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2010年5月

2010年5月30日 (日)

iPadで『もしドラ』(笑)を読む

 一昨日、我が家にやってきたiPad。ゲームなんかには興味がない私としては「電子書籍が読めるタブレットコンピュータ」であるiPad。ただし、コンピュータとしてはキータッチがスクリーン上なので少々やりづらい。やはり、専用のキーボードが必要になるのかもしれないが、だったら初めからノートPCを買えばいいのだし、かといってPDAとしては大きすぎるし、やはりタブレットコンピュータというのは中途半端な存在なのだろうか。

 ということで、購入理由としてはやはり「電子ブックリーダー付きタブレットコンピュータ」であり、その観点からのみの感想になる。それ以外の使い勝手についてはいずれまた。

 で、iPadで何を読むか・・・・・・・・・、と言ったってまだi book storeも立ちあがっていない状態では、アプリとして講談社が出した京極夏彦『死ねばいいのに』位しかない。ということで、実はこれまで読むことを我慢してきた本(笑)があるので、それを読むことにした。

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏彦著/ダイヤモンド社/2010年5月28日iPhone版ver.1.2.1発行)である。5月28日発行なのにiPhone版であるということは、私にとってのiPad最初の書籍購読体験はiPhone、つまり「iPadはでっかいiPhone」ということにすぎないものなのだ。事実、WiFi版のiPadでは大きなiPhoneというほどの使い勝手もないし、パソコンとつなげばネットも大丈夫だが、iPad単独ではまだあまり使い勝手はよくない。まあ、これからいろいろ使ってみてからということ。

 しかし、なんで『もしドラ』(笑)なのだろう。同じダイアモンド社からは「本当の」ドラッカー本がやはりiPhone版で出ているし、それ以外にもいろいろビジネス関係の本も出ている。が、しかしビジネス書はあまり興味はないし、さりとてドラッカー本ではちょっとヘビーだし、ということで『もしドラ』(笑)なのである。で、なんでいちいち(笑)なのか。う~ん、要は「笑っちゃうような話」なのであります。

 普通の都立高校の野球部の女子マネージャーが何の間違いかドラッカーの『マネジメント』を読んでしまい、どうせ読んだのならそこに書かれていることを実践してみたら、本当に彼女の当初の目的「甲子園に出る」を西東京地区で実現してしまった。というお話は本当に(笑)でしょう? 強豪校ばかりの西東京で、フィジカルにも劣る都立高校生が、経営学の理論武装をしたマネージャーのおかげで、1年で強くなって甲子園に出ちゃうのである。まあ、これがベスト16位までの進出だと、そこそこリアリティのある話になるのであるが、いくらなんでも代表に選ばれるのというのは「夢のようなお話」以前の問題である。

 が、しかし、そこは小説でありまして、夢にもあり得ない話であってもそれが実現することを書いてはいけないなんてことは無いわけで、小説としては「あり」の話でよい。これがベストセラーになった理由は「高校女子マネージャー」という「萌え要素」と「ドラッカー」という本来ありえない出会いを、最初はちょっと無理がなくはないが、実現したところだろう。実際、筆者はAKB48のプロデューサーの一人であり、「萌え」部分ではプロである。そして、その本を読んだ「おじさん」達に、ドラッカーの本の「肝」だけを読ませてその気にさせたことが、書き手の「勝ちパターン」ですね。重要な立場にいたマネージャーが入院患者であり、それが最後には野球部の「甲子園出場」という悲願を目にすることなく死んでしまう、というお約束のストーリー。おまけにそのマネージャーの病名すら明らかにされない。要は、病名は何でもよいのだろう。つまり、彼女は「病院にいて選手の練習状況なども知らない純粋に経営学の一部でしかない」立場にいて「最後は結果を目にすることなく亡くなってしまう」という典型的な悲劇のヒロインなのだ。

 という、とっても笑えちゃう話なのでマトモな本では読む気がしない。ということで、iPadが出たらiPad用の本として読んでみようかなと思っていたのだ。しかし、この程度の作品がベストセラーになってしまうというのは、「おじさん」達って、普段からまともな本を読んでないってことですね。

 なお、ページめくりの際のパラパラって感じは、単なるギミックですね。かえって邪魔。どうせ「パソコン」上で読む本なのだから、普通にスクロールすればよいのである。そういう意味では『死ねばいいのに』の方が普通のパソコンらしいめくり方で良いのだが、それでも「めくる」というような動作が邪魔だ。それをいかにも「面白い」という紹介をしてきたテレビの連中やらブログの連中は、いかにも「コンピュータも本も知らない」連中だ。電子書籍が面白いかどうかはもっと別のところの問題でしょ。

12/13のブログ『普天間位基地が静岡に移転?』についたコメントについて

 12/13の拙ブログ『普天間基地が静岡に移転?』について「通りすがり」さんからコメントがついた。つまり、私が「静岡には米軍基地が一つもないんだから・・・」という部分にかみついた訳だが、要は「一つぐらいって静岡には米軍基地はあります。。。知らないで書いたんですか?」というコメントである。

 これは「通りすがり」さんだけではなく、人の発言に反論する人々すべてに言わなければならないのだが、、反論するならするだけの根拠を示さなければならないのである。それが論争のエチケットであるし、マナーでもあるし、さらに言えば、反論したつもりが再反論されておしまい、ってなことになてしまうのである。

 ということで「通りすがり」さんに再反論。まず、何をいまさら12/13という半年も前の発言に対する批判をするのだろうか? という点がある。反論するにはタイミングというものがある。発言があってすぐさまの反論なら聞く気はあるが、半年もたってからの反論では、まず「何を言っている」のか良くわからないという点がある。「コメントがつきました」というメールがniftyから来たけれど、何のことやら初めは分からなかった。読んでみて初めて論点がわかるようでは初めから喧嘩にならないので、その辺よろしくお願いします。

 なにしろ、人をぶん殴ってから半年も後になってから仕返しにぶん殴られても、それはストーカーの犯罪と変わりはない。殴り返すのなら殴った人間が覚えているうちに、ね。

 で、肝心の「一つぐらいって静岡には米軍基地はあります」という部分についての反論。「通りすがり」さんは、私がそんな簡単なこと調べないで書いていると思っているのかね。じゃあ、静岡に「米軍基地」(Base)があるのなら何処にあるのか示して見よ。静岡には海兵訓練所とか米軍の立ち寄り場所はあるのだが、基地(Base)は無いのであります。私は「米軍関係施設はない」とは書かないで「米軍基地はない」と書いたのである。米軍関係施設はある、しかし、基地は、つまりBaseは無いのであります。そんなことくらいWikipediaでチョイチョイと調べりゃすぐわかるのだ。

 その位調べてから人のことを批判しろよ。「通りすがり」さんよ。

 

2010年5月28日 (金)

「ダダ漏れ民主主義」についてもう少し書かないと・・・

『週刊現代』の連載コラム『なんなんだこの空気は――メディア考現学』をもとに、5月28日のiPad発売に間に合わせるべく書き改めたのがこの本『ダダ漏れ民主主義』(日垣隆著/講談社/2010年5月27日刊)である。

