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2010年11月13日 (土)

「英語公用語」は何が問題か

 要は、英語だろうが日本語だろうが「コミュニケーション能力」が問題なのだ。

『「英語公用語」は何が問題か』(鳥飼玖美子著/角川oneテーマ21/2010年11月10日刊)

 鳥飼玖美子さんと言えば、私たちの世代にはアポロ11号の月面着陸の際の「同時通訳」でまずびっくりしたという思い出がある。とにかく「同時通訳」という、ほとんどアメリカ人が話している最中から日本語が出てくるという不思議さに驚いたのである。普通はアメリカ人がすべて話し終わってから日本語が出てくるというのが通訳というものだと思っていたところに、「ほぼ同時に言葉を訳してしまう」というのは特殊能力でしかないというところである。それが、あの可憐な人がやっているというところがまた「萌え」だったのですね。

 その鳥飼さんがいまや立派な「おばざん」になって立教大学の教授になっていたなんて知らなかった。香山リカといえこの鳥飼さんといえ、最近の立教は随分頑張っているじゃないか、と認識を改めたのでありました。

 で、問題の「会社の公用語を英語にする」ということなんだけれども、それぞれの私企業が勝手に決めることなんだから、それこそ勝手にすればよいことだし、その結果「英語を喋れる人が仕事ができる人よりも出世」したっていいじゃないか。それこそ、それがその企業のポリシーであるならそれでよい。それでその会社がダメになったって勝手にしろよ、てなことである。そんなに社会的な問題にするほどのことではない。

 要は英語だろうが日本語だろうが、コミュニケーション能力の問題であり、英語コミュニケーション能力の問題なのではない。また、どのみち我々はネイティブ・イングリッシュ・スピーカーではないのだから、そんな人間がネイティブみたいに英語を話す必要はないし、話せるわけもない。TOEICやTOEFLで何点とるかなんてことはどうでもよいことなのだ。

 問題は、日本語でのコミュニケーション能力がまずないと、それを英語にしたうえでのコミュニケーションなんてまず無理ということ。少なくとも小学校から英語を習わせたところで、それ以前の日本語教育の方が重要であるということだ。でなければ、何十年英語を習ったところで意味はない。それでなくとも、中学・高校・大学と10年間英語を習ったって喋れない人が多いのにである。

 私の場合も実は英語の学校は赤坂のバーであった。確かに10年間(浪人時代を入れれば11年間)英語を習っていたのだが、ろくに喋ることはできなかった英語である。しかし、社会人になったばかりの頃によく通っていた赤坂のバーにはその近所のホテルで宿泊していた外国人のビジネスマンが多く来ていた。そんなビジネスマンとの会話が英語の学習に役に立った。相手も酔っ払い、こちらも酔っ払いで、どちらもいい加減な英語を喋っていてコミュニケーションしていた。そんな酔っ払い英語がその後の仕事にも役に立ったのだった。要はいい加減な英語力でも度胸さえあればなんとかなるということである。

 所詮、ネイティブではないのだから、ネイティブみたいには話せない、というか話せなくても問題ない、と居直ってしまえばあとは楽チンということである。後は、相手に理解させようというこちらの姿勢と意欲だ。

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