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2010年9月 8日 (水)

『荒木!』ってのは大向うの呼びかけだそうだが

 飯沢耕太郎の荒木経惟ついての評論なんだけど、潔いのはまさに「アラーキー礼賛」になってるところだな。

『荒木!「天才」アラーキーの軌跡』(飯沢耕太郎著/小学館文庫/1994年4月1日)

 荒木経惟についての評論本はあまり出ていない。何故だろう、つまりそのあまりにも早い刊行スタイル。その度ごとの変容のありかた。などなどから、どの時点で批評しようにも、その批評が出版された際には、既に荒木自身はもっとずっと先の方に行ってしまっているからかもしれない。それだけ、還暦を超えてもなお荒木の創作意欲はますます高まりこそすれ、落ちることはないようだ。

 本書でも、飯沢耕太郎氏が、荒木を批評しようなどという気持ちは捨て去って、単に荒木に対するファンレターのような評論に徹していることは、飯沢氏の潔さと判断しよう。

 本書(小学館文庫版)の発行は1999年だが、親本たる白水社版の発行は1994年である。1990年1月27日に、荒木の最愛の妻であり、最良のモデルであり、最大の生の(性の)象徴であった陽子夫人が亡くなって、それを挟んだ時期に書かれたのが本書の親本である。つまり、ますます刊行ペースを速めつつあった荒木がその一瞬止まったのである。その頃の荒木の本はすべて陽子夫人の死にまつわる本ばかりであった。が、その後、再び刊行ペースを取り戻した荒木は、ますますそのペースを速め、ますます刊行数は増えていった。それは、そうして仕事に打ち込むことによって、陽子夫人の死を忘れようとしているようにも思えた。

 しかし、それはそうではなくて、単にますます荒木の創作意欲が増えてきたということのようだ。それは、荒木が前立腺癌から生還してからも衰えることなく、それは逆に「癌」ということからの追いつめられた精神なのかなとも思える。

 いずれにせよ、荒木の旺盛な刊行意欲はしばらくは落ちないだろう。

 ということで、飯沢氏は2006年に実に分厚い『荒木本! 1970-2005』を出版した。

 しかしそれでもなお、荒木は刊行をし続ける。もう一度、二度、飯沢氏はこんな本を出さなければいけないのだろうか。

 しかし、『日本ノ顔』シリーズやら森山大道とのコラボレーション作業などにも見える、荒木の「エロ」あるいは「エロトス」から離れてきている姿は少し気になる。年齢的なものなのか、多分もうすでに殆ど勃起もしないようなペニスを抱えて「エロ」もないものだが、それはそれでカバーできるのが、本来の「エロ」である。

 荒木経惟には最後まで「エロ事師」であって欲しいし「スケベ写真家」でいて欲しいのだ。小学生の女の子から60歳過ぎたババアにまで(嘘でもいいから)勃起する荒木でいて欲しいのだ。

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