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2010年10月

2010年10月31日 (日)

『お笑い東京大学』どころか、お笑い草じゃないよ

 東大OB有志の会って何だ。巻末にある紹介では「東京大学の卒業生が母校である東大や現役の東大の在学生、卒業生などに関する実情を語ることで、東大や日本がさらによくなるように活動する、OB達による有志の会」ということだが・・・。

『お笑い東京大学』(東大OB有志の会著/データハウス/2010年10月1日刊)

 要は東大卒業生が如何に「保守的」かという話のオンパレードである。

 いわく『何をやらせても、上手にやっていける僕ら東大生は』とか『どんなに不景気が訪れても、まさか無職になることはないだろう。人生の最低限の保証はもうクリアしている』という発想。『東大卒は、新卒で入社してから定年まで、寝ていてもクビにならない。入社したときから窓際社員なら、誰でも居眠りしたくなる。だから入社したときから、定年間際の感覚である。財閥系企業ではまさにそうだ』という感覚や、『東大卒はそういう就職先が好きだった。銀行に就職すれば将来(結婚)も安定しているし、普通に歩いていれば人生に落とし穴などはない。そういう地方公務員や銀行マンとしての人生がいいと思った人は、その道を歩いて来て、定年を迎える頃に差し掛かっている。せっかく東大を卒業したのに、そういう人生がよかったのか悪かったのかと聞かれても「悪かった」とは言えない。なぜなら、そう答えたら自分がみじめ過ぎる。 (中略) 案外東大卒文系OBの就職後は、面白くないとも言われるが、その理由はこのように第二志望の人生を延々と無駄なくそつなく全うしてきたからである。インテリで才能があってマルチタレントならば、何も地方公務員にはなっていないだろう。』『つまり東大には、定年後の再就職先もあるし、出世レースから外れても受け入れ先はいくらでもある。衛星の大学や病院を維持していくのも、東大の役目なのである。何も東大内部の出世レースだけが人生ではないのだ。』等々、なんか悲しくなってしまうくらい保守的な話でしょ。

 とにかく、「東大に入った」あるいは「東大を卒業した」段階でもはや「余生」のような生き方になってしまうのは何故だろうか。私のように出版社という中小企業に勤めているとよくわからないのだが、財閥企業や銀行などの大企業にいると「東大卒」ということだけで役所との関係なんかをうまく繋ぎとめられることなんかもあるのだろう。大企業にとっては役所との関係が重要だからね。つまりそこでは役人になった同期生なんかがいるわけで、その繋ぎ役としてだけ東大卒が求められるということなのだろう。要するに企業としては東大卒の力量ではなく、東大卒という肩書だけが求められるということなのだろう。そうした企業に勤めてしまった東大卒には「ご苦労さん」としか言いようがないが、まあ、そんな企業を選ぶのもその当人の器量の問題だから仕方がない。むしろ、現場でいきいきと仕事をするのは私大卒ということか。だったら、はじめから私大にいった方が良かったのかもしれない。でも、そんな私大卒の方が東大卒よりも先にリストラされてしまうとしたら、やはり東大卒の方が「職においては絶対有利」ということなのだろう。

 まあ、それが東大卒を保守的にさせる理由なのだろう。しかし、そんな保守的な人間を育てるために国の金を使って東大生を養っているわけではなのだが、結局は東大卒が世の中でもてはやされている間は、そんな卒業生が増えていくのだろう。

 勿論、そんな東大卒ばかりじゃない。『つまり東大卒でも、ハーバード大卒でも、卒業した本人にとては自由な学歴なのだ。他人がとやかく言いたいとするなら、言いたい人の趣味なんだろうと思う。日本を飛び出ると、そんなことを痛切に思う。』という「半導体のエンジニア」もいるのは多少は安心できるのだが・・・。

 しかし、結局は『どうしてこの不景気に彼に仕事があるのかといえば、東大卒だからである。工事現場監督が東大卒というわけだ。企業は東大卒に何かを期待する。パート従業員から始まる企業リストラは、女子社員、高卒社員とだんだん幹部社員で浸食してくるが、東大卒がそれに引っかかるのは最後である。彼が自分の学歴にしがみついて、リストラの最後まで生き延びるなら、それも東大卒の特権なのだろうと思う。』という風に、結局「東大卒の特権」にこだわるのだろう。

 要は東大卒というよりも「東大に入学するために大変な努力をしたのだ」から、その後の人生において「大学に入るためにそんなに努力しなかった」人よりはより楽な人生を送っても良いじゃないか、という発想である。

 そんなの、『週刊現代』の記事じゃないけど「東大までの人、東大からの人」じゃないかよ。ま、それだけ「東大までの人」が多いということなのだろうな。

2010年10月30日 (土)

『日本のカジノはこの街にできる』って、どの街よ

 基本的には大賛成の日本カジノ構想なのだけれども、何故か腰が引けてるんだよね。

『日本のカジノはこの街にできる』(伊丹治生著/マイコミ新書/2010年10月31日刊)

 というタイトルなのだけれども、どうも慎重論のような気がする。まあ、法案提出まで間近になってきたので慎重になっているのかもしれないが、まあ、そんなに法案に影響しない本なのだから、もっと言いたいことを言ってもいいのじゃないか。もっと、じゃんじゃん日本にカジノを作れといっても・・・。

 所詮、日本にはカジノ(ルーレットやバカラ、ジャックポットといった)はないけれども、競馬やら競輪、オートレース、ボートレースといった「博打」はあるし、それこそパチンコやパチスロなんていう「博打」も(法的には「遊戯施設」ということになってはいるが)あるのだ。何を今更ギャンブルについて規制をする必要があるのだろう。

 煙草についてはニコチン依存症、酒についてはアルコール依存症というのがあって、それぞれその害が伝わっているが、政府がそれをやめようということはない。例えば禁酒法を施行したアメリカがその結果マフィアの力をつけることになって、結局じゃあ政府が管理して税金をとる方がいいじゃないかということになったのだな。ということで、煙草にしても酒にしてもそれぞれの依存症という問題もあるけれども、結局は「税収」の方が大事だから国はそれほど問題にしてはいない。同じく、ゲーム依存症とかギャンブル依存症なんてものも同じなのだ。要は、税収が上げられれば何でもいいというのが政府の考え方なのだから。韓国がパチンコを規制しているという理由がやはり「ギャンブル依存症」なのだそうだ。しかし、その韓国がカジノを認めているのは何故だろうか。それは、やはり「税収」であろう。

 ということで日本にもカジノを作りましょうよ。で、取り敢えずはどこに作るのというのが問題になっているのだな。

序章 カジノは本当に必要か?

第1章 カジノが地方を再生する

第2章 カジノ合法化の問題点とその対策

第3章 アジアのカジノ、世界のカジノ

第4章 カジノ合法化をめぐる動き

第5章 日本各地のカジノ計画

終章 理想の日本型カジノ

 以上が本書の「目次」なんだけれども、さすがに著者自身のギャンブル依存症のことには触れていない。

 しかし、要は日本にもギャンブル施設としてのカジノを作るべきだという発想であり、それが何の問題もない統合型レジャー施設なんですよということに主題はおかれている。しかし、ギャンブル場であることは間違いないだろ。で、いいじゃないか。所詮、カジノはギャンブル場なのである。賭場なのである。それがヤクザが仕切っている場所でやるのか、そうじゃなくて政府公認の会社がやるのかという違いでしかない。賭場に賭ける人間にとってはどっちでもいい。要は自分が勝てればいんでしょ、ということなんだけれども、実は客は胴元には絶対勝てないというのがギャンブルの基本なのだ。その構造は本書にも書かれているが、まさにその通り、まあ、ギャンブルなんてものはそういう世界なのである。しかし、そんな世界にも挑戦してくる人々がいる。それが、ギャンブルの世界なんだろう。

 私自身はギャンブル全然駄目(株でも駄目、ビデオでもβ、でコンピュータはMac買った時点で負け人生ですね)人間なので、偉そうなことは言えないのだけれども、少なくともギャンブル規制に対しては税収の関係から反対なのである。そうギャンブルで人生壊す奴は始めからダメな奴なのだから、それこそ自己責任で勝手に壊れればいいのである。

 とにかく、どこが最初のギャンブル場になるのだよ。それが一番の興味なのだ。

2010年10月29日 (金)

『大学破綻』というより再生の書である

 今、日本には778の大学があり、18歳人口の50%以上が大学に進学し、『進学先を問わなければ進学希望者の全員がいずれかの大学の学生になることができる』という。

『大学破綻 合併、身売り、倒産の内幕』(諸星裕著/角川ONEテーマ新書/2010年10月10日刊)

 しかし、一方で浪人してでも入りたい大学があるということは、他方で定員割れを起こしている大学があるということだろう。つまり、2003年に広島県の立志館大学、2005年に山口県の萩国際大学、2007年に福岡県の東和大学、そして2009年になって愛知県の愛知新城大谷大学、三重県の三重中京大学、兵庫県の神戸ファッション造形大学、聖トマス大学、東京都のLEC東京リーガルマインド大学の5大学が募集停止=経営破綻を起こしている。そして『これまでに破綻した3校や最近募集停止した5校を見ると、いずれも小規模で、しかも開学からの歴史が浅く、地方の低偏差値校というところがほとんどでした。誰でも望めば「大学生」になれる時代だからこそ、大学が選ばれてしまうという大学サバイバルの時代を象徴する事態です』ということなのであろう。

 問題はこうした「小規模」で「歴史が浅く」「地方の」「低偏差値校」がそうした理由で募集停止をいう事態に至ったのかというと、そればかりではないというのが本書の論旨である。勿論「小規模で、歴史が浅く、地方の低偏差値校」である故にそうなってしまったという側面があるにしても、実はそれらの大学が「ミッション」を持っていないということが原因であるということである。「ミッション」とは『この大学で学べば、こういう教育を受けることができ、こんな人間として卒業できることを約束します』という大学と学生の間の一種の「契約事項」を指す。つまり、それが明確に示せなかったがために、学生を集めることができなかった、ということである。

 しかし、そんなものを持って、明確に受験生に示せるような大学なんであるのだろうか。まあ、旧帝大あたりは「研究者と官僚」を作りますという割と明確な「ミッション」がそれとなくあるのはわかる。がしかし、それ以外の大学にはそんなものもなく、何となく学生が「う~ん、ウチの大学は実業の世界に生きるための大学なんだろうなぁ」とか「いやあ、ウチはマスコミ人養成の大学だよ」とか「ま、ウチは中級サラリーマンの為の大学だよな」とか「うん、ウチは中小企業経営者(の親が多いから)を作る大学さ」と感じているだけなのである。つまり、大学側には一切そんな「ミッション」なんてものはない。でも、東京や大阪・京都、名古屋辺りにあるマンモス校は大丈夫いくらでも学生はくるからね、てなもんである。

 と思っていたら、そんなマンモス校であっても、いろいろ悩みがあるそうである。私が出た中央大学の場合、ある時深刻な顔をしている大学職員がいたので「いやあ、中央大学の場合、少子化ったって入学者が減るということはないから大丈夫でしょ」と言ったら、いやいやそうではなく、近頃は高校や予備校の受験指導が行き渡って、めったやたらに大学を受験しなくなって受験生がしっかり入れるような大学しか受験しなくなってしまっており、そのために受験生が減ってしまっている、ということなのだ。中央大学の場合、受験生が仮に半減した場合、数億の減収になってしまう。ということで、最近は東京以外の場所でも受験できるようにしているのだが、そうなると、合格して初めて中央大学に来た学生が「なんだ、俺の田舎よりもっと田舎ジャン」と、中央大学にはいったことを後悔する学生が増えることだろう。

 ということで、諸星氏はこの「ミッション」に即して日本の大学に提案する。

『では、この21世紀初めの日本で必要な大学とはどんな大学でしょうか。私に尋ねられたなら、躊躇なく3種類の大学を挙げます。』として、『1つ目は、世界レベルの研究大学です。国家間の競争が益々激しくなるこの世界で、残念ながら日本の大学はこの分野で遅れています。そこでは超優秀な研究者が超優秀な学生に研究の手ほどきをし、一緒に研究をします。 (中略) 2つ目は、本当の意味での教養人を養成する大学です。やる気のある学生が幅広く集まって、いろいろな勉強ができる、教養教育中心の大学です。そこにはさまざまな学問の専門家集団がいて、大学院に進むということをかなり現実的な選択肢として考えている学生たちを「指導」してくれる、そういう大学が必要とされているのです。 (中略) 残る3つ目は、全入時代を明確に意識した大学です。それは、「あまり勉強のできない子」、偏差値でいうと35から40くらいのところの学生を集めて、4年ではなく5年、6年とかかるかもしれないけれど、ともかく一生懸命に鍛えて、社会に役立つ人材に育てる、ということをミッションとした大学です。 ~ この大学では、とにかく「勉強ができない子」しか入れません。「勉強のできる子」は門前払いにします。だからミッションに忠実に、ミッションに特化した教育が出来るのです。』

 ということなのだが、1つ目はまあ問題ないだろう。2つ目も要はこれはいわゆる普通の大学の姿をもうちょっと教養寄りに持ってきたわけだ。ただし、学部制をとっている日本の大学でこうした「教養部的な組織」を作るのは難しいかも知れない。そして3つ目だが、これが一番難しいだろう。それこそ高校の教師あたりを大学教授にして「算数」から教えるような授業が必要になるかもしれない。なにしろ「微分・積分」どころか、ヘタをすれば「九九」あたりから(小学3年生か!)教えなければならないような学生である。なんでそんな奴を入学させるんだよ、というお叱りもあるかもしれませんが、入れちまったもんは入れちまったもんだろう。ちゃんと卒業できるまで面倒見るってもんが、日本の学校らしくていいじゃないか。

 まあ、大学全入時代はそのくらいしてあげないとね。

2010年10月28日 (木)

『テレビの大罪』はもう何度も言われてきたことだけれども

 テレビの大罪というのは既にいろいろ言われていることではあるが・・・

『テレビの大罪』(和田秀樹著/新潮新書/2010年8月20日刊)

 要は許認可事業であるにも関わらず、その義務を果たさず、くだらないバラエティ番組ばかりを放送し、莫大な利益をあげている、ということが批判のポイントなのだが、いまや最後の部分だけはそうじゃなくて、フジテレビ以外はみんな赤字か減収減益、TBSホールディングスなんかは大赤字で横浜ベイスターズを手放そうというところまで追い込まれている、という状況だが、しかし、それについての同情論なんかはどこからも出てこないで、みんな「ざまあ見やがれ」ってな感じで見ている。

