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2010年11月

2010年11月30日 (火)

『スティーブ・ジョブス 失敗を勝利に変える底力』と言ったって、ほめている訳ではない

 こんなタイトルがついていて、スティーブ・ジョブスを褒めたたえる本なのかと思ったら、トンでもない、ジョブス批判の書なのである。

『スティーブ・ジョブス 失敗を勝利に変える底力』(竹内一正著/PHPビジネス新書/2010年12月3日刊)



 いやあ見事なスティーブ・ジョブス批判の書である。それも、批判をしていない風を装った。

取り敢えず目次を拾ってみよう。

第1章 アップルをクビになったことは人生最大の出来事

 栄光からは簡単に転落する/成功をつかむ失敗と、失敗で終わる失敗

第2章 策士が策に溺れてどうする――戦略の失敗

 どうせ失敗するなら徹底的にやれ!/外から見える事実と見えない現実/「最強のコンピュータ」はなぜ低迷したか

第3章 感情が先走れば理は消える――人間関係の失敗

 部下はえこひいきして使い倒す/何をやっても裏目に出てしまうとき/勝てるはずの戦いを間違いで失う

第4章 豪華絢爛な商談の果てに――交渉の失敗

 カメがウサギを追い越す経営術/ヒット映画を作るのなんて、簡単だ/目の前のチャンスを見逃すな

第5章 全員の賛成なんか期待するな

 相手をその気にさせる戦術/時間とともに変化するものがある/反対者がいるから成功の可能性がある

 とまあ、「戦略」「人間関係」「交渉」の3局面における失敗をあげつらっていて、そして、各章およびいくつかの項の後ろには「ジョブスの失敗から学ぶ教訓」という項目がある。いかにもですね。

 著者の竹内氏は松下電器産業(現在のパナソニック)でVHSの研究をしていたそうだ。ベータマックスよりも性能的に劣っていたVHSだが、それでもベータマックスに勝ったVHSである。ビジネスにおける勝ち方はそれなりに知っているのだろう。だからこそのジョブス批判である。

 その後、アップルコンピュータに移りマーケティングに携わった経験もある。竹内氏が在籍していた頃のアップルコンピュータにジョブスがいたのかどうかは分からないが、とにかく何かすごい人がジョブスを語っているのである。

 そして、最終章の最終項のタイトルが「iPhoneはMac化するか」というのである。つまり『アップルのiPhoneは、かつてのマッキントッシュと似ている。今後アンドロイド携帯との価格競争が激化していけば、iPhoneは不利な状況に立たされるかも知れない。仮にiPhoneが高価格で少ないシェアを持つ携帯電話となってしまえば、まさにマッキントッシュのトラウマが再現してしまうことになる。これがマック化ということである』ということなのだし、それはもうすぐそこまでやって来ている危機ということなのである。

 やはり、スティーブ・ジョブスは批判するに足る人物なのだろう。

2010年11月29日 (月)

『嗚呼 愛しき自転車乗り』といっても坂バカになんかならないぞ

 ドロンジョーヌ恩田という美人漫画家の自転車本はいろいろな「あるある話」満載の面白本だ。

『嗚呼 愛しき自転車乗り』(イラスト&文:ドロンジョーヌ恩田/枻出版/2009年8月1日刊)

 例えば「競争心が抑えられない」なんて、例えば道をロードバイクで走っていて、いつの間にか他のロード乗りとの競争状態になってしまったり、「いつもよりフレンドリーになってしま」ったり、「なぜかいつも向かい風」になっていて不思議になったり、「距離感がおかしくな」ってしまったり、「個性的な日焼け」は当たり前だし、「天気ホリック」になるのは普通だし、「TVに自転車が出ていると食いつく」し、「サドルを少し高くしたくなる」のは当然だし、「もしも自転車で走っていたら、の想像」をしながら山道を自動車で走ったり、つまり「ここの傾斜は何%かな」なんてことを考えながら運転することなんだけども、「無意識のうちに(でもないけど)(チンコの)ポジションを直」したりするし、「何かの音楽がアタマの中を流れる」し、「オールスポーツの写真に凹」んだこともある。

 まあ、自転車乗りなら凡そ思いつくことばっかり書いてある。しかし、だからと言ってその何が面白いのか。まあ確かに、「うんうん、そうそう」という話ばかりなのであるが、それは自転車乗りにとっては、まあ皆「普通」「日常」の話なのだ。自転車乗りじゃない人が読めば、「まあ、自転車乗りってバカばっかりじゃない」という面白さはあるだろうが・・・。つまり、これらの話は自転車雑誌『バイシクルクラブ』(略称『バイクラ』バイアグラではない)に掲載されるより、一般雑誌に「自転車乗りのおバカな日常」とでも題して掲載された方が面白いのじゃないか、ということである。でも、こんなバカ話は自転車雑誌じゃないと掲載されないか・・・。

 しかし、このドロンジョーヌ恩田さんもやはり「坂バカ」なのでありました。『坂道は、その負荷、体が頑張っている感じ、心拍数の増加といった身体的快感を伴うし、移り変わる景色も楽しめます』だそうである。え~、私はそんなの楽しめないよ~。勿論『山の楽しみとして忘れちゃならないのは、なんと言っても「下り坂の気持ちよさ」ですね』とドロンジョーヌも分かってはいるのだ。私なんかは、如何にしてこの後半の「下り坂」だけを走れないかと考えているのだが、しかし『坂道は苦しい上りだけじゃない 時には優しく助けてくれる』(ビデオ版『逮捕しちゃうぞ』主題歌『100mphの勇気』横山武:作詞)ということは分かってはいるのだ、分かってはいるのだけれども、でも「上りはイヤ」なのである。

 でもやはり「下り」を走るためには「上り」も走らなければならないことは分かってるから龍勢ヒルクライム、ツールド草津、枝折峠ヒルクライムなんかのヒルクライムレースにも出た。しかし、それらはツラい、ツラい、上りはやっぱり嫌だな、となってしまうのである。おまけに、龍勢ヒルクライムではレース終了後に胸椎骨折なんてのもやってしまったし・・・グスン。でも、自転車が無事で良かった。という話もこの本に載ってるけどもね。

 で、当然平地のレース、ひたちなか市の運転安全センターの一周数キロのオーバルコースで行なわれたレースとか、富士スピードウェイやツインリンクもてぎなんかのエンデューロレースの方が出て良かった。エンデューロは結構OKなんです。とは言っても、富士スピードウェイも最終コーナーへと上る斜面とか、もてぎも裏のヘアピンに上る斜面とかあって、数周すると結構これがキツい上りになるのだな。でも、ひたちなかなんかはやはり単調で面白くないし。でも、私は単調だろうが何だろうが、あまり上りのない平坦コースの方が好きだ。

 つまり、私は「坂バカ」が理解できない自転車乗りなのであります。これは自転車乗りとしては風上にもおけない奴、なんだろうか。

2010年11月28日 (日)

ラクロス大学選手権を見に行く

 ラクロスの大学選手権を江戸川競技場まで見に行った。

 女子は関東代表:日本体育大学vs.関西代表:同志社大学。男子は関東代表:早稲田大学vs.関西代表:京都大学。

2010_11_28_021_2 女子ラクロスは巻きスカートなんか履いちゃって一見お上品に見えるが、実際にはそんなもんじゃない。こちらは、日体大の勝ち。

2010_11_28_085_2 男子は、まあこんな感じ。高校野球経験者が多いようで、投球スタイルとかバッティング・スタイルがラクロス・スタイルにも出るようです。こちらは早稲田の勝ち。

 ラクロスという競技は、もともと北米先住民族の若者の「たしなみ」として行なわれていたものだそうだ。多分、成人前の(って幾つか分からないが)若者に闘争心を養うために行なわれていた「スポーツ」なんんだろう。本来は部族間の闘いの為の訓練をこうしたスポーツで行なっていたんだろうな。という気がする。

 そのラクロスがスポーツとして広まってきて、いよいよプロ化するということになったのが1999年のアメリカでのこと。つまり、アメリカでもプロリーグが出来てまだ11年しか経っていない「マイナースポーツ」だということ。しかし、日本では25,000人位のラクロス人口(その大半が大学生)がいるそうで、まあそれでもマイナーであることはあるのだが、大学生の間ではそれなりに知られたスポーツではあるようだ。

 しかし、今年でラクロス大学選手権は第2回目という歴史の浅さ。勿論、関東選手権とか、関西選手権は以前から行なわれていたたようなのだが、まあ、日本選手権はまあそんなところ。

 しかも、日本では女子ラクロスが先に発展したようであり、女子の試合では江戸川競技場も満杯になったのに、男子の試合では8分目位の観客の入りではありました。確かに、9月に行なわれた開会式に行った時にも、女子の大学チームの方が男子の大学チームよりは多かったような気が・・・。

 おまけに女子ラクロスは巻きスカートが基本スタイルのようで、それはまあ優雅という言い方もできるかな(言わなくてもいいけど)。ただし、女子ラクロスはクロスという(要は)棒で相手をたたいちゃいかん、とか体と体のコンタクトについての厳しい規制があるためか、なんとなく競技をみていても、ちょっとのんびりしていてあまり心配しないで見ていられる。

2010_11_28_138_2 敵味方入り乱れて、要はゴチャゴチャ。まあ、チャンバラ・ゴッコだよね。

Nikon D100+Tamron 200-500zoom (c)tsunoken

 一方、男子ラクロスはもうチャンバラ状態である。で、女子はゴーリー(サッカーでいうゴール・キーパー)以外はヘルメットとかプロテクターなんかは付けていないのだが、男子は皆、ヘルメットとプロテクター必須である。

 しかし、こんなにすごい男子ラクロスを見ていながら、試合はすごいんだけれども、選手を見ると何となく「チャラい」感じがするのです。それは何故だろう。

 まあ、多分、みな高校までは野球なんかをやってきていた連中なのだろう。しかし、大学に入って野球をやってレギュラーになるには、ほとんど「スポーツ推薦」を受けなきゃだめだろう。で、そんな方法で大学に入れず普通に入試で入った連中が、ガチで根性勝負になるアメフトやラグビー、サッカーに行くか、あるいはお気楽テニサー(テニスサークル)に行くか、となった時にどちらにも行く気になれない連中が行くのが「体育会系ラクロス部」なのだと言う発想もあるようだ。まあ、そんな中間的な発想の「運動部」がラクロス部のようなのだ。

 とにかく、男の子も、女の子も、皆同じような白と紺色のウィンドブレーカーを着て、紺かグレーのジャージーのズボンを履いたスタイルで、でっかいカバンを持っているというスタイルであって、まあ、やはりスタイルから入っているんだなという感じはよくわかる。

 まあ、こんなラクロスがメジャー・スポーツになる日なんて来るんだろうか。う~ん。

 あれだけ関西学生フットボールが頑張っても、関西ではどうなのかもしれないが、未だマイナーだもんな。だって阪神タイガースより関西大学カイザースの方が人気があるという話は聞かないもんな。大学日本一を決める甲子園ボウルもNHK BS-1だし。大学日本一とクラブチーム日本一の対決である、ライス・ボウルだけは地上波(NHK教育)で放送するみたいだけど。

旧中山道 板橋宿 を旅する

 何て言葉も乾かないうちから、手抜き写真ブログでごめんなさい。明日は、ちょっと軽い本の紹介をしますので。

 で、今日行ったのは旧中山道板橋宿である。

 旧江戸五街道の中で、今こうした旧道が残っているのは四街道、東海道の品川宿が京浜急行の北品川駅から大森海岸駅辺りまでの旧東海道まで残っていて、品川宿の雰囲気はないが史跡何かが残っているし、日光街道・奥州街道の北千住宿は隅田川から荒川放水路までの旧道が残っていて、名倉医院なんてのまでが現存するのだし、ここ中山道も本郷追分から本蓮沼あたりまで、旧道が残っている。ただ、残念なのは甲州街道だけは今の新宿通りがどうも旧街道なのだそうで、ということは旧街道は今はないということなのだ。う~ん、残念だなあ。

2010_11_27_099_2 ということで、旧道の旅、出発である。

2010_11_27_009_2 入り口は巣鴨地蔵通り商店街から。本当はここの奥にある「とげぬき地蔵」ではなく、江戸六地蔵のある手前のお寺が本来なのだけれども、そんなこと誰が知っているのかな。

2010_11_27_004_2 こっちが、本当のお地蔵さん。ま、別に「とげぬき地蔵」は偽物だとは言いませんが。

2010_11_27_024_2 で、こちらが「とげぬき地蔵」の高岩寺。

2010_11_27_030_2 おばあちゃんの原宿だけあって、こんな店が多いのだが。入っているのはおばあちゃんだけではないですね。

 で、ここまでは板橋宿ではない。埼京線の板橋駅辺りから旧板橋宿は始まる。つまり、板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿の三つの宿場からなっていて、この平尾宿が一番江戸から近い宿場ということになる。

2010_11_27_052_2 ということで、平尾宿の紹介。

2010_11_27_059_2 ここからが仲宿。描かれている絵は板橋警察で、左の道が川越街道、右の道が中山道だそうである。

2010_11_27_065_2 板橋宿の案内。

 しかし、この先の方に「板橋区加賀」という地名があり、つまり加賀藩の下屋敷と田んぼ・畑があったそうだ。そういえば、本郷追分のある本郷近辺というか今の東大本郷キャンパスは元々加賀藩邸だったわけで、やはり中山道を参勤交代の道として使っていた加賀前田家は、やはり中山道近辺が親しみやすかったのかな。

2010_11_27_076_2 別にどうということもない写真。石碑の前にいるクソ生意気な猫が面白くて撮っただけの写真です。

2010_11_27_081_2 もう皆さん良く知っている「板橋」の名前の理由になった、石神井川の橋。勿論、今は石の橋ですが、なんか無理して木造風に作っているのがおかしい。

2010_11_27_109_2 で、板橋区清水町で旧中山道は終わり。もしかすると、この曲がり方からすると、首都高速の行く方向に旧中山道も行くのかしら、と思わせるのだが、そうじなると戸田橋方向から全く異なった方向に行ってしまう。まあ、やっぱりここからは国道17号線方向に合流するんだろうな。

EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

 ということで、旧中山道の旅は、今回は終わる。

 次回は群馬県の倉賀野宿あたりを取材しようと思っている。これがなかなかいいんですよ。昔の「うだつ」なんてのもあったりしてね。

2010年11月27日 (土)

一年間のご愛読に感謝、今後もよろしく

 昨年の11月27日から始めたこのブログ。今日でちょうど一年目になります。その間、記事数295本、本の紹介177作、映画の紹介37作、写真展の紹介16回、その他の記事83本。

