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2010年12月

2010年12月31日 (金)

『女ぎらい』を読みながら、富山女のことを考える

 ミソジニーっていいうから「三十路女」の話かと思ったら、それは「負け犬」論議のところではあったが、そうじゃなくていわゆる男の「女嫌い」というか「男が男ばかりで固まっている社会」に対する批判なのであった。まあ、そんなオヤジギャグとは何の関係もないということはこの人が書く本で、この人が書くことを想定すれば分かることである。スミマセン。

『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』(上野千鶴子著/紀伊国屋書店/2010年10月16日刊)

 だって、戦闘的で過激なフェミニストで知られる上野千鶴子さんなんだもの、「三十路女」なんてこと言ったら、それこそぶん殴られちゃうくらいのもんでしょうな。つまり、そういうこと。しかし、上野氏の男性攻撃はとどまるところを知らない感じなのだが、いつまでそんなペースなのだろうか。最近は、自身の母親介護の経験もあって年寄り論やら年取り論なんかをやっていたので、なんか上野氏じゃないのかななんて考えていたのだが、この本で「やっぱり上野女史だっ」という感じではありました。って、この「女史」という言い方にも、上野氏は絶対文句をつけるだろうな。

 で、この本では上野氏はいろいろな事象に対してミソジニーという観点から批評を加える。というか、雑誌に連載していた批評文を一冊の本にしたものなので当然そういう構成になるのだろう。

 で、その女嫌いの系譜と言えば『「女好きの男」のミゾジニー』に始まり、『ホモソーシャル・ホモフォビア・ミソジニー』『性の二重基準と女の分断支配―「聖女」と「娼婦」という他者化』『「非モテ」のミソジニー』『児童性虐待者のミソジニー』『皇室のミソジニー』『春画のミソジニー』『近代のミソジニー』『母と娘のミソジニー』『「父の娘」のミソジニー』『女子校文化とミソジニー』『東電OLのミソジニー』『女のミソジニー/ミソジニーの女』ときて『権力のエロス化』『ミソジニーは超えられるか』という問いかけで終わる論考である。

 がしかし、上野氏が唱える「ミソジニー」がこの世界の中からなくなるということはあり得ない、ということは上野氏自身が分かっているのではないかな、と思うのだ。要は、この世界に於いて、男と女の役割分担ができている社会では必ずそういう「ミソジニーとホモソーシャル」はあるはずなのである。問題は、これから先の社会で「男と女」の役割分担がなくなってしまう社会が生まれていくのなら、それは徐々になくなっていくのかもしれない、ということなのである。まあ、今の「草食男子」とか「主夫業」とかそんなものが世の中の主流とまでいかないまでも、いくつかの潮流になっていけば、そんな「男のミソジニー」なんてものはなくなってしまうかもしれないのだ。

 むしろ、私にとって気になるのは、上野氏がなんで「過激なフェミニスト」になったのかということなのだ。富山県出身の上野氏は石川県のナンバースクールを出て京都大学に入学した。まあ、富山県の女性秀才がまんま進む最高の進学コースを進み、そのまま最高の大学にいったわけだ。

 で、富山である。その昔、一向一揆で有名な富山県は、その後、加賀前田藩の支藩になったとはいえ、一向一揆の気分は何世紀にもわたって残されていたのであろう。それが、米騒動につながったと考えるのは早計だろうか。米騒動は富山県から起こった。さらにそのきっかけは、富山の農家の女房連中なのだ。つまり、富山の女房連中は、その夫が上からのお達しにたいして従順なのに向けて「それじゃあ、私ら生きていけん」というまっとうな発想から、男に先だって米騒動を起こしたのだ。

 つまり、上野氏によれば、それが「ミソジニー」なんだろうね。やはり「夫を建前上は立てて一揆を起こす」ってか? でもその中で、やはりヘゲモニーはだんだん女の方にいくのであろう。つまり、富山女ってのは、取り敢えず夫を立てているようでいて、実は女房が支配しているという、社会構図を作っているようなのである。とはいうものの「夫をたてているようでいて」っていいう部分に上野氏は「ミソジニー」を見てしまうんだろうけれども。でも、結局、富山県では「女の意見」が家の意見として取り上げられることになることが多いようだ。つまり、実質の権力は女にあり、」ということですね。それだけ、富山県というところは女の実質的な力が強い県なのだ。そこが、上野氏の出身県なのですね。

 そんな上野氏がミソジニーなんてことを言うのはよくわからないのだが、そんなに蔑視されていた経験があるのだろうか。たしかに、1948年生まれの上野氏にとっては、まだまだ女性蔑視の時代だったのは判るが、上野氏自身がそんなに蔑視されていたのかな、ということが気になる。まあ、少女時代は知らないが、今の時代ではまあ普通の顔だし(美人ではないが)、スタイルだって悪くはない(要は、「ブス」ではない)。ということは、言うことが「過激」っていうことだけが、上野氏を結婚からとうざけた理由なのかということであれば、それはそれで自分で作った状況だからしょうがないのかな。

 ということで、やはりここは上野氏自身の体験を語ってもらわなければいけないんじゃないのかな。うーん、なんで上野さん結婚しなかたの? なんて聞いちゃいけないんだろうな。というと、それも男の勝手な言い方だという返答が返ってくるでしょうけれどもね。

2010年12月30日 (木)

『占領下の日本』という新しくて古い写真

 いずれもいままでどこかでみた写真の集まりではある。が、しばしばこうして「復刻」を重ねないと、今の若い人には伝わらないのだろうな。

写真で読む昭和史 占領下の日本』(水島吉隆著/太平洋戦争研究会編/日経プレミアシリーズ/2010年12月8日刊)

 表紙の写真が面白い。銀座四丁目の三越前の写真なのだが、「銀座四丁目」というポールの上に「TIMES SQUARE」という看板が付いていて、その下で何故かはわからないが米軍兵士が握手しているという写真である。周りで「なんじゃこれは」という感じで見上げる日本人も面白い。なんで、銀座四丁目がタイムズ・スクエアなのかという意味は分からない。多分、この看板をつけた米兵自身がタイムズ・スクエアを知らないのじゃないか、とも思えるのである。つまり、タイムズ・スクエアは銀座四丁目みたいな正確な十字路じゃなくて斜めな交差点であるし、おまけに銀座のようなショッピング・タウンじゃなくてブロードウェイのまん真ん中のシアター・タウンなのである。それを、単に「繁華街」というだけでタイムズ・スクエアと名づけるアメリカ人の田舎者性ということを、この表紙写真から思い起こさせるのでである。

 126ページには「東京の下町でカメラを構えるアメリカ兵を興味深そうに眺める少年たち」というキャプションのついた写真が載っているのだが、写真をみるとその米兵が構えているカメラはスチールじゃなくて16mmのフィルモか35mmのアイモか、いずれにせよムービーカメラであることは間違いない。これは、どこか他の媒体でも見たことのある写真だ。

 さらに、1945年10月3日に誠文堂新光社から『日米英会話手帳』という本が発刊されて360万部というベストセラーになったという記事も面白い。要は、大半の日本人は政府が言うように「鬼畜米英」なんて言葉を信じていたような風を装っていながら、実はまあ戦争も台風のような天災みたいなもんだと考えて、その天災がすぎれば即その後の態勢に応じてしまうという、たくましさを持っていたということなんだろうな。

 だからこそ、1950年に警察予備隊という前段階の軍隊ができた時に、国民は容易にそれを受け入れたのであろう。勿論、その段階で反対運動があったのは知っているが、そうはいっても成立してしまったのだから、大方の国民はそれを受け入れたわけだ。それが日本人というものなのだろう。基本的に常に前向きな国民である。

 ということで、本書は「占領下の日本」ということなので1945年から1951年までの日本の姿を写真でとらえたものに文章を付け加えて、多分「今の人たちに、こんな時代があったんだよ」ということを伝えるとともに、もうひとつ沖縄問題がある限りは戦後は終わっていないということを訴えたかったんだろう。

 最後に本書の一番最後の言葉を引用する。

『沖縄は本土復帰を果たしたが、駐留米軍との間には現在も数多くの問題が横たわったままである。これは「沖縄問題」ではなく「日米問題」なのであり、”戦後”はまだ続いている。』

 まさに、その通りである。

2010年12月29日 (水)

『電子マネー革命』ったって、革命そのものが必要なんだ

 面白がって読んでいたのだが、意外と著者が気にしていなかったことに気付いたので。

『電子マネー革命 キャッシュレス社会の現実と希望』(伊藤亜紀著/講談社現代新書/2010年11月20日刊)

『第1章 「おカネ革命」進行中 SIDE A めざせ「100万ポイント」―鈴木太郎と妻・よし子の戦い / SIDE B 国民皆電子マネー時代の到来』『第2章 「資金決済法」があたなのおカネを守る SIDE A 「わたしゃトク♪ あんたもトク!」のはずが・・・ / SIDE B 電子マネーの利用者を守れ』『第3章 電子マネーに似ているけれど―ポイントは「オマケ」か SIDE A 「インベーダーの呪い」が商店街を襲う / SIDE B 擬似通貨「ポイント」の現実』『第4章 「おカネ革命」が新たな市場をつくる SIDE A 自分を売って稼ぐ―201X年、太郎が見たよし子の裏稼業 / SIDE B 「電マネ口座」の可能性―「価値のないもの」に価値が生み出される時代』『第5章 「おカネ革命」は世界へ SIDE A 花子誘拐事件―解決のカギは電子マネー / SIDE B 「世界共通マネー」の可能性』

 要は、クレジット・カードのような「借り払い」方式がなかなか浸透しないで伸びなかった日本社会で一挙に伸びたのが電子マネー=PASMOやSUICAをはじめとする、つまりプリペイド方式のカードである。確かに、これならクレジット・カードのように後から「お金がない!」というような悲劇には合わずに済むというものだ。

 で、上記のような構成になっているのだが、しかし考えてみれば日本人が何でも現金決済という考え方になったのはいつ頃のことなんだろう。考えてみれば、明治以前は米屋や酒屋への支払いは年末だけであった。つまりそれは、農業主体の経済であった日本は、年貢米が動く秋だけが経済が動く、であるからそこからしか経済が動かないわけだ、ということでそこからすべての「お金」の動きが出てくる状況だからして、年末だけが支払期限だったわけだ。要は、日本の庶民の暮らしにおいても、明治以前は「つけ払い=信用貸し」、つまり今でいう「クレジット払い」が普通だったということなのである。

 それが明治になって、工業が日本の中心産業になってきたときに、何故かは知らないが年1回か2回の給料支払いが月払いになった。多分、会社の決済が年1回とかいう状態じゃなくて、その時その時において行われるようになったからじゃないのかと思うのだ。会社としては払わなければならない金をそんなに長い間置いておく必要もないし、その間の経済事情の変化もあるとするなら、払わなければいけない給料は早いとこ払っちゃったほうがいい、という判断なのだろう。

 でも、月払いになったからといっても別に収入が増えるわけではない、年1回の支払いが12等分されるだけの話である。その結果、サラリーマンたちが「借り払い」という「これからの収入に不安な状態で支払うのがどうか」という不安に陥らなければならないクレジット・カードに慎重になったのであろう。

 で、プリペイド方式のカードの蔓延である。それを国際決済までに使ってしまおうというのが本書の提案である。基本的に通貨とういうものはドメスティックなもので、国際化にはもっとも適していないものなのだ。それが国際化するのは「通貨が投機の材料になるとき」だけなのだ。で、どうなのだろうか。結局、通貨発行権を持ってる「国=政府」というものがある限り、プリペイド・カードの使い道は限度があるだろう。

 問題は、通貨発行権を持っている各国政府とプリペイド・カードを発行している民間企業との交渉の場所になるだろうが、各国政府が通貨発行権を離すはずがないし、各国政府間でそんな話も交渉の場には出て来ないだろう。

 つまり、それこそ「電子マネー革命」つまり「革命」が全世界的に行われなければ、実現不可能だということなのだ。

 そんな、世界革命が起きれば面白いんだろうけどね。

2010年12月28日 (火)

『日本は世界第5位の農業大国』を読んでちゃんと対応すれば、これは革命だ。が、そうはならないんだよね。

 まあ、読む前から分かっていたんだよな。要は「農水省の省益」と「天下り先の確保」でしょ、ってなわけで。

『日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率』(浅川芳裕著/講談社+α新書/2010年2月20日刊)

