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2010年9月

2010年9月30日 (木)

結局、日本の対外思想ってものは「攘夷」なのか

 坂本龍馬が攘夷派であったことはよく知っている。もともと土佐勤王党の武市瑞山との仲は有名だし、龍馬自身も土佐勤王党に所属していた時期もある。ただし勝海舟のような開明派との関係になるとよくわからない。つまり、私のこれまでの認識では「勝海舟=開明派=開港派」だと思っていたのだが、どうもそれは違うようだ。

『攘夷の幕末史』(町田明広著/講談社現代新書/2010年9月20日刊)

 つまり、勝海舟であっても攘夷派であることは変わらず、ただしそれは「大攘夷」の立場であったということだ。「大攘夷」がある以上は「小攘夷」があるわけで、その違いは、要は政治の中枢にいるかいないかという違いではないのではないだろか。江戸幕府はリアリズムであるから、砲艦外交による不平等条約であっても取り敢えずそれを締結することで日本を開国し、貿易によって日本を富ませてその結果、力をつけた軍隊によって対外交渉を今度は逆に日本が有利になる様に持って行き、結果として夷敵を撃つという長期戦による「大攘夷」。反政府派の長門(と、それに担がれた朝廷)はロマンチシズムなのだろうか、取り敢えず目の前の外国を討つべしという短期決戦による「小攘夷」というわけだ。

 なんか、これって最近の「尖閣諸島における中国漁船問題」における、政府=民主党主流とそれ以外の勢力との対立と同じような構造のようですね。民主党主流は為政者だからリアリズム、とにかく「粛々と国内法に則って処理」とかなんとかいって、結局は政治的な問題を考慮して船長を釈放したわけだ。

 反政府の民主党右派(って、そんなのあるのか? 尖閣諸島に自衛隊基地をおけなんて言ってる連中)とか、自民党右派、みんなの党、たちあがれ日本なんかは「政府の弱腰外交、これじゃあ中国から次にはもっと図々しい要求が出てくるぞ」という批判。ネットでも菅、仙谷なんて「売国奴」ですからね。

 まあ、日本という国はこうして昔から「大攘夷」「小攘夷」、「粛々」「弱腰」という対立軸でもって動いてきたのでしょう。そしてこれからも多分。

 で、幕末は結局「大攘夷」である江戸幕府の考え方が勝利し、条約は批准されたし、開港もされた。しかし、その結果、逆に外国との貿易で力をつけた薩摩と、その薩摩に推された長州によって幕府は倒されてしまう。これをして「歴史の矛盾」というものかどうか、その薩摩も明治維新政府に対し西南戦争を仕掛けて負けてしまう。結局、小攘夷派の急先鋒であった長門がその後の明治政府から大正、昭和、平成までの長きにわたって日本を征服するのであった。

 その意味で、明治維新を「革命」というのなら、2009年の衆議院選挙も革命と言えるのではないだろうか。つまり「紀伊・尾張・水戸」の時代から「長州」に変わったのが明治革命、であるならばその後の長きにわたった長州の時代から変わったのが「周防」の菅政権である。まあ、長門のすぐ隣で長門の属藩だったのではあるけれどもね。おまけに菅は自らを「奇兵隊」と称しているのだから、まあその歴史認識にはちょっと疑問を投げかけるしかないのだが。

 いずれにせよ、『明治国家は、廃藩置県・地租改正・四民平等・徴兵制度等の近代的施策を実施し、富国強兵・殖産興業に尽力し、わずか維新後二十数年で、東アジア唯一の先進国家に登り詰めた。そして、日清・日露戦争を経て、明治四十三年(1910)の日韓併合により、天皇に対する「朝貢国」を獲得した。幕末の攘夷は、維新後四十数年を経て成し遂げられたことになる』ということである。つまり、「攘夷論」とともにつねに出てきていた「征韓論」がやっとこの時点で完成したということなのだろう。

 さらに『東アジア唯一の帝国主義国家となって、列強の仲間入りを果たした日本のつぎなる野望は、清をはじめとする東アジア、さらには東南アジア諸国を朝貢国とすることにあった。つまり、「東夷の小帝国」から「東亜の大帝国」への脱却こそ。最終ゴールたり得たのである』ということである。

 結局、第二次世界大戦における小さな勝利と大きな敗北というのも、こうした江戸末期の「攘夷論」の行き着く先であったということなのである。うーむ、「攘夷」という部分からみた歴史というのも、なかなか奥が深いものだ。

2010年9月29日 (水)

『iPadでつくる「究極の電子書斎」』はなかなか素敵なんだけどなあ

 またまたいわゆる「iPad本」か、じゃあクサそうかと思ったらそうではなく、蔵書をスキャンしてPDF化し、ハードディスクに収めてしまおうという提案であり、iPadはそれを読むためのツールであるという位置づけである。まあ、これならクサす必要はないだろう。

『iPadでつくる「究極の電子書斎」』(皆神龍太郎著/講談社+α新書/2010年9月20日刊)

 確かに、本というものは自己増殖するメディアであり、「ブツ」である。私も、現在の家に引っ越すことになった際にかなりの量の本を処分し、そして新たに書架を買ったのだが、すでに3年たってその書架もいっぱいになってしまっている。

 成毛眞『本は10冊同時に読め!』(三笠文庫)ではないが、やはり同時に3~5冊くらいの本を読みつつ、年間約200冊くらいの購入量になると、さすがにすぐに書架はいっぱいになってしまう。なるべく文庫本や新書などあまりかさばらない本を選んでいるつもりなのだが、そうとばかりもいかず、普通の四六判の本や大きな写真集なんかも買ってしまうからなあ。そういう状況からすれば、それら蔵書をスキャンしてデジタル化してしまうというのは、実に理にかなっている方法ではある。

 私も以前同じようなことを考えていた時期はあるのだが、当時はスキャナーと言えば、フラットベッド型かフィルム・スキャナーしかなくて、しかもスキャンした画像は1ページ毎にJ PEG画像になってしまい、それをいちいちPDF化して全ページをひとつのファイルにしつつ、順番に読めるようにするというテクニックを持たない私は、それを諦めたということがあった。

 しかし、この本を読むと、プリンターのような連続ページ・スキャナーがあって、如何に簡単にPDF化ができるかのように書いてあるので、「うん、これならやってみようかな」という気にもなるのだが、いや待てよ、それでも数千冊の蔵書を全部スキャンするのに1年くらいかかっている。はたして、1年かけてスキャンするのに足るような蔵書を私は持っているのだろうか? 

 つまり、最近よくあるような「お手軽新書」なんかをスキャンするのは逆にもったいないような気もする。そして、私の最近の読書傾向はそんな「お手軽新書」が随分あるのだ、ということに気づく。ということは、そんな「お手軽新書」は読まなければいいのだが、しかしやはりタイトルの付け方がうまいんでしょうかね、思わず手に取ってしまうのである。で、読んでから大失敗したことに気づくなんて、馬鹿ですね。で、ブログで悪口を書いてしまうのだ。だったら読まなければいいのだが、他人の書いた書評なんかを参考にして読むか読まないかを決めるのは悔しいじゃないですか。で、タイトルで読む本を決める。そうするとタイトルに騙されてという悪循環。まあ、それも読書の楽しみと言ってしまえばその通りなんだけれども・・・。

 皆神氏は「全部の本をスキャンせよ」と言っている。その通り、いちいちスキャンするたびに「これはスキャンする意味のある本だろうか、そうじゃないのだろうか」なんて考えていると、時間がかかること夥しい。それでは結局、引っ越しする時に捨てる本、持っていく本を選んで売るうちに再びその本を読み始めてしまうのと同じ、最後はカミさんから「引っ越し準備が進まないじゃない、いい加減にしなさい」と叱られてしまうのがオチなのだ。

 一部の写真集などを除けば、あまり本に対してのフェティシズムは持っていない。だったらこの「全蔵書スキャン」に私も挑戦してみようかしら。調べてみたらスキャナーもそんなに高い値段ではないし、だいぶスキャンする時間も少なくなってきたようだ。

 でも、そうなるとこれまで捨ててきた本はどうなるのだろう。

2010年9月28日 (火)

いまさら『ガラパゴス化のススメ』でもないんだが、それでも遅くはないか

 アニメ(ANIME)、マンガ(MANGA)、コスプレ(COSPLAY)、オタク(OTAKU)、カワイイ(KAWAII)とは何か。ポップカルチャーとかサブカルチャーと言われる分野での世界共通語である。

『ガラパゴス化のススメ』(櫻井孝昌著/講談社/2010年9月10日刊)

 2001年7月にPINONEER USAがDVD用にリニューアルした「アキラ」と、前年に日本公開された「ああっ 女神さまっ <劇場版>」を持ってサン・ディエゴで行われたアニメ・エキスポ(ANIME EXPO)に参加した私が見たのは上記のアニメとマンガとコスプレに興ずるアメリカの若者たちであった。でも、サン・ディエゴという場所のせいか東洋人が多かったような気がした。

 そこから遡って1990年10月には我々が作った映画「アキラ<英語版>」を持ってニューヨークの初公開に行った時にはFORBIDDN PLANETというコミック専門店で、日本でもやったことのない大友克洋氏のサイン会を開催したが、そこに来ていたアメリカの大友ファンの中には日本語を流暢ではないながらも話す若者が随分いた。彼等に聞いてみたところ、アニメの「うる星やつら」を日本語版で見ているうちに日本語を理解し、話せるようになったということだ。「日本語がわかったほうが、日本のアニメーションをそのまま見られるからね」ということであった。この頃は、まだJAPANESE ANIMATIONという言い方で、アニメという言葉はなかった。

 今年、ロサンゼルスで開催されたアニメ・エキスポのゲストにはAKB48がいる。もはや、アニメとは何の関係もなく「カワイイ」という合言葉が飛び交っている様を想像すると、この20年間で日本文化のひとつとして、ANIME、MANGA、COSPLAY、OTAKU、KAWAIIが定着してきている状況が見て取れる。

 勿論、「サブカルチャー」である以上それはメインカルチャーではないことは分かっている。しかし、世界はこうして「サブ」分野から変わっていくということは我々はよく知っているわけで、サブからメインへの変化が着実に進んでいることがわかる。「JAPANESE ANIMATIONからANIME」への変化、そこからMANGA、COSPLAYを経てKAWAIIへと進化する日本のサブカルチャーがアメリカばかりでなく、アジア、ヨーロッパへと浸透していく状況の中で、本年6月になって経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置することが発表された。これまで、各省庁の有志が行ってきた日本のサブカルチャーの輸出を、やっと政府全体で推し進めようということになったのだ。多分、こうした動きに櫻井孝昌氏も関係しているのだろう。

 しかし、そのころアメリカでは9月25日のブログで書いた大原ケイ氏のブログにもあるように、ANIME DVDやMANGAが売れなくなってしまっているのだ。大原氏はマーケティングも何も考えずに、大量に出し続けてきた日本企業の考え方がその原因であると結論している。確かに、20年ほど前からJAPANESE ANIMATIONとしてアメリカ市場、ヨーロッパ市場に出始めた日本のアニメは、その後少しずつ市場を広げながら、10年ほど前に大ブレークし、PIONEER USAに加えてMANGA ENTERTAINMENT、BANDAI USAなどが大量にANIMEを出し続け、BIZ、TOKYO POPなどがMANGAを出し続けた。それはまさに玉石混交、なんでこんなものまで輸出をするのという作品もかなりあった。まあ、飽きられちゃったんでしょうね。

 その意味では、何をいまさら経産省のクール・ジャパン室だよ、という気もしないではないのだが、でもやらないよりはまだましか。しかし、まだ出来たばっかりの新組織である。まだまだ、何をやるかということはしっかり定まってはいないのだろうが、そこは櫻井氏の提案をしっかり受け止めて行動することが必要だ。どうも、こういう場所に役所が出てきてうまくいくというためしはないのが普通だ。それは多分省庁間での足の引っ張り合いや、自分の方へ有利になるようにお互いを邪魔しあうという、役人根性が出てきてしまうのが原因なのだけれども、それではうまくいくはずの事業もダメになるのだから、総合的なプロデューサーを決めて、その人の独裁下に物事を進めるという風にやらなければダメだろう。その意味でも櫻井氏の手法に注目したい。

 いまや、日本の世界に向けた売り物としては、車も家電もコンピュータもダメだし、ガラ携もダメだっていうのなら、ANIME、MANGA、COSPLAY、OTAKUそしてKAWAIIくらいしかないんだからなあ。

 

2010年9月27日 (月)