 ところで、放送法という法律があって、テレビの番組編成についてのしばりがあるのはご存知だろうか。つまり、報道番組、教育番組、教養番組、娯楽番組という4っつの放送ジャンルがあり、このうち報道、教育、教養については最低でも1日の番組編成でこれだけのパーセンテージで編成しなければならないという決まりがある。教育番組10%以上、教養番組20%以上というのが総合放送局の「決まり」である。しかし、こんなにたくさんの教育番組、教養番組なんてものがあるのだろうか。視聴率を稼ぐのは娯楽番組。そこで如何にして「娯楽的要素」を持った、報道、教育、教養番組にするのかがテレビ編成マンの発想。「納豆ダイエット」問題で消えた「発掘! あるある大事典」なんかは実は立派な「教養番組」なのだ。朝のワイドショーだって立派な「報道番組」ですからね。教育番組の一番いい例は「ひらけポンキッキ」なのだが、これなんかはいいほうかも知れない。まあ、東京で5チャンネルもある民放の過当競争がこんな歪んだ番組編成の原因なのだろう。こんなインチキなプログラム編成を誰が認めてるんだ、といったって総務省がOKしてるんだからしょうがないでしょう。

 ところで、「CMを流す」ということと、「番組提供をする」ということは違うというのはお分かりだろうか。「CMを流す」というのは、取り敢えずCMを流す15秒とか30秒だけを買って自社CMを流すということ、純粋な宣伝活動ですね。ところが「番組提供をする」というのはこれとは全然違って、CMの時間枠だけを買うのでなくて「番組制作費を出している」のである。番組の前後にある提供枠のナレーションで「○○の提供でお送りしました」「ご覧のスポンサーでお送りしました」という2種類の言いかたがあるのはご存知だと思うが、この前者が番組制作費まで出している会社、後者がCM枠だけ買った会社である。じゃあ、この番組提供社が番組の著作権まで持っているかといえば、実はまったくないのである。雑誌や新聞の「PRのページ」みたいなものである。いわゆる「ペイパブ」ね。当然、再放送の際の使用料だとか、番組がDVD化された場合の著作権使用料なんてものにも一切与れないのである。

 このふたつ、番組編成におけるインチキな編成と番組制作費のスポンサー頼み、が民放テレビが莫大な利益をあげられた理由なのである。どう考えても「娯楽番組」としか思えない「教育番組」や「教養番組」。「制作費」として金を受け取っていながら著作権をまったく認めてない「番組制作費」。ちなみに日本と同じテレビ大国のアメリカの場合、番組提供というのは一切なくてすべてスポットCMのみである。まあ、その分スポット料は高いけどね。つまり、日本の場合、あまり高いスポット料金はとれないので、その分番組提供をしてもらってスポンサーの気に入る番組を作りますから少しお金を頂戴ねという構造を作ったのだろう。スポンサー側も番組制作費を払いながらも著作権意識なんてものは殆ど無いから、制作した番組に自分たちの権利があるなんてことには気づきもしなかったのだ。

 でまあ、そんなテレビ状況も変わってきたのだけれども、しかし、いまだ日本におけるテレビの社会に対する影響力は強い。そこで、本書のいう「テレビの大罪」がいまだに言われ続けているのである。つまり、マスコミというのは基本的にセンセーショナリズムに走りやすい性格を持っており、それはしょうがないことなのだけれども、しかし、同じマスコミでも新聞や雑誌などの活字メディアはまだ「買う」とか、「読む」などの多少は能動的な動きをメディアの受容者がしなければならないのに対して、テレビというのは完全に受動的な態度で接するメディアであるから問題が大きくなるということなのだろう。しかし、そうしたテレビメディアの社会の中での唯一の能動的なポジションにいるはずのテレビマンの体質が、自らそうしたメディア状況の中にいるという意識が希薄であり、新聞や雑誌と同じセンショーショナリズムに走り、それがテレビメディアの中でどんどん自己増殖しているというのが問題なのである。

 で、その解決策というものがあるのかということなのであるが、多分ないだろう。とにかく、田中角栄が郵政大臣時代にやたら全国のテレビ局申請にOKを出し、日本教育テレビと東京12チャンネルという二つの民放教育局を総合放送局にしてしまったのがそもそもの原因である。とにかく、東京にあるNHKを含め、公共放送2チャンネル、民放5チャンネルという地上波放送自体が多すぎるのである。アメリカだって民放4チャンネルだけである。

 ボチボチ、民放3チャンネルぐらいにツブれていただいて、公共放送2チャンネル、民放2チャンネルくらいになれば少しはマトモな番組ができるのではないか。しかし、そういうとマズ最初になくなるのはテレビ東京とテレビ朝日か。

 う~ん、これも悩ましいな。できればこの二つだけは残って欲しいのだけれども。

2010年10月27日 (水)

『「戦後」を点検する』ことで見えてくるもの

 いつの頃までを「戦後」という呼び方で総括するのかというのは人によって違うのだろう。

『「戦後」を点検する』(保坂正康・半藤一利著/講談社現代新書/2010年10月20日刊)

 取り敢えず本書では「昭和の戦後」という判断で昭和50年をその区切りとしている。

 1956年(昭和31年)の『経済白書』ではすでに「もはや戦後ではない」という言い方をされて、それはつまりアメリカから独立を果たし、朝鮮戦争特需によって経済的離陸を実現したことをさす。しかし、その言葉は中野好夫がその年の2月に『文藝春秋』に書いた一文のタイトル「もはや『戦後』ではない」のパクリだったとは知らなかった。そういう意味では、人によっては1964年の東京オリンピックを戦後の一区切りとする人もいるかもしれないし、六〇年安保闘争までだという人もいるだろう。『私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって「戦後」が終っていないことをよく承知しております』と言った佐藤栄作にとっては1972年(昭和47年)が戦後の一区切りだろうし、同じく1972年でも4月の沖縄返還じゃなくて9月の日中国交回復だというのが田中角栄かも知れない。その意味では本書での一区切りである1975年(昭和50年)というのも妥当なのかもしれない。

 しかし、実際には保坂氏の言う『「戦後」ということばがいつ死語になるか。それは日本が戦争を始めたときでしょうが』という言葉通り、まさに「今に至るもずっと『戦後』である」という考え方でなければならない。65年たっていまや「歴史」化してしまいそうな戦後史であるが、しかし、そんな「歴史」にしてはいけない、たしかにもはや「体験」することはできないのだろうが、それでもずっと「戦後」であり続けることが、次の戦争を起こさない理由になっても良いではないか。

 それにしても、日本の戦後って半藤氏が言うように『けっきょく、朝鮮半島もインドシナ半島も――ここでは触れませんがインドネシアでも――日本が立ち去ったあとに混乱と戦火が起きている。むろん、それは米ソやフランスやオランダなど旧宗主国の思惑が引き起こしたものですが、日本はその間、かつて占領していたことも忘れたように「我関せず、一から出直し」で経済成長にひた走っていたという面はたしかにある』という、アジアの歴史に対する無責任な態度のおかげで、ここまでの経済大国になってきたのである。それだけでもあまり大きな顔もできないところなのに、ちょっと国境の島問題で韓国、中国が騒いだくらいで大げさに反発する日本人ってなんなんでしょうね。それこそヘタすりゃ「戦後」じゃなくなってしまう、とんでもないことなのだ。

 とまあ、そういうことで私も保坂氏の言うとおり「日本がふたたび戦争を始めるまでは戦後」という発想で、今後とも戦後が続くことを願うのだ。

 そこでひとつだけ保坂氏、半藤氏の思い違いか記憶違いがあるのではないだろうかというのが「傷痍軍人」についての発言だ。半藤氏が『数寄屋橋あたりで座っていたのは、昭和二十年代の終わりぐらいが最後じゃないかなあ。軍人恩給が出るようになったこともあるのかな。』といい、保坂氏がそれに答えて『そうかもしれませんね』と相槌を入れると、横から編集者が『あの~、昭和五十二、三年ごろはまだ見かけましたよ」と突っ込みを入れるわけだが、それに対して半藤氏が『ホント? たぶんそれはニセモノじゃない?』と答える部分がある。しかし、昭和52~3年というのは大げさだが、昭和20年代の終わりが最後というのは、実は間違っているのだ。

 実は昭和30年代になってもまだ街に立つ傷痍軍人はいた。中にはニセモノもいたのかもしれないが、その大半は朝鮮人の兵隊だそうだ。戦争が終って朝鮮籍を獲得したが故に日本の軍人恩給をもらえなかった元兵隊たちがそうして街角に立って物乞いをしていたというのである。

 できれば、その辺だけでも、もう一度検証してもらいたい。

2010年10月26日 (火)

『全学連と全共闘』ったって、一緒にはできないのである

『ニッポン熱帯魚伝説』『スコット・ジョプリン 真実のラグタイム』などという本を書いてきた伴野氏の最新刊は<全学連>と<全共闘>について書いたものだ。一体、この人何が専門なんだろう、という気分になってくる。

『全学連と全共闘』(伴野準一著/平凡社新書/2010年10月15日刊)

 とはいういものの、別に専門の分野のことだけ書いていればいいと言うわけでもないのだから、こうした新分野への挑戦はとりあえず支持する。しかし、そのためには大変な資料集めと取材をしなければならないし、そうして初めて自分なりの見解を提出できるのだろうけれども、残念ながらこの本ではその「自分なりの見解を提出」するにいたっていないのは残念だ。

 たしかに、1961年生まれの伴野氏にとって、全学連とか全共闘とか新左翼セクトというのはよくわからない存在なのかもしれないが、ちょっと粗雑なその分類をキチンと分けてみる。

 まず「全学連」であるが、その名はまさしく「全国学生自治会総連合」である。つまり、学生全てが加入する大学の自治会が全国組織として集まったものであり、つまり小学校の「学級会=生徒会」、中学・高校の「ホームルーム=生徒会」と同じく、戦後GHQの指導により、これからは日本にも民主主義を徹底させようということで作られた大学の自治会が集まったものである。そこで、こうした民主主義のことを「戦後民主主義」とか「ポツダム民主主義」というわけだ。この民主主義の方法論というのは「とにかく多数決」という考え方。つまり「多数は絶対」「多数は正しい」という「形式民主主義」であり、戦後の日本政体すべてがこれにとどまっている悪しき政体である。「だったら初めから話し合いなんかしないで、議案提出イコール即義ということで決めてしまえば同じじゃないか」というやり方が今でも国会ではしばしば採られている「強行採決」である。

 そんな「学生自治会」がなんでセクトが欲しがったかといえば、そこに集められている「自治会費」という金である。とにかくセクトには機関紙の売り上げとカンパくらいしか資金がないわけで、そんなセクトにとっては自治会費は宝の山である。ということで、各セクトとも自治会を自分のセクトに都合のいいように引き回し、資金を得ようというのである。

 そんな自治会のあり方に疑問を投げ、否定して自ら問題に参加しようという有志だけを集めようというのが「全共闘」の考え方である。したがって、元々全共闘は苛烈な思想と行動を持っている存在であり、基本的に「反セクト主義」であり「ノンセクト」なのである。こうしたノンセクトの立場が一番ハッキリしていたのが東大全共闘であったのかも知れない。つまり、やる気のある人間だけが集まって民主主義を実現しようという発想が全共闘型民主主義というものかもしれない。セクトの「力」を借りずに自分たちの力だけで問題を解決しようという、いってみればごく普通の発想だったのだが。

 それに比べて日大全共闘はまったく行き方が異なる。つまり、日大はもともと自治会自体がなかったのである。しかし、そこで日大におこった不正経理問題を期に、それまでたまっていた日大の学生弾圧体制に対しての不満が爆発。しかし、学生たちがよって立つ組織も何にもない日大の学生たちは全学共闘会議を結成して大学の不正に対して戦うことを決めたのである。

 東大闘争も元々はインターン制度についての医学部の闘争という「なんだそりゃお前だけいい思いをしようという」(所詮はエリートの)闘争かよというものが、途中それをめぐっての処分撤回闘争という基本的には「よくある」きっかけなのであるが、そこに同時にあったのは民青(共産党)が指導して「大学側とはナアナア」「活動はお遊び」の自治会に対する反発であるが、もともと自治会すらなかった日大闘争とは出自が違う。結果として東大闘争は理学部・山本義隆がいう「自己否定」に満ちた「象牙の塔」闘争になって終結し、日大闘争は学生側の一定の勝利を勝ち取る戦いになったのだ。「自己否定」という言葉はかっこいいが、じゃあそれで自分が何を得るというのだという点が何もない。まさに、実存主義的な発想なのである。

 実存主義の結果、フランス共産党を支持するに至ったサルトルとはまったく別の生き方ですね。

 こうした「大衆運動」とでも言うべき全学連や全共闘運動に対して、革命の為の前衛党たるべきセクトはどう向き合ったのか。ひとつは先に言ったような自治会についての「金づる」発想である。これは全学連に対するセクトの思想。

 もうひとつは前衛党への人材確保という一面もあったに違いない。これは全学連、全共闘ともにその対象としてセクトは考えたに違いない。たしかに日大闘争なんかは、元々が思想に無垢な日大生が相手だから割かし簡単にオルグされたのではないか。特にML派なんかはうまくいっていたようだ。要は毛沢東万歳という割と単純な発想のセクトだったからね。しかし、東大全共闘あたりはむしろ逆にセクトの力を全共闘の為に利用するという発想で、セクトは大衆を領導するどころか、うまくノンセクトラジカルの全共闘に利用されていたのである。なんだ、そんな前衛党が大衆を領導して革命なんか起こせるのか、という発想は正しい。つまり、日本の新左翼セクトが革命なんか起こせるはずはないのである。

 ちなみに、全共闘運動ははじめから革命運動でもなんでもなかった。限定的なテーマについて限定的な闘いをするための運動だったのであり、戦後民主主義の擬制に対する闘いだったのだが、そんな全共闘運動の先に革命をみた(見間違えた)セクトはその後自己崩壊を起こしてしまった。実は全共闘運動に対して懐疑的なスタンスをずっととったまま付き合っていたが故に今もって組織を維持(最盛期に比べれば随分小さくなったが)できているのは、革マル派だけなのだ。つまり、他派から言われている「組織維持」しか考えない革マルというのは半分正しいし、じゃあ革命の前段階闘争をやる気があるのかよ、と言われてしまえば、その気はない。つまり、革命的な状況になった時に突然存在感を示すというのが革マル派の発想なんだろうから、それまではJR東日本あたりを乗っ取ってうまくやろう、ということなのだろう。

 革命というのは高度に政治的な活動である。それこそ清濁合わて飲み込むようなことが必要である。そんな活動を「汚い政治が嫌い」な若者ができるだろうか。出来るわけはない。しかし、出来るわけはないことを出来ると思ってしまい、それを行動に移すことが出来る、というのも若いからこそである。そして、1960年代という時代はそんな錯覚を起こさせることが可能な時代だったのだ。つまり、いまや新左翼セクトとしてはJR東日本を乗っ取った革マルくらいしか(つまり「清濁」どころか「濁濁」を飲み込んだのだが)多分革命を語る資格はないということなんだろうな。

「遅れてきた青年」たる伴野氏にとっては、その遅れてきた自分に対する忸怩たる想いが、この本を書かせたのだろう。しかし、「革命を夢見た」とか「革命を見た」とか言っている伴野氏の先輩たちは、そんなこと言っていながら実は誰も「革命を信じて」はいなかったのである。