 11月ごろの朝日新聞に「農地の貸しはがし」の記事が載っていた。当時、管首相がTPP交渉に臨み、日本もそのような関税障壁を一掃しようという、それはそれでとてもよい考え方なんだけど、一方で米作農家に対して「関税撤廃の見返りとして戸別所得補償制度を適用する」という話が出た。その結果、それまで他の仕事をしながら、自分の農地はほんのわずかに自分で消費するだけしか生産せずに、大半の後を大規模農家に貸していた「疑似農家」という連中が、「これなら地代収入よりいい」とばかりに、大規模農家に貸していた農地を返してもらい、そこで貧しい米作を行おうという発想で「農地の貸しはがし」が行われているという記事である。

 所詮、そこにあるのは自民党時代と同じ発想の「農家には金を渡しとけば票は集まる」という発想でしかない。

 そもそも、現在の農政とは農水省の省益(如何にしてわが省に予算を分捕るか)と、農水省幹部連中の天下り先確保(農協とか)という二点でしかない。そこには農家のことを考えて、なおかつ日本の農業をどうしようか、日本の農業に対して国際競争力を如何にしてつけるか、という視点なんかどこにもないのだ。

 要は、農水省の考え方がどうにもドメスティックでしかないのだ。この辺は、総務省(旧郵政省)の考え方がやはりドメスティックでしかなく、その結果、かの有名な(?)ガラパゴス携帯の蔓延となったこととまったく同じであり、ようは世界標準にはまったくなっていないということなのだ。

 浅川氏の論点も、まったくそこにあり、要は日本の農業をいかにして世界標準に持っていこうかということなのである。また、日本の農家は、そんなに憐みをもって見られる存在じゃないし、国から保障をもらわれなければ餓死してしまうような存在でもないということなのであり、もっともっと世界に打って出ていけるような力強い存在なのであり、そのためには日本の農家もそれこそ株式会社化して大規模農業を実現させなければいけない、ということなのである。

 そのためには、農水省の「省益」、農水省の労働組合である全農林の利権、本書では少し書き方が足りなかったが「農協」の利権とそこに対する農水省の天下り利権、こういったものをなくせばいいのだ。

 いまや日本は「農業国」ではない、農業人口減というのは、日本が『工業化による経済発展にともない、日本が人口の多くを農民が占める生活水準の低い途上国から、少数精鋭の農業者が食を担える先進国に成長したことを示している』にすぎないのだし、その結果『国が自給率を追求することで、国産に過剰な信仰が生まれ、本当に必要な農業改革から目をそらすことにつながる』のである。いまや、「自給率」にこだわるよりも、輸出・輸入を盛んにすることで、他国との関係を深めることこそ「食糧安全保障」になるという、発想の転換が必要なのだ。

 面白い記事がある『高齢の農業者の大半は事業者として生産活動をしているわけではなく、農業という暮らし方を楽しんでいる人々(疑似農家)である~彼らは三つのタイプに分類できる。一つ目は、農業出身のサラリーマンや公務員たちだ。彼らは定年前から週末の農作業を楽しんできた兼業農家で、定年後も退職金をもらって悠々自適に農業を続けている。この層が約七割を占める。~二つ目は、農業出身のサラリーマンや公務員だが、在職中は農業をやっておらず、定年後に実家で趣味の園芸を始めた層だ。この層が約一割を占める。~残りの二割は農業を主業としてやってきた人たちだ。農業の収入は赤字でも、多くは年金と子供からの仕送りで農業を続けている。もしくは、息子が農業を継いで頑張っていて、高齢の両親は手伝っている程度だとしても、統計上は六五歳以上の農業者として登録されているのである』ということである。これが、「いまや農業従事者は年寄りばっかり」という実態なのである。

 むしろ、我々が見なければならないのは『農業八兆円産業のうち、自律志向の農家がすでに五兆円以上を産出している』という事実であろう。そうした、自律志向の農家は、それこそ疑似農家から土地を借りて大規模農場を経営し、海外輸出・海外進出にも積極的で、それこそ株式会社化(今はできない)して農業経営を行っているのだ。

 もはや、我が国の向かっていく先は、「すべての商材についての関税障壁撤廃」であり、「官僚の省益・天下り先の撤廃」でしかないのだ。

 しかし、そんな政治は今の民主党のトロイカ(菅・仙谷・小沢)には望むべくもないんだろうな。といって、自民党なんてもっと官僚ズブズブだったしな。ただし、右から左まで包囲する自民党である。だれかそんな官僚政治を断ち切る人が出てくるといいのだが・・・。でも無理か。

 あとは、民主党の若手で官僚の息のかかっていない連中に期待しますか。あと、何年かかるのだろうね。民主党もいまどき民間企業ではお目にかかれない「年功序列」みたいだし。

2010年12月27日 (月)

戦場カメラマンの『MOTHER TOUCHI』におけるヒューマニズムについて

 テレビで見る「戦場カメラマン・渡部陽一」氏はちょっとヘンなおじさんだが、そんなヘンなおじさんが書いたヘンじゃない本がこれだ。

『MOTHER TOUCH』(渡部陽一著/タツミムック/2011年2月1日(!)刊)

「戦場カメラマン・渡部陽一」氏だが、この本にはいわゆる「戦場写真」や「戦闘場面写真」はない、その写真のずべては、主役は子どもたちであり、子どもを中心とした家族の写真である。つまり、世界のあらゆる戦場でもそのすぐ銃後には子どもたちがおり、子どもたちを中心にした家族がいるということなのである。撮影地はイラク、アフガニスタン、ソマリア、スーダン、パキスタン、ガーナ、レバノン、ユーゴスラビアの各国の様々な銃後。

 渡部氏は「今回の写真集は 戦場に暮らす人々の日常を通して 子どもたちの想い 母の愛 家族の絆を感じる写真を 一冊にまとめました」と冒頭に書き、「戦争で犠牲になるのは 最初も最後も子どもたちである それは 殺されるという意味だけではない 少年兵となって最前線で戦う子どもたち」「戦場に生きる子どもたち 彼らの役割は2つある 1つは”働くこと” そしてもう1つは”学ぶこと”」「戦場に生きる人たちにとって一番大切なもの それは 家族」と中のいくつかのページで書く。

 うーん、なんてヒューマニスティック、なんてダマされてはいけない。彼ら「戦場カメラマン」の本質は「戦闘を見たい」「戦場にいたい」「戦争が好き」なのである。でなかったら、なにもこの平和すぎてもったいないくらいの日本に生まれて、それこそ戦争に巻き込まれたわけではないのに、自ら戦場に赴くのである。つまり、彼らは「戦争が好き」なのであり「戦場の緊張感」が忘れられない、軍事オタクなのである。この渡部陽一氏しかり、長倉洋海氏しかり、不肖・宮嶋茂樹氏しかり、なのである。

 ところが、そんな戦争オタクの彼らが戦場から銃後に戻ってきて、何気なく撮った写真に子どもたちの写真が多いのも事実である。それは多分、子どもたちは写真に写されることが好きであったり、またそんな子どもたちをみていると、戦場の緊張感がフッと癒される気分があるからなのだろう。

 そして同時に、その銃後は最前線からたいして離れている場所ではない。そんな危険な場所にあるごく普通の家族の生活というものに、彼らは興味を持ち、そんな場所で生活する意味を考える。すると、そこに自ずと見えてくるものは、むしろそこが戦場であることが異常な事態であるということなのだ。とくに、最近の戦争に特徴づけられるゲリラ戦では、そんな生活の場そのものが戦場になってしまうのだ。

 ということに気が付いてくると、元々の戦争オタクの魂は、その戦争の裏側にあるものを考え始めるのである。戦争と同時にあるものを考え始めるのである。戦争が無理やり壊してしまったものを考え始めるのである。

 戦争とは破壊である。それは家族の生活とは対極にあるものだ。平和こそが、家族の生活と共存しなければならない。

 そんなことに気付いたときに、戦場カメラマンはヒューマニストになる。戦場カメラマンの写真集がヒューマニズムに溢れたものになるとき、戦場カメラマンは「戦場写真」だけではない、普通の写真家になるのだ。「在戦場」はなにも本当の戦場にいるときだけの言葉ではない。カメラマンがいる場所、それが「常に在戦場」なのである。

2010年12月26日 (日)

『Twitterの神々』というよりも、革命待望論なのであった

「デジタル教育が日本を滅ぼす」という田原総一朗氏が、何故か「デジタル化しないと日本は滅ぶよ」という本が、この本だ。いやあ、この節操のなさが、まさにジャーナリストなんだろうな。

『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終った』(田原総一朗著/講談社/2010年12月20日刊)

 ジャーナリスト田原総一朗氏と、会社の英語公用語化で有名な楽天の三木谷浩史氏、最近は電子書籍に関する著書が多いITジャーナリストの佐々木俊尚氏、「ツダる」で有名なメディアジャーナリスト津田大介氏、記者クラブ批判で有名になってしまった政治ジャーナリスト上杉隆氏、一審・二審で有罪判決を受け今は最高裁へ上告中の元ライブドア社長の堀江貴文氏、iモードを開発し今は慶應大学教授にしてニコニコ動画のドワンゴ役員の夏野剛氏、それぞれへのインタビューと、津田氏、佐々木氏に旧メディアの代表というわけではないだろうが東京新聞・中日新聞の論説副主幹の長谷川幸洋氏を加えたシンポジウムによる構成だ。それぞれのインタビューとシンポジウムはすべて2010年に行われ、ユーストリームで放送されている。つまり、すべてが今のITメディア発の情報である、というわけで「新聞・テレビの時代は終わった」ということなのだ。

 三木谷氏との対話では『情報がわんさか世界に氾濫している中で、この国はどうやって生きていくのか、どういう人材を輩出していかなければならないのか~フィルタリング規制とか、子どもはパソコンや携帯を使っちゃいけないとか、言っている場合じゃない~基本的には、国力=IT力なわけです~じゃあ、そういうことを政治家のトップの人たちは理解しているのかといえば、門外漢以上に分かってないでしょう』という話。

 佐々木氏との対話では『今までは政治家―マスメディア―有権者という形で、必ず真ん中にマスメディアがあったわけですよね。その関係から、とりあえずマスメディアを外して、政治家と有権者がツイッターとかブログとかで直接繋がるという状況が起きはじめているいるんです』。

 津田氏とでは『電子化すれば検索できますからね。検索できるって大きい。最初、僕が記者の代わりにツイッターで報道をやりはじめたというのは、他のテレビや新聞などが全部のシンポジウムや審議会をフォローできるわけじゃないから、そういう大事な発言や話し合いをツイッターで流していけばいいと思ったからです。しかも、ツイッターだったら検索できるんです。ログとして記録しネットに置いて、後から検証可能になることが大事だし、それがジャーナリズムの基本かなと思います』と。

 上杉氏とは『(政治家の記者会見で)匿名性の時代と違って、今は繰り返しのくだらない質問をする記者の姿がツイッターとかユーストリームで世の中に晒されるようになってきました。ニコニコ動画なんかを見ている人から「この記者はなんてくだらない質問をするんだ」と攻撃されそうになってきている。だから記者クラブの記者が手を挙げなくなって、その分、繰り返し繰り返しフリーにばかり当たっちゃうんです』という話と『官房機密費』の話。

 堀江氏との対話では『誰も報道しないから自分で言いますけど、株主の質問を一つも断らずに全部答えた株主総会って、僕の知っている限り、ライブドアの株主総会だけですよ~時には心ない質問をする人がいて、僕は悔し泣きをしたことがあったんです。それすら嘘泣きだと言われましたけど』という話。

  そして夏野氏との対話では『日本の場合、経営者になる条件って四つあるんです。一つは三十数年間失敗しないこと~二つ目の条件は、人づきあいがいいこと~三つ目は運がいいこと、そして四つ目には力があることです。~だから経営者になろうという人がまず考えるのは、「失敗したくない」ということです。だから、チャレンジもしない。~だから経営者になっても、「俺は調整役だ」と思っているから、自分で決定をしないで、会議ばっかり何度もやる。~まさに、そこが今の日本のメーカーさん、日本の大企業が世界で勝負できない最大のポイントですよ』という話であり、これからは「垂直統合」のビジネス・モデルじゃないと国際競争力のある商品は作れないということ。なんで日本でiPhoneやiPadが作れないかといえば『一つの原因は、日本では垂直統合ができなかったことです。つまりアップルは、インターネットのサービスからビジネスモデル、そして端末までをぜんぶ一気通貫で(トータルで)作ってるんです』ということ、ところが日本の官僚は「垂直統合」を嫌がり「水平分離」をせよと言ってくる。つまり「独占」に繋がる垂直統合を嫌う体質を日本の官僚が持っているということ。

