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2010年9月22日 (水)

デジタル教育が日本を滅ぼすんじゃない。「デジタルな」教育が日本を滅ぼすのだ

 田原総一朗氏もそんなことは書いていないのだが、本を売るためにこんなタイトルを付けるから、紙の教科書を売るという利権を持った、早合点した本屋さんがこの本を一生懸命売ろうとするのだ。ま、結果オーライなんでしょうけどね。

『緊急提言 デジタル教育は日本を滅ぼす!』(田原総一朗著/ポプラ社/2010年8月25日刊)

 むしろ田原氏の論点は2002年に文科省から出された新指導要領、いわゆる「ゆとり教育」にあるのだ。「ゆとり教育」が批判されたのは、その結果としての学力低下であった。つまり、それまでの学校授業の時間を三割減らして、その分、地域と子供とのかかわりなどを学習させようという考え方であったものが、授業時間を三割減らしたことだけがクローズアップされてしまい、三割減らして何をやるかということを見てくれなかった、考えてくれなかったということだ。つまり「(地域と子供のかかわりを学ぶという)総合的な学習の時間」といっても、何をやらなければいけないのかが分からない教師は、生徒が選んだテーマに従って本などで(ヘタするとWikipediaあたりで)資料をあたり写してきた(コピペ)だけのレポートに対して適切な指導ができない。その結果、生徒たちの学習意欲はますます落ちてきてしまう。その悪循環が結果として「ゆとり教育」全体を批判する材料となったのである。

 ここで重要なのは、そのように教育指導要領を変更したのならば、それに合わせて教師の能力を再育成する必要があるということだろう。それが、行政を司る役人にとっては上の指導方針を変更すれば下は常にそれに対して対応してくれると考える、というか役人にとっては制度変更と同じだけの意味がある指導要領の変更についての認識が薄すぎるということなのだ。まあ、取り敢えず予算作成と法律作りだけが役人の仕事であると考える日本の役人なのだから、それも仕方のないことだが、教育の方針作成というのはそんなに簡単なことではないのだ。

 そこでデジタル教育なのだが、ではデジタル教育とは何だと考えると、それは単にデジタル機器を教育に使うということだけの筈なのだけれども、多分それは教育自体がデジタル的になってしまうだろう、というのが危機意識となって、田原氏の中にあらわれたのである。つまり『デジタル教科書でも、同じことは起こってくるはずだ。紙も印刷会社もいらなくなる。全教科で1冊(1台)でいい。小学校から高校まで、中のソフトウェアを更新していくだけでいい。安いし、絵も動画になるから面白い。ファッション雑誌でもファッションショーが見られるように、アフリカの動物といったら、動き回るゾウが見られるようになる。音楽も聴けるし、算数の解き方もレベルに合わせて音声で解説してくれるだろう。それでもまだわからないことがあったら、検索すればよい。たとえば「伊藤博文がどういう人か」「アメリカってどんな国か」ということが、その場で検索することができるのだ。つまり、問題を解く、正解を出すという作業が自己完結してしまうのである。これは便利で効率がよい。だが実はこのことこそが問題なのである。学校へ何をしに行くのか、教師とはなにをする存在なのか。ネットの上で自己完結するということにより、教師も学校もいらなくなってしまうのである。そのために現在の教育の欠陥が如実に現れているのである』と、むしろ問題はデジタル教育の問題ではなく、デジタル機器の教育への導入によって『現在の教育の欠陥が如実に現れる』ということなのであると規定する。

『現在の教育の欠陥』とは何か。それはまさしく「ゆとり教育」で修正しようとしていた問題なのである。つまり学校は勉強における「正解」と「間違い」を教える場ではなく、勉強の楽しさや、面白さを教える場なのだということ。まさしく「正解」と「間違い」を教えるだけならば、それはコンピュータで勉強すれば十分なのだ。そうではなく、世の中には「正解」のない問題が如何に多いのか。そのような「正解」のない問題に対して、どうやって対処すればよいのか、というこれをしも「正解」のない問題なのだが、そういったことを考える場、が学校なのである。しかし、世の中の教師というものはそうでなく、実に「正解」を教えるのが自分たちの仕事だと考えている人たちが多いのである。それが、まさしく『現在の教育の欠陥』なのである。そうした『教育の欠陥』がデジタル教科書の導入で如実に現れるのである。

