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2010年12月15日 (水)

『ダメ情報の見分けかた』は一見よい本なんだけど、まあ、何も書いてないに等しいね

要は、今のメディア社会の中で如何に我々が生きるべきなのかということなのであるが。

『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』(荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著/NHK出版 生活人新書/2010年12月10日刊)

第1章は荻上チキ氏による、「如何にすれば我々はメディアに騙されないか」というテーマについて語り、第2章では経済政策論を主題とする飯田泰之氏による「メディアリテラシーは何故必要か」というテーマに始まり、結局それは「如何にしてメディアが届ける情報を捨てるか」という話であり、第3章では社会学を専らとする鈴木による「偏ったメディアとどうつきあうか」というテーマについての話である。

しかし、「偏向していない」「中立的な」メディアなんてものがあるのか、というとことから話を持って行けば、元々メディアなんてものは「偏向していて、どこかの党派性を持っている(右派か左派という問題ではない)」ものなのだ。であるからには、メディアの受け手はあらじめそのメディアがどういうものなのかは分かっていなければいけない、ということなのだ。

つまり、メディアの報道なんてものを信じるような人々は予めオミットした方がよいということだろう。そもそも、メディアの中立性なんてものをあたかも「所与のもの」とする発想がおかしい。そこまでメディアの存在に信頼をおいているという発想があまりにも楽観論にすぎないか?

大体が、かの『朝日新聞』が当時開戦を渋っていた軍部に対し『断固、開戦すべし」という論陣をはって日中開戦、日米開戦を煽ったのは有名な話だし、昨年の総選挙に際しても民主党有利に持ってきたのは事実である。その結果は皆さんもよく知っている通り。まあ、メディアなんてものはそんなもんですよ。

要は、たかがマスメディア、マスコミという基本的なスタンスを持って上から目線でメディアと付き合っていれば、何の問題もない。

それが、私のメディアリテラシーなんですけどね。

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