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2010年8月

2010年8月31日 (火)

「平成の琉球処分」を跳ね返すにはやはり「琉球独立」しかないだろう

 設定を間違えてしまい、昨日UPする予定だった「NHK、鉄の沈黙はだれのために」が一昨日UPされてしまったので、昨日は記事なしになってしまった。反省。

 で、さきほど読了した本について書く。

 結局、軍事拠点としての沖縄はいずれかの国の属国にしかなりえない、ということなのだろう。それが日本なのか、中国なのか、アメリカなのかとは関係なく。したがって、そのような関係論を断ち切るには「琉球独立」しかないのではないか。

『小説 琉球処分』上・下(大城立裕著/講談社文庫/2010年8月12日刊)

 解説の佐藤優氏は『沖縄は、普天間問題に対する東京の政治エリートの対応を「平成の琉球処分」を受けとめている』と書き、『沖縄県内への普天間飛行場の移設に関与する東京の政治エリートは、今後も理屈抜きの「はねかえしてもはねかえしても寄せてくる」ような静かな抵抗を沖縄から受けるだろう』として、『そして、その抵抗を繰り返すうちに、沖縄の人々の間に、かつて自らの国家であった琉球王国が存在し、それがヤマト(沖縄以外の日本)によって、力によって滅ぼされたという記憶がよみがえってくる。そうなると日本の国家統合が内側から崩れだす。この過程が始まっていることに気づいている東京の政治エリートがほとんどいないことが、現下日本の悲劇である』と結論づける。

 確かに、沖縄に対して日本が行ってきた強制の歴史がある。ひとつは、この小説に書かれている「明治の琉球処分」であり、第二次世界大戦終了間際の「沖縄戦」であり、1972年のいわゆる「沖縄復帰」であり、そして今回の「平成の琉球処分」たる普天間米軍基地の移転問題である。

 沖縄戦においては「日本本土の防衛線」として、日本本土を守るために捨て置かれ、沢山の民間人が殺された。いわば日本本土を守るための人身御供として沖縄は使われた。その後、米軍事政権下に置かれ傀儡民政府の下に沖縄の人達は苦しめられた。横暴を極める米軍に対して何も言えない沖縄の人民。

 そこからの避難先として沖縄は日本復帰を勝ち取った。しかし、その結果は日本の経済に飲み込まれて、それまでの米軍事政権下にはあった保護策が一切行われないむき出しの沖縄になり、結局、米軍基地は残ったままである。

 日本の0.6%の土地しか占めていない沖縄に75%の米軍基地があるというのは、やはりおかしいだろう。米軍基地が日本にあるのがどうなのかという問題は別にして、どうせあるなら各県に応分の負担を求めるべきである。それが「普天間基地の県外移転」を公約にして当選者を集めた民主党への期待だった。しかし、それを見事に裏切った「平成の琉球処分」は、やはり沖縄は日本のために犠牲になる存在でしかない、ということを物語っている。

 以前、私は「普天間基地を静岡に」と書いたが、あながち冗談で書いたわけではない。米軍基地がひとつもない静岡に米軍基地を持ってきたっていいじゃないか、おまけにそれで静岡空港の赤字問題も解決するし、というわけである。

 そんな感じで、日本の各県に米軍基地を移転し、それぞれの県で「米軍基地とは何なのか」という問題を共有すればいいのである。そのぐらいの度量を国民は民主党に期待したのではないか。

 まあ、もっとも沖縄での論議は菅総理が「沖縄のことを勉強するために『小説 琉球処分』を読んでいる」(その発言のために講談社は文庫化を決めたのだけれどもね)と発言した5~6月頃から盛り上がったのだが、その後、甲子園での高校野球が始まったために少々しぼんでしまったということだ。それでも、沖縄の日本に対する複雑な思いは今でもあるわけで、それを解消しないではおけない。もう、いまや「琉球独立論」しか沖縄を救う論はないのではないだろうか。

2010年8月29日 (日)

サラリーマン・ジャーナリストって所詮こんなものだろうな。結局は自己弁護ばかりじゃないかよ

 所詮、サラリーマン・ジャーナリストってこんなもんだろうな、というのがこの本である。政治家から圧力を加えられてからといって、それはもっと上司の方にいくわけで、上司からそれは伝えられて番組の内容を改変して、しかし、それは「外部からの圧力によって変えたのではなくて、内部の判断によるものだ」という風に変えられていく。まあ、そんなもんだ。「自主規制」なんてものはね。

『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(永田浩三著/柏書房/2010年7月25日刊)

 しかし、この「NHK番組改編事件」というものはそうした「自主規制」というものでは収まらずに、朝日新聞が報道した通りの、故中川昭一氏と安部晋三氏の抗議によって番組が改変されたといういうまさに「番組改変事件」になってしまったのである。

 ここで、事件について簡単におさらいしておこう。戦時中の性奴隷(戦争中は従軍慰安婦と呼ばれたいた)についての市民法廷を取材し、それについて考えようとした番組を制作中だという話が自民党の故中川昭一氏と安部晋三氏に伝えられ、それに対して両氏が反応し、NHKに対し番組の放送中止を求めたことが事の発端だ。NHKとしてはすでに制作費が発生していることだし、なんとか事を内分に収めようということで、永田プロデューサーを呼び番組の中身を変えようとしたわけだ。しかし、番組はかなりの状況で出来上がっており、改変はかなり困難だ。しかし、永田氏は改変した。改変したことによって番組は放送することができた。しかし、出来上がった番組は当初の企画とはかなり外れたものになってしまい、制作者に大きな問題を残したものになってしまった、ということである。

 この中で、気になるのは永田氏がプロデューサーとディレクターを会社の「上司・部下」の関係論で捉えているような部分だ。本来、プロデューサーとディレクターは全く異なった仕事であり、「上下」関係の中で捉えられるものではないのだ。たまたま、日本のテレビ局事情の中でプロデューサーとディレクターが「上下」関係で捉えられているようなのだが、これはおかしい。企画はNHKエンタープライズの持ち込み企画で、ドキュメンタリー・ジャパンという制作会社が下請け的に請け負って制作した番組である。永田氏はドキュメンタリー・ジャパンが撮影してきた内容に対し、自分の意図したものでないような事を言い、その結果、ドキュメンタリー・ジャパンを番組制作から下ろしたということを言う。まあ、NHKエンタープライズは元々NHKから下りてきた制作予算の中抜き会社であるからどうでもよいのだが、その結果として、下請け会社のドキュメンタリー・ジャパンを下ろしたのはどういう意図によるものだろう。さきに言った、プロデューサーとディレクターの関係論でいえば、永田氏が撮影現場に行っていればよかったというだけのことでしかないのだ。「プロデューサーは撮影現場に行かなくてもいい」という発想は、本当は正しくないのだ。基本的に「プロデューサーは撮影現場に行くべき」だし、その現場でディレクターとちがうところを見ているべきなのだ。ディレクターは映像のかなり細かい部分まで見て撮影している。プロデューサーはそれらを総合的にみて判断しなければならないのだ。つまり、永田氏が撮影現場まで行ってれば、その後に起こった不幸な現実のある部分は防げたかもしれない。しかし、永田氏はそれをしなかった。他の番組の面倒もみなければならなかったから、というのが言い訳的に書いてあるがそれは理由にならない。とにかくプロデューサーにとっては一番重要なのは「番組が自分の意図通りにできるかどうか」なのである。自分の意図通りにできて初めて自分の意図通りの番組の「売り方」ができる筈なのだ。

 結局、この本は永田氏の「言い訳」を連ねた本であるにすぎない。故中川氏、安部晋三氏の違法な圧力に対する告発もないし、NHKの内部にある政治権力へのすり寄り体質に対する批判もないし(それは「誰」という個人を示さないといけないのだ)、何のためにこのような本を永田氏が書いたのかよくわからない。

 永田氏の言い訳はわかるが、しかし、それでは生き返ることができない人が多すぎるのだ。ドキュメンタリー・ジャパンという会社はNHKから切られたままだし、そのディレクター達はどうなのよ。「期待権」を侵害されたとする市民法廷を主催したバウネット・ジャパンの人たちはどうなのよ。まあ、期待権なんてものに応える必要はないと思うけど、でもどうするんだ?

 永田氏は、これらの人たちに対して全然答えてないじゃないか。それでジャーナリストって言えるのか? 単なるNHK社員でしたっていうなら、そうしなさい。自分がジャーナリストだってことを放棄することですね。 あ、もうジャーナリストじゃないのか。

恵比寿と銀座、ふたつの写真展めぐり

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)Onodera Yuki, (c)木村伊兵衛, (c)tsunoken

 まずは恵比寿の東京都写真美術館へ『社団法人 日本写真家協会創立60周年記念写真展「おんな」立ち止まらない女性たち 1945-2010』という写真展を今日(8月29日)まで開催中だ。

 1945年の敗戦から(正確にいうとそのちょっと前の広島の原爆投下直後から)2010年までの65年間の日本の女性たちの姿を210点の写真で追っている。一般に写真には女性写真が多い。だいたいヌードなんてそのほとんどが女性であり、男性ヌードというとだいたい性同一性障害の男性だったりなど、ジェンダー問題ありの写真である。何故か、簡単に言ってしまうと、フォトグラファーは圧倒的に男性が多いから・・・と言ってしまえば、身も蓋もないと言フォトわれそうだが、でも第一にはそんなところが理由だろう。最近になって女性フォトグラファーが増えてきて、実際その人たちが撮影する写真は明らかにそれまでの女性写真・男性写真と異なる視点が見てとれる。

 もうひとつは、戦後、殆ど廃墟と化してしまったこの日本をここまで発展させてきて、更には発展しすぎて再度滅びの時を迎えるのではないか、という戦後日本を支えてきたのは、戦中に「銃後を支えてきた」女性たちの力なのだ、ということであろう。

 結局、若松孝二じゃないけど「女がいなければこの国はやっていけない」のだ。戦後いち早く起こった内灘闘争でも一番目立ったのは農家の若い主婦たちだったし、60年安保と言えばやはり樺美智子さんの遺影だろうし、成田闘争と言えば今度は「かあちゃん、ばあちゃん」になった農家の主婦である。勿論、そうした闘争ばかりでなく、生産の現場を裏から支えたのも、女性たちの「内職」によるものだ。そうした「内職」が日本の低価格輸出商品を生み出し、戦後日本を世界中に誇れる経済大国にしたのである。表側では朝鮮戦争やら、護衛船団式日本経済というものはあって、それらは男の世界であろうけれども、それを裏で支えた女性労働の存在を忘れてはならない。

 その結果の経済大国化であり、しかしその経済の崩壊である。その経済崩壊後の日本では逆に女性たちが元気である。アラフォーだったり、高齢独身だったり、若干、ツラい部分も抱え込みながら、しかししたたかに生きている女性たち。

 ポスターに使われているのは木村伊兵衛氏の秋田に取材をした写真から「農家の娘」という、健康的でちょっと恥じらった若い娘の写真である。なんか、「こんな娘がいてくれたらなあ」という写真展キューレーターの思いが表れているようなポスターである。

 ちなみに私が生まれた1951年の写真は三越デパートの女性従業員のストライキであった。

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (c)tsunoken

 次に銀座に移動して4丁目の三愛ドリームセンター8階にあるRICOH RING CUBEにて開催中の(これも8月29日まで)『銀座鉄道』展へ。

「銀座鉄道」というタイトルからして、昔銀座を走っていた市電とか都電、地下鉄銀座線、丸ノ内線、日比谷線といった「銀座を走っている鉄道写真」の展覧会かと思ったら、全然そうじゃなくて、「銀座でやる色々な鉄道の写真展」なのだった。『「走る」「停まる」「渡る」など様々な鉄道情景を写真で典次。広田泉氏の他、鉄道写真ファンのフレッシュな作品も展示。館内には鉄道模型など、大人だけではなく小さなお子様も楽しめる仕掛けを用意しましたので、どうぞお楽しみください。』というポストカードの通り、夏休みのお子様向け(でもある)の展示である。

 鉄道や駅にまつわる色々な写真をお楽しみなのだが、テーマも特に定めていなくて、私にはあまり興味が持てない写真展ではあった。まあ、勝手な思い込みをしていた私がバカだったんだけどね。

 ちょっと残念。

2010年8月28日 (土)

川崎球場といっても昔と今とは随分違う

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(c)tsunoken

 川崎球場と言えば、金やんこと金田正一監督率いるロッテ・オリオンズだし、アジアの張本勲や落合博満だろうか。上の写真が現在の川崎球場の姿なのだが、いまや野球場じゃなくて、人工芝を敷き詰め両サイドラインのアウト側に観客席をおいて、アメリカンフットボールやラクロスなんかの試合場になっている。しかし、軟式野球なんかはまだやっているらしく、野球用のスコアボードがアメリカンフットボールのスコアボードの脇に残っている。ただし、ピッチャーズマウンドはありませんということが川崎球場のホームページにも載っている。

 上の写真だと野球の外野部分しか写っていないが、逆方向のホームベース側を見て、外野のバックスクリーンを見ると、かなり狭い。ロッテオリオンズは張本、落合という二人の三冠王を生み出しているのだが、それもこの球場の狭さをみるとさもありなんという感じがする。

 この球場の周辺には、隣に川崎競輪場、すぐそばに川崎競馬場があり、まさに川崎の「オヤジの遊び場」というところなのだろう。ちょっと歩けば堀之内のソープ街であるし、駅までは飲み屋街がある。競馬・競輪で勝った人はそこで女を買うか、宴会を繰り広げ、負けた人はションボリ、川崎駅まで歩いたんだろうな。

 ついでに言ってしまうと、このギャンブル・エリアから海側はいわゆる川崎工業地帯であり、つまり、工業地帯で仕事をして帰り際、競輪・競馬・プロ野球で遊んで、うまくすればソープか飲み屋で遊んで、という流れが完全に出来上がっている。