 もしかしたら、学生運動家のごく少ない人達は革命を信じていた(笑)のかも知れないが、少なくとも高校生運動をやっていた自分にとっては、革命とはそんなものだったのである。

 だって、学生になって初めて日本の社会の矛盾に気がついたような鈍感な奴に革命なんかできるはずないじゃん。

2010年10月25日 (月)

新城幸也優勝ならず! 残念 ジャパン・カップ・サイクルロードレース

 10月24日は宇都宮でジャパンカップ・サイクルロードレースである。今年は、世界選手権で9位、パリ―ツールで5位に入賞したブイグテレコムの新城幸也選手がチームのエースとして参加するということなので、もしかしたら優勝? という期待もあり是非とも見なければということで日帰りで宇都宮まで行ってきた。昨年のように2泊して自転車で、と言うわけには今年はいかず、日帰りバス・ツアーでの観戦だ。

 レースは最初に9人の逃げ集団が形成され、この9人は取り敢えず山岳ポイント狙いということでプロトンはこの逃げを容認。しかし、逃げ集団とプロトンとの差はあまりつかず、最大で1分半程度。

2010_10_24_053 最初の9人の逃げ集団、一番左がジャパン・ナショナルチームに参加の大学チャンピオン、西薗良太(東大生!)。

2010_10_24_080 プロトンの中の新城幸也。画面左から2番目にいる。

 6周を過ぎたところで逃げ集団はプロトンに吸収されるが、プロトンから飛び出す選手はいない。そのまましばらく行くかと思われた7週目、突然ガーミン・トランジションのダニエル・マーティンが飛び出し、ぐんぐん引き離す。

2010_10_24_107 9人の逃げ集団を吸収したプロトンから飛び出したダニエル・マーティンの異様に早い仕掛け。

 マーティンを追う選手も6人ほどプロトンから先行するが、しかしこの6人が6人とも各チームでエースなので、お互い牽制しあってマーティンを追う者がいない。

2010_10_24_110 ダニエル・マーティンを追う6人位の集団。この中から優勝が出ると思っていたのだが・・・。

 にらみ合いをしている間にマーティンは逃げる逃げる。最終週になって追い上げを始め、ゴールでのスプリント合戦を期待させるのだが、結局、1分ちょっとの差をつけたままマーティンが優勝!

2010_10_24_117 結局、マーティンがそのまま逃げて優勝!

2010_10_24_131 残念! 新城。

2010_10_24_132

2010_10_24_140 よく頑張った、西薗。

 2位はオーストラリアのプロ・コンチネンタル・チーム、ドラパック・ポルシェのピーター・マウドナルド、3位は日本のコンチネンタル・チーム、シマノ・レーシングの畑中勇介.新城は9位でした。

 で、最後はおまけ。

2010_10_24_148

 ジャパンカップのお約束。チーム・ウェアの安売りをするミルラムのポール・ヴォス。つまり、ジャパンカップはヨーロッパのチームにとっては今年最後のレースなので、もうチーム・ウェアはいらないのだ。で、ファンに安売りをする人が毎年必ずいるのだ。

Nikon D100+AFS NIKKOR 18-105 (c)tsuoken

2010年10月24日 (日)

『ゴールドマン・サックス研究』というよりも、日本の今後の方が大事なのだな

 こういうタイトルだが、むしろ大きなテーマは「日本再生」である。しかし、そんなことは可能なのか? というのが私の本稿のテーマである。

『ゴールドマン・サックス研究』(神谷秀樹著/文春新書/2010年10月20日刊)

 著者の神谷氏は住友銀行から1984年にゴールドマン・サックスに転職しその後7年間同社に勤務していた。神谷氏がゴールドマンを退職してのちゴールドマンは変質したという。『90年年代半ば、そのゴールドン・サックスをはじめとしてウォール街は大きく変質を遂げていく。かつては実業をその土台とした資本主義が、金融資本主義、強欲資本主義へと変貌する~そして結果からみるならば、ウォール街の変質は、世界経済をその根本から変えてしまった。いまも続く先の見えない世界大不況へと突入させてしまった元凶そも言えるのである』と。

 まさにその通りであるけれども、実業資本主義経済の金融資本主義化とグローバル化という命題はマルクス経済学において既にとっくの昔に解説されていたのである。つまり、この20世紀になって、ソ連が崩壊してのちにマルクスの言っていることが正しいということが証明されたわけだ。それもアメリカの規制緩和によるむき出しの資本主義によって。つまり、産業革命期のイギリス経済が見せていたむき出しの資本主義の萌芽が、その後、20世紀初めの世界恐慌によって様々な規制が生まれ、資本主義はむき出しの状態からソフトなオブラートに包まれた状態になった。しかし、結局20世紀終わりの頃からの規制緩和が再び資本主義経済はむき出し状態になり、それが強欲資本主義という資本主義本来の姿を見せ、その結果、それが破綻し、いまやアメリカは国家が金融資本のオーナーになるという、まさに共産主義もかくやという状態になっている。まさにマルクスが言ったといわれる『資本の持ち主は労働者階級に対して、高価な物、住宅、そして技術をよりたくさん買うよう刺激し、高金利の借金を払いきれなくなるまで借りるようにプッシュする。労働者が支払いきれなくなった債務はやがてそれを貸し込んだ銀行を破産に導き、破産した銀行は国有化され、そして国はやがて共産主義に至る道を歩みはじめざるを得なくなる』というその通りの道なのだ。

 そのような状態から如何にして日本は脱却すべきかというのが本書の本当のテーマであるが、それに対して神谷氏はイノベーション・エコシステムを提案する。つまり「技術革新」を生む生態系が必要であると説く。要は、新技術の研究者にもっと自由裁量を与えて、とんでもなく面白い新製品が生まれる状態を作り出そうということであり、それが技術革新となり、実業の世界を取り戻そうということなのだ。

 うーむ、そうなんだろうか。今更、そんな悠長なことが出来るほど日本の産業は余裕があるのだろうか。結局、わが国でも立ち直っているのは金融資本だけで、製造業はいまだ販売不調なままである。そんな状況下で新規の研究費なんてものが出せるのだろうか。勿論、金融機関からの借り入れが増えるだけなんではないだろうか。

 私なんかは、むしろ一回日本という国はデフォルトをして、やり直した方がよいのではないかと考えている。デフォルトなんかをしたら若者に給料も払えなくなってしまうじゃないか、と考えるのは当然である。若者はそんな国に愛想を尽かして外国に仕事を求めて出ていってしまえばいいのである。なまじセーフティネットなんてものがあるから、今の若者は海外に出たがらなくなってしまう。どんどん若者にはBRICsあたりの国々に出て行って勝手に稼いでもらい、日本の社会保障制度の枠外に行ってもらう。そして、日本と言う国の人口を減らしてもらうのである。

 で、今の半分位に人口が減ったところで鎖国をしてしまえばいいのである。

 なあに、鎖国といったって江戸時代の鎖国制度だってちゃんと長崎は開いていたし、島津藩なんかは中国との貿易を密輸でやっていたわけで、海外との交流が完全になくなってしまうわけではない。老人大国・経済小国になって、つましい生活を行ないながら、許される範囲での海外との交流だけをする鎖国状態。

 これって意外と快適な生活かもしれない。

2010年10月23日 (土)

『死刑台のエレベーター』のリメイクって、監督の叔母さんが亡くなったの?

 監督の緒方明の叔母さんが亡くなって遺産が入ったわけでもないだろうに、なんで『死刑台のエレベーター』なの? それともヌーベルバーグへのオマージュなら『勝手にしやがれ』にでもしておけばよかったのに。

『死刑台のエレベーター』(緒方明監督/木田薫子脚本/小椋事務所製作/角川映画配給)

Shikeidai_wp02_normal

http://www.shikeidai.jp/index.html

 ということで、ルイ・マルの叔母さんが亡くなってその遺産で作ったのが本家本元の『死刑台のエレベーター』なわけだが、これが大傑作作品になってしまい、その後のフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』やジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ」なんかのヌーベル・バーグの先行作品という位置づけになってしまったわけだ。しかし、『死刑台のエレベーター』は『勝手にしやがれ』なんかの作品とは違って、かなりキッチリしたシナリオに沿って作られており、それだからこそアンリ・ドカエなんかのうるさ型のカメラマンなんかを使えて、パリの夜を歩くジャンヌ・モローとマイルス・デイビスの音楽と言う有名なシーンを撮れたりしたのだ。

 そんな傑作をリメイクするという大胆なことを何故緒方明がやったのかは知らないが、だったらもう少しシナリオを変えればよかったのに、という気がする。オリジナルから既に50年経っているのである。その間の人々を取り巻く状況の変遷は大変なものがある。当時は携帯電話だってなかった時代なのである。だったら、「モチーフだけいただき」のよくあるスタイルのやり方でもっと大胆にシナリオを書き変えて2010年の『死刑台のエレベーター』にすれば良かったのに、ルイ・マルに対するオマージュなのだろうか、とにかくオリジナルに忠実な展開を心掛けているその姿勢はよくわからない。

 その為に、主人公を別の殺人事件に巻き込むことになってしまう「奔放な若者」が、まるでイマドキのバカな若者でしかないという設定になってしまっている。大体、なんで警察官が突然ヤクザの三下のチンピラを殴っているのかの説明がない。それも、アメリカの大物が来日して厳戒態勢にある横浜の街のすぐ裏通りなのである。そんな警察官がいるのかどうか、今ならキレやすい若者が警察官になる時代だろうから、そんな警察官もいるかもしれないが、でもなんでチンピラをブン殴っているのか。おまけに拳銃を取られてしまうのだ。まあこれも「イマドキのバカな若者」だというところなのかなあ。

 その警察官がヤクザの親分とその情婦を殺して彼女の家に帰ってきて、睡眠薬自殺を彼女から薦められるが、その彼女が振りかぶったワインのボトルはどこにあたったのだろうか、翌朝目覚めたふたりは何にもなかったようにふるまっているのが、これまたよくわからない。普通なら大けがをして、何らかのモメごとになるだろう。まあ、そこも「イマドキのバカな若者」だからなのか。って、相当これは「イマドキのバカな若者」をバカにしている映画だぞ。

 さらに、主人公の相手になる女(吉瀬美智子/オリジナルのジャンヌ・モローですな)が使っている黒人がよくわからない。まあ、主人公は医者だから、医者が拳銃を持っている筈がないから黒人が医者に拳銃を渡す出だしのシーンはわからなくもないのだが、じゃあそんな医者がなんで拳銃をあたかも前から使い方が分かっているように使えるのか、がわからない。さらに言うと、吉瀬美智子と黒人の関係もよくわからない。

 とまあ、突っ込みどころがいっぱいある2010年版『死刑台のエレベーター』なわけですが、まあ、吉瀬美智子だけ、まあエロさ加減だけはいいかな(別に脱いではいないけど、なんか雰囲気からするエロさ加減があります)。オリジナルのジャンヌ・モローの知性的な雰囲気には残念ながら足下にも及ばないが、取り敢えずはいい芝居をしていると言えるのではないか。しかし、やはりアンリ・ドカエの写したパリの夜景と、そこをうろつくジャンヌ・モローの美しさにはかなわない。本当はジャンヌ・モローってそんなに美しい女優じゃないんだけど、それを美しいと感じさせる撮影なのだ。つまり「演技力を含めた美しさ」なのだろう。この「演技力」を含めない美しさだったら吉瀬もジャンヌ・モローばりではあるが、やはり「演技力」ではコメディ・フランセーズには勝てないのでありました。

 それと、手持ちカメラで移動するアンリ・ドカエの撮影と、普通に三脚立てて撮った横浜のカラー撮影じゃ、まあ比較にはならないけどね。あの、手持ち移動撮影でもってジャンヌ・モローの心境を一緒に映しているんだっていうところが、この2010年版では撮影監督を含めてわかっている人がいないんじゃないだろうか。本当はそこが肝心なのだけれどもね。

 要は、オリジナル版『死刑台のエレベーター』は撮影が肝心なのだけれども、そこを無視してもいいけど、じゃあだったらどこにポイントをおくのだろうということである。ポイントがないのだ。だから、すべてのショットが冗長になってしまうのだな。アンリ・ドカエが撮ったジャンヌ・モローのパリの街を彷徨うシーンだって、実はストーリーとしては冗長な部分ではあるが、しかしそのシーンがあってあの作品は映画の雰囲気をつくっていたのだ。そこが「ポイント」である。そんなポイントのない単なる女優のショットなんていらないのだ。だったら編集で切ればいいのに、それもしない。

 とにかく、最後に残る疑問は最初に述べた「何故、『死刑台のエレベーター』なのだろうか」それも何故『オリジナル・シナリオに忠実に作る」のだろうか、ということなのだ。これが『勝手にしやがれ』だったら、もともと即興演出で作っている作品なので、まともなシナリオはないわけで、もっと勝手に作れたのではないだろうか、と考えるのだが。

 とにかく、監督が考えていることが、よくわからない。

 で、本作の公開に合わせてシアター・ユーロスペースでオリジナル版『死刑台のエレベーター』が再上映(ニュー・プリント)されてます。もし、オリジナル版を見ていなかったら、是非、こちらも必見です。緒方明には悪いけど、こちらの方が絶対面白いのであります。

 まあ、リメイクがオリジナルより面白いってことはまずない、ってことです。

 

Topbg

http://www.zaziefilms.com/shikeidai/

2010年10月22日 (金)

クリント・イーストウッドって、結局はアタマのワルいアメリカ人に一番愛されるキャラクターなのね

 死ぬ前から伝記って普通出ないのだけれども、これだけ「偉大」だと出てしまうのだな。

『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』(マーク・エリオット著/笹森みわこ・早川麻百合訳/早川書房/2010年1月25日刊)

 なにせ、オスカーを4回も受けている「偉大」な俳優であり、監督でありプロデューサーなのだ。もはや伝記になってしまってもいい人なのかもしれない。

 ところで、伝記っていいうのは3種類ある。つまり、本人が書く(ということになっているがその大半はゴーストライターが書いている)「回顧録」というものと、その反対に書かれた本人からいろいろ嫌がらせやら虐められた人が書く「暴露本」、そして本人から取材をしたり、資料をあたったりしながらかいたいわゆる「伝記」。クリント・イーストウッドに関してはそれこそソンドラ・ロックが書いた「暴露本」があるようであるが、邦訳されていないのか目にしていない。

 ということで、本書が取り敢えず日本におけるイーストウッドに関する公正な伝記ということになるのだが、はたしてそうなのだろうか。

 最初の妻、マギーとの関係やソンドラ・ロックとのこと、二度目の結婚や婚外子のことなども含めてすべて書いてある、ということはここにも書いていないことがあるのかもしれない、という気にもなってしまうのが、読者の勝手な妄想である。

