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2011年1月 3日 (月)

『警察の誕生』というよりも、「国家の暴力装置」としての警察の誕生なのだろな

 要は、洋の東西を問わず、元々の警察機構の一番下側には「岡っ引き根性のならず者」があったというわけなのだ。

『警察の誕生』(菊池良生著/集英社新書/2010年12月22日刊)

 日本の近代における警察機構、つまり徳川時代の江戸の治安を守っていたのは「奉行、与力、同心」という侍の下に、『親分と呼ばれる御用聞き、目明し、岡っ引き、小者』がいたわけで、そんな連中に報酬なんてものはないので、そいつらは、たとえば盗人をひっ捕らえると盗まれた家にいき、そこの主人に知らせる。知らされた被害者はお白州の前に出て日がな一日すごさなければならないし、その結果、お白州に同道してもらった役人に対していくらかを包まなければならなかったり、結局、それは被害額よりも多くなってしまうなどのことがあるので、被害者は目明しに目を瞑ってもらうために、目明しに金をやるということになるそうだ。つまり、目明しそのものが盗人猛々しいことをやっている。おまけにそんな盗人の上前をはねたり、目明し自身が盗人出身だったり・・・なんて、所詮そんな近代警察下部機構なんてそんなものだったようだ。もう、泥棒も、傷害犯も、博打打も、みんな「岡っ引き」になってしまえば、過去の犯罪歴はチャラ。そのあとは「正義の味方」ってもんなのだ。

 そんな、日本の近代警察制度の話は、いろいろな小説にある話を「いやあ、そんなものじゃないでしょう」と思っていろいろ調べてみると、よくわかる話であって、たしかに役人から小遣い銭程度しかもらえない岡っ引き風情が生きていくためには、そうせざるを得ない理由もあるのだ。が、この本を読んでみて、それは日本だけじゃなくて、近代ヨーロッパでも同じような事情があったのだということは、まあ、面白かった。要は、洋の東西を問わず、歴史発展の状況というものは、同じ発展様式を遂げるものなのだ、ということである。

 ところで、近・現代における警察の在り方について言うと『フランスのパリの治安を守るのは、一キロも歩けば必ず目にする警官の姿であった。たとえ、お飾りでもサーベルを腰に下げている。つまりパリ市民は治安と引き換えに巡査に体現される国家が市民生活にずかずかと入り込んでくることを容認しているのである。イギリス市民はこのように国家権力が剥き出しに可視化されるフランス型警察制度を嫌った。そこでイギリスの権力当局はその権力の末端である警察官をなるべる不可視にすることに意を砕いた。警察官を市民社会に溶け込ませるのである』ということで、イギリス警察官は丸腰で市民に対するようになったのだという。しかし、それは表側の市民から見える場所での姿でしかない。

 たしかに、シャルル・ド・ゴール空港なんかに降りてみると、シェパード犬を連れた軍隊がライフル構えてお迎えしてくれたりして、まあ、これは軍隊なんだけど、フランス人は「武器を可視化することが抑止力」になると考える人たちなんだろうな、という気にはなってくる。

 つまり『警察とは本質上、今現在の体制を維持するために存在する。そしてこの今現在の体制を維持するために警察権力を発動させたときの権力者の全能感ほど甘美なものはないのである。警察は絶えず本来の目的の範囲を超えて警察規制を打ち出してくる。かつて国家存在の究極的目的を公共の福祉の促進と定め、そのための強権的国家活動こそが警察の任務であるとした警察国家論がいつまた息を吹き返すかわからない。国家権力は国家権力である限り、絶えず警察国家の復活を狙うものである。それが権力の業である』と喝破するように、結局は「国家の暴力装置」である警察は、そのようにいつ何どき警察国家として、国全体を覆う暴力的な抑圧組織にならないともいえないのだ。

 仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」といって、そののちすぐに発言を撤回したということがあった。しかし、自衛隊や警察組織が「国家が唯一認めた武器を持ってよいという組織」であることには変わらないわけで、これは暴力団や左翼組織には武器の所有を認めてないのに、自衛隊や警察だけは(海上保安庁とか厚生労働省の麻薬Gメンなんかもいるが)「国が認めた武器所有を認めた組織」なんだから、これを「暴力装置」といってなぜいけないんだ。仙谷さんが昔いたフロントだって「自衛隊は暴力装置だ」位は言ったんでしょう。なぜ、今どうどうと「自衛隊は暴力装置だ」って言えないんでしょう。ついでに「こんな暴力装置をわが手におさめられるとはこんな幸せなことはない」と言えばいいじゃないかよ。

 ということで、軍隊、警察は国家が持つ「暴力装置」であることは間違いない。ただし文民統制(シビリアン・」コントロール)の下に、かなり行動が規制されている軍隊(自衛隊)に比較して、そんな「文民統制」がまったくない、というか文民と軍民とい分け方が当然なくて、基本的には「みんな文民である」という建前の警察組織はもっとも危ない「暴力装置」である。

 もともと、自衛隊ができた時も、最初は「警察予備隊」だったわけで、もともと「軍隊」と「警察」は根本は一緒なのである。つまり「治安部隊」ってことです。対外的な問題は、最初は国交交渉がまずあって、軍隊が出てくるのは一番最後なのである。

 まあ、昔は警察の機動隊の方がいざとなったら実戦経験のない自衛隊より強いんじゃないかと言われた時期もある。今の機動隊がどうなのかは知らないが、まあ、そんなこともあるんじゃないか。

 

 

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