「軍神」であるところの芋虫。でもこの芋虫は性欲だけはいっぱいあるんだよね
EPSON RD1s+Summicron 35mm (C)tsunoken
若松孝二の新作『キャタピラー』観にテアトル新宿まで。今日が全国公開初日です。
しかし、「軍神」って本来は死んだ軍人のことを言うのであって、「生ける軍神」ってのはあまり聞かない。ただし、まさに「芋虫(キャタピラー)状態」になって帰ってきた軍人は、まあ死んだも同然だし、ということで「軍神」なのだろうか。
しかし、この「軍神」は食べることと、セックスだけは旺盛だ。というか、四肢と聴覚、声帯をなくした自らの状態を見ると、唯一まともな状態にある「内臓=消化器」と「陰茎と陰のう」のみにしか、生きている証はないのかもしれない。
同じような設定のドルトン・トランボ作品『ジョニーは戦場へ行った」では触れられなかった、この傷病兵のセックスについて真正面から捉えたのはさすがに若松孝二である。そして、そのセックスがこの「軍神」と「軍神の妻」には重要な対話となる。つまり、最初は「軍神」が無理やりセックスをしたがり、「軍神の妻」はそれに対していやいや応じているのだが、そのうち「軍神」が中国戦線での自らの悪行に苛まれてか性的に不能になってくると、逆に「軍神の妻」の方が積極的にセックスを求めるようになり、それに応えられない「軍神」をいたぶるのだ。まるで、それは夫の中国での悪行をも責め立てているようだ。つまり、「銃後の妻」がここで優位に立つことになるのだ。
若松孝二の言う「銃後の妻」の大事さ、というか優位さである。所詮、前線の兵士なんてものは使い捨ての駒にすぎない。死んでもそのまま「駒がひとつなくなった」だけの存在でしかない。それが、死にもしないで「四肢を失っただけで還ってきた兵士」を何故に「軍神」として崇めたてまつらなければいけないのか。所詮、戦争なんてものはそんなものだろう。
結局、女には勝てない男が勝手に始めたのが「戦争」ってやつなのだ。そこでしか、男が女に勝てないからな。ということで、ここでも若松監督の「マザーコンプレックス」がでた良い例なのだ。
まあ、「戦争は所詮人殺し」という発想も、どちらかと言えば女性の発想(ただし、現代の戦争は女性兵士も積極的に参加しているので、そうとは言えないが)だし、いわゆる「戦争」すべてに反対するのもどういうことかと思うが、基本的には「戦争は所詮人殺し」であることにはかわりはない。とりあえず、それを指すのは「帝国主義的侵略戦争」であるかもしれないが、しかし「革命戦争」であろうが「民族解放戦争」であろうが「自爆テロ」であろうが、所詮「戦争は人殺し」なのである。要は、こちら側からは「許される人殺し」と「許されざる人殺し」があるだけであり、それは反対側からは、その逆だというだけにすぎない。
つまりは、どちらの「人殺し」に自分が肩入れするのだろうか、という問題である。全面的に「戦争に反対」ということはあり得ない。とにかく若松孝二は、そしてこの映画の脚本を書いた出口出は多分、足立正生だと思うが、その二人は『赤軍・PFLP‐世界戦争宣言』を作った二人なのであるから。
取り敢えず、今日は初日舞台挨拶というのがあって、生で見た寺島しのぶがスクリーンでいているよりずっと美しかった、というのが本日の収穫であった。
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