 それと、初めの方は映画作りにおけるイーストウッドのやり方とそのほかの監督やプロデューサーとの関係がいろいろ書かれているのだが、後半になると映画作りの裏面話はあまりなくなってしまい、作品系列とアカデミー賞との関係ばかりになってしまうのはどうなのだろうか。勿論、後半ではイーストウッドのやり方で映画を作ってしまっても誰も文句を言わなくなってしまうのだから、映画作りの中の苦労話なんかはなくなってしまうのだろうけれども、それでも1本の映画を作るのは大変なことだ。とにかく、数億円(というのはハリウッドでは超低額予算なのだけれども)を使って1本の映画を作るのである。制作過程では毎日数百万円がどんどん飛んで行くようになくなってしまう。このお金がどんどんなくなってしまうということに慣れてしまうと、それこそ金銭感覚が普通ではなくなってしまうのだ。日本でもそうなのである。それがもっと多額の製作費を使うハリウッドでは完全に普通の人の金銭感覚が通用しない世界になってしまっているだろう。

 そんな街を「虚栄の都市」といって、まさにハリウッドがそうなのである。そこでは金がまるで紙きれみたいに使われて、数百億という金額がまるで当たり前のように毎日消費されている。そんな街の虚飾の宴が毎年2月に行なわれる「アカデミー・ショウ」ということなのだ。まさに「虚栄の都市」の「虚飾の宴」なのですね。

 そうした虚栄の都市の住民たるイーストウッドが、どうやって虚栄の富と虚栄の地位を築いたかというのが本書である。まさにハリウッドの成功譚なのだが、ちょっと待てよ。そんなにイーストウッドばかりがスゴいのかよ。もちろん、スピルバーグやルーカスという人のことも考えていることは、本書にも触れているがあまり深くはない。マーチン・スコセッシなんてホンのチョッピリ触れているだけだ。まあ、イーストウッド側から見たらそんなものなのかなあ。

 さすがに「ローハイド」以来というか「荒野の用心棒」で出世したイーストウッドにとっては、西部劇を撮らない監督なんてものはあまり視野には入ってこないということなのだろう。結局、イーストウッドにとっては「映画は西部劇」なのだろう。『ダーティーハリー』シリーズだって、要は、形を変えた西部劇だし、本書でも何度も言われている「名無しの男」という概念だって、西部劇の概念なのだ。「どこから来るのか分からないし、どこへ去るのかも分からない名無しの男」である。そんな奴は今はいないのだけれども、イーストウッドはそれを続ける。それを続けるイーストウッドをアメリカの映画観衆は支持し続けるというわけだ。

 本当、アメリカ人って進歩しない人たちだな、という感じを持ってはいけないんだろうか。アメリカの一般大衆は「世界中が英語を喋っている」と考える人たちなんですよ。そんなトンでもないアメリカ人に支持された大衆俳優クリント・イーストウッド。

 なんか、それこそアメリカ人のバカさ加減を知らせてくれるのでありました。

 で、あれだけ共演女優とヤリまくったイーストウッドだが、『ダーティーファイター』で共演した牝オランウータンとはヤッたんだろうか。そこが気になる。

 まあ、クリスチャンだからな・・・。 

2010年10月21日 (木)

『世界で勝てるデジタル家電』なんてものはない日本はもう「鎖国」しかないのではないか

 もはや日本は「鎖国」しかないかもよ。

『世界で勝てるデジタル家電 メイドインジャパンとiPad、どこが違う?』(西田宗千佳著/朝日新書/2010年10月30日刊)

 20年程前にモントリオール国際映画祭に行った際に乗ったタクシーが韓国のHYUNDAI(ヒュンデイ)製だった。確かに、街を走っている自動車はまだアメリカ製や日本のトヨタ、ホンダ、ニッサンが多かったが、タクシーではヒュンデイが多かった。運転手に「パフォーマンス(「性能」のつもり)はどう?」と聞いたのだが、答えは「うーん、まあ壊れないからね」だった。つまり、タクシーの運転手にとっては車というのは性能を楽しむものではなくて、仕事のために使うものなので「壊れない」ことが一番重要なのだ。多分、その先には「値段も安いからね」という答えもあったのだろう。

 この時、私は「ああ、これからは韓国製の車と日本製の車は戦わなければならないのだろうな」と思ったのだが、いまや車だけじゃなくて家電製品も完全に韓国の支配下に日本製品は置かれているのだ。

 海外に行って最初に目にするのは空港にある広告である。以前は大体日本のSONYとかPANASONIC、TOSHIBAというのが定番で、それを見るたびに我々日本人は「いやあ、日本製品も海外で活躍しているなあ」なんて愛国心を掻き立てられたものだ。それが、いまやHYUNDAIやHTCなんて韓国や台湾の企業の広告がやたら目立っている。HTCなんてツール・ド・フランスに出ている自転車チームまで持っているしね(って、これは自分の趣味ですが)。そこまで、韓国企業が世界進出しているということなのだろう。

 ソニーがポータブル・ラジオやウォークマンを出して世界を席巻していた時代は、要は、ソニーが例えばラジオをリビングルームから外に出して聴くもの、音楽をリスニングルームやリビングルームから外に出して聴くもの、という新しい生活習慣を提案してそれが受け入れられたからであろう。つまり、それはポータブル・ラジオとかウォークマンとかいう「ハードウェア」を出しただけでなく、ラジオを聴く習慣、音楽を聴く習慣というものについて、新しいソフトを提供したということなのだ。

 その意味で今使われているのが「プラットフォーム」ということなのだろう。例えば電子書籍でいえば、iPadとかKindleというのは単なるハードウェア、デバイスにすぎないが、そうではなくて「電子書籍で本を読む」ということの前提が「プラットフォーム」ということなのだろう。つまり、「電子書籍」という概念、それを「どうやって読むのか」という形式、どんな「デバイスが便利か」という方法論などをすべて考えたものが「プラットフォーム」である。

 それが日本企業は韓国辺りからの追い上げにあった際に、それまでの日本企業と外国企業のやり方をそのまま援用してしまったのだな。つまり、追い上げる後発国は絶対に人件費の安さから「価格競争」を仕掛けるだろう。そして次には「性能競争」を仕掛けるだろう。つまり、これはこれまで日本がやってきた方法論をそのまま援用しているだけなのだ。そこで日本が対抗策として出してきたのは、製品の高付加価値化であり、高級化なのだった。確かに、そうすれば日本の人件費の高騰化も吸収できる。しかし、残念ながら日本には例えばドイツのような文化的バックボーンがなかった。日本製品がいくら高級化しようがライカやポルシェにはならないのだ。結果として、日本製品は「確かにいいかもしれないけど、高いね。付加価値もあるかもしれないけど、高いね」ということになってしまった。要はその企業の文化まで見てくれなくて、単に「高いものを作る会社」というだけの評価になってしまったのだ。

 こうなったらどうだろうか、日本を再び鎖国してしまうという提案である。多分、これから日本がポタブル・ラジオやウォークマンのような生活環境に関する提案は出来ないだろう。おまけに、韓国・中国などの新興国に対する防御策もないだろう。だったら、日本鎖国くらいしか方法論はないのではないだろうか。以前、ガラパゴス携帯について書いた際にも書いたのだが、要は、もはや日本鎖国しかないのである。鎖国をして日本人だけでどうやって生活していけるのだという見方もあるけれども、まあ、鎖国してしまえばどんなに貧乏しても生かされるだろうし、何とかなるというのが鎖国時代の日本の実際であった。

 もう新しい生活習慣を提案できないなら、もう鎖国ですね。我が日本は。

 

 

 

 

2010年10月20日 (水)

『15歳の寺子屋 ひとり』は吉本隆明がいいおじいちゃんということなのだろうか

 講談社の「15歳の寺子屋」シリーズもいよいよ10作目になって吉本隆明の登場だ。なにせ「前後の思想界の巨人」である。何を吉本が子どもたちに言うのかは興味がある。

『15歳の寺子屋 ひとり』(吉本隆明著/講談社/2010年10月18日刊)

 はじめはのっけから、第一時限で<個人幻想><対幻想><共同幻想>なんて言葉が出てきたから、こりゃ面白い話になるのだろうという期待を抱かせたのだけれども、実はそうでもなくって、割と「子ども」に分かりやすい言葉で語った本なのであった。

 内容を順番に言っておくと;

第一時限:ひとりっていうのは悪いものじゃないぜ

第二時限:才能って何だろう

第三時限:人生にどっちが正解ってことはないんだぜ

第四時限:特別授業

第五時限:恋愛って難しい

第六時限:大人になるってどういうこと?

 ということで、そこに書かれていることはあまり難しいことは書いていない。しかし、この15歳から18歳までの、要は高校生世代、は人生の中で一番吸収力のあり時代ある筈で、私もこの時期にサルトル、マルクス、エンゲルスなどを読んでその気になり、その後の大学生になって、モーリス・メルローポンティやロラン・バルトに進んだ過程がある

 つまり、15歳からの時代と言うのはもっともっと難しい本をどんどん読んでほしい年代であり、読んで理解できなくても理解した姿を装ってしまっていい時であり、その理解がその後になって分かったりするのである。と、いうことであれば<個人幻想><対幻想><共同幻想>とうことも、もちょっとしっかり解説してほしかった。そうすると、その<個人幻想><対幻想><共同幻想>という概念も、実はもっともっと分かりづらい概念なのだということが分かってくるのだ。

 まあ、おじいちゃんになってしまい、いまや「よしもとばななの父親」というスタンスの吉本隆明では、子どもたちにも話のわかるおじいちゃんでしかないのかもしれない。

 吉本隆明老いたり、と言っていいのかなぁ。

2010年10月19日 (火)

『ハゲとビキニとサンバの国』でも「デキない」男っているんですよね

 本来は建築が専門のテーマだったのだが、最近は「関西性欲研究会」などの民俗学的なテーマの方で有名になってしまった井上章一氏の新刊は、やはりそっちの方の書籍なのであった。

『ハゲとビキニとサンバの国』(井上章一著/新潮新書/2010年10月20日刊)

 ブラジルのリオデジャネイロ州立大学日本語学科に招かれて渡伯した井上氏が体験したブラジルから逆に日本を見るというスタイルのこの本だが、しかし井上氏はどちらの研究でブラジルに招かれたのだろう。この学科からすると多分「すけべな井上章一」のほうなんだろうな。であるならば、こうした本のテーマもOKなのかもしれないが、まあそれはどちらでもよいか。

 しかし、ハゲが日本ほど嫌がられないというのはブラジルだけでなく、欧米全体がハゲには寛容であり、デブなオバチャンでもビキニを着ちゃうのもやはり欧米では当たり前である。まあ、サンバだけはブラジルだけの現象だろう。

 で、「ひもビキニ」である。『そして、中年のおばさんも、体型のゆるんだ女性もそういったビキニを着用していた。かなり太い人でも、それで海辺をあるいている。ひもが肉にくいこみ見えなくなっているようなおばちゃんも、いなかったわけではない』という「ひもビキニ」の流行というか「当たり前」の姿として見えているイパネマ海岸の様子に対して「男に対する媚態」という見かたはしない、つまりそれは『かつての高級リゾートでは、新参の下層民が、我が物顔にふるまいだす。下男や下女としてつとめる人々も、なかにはけっこういるのだろう。体型のゆるんだ女性がおおぜいいるのも、そう考えればうなずける』ということ。つまりは、階級社会であるブラジル(アフリカとアメリカの〈奴隷の〉三角貿易の拠点がブラジルだった)も、その後の経済開放の波に乗って階級は次第になくなってきて、いまやイパネマの海岸はそんな「労働者のための海岸」になってきたということなのだろう。

 もはやアントニオ・カルロス・ジョビンが描いた「イパネマの娘」のような「男に対する媚態としてのひもビキニ」という世界はないということなのだ。で、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトというボサノバの巨人たちはいまや過去の人になっていて、いまや普通のポップスやロックが当たり前のようにブラジルの若者の中では通用してるという事実も、まあそんなことだろうと言う気もしてくる。いまや、日本であっても演歌なんてものはどこかに行ってしまっていて、ようはJ-POPだとかいうものが普通にヒットしている時代なのである。こうして音楽の世界も次々に新しい流れが出来てきて昔のものはどんどん廃れていくのである。とにかく「過去の人」をどんどん生み出していく「流行」という世界なのだ。そういう意味ではボサノバというのも「流行」のひとつにすぎなかったのかという気がする。むしろブラジルよりもアメリカ(ニューヨーク)での流行の方が、ボサノバの本筋なのかもしれない。渡辺貞夫も別にリオに行ってボサノバに感化された訳ではなく、ニューヨークでその影響を受けたわけだしな。じゃあ、ガトー・バルビエリはどうなんだ、と書いて気がついた、ガトーはアルゼンチン人なのだよね。

 でも、ガトー・バリビエリの「ボサノバに影響されたフリージャズ」っていうのもとても興味のあるものだし、サンタナとコラボした「ヨーロッパ」の演奏も面白いですよ。って、でもこれは今回のテーマと関係がないので却下。

 いずれにせよ、井上氏がデブなおばさんがビキニを着ていることに違和感を覚えたのは確かであるが、そのビキニの下の体に興味がなかったのかなあ、というのが不思議。

 ひもが『肉にくいこみ見えなくなっているようなおばちゃん』の裸の体にも興味を持たなければいけないんじゃないですか? 「関西性欲研究会」のメンバーとしても、もうひとつ「ブラジルにいるおとこ」としても、それがブラジルにいる男としての女に対するマナーなのじゃないかな。

 デブのおばちゃんでも結構「イイかも」しれないよ。

2010年10月18日 (月)

中央フリーウェイ、調布基地をお~い越し

「中央フリーウェイ、調布基地を追い越し~」と荒井由美(松任谷になる前の)が歌ったのは1976年のことだった。

2010_10_17_019_2 「調布基地」の入り口です。

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2010_10_17_004_2 「調布基地北側から見た全貌。奥右は味の素スタジアム&よく見えないけどアミノバイタル・フィールドがその左にある。

2010_10_17_006_2 で、これが掩体壕。

EPSON RD1s+Summicron 35mm  (c)tsunoken

 しかし、1976年当時は既に調布基地はなくなって、1974年に米軍から全面返還をされて民生用の飛行場に変わっているのだ。つまり、歌は本当は「調布飛行場を追い越し~」ってならなければいけないのに、その時まで「調布基地」という言い方をしたのは、やはり八王子で1954年に生まれ育ったた荒井由美にとっては「調布基地」は「調布基地」であり「調布飛行場」ではないのだろう。荒井由美と言う人も所詮、戦後派の一人なのかなんて安心したりして。

