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2010年9月23日 (木)

『女流阿房列車』は内田百閒ほど阿房じゃないことが残念だ

 酒井順子さんの「鉄女」ぶりは以前より知っていたのだが、こういう「鉄女」もいるのだな、というか、「これでいいのか鉄女」という気分にもなってしまう不思議さよ、まあでもその寝姿は可愛いのだろうな(女性が何も周囲のことを気にしないで寝てしまう姿というのはとても可愛いのだ)、ということで許してしまうのである。

『女流阿房列車』(酒井順子著/新潮社/2009年9月20日刊)

 とにかく、本書における酒井氏は徹頭徹尾他人にその行動を委ねてしまうのである。まあ、「女流阿房列車の主管である出版界一の鉄人・新潮社T氏」という人がいて、その人によって企画された旅日記である。おまけに、いつも一緒にいるのが「小説新潮」のK嬢である。つまり、酒井氏は他人に委ねるのが大好きな上に、一緒にいる人がいるとその人にまで自分の行動を委ねてしまうということは、前著『女子と鉄道』でもそれとなくわかっていたことであるが、そんまんまを演じているのが本書である。しかし、確かにそんな風に「他人に自分のことを委ねる」ということは気持ちの良いことなのである。もうこれは自分の人生じゃないんだもんね、他人がひいた自分の人生の道筋でしかないのだから、自分で責任を持たなくてもいいんだもんね、的な自己放棄な気分が満載しているのである。

 酒井氏って、もうちょっと自分の人生に自分自身で責任をもって行動する人なのかなと思っていたのだが、実際はそうじゃなくて「流されて独身」みたいな人なのかということに思い立ったのである。別に、自ら確信して「負け犬」になった訳じゃないものな。要は、すべて、その時の「人」だったり、「状況」だったりに流されて生きる人なんだ。ま、それが酒井氏の魅力なんだけれども、本人にとってはツラい生き方だったりして。

 で、前々節について言うと、内田百閒はそんなことはしていない。自分で行動(乗る汽車や泊るところなど)を計画し、それをヒマラヤ山系君に伝えるだけである。ヒマラヤ山系君はその結果、結構忙しく立ち働かなければならなかったり、それを聞きつけた新潮社の編集者が東京駅まで見送りに来たり、それはそれで周囲は大変なことになっているのだが、その結果はすべて自分でしょい込むことになる。つまり、そうした東京駅での出来事にも文句は言わないし(少し言っているが)、国府津の駅で2時間またなければいけないことについても誰に文句を言うわけでもないし、八代の宿で地元の有力者が訪ねてきてもそれに文句を言うわけではない。そうしたすべての旅についての「予想もしなかったこと」について受け入れるのである。つまりはすべて「何の目的もなく列車に乗りたいから旅に出る」という自分の意志から発生したことだから、すべての出来事に対して自ら受け入れている。

 問題は、酒井氏のように他人にすべてを委ねてしまう「鉄」ってあるのだろうか、ということである。確かに自ら以上の「鉄の達人」がいればそれに任せてしまうということはあるのだろうが、それははたして「鉄」の人の正しいあり方なのだろうか。最近は「鉄子」と言う名の女子鉄道マニアも増えているということである。それらの「鉄子」たちはすべて自分で行動予定というか乗る列車の予定なんかも全部自分で決めているのだろう。それが本来の「鉄」である。それが、こんなに他人にすべてを委ねていいのだろうか、という疑問がある。自分で鉄道乗車計画を作るところから「乗り鉄」の面白さが始まるのではないかと考えるのであるが、そうでなくこうやって他人に委ねてしまうというのも「乗り鉄」としてあるのか、というのは新しい発見である。おまけに、乗ったらこの人寝てしまうのである。何ともはやもったいない。

 列車の旅というものは、「乗ったら最後、ちゃんと目的地までちゃんと届けてくれる」という安心感に支えられているというのは確かにその通りであるし、その安心感の結果「寝てしまう」というのはわからないでもないが、それは単に日常時間の問題だけでしょうとも言いたくなる。要は、夜人間(都会ではやたらこういうことを言いたがる人が多いんだ)である酒井氏は朝の列車には弱いんでしょ。じゃあ、朝から列車に乗らなきゃいいんじゃないの、でもそれじゃあ記事にならないのよ、という葛藤があるのか。

 まあ、そんな葛藤くらいしか「鉄」の前にはないけどね。

 気になる方はこちらもあります。こちらはそれほど他人に自分の人生を委ねてません。

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