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2010年7月15日 (木)

スラヴォイ・ジジェクの近著(ちくま新書)はなかなか刺激的だ

『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』(スラヴォイ・ジジェク著/栗原百代訳/ちくま新書/2010年7月10日刊)

 副題の(原書では原題の)「はじめは悲劇として、二度目は笑劇として」というのは、あまりにも衝撃的な「知能テスト」である。この言葉から反コミュニズムの常套句しか頭に浮かばなかったら、この本を読む意味は無い、というのが実は第一の試験。それをジジェクが書くように「2001年の9・11同時多発テロと、2008年の金融大崩壊である」というそのままの意味でとった読者は、そこで再び知能テストで落第し、「あなたには、ここで本を閉じられるよう衷心からご忠告申し上げ」られてしまうのだ。

 この「はじめは悲劇として、二度目は笑劇として」という言葉は、勿論マルクスが『ブリューメル18日』で書いた<ヘーゲルはどこかで、世界史上の大事件と大人物はすべて、いわば二度現れると述べている。ただし、彼はこうつけ加えるのを忘れた――はじめは悲劇として、二度目は笑劇として>ということからきている。しかし、マルクスがその言葉をドイツの旧体制の衰退と、フランスのアンシャンレジーム(旧体制)の崩壊になぞらえて書いたのと異なり、ジジェクはその歴史の繰り返しを人類の歴史全体に敷衍する。つまり、人類の歴史は、それ自体が繰り返しであり、それ自体が悲劇と笑劇の繰り返しであると。

 本書でコミュニズムに対して共産主義という訳語を使っていないのは、翻訳者の深謀遠慮なのだろうか。つまり、政治・経済体制として一般に認められている「共産主義」という言葉を使ってしまうと、それは1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される、「いわゆるソ連型共産主義」と同義にとられかねないからなのだ。「スターリンという政治家が作ったソ連型共産主義」が本来の共産主義=マルクスのコミュニズムとはまったく別物であることは、いまや常識である。共産主義というのは「固定化した思想」ではないし、「固定化した政治体制」のことでもないし「固定化した経済体制」のことでもない。それは、「常に変化する思想運動」のことだし、「常に変化する政治運動」のことだし、「常に変化する経済運動」のことなのだ。しかし、多くのアンチ・コミュニストにとってはそれらはまったく同義であり、ここで共産主義と翻訳してしまうと、多くの読者からそうした「共産主義」のことをジジェクが示しているものととられかねないからの措置であろう。

 では本書でジジェクが言っている「コミュニズム」とは何であるか。多くの生産財がマルクスの時代のような「資本家の所有物」ではなくなり、「社会財」としてコモンズ化している現代にあっては「キャピタリズムvsコミュニズム」という対立軸はなくなっているのではないか。つまりジジェクは書く<ネグリ的見解では、今日のグローバルな双方向メディアにおける独創的な発明はもはや個人のものではなく、直接に集団化され「コモンズ」の一部となっているので、著作権を主張してもその発明を私有化しようとすると問題が生じる。「所有とは盗みである」という言葉は、ここに来ていよいよ文字どおりの意味になってきているのだ>と。

 つまり、ここにきて一昨日に私が書いたとおりに、「デジタル時代とはコミュニズムの時代である」ということが、ジジェクも同じように考えていることがわかった。「総資本対総労働」という対立軸は既に無いかわりに、いつしかデジタル革命の裏側で「資本主義の共産主義化」がしっかり進行しているわけだ。

 勿論、そんな思想革命だけでは社会は変わらないだろう。しかし、資本主義の要請によって共産主義化が進められているのいうのは面白い現象ではないか。こうして世の中は「見えざる革命」によって共産主義化し、いつしか社会・政治・経済も変わってくるに違いない。そんな時代に生きている我々にとっては、世の中のありようがまるで映画を見ているように面白い展開になってきている。

 まるで、ジジェクの好きなハリウッド映画のような展開だ。

 

 

 

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