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2010年10月11日 (月)

闊歩する「バブル女」とそれに嫉妬する「団塊ジュニア」、じゃあロスジェネはどうすればいいの

 要は著者自身「おわりの」に書くように「団塊ジュニア女子のバブル女に対する恨み辛み」である。

『バブル女は「死ねばいい」婚活、アラフォー(笑)』(杉浦由美子著/光文社新書/2010年8月20日刊)

 まえがきによれば『(1)バブル女:1960年代後半生まれの女性たち。80年代後半~90年代初頭のバブル景気の頃に社会に出た。出生率が低い丙午生まれを含む。(2)団塊ジュニア:1971~74年生まれ。ベビーブーマー世代であり、熾烈な受験戦争を乗り越えて大学に入ったが卒業する頃にはバブルが崩壊していて途方にくれた世代。精神科医の香山リカは「貧乏クジ世代」と名付けている』ということである。この1960年代後半と70年代前半という微妙な生まれ年の違いが、決定的なその後の生き方の違いになっている。

 今や日本は2008年のリーマンショック以来未曾有の不景気に陥っており、それは1990年のバブル崩壊の後、失われた10年を経てようやく回復したと思われた日本経済を完全に打ちのめした。しかし、そんな時代になってもなお、『バブル女は、いまだに「気分はバブリー」』であり、『バブル男たちは会社のお荷物として虐げられているが、「一方。(40代)女性は今も「『何とかなる』という根拠のない自信に満ちている人が多い」』ということなのだ。

 バブルの遺産としては「丸の内OL」であり「スッチー」であり「バリキャリ」であるそうな。女だからといってチヤホヤされる(された)丸の内OLとスッチーはわかるが、「バリバリ働くキャリアウーマン」がバブルの遺産というのはちょっと難しい。しかし、「終身雇用制を信じて」「女だてらに男性と同等にバリバリ働く」という「バリキャリ」の定義を見ると理解できる。つまり、キーワードは「終身雇用制」ということなのだ。つまり、バブル女の大学新卒採用時にはまだ終身雇用制が生きており、この新卒採用時の制度は、その後、企業が制度を変更した際にも、それまでに採用した人間はこの「既得権」が生きているということなのだ。この「既得権」があるかどうかというのが「バブル女」と「団塊ジュニア」との違いなのだろう。

 しかし、40歳を過ぎたバブル女が未だに「婚活」をするのは自由だが、そんなアラフォー女が実はまだまだ「子供を産む気満々」ということを目にすると、著者でなくとも「何だこの万能感は」という気分になってくる。現在の医学は40歳を越えても子供を産ませることは可能だ。しかし、問題は産んだあとの子育てである。例えば40歳で子供を産んだとして、子供が小学校を卒業する頃には52歳。まあ、中学生にもなれば子供も親離れをするだろうが、それまでの子育ては体力的にキツい作業になる。毎年の夏休みに子供を色々な場所に連れて行かなければ、子供は絵日記をかけない。そんな体力がありますか? つまり『バブル婚活女たちは産んだ後にどうなるかを考えないのだ。彼女たちは将来のことを考えずにここまでやってきた。その延長に「まだまだ産む気満々」があるように思えてならない』というのは正しいだろう。そう「終身雇用制」を信じて先のことなど何も考えずにきた結果であるということだろう。

 こんな、バブル女たちがなぜそんな世代になったのか、というと『バブル世代は物質的に貧しかった時代を知る最後の世代であるからこそ、新たしいモノを得ることで、自分の人生が「右肩上がり」だと感じ、万能感を持つ』のであると結論づけるが、しかし、それはちょっと違うだろう。バブル世代が「貧しかった時代を知る」最後の戦後世代であると結論づけるが、しかし、バブル世代が生まれた1960年代後半はオリンピックを既に経験して、新幹線や高速道路、クルマ(マイカー!)などが既に実現しており、貧しいというのとはちょっと違うだろう。むしろ、豊かさの元年が1960年代後半の特徴づけであるとすれば、そんな豊かな時代になってもまだ「終身雇用制という貧しかった時代の既得権が生きていた」と考えるべきだろう。

 若い時代はどんなに仕事が出来ても安い給料で働き、将来年をとってから高給になるという終身雇用制の発想は、基本的には若いものに高給を払えない貧しい時代の発想である。年齢に関係なく仕事が出来るものには高給で遇するというのは、豊かな時代の発想であり、まさに能力別雇用と言うものなのだ。

 つまり、そうした時代の実相と、雇用情勢の乖離というのがバブル女を生み出した理由なのであろう。

 しかし、そうやってバブル女に憧れ、同時に嫉妬し、恨み辛みを募らせる団塊ジュニアに対し、ロスジェネはどう見るだろうか。という風に、世代論、世代間戦争をやってしまうと、それは永久に終わらない、不毛な論争になるだけなのである。

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コメント

うーむ、しかし団塊ジュニア女子はまだ元気があっていいんだが、団塊ジュニア男子はもう元気がなくてダメなのでは?
ということを団塊世代が上から目線で言ってしまってはいけないのだろうが、どうもそんな気がするんですね。

 といふことで本来はじめに流れ着いたのはこちらで
ございます。これは本腰入れてコメントしておくべき
かな、と思った世代的には「団塊ジュニア世代」でも
あるのですが。
(まあ正確には「団塊ジュニア世代の男子」なので
この本の主軸からは外れるのですが。私と同世代の
男子向けとしてはおそらくストレートなのはこの本
よりも本田透『がっかり力』(講談社アフタヌーン
新書)の方がよろしいかと。ま、ガツンと受け止める
だけなら『がっかり力』を読んだ上で『電波男』を
読めばいいと思うけどね。うちらの世代はそれだけ
「老人力」をつけるようにスキルとして「がっかり
力」を身につけておくべきだと思う。特にバブル女
とか星野仙一的なカリカリとか中華人民共和国的な
短絡的な反応をする人を同一視するかのように
「支那人判定(C判定)」して、かつての神聖ローマ
帝国圏内にいる人達が英語だけで街を闊歩してくる
サマに対する穏当な反応の如く、「少しだけいぶか
しむ」といった高度なテクニックを駆使するためには
それを前提に据え置くための「がっかり力」が最低限
必要なので)

 まあこの本で一番多くの人が拾ってないところで
捉えておくべき事象は「呪われた自民党の議員」を
軸に拾って捉えていくと、非常にわかりやすい、って話。
 結果的に「ワークライフバランス」やらなどで結果的
に「団塊ジュニア世代」からの斬り捨てをやったのは
今は亡き「頭はクリーム実質ポマードの人」ですし、
同じく「東海バケツ」からほどなくして亡くなった
首相の姉妹の話も非常に捉えやすい違い。
 そして自民党没落の元凶でもあったバブル女の
象徴はいかにもなワンレングスを引っ張る片山さつきと
醜悪に「高齢出産」で話を唸らせる野田聖子、といふ
あたりがね。

>バブル女に憧れ、同時に嫉妬し、恨み辛みを募らせる
>団塊ジュニアに対し、ロスジェネはどう見るだろうか。
まあおそらく「頼りにならない姉(兄)」ってことで。
はじめから「バトル・ロワイヤル」になることがハッキリ
していた世代は逆に決断も早く結婚・出産も早い。
でもそれはそれである程度完結しているとはいえ、
マジョリティを無視した部分の再構築を特に「ワーク」
面でやらかした国でそもそも人口が増えるはずもなく、
いろんなステータスであったものがこの間に崩落している
サマをつぶさに観てきたのが、おそらくは「ゼロ年代」
ってことだった、ってことくらいなのでは。

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