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2010年8月25日 (水)

ネットで著作権を放棄するなら、すべての媒体で放棄すべきである

『街場のメディア論』(内田樹著/光文社新書/2010年8月20日刊)

 この本の元になった授業があって、それは神戸女学院大学という内田氏が教授を務める大学の「メディアと知」という講義である。まあ、ネタにされた大学生の方々には「ご苦労さん」と言うしかないのだし、そこで「メディア企業」に進むことを希望している学生に対して「メディア企業の明日はない」と言うことを話しているという、まったく彼女たちの希望に水を差すような授業内容なので、これからの希望に胸をふくらませている学生に対して、こんなことを話していいのだろうか、というような内容なのだ。

 なにしろ、内容は「マスメディアの嘘と演技」であり「メディアとクレイマー」であり、「(マスメディアが言う)『正義』の暴走」であり、「メディアと『変えないほうがよいもの」である。更には「読者はどこにいるのか」というテーマで、出版業界の著作権論争に踏み込んでいる。確かに、問題の多いメディア産業であることはよくわかっている。あるいは、定価販売と委託販売制度に守られている出版産業であるという「制度的な守り」のある業界であることはわかっている。しかし、それらはこの産業(と言えるほどの規模であるのか?)にいるものがそのどれもが問題の本質である事はわかっているが、そこに踏み込めない論議であるということも、同時にわかっていることでもあるのだ。しかし、その産業にいると言えないこともあったりして、まあ、それがいけないというのだろうけれども、なあ。先生は自由にものが言えていいなあ、というところである。

 ひとつ検討してみようか。

 マスメディアが、その本来持っている筈の「権力を批判する」立場はいまだ健在であると思う。ただし、いまやそのマスメディア自身が「第四の権力」になっていることに対する自覚は少ないだろう。事実、新聞、テレビ、出版の、そこに携わる者が自分自身が権力機構の一部であると自覚している者は少ない。いや、新聞にいたってはいまだ自分自身が権力に対する批判部隊であると思っているような人が多いのだ。つまり、かれらは自らは「無謬」の個人であり、自分は間違っても権力側についてはいない「個性」であると思っている。確かに、彼らは「国家権力」には属していない。しかし、「マスコミ権力」というものに属しており、自分たちが言う「言論」が大きく社会に影響していることに無自覚である。その結果、新聞はそれまで知っていたことでありながら、知っていなかったような「嘘」をつき、問題団体(問題大学、問題病院、問題企業)を責め立てるのだ。「何言ってるの、自分らだって知っていたでしょ」という反論には、それを無視することで対応し、あたかも「無知」であることを正義として批判するのだ。「JAL問題」しかり、「八ッ場ダム問題」しかりである。それらの企業、事業に対して当初から問題があることを知りながら、その時期にはまったく問題にせず、それらが政治問題化した時に初めてそれを知ったかのように騒ぎ立てる、という新聞のやり方はテレビになるともっと加速されて行なわれる。おまけに、テレビニュースの方法論はもっとすごい。そんなニュースを伝えたキャスターはたった一秒後に「では、スポーツニュースです」とかなんとか言って、話題を切り替えるのだ。この、なんという切り替え方! 少なくとも、事件の当事者から見たらどんな感想が出てくるだろう。しかし、それがマスコミなのだ。まあ、こんなマスメディアであっては「マスゴミ」と言われても仕方ないのかもしれない。

 内田氏は第六講で「読者はどこにいるのか」というテーマで、出版業界の話をしている。要は、著作権なんてものがあるために、いまや、出版業界は瀕死の状態に陥っているということなのだ。著作権というものはグーテンベルグの活版印刷から出てきた考え方で、つまり「copyright=複写する権利」つまり出版という「業」が出来上がったためにできた権利というものにすぎない。日本にいるとあたかも「天賦の権」みたいに思える著作権だが、実際はそんなものはたかだか「産業的な要請」によって生まれたものである。だったら、メディアの変遷、新しいメディアの出現、新しいメディア産業の成立によって権利についての考え方は変わって当然だし。変わるべきなのだ。

 内田氏はネット上の表現について著作権を放棄しているという。しかし、なんでネット上だけなのだろうか。ネットだけじゃなくて、すべての媒体における表現について著作権を放棄しないと無理であろう。印刷物から受け取る金銭はそれこそ「読み手」からの「感謝」の気持として受ける金銭があればいいじゃないか。つまりは「印税」ではなく「贈与の返礼」である。なぜ「紙」だけが印税なのだろうか。

 その辺だけが、本書を読んで疑問のところである。全体的には良いことがかいてあるのだけどね。

 残念!

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