 何とか、毎日記事をUP。毎日本を一冊づつ紹介するという思いは果たせなかったけれども、でも最近は毎日記事をUPという目標だけは何とかなっている感じ。毎日本を一冊づつという目標は仕事をしている現状から言えば、まあちょっと無理、ということで、週末は写真記事なんかでごまかして日にちを稼いで、その間に本を読むと言う感じです。

 取り敢えず、2年目に突入する今日、2年目にはその目標に如何にして近づけるかなという挑戦をするしかないというところです。年間365本の記事、300冊程度の本の紹介、50作位の映画の紹介、というのが2年目の目標。なんとか、それに近づけるように頑張るつもりです。

 ご期待ください。

 ということで、この記事と何の関係もない写真でごまかすつもり。

2010_10_24_062_2 何の関係もないけど、今年の宇都宮のジャパンカップ。

2010_10_24_043_2 これも何の関係もないけど、ジャパンカップでの「マトリックス」なヒト。どこかのチーム関係者らしい。

 

なにもない旅 なにもしない旅

 何もない旅、何もしない旅というのはあり得ないのだが・・・。

『なにもない旅 なにもしない旅』(雨宮処凛/光文社知恵の森文庫/2010年9月20日刊)

 取り敢えず、行った場所を目次に従って書くと「寸又峡温泉」「高知」「韓国」「国会議事堂」「立石・亀戸・川崎・鶴見」「湯西川温泉」「三浦半島」「草加・御徒町・上野・秋葉原」「苫小牧」「木更津」「網代鉱泉」「阿字ヶ浦」である。

 雨宮処凛って「反貧困運動」とか「プレカリアート運動」の人かと思っていたのだが、実はまあ普通の作家だったのだな、ということを思い出した。つまり普通のゴスロリ作家。ゴシックロリータ作家。って普通じゃないか。しかし、いつもいつも「反貧困」とか言っている訳ではないのだろうから、ごく普通の「女の子」としてごく普通の旅をしてもいいのである。

 が、しかしこの作家の旅はつげ義春氏の『貧困旅行記』に魅かれるのである。要は、貧乏でお金もないのに旅行に出てしまうという訳の分からなさがその魅力なのかもしれない。作家(漫画家もそうだけど)というのは、旅によってその創作意欲がわきたてられるということもあるのだろう。旅をすることによって新たな刺激をもらって、それを創作の方に向けると言うことである。しかし、こんな雨宮処凛のような旅からは創作意欲なんてものは出てこないだろう。でも、そんなひどい旅行経験から創作意欲を創出するというのも作家としてはたいしたもんだろう。まあ、じゃあ、その作品が面白いかと言ってしまったら、う~んというもんだけどね。

 まあ、要はこの作品は面白くないということなのだ。雨宮処凛がいろんな場所に行って、それぞれの場所で色々な体験をするということは面白いと思うのだけれども、別に、そこで面白い体験も何もないしっていうのは、読者としては面白くないでしょ。この本で一番面白かったのはやっぱり「韓国」なのだ。要は、やはり目的があって行く旅行でその目的が微妙にズレてくるというのが、実は旅行記としては面白いのだ。その意味で、本来の「旅行記」として面白いのは「韓国」だけってこと。その他の旅は、まあ、お約束の「侘しさ」と「寂しさ」としか思えない。

 まあ、そんな「旅」なんでしょうね。ま、『宝石』編集部の企画力のなさに思いをよせるのであります。

2010年11月26日 (金)

路上の全共闘1968

 10月26日のブログ「『全学連と全共闘』ったって、一緒にはできないのである」について、著者自らのコメントがついたので興味を持って購入した。

『路上の全共闘1968』(三橋俊明著/河出ブックス/2010年6月10日刊)

1、全理事は総退陣せよ

2、経理を全面公開せよ

3、検閲制度を撤回せよ

4、集会の自由を認めよ

5、不当処分を白紙撤回せよ

 というのは何だか知っていますか? それは「日大闘争」の要求項目なのだ。もともと、大学当局(古田重二良理事長)の不正経理の発覚から起こった日大闘争である。だから、一番目と二番目の要求項目は当然であろう。しかし、三つめと四つ目はいかにも日大闘争らしい要求項目である。「えっ? 今どき検閲制度? 集会の自由?」という発想は自然である。しかし、そんなプリミティブな要求が出るような日大闘争だったということは、確認しておく必要があるだろう。そう、大学として本来許されるはずの自由な討論とか、自由な言論、自由な集まりなどすべてが禁止されていた大学があったのだ。それも、日本で最大の大学で。つまり、ここが東大闘争と違ったところで、東大はそんな基本的な学生の権利は認められたうえでの闘いであり、なおかつ日本の最高学府での闘いであったということだ。従って、東大闘争はまず自らのそんな最高学府にいる学生という立場を自己否定しないと闘えないという、まさに三橋氏が書く通り,東大及び東大生とは『小、中、高校とお勉強に主体化し、教師の言いつけを守り、隣人を蹴落として優等生として生きてきてしまったというのだから、その鈍さは計り知れない。併せてその道のりが、帝国主義への道を歩む日本国が最も望んでいる、お国の役に立つ人物像への足跡だったというのだから、どうにも始末に悪い』存在なのだ。

 それに比較すれば日大闘争は明確だった。要は『できのよい子は東大に進学して大学教授や政治家や経営者となり、できの悪い子は例えば日大に進んで中間的な労働者への道を歩まされることになっていた』日大生の闘いは単純に、下の階級からの階級闘争だったと言えるのである。日大のマンモス化はそんな中間労働者と零細企業・中小企業の経営者を大量に育てる為の目的に合致していたのである。

『日大闘争とは、大学に諸々を要求した民主化運動ではなく、バリケードを構築して日大全共闘がその場所を自ら治める「直接自治運動」として経験されていった』と書く通り、勿論、諸要求はあるのではあるけれども、それはきっかけにすぎず大事なのはこの「直接自治」というものが可能であるということの証明なのだろう。まさに、大学自治会という戦後民主主義の象徴であるものがなく、従って全学連なんてものとは縁のない日大らしい闘いなのである。まさに「歴史の不均等発展」の象徴のような出来事なのである。

 代理民主主義である戦後民主主義を乗り越えて、直接民主主義の可能性を僅かながらでも知ることになった日大の学生たちは幸せである。しかし、その後の日大はまたもとのような世界に戻ってしまった。勿論、三橋氏がいたころのようなむき出しの圧政はなく多少はマイルドな形にはなっているけれども、それは却ってことをややこしくしている。実は昔とは何にも変わっていない日大の姿がそこにはあるのだ。それに対する「責任」というものは三橋氏ら日大全共闘の人たちにはあるのだろうか、ないのだろうか。

 難しい問題だ。

 で最後に、日大の法学部、経済学部、理工学部というのはキャンパスがない学部なのだ。つまり、大学は街中のビルだけという有様。だから、「路上の全共闘」になってしまうのだな。ということではあった。

 

 

 

2010年11月25日 (木)

『デジタル脳』が日本を救う

 どうもこういう楽天的な発想といものは、どうしたもんだろうという気になってくる。というか、なんかデジタル推進者の発想ってこういうプラス思考の方向しかないんだよね。まあ、それもいいんだけれども・・・。

『『デジタル脳』が日本を救う』(安西祐一郎著/講談社/2010年11月25日刊)

 確かに、これからの日本を支えて行くのは1980年以降に生まれたいわゆる「デジタル世代」であろう。それは間違っていない。いやでもそれ以前に生まれた、特に1950年代までの生まれの「戦後世代」は消えゆく立場であるし、1960年代から1970年代までの「バブルを知っている世代」がそうしたデジタル世代を領導し、あるいは教育していかなければいけない世代であろう。世代論的にはそうなる。

 そうすると、本書のあとがきにもあるように『一つは。閉鎖社会と化した日本を救い、新しい「世界の中の日本」を生み出していく中心になるのは、アナログ電話機と米ソの冷戦構造のもとで生きてきた大人たちの世代ではなく、デジタル革命と世界のグローバル化・多極化の中に生まれ育ってきた若者たち――この本で言う「ネット世代」――だということです。もうひとつの結論は、大人の世代には、若い世代の立場を十分理解し、彼らが世界の潮流を泳ぎ切る力をつける新しい教育の場をつくる責任があるということです。』というのはよくわかる。もう、我々(1951年生まれ)には自分のこれまでの経験を生かせる場面はないのだから、もう若い世代に立場を譲って、その彼らがいきいきと動ける方法を考えろよ、ということなのだろう。それは事実である。

 しかし、問題はその「若い世代」の問題である。その「若い世代」が今のまま「嫌米、嫌中、嫌韓」で、「内向き」のままでいいんだろうか。彼らは我々の世代と違って、「アメリカ、中国、韓国」に対してそんなに偏見をもたない筈である。それが、なぜ、我々(オヤジ世代)以上に偏見を持っているのだろうか。おまけにあまり海外に出かけたくないという人たちが多いと聞く。確かに、海外にでなくても海外情報は日本にいても十分得ることが出来る。でも、それはあくまでもメディアを通じた情報でしかなく、自分自身が経験して得るものではない。

 本来は安西氏にすればこういう「嫌米、嫌中、嫌韓」という感覚はないはずなんだけれども、でも実はあるんだよねっていうのはどうするんだろうか。日本に対する(国家)意識が高まれば高まるほど、高揚するこの「嫌米、嫌中、嫌韓」って何なのでしょう。まるで、戦前の国家主義者たちみたいですね。

 もうひとつ言うと、彼らがいう「情報」というのも考える必要がある。実はその情報なるものは、所詮「日本語」に翻訳された情報でしかないということである。なんで、インターネットで海外と直にネットワークが出来ているにもかかわらず、「日本語」の情報しか受けないのであろうか。インターネットの世界では基本的にすべての会話は「英語」なのである。だからこそ、安西氏は「英語力」というのを問題にしているのであろうが。しかし、事実はインーネットに親しんでいる若者たちも、実はその親しんでいるサイトは日本語に翻訳されたサイトだけなのだ。実は今の若者の英語力はとてつもないほどに落ちれいるのだ。とてもじゃないが中学・高校・大学で10年も勉強した人間とは思えない位の「ていたらく」である。

 まあ、取り敢えず貧乏かもしれないが、日本にいる以上は何とか食っていけるかもしれないし、だったら何も言葉もわからない外国に行って生活しようなんてことを考えない若者が増えてもしょうがないのか。

 まあ、安西先生が頑張ってもいいけど、それは実現は難しいのでは? と思うのだ。

「じゃあ、日本はもっともっと落ちるだけなのか?」

「うん、そうかも知れない。」

「で、解決方法はあるのか?」

「もぅ、鎖国でしょ。」

 ということになるのだった。

 別に、開国しなくてもいいじゃん。この国を捨てる人が出てくるだけですよ。そういう人だけ開国して、勝手に外国にでも何でも行っちゃえばいいのである。

 

2010年11月24日 (水)

武蔵小山商店街から戸越銀座へ

 今日はちょっと手抜きして、写真だけのブログです。

 武蔵小山商店街から戸越銀座へ歩く。戸越銀座の方は何度も行ったことがあるが、武蔵小山は行ったことがなかった。大きな商店街だというので、最近は雑誌の特集なんかでも取り上げられているが、どんなところかなという興味から行ってみたのだが。

2010_11_21_004_2 武蔵小山商店街入り口。正面がアーケードの入り口になっている。

2010_11_21_008_2 大きな商店街のように見えるけれども、アーケドは1km弱、これだったら十条商店街の方がずっと規模が大きい。

2010_11_21_006_2 武蔵小山商店街を外れると昼間っからお酒が飲める飲み屋街が突然現れる。

2010_11_21_021_2 で、視線は当然こうした中古写真機店(ではなくて本当は普通の写真屋さんなのだが、中古写真機も売っているというだけのことだが)の方に何故か引き寄せられる。置いてある機材は国産の一眼レフと二眼レフが多い。それとオリンパス・ペンにニコンのスーパー8がある。ライカなんかはないところが武蔵小山なのかなぁ、というところ。でも、普通の写真屋さんの割には中古機材が多い。武蔵小山周辺にはこうした良い趣味をもっていた人が多く住んでいたのかな。その遺産がカメラ屋さんに売りに出されたとか・・・。まあ、売っても国産の一眼レフやら二眼レフなんて二束三文なんだけれども。一眼レフでまともな値段で売れるのはニコンF位なもんだろう。これもライカと同じクラシックカメラという範疇でね。F2以降は実用機という考え方から、もうぜんぜん。

2010_11_21_030_2 武蔵小山商店街の出口からすぐのところには、もう戸越銀座の入り口が控えていて、ふたつの商店街がつながっている。武蔵小山商店街と戸越銀座がこんなに近いとは思わなかった。

2010_11_21_039_2 つまり、ふたつの商店街が一緒になって大きな規模の商店街を形成しているということなのだな。ただし、戸越銀座にはカメラ店はない。

EPSON RD1s+Elmarit 28mm モノクロモードで撮影 (c)tsunoken

2010年11月23日 (火)

1970年、二十歳の憧憬

 昨日の記事で書いたハービー山口の、まだプロの写真家になる前の学生時代の習作写真集である。

『1970年、二十歳の憧憬』(ハービー山口著/求龍堂/2010年)

 昨日書いたハービー山口が20歳の時に付き合っていたという14歳の中学生の女の子も写っている。公園らしきところでバレーボールをやっている少女は、写真が写るにつれて少しずつ成長し、数ページあとの写真は多少大人びてきている。多分、最初の公園での写真はまだ小学生か中学に入ったばかりの頃であろう。それが数ページあとでは中学の3年生あるいは高校生くらいの感じか。硬い感じを残した多少大人びた少女の写真には、その付き合った時間というものが写っている。

 その他の写真も概ね撮影順に掲載されているのだろうか、はじめの方は高校生のハービー山口が友達を撮影したような感じの写真があり、大学に入学して写真部に所属するハービーがやはり大学の学友たちを撮影した写真があり、そして沖縄の写真、学生運動の写真があり、そしてテーマを見つけて撮影したような、少年少女を写したもの、老婆たちを写したものなどが順番に出てくる。

 それらの写真に、40年前の自らの記憶を思い起こさせる懐かしさを感じるのも良いし、あるいはそこにハービーの育ってきた歴史を見るのも良い。

 私よりも1歳年上のハービーの育ってきた歴史は大体私と似たり寄ったりのようだ。東京の大田区という下町に生まれ育ったハービーと、足立区という場末に育った私とでは似たような育ち方をしたのかな。ただし、私の場合はハービーのような重い病の経験はなく、殆ど健康な育ち方をした。ただし、親がハービーのような商社員ではなかたっため、ハービーが父親から受けた薫陶は私の場合はなかった。