 要は「失敗を恐れ何もしない経営者」と「垂直統合を嫌う」官僚が日本の経済を弱くしており、今や韓国、中国に負けている日本の企業ということになってしまっている。この辺を徹底的に変えないと今後の日本はもっともっとダメになっていくのだろうが、戦後65年間、そのやり方でやってきた我が国である。おまけに新聞・テレビというマスメディアがそんな状況に対する批判勢力になっておらず、むしろそういう日本産業の茶坊主でしかないという事実。

 こりゃあ革命でも起きないとダメなんだろうな。若い勢力に期待するか、あるいは老人革命でも起こしますか。

2010年12月25日 (土)

『遭難フリーター』ですが、まあ、こつはこんなもんかな、ということで

 東北芸術工科大学っていえば、あの東北学の赤坂憲雄氏が学長をやっていたこともあり、映像学科だったら「ヴィヨンの妻」の根岸吉太郎氏が学科長で、「送りびと」の小山薫堂が教授を務めている学校じゃないかよ・・・というのが、まあ、普通の反応じゃないかと思うのだが。そこを、うまく出られないとこうなるのだ、というのがこの作品である。

『遭難フリーター』(岩淵弘樹著/幻冬舎アウトロー文庫/2010年12月10日刊)

『遭難フリーター』というのは、同じ筆者が作ったドキュメンタリー映画の題名でもある。つまり、この(本の)作品は、おなじドキュメンタリー映画と同時進行的なドキュメンタリー小説(?)であるということなのだ。

 作者の岩淵氏には悪いけど、まあこんな時代に単位修得不足で中退って、君が悪いよねとしか言えないのだ。が・・・。

 だからこそ、この映画『遭難フリーター』を観た観客の中からは(つまり、同じフリーターなのだろうな)所詮は「作者のオナニーじゃないかよ」という感想が寄せられたそうだ。確かに、こうした自分自身が主役になってしまうようなドキュメンタリー・フィルムは実際に作った人間の自己満足や自己卑下などの、要は「オナニー」なのである。でも、問題は「それで何がいけないのか」ということである。

 たとえば鎌田慧が「自動車絶望工場」を同時撮影でドキュメンタリーを作っても、多分、同じ反応はあったのだろう。ただし、鎌田慧は映画は作らなかった、というよりもその時代では、誰か他人がカメラを回さないとドキュメンタリーフィルムは作れなかった。しかし、今は、本人がビデオカメラを回せばドキュメンタリーは作れるし、映像を制作するのは昔から比べればすごくラクなものになっている。問題は、「どういうテーマ」で「どういう映像」を作るのかということなのである。

 そういう意味では、いまやドキュメンタリーフィルムを作る障壁はとてつもなく低くなっている。いまや、だれでもとりあえずはドキュメンタリーフィルムは作れるのだ。

 いまや16mmフィルムでドキュメンタリーフィルムを作る時代でなく、16mmフィルムは好事家(田中長徳氏みたいなね)のものになってしまった。その代わりとしての、ビデオ(それもHDが普通に使えるようになっている)なのである。ということは、いまや誰でもドキュメンタリーフィルムが作れるようになってしまっている時代だし、その映像も何の問題もなくテレビでも、映画でも、勿論ネットでも見られて、それもなんの映像的な問題もなく見られるという、それこそ素晴らしい時代になっているのだ。

 要は、ブログと同じ、映像も普通に作って、普通にネットにUPしちゃう時代なのだ。それでビジネスになるかといえば、それはブログがビジネスになるかという問題と同じである。

 要は、そのアップロードされた映像が他のメディアでも注目されるかということで、それは文章だけのブログと同じであるにすぎない。

 とりあえず、こうした派遣労働というものが、日本の正社員の労働の下にあることは間違いないし、そうした派遣労働が、もともとは(20年前くらいは)正社員よりも(瞬間的には)いい収入を得る手段だったのが、いまや大企業にとってみれば、ラクに自らの就業人員を調整する「いい手段」になってしまっているというのも事実だろう。その、「いい手段」の最初の相手にされたのが岩淵氏たちなのだろう。

 それはしょうがないとしても、しかし、こうした世代を救えない政治って何なのだろう。岩淵氏はそれをネタとして映画を作った人だからいいとしても、そんな才覚すらないひとが大半である。そういう人たちをどうやって救うのかが政治なのではないだろうか。

 この本を読むと、要は昔は山谷、釜ガ崎、寿町という「寄せ場」に集まっていた日雇い労働者の群れが、今や携帯電話を持っていないとダメという状況になって、もはや「寄せ場」にいる連中はもう採用の対象外になってしまっている、ということもわかる。そういえば、確かに山野とか寿町なんて、もはや使い物になりそうもない爺さん・婆さんばっかりがいるものなあ。いいのか、日本。

 携帯電話かよ。

2010年12月24日 (金)

旧中山道 倉賀野宿を旅する

 パソコンの復帰を待って、数日前に行った中山道・倉賀野宿を紹介する。11月28日の板橋宿から一気に飛んで、群馬県は高崎宿の一つ手前の宿場である。

2010_12_11_096_2 倉賀野宿全景、東京方面を望む。

 なぜ、一気に倉賀野なのかと言えば、途中の中山道の宿場町はあまりにも都会化していて面白くないからである。この辺までくると、いかにも昔の宿場町の雰囲気が出てきて面白くなる。

2010_12_11_0162 倉賀野宿の碑

 倉賀野宿は日光道(例幣使街道)と中山道との別れ道になっていて、その昔「高崎十五宿、倉賀野三十五宿」といって、高崎よりも大きな宿場町だったようだ。確かに、城下町だった高崎と、宿場町だった倉賀野を比較すれば、町としての規模や格は高崎のほうが圧倒的に上だが、こと「宿場町」という比較でいえば倉賀野のほうが上ということなのだろう。宿場の飯盛り女なんかも倉賀野のほうが圧倒的に多かったという。

 勿論、遊郭を含めた遊女の数でいえば高崎のほうがずっと上なのだろうが・・・。

2010_12_11_031_2 例幣使街道との別れ道。左へ行くと日光道(例幣使街道)、右が中山道東京方面である。

 しかし、例幣使たちは高崎に泊まったのだろうか、あるいは倉賀野に泊まったのだろうか。倉賀野と高崎の距離は5kmくらいだから小一時間もあればついてしまう距離だ。としたら例幣使たちは高崎に泊まり、高崎城主の出迎えを受けたのだろう、ということが予想される。この辺は、もうちょっと調べてみる価値はありそうだ。

 で、倉賀野宿の本陣跡を探したのだが、どこにも見当たらず、道を彷徨っていたら突然こんな碑が目に飛び込んできた。

2010_12_11_053_2 倉賀野宿・本陣跡の碑。

 つまり、このスーパーマーケットの駐車場が本陣跡のようなのだ。う~む、残念。

2010_12_11_055_2 で、ここが本陣跡にあるスーパーマーケット。

 と思っていたら、本陣跡より高崎方面へ進むと、脇本陣跡が、こちらはちゃんと建物が残っている。勿論、今は使われていないようだが、しかし、「うだつ」のある立派な建物だ。徳島県美馬市や岐阜県美濃市なんかにある「うだつ」というのは関西文化なのかと思ったら、こんなところで見つけるとは。

2010_12_11_061_2 脇本陣は建物が残っている。

2010_12_11_060_2 「うだつ」のある脇本陣。

 で、道を歩いているともう一軒「うだつ」のある家があった。こちらは宿屋ではないが、なかなか大きな家で、もしかすると昔は宿屋だったのかもしれない。ただし、こちらは現在も人が住んでいるようで、家のメンテナンスもしっかりしているし、なんか生活のにおいもしている。

2010_12_11_024_2 これが、もう一軒の「うだつ」のある家。宿屋の後なのだろか。現在も人が住んでいる。

 いまや、往時の賑わいを全く感じさせない倉賀野の町だが、でもその昔は大いに賑わっていたのだろう。高崎の中心地からの近さもあって、高崎のベッドタウンになっているのかと思い聞いてみたところ、倉賀野は倉賀野で高崎とは異なった文化圏を形作っており、高崎からはかなり独立した街になっているそうだ。

 やはり、昔は高崎よりも宿場町としては大きかったという誇りがあるのかもしれない。

2010年12月23日 (木)

映画『ノルウェイの森』でちょっと残念なこと

映画『ノルウェイの森』を観た。

Main

原作はハンブルグ空港に降りようとするルフトハンザ航空機の中で流れたビートルズの「ノルウェイの森」を主人公である「僕」が聴いたことから始まる、後悔記である。つまり、現在形で描かれている映画『ノルウェイの森』が「ノルウェイの森」である必要はないのであるが、まあ、それはいいとしよう。

しかし、映画では完全に後ろに隠れている学生運動なのであり、それでいて完全に話は成立しているのに、何故、それを映像に出したのであろうか。当時の早稲田大学では、革マルと民青が自治会を支配していて、それに反発する社青同解放派とアナーキストが全共闘を組織していた。したがって、早稲田大学の学生運動を描くなら、この革マル対社青同解放派の戦いを描かなければおかしいのである。であるのに、何故、バックグランドとしてのみとしての社青同解放派なのだろうか。映画はそんなものを描かなくても成立しているじゃないか。まあ、60年代のアイコンとしての全共闘なのだろうけれども・・・。

もうひとつ、60年代のアイコンだと思うのだけれども、やたら画面に登場するケンメリ・スカイライン1500(本当なら時代を語るケンメリ・スカイラインは2000GTなんだけどね)とコロナ1600GTってなんなのだろう。それが意味しているものを何なのかがまったく描かれていない、ということに不満を持つことは、おかしいのだろうか。まあ、おかしいのだろうな。

そして、もうひとつ、主人公ワタナベがアルバイトしているレコード店で右手に怪我をしたにもかかわらず、その次の次のシーンで永沢先輩との会食シーンでは何か右手に包帯を巻いているとか・・・。

まあ、突っ込みどころはおおい映画なのである。

作品としては、原作の雰囲気をうまく出していて、まあよくできた恋愛映画ではあると思いますけどね。何も、時代のアイコンを登場させていながら、それが何も語っていないというのはどうだろうか。唯一、時代を語っているアイコンはワタナベがかける「赤電話」である。つまり、それくらい「時代」というものに何も語らせていない映画なのである。つまり、この映画が駄作なのか傑作なのかをとく鍵は、「時代映画」なのか「恋愛映画」なのかということである。つまり「時代映画としては駄作」「恋愛映画としては傑作」ということであろうか。

それは、この映画をみる観客がどちらの映画として見るかという点によるのである。

ところで、この作品を成島東一郎が撮影したら、どういう映像になっただろうか。もうちょっと、映像に湿り気のある、日本的な映像になったと思うのだが。その、どちらが良いのかは、今のところわからない。

ところで「Norwegian Wood」って、本当は「ノルウェイの森」じゃなくて、ノルウェイ製の木製家具ののことだそうです。なんか、ドイツの空港に降り立つルフトハンザ機から見るドイツの黒い森が、なんとなくノルウェイの森に思えてきて、何か雰囲気だなあ、なんて思っていた私ってなんだろう、なんて考えてきてしまうのであった。

2010年12月22日 (水)

『生き残るメディア 死ぬメディア』ったって、どのメディアが死ぬのかは判らないのだ

 タイトルだけ読むとなんか「これからも生き残るメディア」がこれで、「もう死んでしまうメディア」がこれです、と書いてあるような気にさせるが、そうではなく現在のメディア状況を、前半は書籍(電子書籍)について、後半を映像系のネットメディア、ついでにアニメについて書いてあるのである。もっとセンセーションな中身かと期待したのだが、実際にはかなり真面目な本なのでした。

『生き残るメディア 死ぬメディア 出版・映像ビジネスのゆくえ』(まつもとあつし著/アスキー新書/2010年12月10日刊)