東京カメラ散歩 銀座編

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 先週土曜日は「がらくた市」を開催というので四谷荒木町にあるアローカメラまで行ってきた。お目当てはセコニック・スタジオデラックスの専用皮ケースである。セコニック・スタジオデラックスというのはいまだに生産が続けられているアナログ単体露出計で、スチールの世界ではストロボ・メーターのようなものの方が便利なのであまり使われなくなってきているが、映画の世界では照明の場所ごとのステップを計るために、いまでもプロが使っている機材なのである。私も、露出計のついていないカメラで撮影する場合はセコニック・スタジオデラックスのお世話になっている。「露出計のついていないカメラ=クラシック・カメラ」ということなので、そこはやはりアナログ露出計の出番でしょう、ということである。それの専用皮ケースというのがこれまたレトロな感じのケースでいいのだが、セコニックでは既に生産中止となって久しい。前からそれを探しているのだが、何処にもなくて途方にくれているというところなのだ。でアローカメラは普段からそんな何処に行ってもないようなものがあり、以前、ここで単体のセルフシャッターなんてものを見つけたこともあり、だったらそこのがらくた市にあればめっけものということで出かけたのだが・・・。

 しかし、さすがのアローカメラにもなくて、それではということで銀座のカメラ店巡りをすることになった。ただし、そこに行っても見つからない可能性の方が高いのだが、レモン社、清水商会、スキヤカメラ、三共カメラ三原橋店、三共カメラ本店、ミヤマ商会、カツミ堂と歩いても、案の定どこにもない。まあ、一番期待していたアローカメラになかったのだから、しょうがないが。

 それでふたたび途方に暮れてライカ銀座サロンで荒木経惟写真展「愛ノ時間」を見に行く。ザ・プリンツの久保元幸氏の手になるゼラチン・シルバープリントは実に美しく、荒木の写真も2割くらいは綺麗だ。まあ、写真も荒木の写真の割にはお上品な写真が多かったけどね。

 でも、取り敢えずはセコニックさんに「スタジオデラックスの皮ケースを再生産して」というお願いだけをしておきたい。少なくとも露出計は製造しているのだから。今のビニールケースのようなものではどうにも価値観が出ないのだ。

2010年9月26日 (日)

荒井晴彦氏vs絲山秋子氏裁判その後

 9月11日の当ブログで書いた、シナリオ作家荒井晴彦氏と作家絲山秋子氏の裁判についての報告と、判決文全文が社団法人シナリオ作家協会のホームページに掲載されていたので、その報告です。

 前回の報告で「原告らの請求をいずれも棄却。訴訟費用は原告らの負担」と書いた主文はその通りなのだが、どうも良くわからない。

 つまり『要するに、被告(絲山秋子氏)は、本件映画(「やわらかい生活」)のクランク・イン直前に、本件脚本による映画化の許諾に係る最終決断を求められたことから、多数の関係者に大きな混乱を生じさせることを回避するために、不承不承ながらこれを許諾したというものであって、本件脚本の内容に全面的に承服した結果では』なく、『本件脚本が原作(「イッツ・オンリー・トーク」)の趣旨を逸脱するものであり、原作者である被告の意に沿わないもので』あるから、本件映画のDVD化やテレビ放送と、脚本の出版とは違うのだというのが判決の主旨である。

 つまり、脚本の出版と、映画のDVD化、テレビ放送とは同じ二次利用ではないということだ。これは、DVD化、テレビ放送、海外販売と脚本の出版は同じ二次利用であるとし、一般的な社会慣行並びに商習慣に反する許諾拒否はおこなわないとした原作使用契約に反するという原告(社団法人シナリオ作家協会と荒井晴彦氏)の提訴主旨を真正面から否定するものであり、当然、原告は控訴することになった。

 この判決にはふたつのおかしな部分がある。ひとつは、脚本が原作者にとって気に入らないものだったのなら、そこは断固として映画化を許諾してはならないものを、「不承不承ながらこれを許諾した」というところに論点をおいている部分だ。それが「不承不承ながら」だろうが「嬉々として」だろうが許諾は許諾であり、そこに違いはないというのが契約の主旨であり、そこに違いを認めてしまうと契約の解釈に契約当事者双方の考え方の違いがあってもよい、という曖昧さを残すことになってしまう。契約はもっと厳格でなくてはならないのだ。そこに違いを認めると言うのは判決文として極めて不適切であろう。

 もうひとつは、こうなると「原作者の意に沿わない」脚本は書いてはいけない、という意味のことを判決文で書いているということだ。こうなると「共同著作者」たる脚本家の立場はどうなるのであろうか。結局は原作者より一段低い立場に脚本家は置かれるということになるだろう。そうでなくとも「許諾するかしないか」は原作者のみに許される権限なのだから、それだけで原作者の方が一段高いところにいるわけだ。これは原著作者であるのだから当然であるとしても、それ以外では原作者も脚本家も同じ著作者として同列にいるものとして、お互いを尊重する必要があるはずだ。これも、契約当事者は対等であるべきという契約の主旨を認めない、極めて不適切な判決であるということになる。

 勿論、契約当事者は文藝春秋(絲山氏の代理人)とステューディオスリー(映画の制作会社)であるので、絲山氏が本件許諾に関係ないという文藝春秋の主張を退けた、絲山氏も荒井氏もこの場合の契約当事者とみなしてもよいという部分は評価できるが、それ以外ではかなり問題を残しそうな判決である。

 当然、控訴審では上記の部分が争点になって戦われることになるのだろう。また、楽しみが増えた。

社団法人シナリオ作家協会のHPはこちら http://www.scenario.or.jp/teiso.htm

判決文はこちら http://www.scenario.or.jp/hanketsu.pdf

原告側弁護士の柳原敏夫氏のHPはこちら http://song-deborah.com/copycase5/

絲山秋子氏のHPはこちら http://www.akiko-itoyama.com/ ただし、裁判のことにはまったく触れてません 

2010年9月25日 (土)

電子書籍大国アメリカ

 私がマサチューセッツ工科大学のメディア・ラボで行われたセミナーに参加したのは1997年11月のことである。そこでプレセンテーションを受けたいくつかの研究テーマとしてウェアラブル・コンピュータなどもあったが、一番実用化に近いと思われたのが電子ペーパーであった。電子ペーパーはその年設立されたE Ink社によって実用化されたが、なかなか商業的に大きな成功には至らず、2007年になってやっと我々の前に「アマゾン・キンドル」という形になって現れた。しかし、その裏側でいろいろ開発やら、営業やらがあったのだろうな。つまり、1997年のE Ink社の設立から10年後のことであった。

『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(大原ケイ著/アスキー新書/2010年9月10日刊)

 しかし、既に電子ペーパーの開発から始まってキンドルの発売までの状況を知っているアメリカ人(あるいはアメリカ人出版業界関係者)にとっては、紙の書籍から電子書籍への移行というのも自然なことだったようで、i Padの発売で突然「黒船」騒ぎを起こしている日本の状況とはかなり異なるようだ。

 アメリカで出版状況がだいぶ変わっているという、そんなことは前から分かっていることなのに、いかにも突然「黒船」がやってきたかのように大騒ぎする日本の出版業界って何なのだろう。しかし、イノベーションというのは、ある日突然やってくるものであり、それも業界外のところから何の前触れもなしにやってくるものなのだ。つまり、日本の出版業界のイノベーションは、ある日突然、日本の出版業界外のところからやてくるものなのだ。で、キンドルでありi Padなのか、ということなのだけれども、それは基本的には妨げることのできない歴史の進展のようなものであり、いまさらそれに対して「ダメだ」といったところでどうにもならないラッダイト運動のようなものでしかない。要は、そのような歴史の変化の中でどのように自らの生き方を進めていくかということでしかない。出版業界に生きることをやめるというのもそのひとつの選択だし、出版業界で如何に自らの立ち位置を保とうと無駄な努力を重ねるのももうひとつの選択ではある。

 出版業界といっても、出版社、編集プロダクション、印刷会社、製本会社、運送業者、取次、書店といろいろある。その中で、もっとも「黒船」論争をしているのが書店であろう。出版社や編集プロダクションは元々が出版業というものがベンチャービジネスであることを知っている(最近の人は知らない?)訳だし、印刷会社は今や出版から入ってくる売上なんてものは売り上げのごく一部でしかないし、運送業者もそうである。つまり、製本、取次、書店が実は一番この「黒船=電子出版」についてセンシティブになっているのだ。だからといって、彼らを救う方法はない。まあ、取次はその資本力もあるし、そのなかで生き延びることも考えられるが。

 で結果はこういうことになるのだ。『結局のところ、彼らの主張する「守るべき日本の出版文化」などというものは、実のところは自分たちの既得利権にほかならない。長引く出版不況を、版元、取次、印刷会社、書店が痛み分けで堪え忍んできたのに、ここにきて外国勢の電子書籍のせいで自分たちだけが中抜きされるのはイヤだ、ということだろう』という大原氏の主張は正しい。「出版不況」を乗り切る策として(アスキーもそうだけれども)めったやたら新書という、低廉でしかも無内容な本ばっかり出している自分たちの出版姿勢自体が「出版不況」のもとになっているということにすら気づかない、というか気づいているけれども他に手がなくそうするしかない出版人の姿を見ると腹が立つ。おまけに、書店を見ると茂木健一郎、勝間和代、池上彰の本ばっかり各社から出版されているという編集者の不勉強ぶりを見ると、これは「出版不況」もむべなるかなというところだ。なにせ、彼らの本の次第に内容が薄くなることに気づいていないのだろうか、あるいは気づいていてももう企画しちゃったから出さざるを得ないのか、というところである。彼ら編集者は他社から出された同じ筆者の文章が他社版とカブることに対して無関心なのであろうか、だったら最低の編集者である。書店も、そんな本ばっかりを置いていてそれでよしとする。日本中、皆同じような書店しかないのだ。それでいて「出版不況」ですか? そんなの当たり前じゃないですか。何故、もっと「本好き」な書店員を雇って、その書店独自の本棚作りとかをしないのだろうか。

 アメリカではレンタルビデオの超大手チェーンであるブロックバスターが経営破綻に陥る一方、インディペンデント系のレンタルビデオ店がまだまだ元気でやっているという報道もある。つまり、映画好きのタランティーノみたいなビデオ店員がいて、その店独自の商品構成を作っているビデオ店は大丈夫生きている、ということなのである。要は、ブロックバスターは金太郎飴みたいな店しか作っていなかったからね。同様に、バーンズ&ノーブルという超大手書店チェーンこそ、まさに金太郎飴的な店舗構成でこうした電子書籍の動きに経営問題が出てきそうだし(バーンズ&ノーブルもNOOKという電子書籍デバイスを出して対抗しているが)、一方でインディペンデント系の「本好き」な書店が生き残るという図式も見られそうだ。これも、ブロックバスター対インディペンデント系レンタルビデオ店の対決みたいなものだ。

 日本におけるインディペンデント系書店たるいわゆる「町の本屋さん」だって同じである。もっと本を好きになろうよ。単なる商品として「本」を考えるのでなくて、自分が読んで面白いと思った本を並べましょうよ。そうすれば今より売り上げが上がることはないだろうけれども、ツブれることはないでしょう。あなたが親父さんより継いだ店をツブしたくはないでしょう。だったら、本当に本を好きになってよ。

 基本はそれだな。

 

2010年9月24日 (金)

駒沢オリンピック記念公園第二球技場

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 駒沢オリンピック記念公園である。上の写真、中央奥に見えているのがオリンピック記念塔となっている、1964年東京オリンピックの際に電気や電話、給水などの管制を行なっていた管制塔である。しかし、いまやモニュメントとしてしか存在していないのだが、もはや46年も前の東京オリンピックであり、何のモニュメントであるかすら知っている人は少ないだろう。「その昔、東京でもオリンピックが開かれました」なんてね。

 駒沢公園は元々駒澤ゴルフ倶楽部というゴルフ場があったところで、1940年の東京オリンピックのメイン会場になる予定だった。それが日中戦争によりオリンピックは中止となり、その場所は陸軍に接収され練兵場となった。戦後、当時は東急が持っていたプロ野球の球団のフランチャイズとして野球場が建設され、その後東映フライヤーズとなった球団のフランチャイズ球場として永らく使用された。それが、1964年に東京オリンピックが開催されることになり、東京都より返還を命ぜられ、神宮外苑周辺の第一会場に次ぐ第二会場として、陸上競技場や屋内競技場が作られ、オリンピック終了後、駒沢オリンピック記念公園という風になったわけだ。