「ダダ漏れ」とは何か。ご存知の通り、Twitterを使った当事者あるいは随伴者による「事件や起こっていること」をただダラダラと漏れ伝えてしまう、という単に容赦もない報道(と言うほどの姿勢もないのだけれども)の方法である。つまり、これまでの(例えば記者会などの)エスタブリッシュな報道の在り方ではなくて、そうしたものにないインフォーマルな報道の在り方が実は民主主義を正当に成立させるという、新しい発想方法がこれからの社会を作っていくのではないかという考え方である。まあ、情報には「ウソ」もふくまれているけれどもね。

 しかし、そのタイトル通りの「ダダ漏れ民主主義」について触れているのはこの本の冒頭部分のみであって、そこ以外はあまりまとまりがなく現在のITメディア状況についてああでもないこうでもない、が書かれている。『週刊現代』の連載コラムの方が、その週その週ごとにテーマを決めて書いてあるので読みやすく、まとまっているのに比較して、この本のまとまりのなさは何だろう。いかにも、iPadの発売に間に合わせるように急造した感が否めない内容の本である。

『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫)や『「松代大本営」の真実』(講談社現代新書)などのような硬派のドキュメンタリーをモノにするする際の日垣氏の執筆姿勢には、さすがに「モノ書き」としての調査方法など感心させられる部分はあるのだが、一転、メディア論的な本になるとかなり「書き飛ばし」の感がある。まあ、その位に「書き飛ばさないと」現在のメディア状況の急変には対応できないというところかもしれない。しかし、その分「浅いなあ」という印象ももたれてしまうのだ。

 ただし、この本で面白いのは第2章の「読書会」の話である。

 我々世代(1951年生まれ)で読書会というと、高校生の時の新左翼の大学生のお兄さんたちがやっていたマルクス関係の書物の読書会が思い出される。要は、そんなの読書会じゃなくて「この本はこう読め」という「押しつけ」にすぎないのだけれども、ときたま大学生よりもそんな本をよく読みこんでいる高校生の方が反論をしたりして、大学生の連中も所詮は大学に入ってからマルクスを初めて読んだような浅知恵しかないような連中なので、高校生に論破されてしまうようなスリリングなシーンがよく見られたのである。所詮は大学に入って初めてマルクスを読むような田舎大学生が、早熟な都会の高校生に勝てるわけはないのでありました。

 しかし、そういう読書会じゃなくて、本当にいろいろな本を読む読書会を日垣氏がやっているのだ。まったくボランティアでよくそんなことをやるもんだという印象もあるが、そういう機会でもないと古典を読むなんてことはないだろうから、それはそれで少しでも「読者」を増やすことにつながるということでは意味のあることだろう。そんなことをして少しでも古典の絶版がなくなれば・・・というところだろか、って古典なら「青空文庫」があるか。ただし、そんなこんなで「本読み」が増えることは出版社にいる人間としてはありがたいと言うべきなのだろうか。

 おわりに、日垣氏は本書の「あとがき」に<本書も、賞味期限は少なくともニ○年はある――。>と書くが・・・多分この内容だと・・・1年後には絶版かな。

 というところで、我が家にもiPadが来て、今充電中です。さて、どう使おうかな。

2010年5月26日 (水)

戦時の坂本龍馬、平時の岩崎弥太郎

 岩崎弥太郎というとどうしても香川照之の顔が浮かんでくる。まあ、いまNHKで『龍馬伝』を放送している最中であり、その中で龍馬のライバルで物語の語り部になっているのが岩崎弥太郎であれば仕方がない。しかし、安芸の在の弥太郎と高知の龍馬が幼馴染だったという設定はどんなもんだろう。大体、安芸と高知では約40kmもあり、大人ならまだしも子供の時から二人が知り合いだったというのはどうにも無理がある。おまけに、三菱関係者からクレームがついたという弥太郎幼き頃の「汚さ」も「やりすぎ」か?

 多分、NHKの企画者は龍馬の<亀山社中―海援隊>の遺志を継ぐものとして岩崎弥太郎を考えていて、そのために幼いころからの龍馬について語らせたい、その後に大成功を収めた弥太郎を劇的にするためにことさら貧しい少年・青年時代を描いているだろう。事実、弥太郎を龍馬の遺志を継ぐものとして描いている伝記・小説なんかもあるようである。まあ、同じ土佐出身で明治維新の中で活躍したふたりを関連付けたいという思いは分からないではないが。

 しかし、事実は違う。ということを『岩崎彌太郎』(伊井直行著/講談社現代新書/2010年5月20日刊)は書いている。つまり、<亀山社中―海援隊>にとって貿易・商売はあくまでも政治的目的を果たすための手段にすぎない。したがって、必要になればいつでも金をせびってくる龍馬に対して、弥太郎はあくまでも会計責任者として金は支払うが決して良い思いで支払っている訳ではない。伊井は書く<坂本龍馬が、もし明治維新後も生きていれば、海援隊を貿易商社に発展させて世界に羽ばたいただろう、としばしば語られる。まんざら荒唐無稽とは思えず、なにより美しい空想である。しかし、どうだろうか。存命中の龍馬は多忙に過ぎて考える間もなかっただろうが、もし生きていれば、貿易で成功するには会社組織が必要であり、会社は利益のみを存在基盤とするものだと気づくことになったはずだ。龍馬はそのようなものに人生を賭けることができただろうか? 岩崎彌太郎はそうすることができた。>と。さらに坂本は丸山でのイカロス号水夫殺害事件にからんで、その顛末について盟友佐佐木三四郎あての書簡に<ただ今、戦争が終ったところ、しかるに岩彌(岩崎彌太郎)・佐栄の両名はかねてご案内のとおりに戦いの機略も何もなく、余儀なく敗走してしまいました。>と書いて、弥太郎のことを戦いについて何もできない奴と決めつけている。

 戦時の坂本龍馬、平時の岩崎弥太郎ということであろうか、戦いの中にあってこそ生きてくる坂本龍馬のような人間と、平時に商売で才覚を伸ばす弥太郎のような人間とでは、まったく異なった生き方があるのだ。それを同じに考えてはいけない。

 しかし、この伊井直行という作家、その名前から桜田門外の変で倒れた「井伊直弼」の関係者であり、そのことが岩崎弥太郎を書かせたのか(あまり関係はないけど)と思ったら、わざわざ<なお、私の伊井という苗字はさほど珍しいものではなく、もちろん彦根の井伊家とは無関係である。直行という名前は、父親が悪い冗談でつけたらしい。念のため>という注が付けられている。残念。

 さらに、作家である伊井氏が何故小説ではなくノンフィクションとして岩崎弥太郎を書いたのだろうか。フィクションとするに足る材料がなかったのだろうか。勿論、フィクションとしてのいくつかの仮説はすでに立てられている。それらを超える材料が見つからなかったのかも知れない。だとしたら、それはちょっと残念なことだ。NHKが出すフィクション以上の壮大なフィクションが書ければ、それはそれで面白い小説になっただろうに・・・。

2010年5月24日 (月)

辺境もぐるっと回れば中心に

 たしかに、ヨーロッパを中心とした世界観の中では「FAR EAST(極東)」であるし、中華思想から見れば「東夷」である。列島の東には太平洋という大きな海があるだけであるし、それは「その先には何もない」のと同じである。一方、太平洋のずっと東には「アメリカ合衆国」が今から200年ほど前に出来上がり、ぐるっと丸い地球世界の中で、FAR EASTはアメリカにまかせたとヨーロッパ(西欧)が考えて知らんぷりを決め込むという一丁上がりを選んだ理由もよくわかる。ただし、東欧=ロシアだけは、その東の隣にある国を無視できなかったんだな。