 多摩川をちょっと上流に上がると等々力緑地があって、そこにも陸上競技場や各種スポーツ施設があるのだが、この川崎駅周辺の「スポーツ(あるいはギャンブル?)施設群」とはかなり雰囲気が異なり、こちらは健康的なスポーツ・イメージである。この等々力陸上競技場は元々は読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ)のホームグランドだったのだが、観客収容数が少なくヴェルディが味の素スタジアムにフランチャイズを移してからは川崎フロンターレのホームとなっている。元々J2だったフロンターレがJ1に昇格してからは、その後ヴェルディそのものがなくなってしまうというのは、ちょっと皮肉。

 川崎市というのは多摩川に沿って南北に長い市であり、北と南ではかなり文化的にも異なっている。北の方の新興住宅地は完全に指向性としては東京であり、電車も京王、小田急という新宿に起点を置く電車と、東急東横線、田園都市線という渋谷起点の、完全に東京指向である。遊び場は「よみうりランド」なんかのファミリー指向。

 一方、南の工場地帯は完全に北とは別であり、多分、人の移動も南武線だけなのであまりないだろう。北は「神奈川都民」、南は「神奈川県民」という位の違いがあるだろうか。

 多分、人によってというか沿線によって持つイメージから「川崎市」という言葉から受ける印象もかなり違うだろう。その辺も面白い。

2010年8月27日 (金)

「ガラパゴスでいいじゃない」というのはその通りだが、それって勝ち逃げってことじゃないの

 なんか読んでいて既視感があるのでよく見たら「日経ビジネスオンライン」に連載されていた対談をそのまま収録した本なのだ! 違っているのは各章末に載っている岡氏・小田嶋氏へのアンケートの答えが載っていることぐらい。これも対談のネタの為にやったアンケートなので、もともとの材料を収録しただけで、新しい資料ということではない。

 こうしたネット上で「タダ」で読める材料を収録しただけのお手軽本が売れるなんて。いやあ、だから出版社はやめられまへんなぁ。ほんと、『街場のメディア論』の内田センセに叱られそう。でも内田氏もブログネタを本にしているのだから、同じ穴の狢か。

『ガラパゴスでいいじゃない』(岡康道・小田島隆著/講談社/2010年8月26日刊)

 小石川高校、早稲田大学で同期生の1956年生まれの二人の、まあ漫才のようなやり取りを収めている。岡康道氏は早稲田大学法学部を卒業後、電通に就職し、その後独立してクリエイティブ・エージェンシーTUGBOATを設立した「やり手」のクリエイター。小田嶋隆氏は同じく早稲田大学教育学部を卒業後、味の素ゼネラルフーズに就職したが8ヶ月で退職し以後フリー。いまや辛口コラムニストとして大活躍している。

 小田嶋氏はかつて『噂の真相』という、この種の雑誌としては超売れていて、黒字のうちに休刊した岡留安則氏が出していた雑誌に「無資本主義商品論」を連載していて、その頃から注目をしていたのだが、最近では上記「日経ビジネスオンライン」で「ア・ピース・オブ・警句」という連載をしていて、なかなかスルドイ指摘を度々しているので注目している。その小田嶋氏の本だっ! と思って読んだら「なんだ既に読んだじゃん」という訳である。

 最近の「日経ビジネス」はオンライン版だけでなく、結構面白く読める雑誌になってきた。

 しかし、デファクト・スタンダードだとかグローバル化だとかは関係ない「ガラパゴスでいいじゃないか、ついでに鎖国もしちゃえば」とは2月18日付けの当ブログだが、それは多分にそろそろ「逃げ切り」の態勢に入った1951年生まれということも関係している。1956年生まれの二人はまだ54歳である。それで「逃げ切り」はちょっと早いんじゃないの? という気もするのだがどうなのだろう。

 更に言うと、佐々木俊尚氏の言うところの「ガラケー」ガラパゴス携帯だが、いまや逆にiphoneやアンドロイドのほうがカメラやらメール機能やらWeb検索だとかアプリだとか電子書籍だとか、段々ガラケー化してきている。これで「お財布ケータイ」機能が付いちまえば、完全にiphoneのガラケー化だ。面白いですねぇ。デファクト・スタンダードのガラケー化ですよ。ということは、そのことまで読み込み済みでこんなタイトルをつけたのだろうか。だとしたら慧眼。でなかったら結果オーライか?

 まあ、結果オーライの方だろうな。

 それと、ナビゲーターの清野由美氏が時たま見せる「スルドイ突込み」が面白い。

 しかし、最近こうしたお手軽本やらお気軽新書ばかり読んでいる俺ってなんのだろう。もっとしっかりしろ、俺!

2010年8月26日 (木)

「森でクソをする方法」なんて本が生まれるくらい文明化してしまったアメリカ

 原題は"HOW TO SHIT IN THE WOODS"つまり「森でクソをする方法」だ。"SHIT"というとやはり「クソ」という方が「ウンコ」という可愛い表現よりは合っているような気がするのだが、どうだろうか? 昔「M★A★S★H(マッシュ)」のロバート・アルトマンが作った映画で「BIRD SHIT(バード・シット/つまり「鳥のクソ」ですな)」というブラック・コメディ映画があって、どうもSHITというとそのイメージがあり、やはり「クソ」という言い方のほうがしっくりする。

『山でウンコをする方法』(キャサリン・メイヤー著/近藤純夫訳/日本テレビ放送網/1995年10月10日刊)

 あるネットでこの本があるのを発見して、面白そうなので入手しようとしたのだが新刊の書店にはないし、古書店を色々回ったり、山関係の本ばかり置いてある書店に行ってもなかったので、やむなくいつもの最後の手段でAmazonのマーケットプレイスで入手。

 内容はいたって真面目で、アメリカの山岳地帯の川からジアルディア・ランブリアという寄生虫が数多く見られるようになり、そのためにアメリカでは山でした糞はすべて持ち帰らなければいけないという規則ができたことから、そんな状況下で山で糞をするにはどうしたらよいか、ということが書かれている本なのである。糞を出す場所の問題、糞を持ち帰るための容器の問題、どこでその糞を放棄するかという問題等々に真面目に答えている。ジアルディアは欧米、アジアなどかなり広い地域で見られるようなのだが、訳者の近藤氏によれば、ジアルディアは日本では発見された例はないということなのだ。しかし、日本だってキタキツネのエキノコックスという寄生虫の問題もあり、まあ、似たような事情はあるのだろう。

 とは言うものの、勿論、クソにまつわる面白い話が載っていなければこの本の価値はない。特に興味をひかれるのは「この章は女性だけがお読みください」と書かれた、これは特に女性の「おしっこの仕方」について書かれた章だ。現代アメリカ人であるキャサリン・メイヤー氏にとっては、日本のいわゆる「ウンチング・スタイル」、山屋が言うところの「キジ撃ち」とか「花摘み」というようなしゃがんだスタイルをとるのはかなり無理なようで、いわゆる洋式便器に座る方法しか出来ないようだ。また、昔あった女性用の「立ち小便器」のようなものもあったことは知っているし、彼女のおばあさんがそれを使った形でおしっこをしているのは知っているが、自分ではそのような方法はとれないようだ。これでは残念ながらまさにスニーカーは黄色くなってしまうだろうし、ブーツも濡れてしまう。まあ、文明化による人間の退化だな、これは。

 また、トイレット・ペーパーがないときのそれに代わる方法にも、残念ながら文明化による退化が見られる。つまり、ペーパーの代わりに木の葉をつかうというやり方なのだが、結局はそれは紙になる前の植物繊維を使うだけで、ペーパーを使うのと換わりはない。そんなものはもっと良い方法があるのだ。つまり、アジアでは今でも使われている方法で、つまり水でお尻を洗うという方法だ。天然ウォシュレットである。勿論、それについても若干は触れているのだが、しかしその際に「バケツ2杯の水が必要」だなんで、何てもったいないことをするのだ。そんなのコップ1杯で済んでしまうのに。ただし、そのためには左手だけでお尻を洗って、食事は右手だけで食べるということが必要なのだが。

 と、まあ文明化することによって、人間が如何に自然の中で生活することに無理が生じているかという例証が、実はこの本のキモなのである。「ウィルダネス(Wilderness)」というのは、アメリカ先住民の観念にはなくて、白人がアメリカを侵略してから生まれた概念であるという、先住民の言葉は重要だ。アメリカ先住民にとっては「ウィルダネス」なんてものは「当たり前」の世界観であり、そんなものは意識しないで生きてきた。それが白人たちが入植することによって「野生」という概念が生まれたのである。そして、その白人たちがアメリカの「野生」を壊してしまった結果としての「クソ禁止令」なのである。

 まさに「クソ」ですね。

 

10000ページビューありがとうございます

 気が付いたら10000PVを越えていた。ブログをはじめてから270日。1日平均37PVで、自分でチェックのために10PV位はしているから1日平均20人弱の読者がいることになる。最近では1日50~100PV位。

 ま、とんでもないミニ・メディアではあるけれども、ご愛読ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。なんとか、1日最低1回は更新するよう頑張ります。って、なんで頑張るんだ?

2010年8月25日 (水)

ネットで著作権を放棄するなら、すべての媒体で放棄すべきである

『街場のメディア論』(内田樹著/光文社新書/2010年8月20日刊)

 この本の元になった授業があって、それは神戸女学院大学という内田氏が教授を務める大学の「メディアと知」という講義である。まあ、ネタにされた大学生の方々には「ご苦労さん」と言うしかないのだし、そこで「メディア企業」に進むことを希望している学生に対して「メディア企業の明日はない」と言うことを話しているという、まったく彼女たちの希望に水を差すような授業内容なので、これからの希望に胸をふくらませている学生に対して、こんなことを話していいのだろうか、というような内容なのだ。

 なにしろ、内容は「マスメディアの嘘と演技」であり「メディアとクレイマー」であり、「(マスメディアが言う)『正義』の暴走」であり、「メディアと『変えないほうがよいもの」である。更には「読者はどこにいるのか」というテーマで、出版業界の著作権論争に踏み込んでいる。確かに、問題の多いメディア産業であることはよくわかっている。あるいは、定価販売と委託販売制度に守られている出版産業であるという「制度的な守り」のある業界であることはわかっている。しかし、それらはこの産業(と言えるほどの規模であるのか?)にいるものがそのどれもが問題の本質である事はわかっているが、そこに踏み込めない論議であるということも、同時にわかっていることでもあるのだ。しかし、その産業にいると言えないこともあったりして、まあ、それがいけないというのだろうけれども、なあ。先生は自由にものが言えていいなあ、というところである。

 ひとつ検討してみようか。

 マスメディアが、その本来持っている筈の「権力を批判する」立場はいまだ健在であると思う。ただし、いまやそのマスメディア自身が「第四の権力」になっていることに対する自覚は少ないだろう。事実、新聞、テレビ、出版の、そこに携わる者が自分自身が権力機構の一部であると自覚している者は少ない。いや、新聞にいたってはいまだ自分自身が権力に対する批判部隊であると思っているような人が多いのだ。つまり、かれらは自らは「無謬」の個人であり、自分は間違っても権力側についてはいない「個性」であると思っている。確かに、彼らは「国家権力」には属していない。しかし、「マスコミ権力」というものに属しており、自分たちが言う「言論」が大きく社会に影響していることに無自覚である。その結果、新聞はそれまで知っていたことでありながら、知っていなかったような「嘘」をつき、問題団体(問題大学、問題病院、問題企業)を責め立てるのだ。「何言ってるの、自分らだって知っていたでしょ」という反論には、それを無視することで対応し、あたかも「無知」であることを正義として批判するのだ。「JAL問題」しかり、「八ッ場ダム問題」しかりである。それらの企業、事業に対して当初から問題があることを知りながら、その時期にはまったく問題にせず、それらが政治問題化した時に初めてそれを知ったかのように騒ぎ立てる、という新聞のやり方はテレビになるともっと加速されて行なわれる。おまけに、テレビニュースの方法論はもっとすごい。そんなニュースを伝えたキャスターはたった一秒後に「では、スポーツニュースです」とかなんとか言って、話題を切り替えるのだ。この、なんという切り替え方! 少なくとも、事件の当事者から見たらどんな感想が出てくるだろう。しかし、それがマスコミなのだ。まあ、こんなマスメディアであっては「マスゴミ」と言われても仕方ないのかもしれない。

 内田氏は第六講で「読者はどこにいるのか」というテーマで、出版業界の話をしている。要は、著作権なんてものがあるために、いまや、出版業界は瀕死の状態に陥っているということなのだ。著作権というものはグーテンベルグの活版印刷から出てきた考え方で、つまり「copyright=複写する権利」つまり出版という「業」が出来上がったためにできた権利というものにすぎない。日本にいるとあたかも「天賦の権」みたいに思える著作権だが、実際はそんなものはたかだか「産業的な要請」によって生まれたものである。だったら、メディアの変遷、新しいメディアの出現、新しいメディア産業の成立によって権利についての考え方は変わって当然だし。変わるべきなのだ。

 内田氏はネット上の表現について著作権を放棄しているという。しかし、なんでネット上だけなのだろうか。ネットだけじゃなくて、すべての媒体における表現について著作権を放棄しないと無理であろう。印刷物から受け取る金銭はそれこそ「読み手」からの「感謝」の気持として受ける金銭があればいいじゃないか。つまりは「印税」ではなく「贈与の返礼」である。なぜ「紙」だけが印税なのだろうか。

 その辺だけが、本書を読んで疑問のところである。全体的には良いことがかいてあるのだけどね。

 残念!