 1940年、1964年の東京オリンピックとか現在は北海道日本ハムファイターズとなった東映フライヤーズとか、とにかく歴史を感じることになる駒沢オリンピック記念公園は、その中に陸上競技場(サッカーなどの球技にも使用)、屋内競技場、球技場がふたつ、野球場、弓道場、ランニングコースやサイクリングコース、テニスコート、スケートボード場、そして普通の公園のような森や遊び場などがあって、これが東京の中なのかというくらい広い。さすがに戦前のゴルフ場である。贅沢に土地を使っているのだ。ちなみにお隣は駒澤大学です。

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 ということで、大学スポーツのメッカとなっている写真に写っている駒沢オリンピック記念公園第二球技場(長い!)では大学のサッカー、アメリカンフットボール、ラウロスなどの試合が殆ど毎週末行なわれている。うーん、駒澤大学有利(!)。しかしこの球技場、スタンドはあるのだが、サイドライン1面のみで、反対側のサイドライン側と両エンドライン側は金網になっていて、会場外からも競技が見えてしまうという構造になっている。これじゃあ有料試合は行なわれないな、ということで大学スポーツといっても、1部リーグの試合はだいたいなくほとんどが2部リーグ戦。1部リーグの試合があるのはラクロスなどの超マイナースポーツで有料試合が組めないようなスポーツで使われている。さもありなん。

 うーむ、ラクロスが有料試合を行えるようになるのはいつの日だろうか。

2010年9月23日 (木)

『女流阿房列車』は内田百閒ほど阿房じゃないことが残念だ

 酒井順子さんの「鉄女」ぶりは以前より知っていたのだが、こういう「鉄女」もいるのだな、というか、「これでいいのか鉄女」という気分にもなってしまう不思議さよ、まあでもその寝姿は可愛いのだろうな(女性が何も周囲のことを気にしないで寝てしまう姿というのはとても可愛いのだ)、ということで許してしまうのである。

『女流阿房列車』(酒井順子著/新潮社/2009年9月20日刊)

 とにかく、本書における酒井氏は徹頭徹尾他人にその行動を委ねてしまうのである。まあ、「女流阿房列車の主管である出版界一の鉄人・新潮社T氏」という人がいて、その人によって企画された旅日記である。おまけに、いつも一緒にいるのが「小説新潮」のK嬢である。つまり、酒井氏は他人に委ねるのが大好きな上に、一緒にいる人がいるとその人にまで自分の行動を委ねてしまうということは、前著『女子と鉄道』でもそれとなくわかっていたことであるが、そんまんまを演じているのが本書である。しかし、確かにそんな風に「他人に自分のことを委ねる」ということは気持ちの良いことなのである。もうこれは自分の人生じゃないんだもんね、他人がひいた自分の人生の道筋でしかないのだから、自分で責任を持たなくてもいいんだもんね、的な自己放棄な気分が満載しているのである。

 酒井氏って、もうちょっと自分の人生に自分自身で責任をもって行動する人なのかなと思っていたのだが、実際はそうじゃなくて「流されて独身」みたいな人なのかということに思い立ったのである。別に、自ら確信して「負け犬」になった訳じゃないものな。要は、すべて、その時の「人」だったり、「状況」だったりに流されて生きる人なんだ。ま、それが酒井氏の魅力なんだけれども、本人にとってはツラい生き方だったりして。

 で、前々節について言うと、内田百閒はそんなことはしていない。自分で行動(乗る汽車や泊るところなど)を計画し、それをヒマラヤ山系君に伝えるだけである。ヒマラヤ山系君はその結果、結構忙しく立ち働かなければならなかったり、それを聞きつけた新潮社の編集者が東京駅まで見送りに来たり、それはそれで周囲は大変なことになっているのだが、その結果はすべて自分でしょい込むことになる。つまり、そうした東京駅での出来事にも文句は言わないし(少し言っているが)、国府津の駅で2時間またなければいけないことについても誰に文句を言うわけでもないし、八代の宿で地元の有力者が訪ねてきてもそれに文句を言うわけではない。そうしたすべての旅についての「予想もしなかったこと」について受け入れるのである。つまりはすべて「何の目的もなく列車に乗りたいから旅に出る」という自分の意志から発生したことだから、すべての出来事に対して自ら受け入れている。

 問題は、酒井氏のように他人にすべてを委ねてしまう「鉄」ってあるのだろうか、ということである。確かに自ら以上の「鉄の達人」がいればそれに任せてしまうということはあるのだろうが、それははたして「鉄」の人の正しいあり方なのだろうか。最近は「鉄子」と言う名の女子鉄道マニアも増えているということである。それらの「鉄子」たちはすべて自分で行動予定というか乗る列車の予定なんかも全部自分で決めているのだろう。それが本来の「鉄」である。それが、こんなに他人にすべてを委ねていいのだろうか、という疑問がある。自分で鉄道乗車計画を作るところから「乗り鉄」の面白さが始まるのではないかと考えるのであるが、そうでなくこうやって他人に委ねてしまうというのも「乗り鉄」としてあるのか、というのは新しい発見である。おまけに、乗ったらこの人寝てしまうのである。何ともはやもったいない。

 列車の旅というものは、「乗ったら最後、ちゃんと目的地までちゃんと届けてくれる」という安心感に支えられているというのは確かにその通りであるし、その安心感の結果「寝てしまう」というのはわからないでもないが、それは単に日常時間の問題だけでしょうとも言いたくなる。要は、夜人間(都会ではやたらこういうことを言いたがる人が多いんだ)である酒井氏は朝の列車には弱いんでしょ。じゃあ、朝から列車に乗らなきゃいいんじゃないの、でもそれじゃあ記事にならないのよ、という葛藤があるのか。

 まあ、そんな葛藤くらいしか「鉄」の前にはないけどね。

 気になる方はこちらもあります。こちらはそれほど他人に自分の人生を委ねてません。

2010年9月22日 (水)

デジタル教育が日本を滅ぼすんじゃない。「デジタルな」教育が日本を滅ぼすのだ

 田原総一朗氏もそんなことは書いていないのだが、本を売るためにこんなタイトルを付けるから、紙の教科書を売るという利権を持った、早合点した本屋さんがこの本を一生懸命売ろうとするのだ。ま、結果オーライなんでしょうけどね。

『緊急提言 デジタル教育は日本を滅ぼす!』(田原総一朗著/ポプラ社/2010年8月25日刊)

 むしろ田原氏の論点は2002年に文科省から出された新指導要領、いわゆる「ゆとり教育」にあるのだ。「ゆとり教育」が批判されたのは、その結果としての学力低下であった。つまり、それまでの学校授業の時間を三割減らして、その分、地域と子供とのかかわりなどを学習させようという考え方であったものが、授業時間を三割減らしたことだけがクローズアップされてしまい、三割減らして何をやるかということを見てくれなかった、考えてくれなかったということだ。つまり「(地域と子供のかかわりを学ぶという)総合的な学習の時間」といっても、何をやらなければいけないのかが分からない教師は、生徒が選んだテーマに従って本などで(ヘタするとWikipediaあたりで)資料をあたり写してきた(コピペ)だけのレポートに対して適切な指導ができない。その結果、生徒たちの学習意欲はますます落ちてきてしまう。その悪循環が結果として「ゆとり教育」全体を批判する材料となったのである。

 ここで重要なのは、そのように教育指導要領を変更したのならば、それに合わせて教師の能力を再育成する必要があるということだろう。それが、行政を司る役人にとっては上の指導方針を変更すれば下は常にそれに対して対応してくれると考える、というか役人にとっては制度変更と同じだけの意味がある指導要領の変更についての認識が薄すぎるということなのだ。まあ、取り敢えず予算作成と法律作りだけが役人の仕事であると考える日本の役人なのだから、それも仕方のないことだが、教育の方針作成というのはそんなに簡単なことではないのだ。

 そこでデジタル教育なのだが、ではデジタル教育とは何だと考えると、それは単にデジタル機器を教育に使うということだけの筈なのだけれども、多分それは教育自体がデジタル的になってしまうだろう、というのが危機意識となって、田原氏の中にあらわれたのである。つまり『デジタル教科書でも、同じことは起こってくるはずだ。紙も印刷会社もいらなくなる。全教科で1冊(1台)でいい。小学校から高校まで、中のソフトウェアを更新していくだけでいい。安いし、絵も動画になるから面白い。ファッション雑誌でもファッションショーが見られるように、アフリカの動物といったら、動き回るゾウが見られるようになる。音楽も聴けるし、算数の解き方もレベルに合わせて音声で解説してくれるだろう。それでもまだわからないことがあったら、検索すればよい。たとえば「伊藤博文がどういう人か」「アメリカってどんな国か」ということが、その場で検索することができるのだ。つまり、問題を解く、正解を出すという作業が自己完結してしまうのである。これは便利で効率がよい。だが実はこのことこそが問題なのである。学校へ何をしに行くのか、教師とはなにをする存在なのか。ネットの上で自己完結するということにより、教師も学校もいらなくなってしまうのである。そのために現在の教育の欠陥が如実に現れているのである』と、むしろ問題はデジタル教育の問題ではなく、デジタル機器の教育への導入によって『現在の教育の欠陥が如実に現れる』ということなのであると規定する。

『現在の教育の欠陥』とは何か。それはまさしく「ゆとり教育」で修正しようとしていた問題なのである。つまり学校は勉強における「正解」と「間違い」を教える場ではなく、勉強の楽しさや、面白さを教える場なのだということ。まさしく「正解」と「間違い」を教えるだけならば、それはコンピュータで勉強すれば十分なのだ。そうではなく、世の中には「正解」のない問題が如何に多いのか。そのような「正解」のない問題に対して、どうやって対処すればよいのか、というこれをしも「正解」のない問題なのだが、そういったことを考える場、が学校なのである。しかし、世の中の教師というものはそうでなく、実に「正解」を教えるのが自分たちの仕事だと考えている人たちが多いのである。それが、まさしく『現在の教育の欠陥』なのである。そうした『教育の欠陥』がデジタル教科書の導入で如実に現れるのである。

 田原氏自身はi-PADも使用しているし、TWITTERもやっているし、デジタル機器はよく使っているようなので、デジタル・デバイスとデジタル・メディアの有利な点も問題点もわかっているようである。 

 デジタル機器、パソコンとかi-PADとかは単なるデバイスにすぎない。つまりそういったデバイスを使い倒して如何に自分のやりたいことを実現するかというのが、現代人というもののあり方であろう。当然、デジタル社会、ネット社会のネガティブな部分は当然ある。それはデジタル革命以前にもその社会なりにあったネガティブな部分である。それが社会が変わった故に現れた社会の諸相にすぎない。つまり、デジタル社会におけるデジタル教育というのも、如何にそれらのデバイスを使い倒して、自分のやりたいことを実現する教師が成功するということなのだ。それをせずに(あるいは出来ずに)デジタル機器の使いやすさだけに頼って、つまりそこでの「正解」だけを求めるような教育をしていると、まさに田原氏の言うような「デジタル的な教育」になってしまって、そこでは教師そのものが必要でなくなってしまうというものだ。

 必要なことは、デジタル機器を使って、デジタル機器ではできない教育を行なうことが大事なのである。つまりそれは、世の中には「正解」はないということや、それぞれの勉強の面白さなどを伝える教育を行なうということなのだ。その為には、教師はデジタル・デバイスの優秀な使い手になって、デジタル・デバイスが出来ないことを十分理解する必要がある。決して、デジタル・デバイスの奴隷になってデジタル・デバイスに使われてはいけない、ということなのだ。田原氏が気にしているのは、こうした「デジタル・デバイスに使われる教師」のことである。大学での授業にいまやパソコンは必要不可欠である。しかし、その大学側の使い方はパソコンを連絡ツールや、掲示板などに利用しているだけで、パソコンそのものの”使い倒し術”を教えている訳ではない。したがって、頭の良い(あるいは要領の良い)学生はそこそこ”使い倒し術”を自分で獲得しているが、小・中・高の先生になろうとしている〈教職課程〉の履修学生はどちらかというと「真面目」な学生が多いせいか、こうした”使い倒し術”のような応用問題は不得意な人が多い。問題はそこなのである。

 同様、すでに教職にある人たちの問題もある。こうした人たちにとってのパソコンは、授業の進め方の数字的な資料を作る機会だと思っている人たちが多い。もう少し進めて、パソコンなどのデジタル・デバイスを積極的に授業に使う方法を考えたらどうでしょうか? それも「正解」を求めるためじゃなくてね。むしろ「正解」のないことを考えるための材料として。

 結局、パソコンが出す「正解」って、誰かが一度考え出した答えであるにすぎない。そうではなくて、世の中に「正解」のない問題を考えるデバイスとしてパソコンなどを使うという風にすればよいのである。要は、パソコンにない答えを探す、と言う意味で。