 調布飛行場は、元々は民間飛行場として1941年に作られたが、その後すぐに陸軍に接収されて、本土空襲(というか東京空襲)を行なうアメリカのB29を食い止める東京最後の基地になったのだった。資料を見ると飛燕とかゼロ戦がそこから飛び立ってB29を攻撃したということになっているが、実際にどれだけの戦闘機がアメリカの爆撃機を撃ち落とすことが出来たのかは、まず資料がない。少なくともB29の日本本土での墜落の記録がごく少ない数字でしかないことをみれば、調布陸軍基地の存在もあまり効果はなかったのかもしれない。そんな、戦争中の名残が一部残っているのが10月6日のブログでも書いた掩体壕であり、飛行場の北側に二つ残してある。

 1945年に戦争が終わって、調布基地は米軍に接収されて戦闘機は飛ばないけど、それ以外の飛行機が飛ぶ「関東村」という施設になった。1964年の東京オリンピックの際にはその関東村の前がマラソンの折り返し点になったりして注目され、1974年には全面返還されて、警察大学や東京外語大学、三鷹市、調布市、府中市の運動施設になったりしたその一部が現在の味の素スタジアムでありアミノバイタル・スタジアムであるのだ。まだまだ、土地はいっぱい余っているが、そこは駐車場にはなっていない。東京都のお役所仕事の一端が見える場面でもあります。

 まあ、いずれにせよ10月4日に書いたキャンプ・ドレイクにせよ何にせよ、まだまだ日本には「戦後」というか「戦争をしている最中のこと」の跡がまだまだ残っているということだ。

 こうした「戦争の跡」を残すべきかどうなのかにについては、個人的にはやはり残しておいてくれて方がいいな、という気分があるが、それを「戦争の跡」として残すことには若い人には抵抗があるようだ。要は「戦争なんてもなくなっている」という判断のようだ。

 しかし、未だに世界での戦争は終わっていないし、また、新たな戦争が起こりそうな気配のする国々もあるようだ。やはり「戦争ってのはこんなに汚いものなのだ」という記録は残した方がよいだろうが、「きれいな戦争もある」という発想もあるようだ。それも怖いけどね。

 取り敢えず、そんな感じの「調布飛行場まつり」でした。

 

2010年10月17日 (日)

都写美ふたつの写真展

 石原慎太郎都政の唯一の善政(う~ん、われながらしつっこい)とも言える東京都写真美術館でふたつの写真展(当たり前か)を見てきた。

2010_10_16_011_2 いつものお約束ショットですね

2010_10_16_015_2 都写美の写真 これ変えないんだろうか

2010_10_16_055_2 山手線

2010_10_16_077_2 BUCK-TICKってまだやってたんだ!

EPSON RD1s+Smmicron 35mm (c)tsunoken

 ひとつは都写美の収蔵展「二十世紀肖像 全ての写真は、ポートレイトである。」であり、もうひとつは「Love's Body art in the age of AIDS ラブズ・ボディ―生と性を巡る表現」である。

「二十世紀肖像」の方はやはり収蔵展であるから、今までに見たことのある写真ばかりがならんでいる。吉川富三の「裸婦座像」から、木村伊兵衛「大曲」の美しい農家の女性の写真を経て、荒木経惟「センチメンタルな旅」に至り、細江英公の「薔薇刑」に収束するといういつもの「都写美」のパターンを唯一壊しているのは森村泰昌の自画像くらいなものであろう。しかし、森村も都写美入りしてしまったら、今後も何度も作品が公開されるわけで、そうなると森村もまた「いつもの写真展かよ」という部分に収まらなければならなくなるのか、というところである。正直、だから何なのよ、という気がする展示である。展示写真も今まで都写美でも、写真集でもよく見てきた写真ばかりである。なにか発見があるかと予想してきた自分としては、ちょっと残念。

 こうして写真をならべているわけだけれども、そのすべてが「ポートレイト」であるというのだろうか。まあ、言えないことではないが、と言ってしまったら本当に「全ての写真はポートレイトだ」ということになってしまうというわけで、そりゃあないだろうとも思うのだ。被写体たる人からOKをもらって撮るのがポートレイトであり、そうじゃないのは要は「ドキュメント」であるとして撮影してきた我々の立場はどうなるんだ、というあだしごとはまあいいとして、しかし、この幅広さは何なのだろう、とも思える展示ではある。

 もうひとつの「Love's Body」であるが、9月5日にブログで書いたマグナムの写真展と同じ、HIV/AIDSに関する写真展である。ただし、マグナムと違うのはフォトグラファー自身がHIV/AIDSの患者である場合が多いのがこの写真展の特徴だ。マグナムの写真展は写真家自身はエイズの患者ではなく、そうしたジャーナリストの眼からみたエイズ患者を捉えていたのに対し、この写真展では自らもエイズ患者である写真家や芸術家の写真である。そのどこが違うのかと言われても、撮った写真はそのままの写真である。しかし、キャプションを含めてどこか物悲しいものがやはり自らもエイズ患者である写真家の方がある。撮影している自分自身がいずれこうなってしまうのか、という諦観がその写真にはあふれている。

 ただし、いまやHIV/AIDSは不治の病ではなく、しかし完治はしないが進行は止められる病んなっている。そんなことを知ったのなら、エイズ患者たる写真家の撮影画像も少しは変わるのであろうか。という感覚で見る写真展なのだろう。

 双方とも12月まで開催中。それぞれのURLは以下のとおりです。

http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-346.html

http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-340.html

2010年10月16日 (土)

「全国の若者たちよ団結せよ!」で、団結すればいいけどねぇ

 サブタイトルは「若者はなぜ損をするのか?」だが、むしろ腰巻に書いてある「ワカモノ党結党宣言! 全国の若者たち団結せよ!」という「共産党宣言」ばりのマニフェストが本来のこの本の内容だ。

『世代間格差ってなんだ』(城繁幸・小黒一正・高橋亮平著/PHP新書/2010年6月29日刊)

 提案で面白いのは「世代間公正に関する基本法」と「世代間公正委員会」という提案である。まあ、経済活動領域における「独占禁止法」「公正取引委員会」のようなものなのだろう。それと同時に「若者参画基本法」と「若者政策担当大臣」という提案もなされている。しかし、ここまで若者を政治に引き入れるための施策がなされなければならないのだろうか、と考えるのだが、実際にはこうした施策があって初めて若者の政治参加というのが実現するというのが、今の日本なのだろう。とにかく若者の政治活動へのお膳立てである。

 1960年から70年にかけて『1969年に当時の文部省が「国家・社会としては未成年が政治活動を行うことを期待していないし、むしろ行わないよう要請しているともいえる」と通知して以降は、政治教育を特定の偏向した思想教育やイデオロギー教育と誤解する者が多くなり、学校教育の現場で実際の政治や社会状況が題材にされることはほとんどなかった』と言う時代からすると、まさに隔世の感ありというところだが、そこまで今の若者は「内向き」になってしまっているということなのだろう。当時、「特定の変更した思想やイデオロギー」に染まって「期待されていなかった政治活動を行なった未成年」からすると、そんな自ら政治参加をする意思のない若者のためになんでそこまでしてやらなければいけないのだろう、という気分にもなる「団塊の世代」(でも私なんかはその「一番下にブラ下がっていた世代」なのだけれども)ではあるのだが、最早そんなことを言っている場合じゃないということだろう。

 勿論『選挙権年齢の引き下げと同時に被選挙権年齢の引き下げも必要だ』ということも有効だし、毎年成人の日に大騒ぎする若者(バカ者ですが)も、その気分を表現する方法を見いだせないためであると考えれば、逆に「被選挙権」まで与えて責任感を持ってもらうということも必要かもしれない。それこそ選挙権も被選挙権も16歳から与えてしまっても良いのではないか。少なくとも私の経験からすれば16歳でも問題なく選挙権・被選挙権があっても大丈夫である。親父たちの「そんな若いもの達がロクな判断はできないだろう」という奢りは無視である。むしろ親父たちよりはよっぽどマシな判断をするのである。

『インターネット選挙』も有効だろう。実際にインターネット選挙・インターネット投票が実施されてみれば、それこそ「ネット世論」と「リアル世論」の齟齬というような2009年夏の衆議院選挙のようなこともなくなるだろう。あの選挙では「ネット世論」では完全に自民党が圧倒的に勝利していたのが、「リアル世論」では見事にひっくり返されてしまい、ネット世論にのっていたマスコミ(まさに「マスゴミ」ですね)完全に敗北を味わったのである。

 しかし残念なのは『高齢者=弱者、若者=強者という概念は幻想である』という判断である。確かに今はそのようになってしまっている。しかし、それは若者が主張して来なかったからなのではないか。若者が自らの存在を世界に向かって主張してこなかったからなのではないか。民主主義の本来のあり方は「自らの存在を主張する」ことにある。そんな「主張することも、主張する方法も、教わってこなかった」というのは、実は若者の「逃げ」であり「不勉強」の結果でしかない。本来、若者はそんなことを教わらなくても、自ら勉強し、「民主主義は主張しなければならないのだ」ということを学んできた。そうして私たちは「過激派高校生」と言われたり「トロツキスト高校生」なんてレッテルを貼られてきたのだ。過激派と言えば言え、トロツキストと呼びたければ呼べ、そんなことに我々は負けないぞ、というのが当時の高校生運動の参加者たちの発想だった。

 そんな観点からすれば、今の若者が自ら存在を主張しないのは、自らこの民主主義の世界での発言権を放棄したのじゃないか、というのが今の高齢者(というか中年まで含めた人間)の発想である。そんな自らの存在を主張しない人間のことまで考える必要がこの民主主義社会であるのか、というのが大人の発想である。しかし、事態はそんなことを言っている場合じゃないところまで進んでいるのだろうな。とにかく、「若者を救わなければならないのだ」というところまで。

 できれば、そうした施策でもって救われた若者が「自ら存在を主張しなければならない」という民主主義本来の発想に気づいてもらわなければ、先のマニフェストは何の意味もない。多数決という「形式民主主義」が民主主義であるという教育方法も問題はあるが、やはりそれに気づかないとだめですよね。

 実は、そうした「主張する民主主義」ではなくて「単なる多数決」という「形式民主主義」を蔓延させた、「戦後民主主義」が一番の問題であるし、そうした「形式民主主義」を何の問題もなしとして教えてきた日教組にも問題がある。まあ、大体日教組という組織そのものも「本来の主張する民主主義」からすると大きな問題がある組織何だけれどもね。

 まあ、取り敢えず若者にすべてを渡してしまおうよ。それからこの国がどんなことになるか見てもいいじゃないか。

2010年10月15日 (金)

『貧乏人は家を買え!』ウーム。で、先立つものは?

 刺激的なタイトルで思わず読んでしまった本。

『貧乏人は家を買え!』(加瀬恵子著/講談社BIZ/2010年10月6日刊)

「貧乏人は○○をしろ!」という言葉を聞くとと、つい「貧乏人は麦飯を食え!」といった池田勇人(古っ!)を思い出してしまう私です。

 しかし『「貧乏人タイプ」は真面目に一生懸命働き、ローン返済を終え、退職金を取り崩しながら年金生活を送ります。「資産家タイプ」はお金を不動産という器の中にストックしていますから、定年退職をしたら若い家族に引き継ぐ資産と、その管理をする生活が待っています。「代が替わって振り出しに戻る」ということがないのです』という著者のこ言葉はなるほどなと思わせるものがある。『私がこれまでの仕事を通じてみてきた限り、「家は一生に一度の買い物」「ローン返済のために定年まで頑張ろう」と意気込む人ほど、結果として、お金との縁が薄くなります』というまさに「貧乏は再生産される」という著者のテーゼは有益だ。

 キャッシュをキャッシュのままにしておくよりは、家というか不動産の形にしておくほうがよっぽど安全だという事実はそのとおりだろう。まあ、不動産価格というものも一定ではないし、値下がりもあるかもしれないが、株よりはよっぽど安定しているし、キャッシュで持っていてもそれが増えることはないのだから、安定した投資対象ということだろう。

 むしろ、これは今増えている「団塊世代」の資産の残し方というか、「団塊ジュニア」に如何にしてその資産を受け継がせるかということなのである。「既得権」のおかげで大きな退職金を受け取ることになる団塊の世代が、その受け取った退職金を株や投資信託などの金融資産として持つのか、あるいは不動産として持つのか、そのどちらが得かという問題である。これはなんとも言えないが、ひとつだけ言えることは、金融資産の場合一夜にして紙くずになる可能性があるということであり、不動産は革命でも起きない限りはゆるゆると価値が上下するということだろう。勿論、金融資産の場合は逆に一夜にして倍増することすらあるのに対して、不動産はそんな急激な価値の増加はない。

 まあ、しかし一番の心配事は「価値の下落」であるのだから、そうなるとおのずと結果はわかっていることになる。しかし、団塊の世代の(全体の)巨大な退職金がすべて不動産になってしまい、金融資産の方に行かなくなってしまうというのも、ちょっと問題だ。やはり不動産投資の方ばかりに向いてしまい、金融投資の方にも向いていかないと、わが国の企業の元気さを支えることができなくなってしまう。とは言うものの、こうしたタイトルの本が売れる(?)というのも、そうして不動産ばかり買う人がそう多くはないからだろう、とも考えられるわけで、私がそんなに気にすることでもないか。

 んじゃあ、どんどん不動産を買いましょう・・・と言ったって、先立つお金はどうするね。ねぇ。

2010年10月14日 (木)

「知的な遊び」はあるけれども『詩的な遊び』はない

「知的な遊び」はあるけれども「詩的な遊び」はない。「詩的な生活」とか「詩的な写真」とかならあるんだけどなあ。

『カメラは詩的な遊びなのだ。』(田中長徳著/アスキー新書/2010年10月12日刊)

 つまり、「遊び」には「詩的」も「散文的」もない、ただ「遊び」があるだけである。ということで、この本は同じアスキー新書で出した『カメラは知的な遊びなのだ。』が売れたので、同じ「語り下ろし」スタイルでもう一丁出しちゃおうという「遊び」なのだった。つまりタイトル自体が「遊び」ということですね。

 面白かったのは『Ⅲ カメラ・工業デザイン論』である。127ページに掲載されているライカ1型とiPhoneの写真(腰巻にも使っている)を見ると、いかにライカが小さいか、というかiPhoneが大きいかということが判る。イメージとしてはライカの方が大きくてiPhoneの方が小さいということなのだろうけれども、実は逆だったというのが面白いのだが、考えてみるとライカは35ミリフィルムのパトローネが基本の大きさで、それが高さになって、あとはフィルムの撮影面と巻き取り側のサイズが横幅になるということで、もっとも小さいサイズを追求した結果がライカ1型なわけだ。そこは「手のひら」サイズを基本に考えるiPhoneとほぼ同じ大きさになるということになる。ということを考えるといかにライカ1型のデザインが優れているかということと同時に、同じライカが距離計連動になり、M型になり、と開発が進められるごとにだんだん大型化してきて、それだけデザイン的には「洗練」から遠ざかってきているということがわかる。それにしても、日本の一眼レフカメラって最初から大きかったんだな。カメラデザインという観点からすると初めから「ハズレ」だったわけだ。