 いぜれにせよ、電子書籍がコンテンツ側にはなくてプラットフォーム側が圧倒的に有利な状況にあることだけは確かだ。特に、『刷った分だけ印税が支払われる著者、出版流通(取次)に一定の書籍を収めることで売上の前払いを受けてきた出版社、そして再販制度に守られて定価販売で返品も一定の範囲で自由にできた書店(小売)、この三者の関係を大きく崩す仕組みであることは間違いない』というのは事実であるが、少しだけ間違いを糾しておくと『出版流通(取次)に一定の書籍を収めることで売上の前払いを受けてきた出版社』というのは、大手や古くからある出版社だけであり、中小零細や新規出版社にはこうした「旨み」はなくて、むしろ取次からの入金は本を納めて6ヵ月後なんてことは日常茶飯事なのである。勿論こうした「著者・出版社・取次・書店」という業界内4者の関係論は、電子書籍の世界ではありえない。今までの出版業界では出版社がツブれるのは、「本が売れない」からではなくて、「本が売れると」ツブれるのである。何故そうなるのかはここではあえて述べないが、これが出版業界の因習によるものであることは間違いのない事実であり、そうした「おかしなこと」が電子書籍の出現によって改まる、つまり「本が売れないから出版社がツブれるという当たり前のことになる」になるのであれば、電子書籍大歓迎である。

 更に、まつもと氏によれば電子書籍の三原則というのがあって、つまり『①所有感があり同期されること ②検索・引用可能であること ③ソーシャルな読み方ができること』ということなのだが、①は紙の書籍でもあることだし、②はまさにデジタルならではのとくちょうだろう。しかし、この三番目「ソーシャル・リーディング」というのが私には苦手だ。勿論、自分が読んだ本について、他人と感想を語り合ったり、批評しあったりということは大いに好きであることは、他の本読みと変わらない。「そういう意味」ではソーシャル・リーディングはOKなのであるが、それに付随してくるもうひとつの結果としての「リコメンデーション」と言う奴が苦手なのだ。つまり、その本が気に入ったからといって、その本と同様な傾向の本を読む気になるかといえば、そうはならないのだ。つまり、アマゾンあたりからメールで送られてくる「リコメンド」なんてものは「ウザい」だけで、そうされると却って読む気にならなくなってしまう。やはり本は書店で気に入ったタイトルや気に入った表紙で選んだり、なんとなくランダムに本を読むほうが好きである。多分、それは大半の本読みがそうなのではないだろうか? 書店員さんから薦められても「フン、そんなの読まないもんね」という態度が普通の本読みではないだろうか。

 つまり、「本を読む」という行為は「超アナログ」な行為なのである。その後の展開がデジタルだとしても、「本を読む」そのものはアナログにならざるを得ない。って、大体「デジタル的に本を読む」という行為ってどうやるのだろうか?

 人間は元々アナログな生き物である。いろいろな処理をデジタルで行うにしても、その行為のおおもとはアナログである。つまり「本を読む」という行為は人生そのものだったりするから、本来のアナログでよいのである。いかにデジタルに浸りきった生活をしていたとしても、そんなデジタルな人生の終わりにあたって、リブートしたりリスタートなんて出来ないんだからね。

2010年12月21日 (火)

『報道再生』はもうしなくていいよ。死になさい

「ジャーナリズムはまだ死なない」という帯の言葉だが、私に言わせれば「ジャーナリズムよ、お前は既に死んでいる」である。

『報道再生―グーグルとメディア崩壊』(河内孝・金平茂紀著/角川ONEテーマ21/2010年12月10日)

「報道再生」ったってもう無理でしょうというのが、私の論考である。つまり、我が国における報道の位置は、既に地に落ちていて、最早どうすることもできない場所にあるということなのだ。

最早、「官報」でしかない新聞、テレビの報道を信じる人は誰もいないのが、我が国の「報道」なるものなのだ。しかし、情報のまず第一段階で伝えるのが新聞、テレビじゃないのかというのが普通の人の考え方じゃないかとも思うし、そうした考え方をしたからグーグルはアメリカで新聞(社)再生に動いたのであろう。とは言うものの、第一情報が「官報」であるような我が国のマスメディア状況を見ると、そんなことはまったく必要ないんじゃないかと思うほど我がメディア状況は劣化している。

だからこそ、海上保安官はYouTubeに映像を流したのだろうし、それを二次情報として各マスメディアは放送した、という逆の情報の流れが現象したのである。要は、マスメディアは尖閣諸島における中国漁船衝突事件に関する情報をまったく持って無かったのである。何故なら、政府の発表が無かったから。小沢一郎の政治倫理審査会への出席問題だって、そもそもそのきっかけになった検察審査会への言及は全くない。それも何故なら、検察の発表がなかったら。米軍海兵隊普天間基地移転問題にしたって、それが今まで自民党政権のもとで十数年もの間ほっぽっておかれてなんの進展もないまま置かれていたのが、鳩山民主党政権になって、これをどうにかしなければいけないということになって、改めて自民党政権時の問題が出てきたという解説をするメディアはどこもないのだ。それも、自民党からのアナウンスがなかったからである。そんなことは、独自取材をすればいいじゃないか、と思うのだけれども、それはない。

こうしたメディアの官報化は何故おきたのか。多分、それはメディア経営者の姿勢なんだろう。要は、メディア経営者の間違ったエスタブリッシュ化である。自らエスタブリッシュメントになってしまった経営者にとっては、政権と対峙することは自らの首をしめることになってしまう。だったら、このおとなしい国民に向かっては「官報」であることが、みずから安寧な生活をおくるよい手段なのだ。

ということなので、最早、この国にマスメディアはいらない。と言っても、一時情報は取り敢えず必要だから、NHKと新聞一社だけは残す。要は「官報メディア」としてね。当然、国民はそんなものは信じないから、そこからは自ら独自取材を行うのだ。で、その取材をした結果をネットにUPするわけだ。当然、そこには取材費が必要なので、ネット閲覧には課金が必要であろう。その位の出費はネット住民だってOKだ。「官報メディア」とそれを載せているだけの軽薄ネットメディアしか読まない「情弱」は、所詮「そこまでの人」だから、もういらない。後は、ちゃんと必要な情報には金を払う「当たり前の人たち」で民主主義を作っていきましょう。そう、そうした自ら参加意識のある人たちによる民主主義(これを私は勝手に「全共闘型民主主義」と言っているのですがね)こそが、今の衆愚民主主義を打破する、本来の民主主義になるのだ。

そうして、日本の本当の民主主義を作っていきましょう。

ということで、もう報道は「再生」しなくていいのです。できれば、このまま死んでください。

2010年12月20日 (月)

『美女のナイショの毛の話』ですよ、興味ありますよね

読んだきっかけは当然「エッチな気分」である。

『美女のナイショの毛の話』(南美希子著/幻冬舎文庫/2010年12月10日刊)

とは言うものの、「美女のナイショの毛」=「陰毛とか恥毛」の話は「Ⅰ.ボディケア Body Care」だけである。後は「Ⅲ.男と女 Man & Woman」という章の「恥毛はカレのために除去すべきか、残すべきか」という項だけである。


というものの、髪の毛(それが体のどういう部位に存在する「毛」なのかということとは限らず「毛」である)にまつわる男と女の考え方というものを見せてくれる。


例えば、女の恥毛の生え方に関する男の考え方だって、男ひとりひとり違うのである。女からみればあまり「美しくない」と感じられる自分自身の陰毛の生え方だって、男からみれば、その自然のままの生え方(モジャモジャの剛毛だっていい)がいいという人もいれば、うまく刈り込んで例えば「ハート型」に形作っている陰毛がいいという人もあるだろうし、もうまったく「パイパン」状態になってしまって、女性器の縦の割れ目が見えているのがいいという人もいるわけだ。まるで、ネットで見るエッチ画像だね。


まあ、しかし女性がこれだけ陰毛との壮絶な戦いをしているとは思わなかった。しかし、それも結局は自分の恋人とか夫との関係でしかないんでしょ。要は、恋人あるいは夫が何を求めるかという問題ですよね。で、その当人たる恋人や夫がそんなものをもとめているのか、というのが再び問題になる。実は、恋人あるいは夫なんてものはそれほど自分の恋人あるいは妻にたいして求めてはいないのだ。要は、普通にセックスしてくれればいいんじゃないの。


実は、夫あるいは恋人というものは自分の妻あるいは恋人に「あたかも娼婦のようなふるまい」というものは求めていないのである。したがって、陰毛を形作ったり、まんま剃っちゃたりなんてことは、実は夫あるいは恋人は彼等の妻あるいは恋人は求めていない筈なのである。


でも、女はそれをする。それは、つまり女自身の問題として自分の「本来あるべき姿」を追い求める姿なのだろう。問題は、その「本来あるべき姿」が実は全「本来あるべき姿」ではなくて「自分が勝手に本来あるべき姿だと考えていただけの姿」にすぎないということなのだろう。要は「自己愛」なのである。いつも言うことであるが、「女の自己愛」ってやつは、と言う問題なのである。


もう、そんなに自ら苦労を背負わなくてもいいじゃないでしうか?

2010年12月19日 (日)

水嶋ヒロじゃなかった齋藤智裕の『KAGEROU』はなかなか面白いぞ

ネタバレごめん。

水嶋ヒロ・・・じゃなかった齋藤智裕のポプラ社小説大賞受賞作は、基本的には「一発ネタ」の作品なのであった。と思っていたら・・・。

『KAGEROU』(齋藤智裕著/ポプラ社/2010年12月15日刊)

編集者がどこまで介在していたのかはわからないが、なんか文章に「若さ」がみえないんだよね。いかにも、リライトしたというのが見え見えなのだ。ただし、そのアイデアは買える。

「全日本ドナー・レシピエント協会」の京谷貴志というのがまずひとつのネタ。そんな京谷に見つけられた主人公、自殺志願者の大東泰雄(ヤスオ)は、自らの死を預けて脳みそ以外の臓器を提供する、そんな協会の考え方に賛同しているわけではないが、どうせ自殺するつもりであったので京谷の提案を受け入れて、自らの命をドナー・レシピエント協会に差し出すことを受け入れる。

ところが、とりあえず心臓を提供した後に、ヤスオは目ざめてしまい、自らの心臓提供者である茜と出会う。まあ、ゼンマイ仕掛けの心臓というのも、それはそれで面白いが。それは、当然、ドナー・レシピエント協会からは許されないことではあるが、最早それは許されないとかそういうことではない、とりあえずドナー・レシピエント協会との契約を知っているヤスオは、その事実を茜には明かさないというのが、それが第二のネタ。ここは、なんとか泣かせる話ではある。

問題は、第三のネタたる、ヤスオと京谷との関係が最後まで変わらないことである。本来であれば、ここでヤスオと京谷の関係に何らかの変化があって、そこで小説はエピローグに向かって一気に進むのであるが、そうはならない。何故なら、ヤスオはそこで生命を(脳以外は)終えてしまうから。

・・・そして、ヤスオの「死」から17日目に京谷は目覚める、「京谷」ではなく「キョウヤ」として。それも頭にグルグル巻にされた包帯と共に。ということは、キョウヤの脳はヤスオの脳に入れ替わっているのだろうか。そう言えば、ヤスオと茜にしか知らないことを、キョウヤは語っている。って、キョウヤはヤスオ?

ということは、今度はキョウヤが自殺をしようとするのか?

ということになると次回作が楽しみだ。水嶋ヒロ・・・じゃなかった、齋藤智弘が次に何を書くのかな?

