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2010年8月29日 (日)

サラリーマン・ジャーナリストって所詮こんなものだろうな。結局は自己弁護ばかりじゃないかよ

 所詮、サラリーマン・ジャーナリストってこんなもんだろうな、というのがこの本である。政治家から圧力を加えられてからといって、それはもっと上司の方にいくわけで、上司からそれは伝えられて番組の内容を改変して、しかし、それは「外部からの圧力によって変えたのではなくて、内部の判断によるものだ」という風に変えられていく。まあ、そんなもんだ。「自主規制」なんてものはね。

『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(永田浩三著/柏書房/2010年7月25日刊)

 しかし、この「NHK番組改編事件」というものはそうした「自主規制」というものでは収まらずに、朝日新聞が報道した通りの、故中川昭一氏と安部晋三氏の抗議によって番組が改変されたといういうまさに「番組改変事件」になってしまったのである。

 ここで、事件について簡単におさらいしておこう。戦時中の性奴隷(戦争中は従軍慰安婦と呼ばれたいた)についての市民法廷を取材し、それについて考えようとした番組を制作中だという話が自民党の故中川昭一氏と安部晋三氏に伝えられ、それに対して両氏が反応し、NHKに対し番組の放送中止を求めたことが事の発端だ。NHKとしてはすでに制作費が発生していることだし、なんとか事を内分に収めようということで、永田プロデューサーを呼び番組の中身を変えようとしたわけだ。しかし、番組はかなりの状況で出来上がっており、改変はかなり困難だ。しかし、永田氏は改変した。改変したことによって番組は放送することができた。しかし、出来上がった番組は当初の企画とはかなり外れたものになってしまい、制作者に大きな問題を残したものになってしまった、ということである。

 この中で、気になるのは永田氏がプロデューサーとディレクターを会社の「上司・部下」の関係論で捉えているような部分だ。本来、プロデューサーとディレクターは全く異なった仕事であり、「上下」関係の中で捉えられるものではないのだ。たまたま、日本のテレビ局事情の中でプロデューサーとディレクターが「上下」関係で捉えられているようなのだが、これはおかしい。企画はNHKエンタープライズの持ち込み企画で、ドキュメンタリー・ジャパンという制作会社が下請け的に請け負って制作した番組である。永田氏はドキュメンタリー・ジャパンが撮影してきた内容に対し、自分の意図したものでないような事を言い、その結果、ドキュメンタリー・ジャパンを番組制作から下ろしたということを言う。まあ、NHKエンタープライズは元々NHKから下りてきた制作予算の中抜き会社であるからどうでもよいのだが、その結果として、下請け会社のドキュメンタリー・ジャパンを下ろしたのはどういう意図によるものだろう。さきに言った、プロデューサーとディレクターの関係論でいえば、永田氏が撮影現場に行っていればよかったというだけのことでしかないのだ。「プロデューサーは撮影現場に行かなくてもいい」という発想は、本当は正しくないのだ。基本的に「プロデューサーは撮影現場に行くべき」だし、その現場でディレクターとちがうところを見ているべきなのだ。ディレクターは映像のかなり細かい部分まで見て撮影している。プロデューサーはそれらを総合的にみて判断しなければならないのだ。つまり、永田氏が撮影現場まで行ってれば、その後に起こった不幸な現実のある部分は防げたかもしれない。しかし、永田氏はそれをしなかった。他の番組の面倒もみなければならなかったから、というのが言い訳的に書いてあるがそれは理由にならない。とにかくプロデューサーにとっては一番重要なのは「番組が自分の意図通りにできるかどうか」なのである。自分の意図通りにできて初めて自分の意図通りの番組の「売り方」ができる筈なのだ。

 結局、この本は永田氏の「言い訳」を連ねた本であるにすぎない。故中川氏、安部晋三氏の違法な圧力に対する告発もないし、NHKの内部にある政治権力へのすり寄り体質に対する批判もないし(それは「誰」という個人を示さないといけないのだ)、何のためにこのような本を永田氏が書いたのかよくわからない。

 永田氏の言い訳はわかるが、しかし、それでは生き返ることができない人が多すぎるのだ。ドキュメンタリー・ジャパンという会社はNHKから切られたままだし、そのディレクター達はどうなのよ。「期待権」を侵害されたとする市民法廷を主催したバウネット・ジャパンの人たちはどうなのよ。まあ、期待権なんてものに応える必要はないと思うけど、でもどうするんだ?

 永田氏は、これらの人たちに対して全然答えてないじゃないか。それでジャーナリストって言えるのか? 単なるNHK社員でしたっていうなら、そうしなさい。自分がジャーナリストだってことを放棄することですね。 あ、もうジャーナリストじゃないのか。

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