2010年8月24日 (火)

終らない戦争の影と経済成長の密接な関係

 桑原史成写真展『激動の韓国 <その四半世紀の記録>』という写真展が現在銀座ニコンサロンで開催中だ。(8/31まで開催)

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(c)桑原史成

 写真展は1964年に始めて渡韓して以来の46年間に亘る韓国の政治経済状況を取材した写真約70点を掲出。つまり、終戦から19年、日本では「もう戦後ではない」という掛け声とともに、オリンピックを開催し世界の先進国に仲間入りして高度成長を開始したころ、韓国では日韓条約に反対する学生・市民の運動が盛んになってきて、国内が騒然としていた時期に初渡韓した桑原氏が見た韓国の様子からスタートし、ベトナム戦争が終了し、参戦していた韓国兵も帰国する1976年までを中心にした写真はなかなかの迫力だ。

 ベトナム戦争に参戦した韓国は、その見返りとして米ドルの獲得とアメリカへの移住の権利を勝ち取った。ベトナム戦争当時とその後も、韓国人のアメリカへの移住は優遇されていてコリアン・コミュニティを作成していった。そうしてアメリカへ進出した韓国人が稼いだ米ドルと、参戦によって獲得した米ドルを元にベトナム戦後の韓国は経済高度成長を遂げ、経済大国の仲間入りを果たしたのである。

 ところで、今年は1910年の日韓併合から100年という言い方が日本ではされているが、韓国ではそれは間違いだそうである。つまり1894年の日清戦争のころから日本は韓国に干渉を始めており、そこから数えれば116年ということなのである。1945年に日本は戦争に敗れ、韓国は解放されたものの、その後の国連軍という名のアメリカ軍と、義勇軍という名の中国革命軍の間で行われた朝鮮戦争で国土は戦火にまみれ、民族分断はいまだに継続中である。さらに、日本はこの朝鮮戦争のおかげで戦後アジアではいち早く経済高度成長をはじめることができた。要は韓国におけるベトナム戦争と同様、経済成長に欠かせない「戦争」の影がここにもある。

 写真展の一番新しい写真は在韓日本大使館前の韓国人元従軍慰安婦(性奴隷)による賠償要求デモが2010年に行われた写真である。つまり、いまだに日韓併合時代の名残が現在の韓国には残っているのである。

 いまや経済大国の仲間入りしている韓国であるが、しかし、まだこうした「戦争の負債」がそこここに残っているということなのだろうし、その「戦争の負債」が解消されないかぎり日本の韓国植民地化に対する責任は残っているということなのだろう。

 桑原史成氏は水俣病の写真で有名だが、こうした韓国での写真活動もやっており、その韓国での写真展も何度か開催しており、水俣の写真展や、この「激動の韓国」展などなど、10回の写真展や写真集の出版で韓国でも知られた写真家なのであるということを初めて知った。何て私はモノを知らないのだろう。

銀座ニコンサロン 8/18~8/31

大阪ニコンサロン 9/16~9/22

http://www.nikon-image.com/activity/salon/index.htm

2010年8月23日 (月)

『チクリッシモ』が持ってくるヨーロッパ的感性って何なのだろう

 自転車フォトジャーナリスト砂田弓弦氏が責任編集を務めるこの雑誌は一生懸命、自転車のスポーツとしての自立を求めるのだが、状況はどうなのだろう。まあ、世界的には(というかヨーロッパ的には)スポーツとして認められ、結構メジャーな部分を占めているのだが・・・。
『チクリッシモ』20号(砂田弓弦責任編集/八重洲出版/2010年8月20日刊)

 日本ではいまだマイナースポースの立場から離れていない。つまりそれはスポーツとしての「レース」の世界なのだ。「レース」の世界から離れれば、いまや日本においてもサイクル・スポーツはかなりメジャーなスポーツになってきている。ところが、こと「レース」の話になってしまうと、それは「自転車オタク」だけの話になってしまい、たとえば新城幸也が昨年のツール、今年のジロ、ツールというグランツール3連続出場という快挙を成し遂げたことも、さほどたいした情報ではなくて、新聞でも脇の記事扱いである(まあ、ラクロスなんて記事にもならないけどね)。スポーツとしてのサイクリングは勝間和代氏のおかげもあって多少はメジャーになってきたかな、というところであるがしかし、「スポーツとしてのレース」はいまだにマイナーのままにおかれてしまっているのだ。

 という逆風の中で出版された『チクリッシモ』という<雑誌>がどこまで生き延びるのかは分からない。なにしろ、「レース」だけを扱う雑誌なのだ。そんなものイタリアでは成立するかもしれないが、この日本では無理でしょう、というのが普通の出版人の発想である。でも、砂田氏は出版したし、八重洲出版はそれに応えて出版をしたのだ。取り敢えず、この出版社の動向を見るしかないだろう。

 で、『チクリッシモ』9月号であるが、当然、ツールドフランス3連勝のアルベルト・コンタドールの大特集であり、同時に、このツールで選手を辞めることを決めたランス・アームストロングに対する賛辞であろう。まあ、ことしのツールドフランスはそれしかなかったからなあ。あとは、コンタドールとシュレックのマイヨジョーヌ争いであるが、そんなものはランスの引退報道の前には消し飛んでしまった。まあ、なんというランス。マイヨジョーヌよりも君の事の方が大事なのか! ということである。

 実は、もっと面白いのはNaco氏の西薗良太選手に関する記事である。西薗選手は知る人ぞ知る、学生ロードのチャンピオンである。おまけに東京大学の学生である。別に、学生が学生スポーツのチャンピオンであるのは当たり前なのであるが、まあ、それが東大生であるというところにマスコミ的に記事になる(多分、スポーツマスコミ連中に東大卒はいないだろうから)ということである。同時に、当然東大の学生である以上、選手特権なんてものは無く、大学生として普通の生活も送っている学生である。いまや大学院への進学を考えているようだが、それと同時にプロへの道も考えているようだ。「東大(大学院)出身のプロロード選手」ってのも”日本では”受けるかもしれない。ただし、ヨーロッパとかに行ってしまえば、日本式に「東京大学」と言ってもそれは単に「ああ、東京にある大学なんでしょ」てなもんで、いがいと気楽に自転車生活を送れるかもしれない。

 さて、『チクリッシモ』9月号であるが、その他にもそれこそグランツール3連続出場(!)の新城選手についての記事も載ってる。新城がネオプロの2年契約が切れる今年、来年はどこのチームと契約するのだろうというのも大変な興味の的である。まあ、B-BOXブイグテレコムと再契約というのがほぼ確定のようなのだが、その際に、「来年は勝ってもいいよ」という契約になるのかどうか、そこが問題だ。

 それらも重要なのだよね、砂田さん。

2010年8月22日 (日)

葛西臨海公園という完全人口環境の自然って何なのだろう

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EPSON RD1s+Elmarit 28mm (C)tsunoken

 昨日、今日と葛西臨海公園に行ってきた。別に、海水浴(は禁止されている)に言った訳ではなく、その近所で行われている、あるスポーツの試合を見に行ってきたのだ。暑かったけどね。
 この葛西臨海公園はもうひとつ葛西海浜公園というのとセットになっていて、海浜公園というのは臨海公園の先にできている島状の人口なぎさのことである。この人工なぎさは二つに分かれていて、その一つは完全に立ち入り禁止、というか橋も何にもなくて、船でも塚あない限り人が立ち入ることはできないようになっている。要は、野鳥や魚のサンクチュアリということだ。もうひとつの方は、橋がかかっており、人が入ることはできるが、たとえばバーベキューをしちゃいけないとか、いろいろうるさい決まりがある。まあ、人が作った島だからしょうがないんでしょう。そのかわり、臨海公園の方は、バーベキュースペースやらなんやらたくさんあって、家族連れのお金をかけない一日遊びには、結構使える場所ではある。暑かったけどね。
 しかし、所詮は埋め立て地という人口の土地である。その使い方はすべて決められており、管理者が「気がつかなかった」なんてことはないようになっているのだ。そう、はじめから使い勝手が決められていてそれで作られたスペースであるのだから。これが、自然を利用した公園なんかだと、結構管理者が気がつかない使い方を勝手にすることができて(それは本当はいけないんだろうが)それが実は面白い方法なのであったりするのだ。暑かったけどね。
 まあ、いまやこの人工環境の中でしか現代の人間は生きてはいけないのだろうから、せいぜいこの人工環境をあたかも自然環境のように感じて楽しくしむしかない。事実、こうした人工環境の中でも「自然」風のものはずいぶんできている。暑かったけどね。

 しかし、はじめからこういう環境の中で育った子どもたちは、これをあたかも自然環境と受け止めてしまうのだろうか。要は、葛西臨海公園と言う環境は、あらかじめ人口の「埋立地」なのだよという、その辺をちゃんと教える親がいなければいけない、と考えるのだが、それは既に無理なのかなあ。
 要は、親の世代に問題があるのだからなあ・・・。「えっ、ここって埋立地なの?」と言う具合。まあ、いまや神奈川・東京・千葉の東京湾沿いはすべて埋立地が当たり前で、自然のままの海なんてものはまったくない環境のところに生まれているわけなんだからなあ。

2010年8月21日 (土)

もう一度写真の初心に戻って・・・はデジタルで・・・しかし、モノクロがおススメですね

 近頃旺盛な出版を続ける森山大道。その出版スピードは往年の荒木経惟をも凌ぐほどだ。その森山の最新の書は、まるで<原点帰り>のような本である。

『森山大道 路上スナップのススメ』(森山大道・仲本剛著/光文社新書/2010年8月20日刊)

 撮影場所あるいはテーマは「砂町/佃島/銀座/羽田/国道」。砂町と佃島はモノクロフィルム、銀座と羽田はカラーデジタル、そして国道に至って再びモノクロフィルムに戻る。「国道」と言えば、森山がその昔ジャック・ケルアックの「路上(On the Road)」にちなんで日本全国の国道を自動車で走り回って撮影し続けた映像を思い出す。

 モノクロフィルムの映像は、昔の「アレ・ブレ・ボケ」の写真ではないが、しかし相変わらずコントラストの強い、いわゆる「森山調」の写真である。一方、カラーデジタルでは銀座の夜景では若干コントラストは強いものの、羽田ではそれほどコントラストは強くなく、まるで中平卓馬のような「植物図鑑」のような匿名性の中にあるような写真である。やはり、かなり撮影者の方でかなり自由に色合いを決められるモノクロとは違って、カラーの場合は「色」という要素が加わるだけ、撮影者の自由度は少なくなるのだろう。ということは、森山の場合、やはり撮影者が好き勝手に世界を作りかえられるモノクロフィルム(あるいはモノクロデジタル)の方が向いているということなのだろうか。だとすると、デジタル撮影であっても、モノクロモードで撮影ができるEPSON RD1での撮影をお勧めしたいのだが。どうなのだろうか。ま、これは私の勝手な言い草。

 仲本剛は最近の新書版『BUENOS AIRES』『Sao Paulo』『Light & Shadow』『NAKAJI』などの講談社からでた森山の写真集のプロデュースをした。その中で森山との様々な会話があったろう。

 それにしてもスナップ写真とはなんだろう。という私の写真もそのほとんどが街中スナップショットである。その時、その時に応じて「今日は人物だ」とか「今日は建物だ」とかのテーマを決めているが、しかし殆どの興味の対象は「人物」である。それだけ人物に対する興味が多いということなのだろう。多分、殆どのスナップシューターはその対象を人物に置いてある筈だ。要は、街を撮っていても、気になるのはその街と人との関わりあいだし、その街のなかで人がどうやって生きているのかなのだ。森山は言う『まず、どのようなスケールの商店街にしても、また、人間が多かろうが少なかろうが、人間と商店街の絡みを、やっぱり基本にして撮っていくということ。それともうひととつは、商店の店頭に並べられている品々や、それから建物の一角に貼ってある多くの広告類にもキチンと目を向けること。ただ、通りや買い物客を漫然と撮るだけじゃなくて、必ずそういったいろいろな物を、しっかり見ること』と。つまり、わたしのようなヘボ・スナップフォトグラファーは、そうした「見たもの」をただ漫然と「見ている」だけなのだろう。「ただ漫然と」である。残念だなあ。

 要は、この本は森山大道の写真の撮り方についての、基本的な部分を網羅している、そして「写真集」なのである。しかし、同時に森山流スナップショットの撮り方についての基本的なテキストでもある。

 といっても、所詮は芸術的な(というか創造的な)ものについての「技術」を教えるテキストなんてものはない。それは、それを読んだ人間がそれぞれで解釈し、それぞれで実践し、失敗し、あるいは成功し、という具合に行動を起こさなければ、どうにもならない。

 さあ、明日もスナップ写真を撮りに行くかな。と思ったところで初めて森山を超える写真を撮れるかな。ということである。要は、「実践」しかないのだ。あるいは「実戦(?)」。

2010年8月20日 (金)

『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』はニュートラルな「イルカ」本だ

 またまた「イルカ」本である。しかし、以前紹介した関口雄祐氏の『イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記』にしても、本書にしても、その扱いは冷静であり、ニュートラルである。その冷静さに、安心して読める。

『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』(川端裕人/ちくま文庫/2010年8月10日刊)

『ぼくは野生のイルカと泳いだこともあれば、ドルフィンウォッチのたぐいも大好きだ。生きている時の彼らの魅力を充分知っていると思う。それなのに、イルカの肉を食べることにまったく抵抗がない。こういったことはなかなか「ドルフィンスイム系」の人たちには理解してもらえないのだが、イルカ肉を食べる地域で、地元のやり方でイルカ肉を食べることは、むしろ積極的にしてみたいと思う』(p235)という川端氏である。イルカを保護すべきという人たちにも、イルカ漁は生活の為にも必要だ(「伝統だ」とか「文化だ」ということについては若干疑問があるようだ、これにつては後述)という人たちにも双方にコミットする。

 こうした川端氏だからこその視点が、『多様なやり方の中から自分たちなりの方法を試行錯誤して勝ち取るのだから、「自然とつきあうやり方」は、時として人間の生き方や地域社会のアイデンティティの中核をなすことさえある。それを「伝統」や「文化」と呼ぶこともあるだろう』(p35)ということを肯定しても、しかし、岩手県大槌町のイルカ漁の実際を見た際に、金になる「肉」部分は地元で消費せずにほとんどがよその場所へ出荷されるということ、地元では安くて売り物にならない「内臓」を消費していることを見た時に『もしもこのイルカ漁のことを伝統漁業というなら、「伝統的商業イルカ漁」なのだ。お金になるからやっているだけあって、イルカではなくオットセイでもよかった話なのだ』(p229)として、イルカ漁を「伝統」とか「文化」という言葉で飾ることをやめる。