 田原氏自身はi-PADも使用しているし、TWITTERもやっているし、デジタル機器はよく使っているようなので、デジタル・デバイスとデジタル・メディアの有利な点も問題点もわかっているようである。 

 デジタル機器、パソコンとかi-PADとかは単なるデバイスにすぎない。つまりそういったデバイスを使い倒して如何に自分のやりたいことを実現するかというのが、現代人というもののあり方であろう。当然、デジタル社会、ネット社会のネガティブな部分は当然ある。それはデジタル革命以前にもその社会なりにあったネガティブな部分である。それが社会が変わった故に現れた社会の諸相にすぎない。つまり、デジタル社会におけるデジタル教育というのも、如何にそれらのデバイスを使い倒して、自分のやりたいことを実現する教師が成功するということなのだ。それをせずに(あるいは出来ずに)デジタル機器の使いやすさだけに頼って、つまりそこでの「正解」だけを求めるような教育をしていると、まさに田原氏の言うような「デジタル的な教育」になってしまって、そこでは教師そのものが必要でなくなってしまうというものだ。

 必要なことは、デジタル機器を使って、デジタル機器ではできない教育を行なうことが大事なのである。つまりそれは、世の中には「正解」はないということや、それぞれの勉強の面白さなどを伝える教育を行なうということなのだ。その為には、教師はデジタル・デバイスの優秀な使い手になって、デジタル・デバイスが出来ないことを十分理解する必要がある。決して、デジタル・デバイスの奴隷になってデジタル・デバイスに使われてはいけない、ということなのだ。田原氏が気にしているのは、こうした「デジタル・デバイスに使われる教師」のことである。大学での授業にいまやパソコンは必要不可欠である。しかし、その大学側の使い方はパソコンを連絡ツールや、掲示板などに利用しているだけで、パソコンそのものの”使い倒し術”を教えている訳ではない。したがって、頭の良い(あるいは要領の良い)学生はそこそこ”使い倒し術”を自分で獲得しているが、小・中・高の先生になろうとしている〈教職課程〉の履修学生はどちらかというと「真面目」な学生が多いせいか、こうした”使い倒し術”のような応用問題は不得意な人が多い。問題はそこなのである。

 同様、すでに教職にある人たちの問題もある。こうした人たちにとってのパソコンは、授業の進め方の数字的な資料を作る機会だと思っている人たちが多い。もう少し進めて、パソコンなどのデジタル・デバイスを積極的に授業に使う方法を考えたらどうでしょうか? それも「正解」を求めるためじゃなくてね。むしろ「正解」のないことを考えるための材料として。

 結局、パソコンが出す「正解」って、誰かが一度考え出した答えであるにすぎない。そうではなくて、世の中に「正解」のない問題を考えるデバイスとしてパソコンなどを使うという風にすればよいのである。要は、パソコンにない答えを探す、と言う意味で。

 つまり、田原氏の言いたいことは、デジタル機器を教育の場に導入するなら、それなりの教員に対するデジタル教育をしなければならない、ということであろう。これまで、教育指導要領の改訂に際しまったく行なわれてこなかった、現場教員に対する指導要領の改訂を、今回はまさにちゃんと行わないと、デジタル教育は読んで字のごとく「デジタルを教える教育」ではなく「デジタルな教え方の教育」になってしまうということであろう。

 ここまでデジタル社会になってきているのである。いまやデジタル機器を教育の場に持ってこようというのはごく当たり前の考え方であり、それに反対するのは、教科書販売という独占的許認可事業で「おいしい汁」を吸っていた各地の教科書販売会社とその傘下の書店くらいのものだ。競争社会の中で、もはやそんなおいしい汁はない。しかし、そんなことはどうでもよい。

 問題なのは「デジタルによる教育」ではなくて「デジタルな教育」なのである。

 

 

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