 そんな点から見ると、オリンパス・ペン・デジタルのデザイン的な優秀さということが言えるだろう。そんなデザイン的な優秀さがあってから次第にカメラ趣味というものが親父のものから女子のものになってきたのではないだろうか。いまや、親父はでっかい一眼レフ・デジタルカメラやコンパクト・デジタルを持ち、女の子はペン・デジタルから発していまや一眼レフ・フィルムカメラを持つようになってきた。となると次の展開はライカだろう。まだライカを首から下げた女の子の姿は見かけないが、今にそんな女の子が出てきてしまい、もはやライカは親父たちのものではなくなってしまうのではないか。

 まだまだ、「いつかはクラウン」ではないがそんな「モノ・ヒエラルキー」の残滓が残っている親父たち(つまり「私」のことだが)にとっては、現在はライカM9がカメラ趣味の最後の行き着く先なのだろうが、それも簡単に越えられてしまいそうな女子力ではある。まあ、いまや世界の経済を推し進めるのは「女子力」だもんな。女子力にかかってはどんな親父力も絶対に勝てないだろうし、だいたい親父力なんてものはもはや衰退するだけのものでしかない。もう、男の世界ではないのだ、カメラの世界もね。

 ああ、いつかは欲しいライカM9という発想で、M3、M5、M6と進んで今は偽デジタル・ライカたるエプソンRD1sを使っている私なのだが、これではM9を買う意味はなくなってしまうなあ。

 どうしようかしら。

 

2010年10月13日 (水)

「新書だけ読んでりゃいい」というのは暴論だが、『新書がベスト』というのはアリかもしれない

 しかし、これだけ新書が数多く出てくるとむしろ岩波新書、中公新書、ちくま新書、講談社現代新書くらいしかなかった時代が懐かしい。当時は、講談社現代新書が一番軽薄短小新書だった(!)んだもんな。

『新書がベスト』(小飼弾著/ベスト新書/2010年6月20日刊)

 小飼氏に倣って本書の目次を書く。

序章 生き残りたければ、新書を読め

①なぜ今、本を読まなければならないのか

②新書以外は買わなくていい

Partt Ⅰ 新書の買い方、読み方

①読書レベル0からの【初級編】

②なんとなく読みはじめてからの【中級編】

Part Ⅱ 新書を10倍生かす方法

①タイトルから本の出来を測る

②ダメ本も味わう

③疑うことを楽しむ

④洗脳されずに自己啓発本を読む

⑤話題の本とは距離をおく

⑥ジュニア向け新書はこんなに楽しい

⑦複数の新書を同時に読む

⑧本で得た知識を活用する

⑨「超」整理法で本を整理する

⑩ウェブを使って本を読む

Part Ⅲ 新書レーベルめった斬り!

①貫禄ある老舗レーベル

新書スタイルはここから生まれた「岩波新書」

じくりと時間をかけて仕上げる「中公新書」

社会は老舗の風格「ちくま新書」

②新書界の革命児たち

目の付け所が光る「光文社新書」

新書ブームをつくった「新潮新書」

クリーンヒット率の高い「幻冬舎新書」

節操のなさが強みでもある「PHP新書」

すぐれた海外翻訳モノ「ハヤカワ新書juice」

③科学を楽しむ新書レーベル

科学系新書の元祖「ブルーバックス」

カラーと図版の勝利「サイエンス・アイ新書」

ハズレ率の驚異的な低さ「DOJIN新書」

④セットで買いたい新書レーベル

右寄りと左寄りで好対照「集英社新書」「文春新書」

コンセプトが迷走? 「講談社現代新書」「講談社+α新書」

事情はわかるが紛らわしい「角川oneテーマ21」「角川SSC新書」

大人こそ読みたい「岩波ジュニア新書」「ちくまプリマー新書」

⑤色が定着してきた熟成期レーベル

元祖「ライフハック本」「宝島新書」

かくも楽しきニッポン文化「平凡社新書」

実用知識をユンークな構成で見せる「新書y」

スゴ本、ダメ本 玉石混交の「青春インテリジェンス」

ルポが光る、新聞社系新書「朝日新書」

エコとエロが共存する「ベスト新書」

⑥テーマの鮮度が命の上昇中レーベル

IT好きにうれしいラインナップ「アスキー新書」

派手なグループの地味なレーベル「ソフトバンク新書」

今後が楽しみ「マイコミ新書」

終章 新書と電子ブックの未来

 とまあ、これだけ書けばほとんど、本書の内容は読んだも同然判ってしまう。まさに小飼氏が『出版社にも注文を付けておきましょう~私は書評を掲載するとき、ノンフィクイションの場合はほぼ必ず目次を載せるようにしています~見込み読者は目次を読んで、本の内容をある程度まで想像することができるでしょう。さらに、ツイッターやブログで本の感想や書評を掲載する際に、手間をかけずに引用できます』と書くとおり、さすがに自分の書く本にも同様に分かり易い目次を書くものだ。

 で、これだけある新書群だが、そのほとんどを読んだことがあるのに吃驚。読んだことのない新書としては「ハヤカワ新書juice」「サイエンス・アイ新書」「DOJIN新書」「ライフハック本」「新書y」くらいなものか。しかし、これだけ新書があると壮観ですな。しかし、それだけ新書を読んでいるということは、『ノンフィクションは新書で十分』とか『新書以外は買わなくていい』という暴論もあながち間違ってはいないのかも、という気にさせる。ただし、そうなると『これから正義の話をしよう』なんてコミュニタリアンのバカ本を読むことはできなくなってしまうわけで、やはり新書だけ読んでりゃいいという訳にもいかないだろう。まあ、話題に乗り遅れてもいいというのならばそれでもいいのだが、多分新書に興味がある人は、最近の話題に乗りたい人だろうから、そうなるとやはりハードカバーも読まなきゃね、というものなのだ。ということで、『新書以外は買わなくていい』というのは極論・暴論として却下。

 ところで、『二丁拳銃読み』というほど極端なことはしないが、私も同時に2~3冊くらいの本を読んでいることが多い。つまり、片方の本を読み飽きたら別の本を読むというように、本を読んでいる気分転換に別の本を読むというのは、きわめて効率の高い本の読み方なのである。これは逆にオススメの読み方である。また、新書ならいっぺんに何冊も持ち歩けるので、これは正解なので採用。

 基本的には「オススメ本」だが、しかしこの本を読むのならその分もっと新しい新書を読んだほうがいいのかもしれない。目次を読んで既にこの本を読んだ気になってね。

 ただし、自分の現在の「本読み」としての「立ち位置」を知るには便利な本だ。

2010年10月12日 (火)

秋スポーツ「観戦」満開ですよ?

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NIKON F50+AF-S NIKKOR 70-300mm (c)tsunotomo

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EPSON RD1s+Summicron 90mm (c)tsunoken

 秋の三連休は学生スポーツ観戦三昧。

 といっても10月9日はアメリカンフットボール、10月10日はラクロスというマイナースポーツ専門。そして10月11日は学生スポーツの中の超メジャー六大学野球、とはいってもその中の一番マイナーな「立教大対東大戦」というマイナー連戦です。こうしたマイナースポーツばっかり見てるとスポーツマンが身近に思えてくるのは不思議。というか、まあ我々とはあまり違わない奴がやっているんだなというのがよくわかる。それでこうした奴らがプロやノンプロになるのだなと考えてしまうと、人間のチカラなんてものはあまり変わらないのだなという感じがしてくる。そういう意味ではスポーツと我々観戦者の間の距離を近づけさせてくれるといものかもしれない。

 プロ野球なんかを見にいくと彼我の差にとても感銘するのだけれども、そんなに感銘を受けるよりも、選手との距離が身近に感じてしまうというのは、マイナースポーツの利点かもしれない。そう、選手ったって我々とそんなに違わないんじゃね? という「誤解」。結構違うんですけれどもね。

 ああ、勿論10月10日の夜はパリ-ツールを見ましたよ。やったね、新城幸也、第5位での入賞は世界選手権の9位入賞と比較しても遜色ない結果でよかった。特に、途中までプロトンの中に沈み込んでいた新城だけに、まあ、このまま終わってしまうのかな、と思っていたところ、最後のスプリント合戦になった時に見えたブイグテレコムの青いジャージを見たときに「これは新城?」と思った時の嬉しさは他に替えられない。これはもう私らのような、せいぜいプロトンで走っても30km/h程度の人間からは信じられない世界であります。なにしろ、プロトンの中とは言え220kmをほとんどずっと50km/h走ってきて、最後の2000m位のスプリントをやっちゃうのですからね。これは別世界。

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左端が新城幸也 (c)Cycling Time

 で、今朝見た新聞にお隣の国の金正恩と言う人が親父の金正日さんと一緒に何か観戦している映像が出てきて、やはり北朝鮮でもこの三連休はスポーツ観戦か・・・と思ったのだが・・・日本の三連休はオリンピック記念日だし、そんなものが北朝鮮にあるわけはないということで、これは北朝鮮軍の観閲式だったのであります。

 って、こりや完全にネタでした。ごめんなさい。

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(c)北海道新聞

 しかし、こうして他人がやっているスポーツを観戦している場合じゃないよな。5月に折った鎖骨は完全につながらない状態で固まってしまって違和感があるが、それでも医者からは「完治」を言い渡されたのであるから、そろそろ私自身も自らスポーツを再開しなければならないのだけれどもなあ・・・。自転車にのらなければなあ。

2010年10月11日 (月)

闊歩する「バブル女」とそれに嫉妬する「団塊ジュニア」、じゃあロスジェネはどうすればいいの

 要は著者自身「おわりの」に書くように「団塊ジュニア女子のバブル女に対する恨み辛み」である。

『バブル女は「死ねばいい」婚活、アラフォー(笑)』(杉浦由美子著/光文社新書/2010年8月20日刊)

 まえがきによれば『(1)バブル女:1960年代後半生まれの女性たち。80年代後半~90年代初頭のバブル景気の頃に社会に出た。出生率が低い丙午生まれを含む。(2)団塊ジュニア:1971~74年生まれ。ベビーブーマー世代であり、熾烈な受験戦争を乗り越えて大学に入ったが卒業する頃にはバブルが崩壊していて途方にくれた世代。精神科医の香山リカは「貧乏クジ世代」と名付けている』ということである。この1960年代後半と70年代前半という微妙な生まれ年の違いが、決定的なその後の生き方の違いになっている。

 今や日本は2008年のリーマンショック以来未曾有の不景気に陥っており、それは1990年のバブル崩壊の後、失われた10年を経てようやく回復したと思われた日本経済を完全に打ちのめした。しかし、そんな時代になってもなお、『バブル女は、いまだに「気分はバブリー」』であり、『バブル男たちは会社のお荷物として虐げられているが、「一方。(40代)女性は今も「『何とかなる』という根拠のない自信に満ちている人が多い」』ということなのだ。

 バブルの遺産としては「丸の内OL」であり「スッチー」であり「バリキャリ」であるそうな。女だからといってチヤホヤされる(された)丸の内OLとスッチーはわかるが、「バリバリ働くキャリアウーマン」がバブルの遺産というのはちょっと難しい。しかし、「終身雇用制を信じて」「女だてらに男性と同等にバリバリ働く」という「バリキャリ」の定義を見ると理解できる。つまり、キーワードは「終身雇用制」ということなのだ。つまり、バブル女の大学新卒採用時にはまだ終身雇用制が生きており、この新卒採用時の制度は、その後、企業が制度を変更した際にも、それまでに採用した人間はこの「既得権」が生きているということなのだ。この「既得権」があるかどうかというのが「バブル女」と「団塊ジュニア」との違いなのだろう。

 しかし、40歳を過ぎたバブル女が未だに「婚活」をするのは自由だが、そんなアラフォー女が実はまだまだ「子供を産む気満々」ということを目にすると、著者でなくとも「何だこの万能感は」という気分になってくる。現在の医学は40歳を越えても子供を産ませることは可能だ。しかし、問題は産んだあとの子育てである。例えば40歳で子供を産んだとして、子供が小学校を卒業する頃には52歳。まあ、中学生にもなれば子供も親離れをするだろうが、それまでの子育ては体力的にキツい作業になる。毎年の夏休みに子供を色々な場所に連れて行かなければ、子供は絵日記をかけない。そんな体力がありますか? つまり『バブル婚活女たちは産んだ後にどうなるかを考えないのだ。彼女たちは将来のことを考えずにここまでやってきた。その延長に「まだまだ産む気満々」があるように思えてならない』というのは正しいだろう。そう「終身雇用制」を信じて先のことなど何も考えずにきた結果であるということだろう。

 こんな、バブル女たちがなぜそんな世代になったのか、というと『バブル世代は物質的に貧しかった時代を知る最後の世代であるからこそ、新たしいモノを得ることで、自分の人生が「右肩上がり」だと感じ、万能感を持つ』のであると結論づけるが、しかし、それはちょっと違うだろう。バブル世代が「貧しかった時代を知る」最後の戦後世代であると結論づけるが、しかし、バブル世代が生まれた1960年代後半はオリンピックを既に経験して、新幹線や高速道路、クルマ(マイカー!)などが既に実現しており、貧しいというのとはちょっと違うだろう。むしろ、豊かさの元年が1960年代後半の特徴づけであるとすれば、そんな豊かな時代になってもまだ「終身雇用制という貧しかった時代の既得権が生きていた」と考えるべきだろう。

 若い時代はどんなに仕事が出来ても安い給料で働き、将来年をとってから高給になるという終身雇用制の発想は、基本的には若いものに高給を払えない貧しい時代の発想である。年齢に関係なく仕事が出来るものには高給で遇するというのは、豊かな時代の発想であり、まさに能力別雇用と言うものなのだ。

 つまり、そうした時代の実相と、雇用情勢の乖離というのがバブル女を生み出した理由なのであろう。

 しかし、そうやってバブル女に憧れ、同時に嫉妬し、恨み辛みを募らせる団塊ジュニアに対し、ロスジェネはどう見るだろうか。という風に、世代論、世代間戦争をやってしまうと、それは永久に終わらない、不毛な論争になるだけなのである。

2010年10月10日 (日)

『妻の超然』はやっぱり作家の俗物性ということなのだろう

 今度は絲山秋子つながりで・・・というわけでもないが。

『妻の超然』(絲山秋子著/新潮社/2010年9月30日刊)

「超然」というと「嗚呼玉杯に花うけて」という一校寮歌に現れる「超然主義」というものを思い出させる。「超然主義」というのは「栄華の巷」を下に見るエリート主義の賜物なのだが、しかし、それは「自分は世間とは違う」という俗物根性でもある。

 この『妻の超然』は三つの超然が描かれていて、つまりそれは『妻の超然』における主人公は理津子という書かれ方をした妻「第三人称の超然」と、『下戸の超然』における広生という「僕」という描かれ方をした「第一人称の超然」と、更に『作家の超然』倉渕という作家は「お前」という描かれ方をした「第二人称の超然」である。