 しかし、こうしたことは別にイルカだけでなくとも、たとえば牛だって、お金になる「肉」部分はよそで食べられるために出荷され、地元の人は「内臓」を食べていたと言われる。それが、いわゆる「ホルモン」とか「モツ」といわれるものだ。それが意外にうまいということに気がついて、一般に流通しだしただけのことであって、基本的に「地元食」なんてそんなものかもしれない。江戸時代に脚気がはやった際にも、田舎ではまったくそんなことがなかった、というのも、田舎では米だけでなく雑穀を一緒に摂っていたからであり、それは米は「商売用」としてほとんど出荷してしまい、農家は雑穀が食のメインであったことによるものだ。まあ、生産の地元なんてものは基本的にそういうものなのだろう。

 こうした、川端氏の理解するところによれば、要は、イルカのように「養殖」ができなくて自然繁殖に頼るしかない漁業では、如何にしてその自然繁殖の成長率以下に漁獲量を抑えるかというのが重要なのに、『そりゃあね、漁師というのは、海からもってきたものは全部水揚げしようっていう発想なんだよ』(p252)ということでもあるように、基本的に漁師というものは「海にあるものは無限」という発想なのであろう。それが「乱獲」という現象を生み、気がついたときには自らの生活の糧である「魚あるいはイルカ」がいなくなってしまっている、ということなのだ。

 問題は、「イルカが知能が高いから殺しちゃいけない」のではなくて「自然繁殖しかできないからそれ以上に殺してはいけない」のではないか。人間というものは自分勝手な生き物だ。牧場で「可愛い牛」を見ながら「ステーキ」を食べている生き物である。生きている子豚を見て「可愛い」なんて言っている人が、次の日には「豚カツ」を食べているのである。

 この因果な生き物である人間が、どうしたらマトモな生き物になるというのであろうか・・・。多分、そういう日はこないだろう。今後も、人間は他の生き物に自らを重ねて、バカな戦いを続けていくのであろう。

2010年8月19日 (木)

元々、外国人が支配してきた日本なのだから、いまさら外国人排除をする意味はない

 そうなのだ、「在日外国人」と言ったって、すべての権利を認めるべきなのだ。税金を納めている以上は市民権だってあるはずだし、参政権だって認めていい。
『在日外国人』(高賛侑著/集英社新書/2010年8月22日刊)

「在日特権を許さない市民の会」の人が何を言うかわからないが、既に日本企業でも楽天とかファーストリテイリングとか、企業の公用語を英語に定めている会社があるのだし、日本の製造業だっていまや外国人労働者抜きにしては語れない状況にある。だったら、もはや外国人とか内国人とかいう差別用語は使わずに、同じ日本に住んでいる人はみんな日本人ではいけないのですか? 勿論、それは国籍の話ではない、住んでいる場所の問題である。住んでいて、そこで税金を払っている以上はそこでの参政権があってもいはずである。

 すくなくとも我が国は「人種差別撤廃委員会」の勧告を受け入れる必要があるだろう。とにかく、「反差別法」をつくる必要があるだろうし、とりわけ外国人の人権に対する法律をとにかく作る必要がある。なにしろ「ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺はなかった」と発言しても、それは「表現の自由」の中で担保されるというおかしな国なのである。まあ、そんなことを書いてしまったためにその昔「Days Japan」は廃刊に追い込まれてしまったのだけれどね。ドイツやフランスではそれは「民族的憎悪に基づく犯罪」ということで断罪されるのだが。

「多民族多文化共生社会」が必要である。「同化」させるのではなくそれぞれの民族がアイデンティティを持ったままの中での「共生」である。これまでの我が国の対外民族政策はこうした「同化」と「異化」の中でしか揺れ動いてなかった。「共生」という発想がなかったのである。
 
とにかくこれからの社会で必要なのはこうした「共生」の発想であろう。企業はグローバル化し、ということは経済もグローバル化し、人の動きもグローバル化している社会である。こうした時代に「国固有の文化をどう守るか」なんて固定的な事より、「国固有の文化を守ることはどういうことか」というふうにもっと事を大きくして考える必要があるのではないか。

 だいたい、日本と言う国自体が「帰化人たる天皇」が支配している国なのだ。元々、「外国人」の支配によって治められてきた国なのだから、それらの問題は何ということもなく乗り越えられると思うのだが。

2010年8月18日 (水)

スパイはスパイをスパイする、ということ。これは永遠連鎖なのだ。

 戦争中(実は今も?)の日本の情報管理が如何に杜撰だったかという証拠のような本である。まあ、ミッドウェイ海戦でも日本の計画がアメリカに筒抜けだったということはよく言われているが、こうしてソ連にも筒抜けだったのだなあ。
『スターリンの対日工作』(三宅正樹著/平凡社新書/2010年8月10日刊)


 ちょっと本書の主題とは関係ないところで面白いことをいくつか見つけたので、それから書く。
 第二次大戦中のスパイ事件として、篠田正浩が映画化したことでも有名な「ゾルゲ事件」だが、当のゾルゲがコミンテルンからソビエト連邦赤軍に所属替えを自ら申し出て、事実そうなったのだということ。私は<コミンテルン=ソ連共産党=スターリン>という一枚岩という関係にあったのかと思っていたのだが、実は1930年頃は<コミンテルン=世界革命の為の組織><ソ連共産党=一国社会主義=スターリン>という関係で、まだ当時のコミンテルンは世界革命を目指していたと言うことだ。なるほど、1929年にソ連を追放されたトロツキーも第四インターを設立したのは1938年のことだ。まあ、ようやくメキシコに落ち着いたので第四インターを設立したわけなので、それまでのコミンテルンの変節がなかったわけではないのだが・・・。トロツキーがクリヴィツキーというソ連のスパイがアメリカに亡命して出した声明を元にスターリンを告発する宣言を出したということも書かれているが、まあ、それはどうでもよいだろう。たまたま、それはスターリンだったからトロツキーは批判の材料としたにすぎない。多分、トロツキーがソ連の指導者になっていたら、同じことをしたにすぎないのだ。いや、もっと徹底的にやったかもしれない。分派主義者としてのトロツキー主義者は、日本の<反帝反スタ>諸党派の<内ゲバ>みたいなもので、こうしたスパイ活動はスターリン主義者以上にもっとやっただろう。
 もうひとつ、<日独防共協定>なのだが、当然それは<対ソ連>に向けた条約ではあるのだが、それが成立するまでの状況ではとりあえず<反コミンテルン協定>だったということだ。つまり<国際共産主義がアメリカ国内の諸問題に介入していることに抗議したアメリカ国務省に対して、ソ連の外務人民委員が、ソ連政府はコミンテルンとは無関係と言明したことがヒントになって、「アンティ・コミンテルン協定」という名称を、誕生しようとしている日独協定にかぶせようとしたのである>(p122)。ここにも、<ソ連共産党とコミンテルンは別>という発想が見られる。
 つまり、当時のソビエト連邦共産主義はまだまだ脆弱な状況であり、ソ連一国を維持するのに精一杯であり、世界革命を領導するような強大な力は持っていなかったということなのであろう。だからこその<ソ連共産党とコミンテルンは別>という発想になるのであろう。ここがトロツキー=革命家とスターリン=政治家の違いである。トロツキーは、その結果、ソビエト連邦(という「国」)が潰れてもいいじゃないか、問題は世界革命が実現の方向に進むかどうかなのであり、スターリンは政治家として<国を守るためにはどうしたらよいのか>を考えた。

 そこで本題に戻る。要は、日本はソ連に丸裸にされていたということである。当然、それはアメリカにも丸裸であろう。さらに。ソ連はゾルゲだけではなく、「エコノミスト」とか「フォマ」とか「サトウ」とかいう日本人スパイからの情報を受けて、それらを参考にして対日政策を考えていたということである。ゾルゲの言う「日本は対ソ参戦はない」という報告だけではなく、他の人間からの報告も受けた結果として、政策を決めていた。所詮、スパイはスパイである。そんな人間は本国では信じていないのである。スパイが逆スパイである可能性もあるし、情報が間違っていることも大いにあるのである。本国(とその首脳は)スパイの情報をいくつも携えて、その結果として総合的に判断をする。多分、これで間違いがないなという結論に至るまでには、いくつもの情報が必要だ。ひとりのスパイの情報はその一つの要素にすぎない。それが、情報戦というものであろう。
 防諜戦、諜報戦、情報戦というものが決して表に出ない部分で戦われている戦争であるということは、現代でもそれが行われている可能性が高いということである。それも、警察、内務省、自衛隊(軍隊)でそれぞれ勝手にやっているのであろう。要は、他の情報は信じないというのが基本であるからだ。
 相変わらず、日本は丸裸なのだろうか? あるいはすごい諜報組織をもっているのだろうか? 少なくとも、佐藤優氏の本から見ると、完全に前者だ。
 まあ、国というものがある以上、こうした防諜・諜報・情報戦があるのだろう。当然、国がなくても、組織(会社でもいい、公的団体でもいい)があるところではこうした情報戦はあるのである。
 
 もう、それは仕方のないことなのかも知れない。要は、人は人を信じていない、ということなのだからな。

2010年8月17日 (火)

みんな貧乏だった時代の話は、逆に豊かな時代を表している

 そのほとんどは「貧乏話」なのだが、要は、江戸時代という時代の「庶民」というものは、皆貧乏であり、しかし、皆が皆貧乏だったので別に貧乏が当たり前となってしまえば別に苦労話にはならずに、意外と陽気に暮らしていた、ということなのだ。

『江戸の気分』(堀井憲一郎著/講談社現代新書/2010年8月20日刊)

 本書は講談社の雑誌「本」に『落語の向こうのニッポン』というタイトルで連載していたものをまとめたもので、おなじ講談社現代新書の『落語の国からのぞいてみれば』に続く第二弾である。

堀井憲一郎氏は京都出身で現在は東京在住ということなので、上方落語にも詳しいし、江戸落語の世界にも通じている。もっとも、上方の方は殆ど桂米朝と桂枝雀のネタばかりなのは少し残念。確かに、米朝、枝雀と言えば上方の名人にして古典の発掘に尽くした人なので、この二人を追えば上方落語の世界は大体わかるというのも事実であるが。

 しかし、貧乏話ばかりが多いのも当然で、昔は現在と違い「金銭」というものが経済の中心(物の価値)にはなかった、というか「庶民」の中にはなかったということなのである。これは、商業都市大坂でも政治都市江戸でもそうだった。ましてや田舎のほうへ行ってしまえば、もっとそうだった。「金」が経済の中心にはなかったということは、どういうことなのか。「物物交換」がまだ充分残っていたわけだし、「金」ならぬ「情」だったり、「人」だったりが経済の中心(物の価値)にあったのである。また「金」で支払うものも「掛け売り」が当たり前であり、通常は「金銭の授受」というものはほとんどなかったのである。こうした経済のあり方が世の中の中心にあったということは、当時の人は「移動がなかった」ということなのである。「移動」がないから、その時その時で決済が出来る「金」を介在させずに、世の中が回っていたのである。こうした「人の移動がない」時代とはどういうことか。つまり、それは「停滞」していた時代であるということだ。

 こうして、江戸時代は世の中が大いに停滞しており、それは逆に安定していた時代でもあったということであろう。徳川治世260年の大半はこうして安定した時代であり、つまり身分制度は安定して、他の階級に手を出さなくてもすんだ時代でもあった。したがって、その安定した階級制度のなかで大いに「庶民文化」というものも繁栄し、落語なんかも生まれたわけですね。

 しかし、徳川治世も終わり頃になると、そうもいかなくなる。商業資本が力をつけ、人の移動が激しくなる。そうなると、今度は「金銭」が経済の中心になり、明治維新以降現在まで続く資本主義社会では「金銭のみ」が人の豊かさの源泉となり、金融が世の中の中心になる。物事のすべての価値を「金額」で表すようになる時代は、しかし140年たってそろそろまた終わりになってくるのではないだろうか。明治維新以降の日本資本主義も、最近のIT革命でグローバル化を迎え、経済のグローバル化は金銭以外の価値体系を持ち込むようになるのではないかという思いがしている。

 様々なNPO法人の中ではボランティアが大きな部分を占めているし、様々なコミュニティ(ITも含めた)ではその中だけで通じる「通貨」が存在する。それら種々の価値体系の中で、いろいろな通貨が使われるということになると・・・。ということである。

 そろそろこの「金銭価値体系」も大分綻びてきているしね。

 

2010年8月16日 (月)

『永遠の0』って、要はゼロ戦ってはじめから特攻機だったのだ

 ゼロ戦(海軍零式艦上戦闘機)ってのは、まさにいろいろなところをそぎ落とした戦闘機、というか殆ど「戦闘」のための装置までそぎ落とした戦闘機であり、その「そぎ落とした」部分を操縦者の能力に頼った戦闘機であり、それは実は「戦闘能力」のない戦闘機であったわけなのである。つまり、初めから「特攻」を前提にしていたと言えないこともない。その後の、特攻専門の潜水艦・回天や、ロケット・桜花などにつながる思想を、すでにゼロ戦が持っていたということなのだ。

『永遠の0(ゼロ)』(百田尚樹著/講談社文庫/2009年7月15日刊)

 アメリカから「ゼロファイター」と恐れられたゼロ戦の正体は、その長大な航続距離と空戦性能だった。つまり、日中戦争での中国奥地まで攻め入ることのできる航続距離。そして、天才的な操縦技術に頼った空戦性能なのだ。そのために求めたものはとにかく「軽量化」である。軽量化のために捨てたものは、防御性であり、急降下性能である。つまり、ゼロ戦は敵に撃たれると簡単に操縦席がやられてしまうし、燃料タンクがやられてしまう。キャノピーは防弾ガラスでできていないし、操縦席も防弾性能はまったくない。燃料タンクも防弾タンクになっていない。それらを備えることは当時のテクノロジーであっても可能だった。しかしなぜそれらを備えなかったのか。つまりは「軽量化」のためだった。軽量化すれば、小馬力のエンジンで、少ない燃料で沢山とべるし、空戦性能だって上がる。じゃあ、それらの弱点はどうしたのかと言えば、操縦士の訓練だった。要は、操縦士の腕さえ上げればそれらの弱点を補ってあまりあるというのが当時の日本の考え方だったのだ。