 つまり、田原氏の言いたいことは、デジタル機器を教育の場に導入するなら、それなりの教員に対するデジタル教育をしなければならない、ということであろう。これまで、教育指導要領の改訂に際しまったく行なわれてこなかった、現場教員に対する指導要領の改訂を、今回はまさにちゃんと行わないと、デジタル教育は読んで字のごとく「デジタルを教える教育」ではなく「デジタルな教え方の教育」になってしまうということであろう。

 ここまでデジタル社会になってきているのである。いまやデジタル機器を教育の場に持ってこようというのはごく当たり前の考え方であり、それに反対するのは、教科書販売という独占的許認可事業で「おいしい汁」を吸っていた各地の教科書販売会社とその傘下の書店くらいのものだ。競争社会の中で、もはやそんなおいしい汁はない。しかし、そんなことはどうでもよい。

 問題なのは「デジタルによる教育」ではなくて「デジタルな教育」なのである。

 

 

2010年9月21日 (火)

遠野まつり

 9月19日は遠野まつりに行ってきた。

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

「まつり」といっても、この遠野まつりは神事ではない。毎年、9月の連休に行なわれている観光まつりなのである。今年は9月18・19日の二日間であり、本当は18日も行きたかったのだけれども、都合があって行けず、19日一日のみの日帰り強行軍となった。

 何故、毎年この遠野まつりに出かけるかといえば「鹿踊り」である、「鹿踊り」と書いて「ししおどり」と読むこの踊りは、東北とくに岩手県、というよりも昔の南部藩特有の踊りで、しかし、各地域によって若干かわる。ここ、遠野地方でもさかんに行なわれており、各地域の祭りには欠かせない見ものとなっている。その鹿踊りがここ遠野まつりでは、板沢、上柳、綾織、東禅寺、細越、土淵、山谷、張山、佐比内、青笹という十町村の鹿踊りがいっぺんで見られるのだ。

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EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 すべて同じリズム、基本的に同じステップの鹿踊りなのだが、各町村によってその組み立てや細かい部分が異なっている。更に、ここ遠野地方の鹿踊りはどちらかというと「獅子踊り」に近く頭の被り物にも「獅子」の顔が書かれている物が多い。呼び方も地区によって「しし踊り」と言ったり、それこそ「獅子踊り」と言ったりである。

 また、若武者装束の女の子と一緒に踊り、若武者は刀を振り回して鹿(獅子)と戦ったりする。ということは、そこに何らかのストーリーがあるのだ。多分、この若武者は昔は若衆が演じたのだろう。それが現代になって女も祭りに参加させようということで、若武者姿をさせたのだ。

 全体で踊るのと、そのうち一頭か二頭だけ選ばれて踊ることもある。選ばれて踊る方の踊りはかなり動きも激しく、踊り終わった鹿(獅子)は倒れてしまう者もいるほどだ。

 そして祭りの前後、地元の鹿踊り連は門付けをして歩く。

 花巻の方の鹿踊りはもっと鹿に近く、それこそ鹿の角をつけた頭をつけて踊るらしい。更に鹿自身が太鼓を叩きながら踊る。来年は花巻の方も行ってみるかな。

 そして、最後は十町村の鹿踊りが総出で踊るという壮大なものである。

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EPSON RD1s+Elmarit 28mm (c)tsunoken

 こんなのも出てます。コンセイさま(金精様)の神輿です。

 このように、鹿踊りだけじゃなくて、神輿や手踊り、南部ばやし、さんさ踊りなど盛りだくさんの出し物です。

2010年9月20日 (月)

ヘーゲルが総理大臣になったところで、日本のどこが変わるっていうのですか

「萌え系」の表紙で読者を目くらましして、本を読ませようというのは『もし、ドラ』と同じ発想だ。まあ、「真似の講談社」なんだからそういうこともあるのだろう。

『ヘーゲルを総理大臣に!』(小川仁志著/講談社/2010年9月21日刊)

 ただし、内容は極めて真面目な本だ。それもヘーゲルという難解で通る哲学者の話をやさしく聞かせようと言うのだから、「ヒッカケ」としてそういう表紙を持ってきたのだな。

 個人、地域あるいは職業団体、国家あるいは公共体という具合にその存在の意味や意義を説いて聞かせ、あるいはヘーゲルの時代にはなかった「リベラル・コミュニタリアン論争」なんてものまで引き出して、あの「ヘーゲル法哲学を分かりやすく解説」しているのだ。まあ、哲学なんてものは本来は簡単に説明できる事柄を、その内容をキチンと規定するために却って難しい術語を生み出して、物事をやたら難しく解釈しようという衒学術なのだから、それを簡単に解説しようと思えば、その問題を単純化してしまえば、簡単に説明しようとすることはできる。しかし、その単純化は問題を本質から遠ざけることになってしまい、その結果、単純化された説明ではその哲学を説明したことにならなくなってしまうのだ。つまり、「個人も大事だが地域あるいは職業団体も大事」だとか「個人も大事だが国家あるいは公共体も大事」であるなどという、ごく当たり前の発想になってしまい、その結果「ヘーゲルの国家主義」が見えなくなてしまい「自由主義者としてのヘーゲル」なんていう順逆の考え方に落ち着いてしまう。

 勿論、ヘーゲルとて個人の自由を尊重しないわけではない。しかし、それ以上に国家の意思の方が尊重されるというヘーゲル本来の発想を忘れてしまうわけにはいかないのだ。『せっかく政権交代まで実現したのに、社会は思ったほど劇的に変化することはなく、経済も一向に回復し』ないからヘーゲルを総理大臣にすればすべてが解決するということにはならないだろう。ヘーゲル主義を援用して現代の政治を行なえばうまくゆく、と小川氏が考えることは勝手であるが、だからといって『社会が劇的に変化』して『経済が回復』することはないだろう。世の中はそれほど単純ではないし、なによりもヘーゲルの時代のような国家観では今の時代には通用しないだろう。そして更にヘーゲルが言うところの「職業団体」である企業が既にグローバル(超国家)化している以上は、ヘーゲルを乗り超える思想がなければならなく、その為にそのような思想を獲得しようと、皆苦労しているのだ。

 まあ、菅伸子ではないが「ヘーゲルが総理大臣になったからって、日本のどこが変わるっていうのですか」というところだろう。

 

2010年9月19日 (日)

「正義」の話を当たり前のようにするっていうのは、やっぱり「正義」じゃないのだ

 ベストセラーである。ハーバード大学の授業をベースにした本である。ということで多少は緊張して読み始めたのであるが、何と、これは「トンデモ本」の一種であるのですね。こんな授業を受けているハーバード大学生ってたいしたことないな、という印象を持つにいたった。

『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著/鬼澤忍訳/早川書房/2010年5月25日刊〈私が買ったのは9月10日刊の63版!〉)

 サンデルはまず最初に「究極の選択」のような命題を与える。つまり『あなたは路面電車の運転手で、時速60マイルで疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ。ふと、右側へそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。どうすべきだろか? ほとんどの人はこう言うだろう。「待避線に入れ! 何の罪もない一人の人を殺すのは悲劇だが、五人を殺すよりはましだ」。五人の命を救うために一人を犠牲にするのは、正しい行為のように思える。』あるいは『アフガン戦線で丸腰のヤギ飼いを捉えたアメリカ人兵曹は、キリスト教的良心からそのヤギ飼いを解放してしまう。しかし、兵曹がいた部隊はヤギ飼いから部隊の存在を教えられたタリバン兵によってほとんど全滅させられてしまう。はたして、兵曹はヤギ飼いを殺すべきだったのか、どうなのか』と。

 しかし、こんなのは決して難しい問題でも何でもない。答えは簡単。「どちらも正しい」あるいは「どちらも間違っている」である。これが正解。それ以外に答えようがないじゃないか。

 もうひとつ。サンデルは国家のおこした過去の不正について述べる。つまり、ドイツのナチスのホロコーストであり、日本の従軍慰安婦問題であり、オーストラリアの先住民に対する強制隔離政策であり、アメリカの日系アメリカ人に対する強制収容問題であり、ハワイの独立王国滅亡であり、アフリカ系アメリカ人に対する奴隷制の問題である。しかし、肝心の問題には一切触れないのだ。

 つまり、アメリカ(当時は「アメリカ」という名前さえなかった)先住民からの強制土地収奪の問題だ。

 何故か。つまり、それをとり上げてしまうと「アメリカ建国の歴史」を否定しかねないからである。アフリカ系アメリカ人に対する奴隷制と差別問題は「アメリカの歴史上の問題である」からそれを検証し、反省することは問題はない。しかし、「先住民から土地を収奪したことによって、アメリカ合衆国ができた」というたかだか200数十年前の歴史を反省したら、それこそアメリカ合衆国というものを否定しなければならなくなってしまうのだ。

 日本においても「古事記」や「日本書紀」といった「後の時代に書かれた建国史」を、その神話的部分は除いても、なお歴史・正史として認めようという勢力がいる。つまり、それを否定されてしまうと、日本と言う国の存在を、日本人と言うアイデンティティを失ってしまうと考える人たちがいるということなのだ。同じように、つい最近の話であり、誰でもが知っている話なのであるが、やはり「先住民の土地を収奪した不正な方法で出来たアメリカ合衆国」ということを認めてしまうと、やはりアメリカ合衆国というものの存在や、アメリカ合衆国市民としてのアイデンティティを失ってしまうと考える人たちがいるのだろう。

 だから、マイケル・サンデルは「建国の(恥ずべき)歴史」には触れない。

 これは、とんでもない「政治哲学」ではないのか?

 おまけに、アリストテレスの「共通善」だって? そんなものは、既に否定されている概念じゃないか。まあ、「奴隷制(といっても最近の奴隷制とは違うが)を肯定した」アリストテレスは、要は市民の役割として「政治参加」を言っており、市民じゃない奴隷には政治参加の資格はないと言っている。当時はそれでも「革新的」な発想だったのかもしれないが。いま、それを言ってしまえば、単なる「保守主義」でしかない。

 サンデルはバラク・オバマの参謀であるらしい。そういえば、オバマの最近の発言もおかしい。ノーベル賞を獲った理由にもなっている「核廃絶宣言」だが、だったらまずアメリカから核をすべて捨てて、「もうアメリカは核を持っていないんだから、皆もそうしようね」と言って、自ら範を示せばいいものを、結局は「アメリカは核を捨てる決心をしたのだから、皆も決心してね。では、皆一緒に核を捨てましょう」という具合に、要は、自ら行動を単独で起こそうとはしないのだ。世界はいまや共同体なのだから、その共同体で皆で一緒に行動を起こそうねって言ったって、そんなことに同調する世界ではないのだ。

 つまり、「コミュニタリアニズム=共同体主義」とは、単にアメリカ中心で世界をアメリカと同じ世界に巻き込もうという発想にすぎないのだ。 

「アメリカ中心のグローバル・エコノミックス」の政治版だな。これは。

「正義」というのは、ある人にとっては「正義」かもしれないが、別の人にとっては「不正」であるかもしれないし、その別の人にとっての「正義」は、またある人にとっては「不正」だったりするのである。所詮、「正義」というものは相対主義的なものでしかない、ということに触れていないこの本は、だから「トンデモ本」なのだ。

2010年9月18日 (土)

泳げ! 鯛焼きクン

 世界鯛焼き紀行(何というタイトル!)とでもいうような写真展が足立区千住で開催中である。

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(c)Mika Sudo

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

 世界の色々な場所に行って、色々な人と会って、色々な景色の中で、鯛焼きを撮影する。という、何ともおかしい写真のあり方ってなんだろう。撮影者である須藤美香氏によれば、千葉の海岸で撮影中に、おやつに買った鯛焼きを戯れに防波堤に乗せて撮ってみた。その時「鯛焼きが本物の鯛として生き返って、海を見ている気がした」って言うんだから、大体海の中にいる筈の鯛が何で防波堤の上で海を眺めているんだ、というチャチも入れたくなるが、そんなことはお構いもなく、「鯛焼きの目線で見た世界」(なんだそりゃ)なるものをたくさんの人に見てほしい、とまあ、あっけらかんと話す須藤氏の面白さってなんだろう。

 取り敢えず、日本人以外の人にとっては「鯛焼き」って何だかわからないはず。でも、手に取ったり、ターバンに乗せたりしながら写真に収まってくれる、というのは何故だろう。まず、須藤氏の相手に対する取り入り方というか収まり方の巧みさというのがあるだろう。もう一つは、外国人の「鯛焼き」に対する興味である。つまり、「鯛焼き」って何だろうという興味である。撮影後、被写体になった人たちは鯛焼きを食べたのだろうか。そしてその食後感、つまりは冷めた餡子、はどうだったのだろうか。それが気になる。