 って、何を言っているのかよくわからないでしょうけれども、要は内田樹の『日本辺境論』(新潮新書/2009年11月20日刊)について話をしているのだ。

 地政学的に言った「辺境」に位置する日本及び日本人が、いまさら世界に学ぶものがなくなったからと言って、世界に先駆けて何かを「論」ずる必要はない。<「辺境性」という私たちの「不幸」(というより、私たちの「宿命」」)は、今までもこれからも確実に回帰し、永遠に厄介払いすることはできません。でも、明察を以てそれを「俯瞰する」ことなら可能です。私たちは辺境性という宿命に打ち勝つことはできませんが、なんとか五分の勝負に持ち込むことはできる。>と結論づける内田の「論」は耳触りは良い。しかし、じゃあ何をもって新たな闘いに挑めばよいのだろうか。「啐啄之機」といっても「石火之機」といっても、結局は外部からの働きかけがない限りは自分からは動けない。

 内田自身が書くように、本書は<「辺境人の性格論」は丸山眞男からの、「辺境人の時間論」は澤庵禅師からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売り>である。内田の新論といものはない。しかし、それは問題ではない。問題は、ではそのように日本人は「辺境人」なのだから、自ら「論」を作り出してそれこそ日本人をして「世界標準」を作り出さなくても良いのだろうか、ということなのである。

 内田は、まあそんなことは考えなくてもよい、という発想なのかもしれないが、実は今、日本が求められているものはそのような、「日本発の世界標準」なのではないだろうか。そのようなものを日本人から出てくる可能性はない、というのが内田の結論であるし、出す必要もないというのが内田の「論」であろう。

 しかし、日本がFAR EASTであったのは、まだ新大陸が発見されていない時代のヨーロッパ(西欧)の思想であり、まあ、取り敢えず「うっちゃときゃいいや」という考えのもとにある発想である。しかし、新大陸の発見によって世界は丸くなってしまい、いまや「辺境」は無くなってしまっている。それなのに、未だに「日本は辺境にあり」として収まっていて良いものだろうか。内田のような「敗北主義者」にはそれで良いのかもしれないが、そうそう、世界はそんな日本を許してはくれない。

 勿論、だからといって偉そうに「日本発の世界標準」を声高々に言い募る必要はないが、しかし、何かを発信することを求められている日本である。

 いつまでも「辺境にいます」と言っている訳にはいかないのだ。

2010年5月23日 (日)

奥寺佐渡子の「パーマネント野ばら」

「浮世床」という噺がある。ご町内の若衆が集まる床屋でのああでもないこうでもない、という馬鹿話を集めた小噺集とでも言うような噺である。『パーマネント野ばら』(西原理恵子原作/奥寺佐渡子脚本/吉田大八監督/リクリ他制作/2010年作品)もそうした風情の映画である。ただし、ここは床屋ではなくて、パーマネント屋(美容院?)なので、出てくる客たちはみんな女、それもみっちゃん(小池栄子)のラストに近い部分での台詞「そんなやったらこの町の女はみんな狂うちゅう」女ばっかりなのだ。(恋愛に)狂った女ばっかりが出てくる、狂った女のための映画(?)がこの作品なのである。しかし、最後にはその狂い方が・・・。

 脚本の奥寺佐渡子氏には思い出がある。奥寺氏が『学校の怪談』シリーズを書いていた頃なので、話は前世紀の奥寺氏がまだアメリカに脚本修業に行く前のこと。当時、『お引っ越し』(相米慎二監督)、『学校の怪談』(平山秀幸監督)とスマッシュヒットを飛ばしていた奥寺氏に興味を持った私(角田)は、映画会社の人に頼んで奥寺氏と会うことにした。こちらとしては『寄生獣』(岩明均)だったか『無限の住人』(沙村広明)だったか忘れたが、いずれにせよ講談社『アフタヌーン』の人気漫画を原作としたアニメーション(劇場用)映画かビデオを企画していて、その脚本家として既存のアニメ脚本家を使いたくなかった私は、当時新人脚本家で面白い本を書く人だと話題になっていて、おまけに美人だという奥寺氏に興味を持ったのであります。

 渋谷のホテルの喫茶店で奥寺氏と会ったのだが、その時の奥寺氏の言い方が面白かった、曰く「私が脚本を書くのは<エロと暴力>に興味があるからです」とのこと。こちらとしては『お引っ越し』や『学校の怪談』の脚本家からこんな言葉が出てくるとは思わなかったので、つい話がはずんだのを良く覚えている。おまけにこちらの作品指向にも合ってるじゃないか。とは言うものの<エロと暴力=エロスとタナトス>は創作の基本ではあり、別に特別なことじゃないけどね。しかし、こんな若い女性から荒井晴彦氏が喜びそうな言葉が出てくるとは思わなかったので、思わずニヤニヤ、ワクワクではありました。

 で、肝心のアニメの脚本の方はどうなったかって? 実に簡単。制作の企画意図を説明した後での彼女の言葉「あ、私アニメは書かないんです」だって。もうそれだけ。何で? という質問にも答えはなし。多分、当時アニメの脚本書きで何かあったのかどうかは知らないが、何かあったのだろう。だって、その後のアメリカ修業の後の作品は『時をかける少女』(細田守監督)というアニメーション映画なのである。ええっ、違うじゃんかよ・・・。という言葉もむなしく・・・。

 で、『パーマネント野ばら』である。「狂った女たち」は主人子なおこ(菅野美穂)の母親まさ子(夏木マリ)の若い男狂いに始まり、狂った父親に育てられたみっちゃんの「どんな恋でもないよりはましやき・・・好きな男がおらんなるゆうて、うちは我慢できんのよ」という純情(?)、徹底的に男運の悪いともちゃん(池脇千鶴)もギャンブル狂いで逃げた亭主が見つかったとは言っても「うん、おったけど、のたれちょった」といった具合。まさ子などの母親世代の「男狂い」と、なおこの世代の純情ぶりと、何が違うのだろうか。あるいは、なおこ達の純情はその後にまさ子世代の男狂いへの前提なのだろうか。まあ、主人公を取り巻く周囲の人物像として描かれているからか、とにかくまさ子世代の男に対する狂い方は尋常ではない。

 そして最後には,一番普通に見えていたなおこが実は一番変だったというオチになるのだが。そうか、だからカシマに会う時のなおこはいつも初恋の高校生のような雰囲気で・・・。しかし、やることは大人だけどね。

 ということは、なおこの子供もも(畠山紬)もこうした、なおこ、まさ子のような大人になっていくんだというようなラストショット。あるいは、ももは実は「いない」のだというオチ?

