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2010年11月19日 (金)

アンヌ・ヴィアゼムスキーを囲んだシンポジウム

 アンヌ・ヴィアゼムスキーといっても知らない人が多いと思うので、まずその人の紹介から。

 1947年生まれのアンヌ・ヴィアゼムスキーはノーベル賞作家フランソワ・モーリヤックの孫娘、作家・映画評論家・文芸評論家のクロード・モーリヤックの姪にして、ボリシェビキから逃れた亡命ロシア貴族ヴィアゼムスキー家の末裔という血筋。17歳のときにロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』で映画デビュー。ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』(1967年)に20歳で出演し同年、ゴダールと結婚(ゴダールは2回目)し『ウィークエンド』などのゴダール名義の作品やピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』などに出演した後、ゴダールとジャン=ピエール・ゴランとの匿名非商業映画制作集団(矛盾?)「ジガ・ベルトフ集団」の作品に出演、当時は彼女自身もマオイストとして活動をしていたようだが、同集団としての最終作『万事快調』に出演後ゴダールと離婚(その後、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルと3回目の結婚)。その後は、女優・小説家・ドキュメンタリー映像作家などを経験している。彼女の小説はいくつか映画化されている。

 今回は彼女の新作にして映画デビューのきっかけや『バルタザールどこへ行く』制作の舞台裏などを描いた新作小説『少女』のプロモ-ションで来日し、昨日は東大本郷キャンパスでシンポジウムを行った。実は一昨日は日仏会館で『バルタザールどこへ行く』の上映と映画評論家・四方田犬彦氏との対談があって、そちらに行きたかったのだが都合で行けず、昨日のシンポジウム『シネマトグラフからエクリチュールへ』に行ってきた。

2010_11_18_025_2 右から、ジャン=クロード・ボネ氏、アンヌ・ヴィアゼムスキー氏、堀江敏幸氏、野崎歓氏

EPSON RD1s+Summilux 50mm (c)tsunoken

 アンヌ・ヴィアゼムスキーといえば我々の世代ではまず『中国女』である。『中国女』でマオイストの、でもおしゃれなテロリスト役を演じた彼女をみて、その存在感にうならされた我々はその後実は彼女がロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』で主演を演じていたことを知り、なるほどロベール・ブレッソンらしいキャスティングである事を知るのであった。要は、できるだけ「素人」に近い俳優を主役に起用するということ。この辺は、最盛期の大島渚なんかもそうなんだけど、つまり映画というのは「お芝居」に違いないんだけれども、実は映画のカメラというものは、そんなお芝居をしている生の人間をドキュメントするものだ、という発想からきている。だったら、それは演技教育を受けている俳優が演じるのでも、まったくの素人が演じるのも同じじゃないか、ということなのである。素人が演じるということは、一種のブレヒトの「異化効果」みたいなものなのであろう。大島渚に関しては『新宿泥棒日記』とか『東京戦争戦後秘話』なんかはその方法論がうまくいった実証であろう。

 ただし、『中国女』の時のヴァゼムスキーは完全にプロの俳優であった。プロの俳優として『中国女』を演じた彼女は、しかし、当時自分自身もマオイストとして活動していたというのだから、何が何だか分からなくなってしまうが、まあ、フランスにおいては毛沢東主義は一種のファッションだったんだろうなと考えれば納得がいく。毛沢東主義といっても日本の共産同ML派から日本共産党革命左派、京浜安保共闘、連合赤軍という流れのようにはいかず、単にそれは『毛沢東語録』をかざして左翼運動をするということだけのようで、そんなの四人組の登場とともに消え去る運命だったのだ。

 まあ、『毛沢東語録』なんて読んでみるだけでそれはスターリン主義の権化みたいなことが書いてあるだけで、それを金科玉条のごとく扱いということ自体が、まさに「スターリン主義の実行」ということでしかないんだけど、何故か60年代後半に流行った。新左翼党派は毛沢東主義がスターリン主義だということはわかっていたのだけれども、何故か共産同ML派を反帝反スタの立場から排除せずに、自らの側に引き入れたというのは単なる力を増強したいがためなのか、あるいは新左翼の反スターリニズムってその程度のものだったのか。いまは分からない。

 それはいいとして、そんなヴィアゼムスキーが今や作家として活躍している。シンポジウム・テーマの「シネマトグラフからエクリチュールへ―小説家アンヌ・ヴィアゼムスキー―」というのは、単に映画女優から作家になったアンヌ・ヴィアゼムスキーというだけのことなのだが、この場合、多分ひとつには映画のことを「シネマトグラフ」と呼んで「フィルム」とか「ピクチャ」ということを拒んだロベール・ブレッソンのことを慮っているのだろうか。

『中国女』を観たとき、我々はやっぱりゴダール映画はアンナ・カリーナだよなと思ったし、アンヌ・ヴィアゼムスキーも清楚で、可憐で、知的な感じはしたけれども、しかし美人ではなかった。ゴダールはアンナ・カリーナ風美人(ちょっと頭がパーでもいい)が好きなんだと思っていたら、何でアンナ・カリーナとわかれてアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚しちゃうの? という疑問を持った。やっぱりインテリのゴダールとしてはパーな女より頭のいい、おまけに育ちも格別な女の方がいいのか、とおもったのである。もっとも、そんな他人の邪推なんてものはまったく意味はない。だって、そんなアンヌとはまたわかれて今度は同じアンヌだけど、ミエヴィルの方へ行っちゃってるんだからね。何だ、「単なる女好きか」という貴方、多分それはあたっているかも。

 で、「シネマトグラフからエクリチュール」へ戻る。つまり、アンヌは昔から表現志向はあったのだろう。それが少女時代は映画で自ら「演じる」ということにつながったのだろうし、その後の人生のなかでは「書く」ということになったのだろう。しかし、祖父はフランソワ・モーリヤックである、伯父はクロード・モーリヤックである。そんな文筆家に囲まれた自分の立場には相当のプレッシャーはあったようだ。実は、結構前から執筆は始めていたようなのだけれども、なかなか発表はできない。でも、40歳ちょっと前に、出版が決まった時に、まだ、存命であったクロード・モーリヤックと食事をしながら、なかなか本を出すということを言えずに、いやあ原稿を書いているとか、本を書いているとか言いながら悶々としてるのを見て、クロード・モーリヤックが「じゃあ、出版社を紹介してやるよ」とまで言いだしたところで、「いや、伯父さん実はガリマール出版社で私の本が出るんだけど」という話をしたんだ、という話の時のアンヌは可愛かった。もう、60歳を過ぎたオバサンなんだけど、その時だけは可愛かった。まるで『中国女』か『バルタザールどこへ行く』の時のアンヌ・ヴィアゼムスキーのように。

 で、小説『少女』については稿を改めて書きます。お楽しみに・・・でもないか

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