 この三つの「超然」とは三つの俗物根性にすぎないのだが、「小便臭い(筈の)若い娘と浮気をしている(に違いない)夫の文麿とは私は違うんだ」という妻理津子や、「酒を好みボランティア活動をさも良い事のように広生にもすすめる恋人の美咲」とは違うんだという広生の考え方、「子どものころはあこがれていたが作家になったとたん妹に嫉妬尾する兄とは違うんだ」という倉渕の考え方が三つ示される。しかし、そのすべてが一方で結局はその相手たちと自分は同じ人間にすぎないというまさに俗物でしかない主人公たちを描いている。

 つまりそれは作家自身が俗物でしかないということを描いているんだろう。それにしても第一人称の俗物と第二人称の俗物と第三人称の俗物が勢ぞろいである。ということは、すべての人称について作家は俗物であるということを書いているのだ。

 それでいいじゃないか、所詮は作家は俗物である。「超然」のような立場を保った「俗物」である。

 そんな、作家というものの俗物性を書いた小説なのだ。

 

2010年10月 9日 (土)

「荒井晴彦vs.絲山秋子裁判」詳報が『シナリオ』誌に載っている

 9月11日と9月26日のブログで書いた荒井晴彦氏と絲山秋子氏の間で争われた脚本出版妨害訴訟の詳報が、今発売されている月刊『シナリオ』誌11月号に掲載されている。

 内容は判決文抜粋と弁護人の柳原敏夫氏の「一審判決の感想」と、判決当日行なわれた記者会見報告、そして一貫してこの裁判を傍聴していた脚本家・浦崎浩實氏の「敗戦記」である。

 裁判の結果については、9月26日の私のブログと同じような内容である。要は、裁判所は論点を微妙に避け、脚本の著作権は脚本家だけでなく原作者にもあるのだから、原作者は脚本の出版を拒否できるのは当然である、としている部分が大きな問題点なのだ。映像化とその利用、脚本の活字化とは同じ許諾ではないという、大きな問題点を示したこの判決に対して、柳原氏は『原作者の著作権は、所有権などと並ぶ財産権の1つであるのに対し、脚本家の表現の自由は基本的人権の中核をなす。基本的人権とは個人の尊厳に由来して国家に先だって承認された、最も根源的な、最も尊重されるべき最高の権利であるから、その中核をなす表現の自由がどれほど尊重されなければならないか~本件では財産権の1つである著作権と最も根源的で最も尊重されるべき最高の権利である表現の自由とが衝突しているのである。両者を天秤にかけて軽重を測ったら、どちらがより尊重されなければならないかは自明である。このことを被告も裁判所も全く分かっていない。』として判決を批判しているが、まさにその通りであろう。

 たしかに、脚本の共同著作者としての原作者の権利もあるかもしれないが、それは脚本家と対等ではあり得ない。原作については当然原作者のみに著作権はあるのであるが、それをもとに書かれた脚本に関してはまず第一の著作者は脚本家であり、原作者は第二番目の著作者でしかない。それは原作者が脚本を書いたわけではないからである。これはごく当然の理屈であろう。それを原作者を第一の著作権者であると認めてしまった裁判所は、これからは原作者が認めない脚本の出版はダメよ、でもそれを映画にするのはOK、ビデオグラム化もOKですよ、というトンでもない判決を出してしまったのだ。

 ただし、『シナリオ』誌11月号に載っている『日本シナリオ作家協会ニュース 394号』の前文はちょっと問題がある。『このままでは脚本家は原作者の言うとおりの脚本しか書けなくなる。脚本家が原作者の奴隷であってはならない』と言うのだが、それは脚本家の問題ではなくてプロデューサーの問題だろう。この「荒井vs.絲山裁判」だって、本来はステューディオスリーと文藝春秋の争いの筈である。その双方が契約当事者なのだから。それをうまくプロデューサーは逃げてしまうのか? 確かに、あまり出版社と喧嘩すると今後の原作映画化権獲得に不利になるということはあるのだろう。しかし、そんなことは枝葉末節の事柄である。プロデューサーが闘わなくして誰が闘うというのであろう。

 荒井さんもあまりプロデューサー擁護に走らないで、むしろ同じ戦線に挑まないプロデューサを批判すべきだ。DVD化やテレビ放送などのプロデューサーの収入になるものに対してはキチンとするのに、脚本の出版というプロデューサーにとっては何ら収入にもならないものに対しては関係ないという立場をとってしまう、その考え方はいかがなものだろうか。

 問題はふたつ、その双方ともプロデューサーの問題なのだが、ひとつ目は絲山氏がいろいろ問題にした脚本の内容についてである。プロデューサーは原作者に提出した脚本について万全であるという心構えが出来ていなかったのだろうか。プロデューサーは事前に絲山氏とも会っていた筈だ。であるならば、そこでの絲山氏の意向は分かっていた筈だ。それを十分に荒井氏に伝えていない。もし、伝えていたらその段階で荒井氏が脚本執筆をオリていたかもしれない。その場合、別の脚本家が立って絲山氏の言う通りの脚本を書いて、まあ映画はできた。しかし、その映画が『やわらかい生活』のように評価されたかどうかはわからないが。

 もうひとつは、あくまでも荒井脚本で行きたいとプロデューサーが考えたなら、そこで原作者と闘わなければならない。その場合、最悪は原作『イッツ・オンリー・トーク』を外せばいいだけのことである。でも、それでは配給会社は買わない、となった時のプロデューサーの立場の問題はある。

 つまり、こうした本当は映画作りの段階ですべては解決されている筈の問題が、一部残してしまったためにこんな裁判をしなければならなかったのだ。その意味で、プロデューサーの問題は大きい。クリエイター同士の争いにさせないためにも・・・。

2010年10月 8日 (金)

CEATECJAPAN 2010に行ってきた

 CEATEC JAPANに行ってきた。CEATECとはCombined Exhibition of Advanced Technologiesの略で、要はコンピュータ・テクノロジーの一大ショーである。以前はエレクトロニクスショー(エレショー)と言っていた。

 今年のCEATECの目玉は3Dモニターとスマートフォンやタブレット端末で、その全てがAndroidを搭載。KindleiPhone/iPadへの包囲網を作ろうということである。3Dは興味がないのでスルー。

 私のお目当てはシャープのIS03というiPhoneによく似たスマートフォンであり、au用に開発されたもの。似ているのは形態だけでなく、使い勝手もよく似ている。さらにおサイフ携帯やワンセグなどガラパゴス携帯に搭載されている機能も当然ついているわけで、これはAppleの開発によるためにグローバル・スタンダードのみの機能しかないiPhoneに比較すれば当然有利な位置にある。IDO時代からのKDDIユーザーである私にとっては、これでやっとソフトバンクに対抗できるスマートフォンが出来たわけで、発売される11月が待ち遠しい。

 とはいえ、私自身はこうした「ガラ携」機能はまず使わないけどね。

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auのIS03お試しコーナー

 NTTドコモも韓国のサムソン製のGALAXYというタブレットとスマートフォンを発表。これまたiPhone/iPadによく似た使い勝手の端末だ。東芝もFOLIOという電子ブックリーダーを参考展示。PANASONICはまだ電子ブックリーダーの発表はないが、いずれ参入してくるのだろう。

 iPadによく似たガラパゴスという電子ブックリーダーも見てきたが、すでにiPadを所有している私にとってはあまり興味がない。しかしむしろ入場者が興味を持ったのはIS03よりはガラパゴスの方のようで、IS03よりも多くの人が群がっていた。つまり、すでにiPhoneを持っていて、しかしiPadまでは持っていない人が多いということなのだろうか。たしかに、iPhoneの日本における普及率に比べればiPadの普及率はかなり低い。iPadの普及率の低さとは電子書籍に対する興味の低さだと思っていたのだが、そうではなくむしろ興味はあるのだが、こうしたプラットフォームのどこが覇権を握るのか見定めようとしているのだろう。

 Sony ReaderKindleiPadに加えて、ガラパゴス、GALAXYFOLIOというプラットフォーム戦争のどこが勝利するのか。以前、ビデオではベータ、コンピュータではMacのユーザーだった私がiPadを買ったのはAppleに対する信頼感ではないのだが、ちょっと新し物好きがまたまた敗北しそうな雰囲気になってきた。

 ひとつだけ残念なことは、ガラパゴスという名前は電子ブックリーダーだけの名前のようで、携帯電話はIS03というだけだ。携帯電話もガラパゴスならまさしく「ガラパゴス携帯」ということでおもしろかったのになあ。自虐的だし。

 CEATEC JAPAN 2010は10月9日まで、幕張メッセで開催中。

2010年10月 7日 (木)

やっぱり無理筋は無理筋ですよ、小沢起訴ったってね

 小沢氏に対する検察審議会の結果が「起訴議決」となったようで、それについての議論がネットでもかまびすしい。

 しかし、こんな検察審議会の結論をそんなに大きく取り上げる必要があるんですかねぇ。要は、検察庁が「不起訴」と決めたものを、素人が寄って集まって「起訴しろ」と言っているだけでしょう。検察が「不起訴」とするのは、起訴しても「有罪」に追い込める判断がないからなのだ。

 つまり、検察の小沢に対する敗北宣言と言ってもよい。小沢はそれだけキチンとしたマネーロンダリングの方法を知っていてそれを実行したのだろう。その辺のやり方はたいしたものだ。親分の金丸氏や田中角栄氏に教わったものであろう。

 したがって、これを「起訴」しても小沢を有罪にすることはまず不可能だろう。マネーロンダリングの天才である金丸氏の一番弟子である小沢氏がそんなこと隠すことはないだろう。しかし、どこかで隠しているのであろう、でもそれは我々の知る部分ではない。

 でも、そんな「市民」の論議に検察は乗ったのだ。そんなに小沢を起訴して有罪に追い込めたい検察官がいたのだろう。でも、その人が小沢裁判の検察側にいることはないだろうし、この裁判は、双方とも弁護士によって争われるのだ。要は、検察官側の弁護士と、弁護側の弁護士と。じゃあ、その弁護士同士の力関係で物事決まっちまうんじゃね、というのはまったく正しい。

 もはや、日本の法制度は「法」によって裁かれるのでなく、「民心」によって裁かれる時代になってしまったのか、という今回の検察審議会の結論ではある。こうなると、逆に「民心」というものがどこにあるのかということが気になる。

 勿論、所詮「民心」なるものは、その時、その時で激しく変わるものでしかないし、とくにその時の体制がどういう状態にあるかという状況によっても変わるものだろう。だったら、時の民心がファシズムを望むのであればそれでいいということになるのか。時の民心が封建を望むのであればそれでいいということになるのか。と、いうことである。

 皆さんは何を望むのでしょう。私は、基本的には民主主義の今の政治状況はそんなに悪いと思ってはいません。

 小沢氏を起訴したって、多分下手すれば(というか十中八九)「無罪」になってしまうのです。そんな裁判をやる意味があるのですかね。その裁判後は小沢氏は「私は無罪」ということを最前面に押し立てて選挙戦を戦うわけです。

 そんなことだったら、いままでのとおり、「小沢はあくまでもグレーな政治家」というスタンスでやってもらった方がいいんじゃないんですかね。

 本当、下手すれば小沢を「真っ白な政治家」にすることになるかもしれないこの「起訴議決」、その辺を皆分かっているのですかね。

2010年10月 6日 (水)

『戦争のかたち』を残そう

 またまた軍隊繋がりか、と言われてしまいそうな当ブログだが、今回も戦争物です。

『戦争のかたち』(下道基行著/リトルモア/2005年7月25日刊)

 日本の第二次世界大戦(というかこの場合は太平洋戦争なんだけれども)の戦争の遺構とも言うべき、トーチカ、砲台(砲塔)、掩体壕、兵器試験場を撮り続けている写真家の本である。

 多分、この写真家・下道基行氏も最初はそんなに自覚的ではなかったのだろう。えっ、こんなのが残っているんだという興味から写真を撮り始め。しかし、そういった写真を撮り続けているうちにだんだん自覚的になって、自分が何故そうした戦争の遺構を撮影しているのかについて考えるようになったのだ。まあ、それが写真家の普通に辿る道の様だ。

 しかし、随分沢山の第二次世界大戦の遺構というものが残っているのだなあ、という気分になる。本書に収められたものでも73点の戦争の名残の建造物である。それも、砲塔や掩体壕などの建造物はそれのそもそもの目的から外れて別の建造物として使われているのが面白い。もともと大きな大砲や機銃を据え付けなければならない砲塔や砲台はかなりその土台をガッチリ作りこんである。したがって、それを壊すよりは、そのままそれを生かして何か別の物に作り変えたほうが安上がりにつくといった発想から、花壇になったり、サル山の土台になったり、砲台パークなんていうテーマパーク(?)にまでなっていたり、えっ、北の丸公園の怪しいベンチまでそうだったのか。確かにあの丸いベンチは何なのだろうかと考えていた時もあったが、あれが砲台だったとはね。更に、そうしたガッチリ作られた砲台(砲塔)や掩体壕である、「住める場所」があればそこには「住む」という選択肢があっていいわけだ。ということで、そこを「住まい」にしている人達が何人かいるのだ。いやあなかなかナイスな選択ですね。何しろ、敵の爆弾や砲撃にも耐えられるように作られている建物である。

 それからすると、トーチカはちょっといかにも急造と言う感じで、住まいとして使うのはちょっと不安があるのかな。なにしろ、コンクリート造りといっても鉄筋も入っていないような状態なのだ。まあ、戦争末期になってしまうとコンクリート要の鉄筋に使う鉄ですら手に入らなくなってしまったのだろう。

 こうした戦争の遺構というものを、今住んでいる人達がいる場所はいいとして、多分今後は壊されていくのだろうな。都市開発に邪魔だとか、新たな開発計画の中では壊して新しい建造物を作るということで。勿論、今住んでいる人がいるところも、今後の開発計画に引っかかっている場所は同じ運命だろう。しかし、こうしたモニュメントを遺しておくという方法はないのだろうか。「道路を作るのに邪魔」とか「住宅を作るのに邪魔」という理由はよくわかるが、そうして戦争の痕跡がどんどんなくなっていくという社会は、ちょっと残念な社会ではないだろうか。「戦争の痕跡」ばかりでなく、古いものをどんどん壊して新しいものを作ってきたことで再開発をなし、ここまで発展してきたわが国である。ここで、すこし発展の速度は落としていいから、少しは古いものを壊さずに遺す文化というものを考えてみたらどうだろうか。

 これからは古いものを残しつつ、新しいものを開発していく時代になるだろう。その前に、一度こうした古いもの、特に戦争の遺構というものを残すという運動を起こしてみては・・・。と、思うのだが・・・。

 えっ、もうやってる? じゃあOKか。

2010年10月 5日 (火)

軍隊にあこがれる気分

 軍隊つながり、というわけではないがキャンプ・ドレイクの後が、何故か自衛隊。

『いざ志願! おひとりさま自衛隊』(岡田真理著/文藝春秋/2010年8月10日刊)

