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2010年10月26日 (火)

『全学連と全共闘』ったって、一緒にはできないのである

『ニッポン熱帯魚伝説』『スコット・ジョプリン 真実のラグタイム』などという本を書いてきた伴野氏の最新刊は<全学連>と<全共闘>について書いたものだ。一体、この人何が専門なんだろう、という気分になってくる。

『全学連と全共闘』(伴野準一著/平凡社新書/2010年10月15日刊)

 とはいういものの、別に専門の分野のことだけ書いていればいいと言うわけでもないのだから、こうした新分野への挑戦はとりあえず支持する。しかし、そのためには大変な資料集めと取材をしなければならないし、そうして初めて自分なりの見解を提出できるのだろうけれども、残念ながらこの本ではその「自分なりの見解を提出」するにいたっていないのは残念だ。

 たしかに、1961年生まれの伴野氏にとって、全学連とか全共闘とか新左翼セクトというのはよくわからない存在なのかもしれないが、ちょっと粗雑なその分類をキチンと分けてみる。

 まず「全学連」であるが、その名はまさしく「全国学生自治会総連合」である。つまり、学生全てが加入する大学の自治会が全国組織として集まったものであり、つまり小学校の「学級会=生徒会」、中学・高校の「ホームルーム=生徒会」と同じく、戦後GHQの指導により、これからは日本にも民主主義を徹底させようということで作られた大学の自治会が集まったものである。そこで、こうした民主主義のことを「戦後民主主義」とか「ポツダム民主主義」というわけだ。この民主主義の方法論というのは「とにかく多数決」という考え方。つまり「多数は絶対」「多数は正しい」という「形式民主主義」であり、戦後の日本政体すべてがこれにとどまっている悪しき政体である。「だったら初めから話し合いなんかしないで、議案提出イコール即義ということで決めてしまえば同じじゃないか」というやり方が今でも国会ではしばしば採られている「強行採決」である。

 そんな「学生自治会」がなんでセクトが欲しがったかといえば、そこに集められている「自治会費」という金である。とにかくセクトには機関紙の売り上げとカンパくらいしか資金がないわけで、そんなセクトにとっては自治会費は宝の山である。ということで、各セクトとも自治会を自分のセクトに都合のいいように引き回し、資金を得ようというのである。

 そんな自治会のあり方に疑問を投げ、否定して自ら問題に参加しようという有志だけを集めようというのが「全共闘」の考え方である。したがって、元々全共闘は苛烈な思想と行動を持っている存在であり、基本的に「反セクト主義」であり「ノンセクト」なのである。こうしたノンセクトの立場が一番ハッキリしていたのが東大全共闘であったのかも知れない。つまり、やる気のある人間だけが集まって民主主義を実現しようという発想が全共闘型民主主義というものかもしれない。セクトの「力」を借りずに自分たちの力だけで問題を解決しようという、いってみればごく普通の発想だったのだが。

 それに比べて日大全共闘はまったく行き方が異なる。つまり、日大はもともと自治会自体がなかったのである。しかし、そこで日大におこった不正経理問題を期に、それまでたまっていた日大の学生弾圧体制に対しての不満が爆発。しかし、学生たちがよって立つ組織も何にもない日大の学生たちは全学共闘会議を結成して大学の不正に対して戦うことを決めたのである。

 東大闘争も元々はインターン制度についての医学部の闘争という「なんだそりゃお前だけいい思いをしようという」(所詮はエリートの)闘争かよというものが、途中それをめぐっての処分撤回闘争という基本的には「よくある」きっかけなのであるが、そこに同時にあったのは民青(共産党)が指導して「大学側とはナアナア」「活動はお遊び」の自治会に対する反発であるが、もともと自治会すらなかった日大闘争とは出自が違う。結果として東大闘争は理学部・山本義隆がいう「自己否定」に満ちた「象牙の塔」闘争になって終結し、日大闘争は学生側の一定の勝利を勝ち取る戦いになったのだ。「自己否定」という言葉はかっこいいが、じゃあそれで自分が何を得るというのだという点が何もない。まさに、実存主義的な発想なのである。