 まあ、あっけらかんと「世界の色々な場所に鯛焼きを置いてみたらどう写るだろう」というのが須藤氏の興味の行き方だろう。それが何故「鯛焼き」なのか、ということは分からない。でも、鯛焼きが世界に出たことだけは確かである。

 昔の歌、『泳げ、鯛焼きクン』では、毎日鉄板の上で焼かれた鯛焼きクンはある日突然海の中へ飛び込んだ、がしかし、結局食べられてしまって終わるのだ。

 はたして、この写真の鯛焼きクンたちの行く末はどうなるのだろうか。そのまま海を泳ぎ続けるのだろうか、あるいは食べられちゃったのさ、と終わるのだろうか。

『たい焼きの旅』写真展は9/21まで、足立区千住河原町21-11「千住宿歴史プチテラス」で開催中。場所は、北千住の駅から旧日光街道をまっすぐ南千住に向かって墨堤通りを越えて、ちょっと先の右側です。北千住の駅からはちょっとある。上の写真の通り、旧日光街道の先の方、左右の家に昔どんな店があったかという案内が出始めたところにある。

2010年9月17日 (金)

写真を撮らない写真家がいてもいいじゃないか

 著者の大和田良氏はちょっと変わった経歴の写真家である。

『ノーツ オン フォトグラフィー』(大和田良著/リブロアルテ発行・メディアパル発売/2010年7月31日刊)

 普通、写真家というと子どものころからカメラが好きで、写すのが好きで、それで写真関係の学校に行き、写真家になる、というパターンが多い。したがって、大体写真家というのは「写す人=カメラマン」という感じだ。特に報道写真を目指す写真家はその方向に向かう。私なんかも写真というと「ドキュメント」というイメージを持っている「古い」世代なので、そうした写真家のイメージが強い。

 しかし、大和田氏は写真工芸大学に入るまでは写真に特別興味があったわけではなく、バンドなんかをやっていたということである。勿論「表現する」ことに対する興味は十分あったわけだが、それは若者としてのごく普通の興味の持っていきかたであり、おおかたの若者は何かしら「表現」への希求をもっているものだ。それはまさに「なにかしら」でしかない。

 したがって、大和田氏が写真工芸大学に入学した動機というものも、単に「表現を志す友達と一緒にいたい」というものであった。まあ、日大芸術学部は落ちるわけだな。

 ということで、大和田氏の写真に対する考え方は「写真=撮影すること」ではなく、「写真というものは、撮影し、現像し、プリントする」総合的な表現技法なのである。というよりも大和田氏が写真学校に入り最初に興味をもったのは「プリント」である。プリントによる写真表現ということになると、まず向かうのは「写真の絵画的表現」の方向である。しかし、そんな絵画的写真であっても、最後は「いい写真」が撮れなければ「いい写真」にならないわけで、やはり「撮る」行為に向かうのであろう。

 しかし、本書にも収められている大和田氏の写真はどちらかというと「コンポラ写真」のようなスナップが多い。勿論、普段は雑誌やCDジャケット、ポスターなどの「ものを(意味を)伝える写真」が大和田氏のフィールドであるらしいので、それなりの撮影テクニックは持っているはずだし、表現者として十分やっていけるだけのセンスも持ち合わせているのだろう。が、やはり大和田氏のメイン・フィールドは「撮影し、現像し、プリントする」という総合的な写真表現に向かうのであろう。それこそ、写真を撮るのはカメラマン、現像しプリントするのはプリント師みたいに、アンリ・カルチエ=ブレッソンとピエール・ガスマンみたいになって、おまけにピエール・ガスマンの方が偉くなったりして。そうなると、写真の著作権は「撮った人」にあるのか「プロセスをした人」にあるのかわからなくなったりしたら面白い。

 こういう写真家がいるのだという興味。まだ、31歳という若い写真家がこれからどんな写真を作っていくのだろうか。興味がある。

 

2010年9月16日 (木)

悪寒の嫁入り・・・って

 というタイトルは、ある日突然「結婚する」と言って、訳のわからない若い男を連れ込んできた母親に対して、母娘二人暮らしをしている娘から見れば、まあ取り敢えずは「悪寒」だろうということでつけただけで、映画の悪口を書こうとしている訳ではない。単なるダジャレです。すいません。映画はなかなかよくできた映画なのだ。

『オカンの嫁入り』(呉美保 脚本・監督/角川映画/2010年9月4日公開)

 大竹しのぶ演じる母・陽子と宮崎あおいの娘・月子、そして母子が住む家の大家である絵澤萠子演じるサク、という三人の女が住む家が舞台である。その家に、ある夜、陽子が若い男・研二を連れて帰って来て、陽子は突然若い男・研二と結婚すると言いだすのである。勿論、月子は大反対であるだろうし、サクにしても突然の若い男の出現にビックリである。しかし、サクにしてみれば月子が小さいころから月子のことを大事にして育ててきた陽子を知っているだけに、月子とはスタンスが違っていて、もう大人になった月子に対して陽子を許すように諭す。しかし、月子はそんな陽子の勝手を許す気になれないし、月子の心の傷も観客には見えてくる。そんな心の傷を負った自分を大きな心で受け入れてくれた陽子に対して複雑な思いを隠せない月子。

 しかし、陽子が末期癌であることを知った時、月子は研二のやさしさとか、陽子の自分を想う気持ちが分かるのだった。で、最後はオカンの嫁入り姿で終わる。オカンの最期は描かない。

 大竹しのぶと宮崎あおいという二人の女優の素晴らしさは十分楽しめる映画だし、絵澤萠子のバイプレイヤーぶりもちょうど良い。しかし、國村準のセンセイと月子の関係とか、研二の設定などが原作とは変わっていて、そこがよくわからない。短い原作である。別に原作から設定を変えなくても映画が長すぎてしまうということはないだろうし、かえってそこが映画の舌足らずな部分になってしまっているような気がする。まあ、センセイと月子の肉体関係は描かなくてもあまりストーリーに支障はないかもしれないが、研二の設定は原作通りの方が無理がなくてよかったのではないだろうか。何も、「研二とおばあちゃん」の関係にしなくても、原作通り「研二とおじいちゃんとおじいちゃんの彼女であるおばあちゃん」の方が自然なのである。

 が、まあそれでも平均的にはよくできている映画だから、まあいいか。要は、大竹しのぶと宮崎あおいを見る映画なんだからな。

 しかし、最近この「平均的にはよく出来ている映画」というのがあまりにも多く、何かそこから突出した部分を持った映画というのがない。この『オカンの嫁入り』もまさにそうで、まあそこそこ日常もよく描けているし、突然の変化という映画的展開も悪くはないし、まあ泣けないでもない。が、それだけなのである。原作もそれだけの作品ではあるけれども、映画もそれに合わせる必要はないだろう。何か、映画的な添加物を加えてトンでもない作品にしたっていいのである。しかし、そこまでの冒険はしない。

 最近の映画の特徴である。みんなあまり冒険をしなくなったなぁ。しかし、これが今の若い映画人の特徴なのかしら。まあ、団塊の世代の荒井晴彦氏がイラだつわけだよな。

 映画の公式HPはコチラ http://www.okannoyomeiri.jp/index.html

 原作が気になる方はコチラを

2010年9月15日 (水)

勝つために戦え!<監督ゼッキョー篇>の正しさ・・・要は、近しい人はホメるということ

 ということで、今日は続編。〈監督篇〉が売れたのでご褒美と言うわけね。今回は「語り下ろし」の形をとっています。

『勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉』(押井守(喋り)野田真外(構成)/徳間書店/2010年8月31日刊)

 今回俎上に載っているのは、リドリー・スコット、ジョン・カーペンター、スタンリー・キューブリック、フランシス・フォード・コッポラ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ロジャー・コーマン、ローランド・エメリッヒ、ポール・バンホーベン、ティム・バートン、ジョン・ウー、クエンティン・タランティーノ、エリア・カザン、ロバート・アルドリッチ、フリッツ・ラング、ドン・シーゲル、クリント・イーストウッド、サム・ペキンパー、フランソワ・トリュフォー、フェデリコ・フェリーニ、ロマン・ポランスキー、オーソン・ウェルズ、滝田洋二郎、阪本順治、石井總互、塚本晋也、周防正行、森田芳光、相米慎二、若松孝二、岡本喜八、円谷英二、本多猪四郎というてんこ盛り。そして、ついに語ってくれましたあのポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダです。ただし、ポランスキーのついでに15行だけ。

 まあ、アンジェイ・ワイダ位の巨匠になってしまうと、これは黒澤明について語るのと同じで、殆ど意味がなくなってしまうのだろうな。

 で、今回は「自分語り」の部分は前回よりも減っていて、多少は「監督の勝敗論」について語っている。が、しかしやっぱり自分語りなんだよな、今回は前回以上に「うちの師匠=故鳥海永行氏」が出てくるし、西久保瑞穂、伊藤和典、沖浦啓之、黄瀬和哉などの押井組のスタッフや弟子の神山健治がやたら出てくる。そして、最後には若松孝二である。最初は若松の最近の映画なんかはこっぴどくこき下ろすかと思ったら、そうでもない。その理由は若松が名古屋に持っている映画館「シネマ・シコーレ」で押井の『紅い眼鏡』を、その昔結構熱心に上映してくれたというのだから、まあそれは正しい態度なのだけれども、結局はそういうことなのね。

 要は、自分に近しいところの人は褒めるけど、そうじゃない人はコケにするということである。で、これは正しいことなのである。

後が怖いもんね

ということで、怖いもんがなくなった時が一番面白い時なのだが。いつになったら押井にそんな時が来るのだろうか。難しいな。

2010年9月14日 (火)

勝つために戦え!<監督篇>で語っていないヒト

 実は、この続編『勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉』の存在を知って、じゃまず正編からでしょ、ということで読んだのがこの本である。まあ、いつもの「押井節」だけどね。

『勝つために戦え!〈監督篇〉』(押井守著(喋り)野田真外(構成)/徳間書店/2010年2月28日刊)

 ということでいつもの「押井節」なのであります。今回は各映画監督を「勝ち」「敗け」という観点から採点した話である。しかし、なんで(日本の)アニメ監督じゃないのかな、それはあまりにも近い世界なので自粛した? そんなの押井じゃないでしょ。やんなさいよ、日本のアニメ監督評を、勿論その一番最初は「押井守」本人なんだけどね。自分自身をまず「メッタ斬り」して、それからだな他人を語るのは。しかし・・・

 今回、押井が俎板に載せたのは、宮崎駿、ジェームズ・キャメロン、三池崇史、手塚治虫、ヴィム・ヴェンダース、デヴィッド・リンチ、三隅研次、深作欣二、アンドレイ・タルコフスキー、樋口真嗣、北野武、アルフレッド・ヒチコック、実相寺昭雄、ウォシャウスキー兄弟、ギレルモ・デル・トロ、ジャン=リュック・ゴダールを各章の表題監督にして、ついでに他の監督連中も俎板にのせるというスタイル。しかしまあ、ジャン=リュック・ゴダール以外の監督はほとんどケチョンケチョンなんだよな。それはそうでしょう、押井自身も言うように、『いまだに「黒澤(明)は絶対超えられない」って言いつつ映画を撮ってる監督もいるんだからさ。「だったらやめればいいじゃん」って思うよ。黒澤の遺したシナリオを一言一句変えちゃいけないと言いながら映画にするっていう行為自体が信じられない。~自分が生きた時代の先人を尊敬するとか敬愛するのは構わないけど、絶対化した時点で終わりだよ』というとおり、映画監督というものは自分以外の監督を絶対認めない人たちの集まりなのだ。というか、それはクリエイターというものの本来持っている性格なのだけれどもね。他人のことを認めたら、その時点でクリエイターはおしまい、ってやつ。

 つまり、押井にしても押井自身以外の監督はその存在からして認めないってことなのだ。今回、押井は監督の「勝敗論」として話しているのだが、そういう意味で殆どの監督は「敗け」ということです。押井自身以外は。では何で押井は「勝ち続けているか」ということになるのだが、それは「当たっていない」からなのだそうだ。確かに、押井の映画で「当たった」作品はない。それぞれ「そこそこ」の当たり具合で、何年かしてからDVDになったり、海外販売ができてペイしたりという具合。つまり「大当たり」しないことが押井にとっての「勝ち」なのである。ということは、別の監督に言わせれば、別の「勝敗」判断はあるわけで、その基準はそれぞれの監督の数だけあるという具合だ。

