フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 牛の角突きビデオ版 | トップページ | やった、新城ステージ3位! »

2010年5月13日 (木)

第三信号系・・・・って何ですか? 島尾さん

 島尾伸三という名の写真家は何となくもっとずっと年上の作家だと思っていた。しかし、島尾敏雄の息子であり、漫画家しまおまほのお父さんだと知って、ああそうかその位の年齢かと1948年生まれということに気づいたのである。

 テキストは『ひかりの引き出し』(青土社/1999年10月5日刊)である。島尾氏が20~30年ほどかけて書いてきたいろいろな短文を集めて編集されたこの本で、いくつか気になる言葉が書いてあるのだが、その一つが「第三信号系」という言葉である。この島尾氏の言う「第三信号系」という言葉が、よくわからない。よくある「電波系」というのとは違うようなのだが、似たようなもののような使い方もしているようで、写真を語るのにそうした「不思議系」の言葉が必要なのだろうか。

 まず、石川文洋氏の『報道カメラマン』(朝日文庫)について<収録された写真は極めて社会性の高いものだが、それらも又、深い所では第三信号系にこだまする様に撮影されています>となり、また<しかし、その写真表現の先端には、この『PHYRO・PHOTOGRAPHS ANNUAL』の登場に見る様に、私の様な「写真」という病原菌に目と脳を侵された病人の、目の欲望と第三信号系の神経を刺激して止まない過激なものが、次々と登場する気配に満ちています>となる。また、「バベルの塔以前の言葉」の問題として、<撮影印画したプリントを眺めて、私の第三信号系が統辞していく第三の現実も、また手の届かぬ夢のようにして信号系の世界で展開され、これまた他の現実と混同しながら記憶してしまっているようなのです>とか、<存在して事実をどう規定または測量し、世界をいかに理解するかは、第三信号系の所有者が自己のパルスを作動させ、その偶有する信号系の成す所によって理解すべきものである事を先ず当然としなければ、この宴会(パーティー)の享楽的(セクシイ)な享受者とは成りにくかったのではないでしょうか>と展開し、最終的には田中長徳氏の『ウィーン1973-80』という写真展に絡めて<会話やその時の態度から察することの出来る事よりも、それらの印画(プリント)には彼の本質的な部分と仕草が透過(ドウローイング)されていて、非常に健全(ノーマル)な精神の、私の知る写真家の中では最も落ち着きを備えた第三信号系を持つ人だと思わされ、思い切った話も出きる数少ない人ではないかと思っています>と結論づける。

 しかし、島尾氏からそのように称揚される田中長徳氏の著書の中でこの「第三信号系」なる言葉はまったく私の記憶にはないのだ。あわててWEBで調べてみると、田中氏の『PEN PEN チートクカメラ日記』(2010年2月24日付け)の中に、多分田中氏を称して<現代の日本でおそらく最も知的な写真家の一人で、かつ長年のヨーロッパ生活などで磨かれた抜群のユーモアのセンスを備えており、本分の仕事でも数少ない第三信号系のカメラアイを備えたシリアスなフォトグラファーである>と書かれた引用のあとで田中氏自身が<要するに「第三信号系カメラアイ」などはこの世界に存在しないのだ>と書き、その少し後で<ただ一度、島尾まほさんの父上と豪徳寺のお宅でそんな「第三信号系」の話をした記憶はあるが、それは酒の席の座興なのである>と締めている。

 田中氏はモーリス・メルロ=ポンティの『眼と精神』なんかを持ち出しているが、メルロ=ポンティが「第三信号系」なんて書いていたのは読んだことはないし、メルロ=ポンティならむしろ「写真を写すものと写されるものの両義性」という、彼本来の主題の方に持っていくだろう。この、「写すものと写されるものの両義性」というものが「第三信号系」というのならば、先の『ひかりの引き出し』の中の「第三信号系」のいくつかは、まったくそれには当たらない。例えば、石川文洋氏の『報道カメラマン』に収録された写真は、そのほとんどが「報道」という「目的」の為に撮影された写真であり、「写すものと写されるもの」の関係論でいえば完全に「写す側」の特権性による写真なのである。

 多分、島尾氏の言う「第三信号系」というのは、メルロ=ポンティの言う「両義的な写真」(そういうものがあるかどうかはわからないが)、「深い意味性を持って写真を観る人に迫る」ことのない写真、というものを指しているのではないか。であるならば、田中長徳氏の『ウィーン1973-80』を称揚する意味もそこにはある。あるいは、「何を撮ろうとしているのか、その意味性を拒否するかのようなコンテンポラリー・フォト」についての評価も同じであろう。

 写真が芸術であるのかどうか、写真はプロパガンダであるのかどうか、写真表現とは何なのか、などは実はどうでもよいことなのである。写真は写真でしかないし、写真であることで成立する表現形式なのだ。

 写真が、写真以外の芸術だったり、プロパガンダだったり、を目指さない。写真が、ドキュメンタリーなのか、広告なのか、創作なのか、偽ドキュメンタリーなのか、等々、そんなことはどうでもよい。写真は写真でしかない、あるがままの写ったものという考え方が島尾氏の言う「第三信号系のカメラアイ」と言うならば、私にも理解できるのだが・・・。

 

« 牛の角突きビデオ版 | トップページ | やった、新城ステージ3位! »

写真・本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/48348987

この記事へのトラックバック一覧です: 第三信号系・・・・って何ですか? 島尾さん:

« 牛の角突きビデオ版 | トップページ | やった、新城ステージ3位! »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?