 今の自由な社会において「規律志向」というのは確かにある。学校でも社会でも規律を守るというのはあまり重視されずに、むしろ自主的に考えろということを求められる社会にいる状態の中で、「とにかく理由もなく規律を守らにゃならん」とばかり一方的に上意下達の社会にあこがれる気持ち。何にも考えずに上官の言うことを聞いていればよいという気持ちよさというのもあるのだ。しかも、それでいてバイト代はもらえるし、あまけに銃まで撃てる。更に、戦争が起きても「後方支援」がその仕事だということは前線には出ることはなく、命を的にして生きるということはしないでもよい。こりゃあ、「軍隊は好きだけど、戦争には行きたくない」ミリタリーオタクには実に向いている仕事だ。

 しかし、予備自衛官補という立場。予備自衛官というのは予備役ということなので、退職自衛官がなる立場、ということは知っていたがその予備自衛官の「補」というのがあるというのは知らなかった。つまり、予備役の「補助」ということは、まさに岡田真理氏が書く『スタメンどころかベンチ入りすらできず、アルプススタンドでメガホン持って踊っている野球部選手』みたいなものだ。

 この本は元々扶桑社が発行している自衛隊の広報誌『MAMOR』(「マモル」と読むそうです)に連載していたルポをもとに、何故か文藝春秋から発行されている。さすがにフジサンケイグループですな。こんな自衛隊の広報誌を発行しているのは知らなかった。それも、各号の表紙はアイドルタレントが自衛隊の制服を着た写真で飾られていて、なかなかグッと来るのだ。多分、読者は自衛隊員やその家族ばかりでなく、一般のミリオタも対象にしているのだろうな。しかし、「ミリタリーオタク=右翼」とばかり考えていてはいけない、この雑誌の内容はどう考えても右翼的視点からしか書いていないが、実は左翼のミリオタもいるのだ。そうした、左翼ミリオタ向けの雑誌ってないのかしら。

 まあ、実は「左翼ミリオタ」って国にとってはまさに「危険思想」なのかもしれないが。と左翼系ミリタリーオタクは書いています。

 いずれにせよ、単なるノリで予備自衛官補に応募してしまった岡田真理氏は、意外とその教育内容に対して自分が向いていることに驚き、予備自衛官補であることにスンナリ溶け込んでいる。まあ、自分が何も考えなくてもよい状態というのは、意外とラクチンなものだし。教育係の上官も優しいし、テッポウも撃てるぞ、ということで、やはりそこは本職の自衛官じゃないという気楽さもあるのだろう。本物の自衛官に関しては昨年の12月23日付けの当ブログで『そこが変だよ自衛隊 PART1/PART2』について書いた。実は本物の自衛隊も結構変なところがあるのだ。その変な自衛隊の「予備の補」であるからには、結構こちらも変なところがあるのだろう。ただし、そのあまりにも変なところは『MAMOR』という広報誌の連載なので書いていないところが残念だ。

 単行本化にあたってその辺を書き直して欲しいところだったが、その後も予備自衛官補の訓練には毎年参加して、いまや予備自衛官陸士長な岡田真理氏には、それを求めても無理というものか。

 

 

2010年10月 4日 (月)

キャンプ・ドレイク

 キャンプ・ドレイクと言っても、もう朝霞市民がやっと名前を聞いたことがある、と言う程度の認識だろう。この写真がその跡地である。

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この二枚がキャンプ・ドレイクの跡、いかにもらしいところです。おばけでも出てきそう。

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朝霞市膝折というアドレス。「膝折」という名前の理由はいろいろあるのだがそれは別の機会に。

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で、ここが朝霞市陸上競技場。なかなか立派な競技場です。

EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tunoken

 朝霞市、新座市、志木市、練馬区などの広大な敷地を使用したキャンプ・ドレイクは朝鮮戦争の時の米陸軍の中心基地だった。元々は陸軍被服廠だったり、風船爆弾(といっても分からない人が多いだろうから説明すると、日本は太平洋戦争末期に日本から偏西風にのせて風船を上げてそれがアメリカの上空で下降して爆弾になるという攻撃方法を真面目に考えていたのだ)の製造工場だったり、要は軍需工場の集まりだった場所である。そこが、朝鮮戦争の主要軍事基地になり、今は陸上自衛隊の朝霞駐屯地になっている場所を中心に米陸軍の基地があったのである。住所は「朝霞市膝折」この「膝折」という地域名にもいろいろ理由があるらしいのだが、それは別の機会に。

 私は小さいころ池袋のそばの川越街道(国道245号線)のすぐ脇に住んでいたことがあり、毎晩夜中になると壊れた戦車を2~3台積んだトラック(! そんなものがあったんだ)の隊列が走っていたの思いだす。要は、その重さに耐えられなくなって家がガタガタ揺れ出すのだ。まさに朝鮮戦争で壊れた戦車を運んでいたのだろうな。それも、夜中になって運んでいたということに、米軍の日本人民に対する一種の気の使いようがあったのかもしれない。なにしろ、既に日本は米軍占領下には既になく独立していたのだから、それなりの気の使い方があったのだろう。でも、沖縄のように米軍占領下にあったのだったら、そんな気も使わず、平気で真昼間っからそうした戦車の移動なんてのもやってたのかもしれない。まあ、いずれにせよ戦争の影というのはいろいろなところで見つけられるものだということである。その辺はベトナム戦争時の沖縄に対する扱いとは、だいぶ違うんのだろう。

 その朝霞駐屯地のすぐそばの今は光が丘団地になっている場所は、その昔、成増飛行場という陸軍の施設であり、戦後はグラントハイツというやはり米軍の施設になったりしていた。つまり、練馬区を中心に、朝霞市、新座市、志木市というのは、要は首都(昔式にいうと「帝都」)を守る最前線。ここを破られてしまうともうダメという場所なのだった。そこで、どうしても練馬区周辺の地域が帝都の北の守備場所ということで基地が集中するのだ。まあ、いまだに練馬駐屯地には昔の「近衛部隊」みたいなのがいて、それは天皇の近習なのでしょうけれども。

 まあ、北が練馬なら南が厚木あたりでしょうか。あの辺も昔日本陸軍基地、その後米軍基地、今自衛隊駐屯地という場所が多い。それは今後また行くことにして・・・。

 でも、面白いのはいまだに「キャンプ・ドレイク跡地」というのが朝霞市の地図にも載っているし、当然、カーナビでもそのままの名前で掲載されている。実際には、例えばキャンプ・ドレイクの南側の一部は朝霞市市民陸上競技場とか市民球場、体育館などになっていて、それはそれで立派な競技場が出来ている朝霞市民公園になっている。しかし、いまだに利用方法が決まっていない場所があり、そこがいまや鬱蒼たる原野みたいになっているのである。でも、そこは国有地だから誰も入っちゃいけない場所。

 こうした、旧アメリカ政権下の日本をおもわせる場所って、日本にはあまりないんじゃないか。日本が他国に占領されていた時期があった事なんか知らない人が多い日本人。それはまずいと思うのですよね。やはり戦争に負けてその結果外国に占領されていたころの日本があって、今があるということを知ってほしいということで、逆に「キャンプ・ドレイク跡地」という名前を残していて欲しいと思う私がいるのだった。

 

2010年10月 3日 (日)

JPSフォトフォーラムに行ってきた

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EPSON RD1s+Summilux 50mm (c)tsunoken

 有楽町朝日ホールで行なわれた、財団法人日本写真家協会・朝日新聞出版主催の『第4回フォトフォーラム「行動する写真家―3人」』に行ってきた。内容はサハラ砂漠から始まって近年はイスラムの写真を撮ってる野町和嘉氏、山岳写真や自然を対象に撮影している水越武氏、財団法人日本写真家協会会長にして子供写真で知られる田沼武能氏三氏の講演と、『アサヒカメラ』編集長の奥田明久氏の司会で行なわれたパネルディスカッションである。

 しかし、『行動する写真家』というタイトルは当たり前すぎて何も言っていないのと同じだ。つまり、行動しない写真家というのはあり得ず、写真家というのは常に現場にいて行動していなければ写真家としての仕事が出来ない人たちのことだからだ。ちなみに第1回のテーマは『写真力って何だ』で篠山紀信氏、立松和平氏、中村征夫氏がゲスト、第2回は『一枚の写真が伝えるもの』で大石芳野氏、椎名誠氏、長倉洋海氏がゲスト、第3回は『自然、生命、そして写真』で関野吉晴氏、今森光彦氏という、それぞれのテーマとゲストである。そうした意味では今回の第4回はゲストが皆写真家であるというところからも、本来のフォーラムの考え方に沿った方向なのかもしれないが、テーマがねえ、身も蓋もないものではねえ。

 ただし、講演というか写真解説のような講演なのだが、それはなかなか面白かった。野町氏がサハラ砂漠に行った最初のきっかけだとか、その後、イスラムを含めた宗教と言うものに気が赴いた理由などは面白かったし、田沼氏の「本当は私は子供だけでなくてお爺ちゃんの写真も撮っているんだけど、でも売れるのは子供の写真ばっかりなんだよね」という話もなるほどなという気分になる。水越氏の取り敢えず「山」に気が行く発想法も、何故かはわからないが、何となくわかるような気もする。

 ところで、現在、野町氏は完全にデジタルに移行しているし、田沼氏もデジタルとアナログの両刀使いである。おまけに、今日水越氏はライチョウ写真はこれからはデジタルで撮影するらしい。要は夜のライチョウを撮りたいというのがその理由らしい。

 だとすると、この催しに協賛して参加しているキャノン、リコー、ニコン、エプソン、オリンパス、シグマ、ペンタックスというデジタルカメラ・メーカーは取り敢えず、ホッとしていることだろう。唯一、この共催展示にクラッセとGF670というアナログカメラを展示したフジフィルムはどうなるのだろう。なんてことは考える必要はない。フジフィルムとしては上記のアナログカメラを生産しているというのは、会社の余裕の表れなのだから。まあ、みずからアナログ用写真フィルムを作っているのでね。それもやむを得ないか。このフジフィルムがアナログ用写真フィルムを作らなくなってしまったらどうなるのだろうか。いまや、コダックだって怪しいもんだ。となると頼るはフジだけになってしまうのだが・・・。

2010年10月 2日 (土)

さすがにⅠほどのインパクトはないが『テルマエ・ロマエ Ⅱ』も快調だ

 やはり2巻目は1巻目ほどのインパクトはないな、というのがまあ、こうしたシリーズ物の常識なのだけれども、しかし話は快調である。

『テルマエ・ロマエⅡ』(ヤマザキマリ著/エンターブレイン/2010年10月5日刊)

 なにしろ、「風呂ギャグ物」という新ジャンルで登場した第1巻目である。そのアイデアの秀逸ぶりには驚かされたものである。今回も、主人公ルシウス・モデストゥスは相変わらず古代ローマ帝国と現代日本を「風呂」を通じて行き来をし、相変わらず(ローマにとっての)イノベーションを生み出し、次から次へと風呂屋を立て直し、あるいは皇帝に力を甦らせるために奮迅する。今回のイノベーションは「風呂場の注意書き」「ワニ風呂とバナナ」「温泉スライダー」「浴場スタンプ巡りとラムネ」である。ただし、第6話だけは自分のイチモツに自信を取り戻すために日本の金精様の力を頼る話で怪しい女祭司により日本に来るきっかけが作られる。これから更にどんなイノベーションが生み出されるのだろう。まあ、この調子ならしばらくはネタ切れはないだろうな。

 それにしても、古代ローマ帝国にルシウスのような「風呂専門」の建築家なんてものがいたのだろうか。マルクス・ウィトルウィウスという古代ローマ帝国の建築家が『建築について』という書物の中で風呂の建築について述べているということはあるようだが、それを専門の建築家がいたのかどうかまではわからない。

 さらに、こうした公衆浴場という制度がその後ヨーロッパでは廃れてしまったのは、キリスト教の普及によるものだという説と、中世ヨーロッパの不衛生さにより、公衆浴場から伝染病が流行ったからだという説がある。それだけ、古代ローマが衛生的だったということだそうだが、確かに水道の整備とか、下水道が既にあったとか、その後の例えばベルサイユ宮殿にトイレがなかった話なんかを聞くと、意外と中世ヨーロッパよりは古代ローマの方が衛生的には優れていたということなのかもしれない。何故、こうした歴史の逆転が起こってしまったのだろうか。いずれにせよ、フランスあたりでホテルに宿泊すると、一流ホテルでもない限り、「風呂場」というものはなく、単なるシャワールームだったりするからなあ。

 分からないことだらけの古代ローマだが、日本人の衛生好き、風呂好きについては世界一であることだけは確かなようだ。

2010年10月 1日 (金)

ロードバイク進化論はヨーロッパの文化論だ

『ロードバイク進化論』(仲沢隆著/枻出版社/2010年7月10日刊)

 日本と違ってフランス、イタリア、スペインなどのラテン系の国々では自転車が超メジャーなスポーツであり、その人気はオリンピックやサッカーのワールドカップ並である、ということはよく聞くことではあるが、結局それはそのスポーツがそれらの国々にルーツがあるということであろう。ルーツがあるか、あるいはそれを支える産業のバックボーンがあるかということが、そのスポーツをその国でメジャーにするのだ。そして、そのメジャーなスポーツは文化を生み出す。

 その意味で「ロードバイク進化論」とは、ラテン系の国における文化論であり文化史である。ただし、この場合のラテン系の国とは、フランスとイタリアだけである。なぜか? つまり、スペインにはそれを支える産業がないのだ。イタリアにおける膨大なフレームビルダーの存在。フランスにおける(今やアメリカに売られてしまったけれども)パーツメーカーの存在がなぜかスペインにはない。やはりそこには国の経済状態や産業構造の問題があるのかも知れない。あるいは地政的にも「ヨーロッパのはずれ」にあるスペインでは輸出も難しいのかもしれない。
 あのミゲル・インデュラインという偉大な自転車チャンピオンを生み出したスペインですら、自転車産業を生み出すには到らなかったのである。ましてや、昨年やっとツール・ド・フランスにふたりの選手を送り出したにすぎない、極東のはずれの国がなぜシマノという一大自転車パーツメーカーを生み出しおおせたのか、ということの方がスポーツの歴史における一大不思議ですらある。それは国力のなせる業なのか、あるいは島野庄三郎という人の個人的な野望や努力の賜物なのか。その方に興味がある。
 それは確かに当時F1ドライバーなんてものは誰ひとりとしていなかった日本でホンダというバカな会社がF1進出したのと同じようなものなのかもしれない。この会社も実は本田宗一郎という一人のバカな人のおかげでそんな大それたことを成し遂げたのだ。いずれにせよ、要は産業的な要請の方が文化を上回ってしまったということなのだろう。
 そして、未だに日本はF1チャンピオンも生み出していないし、自転車の世界でもチャンピオンはいない。
 でも、日本は自転車の世界では「産業的」にはチャンピオンに近いところにはいるんだよな。

 それが不思議だ。

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