 小学生で絵画を習ったり、写真クラブに所属していた私は、大学生になり映画という面白い存在に出会い、自らアルバイトした金でボレックスという16mmカメラを購入して、ドキュメンタリーフィルムを多く撮影していた。まだ麹町にあった日本テレビでバイトをしていた頃である。考えてみれば、小学生のときの写真撮影の記憶が映画へと向かったのかもしれない。したがって、映画を観ることよりも自ら制作することのほうへ向かった。それが現在の写真趣味になっているのだろう。しかし、スチール写真はいいな。こうやって習作時代の本ができるのだから。映画じゃそうはいかない。というか今や映画なんか見ることができなくなってしまっている。もう、テレシネをしてDVDにでもしないとなあ。

 ということで、スチール写真をずっとやってきた奴はいいなあ、ということである。基本的にスチールは写真家ひとりでできる世界だ。しかし、同じ写真を使う物であっても映画は同じにはできない。ドキュメンタリーフィルムであっても映画にはシナリオがある。というよりも、スチールだってシナリオはあるのだが、その存在はあまり多くを語らない。どちらかというと、行ってそのままを撮るのがドキュメンタリーフォトのように思われている。しかし、そうではなくて、あらかじめ決定されたシナリオに沿ってドキュメンタリーフォトも撮影されているのが実際なのである。当然、写真家の頭の中には、自分が撮る写真の内容をどのような方向に向けて写すのかということは十分わかって撮影しているのである。それが「プロ」としての写真の撮り方である。

 そんな、アプリオリの方法論なんかないところが、この写真集の良いところだ。取り敢えず、なんでもいいから撮ってしまえというやり方。このころのハービー山口(多分、まだハービーという名前を名乗っていなかったのだろうが)の方法論がそのやり方である。それはそれでO。

 気になるのは、最初の方で撮影している少女についてなのだ。その後、ハービー山口と少女はどうなったんだろうなぁ。

 

 

 

 

2010年11月22日 (月)

『僕の虹、君の星』という名の「性」の匂いのしない写真

 ハービー山口は写真家ではあるが、エッセイについても類まれなる才能をもっている。

『僕の虹、君の星』(ハービー山口著/マーブルトロン/2010年8月30日刊)

 もともとは表紙の写真に魅かれて買った本である。「Bright Morning」と題されたその写真は、パンツひとつとソックスだけ履いたやせぎすの少女のヌードの後ろ姿と、それをソファに座って眩しそうに眺めている上半身裸で猫を抱えている男の子の写真である。多分、このふたりは姉と弟ではないだろうか。恋人というような「性」を感じさせる写真ではない。これは、ハービー山口の写真の特徴なのであるが、女性写真も多い山口なのであるが、この写真のように「性」を感じさせるものはないのだ。

 これは山口が若いころ患っていたという、腰椎カリエスという難病との関連もあるのだろうか。難病に悩み、一時は登校拒否までした山口が辿り着いたのは写真という世界だった。その写真の世界でも、すぐにはそれで生計を立てることはかなわず、イギリスに旅立ち、そこで10年間という時を過ごす中で、結局ハービー山口が辿り着いたのは「性」の匂いのしない女性たちだった。いずれにせよこの「性」の匂いのしない写真というのは、要は「生」の匂いのしない写真ということだ。しかし、だからといってそれは「死」の匂いもしない。ここが微妙なところである。「生」の匂いもしないし、「死」の匂いもしないということは、要はそれは「生死の境い目」にある写真ということなのだろうか。

 この「エッセイ集+写真集」にも少女との淡い恋が描かれている。しかし、山口が大学2年生、相手の少女はまだ14歳の中学3年生である。まだまだ「性」を描くには早すぎるその恋の行方は、結局なんとなくなくなってしまい、それは破局というのでもなかったようだ。まあ、よくあるなんとなく、なくなった恋である。この少女との間に「性」の関係があったらどうだったのだろうか、と考えてもあまり意味のないことだろう。過ぎ去ったことに対して「もしも」というのはあまり意味のあることではないかもしれない。

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      この写真が表紙。 (c)ハービー山口

 そんなわけで女性写真の多い(というか男性写真家である以上、女性写真が多いのはまあ、無理のないことなのだけれども)ハービー山口ではあるけれども、そんな「性」の匂いの少ない写真群をみていると、これは藤代冥砂というとにかくすべての女性に「性」の匂いをかぎ取ってしまう写真家との対比が面白い。

 写真を見て、そんな感じを感じとれるということも面白いと思うが、それだけ写真というものは、写し取っている人間の感性をその写真の中に写してしまうものである、ということに面白さを感じる。

0911081 こういうのとは大いに違うのだ

EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

 

2010年11月21日 (日)

原宿 渋谷 街角のオブジェ

 知り合いの絵画展を観に原宿までいった。

 auのレディ・ガガの写真を見ながら、こういう飾り方をするとなんかオブジェっぽく見えるな。

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 と思っていたら、まさにオブジェであるところの建物があった。ギャラリーや飲食店が入っている古いアパートのようなのだが、完全にオブジェとして再生している。

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 で、その後渋谷へ行って街を歩いていると、街角にこんなものがおいてある。

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 別にオブジェとして置いてあるわけでもないだろうけれども、なんかこう言う置き方をするとオブジェっぽく見える。ビルの一角にこんな「窪み」のようなものがあるのが、またわざとらしく、横に置いてあるジュースの空き箱やら、写っていないけれどもペンキ缶とかグミの空き袋なんかが置いてあって、どう考えてもこりゃオブジェだろう、と思えるのだが・・・どうなんだろう。

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2010_11_20_041_2 ま、これらはオブジェじゃないですけれども、モノの写真ばっかりだったので、ちょっと人の雰囲気があるものをと思って・・・。私自身はどちらかというと「人間」派の写真家(でもないけどね)なのです。勿論、まだどこにも写真を発表していない「素人写真家」=<単なるカメラ好きのオヤジ>でしかないのかも知れないが、まあでも基本的には「人が写っていないと面白くない」タイプの写真を撮っている。

 まあこんなもんでしょう、という木村伊兵衛氏の言葉が聞こえてきそうだな。

EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

2010年11月20日 (土)

少女はどのようにして大人の女になるのか

 で、昨日のシンポジウムに引き続き、今日はその本体たる小説について書きます。 

 要は、「少女はどのようにして大人の女になるのか」という話である。

『少女』(アンヌ・ヴィアゼムスキー著/國分俊宏訳/白水社/2010年10月30日刊)

 前作『ジャンヌ・ダルク裁判』で主演をしたフロランス・ドゥレに紹介されてロベール・ブレッソンに引き合わせられた無名の(?)高校生の少女はフロランスの予言通りブレッソンに気に入られ、次作『バルタザールどこへ行く』の主役の座をつかむ。本作の主役の少女、アンヌ・ヴィアゼムスキーはそんな形で映画作りの現場に初めて足を踏み入れて、ブレッソンの特異な映画作りの中で、大人の女になって、職業俳優になるのだ。

 しかし、少女はどのようにして大人の女になっていくのか。

 淡い恋心を抱いた青年との一夜のアバンチュールによって処女を失い、そして青年の裏切りに合うことを通じてだろうか。あるいは、老ブレッソンから恋にも似た想いを寄せられ、さまざまな身体接触を試みられることを拒み続け、そして最後にはそうした身体接触を受け容れられるようになることからだろうか。撮影現場で唯一アンヌに優しく接してくれる撮影監督のギラン・ロケと出会えたからだろうか。フロランス・ドゥレから独裁者ロベール・ブレッソンへの献身者として仲間入りを許されたからだろうか。ブラジャーとスリップだけでカメラの前に立つことを拒んだアンヌに対して掛け布団をつけて演技をすることが許されたからだろうか。いつまでたっても台詞を旨く喋れないヴァルテルに腹を立てるブレッソンに付き合ったからだろうか。音響技師のアントワーヌ・アルシャンボーが、バルタザールを丁度旨いタイミングでいななかせる方法をあみ出したからだろうか。アンヌを平手打ちする青年に対して「アンヌに痛みを与えてはいかんぞ!」とブレッソンは言っておきながら、実は青年がアンヌに対して思い切り平手打ちをするように指示していたことが判って、ブレッソンの裏切りを知ったことによるものか。または、ジャン=リュック・ゴダールがブレッソンを取材に来たのは、実はブレッソンなんてどうでもよくて、「フィガロ」紙に載ったアンヌの写真に一目ぼれして、ブレッソンをダシにしてアンヌに近づきたかったからだということが判ったからだろうか。

 いやいや、実はそのすべてが「映画=シネマトグラフ」なのである。「映画作り」というのは、大勢の赤の他人が集まって、つまり異なった価値観を持った人間が集まって、しかし同じ目標「映画を作る」という目標に向かって、スケジュールつまり予算と戦いながら突き進むという、大きなエネルギーの塊のような存在なのである。そんな、大きな存在の中で、それを始めて体験する少女は自分が奔流に流されながら、エネルギーに突き動かされて、しかし、主役という自らの存在から逆にそのエネルギーを生み出す存在になっていくことを覚え、その結果「大人の女」になっていくのである。映画というものはそれだけのエネルギーを持った存在なのだ。

「スタンバイ!」

「ローリン!」

「アテンション・・・アクション!」

 そして

「カット!」

 で終るすべての映画の中に。

 そして、結局「職業俳優」という自己表現方法を選び取っていくアンヌ。しかし、アンヌにとっては女優というのも自らの唯一の職業、唯一の自己表現方法ではなかった。いまや、もうひとつの自己表現方法たる「作家」となっている。しかし、ブレッソン映画のヒロインたちは、先のフロランス・ドゥレもいまや作家でアカデミー・フランセーズの一員となっている。ブレッソン映画のヒロインふたりがふたりとも作家になっているというのも、ブレッソンにはそんな、他人まで作家に育て上げるエネルギーがあったということなのだろうか。

 しかし、ちょっと残念なのは、せっかくジャン=リュック・ゴダールとの出会いの話を、ゴダールをコケにしながら描いているのだから、その後の話も読みたかった。つまり、どうやってゴダールは自分の惚れた女を『中国女』のヒロインを演じるように口説いたのか、そして『万事快調』でスチールを担当したアンヌ=マリー・ミエヴィルをどんな風に口説いて、モノにしたのかというゴシップ的な、あるいは「実録小説」的な興味。実録とはいえあくまでも「小説」であるのだけれどもね。

 まあしかし、そんなゴシップネタは小説にはしないだろうな。そんな気高さがアンヌ・ヴィアゼムスキーには感じられる。

2010年11月19日 (金)

アンヌ・ヴィアゼムスキーを囲んだシンポジウム

 アンヌ・ヴィアゼムスキーといっても知らない人が多いと思うので、まずその人の紹介から。

 1947年生まれのアンヌ・ヴィアゼムスキーはノーベル賞作家フランソワ・モーリヤックの孫娘、作家・映画評論家・文芸評論家のクロード・モーリヤックの姪にして、ボリシェビキから逃れた亡命ロシア貴族ヴィアゼムスキー家の末裔という血筋。17歳のときにロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』で映画デビュー。ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』(1967年)に20歳で出演し同年、ゴダールと結婚(ゴダールは2回目)し『ウィークエンド』などのゴダール名義の作品やピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』などに出演した後、ゴダールとジャン=ピエール・ゴランとの匿名非商業映画制作集団(矛盾?)「ジガ・ベルトフ集団」の作品に出演、当時は彼女自身もマオイストとして活動をしていたようだが、同集団としての最終作『万事快調』に出演後ゴダールと離婚(その後、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルと3回目の結婚)。その後は、女優・小説家・ドキュメンタリー映像作家などを経験している。彼女の小説はいくつか映画化されている。

 今回は彼女の新作にして映画デビューのきっかけや『バルタザールどこへ行く』制作の舞台裏などを描いた新作小説『少女』のプロモ-ションで来日し、昨日は東大本郷キャンパスでシンポジウムを行った。実は一昨日は日仏会館で『バルタザールどこへ行く』の上映と映画評論家・四方田犬彦氏との対談があって、そちらに行きたかったのだが都合で行けず、昨日のシンポジウム『シネマトグラフからエクリチュールへ』に行ってきた。

2010_11_18_025_2 右から、ジャン=クロード・ボネ氏、アンヌ・ヴィアゼムスキー氏、堀江敏幸氏、野崎歓氏

EPSON RD1s+Summilux 50mm (c)tsunoken

 アンヌ・ヴィアゼムスキーといえば我々の世代ではまず『中国女』である。『中国女』でマオイストの、でもおしゃれなテロリスト役を演じた彼女をみて、その存在感にうならされた我々はその後実は彼女がロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』で主演を演じていたことを知り、なるほどロベール・ブレッソンらしいキャスティングである事を知るのであった。要は、できるだけ「素人」に近い俳優を主役に起用するということ。この辺は、最盛期の大島渚なんかもそうなんだけど、つまり映画というのは「お芝居」に違いないんだけれども、実は映画のカメラというものは、そんなお芝居をしている生の人間をドキュメントするものだ、という発想からきている。だったら、それは演技教育を受けている俳優が演じるのでも、まったくの素人が演じるのも同じじゃないか、ということなのである。素人が演じるということは、一種のブレヒトの「異化効果」みたいなものなのであろう。大島渚に関しては『新宿泥棒日記』とか『東京戦争戦後秘話』なんかはその方法論がうまくいった実証であろう。

 ただし、『中国女』の時のヴァゼムスキーは完全にプロの俳優であった。プロの俳優として『中国女』を演じた彼女は、しかし、当時自分自身もマオイストとして活動していたというのだから、何が何だか分からなくなってしまうが、まあ、フランスにおいては毛沢東主義は一種のファッションだったんだろうなと考えれば納得がいく。毛沢東主義といっても日本の共産同ML派から日本共産党革命左派、京浜安保共闘、連合赤軍という流れのようにはいかず、単にそれは『毛沢東語録』をかざして左翼運動をするということだけのようで、そんなの四人組の登場とともに消え去る運命だったのだ。

 まあ、『毛沢東語録』なんて読んでみるだけでそれはスターリン主義の権化みたいなことが書いてあるだけで、それを金科玉条のごとく扱いということ自体が、まさに「スターリン主義の実行」ということでしかないんだけど、何故か60年代後半に流行った。新左翼党派は毛沢東主義がスターリン主義だということはわかっていたのだけれども、何故か共産同ML派を反帝反スタの立場から排除せずに、自らの側に引き入れたというのは単なる力を増強したいがためなのか、あるいは新左翼の反スターリニズムってその程度のものだったのか。いまは分からない。

