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2010年10月23日 (土)

『死刑台のエレベーター』のリメイクって、監督の叔母さんが亡くなったの?

 監督の緒方明の叔母さんが亡くなって遺産が入ったわけでもないだろうに、なんで『死刑台のエレベーター』なの? それともヌーベルバーグへのオマージュなら『勝手にしやがれ』にでもしておけばよかったのに。

『死刑台のエレベーター』(緒方明監督/木田薫子脚本/小椋事務所製作/角川映画配給)

Shikeidai_wp02_normal

http://www.shikeidai.jp/index.html

 ということで、ルイ・マルの叔母さんが亡くなってその遺産で作ったのが本家本元の『死刑台のエレベーター』なわけだが、これが大傑作作品になってしまい、その後のフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』やジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ」なんかのヌーベル・バーグの先行作品という位置づけになってしまったわけだ。しかし、『死刑台のエレベーター』は『勝手にしやがれ』なんかの作品とは違って、かなりキッチリしたシナリオに沿って作られており、それだからこそアンリ・ドカエなんかのうるさ型のカメラマンなんかを使えて、パリの夜を歩くジャンヌ・モローとマイルス・デイビスの音楽と言う有名なシーンを撮れたりしたのだ。

 そんな傑作をリメイクするという大胆なことを何故緒方明がやったのかは知らないが、だったらもう少しシナリオを変えればよかったのに、という気がする。オリジナルから既に50年経っているのである。その間の人々を取り巻く状況の変遷は大変なものがある。当時は携帯電話だってなかった時代なのである。だったら、「モチーフだけいただき」のよくあるスタイルのやり方でもっと大胆にシナリオを書き変えて2010年の『死刑台のエレベーター』にすれば良かったのに、ルイ・マルに対するオマージュなのだろうか、とにかくオリジナルに忠実な展開を心掛けているその姿勢はよくわからない。

 その為に、主人公を別の殺人事件に巻き込むことになってしまう「奔放な若者」が、まるでイマドキのバカな若者でしかないという設定になってしまっている。大体、なんで警察官が突然ヤクザの三下のチンピラを殴っているのかの説明がない。それも、アメリカの大物が来日して厳戒態勢にある横浜の街のすぐ裏通りなのである。そんな警察官がいるのかどうか、今ならキレやすい若者が警察官になる時代だろうから、そんな警察官もいるかもしれないが、でもなんでチンピラをブン殴っているのか。おまけに拳銃を取られてしまうのだ。まあこれも「イマドキのバカな若者」だというところなのかなあ。

 その警察官がヤクザの親分とその情婦を殺して彼女の家に帰ってきて、睡眠薬自殺を彼女から薦められるが、その彼女が振りかぶったワインのボトルはどこにあたったのだろうか、翌朝目覚めたふたりは何にもなかったようにふるまっているのが、これまたよくわからない。普通なら大けがをして、何らかのモメごとになるだろう。まあ、そこも「イマドキのバカな若者」だからなのか。って、相当これは「イマドキのバカな若者」をバカにしている映画だぞ。

 さらに、主人公の相手になる女(吉瀬美智子/オリジナルのジャンヌ・モローですな)が使っている黒人がよくわからない。まあ、主人公は医者だから、医者が拳銃を持っている筈がないから黒人が医者に拳銃を渡す出だしのシーンはわからなくもないのだが、じゃあそんな医者がなんで拳銃をあたかも前から使い方が分かっているように使えるのか、がわからない。さらに言うと、吉瀬美智子と黒人の関係もよくわからない。