 考えてみれば、女をやっていくのも大変なのだなあ、という映画であります。妻とか娘じゃなくて「女」をやっていくという意味でね。

 しかし、こんなことは創作性の中で承知のことであはるけれども、これが西原理恵子氏の実体験に基づく作品だとするならば、それもそれでスゴい。まあ、鴨志田譲氏との関係だけでもスゴいけどね。

『パーマネント野ばら』は5月22日よりヒューマントラスト有楽町他でロードショー公開中です。

2010年5月18日 (火)

脚本家が入り込めない原作者の<世界>

 4月14日の第5回、5月14日の第6回の口頭弁論をサボッてしまった「荒井晴彦vs絲山秋子 出版妨害禁止等請求事件」だが、いよいよ次回は9月10日(金)13:30から東京地裁721法廷だ行なわれる、ということは次回で結審ということだろう。

 結審の行方は概ね見えていつというところで、取り敢えず、ここでは月刊『シナリオ』誌に載っている裁判報告をもとに話をしたい。つまり、裁判に行方を決める法律論争ではなく、ここでは<原作者>と<脚本家>の間の埋められない溝といったものについて。

 4月14日の第5回口頭弁論に提出された荒井氏の『陳述書3』及び『原告準備書面3』というものがある。このふたつの文書に基づいて話をしよう。基本的には荒井氏の言っていることの方が分があると思っているので、しかし、それでもなお「原作物」を「脚色」する際の注意事項だ。

 荒井氏は『陳述書3』に書く、<小説や脚本というものに「絶対」は無く、相対的なものでしかない>し<原作の脚色という仕事も、どう読むかということが大きい>のであり<脚本家の読みに基づき、小説とは異質な芸芸術ジャンルである映画制作に向けて新たに発揮された脚本家の独自の創作性というもの>を否定することはできないのである。まさに、荒井氏が結論として述べているように<私は、「脚本とは原作の読み替えであり、原作への批評なのだ」ちう先輩田村孟氏の言葉を指針にしてきたし、これからもそうしたいと思っています>と。この荒井氏の発想はまったく正しい。

 しかし、『原告準備書面3』のポール・ヴァレリーからの引用にあるように《一方ではそれらの作者へと遡行し、他方ではそれらが感動作用を及ぼす人間へと遡行することによって、私たちは、<芸術>という現象がふたつのそれぞれに完全に区別され変形されるということを見出すのです。(中略)極めて重要なのは、これらふたつの変型作用――作者からはじまって製造された物体に終わる変型作用と、その物体つまり作品が消費者に変化をもたらすという意味での変型作用――が、相互に完全に独立しているということです》と言っているのは、ひとつには「原作と脚本はまったく別の創作物である」ということだが、もうひとつの意味として「<原作>というものを挟んで、それを作った人(原作者)と、それを読む人(脚本家)ではまったく異なった<変型作用>がある」ということである。

 つまり、ひとつは<作者からはじまって製造された物体に終わる変型作用>である。<原作>は、その<原作者>の様々な人生経験、取材経験、思想、想い、想像などの結節点として生み出される。しかし、生み出されたものにそれらが十全に書かれているわけではないだろう。いや、むしろそのほとんどは<作品>として<製造された物体>に書かれることはない。ただし、そうした<いろいろのもの>が積み重なって<作品>は出来ている、と<原作者>は言う。

 しかし、読者たる<脚本家>はそうした<作品>の裏側に隠された<原作者>の想いやら人生経験などは知らされない。彼はあくまでも<作品>として提示されたものからしか、それらを<読み取る>しかないのだ。つまり、荒井氏の言うとおり<原作の脚色という仕事も、どう読むかということが大きい>のであり、原作者のそれを書いたバックグラウンドには気をつけつつも、基本的には<原作>に<書かれたもの>だけが<脚本家>の拠りどころである。

 ここに、<原作者>と<脚本家>の相克が始まるのだ。<原作者>は<原作>にいたる経過を見てほしいのに、<脚本家>は<原作に書かれたもの>しか見てくれない。<脚本家>は<原作者>が要求するものは<原作>にも書かれていないことなので、しまいには<原作者>が何を要求しているのかわからなくなってしまう。

 多くの原作者は、小説や漫画と映画は別のものだと考えているので、こうした相克が表に出ることはないが、まれにこうした原作者がいる。とくに漫画家にはこういう人が多い。

 多くの作品作業で、こうした相克が原作と脚本のやりとりの中で現れてくると、大体その作品は脚本段階でお流れとなるのだが、そうならずに映画ができてしまった。できてしまった映画は仕方ないが、原作小説と同じ活字表現となる脚本の出版化には抵抗したい、というのが今回の事件だ。

 本来ならば、脚本段階での判断でこうしたやりとりがあった場合、プロデューサーと原作出版社の間で、「この映画はないな」という判断をしてストップをかけるのが普通なのだが、この映画の場合それがなかったわけだ。要は、プロデューサーと文藝春秋の判断ミスなのである。それがお互い自分の判断ミスを棚に上げて高みの見物を決め込んでしまったために・・・<世間知らずの原作者>と<無頼の脚本家>が直接あいまみえるということになってしあった不幸、というのが今回の事件のあらさまなのだ。もっとも<世間知らずの原作者>は一度も法廷には出席しなかったけどね。

 まあ、事件そのものは単純な事件なのだが、そこに至る経過があまりにもズサンであります。

 プロデューサーにも文藝春秋にも猛省を促したい。

2010年5月16日 (日)

第三信号系って・・・ヨタでした

 5月13日に書いた「第三信号系」って何だ、というのが気になって、いろいろ調べてみた。

 取り敢えず、辿り着いたのがパブロフの理論である。つまり、第一信号系としての「反射」と第二信号系としての「条件反射」ということ。しかし、ここから判断するに、この理論から「第三信号系」という概念は生まれそうにない。とくに「写真」の世界に応用できるようなものはまったくないのだ。

 次に辿り着いたのが、ソシュールの言語記号論である。5月13日にも書いたようにモーリス・メルロ=ポンティの『眼と精神』が出てくるとなると、少なくともパブロフよりはソシュールの言語学の方が近い概念が分かるかもしれない、ということである。

 そこに出てきたのは<第三信号系:言葉的概念によって分解された現実的個物または個別的事象の相互の関係を表すことのできる言葉:信号の信号の信号>という言葉であった(渡辺豊和著『記号としての建築』昭和堂/1998年刊)。

 実は、記号論とか現象学というジャンルは適当な日本語訳がなくて(「世界内ー存在」とかね)、ソシュールやメルロ=ポンティ、ロラン・バルトなどの著作の日本語版は本当に「悪文」の典型みたいな文章が並んでいるのであるが、上記の渡辺氏の文章もその一つで、これでもって「第三信号系」が何かが明解に分かる人がいたらたいしたものだ。つまり<第一信号系:言葉的概念:信号><第二信号系:言葉的概念によって分解された現実的個物または個別的事象:信号の信号>となって、上記の<第三信号系>に辿り着くのだろうけれども、はたして言語学的な意味における<第三信号系>にそれで辿り着けたとしても、「写真の見方」としての「第三信号系」に辿り着くためには、もうひとつの考察が必要になる。

 それはどういうことだろうか、と考えているところにかんじんの田中長徳氏自身が書いている「第三信号系」という言葉にやっと(というほどでもないけど)出会った。『カメラは知的な遊びなのだ』(田中長徳著/アスキー新書/2008年3月25日刊)のあとがきに曰く。

 少し長いが、以下引用・・・

 もう1つ提案したいのが、写真の「第三信号系」に目覚める訓練です。

「第一信号系」とは、パスポートの証明写真とか新聞の総理大臣の顔写真のような、「それが何であるかの説明写真」。「第二信号系」とは、雑誌のアイドルのグラビアとか、スポーツ新聞のヒーローの写真のような、ある社会的価値を伝達する画像のことです。