 一方アメリカは、そんな日本に対抗して、敵に撃たれても「操縦士が死なない」なおかつ「飛行機が落ちない」飛行機を開発した、それがF6Fヘルキャットである。その発想は「大馬力」で速力を出し、その大馬力を利用して「防御性」を大幅にアップさせたのである。ゼロ戦にまけてもいい、しかし、負けたことをてこにしてもう一回ゼロ戦に挑めというのがアメリカの発想であり、そのために何度でも操縦士を「生き返らせる」方法を考えたのだ。

 う~む、この辺「何度でも挑め」と言う発想は、現代のアメリカでも通用する発想なのだなという気がする。日本では、一度の挑戦は許されるがそこで失敗した場合は、二度目の挑戦に注目されることはあまりない。しかし、アメリカは何度でも挑戦することが許される社会なのだろうか。

 ゼロ戦は一回米軍の戦闘機にやられてしまっては、そのまま海の藻屑にならざるを得ない状況で闘っていた。しかし、アメリカはゼロ戦に撃墜されても、潜水艦に拾われて、再度戦闘機乗りとして活躍できる道がある。もう、戦闘機による格闘戦はやりたくないという操縦士であっても、そこで再度戦闘機乗りになれるという道もあるけど、そうなりたくない道もあるはずである。それは選択可能なものなのだ。

 これを、大量生産のアメリカ的発想というのは間違っているだろう。大量生産的発想は当時の日本にもあったのだ。問題は、人間の命に対する考え方の問題だろう。特に、一般市民の命に対する。

 ここでいう一般市民とは、要は、選ばれた「士族」とかというものではない市民ということだ。当時は「市民」などと言う言葉はなかっただろう。要は「平民」に属する人たちにとっては、ここで自らが「士族」になれるかもしれなかった瞬間に、「士族」の側から「お前ら(平民は)死ね」と言われたのが「特攻」なのである。その為の飛行機がゼロ戦であることは実に象徴的である。まさに、「特攻」というものが前提にあった航空機がゼロ戦であったということであろう。

 小説の話をしなければいけない。つまり、この小説で述べられている宮部少尉(特命少尉)については、本来はここで述べられている宮部少尉は「平民」の出身である。つまり、上から命令されれば死ぬことを恐れてはならない、いや「自ら死を選ぶ」人間でなければならない。しかし、宮部は死ぬことを恐れる。死を選びたくない人間である。しかし、そんな選択は「士族」だけのものだ。そう、じつは「士族」こそが自ら「死」を選ぶことを拒否してきた階級なのだ。「士族」にとっては「死」というものは最終的な選択なのだ。それは「士族」にだけ与えられたいわば「特権」なのである。それを自ら選ぼうとした「平民=宮部」は忌避され、多分、相当やられたのであろう。その結果としての、「宮部の特攻志願」である。

 この小説では語られることのなかった「宮部の特攻志願」であるが、私は以上のように考えた。でもないと、あれだけ死にたくなかった宮部が特攻を志願するはずがないじゃないか。

 ともあれ、しかし、ゼロ戦っていうのは、初めから特攻用の戦闘機だったのだと考えると、その設計者の堀越二郎氏の責任ってのもあるな。勿論、それは帝国海軍からの発注で設計したのかもしれないが・・・。

 

2010年8月15日 (日)

靖国神社が突然オタクのショー化する日

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EPSON RD1s+Summcron 35mm (c)tsunoken

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LEICA M6+Summilux 50mm (c)tsunoken

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LEICA M3+Summilux 50mm (c)tsunoken

毎年、8月15日は靖国神社へ行く。別に英霊を慰めに行くわけではない。

 そこには数多くの一般大衆のほかは、右翼の人たち(これもオタクって言っちゃあオタクだよね)や、単なるミリタリーオタクや、こうした「面白い被写体」がいっぱい集まることを知ってそれを撮影しようというカメラオタクなどの有象無象が集まるのだ。かくいう私もその最後のオタクなんだけどね。

 しかし、8月15日以外の日の靖国神社は、まあ静かな佇まいを見せる神社であるにすぎない。それが8月15日になると途端に各種政治ショーが始まるのであります。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんてのが、遺族会の票目当てでしかないのに、神妙な顔をして参拝する。参拝するのは勝手だが、別に「みんな一緒」じゃなくてもいいだろう。それぞれ車で(その為に靖国神社の一部が車の通路&駐車場になって邪魔なんだよな)靖国会館に集まるとみんな一緒に神殿に行ってお参りするわけである。それを待ちうける人々。国会議員連中が出てくると拍手である。こんなの完全に政治パフォーマンスでしかない。

 それに比べれば「太平洋戦争は防衛戦争だ」とか「南京虐殺はデッチ上げだ」とかいう幟を持って参拝する右翼の人たち、今年は「日韓併合100周年」だとかで、こうした「嫌韓右翼」も今年はやたら力が入っているわけだが、まあ、純粋に「右翼」をやっている分だけ、上の政治家どもよりましかもしれない。

 こうした政治勢力に比べればミリタリーオタクなんて単なるオタクでしかないので、安心できるというか、こちらも単に楽しめればよいのだ。まあ、この人たちが本当に戦争に行けと言われたら・・・まあ、もたないだろう。彼らは単なる軍服マニアというだけなのだ。

 ということで、オタク大集合の8月15日の靖国神社。もうひとつお台場の夏コミケも開催中で、こちらもオタク大集合だ。もうやたら、東京の夏はオタクの夏ですな。

 ところで、上から四番目の写真。このオジサンは三味線で軍歌を演奏していた人なのだが、今年はいなかった。亡くなってしまったのかな?

2010年8月14日 (土)

「軍神」であるところの芋虫。でもこの芋虫は性欲だけはいっぱいあるんだよね

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (C)tsunoken

 若松孝二の新作『キャタピラー』観にテアトル新宿まで。今日が全国公開初日です。

http://www.wakamatsukoji.org/

 しかし、「軍神」って本来は死んだ軍人のことを言うのであって、「生ける軍神」ってのはあまり聞かない。ただし、まさに「芋虫(キャタピラー)状態」になって帰ってきた軍人は、まあ死んだも同然だし、ということで「軍神」なのだろうか。

 しかし、この「軍神」は食べることと、セックスだけは旺盛だ。というか、四肢と聴覚、声帯をなくした自らの状態を見ると、唯一まともな状態にある「内臓=消化器」と「陰茎と陰のう」のみにしか、生きている証はないのかもしれない。

 同じような設定のドルトン・トランボ作品『ジョニーは戦場へ行った」では触れられなかった、この傷病兵のセックスについて真正面から捉えたのはさすがに若松孝二である。そして、そのセックスがこの「軍神」と「軍神の妻」には重要な対話となる。つまり、最初は「軍神」が無理やりセックスをしたがり、「軍神の妻」はそれに対していやいや応じているのだが、そのうち「軍神」が中国戦線での自らの悪行に苛まれてか性的に不能になってくると、逆に「軍神の妻」の方が積極的にセックスを求めるようになり、それに応えられない「軍神」をいたぶるのだ。まるで、それは夫の中国での悪行をも責め立てているようだ。つまり、「銃後の妻」がここで優位に立つことになるのだ。

 若松孝二の言う「銃後の妻」の大事さ、というか優位さである。所詮、前線の兵士なんてものは使い捨ての駒にすぎない。死んでもそのまま「駒がひとつなくなった」だけの存在でしかない。それが、死にもしないで「四肢を失っただけで還ってきた兵士」を何故に「軍神」として崇めたてまつらなければいけないのか。所詮、戦争なんてものはそんなものだろう。

 結局、女には勝てない男が勝手に始めたのが「戦争」ってやつなのだ。そこでしか、男が女に勝てないからな。ということで、ここでも若松監督の「マザーコンプレックス」がでた良い例なのだ。

 まあ、「戦争は所詮人殺し」という発想も、どちらかと言えば女性の発想(ただし、現代の戦争は女性兵士も積極的に参加しているので、そうとは言えないが)だし、いわゆる「戦争」すべてに反対するのもどういうことかと思うが、基本的には「戦争は所詮人殺し」であることにはかわりはない。とりあえず、それを指すのは「帝国主義的侵略戦争」であるかもしれないが、しかし「革命戦争」であろうが「民族解放戦争」であろうが「自爆テロ」であろうが、所詮「戦争は人殺し」なのである。要は、こちら側からは「許される人殺し」と「許されざる人殺し」があるだけであり、それは反対側からは、その逆だというだけにすぎない。

 つまりは、どちらの「人殺し」に自分が肩入れするのだろうか、という問題である。全面的に「戦争に反対」ということはあり得ない。とにかく若松孝二は、そしてこの映画の脚本を書いた出口出は多分、足立正生だと思うが、その二人は『赤軍・PFLP‐世界戦争宣言』を作った二人なのであるから。

 取り敢えず、今日は初日舞台挨拶というのがあって、生で見た寺島しのぶがスクリーンでいているよりずっと美しかった、というのが本日の収穫であった。

2010年8月13日 (金)

とは言うものの、やはり「天才に勝る努力なし」なんだよな

 「努力に勝る天才なし」のアナロジーとしての「愚直に勝る天才なし」ということなんだけれども、でもやはり「天才」に勝てるものはないのだ。

『愚直に勝る天才なし!』(清田茂男著/講談社/2010年7月22日刊)とは言うものの。

 天才と言われるエジソンの「天才とは1%の閃き(inspiration)と99%の努力(perspiration)である」という言葉から、この「努力に勝る天才なし」という言葉が生まれているようなのだけれども、エジソンの発明のように言われている白熱電球のフィラメントも、実はエジソンの発明以前に既に完成していたのだが、問題はそれが2時間しかもたないものであり、それでは実用化できないと考えたエジソンは、実に7000種類もの材料を実験した挙句、日本製の扇子に使われている竹からカーボンファイバーを発見して白熱電球の実用化に成功したわけだ。当時の科学者がたった2時間で燃え尽きてしまう発光体にはまったく興味を持たなかった状況の中で、しかしそれに興味をもったことが「1%の閃き」であり、7000種類もの材料を試したkとが「99%の努力」である、ということから考えればまさにその「たった2時間で燃え尽きてしまう発光体に興味を持つ天才」をエジソンが持っていたことが重要なことなのである。つまり、そこではやはり「天才」の存在が重要でるということだ。

 そこでこの清田氏の著書を読むと、やはりそこには清田氏の天才ぶりがそこここに見出されるのである。例えば、昭和38年、36歳にして自分の会社を興すことになった頃の清田氏の見解『東京オリンピックを契機に高度成長へと突入する中で、「重厚長大」が闊歩していたが、いずれは「軽薄短小」への芽が膨らむ、といった時代の風を感じていたのだ」(89頁)といた記述には、まさに時代の風を読む「天才」が感じられる。当時は、日本経済はやっと「戦後」の壊滅・混乱から立ち直ったばかりで、これからまさに「日本船団」に守られて、日本は世界の仲間入りをしようという時代であり、そんな中でその後の日本経済の変化を感じていたのはなまなかな「センス」ではない。

 清田氏の会社「清田製作所」は、現在、半導体の製造に欠かすことのできない「四探針コンタクトプローブ」というものの製造で世界最大のメーカーであるという。この「四探針コンタクトプローブ」といものがどういうものであるかは旨く説明できないが、この「四探針コンタクトプローブ」というものに辿り着くまでに、ハーモニカ、カメラの露出計の針、レコード針、などという精密機械を作り続けてきた。その結果としてのコンタクトプローブなのだが、それが積層型コンタクトプローブにまで発展し、それを開発しているときに、ある「常識的な大学教授」から完全にそれを否定された経験を持つ。まさに、それこそエジソンがつき当った「科学者の壁」と同じではないか。

 大きな会社から金型を支給するので完全な下請け会社として働かないかという誘いもあったようだ。1回の発注数も多く興味を持ったが、しかし、そんな加工賃だけの勝負になればいずれ清田氏の会社より安くやるところが出てくるわけで、その競争に巻き込まれてしまう。一時期は安定して、会社も大きくできるかも知れないが、そのままでは現在日本の多くの下請け工場が立ち至ってる状況と同じになってしまったろう。とにかく清田氏の志は「ほかではできないものを作りたい」ということである。まさにこの志こそが清田氏が他の凡百の工場経営者にはないエジソン型天才の証なのである。

 清田氏は最後に『技術力を磨くためには、長年の経験のほかに、情報や知識に対する貪欲さが大切だと思う。先端的な開発は、社会情勢の変化をよく知って、産業構造の転換を読んでいないとでいない』(192頁)と書く。まさにその通りであろう「技術バカ」では「世界一の町工場」のオヤジにはなれないのだ。例えば、アインシュタインは16歳のときに「相対性理論の存在を直感していた」ということである。つまり、彼は理論としての相対性理論に理会していたのではなく、それまでの物理情報の中でそれを直感していたのである。つまり様々な情報の中で新しいものに直感的に出会うこと、それを「天才」と呼ぶのである。

 こういう人がいれば日本も安心だ・・・とは、しかし言えない。それはあくまでも「清田製作所」だけの実例であり、他の日本経済界は、相変わらず世界情勢にのれずにアップアップしている状態である。

「努力に勝る天才なし」という言葉は、違う意味では「誰でも努力すれば天才の域に近づける」ということで、すべての人に努力を促す言葉であり、それは「一億総中流感覚」を育てる言葉にもなったのだが、いまや「格差社会」であり、初めから「勝ち・負け」の決まった社会である。ということは、いくら凡人が努力しても一人の天才には勝てないということも分かってしまった社会でもある。

 となると、清田氏のような例は、いまや希有の存在になってしまうのか。

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EPSON RD1s+Summicron 35mm (C)tsunoken

 昨年12月20日に撮影した写真。画面右下に清田氏の会社が写っている。

2010年8月12日 (木)

『電子書籍の真実』は地に足のついた「電子書籍本」だ

 実務者が書いただけあって、かなり地に足のついた「電子書籍論議」の本が出た。

『電子書籍の真実』(村瀬拓男著/マイコミ新書/2010年7月31日刊)である。

 著者の村瀬氏は新潮社の雑誌編集者から、アニメ『火垂るの墓』の製作やCD-ROMとして出版された初期の電子出版物を編集を経て、2006年に弁護士となり、新潮社他の担当弁護士として活動している人だ。したがって、多くの「電子書籍本」がライターや編集者によって書かれているが、それとは少し違った観点の実務者による書かれ方がされている。