 それはいいとして、そんなヴィアゼムスキーが今や作家として活躍している。シンポジウム・テーマの「シネマトグラフからエクリチュールへ―小説家アンヌ・ヴィアゼムスキー―」というのは、単に映画女優から作家になったアンヌ・ヴィアゼムスキーというだけのことなのだが、この場合、多分ひとつには映画のことを「シネマトグラフ」と呼んで「フィルム」とか「ピクチャ」ということを拒んだロベール・ブレッソンのことを慮っているのだろうか。

『中国女』を観たとき、我々はやっぱりゴダール映画はアンナ・カリーナだよなと思ったし、アンヌ・ヴィアゼムスキーも清楚で、可憐で、知的な感じはしたけれども、しかし美人ではなかった。ゴダールはアンナ・カリーナ風美人(ちょっと頭がパーでもいい)が好きなんだと思っていたら、何でアンナ・カリーナとわかれてアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚しちゃうの? という疑問を持った。やっぱりインテリのゴダールとしてはパーな女より頭のいい、おまけに育ちも格別な女の方がいいのか、とおもったのである。もっとも、そんな他人の邪推なんてものはまったく意味はない。だって、そんなアンヌとはまたわかれて今度は同じアンヌだけど、ミエヴィルの方へ行っちゃってるんだからね。何だ、「単なる女好きか」という貴方、多分それはあたっているかも。

 で、「シネマトグラフからエクリチュール」へ戻る。つまり、アンヌは昔から表現志向はあったのだろう。それが少女時代は映画で自ら「演じる」ということにつながったのだろうし、その後の人生のなかでは「書く」ということになったのだろう。しかし、祖父はフランソワ・モーリヤックである、伯父はクロード・モーリヤックである。そんな文筆家に囲まれた自分の立場には相当のプレッシャーはあったようだ。実は、結構前から執筆は始めていたようなのだけれども、なかなか発表はできない。でも、40歳ちょっと前に、出版が決まった時に、まだ、存命であったクロード・モーリヤックと食事をしながら、なかなか本を出すということを言えずに、いやあ原稿を書いているとか、本を書いているとか言いながら悶々としてるのを見て、クロード・モーリヤックが「じゃあ、出版社を紹介してやるよ」とまで言いだしたところで、「いや、伯父さん実はガリマール出版社で私の本が出るんだけど」という話をしたんだ、という話の時のアンヌは可愛かった。もう、60歳を過ぎたオバサンなんだけど、その時だけは可愛かった。まるで『中国女』か『バルタザールどこへ行く』の時のアンヌ・ヴィアゼムスキーのように。

 で、小説『少女』については稿を改めて書きます。お楽しみに・・・でもないか

2010年11月18日 (木)

『ライカワークショップ』といったって、「ワーク」ショップではありません

『ライカワークショップ』と言ったって、これを読むとライカで撮る写真が上手くなるということはないので、ご安心を。

『ライカワークショップ』(田中長徳著/エイムック/2010年11月12日刊)

 田中長徳氏の何冊目かの「ライカ本」であり、何年目にして久しぶりの「ライカ本」である。とにかく、日本で(多分世界でも)一番ライカについて語っている人であり、ライカのことを「分かっている」人であろう。でもその田中氏にしても使い始めはM2からであり、バルナックライカではない。じゃあ、バルナックライカから語れる人がいるのかと言えば、それは多分日本人では木村伊兵衛氏か、フランス人のアンリ・カルチエ=ブレッソン氏位なもので、両者とも既に鬼籍に入ってしまっている。ということで、いまやライカについて語れるのは田中長徳氏しかいないというわけだ。

 しかしながら、本来「ワークショップ」というタイトルをつけるなら、その撮影方法や、こうすればいい写真がとれます的な記事が乗るはずなんだけど、この本には一切そのような「ハウツウ」はない。まあ、写真なんてものは本来絵画のような「手作業」を伴う芸術ではないし、言ってみれば偶然出会った出来事にすぎない。その「言ってみれば偶然出会った出来事」を求めて写真家は毎日、沢山の写真を撮るのだ。そしてそのたくさん撮った写真からほんの数枚を自らの「作品」として差し出す。

 ということで、田中氏はアナログでもいいし、デジタルでもいいから「とにかく沢山撮れ」ということを言っているにすぎない。だったら、日大芸術学部写真学科って何なのよ、とか他の大学にも写真学科があるけれども何を教えているの? ということのなるのだが、別にそれらの大学が卒業生を「写真で食える」ことを保証している訳ではない。写真は面白いでしょう、ということを伝えているだけなのだ。それは、他の大学の他の学部でもそりゃそうだ。この学問って面白いでしょ、というのがその学部の目的なんだから、写真だけが実利を重んじている訳ではないというのはよくわかる。

 で、所詮「手すさび」にすぎない写真ということを真面目に考えると、まあ、取り敢えずは「今の記録」でしょう。その「今」がひとによっては「戦争」であったり「飢餓」であったり「自然」であったり、「都会」であったりするわけだ。そんなこんなで今や、写真を載せるメディアは溢れている。というと「えっ? 雑誌は(とくにグラフジャーナリズムは)減っているでしょ」という発言が聞こえてくるけれども、実はそうじゃなくて、このブログも含めて「写真を載せるメディア」は実に世の中に溢れているのである。まあ、マスコミではないけれども、私のブログだって毎日見てくれている人が100人位はいるのである。ということは私のブログもしっかりミニコミとしての存在感はあるのかな、ということで自らの写した写真を発表するメディアは今や実に多くのメディアに拡散しているのである。それで食えるかどうかということは別にしてね。

 ということで、田中長徳氏の新作はどういうことかと言えば、まあいつもの田中節が読めて、相変わらずの毒にも薬にもならないライカ話で満載の、ライカファン(ライカヲタク)にとっては、やはり基本的に読まなければいけない本、なのだろうな。この本を読んで、ライカオーナーはちょっとは反省しなければいけないこともあるんじゃないか?

 で、私が今狙っているライカはⅢfの500000番代、レンズは840001~950000番、というところである。今、M3とM6を持っているし(実はM5も持っていました)エプソンRD1sという偽デジタルライカ(レンズは当然全部ライカレンズ)を持っているが、しかし、ライカ病にかかってしまうとどうもいけない。この狙っているのはいわゆる「バースデイライカ」である。要は1951年生まれのライカカメラとレンズなのだ。本当は、生まれ年だけじゃなくて「生まれた日」と同じ日にできたライカならまさしくバースデイライカなんだけれども、そこまでは無理のようで取り敢えずはまあ「バースイヤーライカ」でもってバースデイに替えるということをしているのであります。ああ、残念というか馬鹿というか、本当にヲタクっていやあね、という妻の言葉が聞こえてきます。

 反省(でもやめないもんね)。

2010年11月17日 (水)

なぜ男たちは皆北へ『走ル』のか

 なんで男たちは自転車で「北」へ走るのかということである。

『走ル』(羽田圭介著/河出文庫/2010年11月20日刊)

「自転車小説」というジャンルがあるのかどうかは知らないが、私が知っている「自転車小説」の主人公たちはみな「北」を目指して走っているのだ。まあ、後述するロードノヴェルの話ではないけれども。ミステリー仕立ての『男たちは北へ』(風間一輝著/ハヤカワ文庫/1995年8月15日刊)の主人「俺」は『走ル』の主人公・本田とはちょっと違って初めから青森という目的があって走るので、ずっと国道4号線をずっと走る。『自転車少年記』(竹内真著/新潮文庫/2006年6月刊)の主人公は八王子から新潟県の糸魚川まで走る「グランフォンド糸魚川」というレースに出ている。その話が小説のメインである。糸魚川が東京よりは北なのかと言えば微妙ではあるが、基本的には北西方面だから「北」ということにしよう。

 そしてこの『走ル』の主人公は、何の目的もなく、ある日ちょっとしたきっかけで再組み立てしてしまったビアンキ(ロードレーサー)に乗って、陸上競技部(それも長距離)の練習からなんとなく国道4号線を走ってしまい、郡山から4号線を外れて会津、山形、秋田と日本海側に移り、最後は青森から盛岡まで幼馴染の少女に会いたくなって再び4号線を走り、しかしそれはやめて、盛岡からは上野まで電車に乗って戻り、市川市にいるガールフレンドの所へ帰る(行く?)という話だ。

 何故「北」なのかと言えば、ひとつには「北」の方が話が作り易いということがある。南(西)に行くと、東京からまず最初に横浜があって、箱根があって、静岡があって、豊橋があって、名古屋があるという、太平洋岸ベルト地帯だけを行くような話になってしまい、それでは日本のいたるところにあるような「田舎」を描けないという問題がある。

 しかし、もうひとつが重要で、「基本的に男たちは北を目指す」という大命題があるのだ。

 日本における「北」とは、つまり遠く「蝦夷地」を目指す旅になるということである。「蝦夷」がどこまでなのかは分からない。しかし、東北地方は完璧に「蝦夷」であるし、北陸地方だって長野あたりまでは「蝦夷」であった時代があるはずだ。つまり、「男たちは蝦夷を目指す」ということは、それは「蝦夷~縄文」へと連綿と続く、日本の原像を求める旅であるということなのだ。大いなる「蝦夷」の母なる大地に男たちは赴く。

 それは決して南(西)ではない。そこにあるのは京・大和であり征服王朝の末裔の地でしかない。

 例えばこれが大和以西の話であれば、やはり男たちは南へ行くのだろうか。熊襲、隼人の南西へ。そこには蝦夷と違ったやはり日本の原像があるのだろう。この場合は決して北東の京・大和へとは行かないだろう。男たちの目指すところはやはり日本の原風景なのだ。赴く先に思想がある。

 結局、男たちは京・大和は目指さない。それが重要だ。

 ロードノヴェルの先行作品として有名なジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』ではこうした思想は見られない。結局、『オン・ザ・ロード』の主人公は東海岸から西海岸へ、西海岸から東海岸へを何度も往復しながら、自らの思想を探し続けるのであるが、それすら見つけられずに旅を続ける。ただただひたすらに旅を続ける続ける。それに比較すれば、日本の男は行く先がはっきりと思想として出てきているということだけ良いか。

 これは、「歴史の力」なのかも知れない。たかだか200年の歴史しかない国との比較ですが。

 

2010年11月16日 (火)

性交と恋愛にまつわるいくつかの物語

 こういうタイトルが付いているが、しかし実際は『性交にまつわるいくつかの物語』だ。

『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』(高橋源一郎著/朝日文庫/2010年11月30日刊)

 内容は『キムラサクヤの「秘かな欲望」、マツシマナナヨの「秘かな願望」』『唯物論者の恋』『ウィンドウズ』『小さな恋のメロディ』『宿題』の5編。そのすべてが「恋愛」ではなくて「セックス」にまつわる物語だけだ。

『キムラサクヤ~、マツシマナナヨ~』は「日本一もてない」で「もてたい」がために東大や慶應大を受験して失敗し埼玉の三流大学しか入れずに、しかしそのあまりにも田舎ぶりに一度だけ通って辞め、タレントになろうとしてあらゆるタレント事務所に経歴書を送ってそのすべてに採用されず、NHKのど自慢大会に予選で鐘ひとつで落ち、とにかく妄想だけに生きている単なる神奈川県の三流高校卒の引きこもりで、セックス経験が1回しかない殆ど童貞の短小で包茎の男、スズキイチローと、西武新宿線の急行が止まらない駅の近くのコンビニでバイト生活を送っている、藤木直人や成宮寛貴、押尾学、玉木宏にもてる自分を想像し、「JJ」その他の女性誌をこよなく愛しその記事がほとんど唯一の情報収集源であり、スナック菓子が大好きな、大柄で骨太なところに脂肪分がたっぷりついて、ザラついて身体中に湿疹があり、目が細すぎた、鼻は低いというより丸い、顔全体が膨らみすぎており、顎は割れており、瞼も腫れていた、つまりブスでデブの3回半しかセックスの経験のないナカノレナという女を使って、彼らにキムラサクヤとマツシマナナヨという芸名を付けて、『唯物論者の恋』というアダルドビデオを作ろうとい話である。何故監督である「あたし」は彼らを起用したのだろうか。つまり『どちらも、完璧な、というか典型的なアホだからだ。あるいは、現代的なアホだからだ。落ちこぼれているのに、それに気づいていない。いや、気付いているのに、気づいていないふりをしている』からである。

「わたし」は『廊下を真っ直ぐ歩いた。突きあたりが見えた。左に折れると、撮影現場の部屋だ。右に折れると、非常階段だった。

 一瞬、わたしは、非常階段から逃げ出そうという思いに囚われた。だが、わたしはそうしなかった。いつも思うだけなのだ。わたしは左に折れた。』つまり、ブスとデブなアホ女と、日本で一番もてないアホ男でアダルトビデオだ。そんなもん、誰が見るか。

 しかし2編目『唯物論者の恋』はアダルトビデオの話ではない。性愛小説の作家たちの話であり、主人公のわたし(タカナシ)は幼児性愛者である。しかし、一緒に住んでいるNという少女(多分そうであろう)には一切手を出していないようだ。

『ウィンドウズ』は20の窓に映るセックス関連、というか殆どセックスシーンばかりの動画(まあ、「動」いてる「画」なのだから「動画」なのだろうけど、殆どセックスのまんま)を4つのチャンネルに流すだけの退屈な仕事をしている「わたし」の話だし、『小さな恋のメロディ』は宇宙のどこかで仕事をしている「わたし」と一人の仲間の前にあらわれた性欲解消用ロボットの話であり、「わたし」の理想にかなったロボットは10歳か11歳ぐらいの少女であり、黒髪は長く、脚も腕も痛々しいほど細い「メロディ」という名のそばかすの感じがたまらないロボットであり、『宿題』は娘と性交をしたがる父親の話である。

 どうも高橋源一郎さんは自身、幼児性交とか、近親相姦まではいかないにしても少女性交の趣味があるのではないか。

 たしかに、大人の「わたし」に不平を言わない、理不尽な要求もしない、そしてセックスの何たるかも知らない、こちらが何か言うとシクシク泣くだけしか知らない、「無垢の少女」に対するあこがれはある。がしかし、実はそんな少女なんていないのだ。というか、「少女」であってもいざセックスをする段になれば、もはや立派な大人である。もう「オヤジ」なんてものは勝手に振り回してしまうのだ。そんな「ガキ」に振り回される「オヤジ」というのも経験してみたいでしょ、というのが少女とのセックスの先にある楽しみだ、というのが高橋源一郎氏の発想の源点であろう。