 さて、ここで言う「第三信号系」とは、それら2つの写真の効用を完全に超越した、さらに上のステージの写真のことです。今まではこれを芸術写真と呼んでいたようですが、芸術写真が死語になった現在、何か新しい術語が必要です。仮にこれを「第三信号系」写真と名付けましょう。あるいは画像の形而上学的な認識と言っても良いかもしれません。

 以上、引用終わり。

 何だ、5月13日に私が想像で書いた「第三信号系」に関する解釈の通りで良いのじゃないか。要は、写真としての実用性とか効用とかと関係なく存在する写真、でも芸術とか呼ばれるような写真じゃない写真、写真そのものとしての写真、それが「第三信号系」の写真であり、そういった写真に向かおうとする精神が「第三信号系のカメラアイ」ということなのか。要は、普通の「なんてことのない写真」が「第三信号系」の写真であり、それが「何か芸術的な感興を呼び起こすかもしれないし」「どうってことのない写真だ」で終わってしまうかもしれないし、そうした写真の見方が「第三信号系のカメラアイ」ということなのだ。

 ということは、チョートクさん、それをわざわざ「第三信号系」なんて訳のわからない術語を使うというのは「ヨタ」ですか。要は、記号論や現象学や言語学や構造主義の用語のほとんどが、読者をして言葉の理解から遠ざけるための「ヨタ」のようなものだと同じ意味で。

 ウーム、そんな「ヨタ」を真面目に受けてしまった島尾伸三氏も島尾氏だが、チョートクさんも罪が深い。

 とまあ、「語り下ろし」というお手軽に作られた「アスキー新書」を読みながら考えたのであった。しかし、こういうお手軽新書が、うまく当たれば私が買った本のように第5刷まで行ってしまうのだから、やっぱり出版は甘い商売なのか?

2010年5月15日 (土)

ニュース・サイトって、何か変だな

 暇にまかせて読んでいる本の一つは『ヤフー・トピックスの作り方』(奥村倫弘/光文社新書/2010年4月20日刊)。

 いわく「ページビュー月間45億」「ユニークユーザー月間6970万」、つまりヤフーの営業用媒体資料によれば「来訪者数およびページビューで他のポータルサイトを寄せ付けない、日本最大のニュース配信サービス」であるのだ。その、編集責任者である奥村氏が書きおろす、「13文字のトピックスの作り方」であり、ヤフー・ニュースの現場で何が起きているのかの報告である(筈である)。

 ヤフー・ニュースは現在約150余りの報道機関や出版社などから記事配信を受けて、それらを検索し、ヤフーの来訪者に「こんなニュースがありますよ」という情報を届けている「ニュース・サイト」である。しかし、「ニュース・サイト」とは何だろうか。通信社・新聞・テレビラジオなどの「報道機関」であろうか、あるいは出版社のような「言論機関」であろうか。実際に、各社のニュース・言論を拾い上げ、仕分けして、読者に伝えるという意味では、ひろい意味でのジャーナリズムであることは間違いないだろう。

 しかし、何故かこうしたニュース・サイトを「ジャーナリズム」と呼ぶことに対する抵抗があるのは、私の年齢のせいばかりではないだろう。当然、ニュース・サイトには独自に取材をしたニュースは一切載らない。我々も、ニュース・サイトを観る際は、トピックをクリックした後に見るのは「そのニュースがどの媒体に載っていたニュースなのか」という点である。同じものを取材したニュースでも「朝日」なのか「日経」なのか「産経」なのかによって、まったく異なった扱いになることは承知の上で「それを読む」のである。勿論、そうした「どの媒体の報道を選ぶのか」という点に、ニュース・サイトの編集者の価値観が現れるわけであり、そこには「自分がシンパシーを感じる媒体はこれです」というメッセージがあるわけである。だが、そうして選んだ媒体のどれにも自分がシンパシーを持てる報道がなかったらどうするのであろうか。自分が新聞記者だったり放送記者だったり雑誌編集者だったりしたのであれば、そこで自分独自の取材を行い、自分独自の記事(ニュース)を作ればよいのである。が、ニュース・サイト編集者は自分では取材は行わない。であるならば、自分がシンパシーを持てる記事がニュースのどこにもなければ、サイトで取り扱わないだけである。当然、ジャーナリズムの中でもこうした取捨選択は行われている訳であり、ある媒体が大きな問題としてとりあげている事件が、別の媒体ではまったく無視されている、というようなことはいくらでもある。しかし、媒体の取材者の場合は自分の意志だからそれでもいいのだけれども、ニュース・サイトでそれでいいのだろうか、という疑問は残る。

 奥村氏は元々読売新聞の記者だったそうである。その取材で知ったインターネットカフェの社長の「これからはニュースが変わるよ」という話で<インターネットでニュースがやりたいという思いが強くなり、98年にヤフーに転職、以来、ヤフー・ニュースのトピックスを担当>してきたそうである。何故、奥村氏がニュース・サイトの興味を持ったのかは書かれていない。もしかして、取材がイヤになった? さておき、奥村氏同様、ヤフー・ニュースのトピックス担当者は取材記者や整理記者、編集者などを経験してきた人たちが多いようである。しかし、その経験者であるからこそだろうか<私たちもまたカジュアル化した”ニュース”の取り扱いに悩んでいる>のである。結局は、自分が取材に携われないことが一番の問題なのではないだろうか。

 ニュース・サイトで読まれる記事と読まれない記事に関して言うと、トピックスに取り上げられているジャンルはコンピュータとサイエンスのジャンルを除き各ジャンルが概ね10~20%とバランスがとれているのに比して、実際の閲覧数で見るとエンタメ、スポーツ、国内の3ジャンルで閲覧総数の60%以上を占めており、中でもエンタメが25~30%を占めている。ニュース・サイトは閲覧数によって広告収入が変わってくる。だったら、所詮ニュース・サイトなんだからその3ジャンルに特化したトピックスで良いじゃないかという考え方も成り立つのだが、しかし、<編集者は、彼の内に存在している価値観に基づいて、何がおもしろいのか何が重要なのかを判断して情報を振り分けて読者に編集物を提示>するというのである。その際の指針は「新聞綱領」であり、何故新聞がそうような「綱領」を持てるのかと言えば「戸別配達制度」があるからだというのである。この辺、いかにも読売新聞記者出身の奥村氏らしい判断だと言えなくもないが、では週刊誌のような場合はどうなのだろう。男性週刊誌の場合も大体アタマの方の特集記事は「政治・経済」である。ニュース・サイトではあまり読まれていないジャンルである。週刊誌はそのほとんどが駅のキオスクなどで売られていて、一部の新聞社系週刊誌以外は「戸別配達制度」などというものの恩恵は受けていない。でも、(少なくなったとは言え)週刊誌はその特集記事「政治・経済」で売れているのだ。何故だろうか、要はその週刊誌自体のそうした「政治・経済」状況に対する「切り口」を持っているからだ。キチンとした媒体としての「切り口」を持っていれば、マトモな神経の持ち主は「政治・経済」の記事も読むのである。新聞だって、「一面の記事は読者は読まない。あとはテレビ欄と社会面」とは言っても、実は「見出し」だけはちゃんと見ているのである。

 実は、「いやあ最近はニュース・サイトをチラ見して、あとはツイッターを追いかけてればニュースはOK。新聞やテレビ・ニュースは見ないですね」というようなネット・バカだけが、ニュース・サイトのエンタメ・ニュースばっかり見ているというような構図が見えてこないか。

 そんなことだからネットには「ジャンクフード・コンテンツ」ばかりになるのである。

 要は、自分のところで一切取材を行わないニュース・サイトが、あたかも自分自身が「ジャーナリズム」であるかのように思いこんでいる「間違い」がこのようなイビツな<ジャーナリズム状況>を招いているのだ。

 奥村氏のように、元々別の媒体で取材・編集の経験を持っている人が、こうしたニュース・サイトも編集者になっている現在の状況はまだよい。今後、初めからニュース・サイトで仕事を始めて、いつの間にか自分がいっぱしのジャーナリスト気分になってしまうような輩が出てくるようになると、もはや日本のジャーナリズムもおしまいである。

 そんな気にさせる、「良い本」ではあった。

新城に続き別府も・・・楽しみなツール

 一昨日の新城に続き今度は別府史之だ!