 要は、他の監督のことをああだこうだ言っているようで、実はこの本、押井の「自分語り」の本なのであります。そう、この「自分語り」こそは押井の本分で、とにかく語らせたら何時間でも「ああだ、こうだ」を喋っていながら、実は後から良く考えてみると「なんだ自分のことを語っているだけじゃないか」と気づくのが押井との対話なのです。

 しかし、この「押井、自分語り」本が見事今年の4月で増刷になり、第二弾というのだから、日本のファンも「好きだねぇ」。勿論、私もこの「押井の自分語り」は好きですよ。どうせ、この第二弾だって同じことしか語っていないのだろうけど、読んじゃうだろうな。というか、もう買って読んでます。で、やっぱり同じじゃん、なんてことを感じているのですが・・・その感想はまた明日。

 で、最後に押井に一言。こんだけ監督を俎上にあげるのもいいけど、一人だけ上げてない人がいるじゃん。そいつも上げてよ。あなたが「アヴァロン」でポーランド映画を作ったことはいいけど、そのもとになったポーランドの監督だよっ。

 続編で言及してればいけど・・・。

2010年9月13日 (月)

駒込天祖神社の祭礼

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駒込天祖神社

 駒込天祖神社(神明社)の祭礼が9月の10、11日に行なわれた。駒込天祖神社そのものはそんなに大きな神社ではないが、そのお祭りはなかなかの見ものである。神明町、西林、富士前、宮元、上富士、動坂、東林、駒三、中動坂、神明西、吉片の11町会が神輿を出して連合渡御をする。中でも神明町は一番派手で担ぎ手も多いのは、元々神明町会は天祖神社のお膝元ということもあるが、一方で駒込三業地を抱えている(抱えていた?)ということもある。

 三業地が何か分からない人に説明すると、三業とは芸者置屋、街合、料亭の三つの業者が営業をすることをその昔許可された場所ということで、要は、花街ということだ。その花街をバックに置いた街が駒込神明町ということ。元々派手好きな人たちが集まっている町なので、祭りは派手に、神輿も派手にということになる。ついでに言うと、町会長は花火屋さんだ。まあ、確かに派手好きだよな。

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

駒込三業地の入口(看板が出ているあたりに「駒込三業」の看板が出ており、その左側の小さな階段が三業地の入口)。右は不忍通り。

 駒込三業地の場所は、不忍通りの駒込駅側に一本裏の道。私が学生の頃まではこの入口に「駒込三業」の看板が出ていた。

 それと「富士」の名前が付いている町会が二つばかりあるが、それは天祖神社のすぐそばにある富士神社にちなんでつけられたもの。富士神社は当然江戸庶民の富士信仰に基づいた社だが、元々は今の東大の構内にあったものが、江戸時代にそこが加賀の前田家の屋敷となり、その為に今の場所に移されたものだ。だから、今の東大の場所は昔は本富士と呼ばれており、その名前は今の本富士警察署に残っている。

 初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、この富士神社と、その周辺に鷹匠屋敷があった事、駒込茄子が名産物であった事に由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

富士神社

来週は「遠野祭り」だ。これも楽しみである。

2010年9月12日 (日)

『芋虫』は『キャタピラー』よりエグい、がエグい分だけ反戦的ではない

 若松孝二が『キャタピラー』の原作としたのだけれども、原作使用料を払うのを嫌って「原案」ということにした江戸川乱歩の『芋虫』は、『キャタピラー』よりずっとエグい。が、そのエグい分だけ反戦思想は薄い。しかし、この作品が発表された昭和4年には左翼から反戦小説として絶賛されたというのだから、それも時代の流れというものだろうか。

『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』(江戸川乱歩著/角川ホラー文庫/2008年7月25日刊)

『芋虫』の須永中尉は『キャタピラー』の黒川少尉よりもっとひどい状況であるようで、それは「左の耳たぶはまるでとれてしまって、小さな黒い穴が、僅かにその痕跡を残しているに過ぎず、同じく左の口辺から頬の上を斜に目の下のところまで、縫い合わせた様な、大きなひッつりが出来ている。左のこめかみから頭部にかけて、醜い傷痕が這い上っている。喉の所がぐいと抉った様に窪んで鼻も口も元の形を留めてはいない。そのまるでお化みたいな顔面の内で、僅かに完全なのは、周囲の醜さに引かえて、こればかりは無心の子供のそれの様に、涼しくつぶらな両眼であった」という表現にあるように、『キャタピラー』の黒川少尉よりもひどい状況に『芋虫』の須永中尉はさらされている。

 問題は、黒川少尉の場合は最初は(ひどい状態で帰ってきてからの最初)黒川の求めに応じてセックスをしたシゲ子に対して、この須永の場合は初めから妻時子の方からセックスに対して積極的なところだ。下宿させてもらっている鷲尾老少将のところから帰ってきた時子は、『「そんなに癇癪おこすもんじゃないわ、何ですのよ。これ?」時子はそう云って、手でご飯を食べる真似をして見せた。「そうでもないの。じゃ、これ?」彼女はもう一つのある恰好をして見せた。』というように、物語の最初から性に積極的である。まるで、手足と顔を失った夫に残されたものは、下半身の生殖器しかないような発想である。

 その後も、そうした時子からの積極的な性的結合のエピソードがいくつもある。『いつもこうした痴話喧嘩の末には、お互いにもどかしくなってしまって、最も手っとり早い和解の手段をとることになった』とか、『時子は、いつもの通り、ある感情がうずうずと、身内に湧起って来るのを感じるのだった。彼女は狂気のようになって、・・・・』とか、『今も彼女は相手の心持をいたわるどころではなく、反対に、のしかかる様に、異常に敏感になっている不具者の情欲に迫って行くのであった。』というように。

 そして遂に、時子は黒川の性器以外の唯一の外界との繋がりであった「眼」をつぶしてしまう。こうなったら、黒川の外界との繋がりは性器以外にはなくなってしまうのだ。その時はじめて時子は、須永の「ユルス」という下手な文字の意味するところをわかるというような構造になっている。一方、シゲ子は、元気なころの黒川のシゲ子に対する「産ず女」という叱責や肉体的な虐めの様子を思い出し、黒川とは逆に積極的にセックスを求め始め、ついには時子と同じように、セックスで黒川を虐めるようになるのだ。

 いずれにせよ、四肢を失い、聴覚・言語(おまけに視覚も)失ったときに男は「性欲」だけで外界と繋がりを持てるのか? という問題はある。大体、そんな体の具合で性欲があるのかどうかもよくわからない。

 しかし、時子はそんな夫の世界とのつながりをまさに「性」という部分でしか認めなかった。シゲ子は、まだ人間的な関係のあった夫との関係を想っている。

 その違いが、作品を「反戦」の方に向けるかどうかの違いである。若松は夫との関係をまだ人間的なものを感じさせることによって反戦たりえているのが、江戸川は完全に夫を「性道具」にしている部分で反戦になっていない、まさに「猟奇世界」の作品になっているのである。

 江戸川乱歩は別に反戦意識でもって『芋虫』を書いていないだろう。むしろ「四肢と聴覚・視覚・言語を失った男との唯一の接点たる〈性〉とはなんだろう」という意識で書いていたのにすぎないのだ。それはそれですさまじいのだけれども、でも、それだけである。

 〈性〉に関する表現と、左翼思想にどんな関係があるのだろう。それは今の感覚では分からないものがあるだろう。

 つまり、この小説が「反戦小説」であるというイメージはないのだけれども、それをしも「反戦」と言った、戦前左翼ってそこまで追い詰められていたのだろうか、という思いの方が強い。

2010年9月11日 (土)

『イッツ・オンリー・トーク』VS.『やわらかい生活』裁判が結審・・・エッ、何で?

 何度かこのブログでも書いてきた脚本家荒井晴彦氏と作家絲山秋子氏の裁判が今日結審したので、その報告。

 結果は「原告(荒井晴彦氏)の請求棄却」というもので原告敗訴、法廷では主文の読み上げだけなので、詳しい判決内容と今後の方針(控訴するのかどうか)はシナリオ作家協会のホームページか、来月発売の『月刊 シナリオ』を読まないとわからない。

  VS.  

 そもそもこの裁判のことをよく知らない人に説明すると、絲山秋子氏の小説『イッツ・オンリー・トーク』を原作とした荒井晴彦氏脚本の映画『やわらかい生活』があり、基本的にこの映画の劇場公開・テレビ放送・DVD販売・海外販売などは絲山氏の許諾があったのだが、何故か、荒井氏のシナリオを『シナリオ年鑑』に掲載することだけを許諾しなかった。原作者に印税が入る映画の利用はOKだが、一銭も入らないシナリオの掲載はイヤ、というほど絲山氏も生活に困窮しているわけはないので、やはり出来ちゃった映画の利用は仕方ないが、もともと気にいってなかった脚本を小説と同じ印刷媒体に掲載することだけはイヤ、ということで許諾しなかったのだろう。

 しかし、それは映画の二次利用に関する原作使用契約の主旨からいっておかしい、横暴だということで「損害賠償1円(!)」を求めて荒井氏が訴えたというのが、本件の内容だ。昨年の7月に訴訟が始まって、2ヶ月に1回くらいのペースで口頭弁論があり、それが本日結審したということだ。

 別に荒井氏に味方をしているわけではない。荒井氏も絲山氏も、おまけに荒井氏の弁護人の柳原氏もよく知っている立場だが、客観的に考えて、「原作契約の二次利用に関する条項」がある以上、荒井氏側の勝訴を予想していたのだが、反対になってしまったのにはビックリ。法廷でも「エッ?」なんて反応があったくらいなのだが、はてさてどういうことだろう。

 まあ、裁判長も「こんなチンケな案件は面倒くせえなあ、適当にすましちゃお」的な雰囲気はズッとあったのだけれども、判決もそんな感じで行ってしまったのか、というのが今日の判決の印象だ。「地裁としてはこういう判決なので、好きなら高裁に行ってやってよ」ということなのだろう。そんな感じの、今日の判決ではあった。

 詳しい判決内容が判ったらご報告します。

 

2010年9月10日 (金)

東京の真ん中の「空虚」な空間について

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 駅で東京メトロの路線表を見ていたら、当然なのだけれども真ん中の緑色の場所に気がついた。そこはあの「天皇のおわします場所=皇居」であるということは知っているだけど、広いねえ。完全に小さなひとつの「区」ぐらいの大きさがある。結構な広さだ。周囲1周約5km(これは自転車で走った実走行距離)。勿論、そこは天皇の宮殿だけじゃなくて、宮内庁や宮内庁病院、皇宮警察署などの付帯施設もあるわけなのだが、それにしてもその周囲の東京の人口密度に比較してとてつもなく閑散とした場所であることは確かだ。

 ロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いたとおり『その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである』というとおり、まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」は、つい65年前(これを「つい」と言ってもいいのかどうか)までは、空虚どころか、政治を司る中心として(無理やり軍部によって)動いていた時期がある。本来は、その時期においても実は「空虚な中心点」でしかない皇居であったが、しかし「密な中心点として」存在させられた。明治憲法(つまり「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言によって)のひとことがあったために、「現人神」として衆人から崇めたてまつられ、要は「神」になってしまったのだ。

 とは言うものの、「天皇機関説」のとおり、「天皇」そのものは「空虚な中心点」でしかない。それは「現人神」であろうが「国家の統合の象徴」であろうが同じである。「天皇という存在」そのものに関わる問題なのだ。

 9月9日に書いた「マンチュリアン・リポート」の志津中尉は、そんな場所「空虚な中心点」に呼ばれてしまったわけだ。つまり、天皇を「現人神」ではなく「人間」である、という当然のことを言ってしまったために。

 当然、そこには「人間であるはずの天皇(=本人の意志)」と「神であらなければならない天皇(=国家の意志)」の、ふたつの意志の相克があるはずだ。

「神としての天皇」が十分存在価値を持っていた時代であれば、ロラン・バルトは「空虚」という言葉は使わなかっただろうか。そこには実体としての「権力」が(使おうと思えば)使える状況があった。まあ、「天皇機関説」では無理ですがね。しかし、「法的」には使える状況にはあったのである。しかし、やはりそこは「空虚」な中心点でしかないのだ。

 翻って今はどうなのだろうか。本当に「空虚な中心点」に止まっているのだろうか。あるいは、再びその「空虚な中心点」を実体化させる人間が出てくるのかどうか。まあ、そういう人間が出てこないとも限らないので、一生懸命「靖国神社」廃止を言う人間もいるのだ。「靖国」の代わりに、明治政府からの戦没者を慰霊するための慰霊場所を作ればいいじゃないか、ということでね。つまり、それは「神道」じゃないということですよ。