 がしかし、そんなものは「幻想」でしかないのです。それも60歳近い、勃つものも勃たたない男が言ってもねえ。

 えへへ・・・。

2010年11月15日 (月)

横浜チャイナタウンを見に行く

 APECのさなか横浜まで行ってきた。といってもAPECの会場のみなとみらい21と元町中華街とは全然別のところだし、関係ないと思っているのは私だけ? しっかり、元町の方まで警備の警官やらなんやらがいっぱい立っていた。

 とは言うものの、さすがに元町チャンナタウンである、APECなんて知らないよという態度で、お客さんを受け入れているし、お客さんもそんなことまるで気にしていない人ばっかり。ということで、いつもの横浜中華街風景なのでありました。つまり、池袋チャイナタウンという中国人向けの中国人の街ではなくて、日本人向けの中国街ということで、大盛況。

2010_11_14_001_2 中華街のひとつの入り口

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2010_11_14_025_2 関帝廟はやはりそこをお参りする人でいっぱいである。

EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 しかし日本人が何で関帝なの? 「三国志」を読んでいる日本人は多いとは思うが、この中華街に来ている人の中で何人位いるだろうか、と考えたら5%位はいるのかなという程度だろうか。おまけにその関羽が神様になってまつられたのが関帝廟だということまで知っている人は何人いるのだろうか。まあ、日本人てのは、何でもいいんだな、お参りする対象があれば仏教だろうが、キリスト教だろうが、イスラム教だろうが何でもいいんだ。しかし、お参りする人の何人が「道教」を知っているのだろうか? それが不思議だ。

 しかし、アメリカのオバマ大統領もAPEC後に鎌倉なんか行かなくっても、すぐそばの横浜スタジアムで日本のカレッジフットボールをやっていたのにね

 何てね。

2010年11月14日 (日)

北千住宿異聞

 北千住の駅周辺が昔とは全く変わっているのでその紹介を・・・。というよりは、その昔、文化果つるところ、足立区に住んでいたことがある私としては、その変わりようにはビックリしているのだ。

2010_11_13_001_2 駅ビル「ルミネ」中にはブックファーストが入っていて(前は丸善だった)、駅前の「マルイ」には紀伊国屋書店が入っている

 足立区民がそんなに本を読むなんて、昔だったら「信ジラレナイ!」今でも「ウソだろう?」

2010_11_13_042_2 足立学園中学・高校

 その昔はオンボロで、偏差値もチョー低い学校で、同じ「足立高校」の生徒だったがこちらは都立足立高校だったので、都立は「ダチ高」、私立は「ダボ高」なんて言ってバカにしていたのだが、いまや綺麗な校舎になっていて、東京では数少ないアメリカンフットボール部がある高校だ。

2010_11_13_011_2 潤徳学園中学・高校

 ヤンキー娘やスケバン御用達だった潤徳学園中学・高校。いまは普通の学校の様である。あまりスケバンみたいなのはいない・・・って東京(いや日本)自体にそんなのは最早消え去った種族なのだ。

2010_11_13_023_2 東京藝術大学北千住キャンパス

 なかでもビックリしたのは東京藝術大学の北千住キャンパスがあること。ええっ足立に芸術ねえ。芸能とか、技術とかなら分かるが、似合わねえなあ。

2010_11_13_021_2 東京芸術センターなんてのもあるのだ

 と思ったら「東京芸術センター」なんてビルもあるし、駅からちょっと離れたところだが隅田川沿いに帝京科学大学北千住キャンパスなんてのも今年開設されている。

2010_11_13_036_2 東京電機大学新キャンパス建設現場

 ということで、北千住の表玄関がある西口方面(日光街道がある方)が大いに「学芸都市」ふうになっているなあ、と思ったら、東口駅前には東京電機大学が2012年開設予定で大工事中だ。

 いまや北千住は文化の街になってしまっているのか。しかし、文化果つる足立区に大学が3っつも出来る時代なのだ。そんなに大学を作ってどうするの? という気持ちもないではないが、いはやは時代は変わったものだ。

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 とはいうものの、駅前にはちゃんと真昼間が酒が飲める飲み屋街は健在だし、宿場町通りは相変わらずの繁華であるし、ソープランドなんかも細々とではあるがまだやっている。まあ、いくら大学が出来たからって、昔からの宿場町で盛り場(場末だけどね・・・断じて「下町」などではない場末)の街自体がそう変わるわけではない。少し安心できた。

EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

2010年11月13日 (土)

「英語公用語」は何が問題か

 要は、英語だろうが日本語だろうが「コミュニケーション能力」が問題なのだ。

『「英語公用語」は何が問題か』(鳥飼玖美子著/角川oneテーマ21/2010年11月10日刊)

 鳥飼玖美子さんと言えば、私たちの世代にはアポロ11号の月面着陸の際の「同時通訳」でまずびっくりしたという思い出がある。とにかく「同時通訳」という、ほとんどアメリカ人が話している最中から日本語が出てくるという不思議さに驚いたのである。普通はアメリカ人がすべて話し終わってから日本語が出てくるというのが通訳というものだと思っていたところに、「ほぼ同時に言葉を訳してしまう」というのは特殊能力でしかないというところである。それが、あの可憐な人がやっているというところがまた「萌え」だったのですね。

 その鳥飼さんがいまや立派な「おばざん」になって立教大学の教授になっていたなんて知らなかった。香山リカといえこの鳥飼さんといえ、最近の立教は随分頑張っているじゃないか、と認識を改めたのでありました。

 で、問題の「会社の公用語を英語にする」ということなんだけれども、それぞれの私企業が勝手に決めることなんだから、それこそ勝手にすればよいことだし、その結果「英語を喋れる人が仕事ができる人よりも出世」したっていいじゃないか。それこそ、それがその企業のポリシーであるならそれでよい。それでその会社がダメになったって勝手にしろよ、てなことである。そんなに社会的な問題にするほどのことではない。

 要は英語だろうが日本語だろうが、コミュニケーション能力の問題であり、英語コミュニケーション能力の問題なのではない。また、どのみち我々はネイティブ・イングリッシュ・スピーカーではないのだから、そんな人間がネイティブみたいに英語を話す必要はないし、話せるわけもない。TOEICやTOEFLで何点とるかなんてことはどうでもよいことなのだ。

 問題は、日本語でのコミュニケーション能力がまずないと、それを英語にしたうえでのコミュニケーションなんてまず無理ということ。少なくとも小学校から英語を習わせたところで、それ以前の日本語教育の方が重要であるということだ。でなければ、何十年英語を習ったところで意味はない。それでなくとも、中学・高校・大学と10年間英語を習ったって喋れない人が多いのにである。

 私の場合も実は英語の学校は赤坂のバーであった。確かに10年間(浪人時代を入れれば11年間)英語を習っていたのだが、ろくに喋ることはできなかった英語である。しかし、社会人になったばかりの頃によく通っていた赤坂のバーにはその近所のホテルで宿泊していた外国人のビジネスマンが多く来ていた。そんなビジネスマンとの会話が英語の学習に役に立った。相手も酔っ払い、こちらも酔っ払いで、どちらもいい加減な英語を喋っていてコミュニケーションしていた。そんな酔っ払い英語がその後の仕事にも役に立ったのだった。要はいい加減な英語力でも度胸さえあればなんとかなるということである。

 所詮、ネイティブではないのだから、ネイティブみたいには話せない、というか話せなくても問題ない、と居直ってしまえばあとは楽チンということである。後は、相手に理解させようというこちらの姿勢と意欲だ。

2010年11月12日 (金)

「電子書籍・コミックサミットin秋葉原」が開催中

「電子書籍・コミックサミットin秋葉原」というイベントが11月12日から11月14日まで、秋葉原UDXにて開催中だ。つまり、この日程中は「オタクの街アキバ」ではなくて「電気・電子の街秋葉原」になるわけだ。

 今日は開催初日ということで角川GHDの角川歴彦氏の基調報告や集英社のトリシマこと鳥嶋専務のコミックの海外展開などの話があったようだが、私は野間講談社副社長(日本電子書籍出版社協会代表理事)と作家の福井晴敏氏の対談というのを見てきた。

 まあ、野間氏の話は出版社代表としての電子出版への取り組みなどを語ったものであり、あまり興味はない、というか要はこれからの課題が多くて、今何をやるのかという話ではない。むしろ福井氏の話の方が面白くて、ひとつは「iPadを持つのはオジサンである」という話。

 つまり、バブルを知っている福井氏あたりの年代から上の人はとにかく新しいもの好きで、何か新しいものが出るとすぐに欲しくなってしまう。iPadもそうで、オジサンは対して電子書籍のタイトルも出ていないのに電子書籍のデバイスとしてiPadを買ってしまうと言うのだ。確かに、私も5月28日のiPad発売日に早速予約購入で買いいれた口だ。我が家の息子どもはそれを羨ましがるだろうと思ったのだが、意外とすんなりと受け入れて、「ヘ~好きだねェ」てなもんである。今の若者はあまりものを買わないと言われるが、その通りでまあ確かにiPadを買うのはオジサンなのかもしれない。

 もうひとつは、福井氏の新しい小説の話で、それは最初は電子書籍でしか出さないというものである。それだけでは別にどうという事もないのだが、電子書籍であるから後からどんどん書き換え(更新)ができるという特性を生かして、状況の変化に応じて書き換える小説、完結しない小説を書くと言うことなのである。そう、まるでこのブログみたいな小説なのである。うん、これは面白いというか、デジタルの特性を生かした小説なのだろうな。

 デジタル小説ということで、音楽を入れたり、アニメーションを付け加えたりというデジタルではの工夫もあるが、それはしかし貧しい映像を付け加えるというあまり成功した方法ではない、今までもパソコンのHP上で読める小説なんかを発表した際に行なったことで、あまり成功事例はない。むしろ、福井氏の発想のように「完結しない小説」という方が面白いかもしれない。これは楽しみだなぁ。

 ということで、「電子書籍・コミックサミットin秋葉原」についてはコチラ http://ebookmanga-summit.com/index.html

『脇役物語』は脇役のための話じゃなく脇役を外された人の話なのだ

 何ともヌルいコメディではあるが、このヌルさが面白いのだろうな。

『脇役物語』(原案・脚本・製作・監督:緒方篤/脚本・キャスティング:白鳥あかね/製作:ドリームオン・シネリック/配給:東京テアトル)

Poster

http://wakiyakuthemovie.com/

 まず何故か付いている英文タイトル(もともとが英語のシナリオだったそうで、その時ついていたタイトルなのかもしれないが)が"Cast Me If You Can"である。これはスティーブン・スピルバーグの"Catch Me If You Can"のパロディなのであろう。しかし、ストーリーは別に詐欺師とFBIの追っかけっこではないし、まあ単純な「脇役は脇役人生ってものがあるんだ」てな話である。ところで"Catch Me If You Can"というのは直訳すれば「出来るもんなら捕まえろ」ということであり、要は「鬼さんこちら」である。"Catch Me If You Can"はまさにそういう映画だったのだが、しかしこちらは「キャスティングできるものならやってみろ」という風に勢いがあるわけでもなく、むしろキャストを外されてしまった脇役俳優の「存在感」はどこにある、というのがテーマであるように見えてしまう。

 まあ、最後のところで益岡徹演じるヒロシが、本来自分がやるはずだったウディ・アレンの翻訳映画を主人公を譲った永作博美が演じるアヤによって「脇役」を得るというところでオチがあり、そして二人のキスシーンで終わるというのは、まさに「お約束」のオチではあるのだけれども。う~ん、なんかこのオチって洋画っぽい。しかし、主役が男から女に変わっても成立するウディ・アレンの映画って、何だろう。そんな作品ってあったっけ?

 それにしても、この映画は色々な意味で恵まれた映画なのであろう。とにかく、主演の益岡徹自身は普段脇役専門の役者であり、今回は初めての主役といういわば「メタ主役」。その他の脇役に津川雅彦、松坂慶子、台詞のない乞食役に柄本明、という主役級の役者を揃え、あとは佐藤蛾次郎やイーデス・ハンソンなどの名脇役を配置。主人公の相手役は永作博美という微妙なキャスティングはすべて白鳥あかねさんのものなのだろうか。ま、看守役の白鳥あかね自身は自分のキャスティングなのだろうけど。

 まあ、緒方篤監督があの緒方貞子さんの息子だからこんな映画が出来ました、とは思いたくはないが、でも、少しそんな思いもある。まあ、しかし叔母さんの遺産が入ったから『死刑台のエレベーター』を作ったルイ・マルの例もあるように、要は、面白い映画を作った人が勝ちなのだ。では、『脇役物語』が『死刑台のエレベーター』になっているか、といえば・・・。

 緒方篤が今後日本で喜劇を作っていきたいのなら、こうした「お約束の結末」に終わる欧米的な喜劇じゃなくて、もっとハチャメチャな結果になる喜劇、山田洋次の「寅さん」以前の喜劇や、東宝の「無責任サラリーマン」シリーズのような路線を目指すべきなのであるが、多分、アメリカ生活が長い緒方篤にとってはそのような感性は難しいのかもしれない。だとしたら、やはりアメリカでコメディ作家として名を成すほうが向いてるのかもしれない。

 少なくとも、『脇役物語』の面白さは、日本的な吉本喜劇やちょっと昔のデン介劇場の面白さではなくて、シェイクスピア的な面白さなのである。つまり、そのくらい英米の面白さに通用している人じゃないと、この映画の面白さには気付かないのだ。

 特に、今のテレビの芸人たちの面白さしか知らない、今の若い人たちにはまず無理であろうな。まあ、この人たちに「本当の面白さ」を言っても無駄なんだけどね。人と人が演じている「本当の面白さ」を知っているのは、多分、いまどき「寄席」に行っている客かもしれない。寄席でしか演じられない落語や漫才って、テレビでは絶対見られない面白さがあるのだ。

 ということで、『脇役物語』は、あまり期待して見に行ってはいけません。しかし、そこそこの作品というか、「お約束」の喜劇として見に行けば充分楽しめます。特に、この作品では脇役をやっている、本来なら主役の役者がイイです。柄本明なんてセリフが全然ない乞食役なんですよ。最高でしょう。

 益岡徹はまあもはやおじさんだし、永作博美もセクシーな女優さんじゃないし、あとはおじさん&おばさん俳優が沢山でるだけっていう映画はヒューマントラスト有楽町他で公開中です。まあ、ほんわか気分になるところだけは保証しますけどね・・・。

 それとも、増岡徹や永作博美が出ることになっているというのが、ウッディ・アレンのコメディ・リメイクなのだから、この作品自体がウッディ・アレン物のパクリかパロディになっているともっと面白かったのにね。

 ヒューマントラストシネマ有楽町他で公開中。

 ホームページはこちら;

http://wakiyakuthemovie.com/

 

2010年11月11日 (木)

『USTREAMがメディアを変える』のか?