 世間では(と言っても「自転車の世間」ではだが)ジロ・デ・イタリアの話題でもちきりであり、一昨日の第5ステージでの新城の怒涛の3位のニュースが第一ニュースであるかのようであるが、一方でレディオ・シャックの別府史之もやってくれたのであります。

 5月14日からの3日間のミニ・ステージレース、北フランスで行われているツール・ド・ピカルディはヨーロッパ・ツアー(2.1)というグラン・ツールからすれば、その下のプロ・ツアー(と言っていいのだろうか)のまたもう一つ下の格式のレースではあるが、ジロ・デ・イタリアに出ていない選手はツアー・オブ・カリフォルニア(ランス・アームストロングなんかはこっちの方だ)かこのツール・ド・ピカルディに出ている訳で、出場している選手はそこそこの一流選手ばかりである。その、ツール・ド・ピカルディ第1ステージで、こちら別府史之も第3位に食い込んでいるのだ。

 コースは平坦基調、特に逃げを打つ選手はいない。ずっと団子になったままレースは続き、最後はスプリント勝負でスキル・シマノのヴァン・ヒュンメルが一位でゴール、というまああまり盛り上がりのないレースではあったようだ。別府は一位とタイム差なしの58位であったが、途中のスプリント・ポイント2か所で稼いだポイントのおかげで結果としては第3位ということであった。ツール・ド・ピカルディのホームページで見ると、「順位」で見ると別府の順位は出ていないのだが「総合順位」で見ると3位、という具合だ。

 別府のツイッターで見ると一緒に走っていたフランス人の助けがなかったというようなことが書いてあったが、ジロ第5ステージの新城もチームメイトのアシストはなかったが(というより新城自身がアシスト選手)、その代わりコフィディスの選手とステージ優勝したクイック・ステップのピノーとチームは異なるが同じ目的を持った3人が協調して逃げていたことから考えると、そうした別府と同じ意志をもった選手もいなかったということになるのだろう。こうした、チームの枠を超えて協調する選手が出てくるところが自転車レースの面白いところである。

 今日、明日の第2、第3ステージで、総合3位の別府を他のレディオ・シャックの選手がアシストをするのかどうか、他のチームの選手と協調して逃げるのか、別府の運命はどうなるのかは分からない。

 しかし、これでツール・ド・フランスがますます面白くなった。新城は一昨日の大活躍によって多分ツール出場選手に選ばれるだろう。別府は昨年とチームが異なるために、まだ分からないが、このツール・ド・ピカルディの結果次第だろう。だとすると、楽しみが増えてきた。別府がツールに出られれば、今年はランスのアシストをするだろうからコースの前の方でレースをすることが増えそうだし、新城も「アシスト+α」位のところでステージによっては勝っても良いというレースが増えそうだ。

 やはり、ヨーロッパのレースは何年も出続けないとダメ、という見本が出来つつある。

 もう、ブロック敗退が見えているサッカー・ワールドカップどころじゃないのだ!

2010年5月14日 (金)

やった、新城ステージ3位!

 ジロ・デ・イタリア6日目、第5ステージ、ノバーラからノービ・リーグレまでの168km、途中低い山はあるがそれ以外はほぼフラットな、言ってみればツール・ド沖縄のようなコースである。要はツール・ド沖縄優勝の新城にしてみればお得意のコース。やってくれました新城幸也、最初から飛び出すと4人で逃げ、最後までこの逃げ集団をリードし続け、最後の最後はちょっと切れたけど、見事ステージ第3位を勝ちとってくれました。

 最初に集団から飛び出した新城は終始逃げ集団をリード。途中7分のリードをプロトンから与えられていたが、最後にはこれが2秒ぐらいの差になってしまって、これは捉えられたかなと思ったのだが、最後の最後に新城がスパート、他の2人もこれに反応して3人の逃げになり、結果としてはクィックステップのピノーというアシスト選手がステージ優勝したのだが、新城の最後の逃げがなかったら、多分彼らの逃げ集団はもう少し早いところでプロトンに飲み込まれてしまったであろうから、新城のおかげでピノーが優勝できたとも言ってもよく、素晴らしい新城の逃げであったと言うしかない。

 実は、昨夜は体調が余り良くなくて、早いところで新城が飛び出して逃げ集団を形成しているところまでは見ていたのだが、その後寝てしまった。ああっ大失敗。最後まで見てれば良かった。

 いずれにせよ、昨年のツール・ド・フランスでの活躍がフロックではなかったことを、これで証明できたし、今後のジロも目が離せなくなってしまった。ただし、今日からは山岳コースなので新城の上位入賞は無理かな。

 今後のフラットコースの日に再度注目というところだろう。もしかしたら、ステージ優勝なんてことも・・・。ああ、もう少しスプリント力があればなあ・・・。

2010年5月13日 (木)

第三信号系・・・・って何ですか? 島尾さん

 島尾伸三という名の写真家は何となくもっとずっと年上の作家だと思っていた。しかし、島尾敏雄の息子であり、漫画家しまおまほのお父さんだと知って、ああそうかその位の年齢かと1948年生まれということに気づいたのである。

 テキストは『ひかりの引き出し』(青土社/1999年10月5日刊)である。島尾氏が20~30年ほどかけて書いてきたいろいろな短文を集めて編集されたこの本で、いくつか気になる言葉が書いてあるのだが、その一つが「第三信号系」という言葉である。この島尾氏の言う「第三信号系」という言葉が、よくわからない。よくある「電波系」というのとは違うようなのだが、似たようなもののような使い方もしているようで、写真を語るのにそうした「不思議系」の言葉が必要なのだろうか。

 まず、石川文洋氏の『報道カメラマン』(朝日文庫)について<収録された写真は極めて社会性の高いものだが、それらも又、深い所では第三信号系にこだまする様に撮影されています>となり、また<しかし、その写真表現の先端には、この『PHYRO・PHOTOGRAPHS ANNUAL』の登場に見る様に、私の様な「写真」という病原菌に目と脳を侵された病人の、目の欲望と第三信号系の神経を刺激して止まない過激なものが、次々と登場する気配に満ちています>となる。また、「バベルの塔以前の言葉」の問題として、<撮影印画したプリントを眺めて、私の第三信号系が統辞していく第三の現実も、また手の届かぬ夢のようにして信号系の世界で展開され、これまた他の現実と混同しながら記憶してしまっているようなのです>とか、<存在して事実をどう規定または測量し、世界をいかに理解するかは、第三信号系の所有者が自己のパルスを作動させ、その偶有する信号系の成す所によって理解すべきものである事を先ず当然としなければ、この宴会(パーティー)の享楽的(セクシイ)な享受者とは成りにくかったのではないでしょうか>と展開し、最終的には田中長徳氏の『ウィーン1973-80』という写真展に絡めて<会話やその時の態度から察することの出来る事よりも、それらの印画(プリント)には彼の本質的な部分と仕草が透過(ドウローイング)されていて、非常に健全(ノーマル)な精神の、私の知る写真家の中では最も落ち着きを備えた第三信号系を持つ人だと思わされ、思い切った話も出きる数少ない人ではないかと思っています>と結論づける。