 でも、日本神道の最高の儀式者であるのが天皇であるならば、それは天皇自身の中でどうやって合理化するのであろうか。

 それが分からない国であることが、我が国の弱点であることは確かである。

2010年9月 9日 (木)

浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズの外伝である

 西太后と宦官李春雲(春児)との話である『蒼穹の昴』、義和団事件と西太后の話である『珍妃の井戸』、張作霖を描いた『中原の虹』に続くシリーズ第4弾は、しかし、張作霖の死の秘密を日本側から描いた外伝的な作品である。

『マンチュリアン・リポート』(浅田次郎著/講談社/2010年9月17日刊)

「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という大日本帝国憲法第三条を盾に、治安維持法の改悪を図る軍部首脳に対し「天皇陛下ノ人間タル」として、戦後の天皇人間宣言を先取りしたような「治安維持法改悪ニ関スル意見書」というビラを作成してばら撒いたかどで軍規違反に問われ、禁固6ヶ月で陸軍刑務所に服役中の志津那陽陸軍中尉が主人公である。その「天皇陛下ノ人間タル」という言葉に興味を持った天皇自身がそれを書いた志津那陽に興味を持ち、陸軍刑務所からまさに「超法規的措置」でもって志津を釈放し、関東軍が手をかけた疑いが実に濃い「張作霖爆殺事件」の実態を調査せよと命じることから物語りは始まる。

 釈放され中国に渡った志津は、張作霖と共に怪我を負った吉永将陸軍中佐や、大陸浪人岡圭之介の強力を得、調査に乗り出す。お話は、張作霖の乗った西太后の御料車を引く、これも西太后の為にイギリスから輸入された蒸気機関車「鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)」がなぜか擬人化され、アイアン・デュークの機関士や、それこそ張作霖とも会話を交わす不思議な節と、志津の天皇宛ての調査報告書が交互に表れるという構成で進められる。中国の河北と東北(満州)地方の関係、奉天軍と関東軍の関係、そして張作霖の西太后への想いなどが語られ、次第に張作霖爆殺の謎が明かされる。

 9月17日発売の本なのでこれ以上のストーリーについての深入りは避ける。

 しかし、現在の日本の小説でここまで天皇自らの発言が語られることはないだろうし、天皇自らが物語の中心点に存在し、天皇自らの意思で何かを決定する小説もないだろう。つまり、かなり大胆な設定が物語のスタートなのだ。そこには、「天皇は神聖にして侵すべからず」という国家の求めと、それに抗う天皇の姿が描かれる。

 元自衛官である浅田次郎氏の天皇観とでも言うようなものが、そこには現れているのだが、一方、蒸気機関車「鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)」の描写などには『鉄道員(ぽっぽや)』や『地下鉄(メトロ)にのって』などの「乗り物オタク」的な楽しみもある。

 まあ、結局は田中儀一総理大臣の辞職によって歴史の闇の中に葬らざるを得なかった「張作霖爆殺事件」ではあるが、その後の志津那陽がどういう生き方を選択したのかが知りたくなる一編でもある。

『蒼穹の昴』シリーズ全体からすると、ちょっとスケール感に欠ける話であるが、それも話のテーマがテーマであるだけに仕方のないこと。ただし、これが「外伝」である以上は、シリーズの続きがあるのであろう。それも楽しみだ。

 

2010年9月 8日 (水)

『荒木!』ってのは大向うの呼びかけだそうだが

 飯沢耕太郎の荒木経惟ついての評論なんだけど、潔いのはまさに「アラーキー礼賛」になってるところだな。

『荒木!「天才」アラーキーの軌跡』(飯沢耕太郎著/小学館文庫/1994年4月1日)

 荒木経惟についての評論本はあまり出ていない。何故だろう、つまりそのあまりにも早い刊行スタイル。その度ごとの変容のありかた。などなどから、どの時点で批評しようにも、その批評が出版された際には、既に荒木自身はもっとずっと先の方に行ってしまっているからかもしれない。それだけ、還暦を超えてもなお荒木の創作意欲はますます高まりこそすれ、落ちることはないようだ。

 本書でも、飯沢耕太郎氏が、荒木を批評しようなどという気持ちは捨て去って、単に荒木に対するファンレターのような評論に徹していることは、飯沢氏の潔さと判断しよう。

 本書(小学館文庫版)の発行は1999年だが、親本たる白水社版の発行は1994年である。1990年1月27日に、荒木の最愛の妻であり、最良のモデルであり、最大の生の(性の)象徴であった陽子夫人が亡くなって、それを挟んだ時期に書かれたのが本書の親本である。つまり、ますます刊行ペースを速めつつあった荒木がその一瞬止まったのである。その頃の荒木の本はすべて陽子夫人の死にまつわる本ばかりであった。が、その後、再び刊行ペースを取り戻した荒木は、ますますそのペースを速め、ますます刊行数は増えていった。それは、そうして仕事に打ち込むことによって、陽子夫人の死を忘れようとしているようにも思えた。

 しかし、それはそうではなくて、単にますます荒木の創作意欲が増えてきたということのようだ。それは、荒木が前立腺癌から生還してからも衰えることなく、それは逆に「癌」ということからの追いつめられた精神なのかなとも思える。

 いずれにせよ、荒木の旺盛な刊行意欲はしばらくは落ちないだろう。

 ということで、飯沢氏は2006年に実に分厚い『荒木本! 1970-2005』を出版した。

 しかしそれでもなお、荒木は刊行をし続ける。もう一度、二度、飯沢氏はこんな本を出さなければいけないのだろうか。

 しかし、『日本ノ顔』シリーズやら森山大道とのコラボレーション作業などにも見える、荒木の「エロ」あるいは「エロトス」から離れてきている姿は少し気になる。年齢的なものなのか、多分もうすでに殆ど勃起もしないようなペニスを抱えて「エロ」もないものだが、それはそれでカバーできるのが、本来の「エロ」である。

 荒木経惟には最後まで「エロ事師」であって欲しいし「スケベ写真家」でいて欲しいのだ。小学生の女の子から60歳過ぎたババアにまで(嘘でもいいから)勃起する荒木でいて欲しいのだ。

2010年9月 7日 (火)

いまや16mmカメラなんてのは民俗資料なんだ

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 銀座でふたつの写真展を見てから草加市へ。ということで、これは先おとといの話。

 以前、「奥の細道」歩き旅(現在、北千住から小山まで歩いたところで休止中)をしていたところ、草加の駅のそばで「草加市歴史民俗資料館」というのがあって気になっていたのだ。銀座からなら日比谷線で北千住から東武線で行けるということで、ちょうど良い機会なので行ってきたものだ。

「おせんばあさん」の草加煎餅で有名な、日光街道の宿場町、草加である。まあ、ちょっと気になる建物ではある。場所は東武伊勢崎線草加駅のそば草加市住吉町というところにある、旧草加小学校の西校舎をそのまま利用したものだ。

 展示物は縄文時代のくり舟から古墳時代の土器などあるのだが、やはり本命は江戸時代の日光街道草加宿のありさまだろう。本陣のあった大川家の模型やらが置いてあるのだが、まあ、それらはごく普通の予想通りのものだ。あとは、それこそ草加煎餅をつくるための道具だとか、昭和初期の農具などがかなり未整理のままに置かれていて、まだまだこれからいろいろ展示のための資料整理が必要なのではないかと考えられる。

 で、展示の最後の方に、映画上映機材とともに16mmベル&ハウエル・フィルモ70DRという、私が麹町のテレビ局でバイトしていたころはまだまだ現役機だった16mmカメラが出ていたのにはビックリ。そうか、もはや16mmカメラなんてものは「歴史民俗資料」なんだ。てことは、私もすでに<歴史民俗資料=骨董品>になってしまっているというのだろうか? たしかに、展示の片隅にちょっと置いてある昔の木の机とか、給食のアルミ食器なんかは実際に私が使っていたものと同じだ。

 う~ん、ちょっとこれには参った。まあ、しかし骨董品には骨董品の良さもあるでしょ?

 で、三番目の東京拘置所(昔は小菅刑務所だった)はオマケ。これは骨董品ではない、この間公開された現役バリバリの処刑場付きです。

2010年9月 6日 (月)

2010カレッジフットボール開催!

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NIKON D50+AFS-NIKKOR 70-300mm (c)tsunotomo

 いよいよ2010年のカレッジフットボールが開幕した。といっても、本場アメリカの大学フットボール(NCAA)ではない。日本の大学アメリカンンフットボール・リーグ戦が始まったということである。関東の一部リーグは上の写真でも写っている味の素スタジアムに付属しているアミノ・バイタル・フィールドを中心に、川崎球場、大井第2球技場、夢の島競技場などで開催される。

 実は、北海道、東北、東海、北陸、中四国、九州の各リーグ戦は先週末からスタートしていて、その本陣とも言える関東、関西のリーグ戦が今週末から始まったというわけだ。つまり、関東、関西以外のリーグはそこで優勝した場合、当該地区の近辺の地方リーグ同士で先ず関東、関西への挑戦権を得て、それから関東、関西の優勝チームを対戦して、それで勝てばやっと甲子園ボウルへの挑戦権を得る、という回りくどい方法になっているからだ。だから、関東、関西以外のリーグは早めにスタートしなければならない。本来は、ウィンタースポーツである筈のフットボールを、8月末の残暑厳しき折から始めなければならないのだ。

 元々は関西と関東の一位チーム同士の対戦を「日本選手権」だと無理やりこじつけて始まったのが「甲子園ボウル」である。それを、いまや日本中の大学にフットボール部があるのだから、本来の日本選手権にしなければいけない、とはいうものの関西と関東の優越権だけは残しておきたい、ということで始まったのが昨年からの関西、関東のチャンピオンチームへの挑戦というスタイルである。

 まず、北海道は関東の一部Aブロック優勝校と、東北が関東のBブロック優勝校と対戦し、勝ったチーム同士で甲子園ボウルへの出場権を争う、という形。

 関西方面では、東海対北陸の勝者と、九州対中四国の勝者が戦い、その勝者が関西の優勝校と戦うという形になっている。

 まあ、そういう形で、甲子園ボウルが「本当の」「日本選手権」になったと言っているのであるが。どうだろうか、結局は関東と関西の優勝校同士が戦うというのが昨年の甲子園ボウルであった。

 まあ、結局は関東と関西以外のチームは決勝戦をアウェイの状態で戦わなければならないわけで、これはどう考えても関東、関西有利だよね、ということ。

 まあ、実際関西、関東リーグのチームとそれ以外のチームの力の差はどうしたってあるわけで、それもかなりの差であるのは事実なのだから、上記のような方法論になってしまうのはしょうがないのだけれども、なんとか関西、関東以外のリーグの皆様も頑張ってください。

 取り敢えず、関東の一部リーグはAブロックが慶應、東海、日本、専修、法政、神奈川、国士舘、日体大の8チーム、Bブロックが東京、立教、中央、関東学院、明治、一橋、早稲田、駒澤の8チーム、関西が関西、関西学院、立命館、同志社、甲南、京都、神戸、近畿の8チームというところで戦われる。

 まあ、どのチームが勝つのでしょうか? おおよその展開は見えているのだけれども、細かい順位まではわからない。その辺、東京六大学野球よりはもう少し順位の予想はつけづらいかな。

 ともあれ、開幕したアメフト学生戦。社会人のXリーグもほぼ同時に開幕しているのだけれども、マイナースポーツはあまり新聞にも大きくは載らないなあ。取り敢えず試合の結果だけは朝日新聞にも載るけど、それだけ。まあ、甲子園ボウルが毎日新聞が共催だからしょうがないのかもしれないけれど。

 あとは、もっとマイナーなラクロスという競技、カナダでは国技扱いだそうだが、日本では超マイナー。こうした、マイナー競技にもマスコミの報道が届く時代は来るのでしょうか。

 まあ、その前にマスコミの方がダメになっているか。

 各校のチーム分析はこちら。

2010年9月 5日 (日)

ふたつのマグナム展

 マグナム・フォトにかかわる写真展がふたつ行なわれている。

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(c)Paolo Pellegrin/Magnum Photos

 世界基金/マグナム・フォト共同制作写真展「命をつなぐ マグナムの写真家が見たエイズ治療の最前線」という写真展で、8人のマグナム所属の写真家が9カ国のエイズ患者を同時並行的に取材し、エイズ患者の命と人生に劇的な変化をもたらしたエイズ治療のインパクトを作品を通して紹介するというもの。