 問題は「何故テレビが面白くなくなったのか」ということなのだ。

『USTREAMがメディアを変える』(小寺信良著/ちくま新書/2010年11月10日刊)

 むかし『お前はただの現在に過ぎない テレビに何が可能か』というテレビマンユニオンを作った萩元晴彦、村木良彦、今野勉という成田闘争を取材して、その取材方法に対して権力から忌避されてTBSを解雇されたディレクター達が書いた本があった。つまり、テレビの同時性・即時性こそがテレビの本来の姿であり、「現在にすぎない」テレビはしかし「現在であること」によって生き生きとし、「現在にすぎないから」権力を批判することができ、そして面白いということを訴えた本である。テレビは「生」が一番ということなのだ。しかし、今のテレビで生番組なんてものはニュースおよびニュース・バラエティ以外にはほとんどない。つまり、録画されて、内容を(権力批判に触れていないかとか、その他)検証されて、編集されたテレビが面白い訳がないのだ。勿論、生番組の緊張感もなく、ただただ中途半端な芸人の面白くもない芸を見せられても、ただただ時間の無駄遣いでしかない。

 そこに登場したのがUSTREAMである。生放送が基本であるUSTREAMが、じゃあ緊張感に溢れたメディアであるかといえば、「ダダ漏れ」という言葉が示すように、ただただ時間を流すだけのメディアには何ら緊張感はない。ただし、面白いのは「ノー編集」でひたすら実況を続けるその超ユルい方法論だ。テレビのような時間の制約がないUSTREAMならではの方法であり、それはそれで面白い。勿論、写されている内容が緊張感の伴うものであれば、それはそれで緊張感のある映像になるのだろうが、むしろそうした緊張感のないのがUSTREAMの特徴である。

 したがって、小寺氏が本書に書くように「ユーストリームがテレビを殺す」というような関係論はないのだが、むしろ、テレビは今の多メディア状況の中で「自壊」していくのだろう。小寺氏によれば、何故テレビが面白くなくなってしまったのかといえば、ひとつは制作予算の削減という近視的な理由があり、基本的な問題はテレビからの「才能離れ」であるという。つまり、『このころ(90年代前半:筆者注)若手として入ってきた人材は、子ども時代からすでにファミコンがあった世代である。自分が制御権を持つ娯楽に慣れた目からすれば、テレビのように決まった枠の中で一方的に流れてゆくメディアは、古くさく見えたのだろう。才能ある人ほど、テレビから離れていった。テレビにこだわらなくても、ゲームやインターネットなど、ほかに活躍の場ができたのである』ということだ。

<(多メディア化による)スポンサー収入の減少→制作予算の削減→制作現場の締め付け強化→制作者の低能力化による番組の低劣化→視聴率の低下→スポンサー収入の減少>という負のスパイラルにとらわれたテレビは、別にUSTREAMがなくても自壊する。多分、近い将来、民放のM&Aによるネットワークの減少という場面がやってくるのではないか。近い将来「NHK2チャンネル+民放2チャンネル」くらいになるのが日本のサイズにはあっているのかもしれない。聴取料を取れるNHKが総合と教育チャンネル、無料視聴の民放が朝日系のテレビ朝日(+毎日系のTBS)と、日経系のテレビ東京(+産経系のフジテレビ)位? ああ読売系ね、あれはNHKに飲み込まれればいい。あの広大なアメリカだって民放4チャンネルしかネットワークがないのだ。日本の「NHK2チャンネル+民放5チャンネル」というのは明らかに多すぎる。

 こんなにテレビ局はいらないよ、というのがスポンサー企業の本音である。チャンネル数が少なくなれば、今よりCMスロットはずっと少なくなって、したがっていまよりずっと高く売れるようになる。そこで、テレビ局は「経営的には」再生する。まあ、問題は番組内容だけれどもね。チャンネル数が減っても今と同じようなくだらない番組ばかり作っているようだと、やはり誰も見てくれなくなるだろう。

 やはりテレビは原点に戻って、「基本は生」という緊張感で闘うべきだろう。その時、初めてUSTREAMなどの新しいメディアと闘う状況が出てくる。「ユルいネットメディア」と闘う「緊張感に溢れた既存メディア」である。そうなれば面白いのにな。

『お前はただの現在に過ぎない』はこちらから;

2010年11月10日 (水)

『こんなに強い自衛隊』つったって、それを支える筈のロジックがこうじゃねぇ

 こういう本を読むのは、私にとってはあまり精神衛生上よくはないのだが、しかし現状認識も必要だろうということで読んでみた。

『こんなに強い自衛隊』(井上和彦著/双葉新書/2010年7月25日刊)

 目次を書く;

第1章 民主党政権と安全保障-緊張感高まる極東情勢-

第2章 自衛隊は軍隊なのか

第3章 陸の守り-陸上自衛隊-

第4章 海の守り-海上自衛隊-

第5章 空の守り-航空自衛隊-

第6章 知られざる自衛隊の民生協力-自衛隊がなければ国家が成り立たない-

第7章 封印されてきた自衛隊海外派遣の真実-世界の人々から歓迎される自衛隊の感動秘話-

第8章 自衛隊がイラクで一人の戦死傷者も出さなかったのはなぜか

第9章 日本VS中国 「もし戦わば・・・」

第10章 「武器輸出」は”悪”なのか?

第11章 靖国神社と自衛隊

 第3章、第4章、第5章なんて感動モノだね。実に「少数」にして「精鋭」な自衛隊の姿ではないか。ここだけ読むと、中国? ナンボのもんじゃい、ロシア? 屁でもないね、北朝鮮? かかってこんかい、ってなもんである。

 がしかし、他の章を読むとなんかおかしい。

『主権の侵害に対しては、断固たる対抗措置を取る決意で望むところが、むしろ紛争を抑止するのであって、中国への遠慮はかえって紛争を誘発することを認識しておく必要があろう。

(中略)

 何より、中国の軍事的脅威が高まる今日、日本の政治家が中国への幻想を捨てて現実を直視することが、日本の防衛力を飛躍的に向上させるのである。それは防衛費増額を必要としない、”最も経済的な防衛力整備”といえるだろう』

 というのは確かにそのとおり。

『国際政治学者エドワルド・H・カー(英1892-1982)は、国家の「力」の三要素として、軍事力、経済力、そして宣伝力=世論を支配する力を挙げている。

 いま、日本に求められているのは、国際舞台における宣伝力の強化である。それはまた、日本の防衛力の一翼を担っていることも、しっかりと認識しておく必要があろう』

 というのもそのとおり。

 つまり、国際交渉力という菅政権が一番不得意とする分野を最も強化しなければいけない。それが防衛関係費つまり国防予算を膨らませずにすむ方法なのだ。経済力では日本は既に問題はない。もはや、自衛隊の存在だけで軍事力による国際的プレゼンスは大丈夫である。問題は政治力によるプレゼンスという問題である。この問題は、鳩山~菅という民主党政権だけの問題じゃなくて、それ以前からの自民党政権以来の日本における大きな問題である。要は、主張すべきところはおおいに主張して、その結果両国の話し合いが生じて、話し合いの結果妥協点を見つけるというのが国対国の「協議」というものである。多分、戦後それをやったのは吉田茂だけなのだろう。日本が独立した際の首相である。当然、アメリカ他連合国の要求は沢山あっただろうが、それと交渉して独立を勝ち取った首相である。

 ところが井上氏によればそれがいけないんだそうである。

 つまり『昭和26年(1951)1月、アメリカのダレス特使が来日し、当時の首相・吉田茂に対して、翌年に控えたサンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復した暁には、日本が「再軍備」するとともに、米軍は継続して日本国内に駐留できるようにという申し入れを行なっていたのだった。

 ところが吉田首相は、この提案の前者を断ってしまったのである。

 以来、国を守るために命を捧げてきた自衛隊および自衛官が日蔭者の存在であり続けることになってのであり・・・』

 ということであるが、しかし、いまどき自衛隊が「日蔭者の存在」であるなんて事を考えている自衛隊関係者、自衛官がいるのだろうか。最早、国際貢献をあれだけやってきている自衛隊である。国内の民生協力もほとんど数えきれない数であろう。いまや、日本国内で自衛隊の存在を無視する人はいないはずだ。まさにこれこそ「自虐的自衛隊史観」でしかない。

 それでも、自衛隊を「日蔭者の存在」であると言いたい裏側には「憲法第9条の改正」をしたいという目論見が見えている。しかし、何故憲法第9条を改正したいのであろうか。憲法第9条を改正して「日本が戦争をしてもいい国にしたい」のであろう。そんなに戦争をしたいのか。しかし、もはや国対国の「対称戦争」の時代ではないのだ。中国が如何に日本にタテつこうが、日本と全面戦争なんてやる気はない。北朝鮮がテポドンを日本海や日本を超えて太平洋に打ち込んだと言っても、日本と全面戦争をやる気はないのだ。

 要は、軍事的プレゼンスを示して、国対国の交渉事を自国に有利に持っていきたいが故なのである。

 一方、アジアやアラブで自衛隊が友好的に受け入れられてきているのも、それは第二次世界大戦中の日本が侵略的ではなかったということではない。アジアに対しては完全に侵略であったのだ。それは、各国の史料をみればわかること。じゃあ、何が友好的に受け入れられる理由なのかと言えば、まさに「憲法第9条」なのである。

 憲法第9条で「不戦」という担保があるからこそ、アジア、アラブの人たちは日本の自衛隊を「戦争の為の軍隊」ではなく「平和の為の自衛隊」であるとして受け入れてきているのである。

 もう、「自衛隊」は自衛隊でいいじゃないですか。何故、それを「戦争をする為の軍隊」にする必要があるのだろうか。そんなに戦争をしたいのですか? 

 どうもこの軍事ジャーナリストの一部には「戦争好き」が多くて困る。で、この「戦争好き」な「軍事ジャーナリスト」ってのが、実はまったく戦争に参加した経験とか、せめても軍事訓練を受けているとか、実は戦争に関連した経験を全く持っていない頭デッカチな連中なのだ。この井上氏も法政大学社会学部というどちらかというと左翼(革共同中核派)の巣窟のようなところを卒業して、まあ、よっぽど左翼嫌いになったのだろうな。

 ご愁傷様。

 法政大学の裏には靖国神社もあるしな。

 あ、言っておきますけど、靖国問題は井上氏が言うような対中国問題じゃなくて、国内問題なのである。国内問題として解決する必要がある。中国が何か言ったって関係ないのだ。それを対中国問題として考える井上氏は、本当に対中国でしかものを考えられないバカなのか、ということになってしまうのだ。

 

2010年11月 9日 (火)

『日本赤軍!』の関係者・帯同者たち

 1960年代に早稲田大学の社学同解放派で活動してパクられた作家・小嵐九八郎氏による、共産同赤軍派あるいは日本赤軍関係者・帯同者へのインタビューである。といっても、重信房子氏や和光春生氏はいまだ獄中にあるため、この両名は手紙のやりとりによる聞き書きが主である。

『日本赤軍! 世界を疾走した群像 シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する(2)』(塩見孝也・重信房子・和光春生・足立正生・若松孝二 著/編者・聞き手:小嵐九八郎/図書新聞/2010年9月15日刊)

 共産同赤軍派といえば、1969年9月5日の日比谷野外音楽堂における全国全共闘連合結成集会で突然登場し、暴れまわったのを憶えている。本来、ノンセクトラジカルが領導していた全共闘運動に内ゲバというのはもっともふさわしくなく、ああ、これで全共闘も終わりかなと感じたものである。しかし、その後のよど号ハイジャックとか、重信房子のアラブ赤軍宣言とかは、なんかカッコ良いなとも感じていた。

 ハイジャックに関しては、本当は強固なスターリン主義国の北朝鮮じゃなくて、キューバあたりに行きたかったんだろうが、飛行距離の短い国内線ではせいぜい北朝鮮にしか行けなかったのか、と少しガッカリもしたのだが。

 結局、北朝鮮に渡ったよど号グループは別としても、アラブへ渡ったグループは、そこで闘いが日常となったパレスチナのコマンドたちの生活を見て、多分、そこには日本にいては感じられない解放感と同時に緊張感も味わったようだ。逆に日本に残ったグループは、多分その閉塞感から毛沢東主義者グループと野合して、連合赤軍として彼等がもっとも批判していたスターリン主義者的な自己批判と総括の結果としての大量死という状況を生んでしまった。あさま山荘についても、それは闘いなどというものではなくて、単に警察に追い込まれてしまって、逃げ込んだ先があさま山荘というだけであり、本来ありえない人質を盾にした戦い方って、そんなの人民戦争じゃないじゃないか。

 しかし、共産同赤軍派の「国際根拠地論」はある意味で、当時の閉塞した左翼状況を打ち破る(あるいは逃げ出す)にはもっとも適していたようだ。しかし北朝鮮に飛んだ(逃げ出した)とか、アラブに飛んだ(逃げ出した)とはいえ、それが日本の状況をどうして変えることにつながるんだという部分が、実際には頭デッカチでまず無意味。とは言うものの、先に述べたようにそれが当事者たちの気分転換にはなったようで、日本にいるよりは精神的に健康な方へ向かっていったのかもしれない。あるいは、世界から日本を見ることによって、日本にとどまっているよりは、より自由なものの見方が出来たのかもしれない。

 その意味で、重信房子の元気な帰国・逮捕はわれわれ(いまや)「気分だけの左翼」にも安心をさせ、その発言が当初からぶれていないことにも安心させる。もっとも、その発言自体が和光春生に言わせれば「ウソ」であるということなのだけれども。

 いずれにせよ塩見孝也の言う「前段階蜂起論」は結局時期尚早というか、いかにも学生らしい頭デッカチの理論であったことはわかったわけで、当時すでに「革命の前段階である」と考えていた新左翼セクト主義者の、社会状況に対する分析力のなさといったら、それは大きな問題だ。その結果として多くの若者が命を落としたのだからね。

