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2010年12月31日 (金)

『女ぎらい』を読みながら、富山女のことを考える

 ミソジニーっていいうから「三十路女」の話かと思ったら、それは「負け犬」論議のところではあったが、そうじゃなくていわゆる男の「女嫌い」というか「男が男ばかりで固まっている社会」に対する批判なのであった。まあ、そんなオヤジギャグとは何の関係もないということはこの人が書く本で、この人が書くことを想定すれば分かることである。スミマセン。

『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』(上野千鶴子著/紀伊国屋書店/2010年10月16日刊)

 だって、戦闘的で過激なフェミニストで知られる上野千鶴子さんなんだもの、「三十路女」なんてこと言ったら、それこそぶん殴られちゃうくらいのもんでしょうな。つまり、そういうこと。しかし、上野氏の男性攻撃はとどまるところを知らない感じなのだが、いつまでそんなペースなのだろうか。最近は、自身の母親介護の経験もあって年寄り論やら年取り論なんかをやっていたので、なんか上野氏じゃないのかななんて考えていたのだが、この本で「やっぱり上野女史だっ」という感じではありました。って、この「女史」という言い方にも、上野氏は絶対文句をつけるだろうな。

 で、この本では上野氏はいろいろな事象に対してミソジニーという観点から批評を加える。というか、雑誌に連載していた批評文を一冊の本にしたものなので当然そういう構成になるのだろう。

 で、その女嫌いの系譜と言えば『「女好きの男」のミゾジニー』に始まり、『ホモソーシャル・ホモフォビア・ミソジニー』『性の二重基準と女の分断支配―「聖女」と「娼婦」という他者化』『「非モテ」のミソジニー』『児童性虐待者のミソジニー』『皇室のミソジニー』『春画のミソジニー』『近代のミソジニー』『母と娘のミソジニー』『「父の娘」のミソジニー』『女子校文化とミソジニー』『東電OLのミソジニー』『女のミソジニー/ミソジニーの女』ときて『権力のエロス化』『ミソジニーは超えられるか』という問いかけで終わる論考である。

 がしかし、上野氏が唱える「ミソジニー」がこの世界の中からなくなるということはあり得ない、ということは上野氏自身が分かっているのではないかな、と思うのだ。要は、この世界に於いて、男と女の役割分担ができている社会では必ずそういう「ミソジニーとホモソーシャル」はあるはずなのである。問題は、これから先の社会で「男と女」の役割分担がなくなってしまう社会が生まれていくのなら、それは徐々になくなっていくのかもしれない、ということなのである。まあ、今の「草食男子」とか「主夫業」とかそんなものが世の中の主流とまでいかないまでも、いくつかの潮流になっていけば、そんな「男のミソジニー」なんてものはなくなってしまうかもしれないのだ。

 むしろ、私にとって気になるのは、上野氏がなんで「過激なフェミニスト」になったのかということなのだ。富山県出身の上野氏は石川県のナンバースクールを出て京都大学に入学した。まあ、富山県の女性秀才がまんま進む最高の進学コースを進み、そのまま最高の大学にいったわけだ。

 で、富山である。その昔、一向一揆で有名な富山県は、その後、加賀前田藩の支藩になったとはいえ、一向一揆の気分は何世紀にもわたって残されていたのであろう。それが、米騒動につながったと考えるのは早計だろうか。米騒動は富山県から起こった。さらにそのきっかけは、富山の農家の女房連中なのだ。つまり、富山の女房連中は、その夫が上からのお達しにたいして従順なのに向けて「それじゃあ、私ら生きていけん」というまっとうな発想から、男に先だって米騒動を起こしたのだ。

 つまり、上野氏によれば、それが「ミソジニー」なんだろうね。やはり「夫を建前上は立てて一揆を起こす」ってか? でもその中で、やはりヘゲモニーはだんだん女の方にいくのであろう。つまり、富山女ってのは、取り敢えず夫を立てているようでいて、実は女房が支配しているという、社会構図を作っているようなのである。とはいうものの「夫をたてているようでいて」っていいう部分に上野氏は「ミソジニー」を見てしまうんだろうけれども。でも、結局、富山県では「女の意見」が家の意見として取り上げられることになることが多いようだ。つまり、実質の権力は女にあり、」ということですね。それだけ、富山県というところは女の実質的な力が強い県なのだ。そこが、上野氏の出身県なのですね。

 そんな上野氏がミソジニーなんてことを言うのはよくわからないのだが、そんなに蔑視されていた経験があるのだろうか。たしかに、1948年生まれの上野氏にとっては、まだまだ女性蔑視の時代だったのは判るが、上野氏自身がそんなに蔑視されていたのかな、ということが気になる。まあ、少女時代は知らないが、今の時代ではまあ普通の顔だし(美人ではないが)、スタイルだって悪くはない(要は、「ブス」ではない)。ということは、言うことが「過激」っていうことだけが、上野氏を結婚からとうざけた理由なのかということであれば、それはそれで自分で作った状況だからしょうがないのかな。

 ということで、やはりここは上野氏自身の体験を語ってもらわなければいけないんじゃないのかな。うーん、なんで上野さん結婚しなかたの? なんて聞いちゃいけないんだろうな。というと、それも男の勝手な言い方だという返答が返ってくるでしょうけれどもね。

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ミソジニー人口に膾炙する時は ないだろうなあホモソーシャルも あとがきの決意に至り得心す あたなはやはり味方なのだとnbsp; 「 [続きを読む]

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