でも、これを映画化ってあまり面白くないんじゃないかな。映像に動きはないし、要は役者で見せる作品にしかならない。じゃあ、水嶋ヒロ主演で・・・ってことにしかならないんじゃないかな。それじゃあ、映画屋さんのモチベーション上がらないよね。

とは言うものの、この「出版不況」の世の中で68万部である。本屋さん良かったね。これで少しはボーナスも払えるかな。とりあえず、水嶋ヒロ・・・じゃなかった齋藤智弘(しつこいね、どうも)にお礼を言おう。

2010年12月18日 (土)

『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』という当たり前の事実

「継続は力なり」という昔からの格言がそのままじゃん、というところだろうか。

『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(いしたにまさき著/技術評論社/2010年12月25日(!)刊)

 たしかに、「やめない人たち」が時間をかけてネットの世界でも信頼を勝ち得て、結果、ネットの世界で成功しているという当たり前のことなんだけれども、それをいわゆるアルファ・ブロガー110人にむけたアンケートで証明した、ということなのだろう。まあ、そりゃそうだ。

 アルファ・ブロガーというのはWikipediaによれば『「世論に影響を与えてる」「ブロガーのリーダー格」「影響力が大きい」「多くの人のアクセスを集める」』ブロガーとのことであり、元々、自らもアルファ・ブロガーである徳力基彦氏が『ニューズウィーク』の記事から引用してきた言葉らしいが、その本家本元のアメリカでは既に死語となっていて、日本でしか通用しない言葉になっているそうだ。そうした「影響力の大きいブロガー」はアメリカではa-listブロガーというらしい。そこで徳力氏は今では「5人でも影響を与えればアルファ・ブロガー」と言っているらしい。そうか、5人でもいいわけね、なんて言ってしまうとミもフタもなくなってしまうので、ここはWikipediaの解釈に負うことにしよう。

 で、問題は何故かれらは「頼まれもしないのに」「毎日毎日記事をUPして」いるのだろうか、ということにまず注目する。つまり『ネットには当時すでに、商業ライターでもなければ作家でもなく、記者でもない立場でネットに何かしらのコンテンツを供給する人たちがいました』『その人たちは一見、なにでお金をもらっているのか、ちっともわからない人たちでした。そういう人たちは決まって、誰に頼まれるわけでもなく、それが「面白いから」「好きだから」という理由だけでコンテンツを生産している人たちでした。要するに既存のカテゴリーにあてはまらない「よくわからない人たち」です』ということである。そしてそういう人たちに「どうしてそうなったんですか?」と聞けば、その答えは『やってたら勝手にこうなった』ということなのである。動機もハッキリせず、継続のモチベーションもハッキリせず、何となくそうなってしまった人たち。

 で、翻って私自身はどうなのか、と考えれば、それは単なる「表現衝動」とでも言うしかないようなことである。昨年のある日突然に「あ、ブログやろう」と考えて、始めて数ヶ月経ったころ、「こうなったら、毎日更新、毎日本1冊を紹介するブログにしよう」と考えるようになったのだ。以降、毎日毎日1冊の本を読んでブログに載せるという苦闘が始まったのだ。まあ、週末なんかはちょっとサボッて写真ブログにしたり、映画の紹介をはさんだりしながら、なんとか1年経った。1年経つと、なんとなく「おお、結構文章がたまったなあ」という感慨と、同時に「ちょっと疲れた?」なんて感想もある。

 しかし、いしたに氏に言わせれば1年じゃだめなのだ。とりあえず3年続けろ、ということであり、同時に毎日更新しろということなのだ。つまり『今1日更新をしなかったとしましょう。これは今日という時間で考えると、1つコンテンツが追加されなかっただけです。1日記事を書くのをさぼったので、1つコンテンツが減ったということですね』『しかし、1年後の未来までを考えてみてください。ブログはパーマリンクです。一度公開した記事というコンテンツは、公開されている限り、読者が読むことができるコンテンツとしてネットに存在します。だから、きょう公開されたたった1つの記事も、読者が読むことができるコンテンツの総量としては、1年後には365のコンテンツに変化するのです』ということだ。そして『このコンテンツの総量の面積がある一定量を超えると、量的変化が質的変化に成長します。ブログのカラーが出てくるとか、ブログの書き手に注目が集まるといったことです。もうひとつの「3年目のお宝」とはこれのこと』だということ。

 つまり、「毎日更新」を「3年間続ける」と「いいことがある」ということなのだ。そうか、じゃあ私も3年続けてみようかな。あと、1年9ヶ月経てば退職して毎日本を数冊は読めるしな。ということである。まあ、やはり「表現衝動」から始めたブログである。だったら、やはりたくさんの人に読まれるブログにしたいとは考えるものだ。

 毎日毎日私のブログを読んでくれている約150~200人の皆さん。ということなので、あと2年はお付き合いをお願いします。

 はたして、私は「アルファ・ブロガー」になれるか? (別にならなくてもいいけどね)

2010年12月17日 (金)

『理性の限界』は理解の限界かな

12月14日の本ブログで取り上げた『東大生の論理』で東大生相手の授業でテキストにしたという本書を、それは如何なる本かということで読んでみた。

『理性の限界』(高橋昌一郎著/講談社現代新書/2008年6月20日刊)

普通の人が普通に選んだ結論に対して、いちいちそれを理論付けて解説するのが論理学の立場であるから、いわゆる普通の人からは「うるせえな、俺がそうしたかったからそうしただけだよ」といって排除することは可能である。それをお節介にもいろいろ理論付けるのが、しかし論理学なのである。でも、そんな論理学でも限界があるというのが、本書『理性の限界』なのである。

ところが、これが結構面白い。『序章 理性の限界とは何か』『第1章 選択の限界』『第2章 科学の限界』『第3章 知識の限界』それぞれに解説者、突っ込み役、ボケがいて、そんな変なシンポジウム形式で話が進んで行く。基本的な突っ込み役は「会社員」と「運動選手」である。学生A(多分女性)は教えてちゃんで、何でも聞いてくるひと。方法論的虚無主義者はすべてにおいて「ぶっ壊し役」、カント主義者とロマン主義者はあらかじめそのときのテーマと関係あるようで実は関係ないことばかりいう人、そのほか、シェイクスピア学者とか、フランス社会主義者、フランス国粋主義者、急進的フェミニストはまあ、場の賑やかしでいるようなもので、ほとんど論にからんでこない。

という人たちで交わされる論理学の話なのだが、第2章位までは私のボンクラ頭でも何とかついていけるのだが、第3章になると、ちょっとついていけなくなる。とは言うものの、1冊読むと何となく論理学がわかったような気分になるのがおかしい。まあ、論理学っていうよりも、論理学の用語が少しわかっただけなのだが。

まあ、論理学というものが、如何におかしな学問かということがわかっただけでもめっけもんかな、というところで・・・。

ただし、学問なんてものはほとんどこうした、我々の日常生活とは関係ないことを研究しているようなものだけれども、それがいずれどこかでかかわってくるから不思議なのである。そんな、未来への投資が、学問研究なのだろう。

2010年12月16日 (木)

『ザリガニとひまわり』というタイトルの意味するところは

 いまは『王様のブランチ』で明るく陽気に映画を紹介するLiLiCoさんが、実は元ホームレスで、長い下積みう生活を送ってきたという本書は、まるで浪花節か演歌であり、本来ならばかなり暗く重い作品になってしまうところを、明るく笑い飛ばしてしまう。

『ザリガニとひまわり』(LiLiCo著/講談社/2010年12月1日刊)

 はじめ、このタイトルの意味がわからなかった。それが、毎年8月になるとスェーデンで行われる「ザリガニ祭り」のことであり、その祭りの象徴が太陽(それも顔が描いてあるつまり「お日様」ですね)であり、その太陽を象徴するのが「ひまわり」だとういことが読み進むうちにわかってくる。

 この「ザリガニ祭り」とは、スェーデンでは8月になるとザリガニ漁が解禁され、その日を祝ってザリガニを食べるのだそうだ。ザリガニを食べるというと、昔、子どものころに家の近所の川でザリガニを釣り上げて、茹でて食べたことを思い出す。しかし、日本にいるのはその昔アメリカからの材木と一緒に来日し、住み着いてしまったアメリカ・ザリガニであり、あまり大きなものではなく、食べる場所もたいして大きくはない。ところが、ネットでスェーデンのザリガニ祭りの映像などを見ると、日本の伊勢海老位の大きさのある、なんでもスェーデン・ザリガニという種類だそうだ。まあ、これなら食用として十分な大きさだし、スェーデン人がザリガニを食し、それをお祭りにして祝うと言うのもよくわかる。つまり、寒く、暗い冬に向かってこれから徐々に移っていく8月という時期に、なるたけそんなことを忘れようとザリガニを喰らい、アクアビットを飲み干し、陽気に騒ぐザリガニ祭りというわけだ。

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 LiLiCoさんのそんな刹那の生き方を象徴するような「ザリガニ祭り」ということなのだろうな。

2010年12月15日 (水)

『ダメ情報の見分けかた』は一見よい本なんだけど、まあ、何も書いてないに等しいね

要は、今のメディア社会の中で如何に我々が生きるべきなのかということなのであるが。

『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』(荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著/NHK出版 生活人新書/2010年12月10日刊)

第1章は荻上チキ氏による、「如何にすれば我々はメディアに騙されないか」というテーマについて語り、第2章では経済政策論を主題とする飯田泰之氏による「メディアリテラシーは何故必要か」というテーマに始まり、結局それは「如何にしてメディアが届ける情報を捨てるか」という話であり、第3章では社会学を専らとする鈴木による「偏ったメディアとどうつきあうか」というテーマについての話である。

しかし、「偏向していない」「中立的な」メディアなんてものがあるのか、というとことから話を持って行けば、元々メディアなんてものは「偏向していて、どこかの党派性を持っている(右派か左派という問題ではない)」ものなのだ。であるからには、メディアの受け手はあらじめそのメディアがどういうものなのかは分かっていなければいけない、ということなのだ。

つまり、メディアの報道なんてものを信じるような人々は予めオミットした方がよいということだろう。そもそも、メディアの中立性なんてものをあたかも「所与のもの」とする発想がおかしい。そこまでメディアの存在に信頼をおいているという発想があまりにも楽観論にすぎないか?

大体が、かの『朝日新聞』が当時開戦を渋っていた軍部に対し『断固、開戦すべし」という論陣をはって日中開戦、日米開戦を煽ったのは有名な話だし、昨年の総選挙に際しても民主党有利に持ってきたのは事実である。その結果は皆さんもよく知っている通り。まあ、メディアなんてものはそんなもんですよ。

要は、たかがマスメディア、マスコミという基本的なスタンスを持って上から目線でメディアと付き合っていれば、何の問題もない。

それが、私のメディアリテラシーなんですけどね。

2010年12月14日 (火)

『東大生の論理』と言ったって、それは東大生に特有のものなのだろうか

 著者の高橋昌一郎氏はウェスタンミシガン大学数学科および哲学科を卒業後、ミシガン大学大学院哲学研究科修士課程を修了し、テンプル大学専任講師を経て、現在、國學院大學文学部教授をしている。つまり、そんな「非東京大学」の高橋氏が半年間東大で非常勤講師をしていた時の体験からこの本を書いたものだ。

『東大生の論理 「理性」をめぐる教室』(高橋昌一郎/ちくま新書/2010年12月10日刊)

 そんな高橋氏の東大生に対する印象は『①状況を整理して図式化する分析力』『②与えられた条件すべてを満たす方法を発見する適応力』『③解の一般化を見出す洞察力』『④負けず嫌いで再度チャレンジする奮発力』『⑤想像力が豊かで発想を転換できる独創力』『⑥自主的に応用し研究を進める行動力』『⑦懐疑的で風刺できる批判力』『⑧理解できたと納得するまで諦めない忍耐力』『⑨思いのほか正義感が強い倫理力』『⑩感受性が鋭くユーモア・センスもある機転力』に溢れているという、しごくまっとうなものなのだ。ということは、高橋氏は初め東大生は『状況を整理して図式化できない』『与えられえた条件ですべてを満たすことができず』『解の一般化を見出せず』『一度負けると再度チャレンジできない』『想像力に欠け発想の転換ができない』『自主的に応用したり研究を進められない』『懐疑的でなく風刺ができない』『理解できなくとも納得してしまい』『正義感がなく』『感受性に欠けユーモア・センスがない』とでも考えていたのだろうか。それが非常勤講師を半年やってみたら、意外と東大生っていい奴だし、さすがにアタマも切れる、なんて感じたのだろうか。でも、そんなのはどこの大学生(といっても最低偏差値ってのはあるかもしれないが)だって同じことなのだ。

 反対に、東大の教わる側(残念ながら学生でなく聴講生)から見た東大教授って何だろうというのが遥洋子氏の書いた『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫)である。ここでは逆に、上野千鶴子から「本に書いてあることをまず否定せよ」とアジられた東大生の姿が見られる。当初は上野教授のアジにあおられていた東大生が、次第に上野流の「まず命題を否定する」読み方ができてくる様子が描かれていて、それはそれで東大生の優秀さが証明されているのだが。

 まあ、高橋氏の教えたのは東大の理系の学生であり、上野氏の場合は文系の学生であるという違いがあるのかもしれないが、所詮は同じ東大生。つまりは、東大生だって普通の学生なのである、ということでしかない。

 ただし、東大生と他の大学の学生が違う最大のポイントは、高橋氏も書いているが『これまで私は、さまざまの大学で講義を担当してきたが、最初の授業でここまで目を輝かせて嬉しそうにしている学生の集団を見たことがない』『一般に大学入学直後の最初の授業といえば、多くの学生が緊張気味に他の学生の様子を窺っているのが普通である。自分の望み通りの大学に入学できて嬉しそうな学生のいる反面、実際には第二志望や第三志望の大学や学科に入学してしまったっため、不安そうに俯いている学生や、不満そうな顔で周囲を睨みつけているような学生も見受けられる』『ところが、この教室に集まっている学生は、おそらく全員が晴れて第一志望の東京大学に合格しているのである。だからこそ、少なくとも入学直後の今は、ここまで屈託なく「箸が転げても笑う」状態にあるのではないか』ということである。