 結局は、ノンセクトラジカルの「学生運動は自己否定を通じた自己改革運動であり、別にこれが革命の為の運動であるわけじゃない」という発想の方が正しかったということだろう。特に、日大闘争は大学の不正経理と右翼的体質に対する「正義の運動」であっただけに、そこではセクトのつけいる隙を与えずに終っていることの健全さがある。まあ、東大の「大学解体」というテーマはまさにその後の企業による「大学買いたい」になってしまい、まさに外からの「大学解体」なってしまったのは皮肉ではあるけれども。

 ところで、若松孝二はここでは日本赤軍の帯同者というかシンパという立場で書かれているわけだけれども、足立正生は帯同者なのだろうか関係者なのだろうか。関係者というにはオジサン過ぎる年だし、まあ、学生時代の安保体験や鈴木清順共闘体験から左翼活動には親しかったことは判るが、もともと日大芸術学部のアナーキストだった筈だ。それが、「略称・連続射殺魔」や「赤軍-PFLP 世界戦争宣言」などから日本赤軍に近くなり、そのまま日本赤軍に参加してしまったのだろうか。足立正生は赤軍シンパ位だと思っていたら逮捕されてしまったことには吃驚した。その辺の解答が本書にあると思っていたのだが、そこまではよく判らなかった。

 ともあれ、この時期、共産同赤軍派の行動力に対しては、公式的には言わないが、各派のメンバーも憧れを持っていたのではないか。

 そんな時代ではある。

 

 

 

2010年11月 8日 (月)

ふたつのネットメディアに関するマスメディアの扱いについて

 昨日、突如記事の変更をされてしまったので(といっても自分でやったことですが)一日遅れの記事になってしまった。

 そこで、話はいささか旧聞に属することだが・・・(という言い訳をしています)

 最近のふたつのネットメディアに関するマスメディアの扱いが面白いので、それについて・・・。

 ひとつは11月3日のニコニコ動画への小沢一郎氏の出演であり、もう一つは11月5日の海上保安庁が撮影した尖閣諸島の中国漁船ビデオのYOU TUBEへの流出である。

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 YOU TUBEの方は各マスメディアともYOU TUBEの名前を明かしておまけにテレビではその映像をさんざん流しているのに、ニコニコ動画についてニコニコ動画の名前を明かしたのは一般媒体では日刊ゲンダイだけ、ネットメディアでは当然ニコ動の名前を報じているが、新聞との関係が近いMSN産経がニコ動の名前について触れているくらいで、テレビでの再放送はまったくなしである。こうした点について、張本との口論(?)が原因でTBS「サンデーモーニング」を降ろされたジャーナリストで、この日のニコ動にも出演していた江川紹子氏は;

「日本のマスコミが媒体名を出さないのは『ニコニコ動画』だけでなく、週刊誌の報道を紹介するときもメディアの名前を明示しない場合がほとんどだ。たぶん『他のメディアの名前を出すことは恥だ』と思っているのだろうが、出さないことのほうが恥だと思う。報道の役割は、読者や視聴者が考えるきっかけとなる材料を与えることにある。その観点からすれば、媒体名や番組名を紹介するほうが読者・視聴者にとって親切なのではないか」

と批判している。まさにその通りであり、おまけに週刊誌やこうしたメディアの名前をださないのは、要するにそうしたメディアにスクープを取られたことの嫉妬なのであろう。今回は、自らの取材やテレビ出演に応じない小沢一郎氏がネットメディアに出られてしまった悔しさがあるのだ。

 しかし、結局新聞テレビは本当のことを書かない・言わないという点を突かれたのであり、佐藤栄作が首相退任の記者会見場から新聞を追いだしてテレビだけに語ったのと同じ理由によるものだ。要は新聞は本当のことを書かない、とね。しかし、まだその意味ではテレビに対する牧歌的な信頼があったのが時代である。いまやそんなテレビも化けの皮がはがれてしまい、信用されなくなってしまっている。

 その点、ネットはまだまだ牧歌的であり、正直なメディアであると認めているのであろう。確かに、ニコ動も当初は1時間の番組として企画したようだが、それでは収まりきらないと見るや突如30分延長するといった、テレビでは絶対できないことで対応しているのはうまいやり方である。結果、1時間30分にわたって小沢氏は言いたいことを言って、それを13万人以上の人が視聴したという点は、ニコ動も立派なマスメディアであるとも言える。

 ところで、小沢一郎という政治家は、マネーロンダリングだとか、金権政治家だとか、要は田中角栄、金丸信を継ぐ悪徳政治家のように言われているが、たしかに「お金」に関してはかなりヤバい部分をもっている政治家だが、その政治理念としてはかなりアメリカ民主主義的な政治家でもある。つまり、発言すべきことは発言して、その結果は話し合いで決めようという感覚である。その意味で、在日米軍基地問題(沖縄も含めて)についてはそれを「なくそう」というテーマをアメリカに投げかけて、それからアメリカとの対話をするという考えかたであるから、アメリカにとっては面倒くさい相手ではある。対中、対露についても同じであり、その辺が自民党とは一致しなかったわけだ。

 その結果の民主党なんだけれども、でも民主党の旧社会党的な部分とはあいいれない部分を持っているのである。いっそのこと、小沢氏は自民党と民主党とごっちゃ混ぜにして、新たな党を作るのがいいのではないか。そして、旧社会党的な人々は再び「何でも反対党」になればいいのである。

 少なくとも小沢氏は憲法9条改正は言わないだろう。だったら、そうした小沢新党構想もあっていいのじゃないか。そうして小沢新党が政権を握れば、旧社会党は「何でも反対党」として充分生き返ることが出来るのじゃないか、と私なんか昔の社会党の「何でも反対党」的な方法論に賛成する立場からは言うのであるが・・・。

 小沢新党の方が、今の民主党政権よりも自民党政権よりも、いい状況に日本をおいていけるのではないかな。勿論、それで良い訳はないので「何でも反対党」が必要なのだ。どちらかというと、「何でも反対党」が必要だと言うのが私の考え方なのだが。

 まあ、もとに戻るけど、問題はニコ動ユーザーのどれだけの人間が投票行為をするのか、という点である。お前ら何の考え方もないのなら投票しろよ。勿論、投票しないことによる「意見表明」もあるということは充分理解しているけれどもね。

2010年11月 7日 (日)

飯能まつり

 予定稿で入れておいたものに差し替えて、新たな原稿を入れます。

 昨日と今日行なわれる「飯能まつり」の宵祭りに行ってきた。つまり、神社なんかがやるまつりじゃないので「宵宮」ではなくて「宵祭り」である。最近よくある「町おこし」の祭りなのだろう。以前書いた遠野祭りみたいなもので、駒込の天祖神社の祭りとは発想がちがう。ただし、飯能市はすでに大きな街ではあるけれどもね。

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 とはいうものの、祭りとしてはそんなに大規模なまつりではなく、町まつりの規模。飯能の街の中央通りと銀座通りが祭りの中心で、ただし祭りにつきもののテキヤの屋台は中央通りの方にしかなく、銀座通りは町の商店がそのまま店を出している。ということで、やはり気分は中央通りの方に向かうのだ。

 昨日は宵祭りということで、メインは「底抜け屋台」の町内巡り。「底抜け屋台」とはその名の通り、底がない小ぶりの屋台で皆歩きながらお囃子を演奏している。11町会が中央通りを練り歩くので、当然他の町会の屋台とぶつかる。ということはそこではお互いに見栄の張り合いになるわけで、ちょうど喧嘩神輿と同じ状態になる。

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とはいうものの、喧嘩神輿ほど喧嘩はせずにみんな見栄を張っておしまい、てな感じではあるけれどもね。

 そして、ひとつだけ山車を出したのが一丁目の保存会。ここだけは今日出す筈の山車を昨日から出して張りきる。ただし、お囃子も踊りも「子ども」だ。笛だけは精進が必要なので親父がやっているが、その他のパートは全部子ども(多分小学生)がやっている。でも、踊りなんかはなかなかの物である。ついている大人の人に聞いたのだが、何でも一週間くらいの練習で皆出来るようになったということである。たいしたもんだ。この中から将来山車に乗るような「お調子者」が出てくるんだろうな。

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 ということで、まあ、それなりに楽しめた「飯能まつり 宵祭り」でありました。11月7日の「本祭り」は10時から17時ころまでいろいろの出し物があるようです。

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 ただし、私は行かない。何故なら、祭りは「宵宮」が面白いのだ。「明日もある」という気分が駆り立てるのだよね。

 飯能まつりの案内はこちらから http://www.city.hanno.saitama.jp/

2010年11月 6日 (土)

『記者クラブ崩壊』といったってもうほとんど崩壊してますから

 新聞記者がオタオタしている間に、小沢一郎はニコニコ動画でのジャーナリスト会見に応じてしまった。つまり、いまや新聞・テレビ・ラジオ・通信社だけがメディアではないということであり、それを取捨選択できるのは政治家にとって実に有利なことではないか。最早、小沢一郎の眼中に「記者クラブ」なんてものはないのだ。

『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』(上杉隆著/小学館101新書/2010年4月6日刊)

『時代は変化している。メディア環境も激変している。記者クラブが、無意味な負の遺産を守ろうとしている間にも、日本のメディア自体が存亡の危機を迎えている。

 記者クラブのオープン化は、鎖国状態にある日本のメディアにとっての開国になるであろう。それこそが、この半世紀以上にわたって、霞が関と記者クラブによって騙され続けてきた、日本人の一億白痴化状態を解く唯一の鍵となる。』

 というエピローグの言葉がすべてをあらわしている。つまり最早記者クラブという存在そのものが、否定的に捉えられ、まさに日本のメディア自体の存亡の危機への象徴的な存在なのだ。結局、記者クラブ制度ができた1890年から120年過ぎて、メディア状況はすっかり変わっている。そんなすっかり変わったメディア状況のなかでも旧態依然の制度は最早制度疲労を起こし、実際には「国民の知る権利」(笑)を逆に否定する存在となっている。

 朝日新聞の前田恒彦検察官のよるフロッピーディスク改ざん事件報道だって、それまでの村上厚子元厚生労働省局長に対する冤罪事件に対する検察庁の官製報道タレ流しに関する自己検証なしの報道である。それまでの官製報道タレ流し状況に対する自己検証も何もなしに、いざ前田検事のFD改ざん事件があったらそのまま報道するって言う発想はどこから出てくるのか。それまで村上局長をさんざん悪者扱いしてきた姿勢は何だったのか、検察タレ流しの報道に対する検証は朝日新聞の中からは出てこなかった。で、前田検事のFD改ざん問題が出てきたら、いかにも鬼の首をとったように偉そうに報道するって発想はどこから出てくるのだろうか。

 そんなことをしているから、小沢一郎に上前をはねられるのである。メディアは新聞だけじゃないぞ、ということである。これは、佐藤栄作が首相としての最後の会見に新聞を外し、テレビだけに限って会見を行なったというのと、ちょっと似ているが、少し違う。佐藤は新聞は自分が発言したことをそのまま書かずに曲げて書いているから嫌だと言ったに過ぎない。しかし、小沢は自分の発言をそのまま、編集もせずに伝えられるメディアであるネットの方がもっといいと考えたのだ。

 ネットニュースったって、そのほとんどが新聞などのニュース・ソースに頼っているのが現状である。しかし、これからはそうじゃなくなてくるのかなという期待がある。取材源を持たないことでやってきているネット・ニュースだがこれからはそうでもいかなくなるだろう。アメリカでは長期の調査報道をもっぱらとするネット・ニュースがあるそうだ。そうなると、新聞の調査報道も最早ネットと競争する状況になる。人件費の安いネットと高い新聞の競争はどうなるのだろう。人件費の安い分だけ実はネットの方が「自分の身を守らなくていい」分だけ強いような気がするのだ。新聞は結局記者自身の身を守るという意識が発生してしまうから、最後まで対象に迫れないのであろう。本来は給料がいいから、そして年功序列、終身雇用制度があるから、それに守られて突撃取材も大丈夫だったのだけれども、いまやその給料の高さが逆に取材者の足かせとなってしまうのだ。

 もう、新聞の時代は終わりましたね。テレビ報道の時代もNHKを除けばもうないも同然。だったら、民放はもっと少なくして2局位でいいんじゃない、というのが私の発想。だって、どこの番組見ても新助とか、さんまとか、たけしとか、そんなタレントしか出ていないようなバラエティ番組しかやっていないじゃないか。新助、さんま、たけしだったらその3人で2局の番組は充分出来る筈である。

 NHK2局、民放2局という発想はダメだろうか。で、記者クラブは解散、とにかく新聞・テレビ・ラジオ・通信社だけじゃなくて、雑誌・ネットメディアにも開放された記者会見をするっていうことで、いいじゃない。

 その時、初めて報道は市民の(って言葉は好きじゃない、本当は「人民の」と言いたい)ものになるのではないか。

 で、横のテレビでは「尖閣列島での中国漁船の日本海上保安庁の警備艇に対する衝突ビデオの流出問題」をやたら取り上げているが、それこそ日本政府の隠ぺい主義が出ているものなのだ、誰が流出させたのかというようなくだらない「犯人探し」はやめて、取り敢えずはこのビデオを見ましょう。どうせ、中国は「日本は中国領海内にまで軍艦を入れて漁船の邪魔をした」というにきまっているのだから、それはそれで聞いておけばいい。その後の問題は、その時に話合えばいいじゃないか。

2010年11月 5日 (金)

121人の三島由紀夫論なのだが

『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(中川右介著/幻冬舎新書/2010年9月30日刊)

『一九七〇年=昭和四十五年は、昭和のオールスターが揃っていた年だ。

 昭和天皇はまだまだ元気だったし、内閣総理大臣は最長在任記録を持つ佐藤栄作、自民党幹事長は田中角栄、防衛庁長官は中曽根康弘、警察庁長官は後藤田正晴だった。最強の布陣ではないか。

 文学界も芸能界も、老壮青それぞれの世代にスターがいた。さらにその下にやがて芽を出す無名の青少年たちもいた。

 そのなかで、最前線にして最高位にある人が、突然、死んだ。』

 という書き出しで始まる本書だが、要は121人の人の1970年11月25日の過ごし方を記した本である。しかし、そこで121人の人の三島由紀夫論がみえてくるかといえば、そうでもない。そこに見えるのは「三島由紀夫を自分の距離」であるだろう。当然、そこには三島とおのれのスタンスの違いや、文学論の違い、政治論の違いがあって当然である。

