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2010年8月13日 (金)

とは言うものの、やはり「天才に勝る努力なし」なんだよな

 「努力に勝る天才なし」のアナロジーとしての「愚直に勝る天才なし」ということなんだけれども、でもやはり「天才」に勝てるものはないのだ。

『愚直に勝る天才なし!』(清田茂男著/講談社/2010年7月22日刊)とは言うものの。

 天才と言われるエジソンの「天才とは1%の閃き(inspiration)と99%の努力(perspiration)である」という言葉から、この「努力に勝る天才なし」という言葉が生まれているようなのだけれども、エジソンの発明のように言われている白熱電球のフィラメントも、実はエジソンの発明以前に既に完成していたのだが、問題はそれが2時間しかもたないものであり、それでは実用化できないと考えたエジソンは、実に7000種類もの材料を実験した挙句、日本製の扇子に使われている竹からカーボンファイバーを発見して白熱電球の実用化に成功したわけだ。当時の科学者がたった2時間で燃え尽きてしまう発光体にはまったく興味を持たなかった状況の中で、しかしそれに興味をもったことが「1%の閃き」であり、7000種類もの材料を試したkとが「99%の努力」である、ということから考えればまさにその「たった2時間で燃え尽きてしまう発光体に興味を持つ天才」をエジソンが持っていたことが重要なことなのである。つまり、そこではやはり「天才」の存在が重要でるということだ。

 そこでこの清田氏の著書を読むと、やはりそこには清田氏の天才ぶりがそこここに見出されるのである。例えば、昭和38年、36歳にして自分の会社を興すことになった頃の清田氏の見解『東京オリンピックを契機に高度成長へと突入する中で、「重厚長大」が闊歩していたが、いずれは「軽薄短小」への芽が膨らむ、といった時代の風を感じていたのだ」(89頁)といた記述には、まさに時代の風を読む「天才」が感じられる。当時は、日本経済はやっと「戦後」の壊滅・混乱から立ち直ったばかりで、これからまさに「日本船団」に守られて、日本は世界の仲間入りをしようという時代であり、そんな中でその後の日本経済の変化を感じていたのはなまなかな「センス」ではない。

 清田氏の会社「清田製作所」は、現在、半導体の製造に欠かすことのできない「四探針コンタクトプローブ」というものの製造で世界最大のメーカーであるという。この「四探針コンタクトプローブ」といものがどういうものであるかは旨く説明できないが、この「四探針コンタクトプローブ」というものに辿り着くまでに、ハーモニカ、カメラの露出計の針、レコード針、などという精密機械を作り続けてきた。その結果としてのコンタクトプローブなのだが、それが積層型コンタクトプローブにまで発展し、それを開発しているときに、ある「常識的な大学教授」から完全にそれを否定された経験を持つ。まさに、それこそエジソンがつき当った「科学者の壁」と同じではないか。

 大きな会社から金型を支給するので完全な下請け会社として働かないかという誘いもあったようだ。1回の発注数も多く興味を持ったが、しかし、そんな加工賃だけの勝負になればいずれ清田氏の会社より安くやるところが出てくるわけで、その競争に巻き込まれてしまう。一時期は安定して、会社も大きくできるかも知れないが、そのままでは現在日本の多くの下請け工場が立ち至ってる状況と同じになってしまったろう。とにかく清田氏の志は「ほかではできないものを作りたい」ということである。まさにこの志こそが清田氏が他の凡百の工場経営者にはないエジソン型天才の証なのである。

 清田氏は最後に『技術力を磨くためには、長年の経験のほかに、情報や知識に対する貪欲さが大切だと思う。先端的な開発は、社会情勢の変化をよく知って、産業構造の転換を読んでいないとでいない』(192頁)と書く。まさにその通りであろう「技術バカ」では「世界一の町工場」のオヤジにはなれないのだ。例えば、アインシュタインは16歳のときに「相対性理論の存在を直感していた」ということである。つまり、彼は理論としての相対性理論に理会していたのではなく、それまでの物理情報の中でそれを直感していたのである。つまり様々な情報の中で新しいものに直感的に出会うこと、それを「天才」と呼ぶのである。

 こういう人がいれば日本も安心だ・・・とは、しかし言えない。それはあくまでも「清田製作所」だけの実例であり、他の日本経済界は、相変わらず世界情勢にのれずにアップアップしている状態である。

「努力に勝る天才なし」という言葉は、違う意味では「誰でも努力すれば天才の域に近づける」ということで、すべての人に努力を促す言葉であり、それは「一億総中流感覚」を育てる言葉にもなったのだが、いまや「格差社会」であり、初めから「勝ち・負け」の決まった社会である。ということは、いくら凡人が努力しても一人の天才には勝てないということも分かってしまった社会でもある。

 となると、清田氏のような例は、いまや希有の存在になってしまうのか。

2009_12_21_001_2

EPSON RD1s+Summicron 35mm (C)tsunoken

 昨年12月20日に撮影した写真。画面右下に清田氏の会社が写っている。

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