 実存主義の結果、フランス共産党を支持するに至ったサルトルとはまったく別の生き方ですね。

 こうした「大衆運動」とでも言うべき全学連や全共闘運動に対して、革命の為の前衛党たるべきセクトはどう向き合ったのか。ひとつは先に言ったような自治会についての「金づる」発想である。これは全学連に対するセクトの思想。

 もうひとつは前衛党への人材確保という一面もあったに違いない。これは全学連、全共闘ともにその対象としてセクトは考えたに違いない。たしかに日大闘争なんかは、元々が思想に無垢な日大生が相手だから割かし簡単にオルグされたのではないか。特にML派なんかはうまくいっていたようだ。要は毛沢東万歳という割と単純な発想のセクトだったからね。しかし、東大全共闘あたりはむしろ逆にセクトの力を全共闘の為に利用するという発想で、セクトは大衆を領導するどころか、うまくノンセクトラジカルの全共闘に利用されていたのである。なんだ、そんな前衛党が大衆を領導して革命なんか起こせるのか、という発想は正しい。つまり、日本の新左翼セクトが革命なんか起こせるはずはないのである。

 ちなみに、全共闘運動ははじめから革命運動でもなんでもなかった。限定的なテーマについて限定的な闘いをするための運動だったのであり、戦後民主主義の擬制に対する闘いだったのだが、そんな全共闘運動の先に革命をみた(見間違えた)セクトはその後自己崩壊を起こしてしまった。実は全共闘運動に対して懐疑的なスタンスをずっととったまま付き合っていたが故に今もって組織を維持(最盛期に比べれば随分小さくなったが)できているのは、革マル派だけなのだ。つまり、他派から言われている「組織維持」しか考えない革マルというのは半分正しいし、じゃあ革命の前段階闘争をやる気があるのかよ、と言われてしまえば、その気はない。つまり、革命的な状況になった時に突然存在感を示すというのが革マル派の発想なんだろうから、それまではJR東日本あたりを乗っ取ってうまくやろう、ということなのだろう。

 革命というのは高度に政治的な活動である。それこそ清濁合わて飲み込むようなことが必要である。そんな活動を「汚い政治が嫌い」な若者ができるだろうか。出来るわけはない。しかし、出来るわけはないことを出来ると思ってしまい、それを行動に移すことが出来る、というのも若いからこそである。そして、1960年代という時代はそんな錯覚を起こさせることが可能な時代だったのだ。つまり、いまや新左翼セクトとしてはJR東日本を乗っ取った革マルくらいしか(つまり「清濁」どころか「濁濁」を飲み込んだのだが)多分革命を語る資格はないということなんだろうな。

「遅れてきた青年」たる伴野氏にとっては、その遅れてきた自分に対する忸怩たる想いが、この本を書かせたのだろう。しかし、「革命を夢見た」とか「革命を見た」とか言っている伴野氏の先輩たちは、そんなこと言っていながら実は誰も「革命を信じて」はいなかったのである。

 もしかしたら、学生運動家のごく少ない人達は革命を信じていた(笑)のかも知れないが、少なくとも高校生運動をやっていた自分にとっては、革命とはそんなものだったのである。

 だって、学生になって初めて日本の社会の矛盾に気がついたような鈍感な奴に革命なんかできるはずないじゃん。

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コメント

ありがとうございます。
『路上の全共闘1968』読ませていただきます。
どこかで見た覚えはあるのですが、読まないままになってしまっていましたね。
「日大全共闘の話」なので、興味はあります。
まあ、東大全共闘は山本義隆の「自己否定」でもって、実は自己崩壊していたわけなのであまり興味はないが、日大は結構興味はあります。
全共闘が新左翼党派と一線を画していたというところも潔いというか・・・。

的確で、かなり正確で、ズバリとした書評でした。そんなあなたに、私の著書『路上の全共闘1968』を拝読いただいたら、いかなるご批評をいただけるのだろうか?そんなことを考えながら読ませていただきました。

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