 とまあ、突っ込みどころがいっぱいある2010年版『死刑台のエレベーター』なわけですが、まあ、吉瀬美智子だけ、まあエロさ加減だけはいいかな(別に脱いではいないけど、なんか雰囲気からするエロさ加減があります)。オリジナルのジャンヌ・モローの知性的な雰囲気には残念ながら足下にも及ばないが、取り敢えずはいい芝居をしていると言えるのではないか。しかし、やはりアンリ・ドカエの写したパリの夜景と、そこをうろつくジャンヌ・モローの美しさにはかなわない。本当はジャンヌ・モローってそんなに美しい女優じゃないんだけど、それを美しいと感じさせる撮影なのだ。つまり「演技力を含めた美しさ」なのだろう。この「演技力」を含めない美しさだったら吉瀬もジャンヌ・モローばりではあるが、やはり「演技力」ではコメディ・フランセーズには勝てないのでありました。

 それと、手持ちカメラで移動するアンリ・ドカエの撮影と、普通に三脚立てて撮った横浜のカラー撮影じゃ、まあ比較にはならないけどね。あの、手持ち移動撮影でもってジャンヌ・モローの心境を一緒に映しているんだっていうところが、この2010年版では撮影監督を含めてわかっている人がいないんじゃないだろうか。本当はそこが肝心なのだけれどもね。

 要は、オリジナル版『死刑台のエレベーター』は撮影が肝心なのだけれども、そこを無視してもいいけど、じゃあだったらどこにポイントをおくのだろうということである。ポイントがないのだ。だから、すべてのショットが冗長になってしまうのだな。アンリ・ドカエが撮ったジャンヌ・モローのパリの街を彷徨うシーンだって、実はストーリーとしては冗長な部分ではあるが、しかしそのシーンがあってあの作品は映画の雰囲気をつくっていたのだ。そこが「ポイント」である。そんなポイントのない単なる女優のショットなんていらないのだ。だったら編集で切ればいいのに、それもしない。

 とにかく、最後に残る疑問は最初に述べた「何故、『死刑台のエレベーター』なのだろうか」それも何故『オリジナル・シナリオに忠実に作る」のだろうか、ということなのだ。これが『勝手にしやがれ』だったら、もともと即興演出で作っている作品なので、まともなシナリオはないわけで、もっと勝手に作れたのではないだろうか、と考えるのだが。

 とにかく、監督が考えていることが、よくわからない。

 で、本作の公開に合わせてシアター・ユーロスペースでオリジナル版『死刑台のエレベーター』が再上映(ニュー・プリント)されてます。もし、オリジナル版を見ていなかったら、是非、こちらも必見です。緒方明には悪いけど、こちらの方が絶対面白いのであります。

 まあ、リメイクがオリジナルより面白いってことはまずない、ってことです。

 

Topbg

http://www.zaziefilms.com/shikeidai/

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コメント

クロード・シャブロルは奥さんのお祖母さんの遺産で映画を作ったようです。
ルイ・マルは伯母さん(叔母じゃなかったようです)の遺産で『死刑台のエレベーター』を作ったようなのは間違いないと思われます。
ところで、ルイ・マルがヌーベルバーグかどうかは、かなり怪しいようです。本人は『カイエ・デュ・シネマ』に執筆したことはないようですし、自分はヌーベルバーグではないと言っているようです。
とは言うものの、撮影所修業をせずに映画を作ったという点ではヌーベルバーグ型の映画製作方法だし、まあ、いまやヌーベルバーグかどうかなんてことは関係なくなってしまっていますがね。だって、ゴダールとトリュフォーの違いなんて、同じヌーベルバーグですなんて殆ど意味はなくなっています。

叔母さんの遺産で監督デビュー作を撮ったのは、ルイ・マルではなく、最近亡くなったクロード・シャブロルではないでしょうか。先月読んだ『映画伝説ジャン・ピエール・メルヴィル』には、そう書いてありました。この本はメルヴィルとヌーヴェル・ヴァーグ、特にトリュフォーやアンリ・ドカとの愛憎関係とかも書かれていて、へーっとなりました。

コメントありがとうございます。
できれば、どちらの「死刑台のエレベーター」を見て、感想はどうだったかなんてことも書いてもらえたらうれしいです。

見ました ありがとう

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