 そんな東大生も、入学してしばらくすれば、如何にして授業をサボって、サークルやバイトに精を出し、しかしそれでも如何にしていい点数を取るかということに苦心惨憺する普通の学生になるのだ。我が家の東大生もまったくその通りで、いまでは勉強するために東大に入ったのか、アメフトをするために東大に入ったのか、訳がわからなくなってきている。とにかく、授業にでなくても、テストやレポートさえ出してればOKな教授の授業ばかり受講して、実際に授業に出るのは語学と自分が興味がある講義ばかりという状態である。まあ、そんなところは東大生ったって普通の大学生なんだろうな。あとは「シケプリ」と「シケタイ」のお世話になりっぱなしという状態だ。

 まあ、それでもいつかは卒業できるのが日本の大学の良いところだ(あるいは「いい加減なところだ?」)。私には、やはり立花隆氏の『東大生はバカのになったか』の方が相応しいように思えるのだが・・・。もっとも、立花氏もそこの結論で「東大生はバカになった」とは言っていないのだが。

2010年12月13日 (月)

『武士の家計簿』は明治の軍隊にはロジスティックがあったということを示している

こういう武士を昔は「武士の風上にもおけない」とか言って皆でイジめたんだろうな。

『武士の家計簿』(礒田道史著/新潮新書/2003年4月10日刊)

普通、映画の存在を知っていて、まだその原作を読んでいない場合、あまりその原作を映画を観る前に読んでしまうということはしない。つまり、映画を見る前にあらかじめ事前に心にバイアスをかけるのを避けるのだ。しかし、この本は小説ではないし、映画も別にこの本にある加賀藩士猪山家の家のストーリーは前提としていないだろうから、という安心感から読んでしまった。

きっかけは日本近代史を研究している礒田氏が神田の古本店で「金沢藩楮山家文書 入払帳・給禄証書・明治期書状 天保~明治」という文書を発見したことである。「楮山」はその後「猪山」であることが分かり、文書には家計簿だけでなく明治初期の家族の書簡や日記なども含まれていることがわかり、つまりは江戸時代末期から明治初期までの武士の生活がよく分かる資料であることが分かったのであった。そんな資料をもとにして書かれたこの本が、江戸末期から明治初期における武家の生活をかなり正確に記したものであり、したがってそれをもとにして映画化することを森田芳光は考えたのだろう。いかにも森田らしい目の付け所だ。

目次は『第1章 加賀百万石の算盤係』『第2章 猪山家の経済状態』『第3章 武士の子ども時代』『第4章 葬儀、結婚、そし幕末の動乱へ』『第5章 文明開化のなかの士族』『第6章 猪山家の経済的選択』

猪山家は加賀藩の「御算用者」という、いわば加賀藩の経理係だったわけだが、文字が上手だったことと、経理という仕事柄細かいことまで書き記す習慣を持っていたのだろう、猪山家六代佐内の時に隠居した前藩主前田重教の「御次執筆」、前藩主の秘書役のようなものに出世している。ふーん、こういう出世って昔にもあったのだ、ということなのか、あるいは開明的な加賀藩ならではのことなのか。

しかし、それにしても武士の「身分費用」というものにかかる収入からの割合はすごいものだ。それも支出のほとんどは親類と家中あてなのである。つまり親戚づきあいにこれだけお金をかけるいうことは、それだけ武士の世界の付き合いの世界の狭さということにつながるのだろう。当然、「士農工商」という身分制度に縛られていた時代であるから、付き合いのあいては武士なら武士だけになるのだろう。さらに「連座制」という、一族郎党が皆連帯責任を負わせられる社会である。いやでも親戚同士の付き合いは濃密にならざるを得ないのだろう。つまり、そうした付き合いの範囲の狭さが、明治期になり武士階級の没落につながったのだ。

しかし、猪山家は9代目の成之の時に軍務官を経て海軍省に勤めることになり、無事明治政府での出世を果たす。勿論、海軍といっても主計官である。要するに、明治以降の世界では軍務も大事だが、それ以上に経理が大事であるという時代になったのである。ロジスティックの大事さがこの時代では政府部内では認識されていたことがわかる。ところが、その後に昭和になった頃にはこの思想はまったく忘れ去られて、ロジスティック無視のとんでもない戦争に突入したのは、やはり武士階級出身の将軍たちによるものだったのだ。まったく、武士階級ってものはいつまで経ってもアタマが悪いのだろう、ということである。

で、結局猪山家は成之の子どもが日露戦争に従軍し、戦死してしまい、そこで猪山家は断絶しているようだ。明治初期の海軍によって再興した猪山家だが、結局その海軍によって猪山家は断絶してしまうという、まあ、やはり武士というのは「畳の上で死ねない」人たちなのであった。

2010年12月12日 (日)

『ビジネス速読仕事術』はなかなか使える実用書かもしれない・・・でも結論はでてないけどね

『「ビジネス速読」仕事術』(椋木修三著/PHPビジネス新書/2010年12月3日刊)

パソコンは日曜日から1週間ほど入院ということになってしまった。帰ってくるまではiPadからの書き込みで結構これが面倒くさいんですね。でも、1週間過ぎてみたら結構タブレットコンピュータの使い方に慣れたりして。そうなると、それはそれで楽しい。やっとiPadを買った意味が出来るかも知れない。


「速読」という言葉にのせられて読んでしまった。とにかく、速く本を読みたい。だいたい、私の場合、最近よくある「お手軽新書」で1時間位、その他の新書類で1時間から2時間。文庫本で2時間から3時間位で読み終わるので。読むスピードとしてはそんなに遅い方ではないだろうとは思う。しかし、その後ブログに書くという作業が予定されると、何を書かなければいけないのかを考える、これが結構時間が足りないのだ。ブログを書くようになって、その辺がやはり自分の限界のように思えてきた。

まあ、週末なら読む時間も、何を書くか考える時間も相当にとることは可能であるが、ウィークデイにそれをとることは不可能だ。毎朝と毎夕の通勤時間と、仕事の移動時間を読んだり、書くことを考える時間に充てているが、どうしても時間が足りなくなってしまう。

突っ込みどころの多い本なら読んでいるうちに、ここは突っ込んでやろう、ということで読みながら書くことを考えているのだが、なかなかそういう本ばかりではない。

ということで、どちらかというと「考える時間が欲しい」ということで、「速読」なのである。

目次は『第1章 「ビジネス速読」で仕事効率を上げる』で総則を述べ、『第2章 ビジネス速読で「自分革命」』で基本的な速読法を述べている。『第3章 速読で得た情報を記憶するノウハウ』は第2章の応用編だ。なかなかテキストとしてうまくできている。しかし、ポイントの第2章は意外とアッサリしているのだ。そこは、自分で試してね、ということなのだろう・・・了解!


『第2章』の中の『第4項 価値ある情報だけを集める「収集速読」と「確認速読」』がその速読の一般的な方法論を書いてある。つまり、「1行2分割」「1行3分割」「1行4分割」という読み方だ。それを「指さし」しながら読むわけだ。これはなかなか使えるなという感じだ。つまり、1行を2分割したり、3分割して指さししながら読むと、言葉がいくつかのブロックに分かれて見えてきて、なんか速く読めそうな・・・気になってくるのだ・・・気になってくるのだ・・・気になってくるのだ。って、これって自己暗示?。

果たして、こうして読むことによって私にも「速読」が出来るようになってくるのだろうか? 本当かよ、なんて思いながら・・・ね。

それが楽しみだ。

2010年12月11日 (土)

ニッポンタカイネ

パソコンが壊れてしまい、やむなくiPadからの書き込みになってしまった。なんだかやりにくい。
'『ニッポンタカイネ』(吉永マサユキ撮影・著/東京キララ社/2010年8月31日刊)

いまや、東京はアジア人たちでいっぱいだ。東アジア、西アジア、南アジアから来て定着しつつあるアジア人にとっての日本は、やはり「物価がタカイネ」であり同時に「収入もタカイネ」なのだろう。

そんなアジア人たちの姿を捉えた写真集が本書である。それもザラ紙のような紙質の悪いものを使ってキッチュ感を出したところが、これまた「アジア的」である。数少ない我々が知っている被写体はモンゴルから大相撲にきた、旭天山、旭天鳳、旭鷲山だろうか。あとは皆無名のまさに「アジア人」としか呼びようもないアジア人たちである。

そんなアジア人たちの姿は、皆元気だ。多分、日本に対して求めるものは 「高収入」なのであろう。日本に来たとう時点で彼らの高収入は約束されたも同然である。したがって、皆元気に見える。故国では得られない収入を求めて日本に来て、なにがしかの金を手に入れて故国に帰る彼らにとっての日本という国は決して定着する場所ではない筈だ。しかしながら、これらの写真群をみているとなぜか彼らが「定着」の方へ向かっているような気がするのだ。

定着する来日アジア人。そんな彼らが日本経済の再発展の元になるのだろうか? なんてことを考えてしまうのは、まだ私の中に日本経済再興への期待があるからなのだろうか。

2010年12月10日 (金)

『殺して忘れる社会』はまさに今の社会なのだなあ

 産経新聞なんて自民党の機関紙にすぎないと考えていたのだが、意外と大阪版は硬派なんだということに気づかされた。

『殺して忘れる社会 ゼロ年代「高度情報化」のジレンマ』(武田徹著/河出書房新社/2010年11月30日刊)

 要は産経新聞大阪版に書いたコラムを集めた本なので、その時その時でテーマは異なる、それを編年体でなくテーマ別に編んだのが本書である。

 その内容を目次から拾うと;

『はじめに 殺して忘れる社会』『第1章 ネットのルールと町の掟』『第2章 マスメディアの没落、ジャーナリズムの黄昏』『第3章 多様化せず、格差化する社会』『第4章 リスク社会を生きる』『第5章 新たな「核論」のために』『第6章 テクノロジーに飼い慣らされないために』

 ということ。ただし第6章はどちらかというと武田氏の趣味のページのごとく、私の最近のメイン機材であるところのEPSON RD1のことやらライカM8、パナソニックLUMIX G1などのカメラの話などは「うんうん」なんて頷きながら読んでしまう。

 しかし、少し長めの『はじめに』にはいろいろ読ませる内容がある。つまり、『憎しみは否定的ではあるが、関係を持とうとする限りにおいて、愛の反対語ではない。関係を持つ必要性すら認識しない無関心こそが、最も酷薄に人の存在を無に帰すという意味で、愛の対極に位置する。つまり、無関心は人を「殺す」。』『スキャンダルの渦中にいる芸能人や政治家をバッシングする、それは対象となった個々人への憎しみからなされるものではない。バッシングは血の通う人間を相手に行うものではなく、情報社会の中で個々人がそれぞれに担う立ち位置に応じて、まるで水が高いところから低いところへ流れるように注ぎ込まれる情報の流れとしてある。そうしたバッシングが該当者の社会的生命を抹殺し、さらには本当の生命すら奪うことがあるが、バッシングしている側には実感が伴わない。それはバッシング対象について知りたがっているようでいて実際には大した興味もなく、彼や彼女の人生がバッシングでどう変わるかにも関心はない。話題として盛り上がっているからバッシングの流れにも便乗するが、本当のところでは別にどうでもよく、バッシングが原因で自殺しようがしまいが、自分がそれに関係があるという当事者意識は持たないからだ。』『そして忘却とは、そうした無関心のバリエイションだ。実際「彼女」や「彼」「妻子ある国会議員」「元・官房長官」についても、改めて記憶を辿れば思い出せるかもしれないが、そうでもしない限り、今やバッシングしたことすら忘れていただろう。それが「殺して忘れる社会」の実相である』という。

 毎日毎日、新しい情報にさらされているうちに、私たちはその情報の元になった人達に対する関心が薄れ、数日のうちにその対象になった人について忘れ去ってしまうという、対象者への関心の薄さというものが、今日の高度情報化社会における私たちのビヘイビュアであるのかもしれない。しかし、そうした対象者(あるいは対象となった事象)への関心の薄さと同時に、私たちはそんな対象者(あるいは対象となった事象)への発言の量だけは落とさない。どころか、益々増えていくのだ。つまりは、テレビ・ワイドショー化であり、それが衆寓化である。問題はその発言の「質」なのであるが、それは問題にされない。発言の「量」だけが問題にされ、その「量」が多いほど対象者への(その時だけの)関心の高さを計る目盛りとなる。そして、数日のうちに、自分の発言すらも「忘れて」しまうのだ。そうやって、目の前の事象を次から次へとやり過ごさなければ、そのあまりの情報の量についていけない。