 現在、エイズは複数の抗HIV薬を併用した新しい治療法が始められることにより、「死の病」ではなくなり、普通の「慢性病」へと劇的な変貌を遂げている。しかも、これは最初一部の先進国だけの事情だったのが、日本を含む先進国や世界基金(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)などの国際機関が、発展途上国におけるエイズ治療のために支援を開始したことにより、この数年、アフリカやアジアの貧しい国でもエイズ治療が可能になり始め、何百万人もの命が救われるようになった。

 しかし、まだまだ完全とは言えない。そのためにこうしたキャンペーン的な写真展が行なわれているのだろう。展示写真には、勿論そうした支援の賜物として、エイズから回復し、元気を取り戻した人たちの姿が収められている。とはいうものの、治療の開始が遅すぎて命を落とした人の話もあるし、まだ完全には行なわれていないエイズ治療の実態も描かれている。

 基本的には、エイズから回復してたくましく生きる人々の姿が捉えられている写真が多いこの写真展。エイズにかかわる写真展といっても、そんなに暗い写真は殆どない、マグナムにしては珍しい写真展である。

 9月5日から9月22日まで、有楽町朝日スクエア/ギャラリー(有楽町マリオン11階)にて

●展覧会サイト http://www.magnumphotos.co.jp/inochi/

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(c)Martine Franck/Magnum Photos

 もうひとつはマルチーヌ・フランク写真展「麗しき女性たち」という写真展。

 マルチーヌ・フランクと言えば、アンリ・カルチエ=ブレッソンの妻として有名だが、彼女が女性たちの写真だ。写されているのは、様々な労働者、京都の芸者、映画女優、芸術家、作家、演劇人、その他無名の人々など、関係なくとにかくマルチーヌ・フランクが出会った世界中の様々な女性たちがそこには写し出されている。

 マルチーヌ・フランクは語る「写真家としての人生を通じて、私が常に心がけてきたことがあります。それは、自分が尊敬できる女性を被写体にすること、つまり自分の人生を使って何か特別のことを行なった人、自分の運命に流されまいと抵抗した人をカメラに収めること。もう一つは、娘や孫娘、親友たちといった私の親しい人たちを撮影すること。今回のコレクションでは、そうして撮影してきた女性の写真だけを集めました」と。

 そうした女性たちを賛美する様々の写真を、まさに女性のための場所である、シャネルという場所で展示するのである。ちょっと男は入りづらい? 場所でやっている写真展である。しかし、展示されている写真は、男が見ても気持ち良くなる写真ばかりだ。

 まあ、勇気を出して行ってみてください。

 9月14日までシャネル・ネクサス・ホール(シャネル銀座ビル4階)にて公開中

 http://www.chanel-ginza.com

 

2010年9月 4日 (土)

『撮る自由』は撮られない自由とともに。公表する自由は公表されたくない自由とともに。

 まあ、公共の場所で写真撮影し、それに人が写っていたって何の問題もないはずなのだけれども、いちいちそれにイチャモンをつける人がいるというのは、本当に写真家(プロもアマチュアも)にとってはやりにくい社会になったもんですね。ということだろうが、そんなことはまったく気にせずに街中で写真を撮っている私がいる。

 それが正解であるのだけれども・・・。

『撮る自由』(丹野章著/本の泉社/2010年6月20日改訂版刊)

 写真家の丹野氏が言う「撮る自由」というのは、逆に言えばその被写体になった人からは「撮られない自由」が存在するわけだ。その「撮られない自由」というものが何を根拠にしているのか、というのが本書の主題である。

「肖像権」というものが、何を根拠にしている権利なのかということで言えば、基本的には「パブリシティ権」という「商業的な権利」であろう。つまり、芸能人などの「知名人」はその姿を大衆に見せて(プライバシーを切り売りして)自らの糧とするわけである。したがって、そうした知名人には自らを人に見せる権利としての「パブリシティ権」があるわけで、そうした人達が自らの人前にさらす状況を自らコントロールしたいと考えることは充分理解できる。勿論、そうした人達が社会的に問題ある行動を起こした際には「パブリシティ権」は消滅し、人から糾弾されるというリスクを一方で持っているわけである。

 いっぽう、そうした知名人でない一般の人達にとっての「肖像権」とは何を根拠にしているのだろうか。多分それが「プライバシー」ということだろう。この人達は「プライバシーを切り売り」する必要はない。つまり「プライバシーを守る」だけでよいのだ。ところが、こうした人達がプライバシーを守れない場所にいるときはどうなんだろう。つまり、普通に外出しているときとか、一般的に顔をひとにさらけ出している場合、公共の場所にいるときである。「プライバシーを守る」というのはプライベートな場所にいるときにその姿をひとに見られたくないということだろう。だとしたら、それ以外の公共の場所にいる際には「プライバシーを守る」ということはあり得ないということだ。

「個人情報の保護」というが、それはあくまでも「撮影された」個人が、その個人を特定できる人物がいて、その「撮影された写真が何らかの形で公表されたときに、その撮影された人を特定できる」という状況が起こって初めて「個人情報の保護」という問題が生じるのである。それが知名人でない一般の人が撮影されてそれが公表されても、その人を特定できる人物がいる場合はそれほど多くはないはずだ。だとしたら、「撮影」という行為についてのみ拒否をするという理由はなくなってしまう。

 丹野氏がこうして「撮影」と「公表」を分けて考えるというのは、なかなかリーズナブルな考え方である。

 一般の人が「街で撮影されることを拒否する」のは勝手であるが、そえについていちいち理由をあげることはやめたほうがよいだろう。つまり「プライバシー」は当然公共の場所にいる以上はないはずだし、「個人情報の保護」も「撮影されただけ」では問題はないはずなのである。

 街中で写真撮影を拒否する人というのは、いわば「街中のクレイマー」みたいなもので、要は、「撮られて気分が悪い」ということなのだろうけども、そんな「気分が悪い」状況になったのは自らの行いが悪いのであって、写すほうはそんなに気にしなくてもいいんじゃないの、というのが本書の主旨であろう。しかし、そんなことは考えずにNOを言う人は多いわけで、まあ、とにかく写真家にとってはやりにくい時代ではある。

 まあ、クレイマー社会である現代は写真家にとって生きにくい時代であることは確かだけどね。

 でも、そんなこと気にしていて写真が撮れるか!

2010年9月 3日 (金)

「革命の街」だった新宿にいま吹く風は?

 1960年代から70年代の新宿と言えば革命の街だった。その為には猥雑さと暗さと汚さが必要だった。それらの性と文化と酔っ払いの街に生まれた平井氏が新宿高校全共闘の闘いに入るのは、まあ必然だったのだろう。

『愛と憎しみの新宿』(平井玄著/ちくま新書/2010年8月10日刊)

 風月堂、新宿文化、蠍座、ラシントン・パレス、内外ビル、四谷公会堂、模索舎などなど、最早新宿になくなってしまったものを数え上げればキリがない。ジャズで言えば、ピットインも現在は場所が変わってしまい、タローもないし、汀もすでにない。そうした新宿を象徴する存在のすぐ脇、新宿二丁目に生まれた平井氏がうらやましい。私は足立区で育ったために新宿までは遠い。しかし、大学へ入り麹町のテレビ局でアルバイトを始めてからは、新宿はかなり近い街となり、よく通ったものだ。

 1952年生まれの平井氏は、だから学校群2期生である。新宿高校というそれまでのナンバースクールに入学したものの、大学入試には突撃せずに学園闘争の方に気をとられたのは、あながちたまたま新宿高校のそばに生まれたから入学したのだというだけではなく、やはり新宿育ちという環境のよってするところなのだろう。まさに「革命の街」のど真ん中で生まれ育ったのだから。

 ただし『1969年の6月に結成される新宿高校全共闘の中心部隊は68年に入学した私たちの学年である。塩崎(恭久)や坂本(龍一)に馬場憲治という強力なトリオがいた上の学年は10人ほど、下の学年はもっと少ないから20人以上は動いた私たちを「中心部隊」といってもどこからも文句はでないだろう』というけれども、しかし、本来の高校全共闘の中心部隊はやはり1951年生まれ67年入学の学校群第一期生だろう。まあ、手足として動いたのは1952年組かもしれないが、やはり頭脳部分は1951年組なのだ。新宿高校も同じだったはずだ。

 だからと言って平井氏の存在を軽く見るわけではない。ただし、あまり自分たちだけを中心に据える考え方をすると、問題を起こしそうである。別に、平井氏の学年が中心部隊じゃなくてもいいじゃないか、立場は認めるからさ、ということである。それとも「中心部隊」じゃないとマズいことでもあるのだろうか。それについては本書では語られていない。

 つまり『1968年にこの街の高校に入学し、折から巻き起こった全共闘運動に身を投じて以来、長い間にわたって「新宿二丁目の洗濯屋の息子」とは一体どういう存在なのだ? と自問し続けてきた』という平井氏、その「折から巻き起こった全共闘運動」という言い方が、まさに平井氏がその中心部隊にいなかったことを象徴しているのではないか? 自ら巻き起こした全共闘運動ならばそんな言い方はできないはずである。多分、新宿騒乱なんかをすぐ近所で体験した平井氏が新宿高校全共闘に参加することはよく理解できるが、それはあくまでも他動的な理由によるものだっただろう。勿論、だからといって「あなたは革命的ではない」というつもりはないが。

 ともあれ、すっかり姿を変えてしまい、当時の面影を残す場所は殆どない現在の新宿である。ただし、新宿二丁目にだけは猥雑さが少しだけ残しているとも言われる。しかし、そこにはすでに「革命」はなく、単なる猥雑な性と酔っ払いがあるだけである。「文化」はない。

 はたして、今の東京のどの部分に「革命」は宿っているのだろうか。

2010年9月 2日 (木)

民主主義の行く末は衆愚民主主義ってことなの? そうなんだよな

 要はオランダの民主主義ってものがいかに素晴らしいかってことなんだけどね。要は、「バカ」に対しても民主主義をも認めるっていうことなんだけれども。

『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』(ウケ・ホーヘンダイク監督)

 このタイトルはアムステルダム国立美術館に対する「嫌味」である。何でか、というかアムステルダム美術館は今だに公開されていないからだ。本当はすでに公開されていた筈なんだけどね。

 2004年から2008年にかけて改修を考えていたオランダのアムステルダム国立美術館である。レンブラントなどの作品を収蔵してオランダの観光財源でもあるアムステルダム国立美術館が改修されることになってからが大騒動である。

 まず初めは地元のサイクリスト協会が言い始めた。えっサイクリストなんて歩行者に「すいませんすいません」と言いながら申し訳なさそうに歩道を走る連中(本当は自転車は車道を走るべきなのだ)なのかと思ってたら、彼の国では自転車乗りが歩行者より偉いみたいで、自転車が国立美術館の中を走れなくなってしまうということにたいして文句をつけるわけなのですね。まあ、美術館のなかを自転車で走れるということについてもビックリしてしまうのだけれども、それを既得権として主張する(それは「既得権」なのだから、当然と言えば当然なのだけれども)サイクリスト協会にもビックリというわけです。

 それに、様々な団体やら組織から反対意見が出される。どうも、「研究センター」と呼ばれるビルが新築されるのだけれども、それが標的になっているみたいだ。ビルの高さとかデザインとかいろいろ批判が集まってくる。

 最後は、改修・ビル工事の入札問題である。ここでも、入札問題で野党から政府は攻撃材料にされる。

 まあ、これらの反対運動は当たり前かもしれないが(どんな問題でも反対運動はあるのだから)、それにしてもオランダ政府の対応には解せないものがある。これが、日本政府だと、「もう決まったものは決まったものだ」という風に反対運動を押し切ってしまうものだが、オランダはそうはいかない。まさに民主主義の正当な適用例ですね、これは。

 でもその結果は、本来2008年に改修が終わる筈のアムステルダム国立美術館は2008年どころか、2013年に延長されてもなお、それは確定されていない。当初から担当していた館長はそれが嫌気に達してやめてしまう。「どうするアムステルダム国立美術館」である。しかし、どんなに時間がかかってもいいのだろう。それが「オランダ時間」ってものなのだろう。

 民主主義は「衆愚主義」であることはわかっているのだろう、この昔から民主主義の国では。当然、「衆愚」である民主主義には時間がかかることもわかっているのだろう。でも、そんな「衆愚民主主義」でも「民主主義」であるだけまだよいのであって、専制主義よりは良いのだ。

 つまり、我々も「民主主義には時間がかかる」ということと「民主主義は衆愚政治である」という二つのことをわからなければいけないのだろう。

 ホントに民主主義ってのは「バカ」を相手にしなければいけないものなのだ。

 渋谷ユーロスペースで公開中。詳しくは、上の絵をクリックしてね。

 

 

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