 例えば、日本の出版界では契約書の不存在ということがよく言われているが、その理由として『原稿が上がらないために出版できなくなったとしても、その責任を出版社が著者に追及したということはまずないでしょう。損害賠償などの責任追及を行なわないならば、書面としての契約書を作る意味もそれほど大きくありませんし、出版されてしまえば、契約書作成作業はどうしても形式的な作業となってしまいます』として、それは決して良く言われるような出版社や著者の怠慢ではないということ。また、20年ほど前に論議されていた出版社が主張した著作隣接権としての「版面権」というものも結局認められなかったが、それはコピー機業界の不利益と考えた経団連の反対によるものだったが、その際に「電子出版」について既に触れられていたということ。などなど、当事者として立ち会っていた村瀬氏ならではの物の見方があって、昨日今日の「電子出版論議」に惑わされているライター諸氏とは少し違う。

 それもあるが、面白かったのは書協のデータベース「データベース日本書籍総目録」(2009年5月時点)の資料で、その当時の登録件数は136万5252点であり、そのうち「入手可能」が82万6465点、「品切れ・重版未定」が43万9687点、「絶版」が9万9100点であるということ。つまり、絶版の約10万点は「青空文庫」などで読めるが、問題の約44万点の「品切れ・重版未定」という出版社の勝手な(とも言えないのだが)都合で世の中に存在していない本が、電子出版によって生き返る、というか実質出版契約違反で「殆ど死んだ状態になっている本」が電子出版によって生き返ることになる「電子書籍ブーム」は結構なことだ。

 いずれにせよ、この「電子書籍の世界」の中では出版社も変化をせざるを得ない。つまり、村瀬氏が書くように『このような状況の中では、出版社および出版界は利益構造を組み換える必要に迫られています。ライセンス収入の範囲内で事業が継続できるように規模を縮小していくのか、交渉力を持ちライセンス料率の拡大を図るのか、配信事業者の領域に進出し、全体としての売上拡大の効果を享受できるようにするのか』といういくつかの選択がある。ともあれ、そうした状況になっても「表現したい」衝動を持っている若者がいる以上、出版界に人材はいるだろう。

 勿論、「紙の本」を作りたいばかりの人じゃなくなってくるだろうしね。

2010年8月11日 (水)

『座頭市』って実在の人物だったんだ、ということに吃驚

 座頭市に実在のモデルがいたなんてことは初めて知った。これは面白い。

『時代小説英雄列伝 座頭市』(子母沢寛他著/縄田一男編/中公文庫/2002年11月15日刊)

 読みたくていろいろな書店を彷徨ったのだが見つけられず、ようやくAmazonのマーケットプレイスで見つけた。1,300円というなかなか「良い」値段で出ていたので早速購入(本来は629円+税だけどね)。

 内容は、子母沢寛の元祖『座頭市物語』(「ふところ手帖」より)、同じく『飯岡の助五郎』(「遊侠奇談」より)、大塚稔の映画『座頭市物語』シナリオ、堂門冬二版『月を斬る座頭市』と編者・縄田一男の解説『虚と実を彷徨う闇のヒーロー』である。

 なにしろ、この中公文庫版でたった9ページの短編小説にすぎない原作版『座頭市物語』から約30作の劇場映画、約100作のテレビ映画が作られ、それらのノベライスや子母沢寛以外の作家による新作も作られた座頭市。いかにこの主人公が魅力的かといことなのだが、原作版を読んでみて初めて分かったことは「座頭市が『天保水滸伝』でお馴染の飯岡助五郎の子分だった」ということである。

 座頭市が「天涯孤独の旅烏」であるという設定は、大塚氏の映画シナリオで作られた新設定である。確かに、原作版では飯岡助五郎の笹川繁蔵襲撃に市が参加しない理由として「目の見えねえ片輪までつれて来たと言われては、後々、飯岡一家の名折れになる」というのでは、敵方に平手造酒という剣豪がいるというのが判っていながら、あまりにも飯岡助五郎の脇が甘い判断だ。映画版のように、座頭市は飯岡助五郎の食客にすぎず、平手造酒が病気で倒れてしまって今は伏せっているというのを聞いた飯岡助五郎が、今こそ笹川襲撃のチャンスとばかりに戦支度を始めたときに、平手造酒と戦わせるために座頭市を遊ばしているんだということが分かった市は自ら戦いへの参加を拒否する、と言う方があえて戦いを好まない市らしい判断として納得できる。

 さらに座頭市が天涯孤独の旅烏という設定しした方が、続編が造り易いしね。ということで、大塚氏は初めから連作物としての『座頭市』を意識していたということなのであろう。その為には、実は原作として長編作品を選んで、設定がガチガチになるよりも、こうした短編作品を選んで、設定はできるだけ映画側で自由に作れる方を選択するというのは実に頭の良いやり方である。つまり、ヒチコックが短編や中篇小説を原作に選んで映画化原作としたのとよく似た方法論である。とにかく「映画の側で自由に作れる部分を大きくする」ということである。さておき、映画第一作のこの『座頭市物語』では、原作版のエッセンスは「座頭市が飯岡助五郎の子分である」という点以外は、すべて生かされている。あの有名な台詞「やくざあな、御法度の裏街道を行く渡世だ、いわば天下の悪党だ」という原作版の台詞は、映画では「俺達やくざアは、御法度の裏街道を行く渡世だぜ、言わば天下の嫌われ者だ」というあの名台詞となって生かされている。

しかし、第二作『続・座頭市物語』、第三作『新・座頭市物語』に関してはまったくのオリジナル・ストーリーになっており、おまけにこの三作はすべて大塚氏のシナリオである。第二作『続・座頭市物語』では兄と刃を交え、第三作『新・座頭市物語』ではかつての居合の師と刃を交えるという、座頭市の原体験はすべて大塚氏が書いたものである以上、映画版『座頭市』の基本的なキャラクター設定はすべて大塚氏が決めたものであるということがよくわかる。

 したがって、映画『座頭市』を作る者は、大塚版座頭市(つまり勝新太郎版座頭市)の設定を勝手に変えてはマズいのじゃないかと思うのである。あるいは、変えるのであれば大塚版座頭市との距離感をキチンと出す必要があるのではないだろうか。その辺が香取版座頭市についての不満点だったのだが、この原作版と大塚版との距離感の作り方を見てみると、ますますその不満が高まってくる。それが「最後の座頭市」だから「THE LAST」なんてタイトルがつけられてしまうというのだから、子母沢寛も草葉の陰で泣いているのではないだろうか。

 で、解説を読んでいて吃驚したのは、会津若松市の浄光寺というお寺に座頭市の墓が実際にあるということだ。長岡の武家の「ご落胤」で阿部常右衛門という武士がおり、小さいころから文武両道をみっちり仕込まれたが、その後、盲目となって佐渡市=座頭市と称する座頭となり、初老になってから飯岡に流れ、やくざの群れに身を投じた人物だということである。そのお寺のホームページもあり、「座頭市の墓」の写真も載っている。

 原作にも後日談として「猪苗代湖の近くの小高い丘の辺りに住んだ」という記述もあり、その辺の話を元にして書かれたものである事は間違いない。

 映画版では茨城県の笠間市の生まれだということになっており、笠間市には「座頭市の碑」が建っている。ので、すっかり笠間市の出身という設定なのかと思っていたのだが。

 う~ん、一度「座頭市の墓」も見に行ってみたいものだ。

2010年8月10日 (火)

『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』と言われても、何も変わりません

 書かれている内容はごくふつうの夫婦の事柄であり、特別なことはない。ただし、特別なのは夫が日本国総理大臣であるということなのだ。

『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』(菅伸子著/幻冬舎新書/2010年7月20日刊)であるが、別に菅直人が総理になったからといって、何も変わることはないのだ。

 というか、まだ6月4日の民主党代表選から2ヶ月足らずで、その後は参議院選挙があったので、実質的な菅政権の仕事はまだ始まっておらず夏休み。仕事始めは秋になってからという状況である。いま、菅政権になって何かが変わったのか、と言えば、何も変わっていないというのが正解だ。おまけに、9月に予定されている次の代表選で負けてしまえば、「何もしなかった超短期政権」ということになってしまいそうだ。

 しかし、突然夫が首相になった専業主婦が今何を考えているのか、考えていないのかはよくわかる。まさに「まえがき」に書くように、「私が話したことをまとめてもらったものをベースに構成しています」というままの、「語り下ろし」本でありゴーストライターが書いた本であることはよくわかる。まあ、そうでもない限り、こんな早くに出版はできないだろうから。

 まさに菅伸子氏が「家庭内野党」というように、そうした「普通の主婦」の立場が語られている。しかし、そうした伸子氏の語る言葉のひとつひとつが、夫・直人氏の立場を鮮明に語る文章になっており、要は菅政権を支えるひとつの要件であることは間違いない。

「第四章 菅伸子の代表質問は、実は菅政権のキモかもしれない。最小不幸社会について、消費税について、食料品非課税について、子ども手当て、高校無償化について、高速道路無料化について、教育の地方分権について、普天間問題について、死刑について。それぞれ、主婦の立場からの提言をしている。

 ま、夫を守る主婦の本である以上、それは仕方のないことではあるけれども。これも、菅政権の一側面であるとして読むべき本だろう。

 それ以下でも、それ以上でもない。おまけに、今のうちに読んでおかなきゃ、間に合わないかもしれない。

2010年8月 9日 (月)

『電子書籍の衝撃』はあまり衝撃的ではないということ

 やはり読んどかなきゃ、と言う感じで読み始めた本である。まあ、取り敢えず、いまのところ一番良い「電子書籍関連書」というところでね。

『電子書籍の衝撃』(佐々木俊尚著/ディスカバー携書/2010年4月15日刊)である。しかし・・・しかし、なのである。佐々木さんはもう少し「先を見通している人」だとおもっていたのだけどなあ。

 つまり、タイトルに衝撃という言葉を使っているほどには衝撃的な内容ではない。それはなぜだろうか。「本はこれから電子ブックによってアンビエント化していくということです。そして、アンビエント化された本の世界では、古い既刊本も新刊も、あるいはアマチュアの書いた本もプロの書いた本も、すべてがフラットになっていきます」という書き方も何ら不思議はないし、「そういう(電子ブックが出現する)状況の中では、出版社の機能も大きく転換せざるを得ません。将来はいまのような出版社ビジネスは衰退し、三百六十度契約に基づいたエージェント的な役割の小さなチームが、書き手をサポートしていくような方向へと進んでいくのではないかと思われます」というのもその通りだろうし、「アンビエント化によって引き起こされるリパッケージは、コンテキストの流れる圏域にまでミニマル(最小)化される」というのも良く分かる。それらのことはまさに電子書籍の出現によって起こるであろうという、予想された出来事であるにすぎない。本に先行して音楽の世界で電子化が起きていた時の状況を敷衍して考えてみればよくわかることである。

 最後に佐々木氏はケータイ小説に言及するのだが、そこにいたってもなお隔靴掻痒の気味があるのだ。あるラブコメディで、あるところまで書きすすめた作者が一旦連載をストップして、掲示板でストーリーについてのアンケートをとって、その結果を反映しながら書きすすめた話を紹介し「ここで起きているのは、ケータイ小説の書き手はソーシャルメディア上で小説を書き進めていくことによって、そのソーシャルメディアに参加している読者たちのコンテキストをすくい上げ、それを固定化する作業を行なっているということなのです」といって、新しい電子ブックならではの小説の書かれ方を示すのだが、それは既に行なわれていることを紹介したにすぎない。

 ここでいまひとつ攻め足りないのは、例えば将来、電子化によって小説がどう変わるのかといった視点である。要は、これから「文章表現といものがデジタル化によってどう変わってくるのかという視点」がないのである。

 ここで、私の経験したデジタルな作業をお話したい。それはアニメーションの音響作業を今はすべてデジタルで行なうのだけれども、デジタルの作業になるとそれまでのアナログで行なっていた時のような「見切り」がなくなってしまうということなのだ。つまり、いくら作業を繰り返しても(理論上は)音が劣化しないデジタルでは、いつまでたっても仕事が終わらずに、延々と音響作業が行なわれている。プロデューサーが「いい加減にしろ」とでも言わない限りである。それはコンピュータグラフィックの作業でも同じくらしく、やはりクリエイターは延々とブラッシュアップ作業を行なっている。つまり、デジタルには終わりがないということなのである。それがアナログ表現とデジタル表現の最大の違いかもしれないのだ。

 つまり、これまでのデジタル小説の書き手は「読者たちのコンテキストをすくい上げ、それを固定化する作業を行なっている」のかもしれないが、これからのデジタル小説の書き手は「読者たちのコンテキストをすくい上げ、それにしたがって(あるいは反撥して)永久に文章を書き直し続ける」のである。書き手が自分で読んで「なんかちがうな」と思えば、そこで書き変えてしまう小説の出現(というか、そういうものを小説と呼んでいいものかどうか)である。

 永遠に終わらない小説。今日と明日では異なるストーリーになってしまう小説。そんなものが、出現するかもしれない。つまり、作品批評というものが役に立たなくなってしまう時代が来る。その時、初めて『電子書籍の衝撃』が訪れるのである。

 まるでこのブログのようだな。過去ログを見てください。最初と変わってきているのだよ。

 

2010年8月 8日 (日)

オススメの写真展が東京都写真美術館で開催中

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 以前も書いたけれど、石原慎太郎都知事の唯一の善政である恵比寿の東京都写真美術館で、収蔵展『ポートレイト写真の180年』の第2部『私を見て! ヌードのポートレイト』が開催中だ(10月3日まで)。

 第一部『侍と私 ポートレイトが語る初期写真』、第三部『20世紀の人間像 すべての写真はポートレイトである』(10月9日~12月5日)に挟まれた第二部は盛況であった。

 初期のダゲレオタイプの頃からあったヌード写真は次第に表現を獲得してきて、ポージングにも自由さが増してくる。しかし、最後まで(いまだに)規制を受けているのが「性器」であり、いまだに性器を写した写真の公開は我が国では許可されていない。その辺を主張しているのが鷹野隆大の作品で、その男性ヌードはちょうど性器のあたりで二つに分かれていて変な感じだ。