 その結果、民主主義は衆寓政治へとまっしぐらに進んで行き、為政者の細かな失政をことさら取り上げて大騒ぎし、超短期政権を次から次へと生み出していく。

 そんな社会なのである。今は・・・。いやでも・・・。

 

2010年12月 9日 (木)

日露戦争の写真は「死体」写真ばっかりだが、だからこそ考える意味もある

「陸軍陸地測量部」というと『剣岳 点の記』を思い浮かべるのは私だけではないだろう。そんな、「陸軍陸測量部」が本来の「測量写真」ばかりでなく」こんな写真を撮っていたというのは、考えてみれば当然のことなのだ。彼らは「陸軍」の前に「写真家」なんだからね。

『写真 日露戦争』(小沢健志編/ちくま学芸文庫/2010年11月10日刊)

 つまり、当時ではハイテクであった「写真」というものを、測量、要は地図、というものを作るために活用するのは当然である。なんか、写真ってジャーナリズムの為にできたような感じがあったのだが、そんなものは以後の以後、最初は国益のために使われたのだったな。つまり、当時はまだボックスカメラの時代である。35mmフィルムを使うライカはまだ出ていない。やはり、カメラがジャーナリズムのものになるのは35mmフィルムを使って「隠し撮り」が出来るようになってからかしら、という気にさせる「トロツキーの演説」というロバート・キャパの写真が頭にずっと残っているからかもしれない。いずれにせよ、時代はまだライカが出現せず、ウル・ライカが出現したのはこの時代から10年後の1914年のことだし、取材にまあ使えるライカⅠAは1925年、取材に普通に使えるライカⅡは1932年だから、まあ、ライカは第二次世界大戦のカメラと言えばいいのだろうか。

 で、その陸軍陸地測量部が雇った写真家たちが撮った写真は、夥しい戦死者の写真だ。壕に横たわる延々と連なる戦死体、この意味するところは・・・。

「壕の中に延々と連なる戦死体」は、つまり国対国の対称な戦いの結果である。同じ考え方の国が、特に白兵戦では要はどちらがたくさんの軍隊を出して、どちらがたくさんの死者を出すかということで、戦いの帰趨が決まったのである。なるほど、日本軍の将軍たちのほとんどが西南戦争や戊辰戦争を戦った元武士であることからも、こうした「どちらがたくさん死ぬか」という戦い方を取ったということがよく判る。現在の国対ゲリラ&テロリズムという非対称の戦争ではこうした「壕の中に延々と連なる戦死体」という光景は見られない。まだ国対国の対称的な戦争が行われていた時代の写真であるということがわかる。

 これを見て「幸せな戦争の時代」と言ってはいけないんだろうが、でもそんな気もする写真なのである。

 こうした対称的な戦争が行われていたのは、多分第二次世界大戦の頃までなのだろう。特に第二次大戦後のベトミン対フランスや解放戦線&北ベトナム対アメリカという戦争では完全に無くなってしまっていた。ところが、この戦争に対称戦のやり方で戦っていたのがアメリカ軍なのである。当然、解放戦線や北ベトナムは「卑怯」なやり方でアメリカ軍と戦う。まあ、それがゲリラ戦というものだからね。そんな「卑怯」な戦争のやり方に慣れていなかったアメリカ軍が敗戦するのは当然であり、もういやだと言って南ベトナムにまかせて勝手に撤退したのは、かなりマズい状況を作ってしまたのだけれども、それもアメリカの内政を考えればしょうもない選択でしかない。つまり、ここにもある「対外戦争は国内政治の反映」という理屈。

 所詮、戦争なんてものは「国内政治のほころび」をどうやって紡ぐかという結果に過ぎないのであって、それが対外的にキチンとした論理で説明できるものではない。そうした、説明できる戦争は、多分ゲリラ&テロリズム側の戦争だけだろう。

 という意味では、日中台韓北鮮露の間の「国対国」の戦争はまず起きないだろう、ただし、国境を巡る小競り合いはあるだろう、というのが普通の観測ではあるが、はたしてどうだろうか。

 しかし、こうした写真を「測量」の間に撮っていたというのも、当時の日本陸軍の余裕なのかもしれない。まあ、余裕を持っていた時期の方が面白いものが出来るな、ということである。

2010年12月 8日 (水)

『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』って、所詮、戦時経済じゃないの?

 高福祉・高負担って、もしかすると戦時経済政策の流れなのかもしれない。

『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』(ケンジ・シテファン・スズキ著/角川SSC新書/2010年11月25日刊)

 1979年にデンマーク国籍を獲得してすでに31年、デンマーク在住43年のスズキ氏にとっては、既にデンマークの生活が普通であり、ときたま日本に来るのは「出張」なのだから、そんな立場からみた「デンマークの生活」であるのだろう。

 中世のデンマーク史はドイツのハンザ同盟やら、スウェーデンとの国境争奪戦の歴史であった。一番大きかったのはハンザ同盟との闘争であろう。13~17世紀までバルト海沿岸の貿易を独占していたこのハンザ同盟と(つまり、ドイツとの)闘いの中で、2度にわたるバルト海沿岸での闘いに負け利権を失い、マーガレット1世の時代(14世紀)になって、ノルウェイ、スウェーデンと一緒になって、やっとハンザ同盟を潰し、バルト海における覇権を獲得したのである。

 勿論、ユトレヒト半島の付け根では常にドイツとの国境紛争は起きていたわけで、ここにもヨーロッパ特有の「国境を挟んだ国対国の紛争」が常に起きていたわけだ。まあ、ヨーロッパなんてのは、常にこうした国境緊張関係の中で生きてきた国、というわけ。

 それで、こうしたヨーロッパ諸国の税負担率をみると<1位:デンマーク 71.7%/2位:スウェーデン 64.8%/3位:アイスランド 62.8%/4位:イタリア 62.5%/5位:フランス 61.2%/6位:オーストリア 60.7%/7位:フィンランド 58.8%/8位:ノルウェー 56.4%/9位:チェコ 55.2%/10位:スペイン 53.9%/11位:ドイツ 52.4%/12位:アイルランド 50.9%/13位:オランダ 49.9%/14位:イギリス 48.3%>という具合に、14位になってやっとイギリスが出てくる状態で、基本的にヨーロッパで国境を伴にする国家が税負担率が多いのだ。

 つまり、そこから類推できるのは、こうした国境緊張関係の中にある国は常に「外敵に備えなければいけない財政を国家として行なわなければいけない」ということなのだ。勿論、外敵に備えた軍備ということも必要だろうし、経済的に優位に立って交渉をする必要もあろう。ということで、ヨーロッパの国々は「どんなことがあっても国家に財産を集めなければいけない」という状況に置かれているのだ。で、税負担が大きいのがヨーロッパ。

 アメリカが34.9%しかないというのは、それだけ国境を挟んだ対立関係がなかったということなのだろう。アメリカの場合、メキシコとカナダだけだもんね。おまけ南北戦争とか米墨戦争以外には、永らく戦争の影はなく、9.11だけがアメリカ本土における「戦闘」ということなのだ。

 ちなみに、日本は39.5%ということで、アメリカとたいした違いはない。これは2007年度の調査なのだそうなので、いまでも殆ど変わらないだろう。やはり、日本も国境を接していないということは間違いない。まあ、その辺が、国境関係で問題になるとあまり言えない政治家ばっかりになってしまう、というこの国の問題なのでしょうけれども。

 それはさておき、問題は、そうして「国家に集めた金をどう使うか」ということなのである。デンマークはそれを福祉に使ったということであろう。例えば、イタリアだったら借金の返済にあててしまっただろうし、その辺はチェコとかスペインも同じかな。いずれにせよ、別にデンマークだけが「高福祉・高負担」ではないし、デンマークが「平和国家」であるわけではないし、スウェーデンやノルウェイなんかも同じように「高福祉・高負担」だ。

 でも言っておきますけれども、「高福祉・高負担」国家が「平和国家」だとは思ってはいけないのである。要は、「高負担」を国民皆が認めているのだから、その国民が認めた政権が「これから戦争をやろう」と言ってしまえば、ドイツに戦争を仕掛けることはできるのだ。何せ、「軍隊」を持っている国だからね。つまり、集めてしまった税金をどのように使うかというのは、為政者が決めることなのだ。

 その辺が「怖いねぇ」という感覚を持つ持つ必要があるんじゃないか?

 

 

 

2010年12月 7日 (火)

『身体知』ったって、高校野球のことじゃなくて、男と女の話なのね

 内田樹氏と津田塾大疫学教授の三砂ちずる氏の対談は、基本的に内田氏リードなのかなあ。

『身体知―カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる』(内田樹・三砂ちずる著/講談社+α文庫/2010年10月20日刊)

 身体知というのは、要はアタマで言葉で覚える知識ではなくて、体で覚える知識ということ。つまり、高校野球の試合開始前によくノックをやってるでしょう。あれです。つまり、「球を取ったら一塁に投げる」「球を取ったらバックホームする」といった行動を、アタマで考える前に、まず体で覚えろっていうやつ。音楽の練習も基本的には「身体知」だし、まあ、武道(内田氏は合気道らしいが)を含めたスポーツの反復練習は基本的にはこの「身体知」のひとつの表し方なのである。

 ただし、この本ではその「身体知」を「子どもを産む女」というところに焦点を当てている部分が、我々が知っている「身体知」とはちょっとちがうところだ。つまり、女にとっては「セックス、妊娠、出産」は「身体知」であるということ。

『オニババ化する女たち』(光文社新書)で一躍有名になった三砂氏はフェミニストから激しいバッシングを受ける。しかし、所詮アングロサクソンのものにすぎないフェミニズムなんてなにが怖いことあるのだ。結局、アングロサクソン的なフェミニズムってものは、「男と女の役割っていうものは所詮後天的な役割分担にすぎず、男と女が役割分担するのは変だ」という発想である。では、女は子どもを産めるけれども、男が子どもを産むことはできない、という厳然とした事実はどうしたもんだろう。結局、結婚して子どもを産みたかった女が結婚できずにそのまま壮年化してしまい、その女が「鬼婆」化して生きていくというだけの話じゃないか。ということで、いまや「鬼婆」がどんどん増えていきそうな時代になっているのは確かなのだ。

 まあ、しかし私が読んだのはそんなところじゃなくて、『実はそういう女性としての機能をある程度ちゃんと使っていかないと、月経、セックス、妊娠、出産を通してエネルギーをきちんと発散していかないと、女性はオニババ化するのかなと思い始めたのです』という発言の前半である。つまり、女は「月経、セックス、妊娠、出産」という言わば4サイクルで人生を生きるのに対して、男は「精通、セックス」だけしかない。つまり、その後の「妊娠、出産」というサイクルはないのだ。つまり男は2サイクル。4サイクルと2サイクルでは、もともとエンジンの構造も、考え方も違うし、これは一緒の立場に立って考えることは無理なのだろう、ということなのだ。

「男と女の間には、深くて暗い川がある」というのは歌の文句だが、そんな「深くて暗い」どころか、基本的な考え方というか、生物としての存在のあり方自体が違うのだ。そんな、「男と女」がどうやって一緒に生きていけるのだろうか・・・。つまり「どちらかが、どちらに服従する」しかないのではないか。まあ、大体は男が女に服従するんだけれどもね。仮に「男尊女卑」の家があったとしても、結局は「男を持ちあげているように見せながら、実質的には家を支配している女」という構造を、実は実体としては構成しているのである。

 つまり、私は家に母親がいて、それが子どもを優しく育て、父親がいて、厳しく子どもを育てるというのが、理想なんだけれども、そのような理想通りに我が家がいけているかどうかは、う~ん。ということである。

 内田氏が言うような『「子どもと密着している母親が厳しく社会的な価値観を教え込み」「子どもに干渉しない父親が無原則に甘やかす」という逆パターンがたぶんこどもにとっての地獄なんじゃないかと思うんです。でも現代の親子って、どちらかというとその最悪のパターンのほうが多いんじゃないかな』となっている可能性もある。