 しかし、島尾氏からそのように称揚される田中長徳氏の著書の中でこの「第三信号系」なる言葉はまったく私の記憶にはないのだ。あわててWEBで調べてみると、田中氏の『PEN PEN チートクカメラ日記』(2010年2月24日付け)の中に、多分田中氏を称して<現代の日本でおそらく最も知的な写真家の一人で、かつ長年のヨーロッパ生活などで磨かれた抜群のユーモアのセンスを備えており、本分の仕事でも数少ない第三信号系のカメラアイを備えたシリアスなフォトグラファーである>と書かれた引用のあとで田中氏自身が<要するに「第三信号系カメラアイ」などはこの世界に存在しないのだ>と書き、その少し後で<ただ一度、島尾まほさんの父上と豪徳寺のお宅でそんな「第三信号系」の話をした記憶はあるが、それは酒の席の座興なのである>と締めている。

 田中氏はモーリス・メルロ=ポンティの『眼と精神』なんかを持ち出しているが、メルロ=ポンティが「第三信号系」なんて書いていたのは読んだことはないし、メルロ=ポンティならむしろ「写真を写すものと写されるものの両義性」という、彼本来の主題の方に持っていくだろう。この、「写すものと写されるものの両義性」というものが「第三信号系」というのならば、先の『ひかりの引き出し』の中の「第三信号系」のいくつかは、まったくそれには当たらない。例えば、石川文洋氏の『報道カメラマン』に収録された写真は、そのほとんどが「報道」という「目的」の為に撮影された写真であり、「写すものと写されるもの」の関係論でいえば完全に「写す側」の特権性による写真なのである。

 多分、島尾氏の言う「第三信号系」というのは、メルロ=ポンティの言う「両義的な写真」(そういうものがあるかどうかはわからないが)、「深い意味性を持って写真を観る人に迫る」ことのない写真、というものを指しているのではないか。であるならば、田中長徳氏の『ウィーン1973-80』を称揚する意味もそこにはある。あるいは、「何を撮ろうとしているのか、その意味性を拒否するかのようなコンテンポラリー・フォト」についての評価も同じであろう。

 写真が芸術であるのかどうか、写真はプロパガンダであるのかどうか、写真表現とは何なのか、などは実はどうでもよいことなのである。写真は写真でしかないし、写真であることで成立する表現形式なのだ。

 写真が、写真以外の芸術だったり、プロパガンダだったり、を目指さない。写真が、ドキュメンタリーなのか、広告なのか、創作なのか、偽ドキュメンタリーなのか、等々、そんなことはどうでもよい。写真は写真でしかない、あるがままの写ったものという考え方が島尾氏の言う「第三信号系のカメラアイ」と言うならば、私にも理解できるのだが・・・。

 

2010年5月12日 (水)

牛の角突きビデオ版

 結局、右鎖骨だけじゃなくて右肋骨も骨折しているのが分かって、ようやく右わき腹の余りの痛さの理由も分かった。とは言っても、痛さの原因が分かったからとは言っても、痛みがなくなるわけでもない。ということで、今週いっぱい仕事は休むことにする。

 で、休んで家にいるのだが、余りやることはない。会社宛のメールは我が家に転送する仕掛けになっているので、会社の私のアドレス宛に来たメールは自宅で読めるということで、仕事の必要があれば、アシスタントの女性にメールを転送して仕事を依頼、ということで、依頼しちゃえばこちらの仕事はおしまい。ということで、当然ヒマになる。

 といって、たまっている本を読むほどには元気がないので、あまり読書も進まない。ということで、5月3日に撮影してきた小千谷の角突きのDVDを何となく見ていたのが、昨日の状況だ。

 ビデオといってもスチールを撮影しながらの「ついでに撮ったビデオ」なので、寄りの映像もないし、きちんと被写体を追いかけて撮っている訳でもないので、何となく眠ったい映像である。予想はしていたことだが、やはりスチールを撮るならスチール、ビデオを撮るならビデオと決めて、どちらかに専念した方がよい。スチールの方はまだ現像が上がっていないので、何とも言えないが、当然中途半端な映像になっていることだろう。角突きはまだ何度もやる予定なので、この日はスチール、この日はビデオ、という具合に撮りわけることになるだろう。

 で、中途半端なサイズで撮っているビデオ版牛の角突きだが、こうしてみると、これはこれでスチールで追っていると見えなくなってしまう、闘いの全体像が見えてくる。勢子の「ヨシター」の叫びもちゃんと見えて、そうかこうした勢子の姿もスチールには入れないと、「角突き」って何だ、という部分には応えられないな、というようなことも分かってくる。映像には迫力も何もない分、しかし、全体像が見えるということもあるのだな。しかし、勢子の姿まで入れてしまうと、牛同士の闘いの凄まじさのようなものは見えてこないし、牛同士の闘いの凄まじさを中心に撮るとなると勢子も含んだ闘いの全体像が見えなくなってしまう、というスポーツ写真のジレンマというものに、牛の角突きも入り込む。これは、どちらかに割り切って考えるしかないのだが・・・。

 まあ、どちらに割り切るにしても、「いい写真」が撮れたならの話ですけれどもね。

2010年5月10日 (月)

みなさん体をお大事に

 といことで、「ジロ・デ・イタリア」初日のプロローグ、新城幸也選手はトップから45秒遅れの108位とのことである。「とのことである」とはいったい何なのだ。実は昨日の中継はみていない。

 えー、昼間自転車に乗っていて転倒落車。右肩と右わき腹をうってしまい。右わき腹は打撲ですんだのだが、右肩は鎖骨骨折ということになってしまい。あまりの痛さに昨日はJ Sports見ていないのです。

 ということで、このブログもしばらくは更新しない状況になるかもしれないが、それはネタの問題なので、以外と短いかもしれない。

 とまれ、みなさん体をお大事に。

2010年5月 8日 (土)

ジロの前に『GIRO』をおすすめ

 いよいよ明日からジロ・デ・イタリアがスタートする。今年はオランダのアムステルダム・スタートという具合にグラン・ツールも国際化していて、ツール・ド・フランスあたりはアメリカのワシントン・スタートが言われているし、東京スタートという話もないではないということだ。皇居前スタート、内堀通りのタイムトライアルなんてのが見られれば面白いのだがね。

 ということで、今年のジロはベー・ボックス・ブイグテレコムの新城幸也が出場するということで大注目の明日のスタートである。ということで、ここで改めて砂田弓弦氏の写真集『GIRO<ジロ>』(未知谷/2002年4月25日刊)をご紹介。

 砂田氏は自身も自転車選手で、大学を出てから数ヵ月イタリアのアマチュアチームでレースにも出ていたことがある人である。しかし、そこで自分の才能に見限ったのかどうかは知らないが、たまたま自転車と一緒に持っていたカメラを持って再びイタリアに行き、そのまま自転車レース専門のフォトグラファーになってしまった人である。写真の腕はまあそこそこであるけれども、要は場数である、場数を積めばその中にはいい写真もある。ということで、いまや日本の自転車レース専門のフォトグラファーの第一人者になってしまっている。