 その他、篠山紀信の「カルメン・マキ」、横須賀功光の「HAIR」、荒木経惟「センチメンタルな旅」、細江英公「薔薇刑」、沢渡朔「ナディア」などなど、懐かしい写真の数多くある中、戦前1932年に撮影された小関庄太郎「少女像」などは、当時まだヌードモデルなんていなかった時代なので、同じ高校生くらいの少女を使って何枚も撮影されているのだが、その少女の可愛さもあって、戦前という時代に撮影されたものとは到底思えない、大胆さだ。

 また、一番ホッとできるのがE.J.ベロックの「ストーリーヴィル ニューオリンズの赤線地帯」という一連の娼婦たちの写真であるのも面白い。とてもリラックスした写真で、何故か安心できるのだ。

 まあ、下半身にグッとくる写真はないけどね。

EPSON RD1s+Summilux 50mm (C)tsunoken

2010年8月 7日 (土)

高校生運動・学園闘争について本を出そうとしている小林哲夫氏に期待

 7/7の「『ニッポンの大学』改訂版を望む」で書いた小林哲夫氏に会った。ということで、小林氏の著書を紹介。

 で、なんで小林氏なのかということを少し。
 小林氏は現在、1960年代末の高校生運動・高校闘争のことを調べており、1/10の拙ブログ「ロスジェネはまだ甘い」を読んで、そこに私の高校時代の経験が書かれてあったことから、興味を持ったようなのだ。事前に小林氏が送ってきた資料によると1961年の逗子開成高校のストライキに始まる全国180の高校での学園闘争と245の高校生運動(集会・デモ等)の記録があり、私の出身高校のバリケード封鎖も載っていた。実際に私が私の時代の高校生運動として意識するのは1968年の紀元節粉砕全都高校生集会あたりからじゃないかと思うのだが。実はそれよりずっと前から高校の学園闘争というのがあったのだということに、少し驚いた。まあ、時代は動いていたのだな、とういうことである。
 そういえば『東大合格高校盛衰史』にも高校生運動に触れている部分もあった。
 ところで、小林氏はこうした高校生運動・高校の学園闘争について本にまとめてみようということなのだが、かなり苦労しているようだ。
 つまり、大学の学生運動や学園闘争と異なり、高校の学園闘争にはあまりセクトの影はなくて、どちらかというとノンセクトの勝手な盛り上がりというような側面が多い。ということは、あまり資料的に残っている物は少なく、おまけに既に40年からの時間が経過しており、当事者の記憶も薄れている。勿論、セクトのオルグなんてのもあったし、全都集会などのような大きな集会はセクトの指導がないとできなかっただろう。
 しかし、学内闘争になると、それぞれの学校の抱えている問題は異なるし、当時の高校生の気分としてはセクトの引き回しには嫌悪感を持っていた。何だそんな「前衛主義」は代々木共産党=民青と同じじゃないか、という気分である。
 おまけに、そうしたセクトの引き回しを嫌った高校生はそれなりに「お勉強」をしていて、マルクス、レーニン、トロツキーの本なんかも岩波文庫や大月文庫でかなり読んでいた。理解できたかどうかは別ですが。そんな小生意気な高校生に向かってセクトのオルグと言ったって、たかだか大学生になってはじめてマルクス、レーニンに出会ったような奴がオルグも出きるはずなく、ヘタすると高校生に論破されるような情けないオルグもいたのだ。まあ、大学生なんて言ったってそんなもんですよ。
 ということなので、あまりまとまった資料はない。しかし、意外だったのは高校の沿革史(「創立○○年史」というやつ)に史実としての学園闘争に触れているということだった。学校としては、あまり触れたくない部分ではなかったかと思うのだが、結構、闘争に対して真摯に向き合う執筆姿勢がある高校が少なくなかった、ということである。もしかすると、高校の先生方って案外真面目だったのかなあ。確かに、バリケード封鎖をしても警察の介入は少なかったしな。こうした真面目な先生を糾弾しちゃいけないね~なんてね。
 ともあれ、苦労を重ねる小林氏の本の出来上がるのが楽しみだ。小熊氏の「1968」nでの高校生運動・学園闘争についての記述にも少し残念な部分があったから尚更である。

2010年8月 6日 (金)

「セルフ・ブランディング」の時代なんですよ

『リストラなう!』のたぬきち氏が「成功者ファイル」として紹介されているので読んだ本であるが、たぬきち氏自身がブログで「注目を集めることに成功したけど、後はどうなんだ」と書くように、まさにその通り、Webの世界の中で注目を集めるのにはどうしたら良いかを、丁寧に描いた本である。

『ユーマネー(YOU MONEY)』(中村佑介著/講談社BIZ/2010年7月15日刊)

 Webの世界で如何にしてセルフ・ブランディングするかという佐々木俊尚氏も言うようなテーマを実際に自分で実現した中村佑介氏が、そのやり方を解説している。それも、Webならではの「Free(タダ)」でやろうというのである。Webの世界ではGoogleがそうであるように、とにかく情報を沢山集めた人が「勝ち」である。そこで如何にして情報を沢山集めるか、集めた情報を如何にして注目を集めるようにして開示するか、開示した情報を如何にして評価を高めるか、そしてそうした情報を如何にして「お金(リアル・マネー)」にするか、ということを自分の経験から述べているのだ。

 たしかに、中村氏はそのようにして起業しお金を稼いできた。学生時代から雑誌編集部で仕事をし、その後、大手出版社のマーケティング関係の編集者の仕事を経て、マーケティング・コンサルタントとして起業して、現在がある。この辺、1975年生まれの中村氏らしい生きただよな、という気がする。

 1975年生まれということは大学を卒業したのが97~98年頃、つまり失われた10年の中のまさに「就職氷河期」といわれた時期のビジネスマンである。つまり、このころから、日本のビジネスマンもそれまでの「一生この会社に勤めあげる」という時代じゃなくて「取り敢えず最初に勤める会社は自分のキャリアを作る為に必要な会社」であって、それは「一生勤めあげる」会社ではないという考え方に変わった時代である。

 しかしながら、そうは言っても、一度「サラリーマン」という安定した職種についてしまうと、そこに安住してしまいたくなるのが人間である。それほどまでに「安定」という言葉は人間にとっては「麻薬」である。なにしろ「先のことは考えなくてもいい」のだから。フリーだとそうはいかない。まさに明日の仕事(金の入金先)もどうなるかわからないという立場からしてみると、明日から自分はどういう仕事をしていけばいいのだろうか、ということが問題となるのだ。ライターでもいい、フォトグラファーでもいい、自分の「居場所」を作ってしまった人は問題ない。しかし、大半の「フリー」の連中はほとんどが「明日の食いぶち」を求めている賎民にすぎない。

 という状況の中で起業し成功した中村氏は良いだろう。しかし、この本を読んだところで、読んだ皆がうまく起業できるかどうかは分からない、というか殆どは失敗するだろうというのが、面白いところである。

 何故か、つまりそれは成功者の後追いをするってことは成功しないってことなんですよね。成功者は自分の成功譚を話すけど、それは成功者自身の経験であって、一般化されるものではない。成功者はその成功者だけができたやりかたでもって成功したのであります。

 そう、この本を読んで中村氏の書いていることをマンマ真似したって成功はしないのだ。それは中村氏の成功譚であって、読んだ読者の成功譚ではないのだ。

 ただし、大半の人はFree(タダ)のツールを使って遊んでるだけなのだ。ブログやツイッター、ミクシィ、フェイスブックなんかはすべてFree(タダ)なツールだだからこそ皆それを使って遊んでいるのだ。

 とは言うものの、そのツールはビジネスにいかすことも可能。ということで「Free(タダ)のツールを使って自己実現をはかる実用書」たる本書のような生き方もあるということだ。まあ、でも基本的に「Free(タダ)のツールを使ってセルフ・ブランディングをする」というのは私も大賛成。これからはまさに、セルフ・ブランディングの時代なんだろうな。

 

 

2010年8月 5日 (木)

元気なり若松孝二

 本当は『リストラなう』は今日の記事の予定だったのだが、記事のアップ設定を間違えてしまって、昨日の記事になってしまった。従って、昨日は記事が二本になってしまった。夏の特別セールみたいなもんで、まあいいか。

 と言うことで本日は

『若松孝二全発言』(若松孝二著/平沢剛編/河出書房新社/2010年7月20日刊)

 この時期の出版というのは、ベリリン国際映画祭で寺島しのぶが主演女優賞を獲った、映画『キャタピラー』(2010年8月14日公開予定http://www.wakamatsukoji.org/)の宣伝という意味もあるのだろう。そういえば、若松孝二とベルリン国際映画祭と言えば1965年『壁の中の秘事』の国辱映画事件以来いろいろいわくがあり、しかし、2008年には『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が最優秀アジア映画賞、国際芸術映画評論賞を授賞するなど、北野武とカンヌ映画祭のような「いい関係」があるのだ。もっとも、北野とカンヌの方は北野がカンヌに出したいという方向性で動いており、ベルリンの若松とは別のベクトルで動いたのだけど。つまり、1965年、日本映画連盟は大映作品「兵隊やくざ」他1作をベルリンのコンペティション部門への出品作として送ったのだけれども、二作とも落選し、映画祭のオルガナイザー側から『壁の中の秘事』を出品するように動いたのだ。若松プロダクションは映連メンバーではないし、映連はこのセレクションに抗議したのだが、オルガナイザーはそれを認めず、コンペに出してしまったのだ。それに対して、映連や新聞が「国辱」であると騒ぎ立てた、というのが真相。

 ちなみにこの年のベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリに相当する)はジャン=リュック・ゴダールの『アルファビル』であった。これはこれで『壁の中の秘事』と好対象の映画であると私なんかは思うのだろうが、どうだろうか。

 確かに、ベルリン映画祭の場合はオルガナイザーが出品作を選ぶようなシステムになっており、オルガナイザーのセレクション・ディレクターが世界中を回って作品を見て、出品作を選ぶようになっている。これは、『アキラ』がベルリン映画祭のヤングフォーラムに選ばれたときもそうだった。

 本の内容は、それこそ1965年の国辱映画事件から2010年の『キャタピラー』まで、いろいろのメディアでの若松氏の発言をまとめたものだ。

 しかしまあ、若松氏も若かったのかも知れないが、様々なメディアで国家権力に楯突くこと、楯突くこと。それを読むと60年代から70年代の「政治の季節」が思い出され、まるでアジビラのような映画評論を書いていた私の若い時代が思い出される。当初、「ピンク映画」と言う形で国家権力と対峙していた若松プロダクションは、足立正生氏の加入の頃から政治性を帯びだして、「性と政治」が若松プロの二大テーマになっていった。それは1971年の「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の発表とその上映隊=赤バス上映隊でピークに達した。

 勿論、当時(60年代後半の時期)はすべてが「政治」とのかかわりでとらえられていた時代である。まさに「性も性事」もの時代である。その当時、まさに「性と性事(政治)」を真正面から捉えていた若松プロは、日本映画戦線の最フォワードにいたということである。

 しかし、その頃から若松氏の筆致は穏やかなものになってくる。勿論、筆致が穏やかだからといって書かれている内容まで穏やかになってしまっているわけではない。国家権力への攻撃性は損なわれていないが、書き方が穏やかになってきているのである。まあ、内容は過激な分、書き方は穏やかなほうが戦略的には上であり、敵に対するダメージは大きい。若松氏が大人になったのか、あるいはしたたかになったのか。

 ところが、映画雑誌やパンフレットなどへの文章は私も当時見慣れていたはずなのだが、『河北新報』紙に書いた文章は今回の出版ではじめて読んだ。それを読むと、ますます穏やかな若松氏の文章に接することになる。母親のことを書いた文章なので穏やかにならざるをえなかったのか、あるいは乱暴息子も田舎に帰るとおとなしくなるのと同じように、穏やかにならざるを得ないのか。

 そこには新宿の酒場で見かけた若松氏がいる。

 この辺が面白い。

2010年8月 4日 (水)

リストラされるっていうのは、実は会社から「大人」になれって言われたことなんだぞ・・・よけいなお世話だけど

 やっぱり買いましたよ、たぬきちさんのブログ本。さすがにO羽にあるブックスO羽という書店では、地元(何の?)ということだけあって、平積みならぬ山積み状態で、みんなあのブログ読んでたんだなあ、という思いであります。

 ということで『リストラなう!』(綿貫智人著/新潮社/2010年7月30日刊)です。

 ただし、こういう本は難しいんだよな。基本的には「リストラに遭った人が書くブログ」であるから単純にその人を応援すればいいのだろうが、そのリストラをやった会社が私がよく知ってるというか、私が勤務する会社の子会社と言う関係で、その会社が近々ヤバイ事になるよと言う話もその前から聞いていたし・・・ということだしなあ。

 ただし、K文社がそうなることは前から分かっていたというか、基本的に今から40年近く前にあった「K文社闘争」(てなこと言ったら会社名分かっちゃうじゃない)の名残があって、いまだに組合が二つあるというような「ねじれ」状態にある会社なのだ。

 しかしそのブログに「親会社社員」というハンドルネームでコメントを載せたバカがいる。こいつの「上から目線」でのコメントには私も腹が立ってしょうがなかったが、そんなこと言っている間に「親会社」だって同じような状況に成り得るんだぜってこと、分からないのかねぇ。

 ともかく、たぬきちさんは自分の置かれている状況にに対してまっすぐに向かい合っている。そこが、文章として面白いところなのだ。「会社が自分を斬首した」という発想じゃなくて、「会社が応募した早期退職者に自分がエントリーした」という発想であり、それは「基本的には会社発想であるが、でも退職は自分で選んだ道なんだよね」という、かなり前向きなリストラ応募である。その辺が、コメントをもらうとちょっと崩れてきたり、いやいやもっと前向きよと言ってみたり、要はブログという「時間と一緒に進むメディア」ならではの面白さがある。