 まあ、今のところ、そんなに問題行動を起こす子どももいないし、ただし、体育会活動にばっかり、というかその為に大学に入ったと思っているようなバカなガキが我が子どもです。いいのかな、これで。

 ところで、内田神戸女学院大教授は来年3月で定年退官だそうだ。その後、再び、どこかの大学教授に赴くのかどうかは知らないが、一度、面白そうな「内田教授」の講義を受けてみたいというのは、私だけだろうか。

 

2010年12月 6日 (月)

定年ですよ

 日経ヴェリタス編集部が書いたのだけれども、集英社文庫なのだ。

『定年ですよ』(日経ヴェリタス編集部編著/集英社文庫/2010年7月25日刊)

 団塊の世代の自動車会社に勤めて、今年定年退職の福沢大吉という男を主人公に、その子どもである団塊ジュニア世代の福沢秋吉、孫の福沢諭、大吉の母親の福沢千代と四代にわたる家族のマネー知識を描いた本だ。

 内容は①準備編「オレの老後、3500万円あっても破産!?」~、②年金編「年金、結局いくらもらえるの?」~、③定年世代のお金事情編「親の介護」「医療費・保険」「離婚」「家をどうする」、④税金と運用編「相続遺言書を残す」~、⑤その他もろもろ編「孫の教育費・受験費用はジイバア負担?」~

 確かに、こうした「お金」に関する知識は持った方がよいのだろう。特に、経済成長が終わった今の世の中では、お金を持っていてもそれがいつの間にか増えているなんてことがないのだから、少なくとも定年を迎えて収入がなくなる世代では、少なくとも少ないお金をどうやって維持するかということは重要になるのだ。

 とは言うものの、こうして国民皆が「お金、お金」といっている姿はどうしたものだろうか。そうしなければ自らを救えないという姿はどうしたものだろうか。本来であれば、国民自身が自らの「お金」のことなんかを考えなくとも、何とか生活できるようにするのが「国民福祉」というものであるのではないだろうか。

 なんか、国の福祉政策の貧困さが、こうした「マネー本」大盛況の原因になっているようで、それはそれで出版業界には貢献しているんだろうけれども・・・。

 

2010年12月 5日 (日)

大船ったって、松竹はもうないんだよ

 やっと、日付変更線を越えた。ふ~一安心。

 ということで、今日は松竹大船にいった。と言っても松竹大船撮影所なんてものは既にない。その昔、松竹ヌーベルバーグという大島渚、篠田正裕、吉田喜重という三人柱を抱えた、更には「寅さん」シリーズの山田洋次の松竹はもはやないのだ。大船という町は郊外の静かな町であり、海もあり、山もありそれなりに過ごしやすい静かな町だとは思うのだけれども、やはり町の中心に何があるのかというのは大きいのではないだろうか。

 練馬の大泉もやはり東映の撮影所があるというのがひとつの街のエポックにはなっているのである。それが大船には既にない。大泉には東映があり、砧の街には東宝がある。調布に行けば日活と角川(旧大映)がある。という具合に、各映画会社の撮影所は皆健在であるのに、松竹だけは撮影所がない。大船の前に既に蒲田撮影所も捨ててしまっている松竹は既に映画会社ではなくて、単なる映画配給会社でしかない。まあ、これも「合理化」の果ての姿なのであるが、何か寂しさが伴う姿である事だけは間違いない。

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 松竹なんてのはないにもかかわらず、いまだに「松竹前」というバス停とか交差点がある。やはり町としては「松竹」にこだわっているんですね。しかし、もはや松竹はここにはない。

 もう、「松竹前」なんてバス停とか交差点はやめればいいのにね。「女子大前」とか「鎌倉女子大前」とかにすればいいのだ。

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 で、要は鎌倉女子大学が松竹大船の場所を買ったんだよな。で、鎌倉女子大学の大船キャンパスになったというわけ。

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 ネコはどこにでもいる。彼らは飼い主の状況も知らずに勝手に生活を過ごすのだ。

EPSON RD1s Elmarit 28mm/Summilux 50mm (c)tsunoken

2010年12月 4日 (土)

横浜 寿町を行く

 11月15日の記事で書いた横浜中華街から根岸線を挟んで反対側には横浜寿町がる。横浜寿町と言えば、東京の浅草山谷に並び称される「ドヤ街」であり「寄せ場」と言われる。しかし、山谷はもはや高度成長時代のような建設ラッシュからは置いていかれ、いまや元建設労働者の老人と、そして外国からの貧乏人旅行者の街になっている。貧乏人旅行者と言ったって別にそれは普通の旅行者だ。赤坂とかいった場所に宿泊するようなビジネス旅の人間と違うというだけの意味しかない。

 という興味で、現在の横浜寿町はどうなのかと見に行ったのだが。

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 当然、昔のようなにぎやかさはない。しかし、簡易旅館はみなホテル・スタイルになって、外国からの客も入れるようにしている。が、あまりそういう客はいないようで、前からの日本人の、それも古い宿泊客というよりも、そのまま寿町に住んでいるような人たちばかりが目立つ街であるのだ。

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 しかし、こうした町で目立つのは老人の姿ばかりだ。何故か、老人が山谷でも寿町でも多い。彼らは忘れ去られた人たちなのだろうか。何か、忘れ去られた老人は最早社会では存在価値のないものになってしまっているように感じられてならない。高度成長時代を現場で支えた今や老人たちが、最早今の時代ではい「いらない」人間になってしまっている。というか、そんな老人を今やいなくてもいいという時代に生きている私たちってなんなのだろうか。

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 それにしても、こんな街にもハトやらネコやらは生息しているのである。なんなんだろうな、こいらの生存意識ってのは。どんなに人間が生活しづらい状況にあっても、ネコやらハトってのは生存しているのである。大変な生存意識なのである

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EPSON RD1s Elmarit 28mm/Summilux 50mm (c)tsunoken

2010年12月 3日 (金)

赤線奇譚

 うわ~い、ギリギリ12月3日に間に合ったぜ。 

 カメラマン木村聡氏の〈赤線もの〉と言えばちくま文庫の『赤線跡を行く』が記憶に残っているのだが、こうした「写真だけ」の赤線地帯の写真集を出したかったのか、というのがこの写真集を出した思いなのかというところなのだ。

『赤線奇譚』(木村聡著/ミリオン出版/2010年11月25日刊)

 撮影されている場所を列挙すると、京都・五番町、福岡・久留米、大阪・堺、新潟・十四番町、名古屋・港陽園、山口・下関、高知・玉水町、東京・鳩の街、北九州・門司、香川・丸亀、北九州・小倉、広島・福山、金沢・石坂、福岡・直方、福岡・飯塚、岡山・西中島、福岡・田川、和歌山・天王新地、青森・青森、福井・勝山、福岡・福岡、千葉・松岸、東京・向島、横浜・吉野町、東京・澁谷、横浜・弥生町、東京・芝浦、横浜・若葉町、千葉・栄町、茨城・水戸、川崎・南町、名古屋・城東園、東京・新富町、金沢・東新地、茨城・常陸多賀、東京・玉ノ井、愛媛・今治、滋賀・彦根、北海道・帯広、東京・八王子、長崎・出雲、兵庫・丹波篠山、横浜・曙町、大阪・飛田新地、北海道・小樽、広島・福山、北海道・室蘭、千葉・松戸、福島・白河、横須賀・皆ケ作、横須賀・安浦、横須賀・柏木田、名古屋・港陽園、岡山・笠岡、京都・中書島、茨城・那珂湊、新潟・山ノ下、北九州・戸畑、名古屋・八幡園、香川・善通寺、福岡・直方、名古屋・中村、福岡・山田、佐賀・唐津、東京・大井町、東京・池袋、愛媛・松山、熊本・熊本、鹿児島・鹿児島、広島・広島、愛知・豊橋、佐賀・嬉野温泉、東京・千住、川崎・南町、大分・大分、長崎・稲佐、山形・酒田、奈良・大和郡山、兵庫・尼崎、茨城・玉川村、茨城・大洗、広島・糸崎、福井・武生、北海道・苫小牧、富山・滑川、京都・宮津。

 撮影時期は1993年から2005年までの間。つまり、木村氏が『赤線跡を歩く』(ちくま文庫)を撮影し、書きながら、それでも撮影した写真を、写真だけで本にしたかったんだろうな、というのがこの本である。

 まず、目立つのは木造モルタル造りの構造で、なおかつ「タイル貼り」で「丸窓」あり、という、当時では(いまから50年位前)モダンな造りの家だっただろうな、という造りであるということ。何故か、こうした(当時では)モダンな造りの家が赤線の家としてあったということは、もしかしたら、当時はこうした「娼婦の家」が実はいまならアイドル歌手のような存在であったのかもしれない。民主的に知られたアイドルでないけれども(というか、勿論当時はメディアなんてものはなかったのと同じようなものだったのだから)そこそこには知られたアイドルとして、その娼婦がいたのかもしれない、と考えると木造モルタル造りのモダン構造もそれなりに意味のあることなのかもしれない、ということに行きつくのである。

 まあ、別に「娼婦」の存在を認めるわけではないけれどもね。

 しかし、ここでもやたら写真に写っている「猫」ってものはどういう存在なのだろうか。翻って、「犬」はそれが写っている写真は1枚しかない。猫と犬ってそんな存在でしかないのかな。

2010年12月 2日 (木)

『私のフォト・ジャーナリズム』は長倉洋海の一代記だ

 結局、一日書かない日が出来てしまった。基本的に「本」についての記事は多少まとめ書きをしてためてあるのだが、出張やら、飲み会やらが重なるとそれを徒に消費してしまい、それが尽きると「書かない日」が出来てしまうというオソマツ。ま、また今日から出直しですね。ということで・・・。

『私のフォト・ジャーナリズム』(長倉洋海著/平凡社文庫/2010年11月15日刊)

 長倉洋海の本は普通、写真集としては記事が多い写真集という体裁をとっているものが多い。多分、それは長倉自身が写真だけでは伝えられないものが多いという「焦燥感」のようなものに駆られて作った写真集のスタイルなのではないだろうか。しかし、多くの写真家の写真集はほとんど写真だけで構成されているものが多い。問題は、その写真家が写真だけで構成される写真集で自分の表現が「伝えられる」と考えているのかどうか、ということである。長倉氏は自らの「フォト・ジャーナリスト」という立場から、写真で伝えるべきは伝えるが、それだけでは伝えられないものがある、と考えるからこその「記事が多い写真集」なのだろう。

 この本でも、自身書いているように、長倉洋海といえば、エル・サルバドルとアフガニスタンのマスードである。双方とも、勿論戦争(戦場)写真も多いけれども、同時に「銃後」の写真も多いのが長倉氏の写真集の特徴である。戦争を描くというのは戦場を描くばかりでなく、戦場に行っていない人たち、戦場から返ってきた人たち、戦場にこれから赴く人たち、という戦場だけでない部分もあって戦争全体を描くことになるのだ、ということが長倉氏が長い戦争取材で分かってきたことなのであろう。

 若いころは、というか長倉氏位の年代(私も同じような年代だ)位は大体ベトナム戦争に従軍した日本人カメラマン、岡村昭彦氏や、石川文洋氏などの写真にあこがれて写真家になり戦争写真家を目指すんだけれども、その頃の戦争はベトナム戦争の頃のアメリカ軍のマスコミ対策方法とは全く違って、全く逆の方向、つまり如何にして許可されたものしか撮らないカメラマンや、広報資料しか書かない記者だけに情報を流すかという、方法論になってしまっていたのだ。

 第二次世界大戦の頃のマスコミ対策は、基本的に「自分たちの戦争はファシズムに対する民主主義の戦争だ」というのがあったので、基本的にすべてオープンだった。それが、ベトナム戦争の頃までは生きていたのだろうな。ところが、ベトナム戦争であまりにもオープンにしすぎたために、ベトナム戦争の記事・写真は逆に南ベトナム解放戦線を支援するような方向になってしまい、マスコミ対策としてはアメリカ政府の側は失敗したのだ。

 従って、その後の戦争・紛争ではアメリカ軍の報道姿勢は180度かわり、選別し、自らの言うことだけを聞くメディアだけにオープンする、日本型報道スタイル「寄らしむべからず、知らしむべからず」という反民主主義的なスタイルに変わってしまったのだ。

 そういう中で、長年戦争取材を続けてきた長倉氏の姿勢には、自分にはなかなかできないこととして、尊敬している。

 今後も、戦争取材を続けているのだろうか。もう長倉氏も58歳なのだが・・・。

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