コミケ」とか、取り敢えず「紙」に印刷するということは、製版代・紙代・印刷代・製本代がかかるわけで、それなりに「資本」が必要になるのだ。だからこその「出版社」なのだろうけれども、その出版社は、そこにかかる経費(先に挙げた以上に編集費・宣伝費・営業費などがかかる)があるわけで、結局「紙の本として出して経費を稼げる」本しか出せないのである。

 そんな訳で、電子出版とは電子書籍とは、つまるところ個人が自らの言いたいことを「パブリッシュ」することを保証する手段なのだ。考えてみれば、活版印刷しかない時代の個人表現として「ガリ版」があった。1960年代の高校生はそんなガリ版印刷のアジびらや個人詩集、個人小説に興奮したものだ。

 つまり、そうした個人表現といったものが、以前だったら「自費出版」という形でお金を出版社に取られながらやっていたことが、電子出版でたいしてお金もかけずに出来てしまうのかもしれない、更にネットにのせれば世界中に自分が書いたものが届いてしまう、という夢のような時代が来ているのである。

 まあ、このブログもそうですけどね。

 

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