 特に違和感のあるのは「政治論」であろう。市ヶ谷駐屯地という「一基地」に突入し、そこの総監を捕まえて、隊員に決起(クーデター)を呼びかけたとはいえ、そんなものは自衛隊員全員に呼びかけたものではない。また、三島がその数年前から自衛隊に体験入隊し、盾の会会員もそれに同行したとしても、それがなんだというのであろう。所詮それらは頭デッカチの作家と学生の間の「お遊び」にすぎなかったのだ。三島の体験入隊時代に、あるいは三島と同時に体験入隊した盾の会会員の入隊時代に、少なくとも何人の自衛隊員に対してオルグをしたのだろうか。そうした基本的なこともせずに駐屯地に突入してそこで演説をしたって、それはヤジで消されてしまうほどの演説にすぎない。レーニンやトロツキーのサンクト・ペテルスブルグの演説のようにはいかないのである。

 結局、三島の行動、突入、演説、自決は、文学論上の物語になってしまった。しかし、そんな「文学上の物語」に同道させられてしまった森田必勝らの立場はどうなのだろうか、彼らは三島文学の従道者にすぎないのか。そこまで彼らは三島文学に殉じていたのか。そんなことはないだろう。そんな文学青年ばかりが盾の会会員であったという話は聞かない。むしろ、三島文学にはあまり付き合っていなかった青年たちが盾の会に入っていたように聞く。要は「右翼はカッコイイ」という感覚の人たちだ。

 それはその数年前までの「左翼はカッコイイ」の反対面での反応にすぎないのだけれども。でも、確かにあった現象でもある。その流れが今でも見沢地廉や鈴木邦男なんかのファンにつながっているのだろうけれども。

 今や右翼も左翼もよくわからない時代である。雨宮処凛なんて右翼なのか左翼なのか分からない状況になっている。要は、体制側に与するのか、反体制側に与するのかということであり、その際に右側(資本主義政治)にいくのか、左側(社会主義政治)にいくのかとのちがいでしかない。

 この時代と、今の時代の違いを言うならばまさに『いまの時代とは異質の熱さ――それはデララメさでもあり、なんでも許される大らかさでもある――を感じとり、そこに面白さを予感してくれてからであろうと、勝手に解釈している』という筆者のあとがきにもある通り、そんな時代の様相なのであろうな、ということである。

 今更、三島由紀夫の本を読んで「決起」にはやる大学生はいないのであろう。というか、『「三島由紀夫」って、昔教科書で読んだけど、何か・・・、』という状況ではある。う~ん、もう自決してから40年も過ぎてるからなあ。

 もはや「三島自決事件」も歴史上のヒトコマになってしまったのか。

 

 

 

 

2010年11月 4日 (木)

nude

 角川シネマ新宿やシネマート新宿があるビルは元々はアートシアターの新宿文化や蠍座があった場所にある。ビルの名前だけは「新宿文化ビル」というものが残っている。そんな場所で見たのが『nude』であった。

『nude』(小沼雄一:監督・脚本/石川美香穂:脚本/製作:スモーク・ダブ/原作:みひろ/配給:アルシネテラン・ハピネット)

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 衣装、持ち道具、装飾のすべてにおいて赤とピンクを一切排除し、ロケの際にも喫茶店の窓に映り込む赤いビルのノボリさえ撤去させ、男目線による扇情的なAVシーンを避け、女性の内省的な視線で描く映画にしようという小沼監督の意図は成功しているだろう。『nude』というタイトルから多少は扇情的なAv映像を期待していた男性観客の興味は見事に裏切られるのだ。

 そして、主人公みひろ・山瀬ひろみ(渡辺奈緒子)よりは、むしろ幼なじみの河合さやか(佐津川愛美)の視線が強化されて、さやかのみひろに対する抵抗や感情がみひろの考え方のベースになっている。みひろがそこまでしてAV出演にこだわる裏側にはさやかの抵抗があるみたいで、むしろ恋人のたかしの存在は小さく、まるでいてもいなくてもいいような立場でしかない。そこで、最後にみひろはたかしを捨てるのだ。そしてたかしを捨てることによって、更なる高みを目指すみひろ、という構造になっている。

 監督の小沼雄一は男だが、むしろ女性映画と言ってもよいような『nude』ではある。

 しかし、渡辺奈緒子よりは佐津川愛美の方がみひろ役にあっているような気がするのは、私だけだろうか。もっとも、美しいというよりは可愛い感じの佐津川のみひろ役だと、もっと扇情的な映画になってしまったかもしれないが・・・。

11/5までシネマート新宿にて公開中/11/6よりシネマート六本木で公開

http://www.alcine-terran.com/nude/

2010年11月 3日 (水)

『ウェブで儲ける人と損する人の法則』と言ったって、初めからウェブで稼ごうと思わなかった人もいるんですけど

『ウェブで儲ける人と損する人の法則』ったって、それは要は早いところでWebの世界に入った著者が勝ちってことでしかない。まあ、Webを使った商売の世界でね。でも、いまやWebは商売じゃないところまで行っているのだ。それが中川氏には分かっていないようだ。

『ウェブで儲ける人と損する人の法則』(中川淳一郎著/ベスト新書/2010年11月7日刊)

 それはないんじゃない、とも思うけれどまあその世界がお金を稼げる世界かどうかはわからない状況の中でその世界に飛び込んだ人は、上手くいけばその世界で金を稼げる人になるんだってことですね。先人のそんな様子を見て後からその世界に入ったって、そんなに金を稼げるってものじゃないということを書きたかったのか、というのが本書である。

 だって、本書で言う中川流ネットであてる方法は;

①話題にしたい部分があるもの、突っ込みどころがあるもの

②身近であるもの、B級感があるもの

③非常に意見が鋭いもの

④テレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、ヤフー・トピックスが選ぶもの

⑤モラルを問うもの

⑥芸能人関係のもの

⑦エロ

⑧美人

⑨時事性があるもの

⑩他人の不幸

⑪自分の人生と関係した政策・法改正など

が、クリックされやすい情報だとして、結局は高いPVを取れるトピックのネタは;

「テレビ番組に関するもの」「情勢芸能人がブログですっぴんや胸の谷間を披露」「韓国・中国VS日本を煽るもの」「タバコの増税など論争を呼ぶもの」「芸能人の結婚・離婚などステータスの変更」「芸能人・スポーツ選手によるスキャンダル・逮捕」「ダイエット」「モテる人、モテない人の特徴」「恋愛関係の話」「芸能人による病気の告白」「職場の飲み会の是非などライフスタイルに関するもの」「コンビニ商品」「安い店の紹介」「高過ぎるものの紹介」「美人・巨乳」「年収に関する話題」「地方VS都会と煽るもの」

 ということである。つまり、これはすべて民放テレビネタでしょ。要は、民放テレビから受けた無料の情報を元にしてそれを拡大していくネット世論を、著者は了承しているのだ。

 勿論、そんなことが分かっていない企業の広報担当者や、企業そのものに対して話をしているのはわかるのだが、しかし、そんなことを話していながら実は中川氏自身が、自身批判している筈の「イタいネット病患者」になっているのではないか。

 中川氏は書く『そこには「テレビ離れ」「クルマ離れ」「読書離れ」「酒離れ」「新聞離れ」「タバコ離れ」「旅行離れ」「活字離れ」「プロ野球離れ」「雑誌離れ」「CD離れ」「映画離れ」「ゲーセン離れ」「スポーツ離れ」「パチンコ離れ」などはまあ、理解できる』という部分においても、若者の要は「消費離れ」なのであろう。その辺をどうすればよいのかという提言は、当然のことながらない。何故ないのか。要は中川氏の発想はすべての現状肯定しかないからだ。そこが中川氏の発想の貧困さにつながっている。

 中川氏は前著『ウェブはバカと暇人のもの』で書いた状況に自ら入ってしまったんだろうか。どうもこの本からはそんな感じがするのだ。つまり腰巻に書いてある通り『クリックされない「ウェブバカ」からお金を稼げる「賢者」になれ!』という通り、まさにウェブで金を稼がない奴はバカだという発想である。まあ、「ウェブで金を稼いでいる人」が言うことだからそれはそうなんだけど、別にそうじゃない人もいっぱいいるということなのだ。

 別にブログを書いている連中が皆そのブログで金を稼ごうとは考えていないというよりは、そんな金を稼ぐことが目的じゃないブログの方が断然多いのだということに、中川氏は気付かないのだろうか。単なる自己表現衝動だってあるのだ。要は、自費出版だってそのほとんどは自らの思いを本にしたいというだけのことであり、それで稼ごうなんて考えている人はいないということと同じなのだ。

 つまり、自費出版とかブログなんてのは「自己満足」のためのメディアなのである。勿論、メディアである以上、それでお金を稼ぐ方法もあるだろうが、そうじゃない人の方が圧倒的に多い。そんな弱小メディアに対しての目配りも中川氏に求めることは無理なのだろうか。どうせ中川氏自身も「バカで暇人」なんでしょ。

 弱小メディアの代表者としては、そこが問いたい。

2010年11月 2日 (火)

『池袋チャイナタウン』を読む

 ということで、今日は本として出ている池袋チャイナタウンである。

『池袋チャイナタウン』(山下清海著/洋泉社/2010年11月1日刊)

 その池袋チャイナタウンが「東京中華街構想」を打ち出したのが2008年1月のことである。つまり、それまでは中国人のための、中国人による、中国人の街だった池袋チャイナタウンに、日本人の観光客を呼び込もうとして、横浜、神戸、長崎に次ぐ日本第四番目の中華街ということで、しかし東京には中華街がないので、池袋中華街ではなくて「東京中華街」として打ち出したのだ。

 しかし、地元商店会には入らないし、町会費も払わないし、街灯費用も負担しないし、ゴミ出しスールも守らないし、歩道に上海ガニの段ボール箱を積み上げるわ、派手な捨て看板は出すわという中国人が突然に出した「東京中華街構想」に対して地元の商店主たちは反発し、それに乗じて右翼団体が「チャイナタウン建設計画をぶっ潰せ! シナ人は池袋から出て行け!」というようなスローガンを叫ぶ集会を開いたり、たまたま中国製冷凍餃子中毒事件が起こったりして、取り敢えず「東京中華街構想」は一旦沙汰止みとなってしまった。

『実は北京オリンピックのとき、西口公園で中国の人たちと共同で何かイベントをやろうかという話もあたんです。でも、そんなことをやったら、またきっと政治団体が来て騒ぎになるというので、やめてしまった。そりゃ、世間の人は日中友好なんて気軽にいうけど、こういう繁華街で何かやるというのは大変なことなんですよ』というのが日本人商店主の本音なんだろう。

 中国人というのはこうやって世界中にチャイナタウンを作っては寄り集まって、自らの街を作っていく。いまや世界中でチャイナタウンのない国はないと言ってもよいくらいだ。そんな中国人の支えになっているのは出身地元の地域的な繋がりと、親戚同士の繋がりである。親戚から借金をして遠い国へ行き、そこで商売を始めた最初の人々は、商売で稼いだ金を借金返済だとか親戚・家族への送金の形で中国に資金を還流させる。おっあの国は金になりそうだということに気付いた中国人たちは、そうして還流した金でもって次の人々がやってきて、最初の人々のそばでまた商売を始める。その人たちも、またまた商売で稼いだ金を出身地元の親戚に還流させ・・・という連鎖が次第に大きくなり、その街にチャイナタウンを形作るのである。

 この繰り返しが現代中国の経済にどれだけ寄与してきたのかは分からないが、しかし、かなりの部分で支えてきたことだけは間違いないだろう。そうした華僑ネットワークが今の中国の力強さの原点である。

 しかし、こうした日本社会のルールを守らない中国人というイメージは池袋だけの問題ではない。いまや、繁華街だけの問題ではなく、アパートやマンションという住民間の問題にもなっているそうだ。やはりそこにも「ごみ出しルールを守らない中国人」や「廊下に平気で物を出している中国人」などの問題が起きている。勿論、そういうルールがあるということを知らないということもあるのだろう。「そこの住民には何らかのルールがあるのだろう」ということを初めから意識している日本人と、「言われなければそこにはルールがない」と思っている中国人の意識の差である。とにかく何でも主張しようと言う中国人と、お互い分かっているでしょうと考えている日本人の考え方の違いといってもよい。

 そこでそんな中国人が集まってコミュニティを作ってしまうと、そこには中国人のルールができる。そうするとそんなルールに従えない日本人はその街を捨てて出て行ってしまう。ということで、完璧にチャイナタウンの完成を見るのだ。そんな中国人がいまや在日外国人のトップになって、不法滞在者も含めるともはや100万人に達しようという状態である。100万人といえば日本の人口のほぼ1%である。もうそこには新しい文化ができているのだろう。

 そんな多文化状況というのは日本人がこれまで経験してこなかったことではあるが、しかし、そうした多文化状況を受け入れないと我が国の異常高齢化現象の解決にもつながらない。要は海外からの移住者を受け入れるというのはそういうことなのだ。

 我々も、もはやアメリカやヨーロッパの国々のような多文化状況を受け入れざるをえないのであり、日本も多文化国家になっていくのである。まあ、経済だけがグローバル化するわけはないのだから、これは当然か。

 

2010年11月 1日 (月)

池袋チャイナタウンを見に行く

 池袋チャイナタウンといっても横浜中華街みたいに中華料理店がたくさん路面で展開しているわけではないのでつい見過ごしてしまう。

2010_10_29_030_2 池袋チャイナタウンのシンボル的な中華食材店”陽光城”

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2010_10_29_026_2 雑居ビルを見上げると、そこには中国語の看板が

2010_10_29_022_2 こんな看板も

2010_10_29_017_2 いかにも中華街な店もあります

EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 場所は池袋駅北口を出たところ。昔はラブホテルやらソープランドなんてのがいっぱいあって、かなり怪しい場所ではあった。今でもその名残はいっぱいあるのだけれども、しかし、相当空き地になってしまい、やたら有料駐車場が多い。チャイナタウンのシンボルは中華食材店の「陽光城」という店があり、その周辺のビルを見上げるとやたら中国語で店の名前を書いてあったり中国語で書かれた捨て看板なんてのもあったりして、ああここは中国なんだという気になってくる。そういえば、周辺の喋っている言葉が中国語らしい言葉だな、ということなどがわかってくる。

 そう、池袋チャイナタウンというのは、横浜中華街みたいに日本人の観光客相手の商売じゃなくて、中国人のための、中国人による、中国の店ばかりだということ、つまりここは「小中国」なのである。そこでこの街の住人たちが「東京中華街」構想を出したわけなのだが、そのいきさつなどについては明日の『「池袋チャイナタウン」を読む』で書く。

 取り敢えず、池袋チャイナタウンはこんな感じというのを見ていただければと。

 池袋チャイナタウンのHPはこちら http://www.tokyochinatown.com/Index.html

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