 コメントの方も、面白いのが最初は「ああ、リストラされちゃって大変」というような書きこみが多かったのが、途中でたぬきちさんがそれまでの年収とか割増退職金の話を書きこんだら途端に、「トンデモねえ高給取りが」というような妬みまじりの書き込みや、「だから大手出版社は・・・」といったような批判的な書きこみが多くなり炎上したのだが、最後は「まあ、頑張ってね」という普通の反応になったという、コメントの変遷が面白い。結局、ネット世界の人々も普通の人々と変わらない意識や心持というものを持っているのだな。もうちょっとネット世界の住民って、妙に近視眼で(必要以上に)過激な奴が多いんじゃないかと思っていたのだが。まあ、少しは日本のネットメディアに安心したというところである。

 たぬきちさんが、今後フリーライターの道を歩むのか、はたまたJAVAだかPerlだかの技術をもってIT企業に再就職するのかは分からない。

 しかし、こうやって出版業界は「たまたま出た才能を使い尽くしておしまいにする業界」だな、ということがよくわかる。だって『電車男』の作者(っていうか投稿者)がどうなったかは誰も知らないでしょ。でも、『電車男』の本は100万部以上売れて、テレビにも映画にもなったのである。でも、出版業界はその書き手にはまったく注目せずに、たった一作だけの徒花として終わりにしてしまったのである。他の、例えば芸能業界だったら一度売れたタレントはどうやったらその後まで売れるのかを徹底的に追及するだろうけどね。要は、売れるまでに業界で費やした「お金」をいかにして回収するかということ。とすれば『電車男』にはコンテンツ側(要は出版社)も金がかかっていない作品なので、一回稼いだらもうどうでもいい、という発想なのだろう。

 まあ、こんなことを続けている出版業界から早いところ足を洗ったたぬきちさんはOKである。まあ、フリーでもいいし(その為には出版業界との付き合いが続きますがね)、別の業界に行くのもいいし、ある意味では「うらやましい」存在なのであります。

 私の会社でこうした退職割増金、選択定年制なんてものが適用されたら、すぐに応募しちゃうんだけどね。

 しかし、こうした「横書き、改行後書き出し一字下げなし」というのが、ブログ本のデフォルトにいまやなっているのだろうか。まあ、それで読み難いというわけではないのだけれども。

「ネットがあれば履歴書はいらない」ひとはごく一部である、ということ

 いまやネットのブログやツイッターが履歴書代わりというか、考え方を見せる道具になったということなのだな。問題は、そこに書かれたものと本人の「差異」である。そんなに、自分を正直に書く奴なんていないのさ。

『ネットがあれば履歴書はいらない』(佐々木俊尚著/宝島新書/2010年1月23日刊)

 ブログの大半は自分の日々の生活を綴ったもののようだ。何か、テーマを絞って書いているわけではない。だとしたら、そんなものを他人が読んで面白がられるわけはないだろう。何か、テーマを持って書いているブログであれば、それはそれで読まれるブログになっていけるであろう。つまり、それはエッセイ集が人から読まれるエッセイ集になるのか、そうじゃないかという違いなのだ。

 そして、人から読まれるようなブログを書いている人たちが、初めて『ネットがあれば履歴書はいらない』と言えるのだ。

 そういうひとたちが、それから先のソーシャルメディア等々を使って、如何にして自分をセルフ・プロデュースしていくかを語ったのが本書である。言ってみれば、それは「ネット・エリート」の世界観かもしれない。

 いまや、ネット・リテラシーを持っている人たちの中でも、エリート層とそうじゃない層ができつつあるのかも知れない。

 つまり、それは「才能」の問題ですね。「人から読まれるようなブログを書く才能」です。佐々木氏はやはりそういう意味では才能があった人なのだ。儲かっていなくて才能を(結果として)輩出した毎日新聞からアスキーに異動して、そうなればほとんどフリーみたいな活動だから、そうしてフリーランサーとしての活動の中から得た結果が、この本に書いてある内容である。元々、佐々木氏にあった「フリー志向」といったようなものがあるのかもしれない。

 同じ、毎日新聞の記者上がりで佐々木氏のようにはメディアで活躍していない人たちを知っているだけにこの辺は複雑だ。メディアで活躍していなくても、地域社会の中で活動している人たちもいるわけで、メディアで活躍するだけが本来じゃないいけどね。

 まさに「ネットがあれば履歴書はいらない」のだが、それは一部の才能ある人のものではないのか、というのが(そんなに才能があるとも思えない)私の感想なのだ。

 う~む、難しいな。

 

2010年8月 3日 (火)

代々木と代々木と反代々木でマルクスを語るとどうなるか

 バリバリの日本共産党員であるかもがわ出版の編集者・松竹伸幸氏がマルクス経済学者の石川康宏氏とマルクス主義者ではないが左翼の内田樹氏を巻き込んで、高校生にマルクスってこんなに面白いよ、と薦めるのが本書である。

『若者よ、マルクスを読もう』(内田樹・石川康宏著/かもがわ出版/2010年6月20日刊)

 基本的には、石川氏がマルクス書についての「高校生にも分かり易い」解説とコメンタリーを書き、それに対して内田氏が同じマルクス書の内の面白い一節を引き出して「ほら、こんなに面白いでしょう」と書く、往復書簡集なのだ。

 紹介するマルクス書は『共産党宣言』『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』の5作。基本的には、マルクスがまだ哲学者だった頃の作品で、経済学者マルクスにいたる時代の前に書かれたものだ。経済学者としてのマルクスにはいろいろ問題もあるが、哲学者としてのマルクスにはまったく賛成だ。

 いずれも私が高校生のときに読んだ本である。なにしろ、当時はこのぐらい読んでないと「お友だち」とお話しできなかった時代なのだった。とにかく、内容もわからずに、でも一生懸命読んでいたのだった。そして、『資本論』になって遂に挫折。『資本論』は第1巻までしか読んでいない。しかし、大学に進んで「経済原論」でマルクス経済を選んだら、内容はまんま『資本論』の第1巻、学んだことは既に読んでいたことばかりで、なんとまあ大学の授業ってレベルの低いことをやっているんだろう、という感想をもち、以降、マルクス経済学からは離れてしまった。

 しかし、マルクスはまだ難解だ。この本を読んだからといって「マルクスが高校生にも読みやすく」なったり「やあ、マルクスって面白いなあ」ということには、なかなかなりそうもない。マルクス入門書というのもいろいろあるのだが、基本的にはマルクス経済学者、マルクス哲学者の力の限界なのだろうか、なかなか「読みやすいマルクス入門書」というのはない。この本もやはり限界があり、石川氏の解説やコメンタリーも「いまどきの漫画しか読まない高校生」にはちょっと難しいかもしれない。マルクス・ブラザースじゃないからね。

 でも、いまどき時代錯誤のように「マルクスを読め!」というのも面白い。というか、ソビエト連邦の体制が崩壊した今だからこそ、純粋にマルクスを読める時代がきているのだが、時代はマルクスには裏向きだ。

 更に面白いのは、代々木系の御用学者・石川康宏氏と、元反代々木の内田樹氏が、たまたま同じ神戸女学院大学の文学部の同僚だというだけで、あるいは年一回やっている「極楽スキー」(詳しくは本書で)の元幹事と現幹事という関係だけで、マルクスについて語るということである。代々木と反代々木という本来は犬猿の仲のようであるが、同じ大学の同僚というのはそうでもないのであろうか。まあ、普段からのつきあいがあってのことなのだろうが、本来はこうしたことはあっても良いことなのである。

 これが東大の教授同士だとこうはいかない。結局は喧嘩になってしまうのだ。う~ん、この辺は「関西」だなあ。

 

2010年8月 2日 (月)

外人力士は現代のマレビトである

 ガイジン力士の活躍というのは、相撲の歴史から考えて当然のことなのかも知れない。

『相撲の歴史』(新田一郎著/講談社学術文庫/2010年7月12日刊)

 本書の親本は1994年6月に山川出版社から刊行された著者最初の著書である。しかし、新田氏の本業は東大教授で日本法制史が専攻である。ただし、同時に東大相撲部の部長も務めており、まあ趣味の本なのであります。趣味の本が専門の本より先に出ちゃうというところが、いかにも趣味の本の趣味の本らしいところなのだが。趣味のほうが楽しいからね。

 さておき、そうは言っても実に真面目な本である。そうした真面目な本をネタに茶化しちゃおうというのだが・・・。

「相撲の起源」は日本神話の時代まで遡って伝えられる。つまり、「『遠来のマレビトが土地の悪しき精霊を鎮める』という民間信仰のモチーフを『相撲』(力くらべ)を媒介にいわば換骨奪胎し、外来者による征服=天皇支配の由緒を語る説話として再構成した」という『古事記』の書き方。あるい野見宿禰(ノミノスクネ)と当麻蹴速(タイマノケハヤ)の「力くらべ」の逸話が記されている『日本書紀』の書き方。等々、あたかも相撲が日本の「国技」であることを裏付けたいが為の書き方があるのだが、しかし、これをもって相撲が日本の国技であるという証拠にはならない。単に、日本各地にある「マレビト神話」にすぎないのだが、そのひとつをもって天皇支配の正当性を主張しているにすぎない。

 当然、当時の「相撲」は現在の土俵上で行われる「格闘技」ではなく、単なる「力くらべ」として、世界中のどこにも見られる「格闘技」の原型でしかないし、現在「国技」と言われているのは、明治42年(1909年)に相撲の常設館が本所元町に建設されたときにそこを「国技館」と名づけたからにすぎない。

 現在に繋がる「相撲」の歴史でいえば、それは中世に始まった「勧進相撲」が近世にいたって「営利勧進大相撲」という変形を受けたことによるものだそうだ。江戸時代は江戸・京都・大坂(大阪)の三都市における大相撲興行がはやった時期であるが、面白いのは「江戸の年寄は、輪番で勧進元と差添えを務め、勧進相撲興行の責任者となった。~京都の頭取も江戸の年寄とほぼ同様であったが、特に大坂の場合は侠客などが頭取に加わることも少なくなかったようである。これら年寄・頭取たちによって、四季勧進大相撲の興行が組織されたのであった」ということ。さらに、いまのプロレス興行などと同様、地元の相撲取が善玉、よそ者が悪玉となって、当然、善玉に花を持たせるような取り組みが行われていた点。「観客も、必ずしも真剣勝負を期待するのでなく、そうした周辺の事情を承知のうえで、土俵上のストーリーを『芸』として楽しんでいた」ということ。等々から、「ヤクザが興行にからんでいた相撲」を「相撲=八百長」説を充分わかっていながら楽しんでいたのである。

 つまり、現在までに繋がる興行形態が、実は昔から続いていたのである。ヤクザがらみの八百長相撲というのは実に現在相撲の伝統なのである。日本相撲協会も「ヤクザが絡もうが、八百長があろうが、そんなものは日本の相撲の伝統なのだ」と開き直ってはどうだろうか? もっとも、そんなこと言っちゃうと、非営利法人格を失ってしまうけどね。まあ、相撲協会は儲かっているのだからいいんじゃない。

 で、最初の話に戻る。

 大相撲(プロの相撲)は大メジャーであるが、例えば学生相撲(アマチュア相撲)は、実は超マイナースポーツでしかない。日本学生相撲連盟に加盟している大学の数はたかだか40そこそこだし、全国学生相撲選手権大会に出場する選手の数は300人足らずである。こんなのはアメリカンフットボール以下のマイナーぶりである。ラクロスとどっこいどっこいかな。従って、他のスポーツと異なり、学生相撲がプロ相撲の選手(力士)輩出母体ではない。勿論、学生相撲出身の強い力士はいるけれども、それはメジャーにはならないのだ。おまけに、学生以下の部分でも、相撲人口は少なくなっている。

 それを助けているのが、ちょっと前はハワイ出身の相撲取であり、現在はモンゴルや東ヨーロッパの力士である。そうなのである、彼らは「遠来のマレビト」なのである。ハワイ人やモンゴル人やグルジア人やロシア人たちは「現代のマレビト」であり、そうした人たちが日本の弱い相撲取(悪い精霊)をやっつけて、天皇のために尽くすのである。

 美しいではないか。

2010年8月 1日 (日)

『SCHOOL GIRL COMPLEX』は「植物図鑑」か?

 まるで中平卓馬の言う「植物図鑑」のような写真集である。真四角な装丁に真四角な、女子高生(らしき)モデルのパーツが156枚載っている。すべて顔は見えない。

『SCHOOL GIRL COMPLEX』(青山裕企著/イースト・プレス/2010年7月23日刊)

 顔という意匠を消した女子高生(らしき)モデルの足、ブラウスの脇から少しだけ見える素肌、腿、体育着、スクール水着、フワッと舞い上がるスカート、背中・・・。エロチック? というにはエロチックではない。しかし少しだけ感じる「性」の匂い。つまりそれは「女子高生(らしき)」という記号を持つ少女たちの、少女から大人になる過程における「意匠」なのだ。

 ここで、この写真集は突然「植物図鑑」ではなくなってしまう。まさに「植物図鑑」のようにして撮られているにもかかわらず、ひとりひとりの「おんな」性を感じてしまうのは私だけだろうか?

 まだまだ、完成された女になっていない生き物にもかかわらず、「女子高生(らしき)」という存在は、半分「女」というだけで「おんな」になってしまう。「おんな」になってしまった以上は、それは如何に匿名のうちに撮影されたものであっても、匿名性はなくなってしまい、まさしく「おんな」としてそこに立っている。

 下着が見えそうで見えないギリギリの写真に、本人は意識していないであろうエロチックな仕草の写真に、別にエロチックなパーツでないはずの体の一部分が、しかし実にエロチックな感覚に囚われるのは、やはり、撮られた本人たちは実は十分に「性」を意識した、エロチックな存在だからなのか。

 女性の人生で一番の「華」である時期の「女子高生」。やはり、彼女たちは十分以上に自分を意識している存在であるという証拠なのであろう。

 同じ写真家の前作『ソラリーマン』(ピエブックス/2010年2月刊)が、全員顔出し、おまけにみんな全員ジャンプという、「いかにも」な設定で撮影されているにもかかわらず、実はそれは「サラリーマン」という匿名性の中にみんな沈んでいるのとまったく好対象と言ってよい。

 

 

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