 砂田氏のこの『GIRO』の前作に『フォト!フォト!フォト!』(未知谷/2001年7月29日刊)がある。この写真集は多分日本で最初の自転車レース写真集ではないかと思うのだが、こちらは<ジロ・デ・イタリア><ツール・ド・フランス><ワンデイ・レース>と、自転車レースを網羅している構成になっている。しかし、『GIRO』は1990年から2001年までの<ジロ・デ・イタイア>だけの構成である。つまり、それだけ『フォト!フォト!フォト!』が、まあ売れたということなのだろうけど、やっぱり「ジロ」だよね、というのも「ツール・ド・フランス」ほど国際化されていない(といってもアムステルダム・スタートというだけあって十分国際化はされているが)ジロ・デ・イタリアの方がずっと面白いということなのだろう。実際レースを見てみると、コースに止まっている車があったりして、なんか田舎レースを見ているような雰囲気がありつつつも、それでいてグラン・ツールという一大国際レースであることも事実なのである。

 そういえば『フォト!フォト!フォト!』の表紙に使っている写真で、200年のジロ・デ・イタリアで、珍しくステファノ・ガルゼッリをアシストするマルコ・パンターニというスチールがある。元々はカラーで撮影されていたらしいが、この本では表紙でも中ページでもモノクロで掲載されていて、そうするとツルッ禿げのパンターニと金髪で髪が薄いガルゼッリの見分けがあまりつかない。つまり、アシスト選手とエースの関係論というのは、こんな感じなのかもという気にもなる。ようは、どっちか見分けがつかないようにする・・・ということもあるのかな、と。

 という具合に、ジロ・デ・イタリアと言えばマルコ・パンターニとメリカトーネ・ウノとビアンキといのが三第噺というくらい、関係論は有名だ。ジルベルト・シモーニがいくら頑張ってもまだまだパンターニ伝説にはかなわない。

 はたして、新城がパンターニほどの伝説をジロの歴史に残すことが出来るのか、多分、無理だと思うけど、何か残すことができればすごい。なにしろ、ツール・ドフランスとジロ・デ・イタリア両方のレースにでた日本人はまだいないのだ。この勢いで、ヴェルタ・ア・エスパーニャにも出場して、三大ツール全出場という大記録を残して欲しい。

 ところで、『GIRO<ジロ>』で一番のオススメ写真は何かと言えば、前半のところに載っている「マペイのニコレッティ選手の奥さんが沿道に待ちかまえていていっしょに走り出したシーン」、勿論奥さんも同じマペイジャージを着ている。それと後半の「プロトンが通り過ぎる町の中でビキニ姿のお嬢さん(?)が見ているシーン」、勿論フォーカスはビキニ姿のお嬢さんの方にあっている。そして最後の方、これも「プロトンが通過する町の中で、結婚式を終えたばかりの新郎新婦が拍手をしながら選手を応援してるシーン」という具合いの『茄子 アンダルシアの夏』もどきのシーン。と、言う具合に真面目なレースシーンというよりは、ちょっと脱力したシーンが、いかにも<ジロ>という感じがして良い。

 J-SPORTで明日の、ジロ・デ・イタリア初日をみて興味を持った方、一度この写真集『GORO<ジロ>』をおすすめします。

2010年5月 7日 (金)

東京散歩カメラ・日本橋から浜松町まで

 日本橋三越で開催されている『親鸞展』(5/10まで)を見てから、そのまま中央通りを歩いた。

 途中、西銀座のレモン社やニコンハウスにいっていろいろ見て回ったのだが、めぼしいものは見当たらず、というかニコンF4のパーツを探しているのだが、それも見当たらず、そのまま新橋へ。

 新橋のニュー新橋ビルの地下で食事、というか「飲み」。ここでいつものつもりでいたのが間違っていた。要は、今日は「普通の」日だったのである。いつものような週末ではない。遅めの昼食をとるサラリーマンの中で、ひとりのんびり酒を飲む楽しさよ。というところで、何となく「うらやましいホームレス」の気分なんてものを味わったりしちゃって。

 しかし、そういう目で世の中を見まわしてみると、この界隈だけの問題なのだろうか、外を歩いているのはほとんど中高年のサラリーマンばかりなのだ。当然、彼らの会社には若いサラリーマンがいるはずなのに、新橋界隈を歩いているのは中高年ばかり。近い会社をこうした中高年にまかせて、若い奴にはもっと遠いところを任せているのだろうか。それならば良いのだが、その辺不可思議な光景である。

 ということで、浜松町まで歩いて雨が降ったきたので、今日はここでおしまい。後は家に帰って『ファントム・メナス』か・・・。

2010年5月 6日 (木)

猫写真にまつわること

 動物、特に猫や犬の写真は禁物だ。犬だったら柴犬、猫だったらブチの雑種かなあ。そうした犬猫の写真を観ると、その写真の良しあしではなくて、まず写っている犬猫の方を先に見てしまう。そしてしまうと、もう正常な写真に対する判断ではなくて、その犬や猫が「可愛いか」というところに目が行ってしまって、で、大体そうした写真は「可愛い」犬猫を撮影しているもんだから、そこで思考はストップしてしまう。映画で、「動物と子供は約束違反」と言われているのは、それこそ「動物と子供を主人公」にしてしまうと、それだけで見ている人の感傷を奪ってしまい、正常な作品評価をさせなくなってしまうからと言われている。勿論、製作者はそこを狙って作っているのであるが。

 そこで写真だが、そういう意味で岩合光昭氏の写真集なんかは、まったくお手上げで、写真集の出来云々よりは、取り敢えず写っている柴犬の方に目がとらわれてしまい、そこで判断停止状況になってしまう。動物写真で唯一正常な写真判断ができるのは、藤原新也『メメント・モリ』の中の、人の死体を喰う野犬の写真くらいだろうか。

 そんな中で『犬の足あと 猫のひげ』(武田花/中公文庫/2010年2月25日刊)を読んだ。読んだというかフォトエッセイなので、「読んで見る」という感じなのかもしれない。ただし、フォトエッセイという割には写真の掲載は少なく、どちらかというと、写真に関するエッセイというべきものだろう。

 実というと、武田花の猫の写真はあまり可愛くない。凡百の「猫写真集」がそのすべてが「可愛い」猫の姿を収め、そうした姿の猫を沢山収めれば、読者(実はそのほとんどが、「可愛い」猫写真を撮りたいと思っているカメラマニアなのだ)はいっぱいついて、写真集として商業的に成功ということになる。勿論、可愛いばかりが猫じゃないし、可愛くない猫だって猫なんだというのが猫側の主張だろう。ということで、武田花のスタンスは猫にとっては実に公平なスタンスじゃないだろうか。もっとも、撮られている猫にしてみれば、そんなことは意識してはいないだろうが。

 この辺が、武田花の育ちの良さが出ているところなのだろうが、要は売れることを考えていないというところなのである。女性の写真家やエッセイストの良さは、この「売れることを考えていない」というところなのであるが、でもそこだけに注目してしまってはマズいだろう。そんなことをしてしまっていたら、それこそジェンダー・コンプレックスである。

 でも、武田花の「可愛くない」猫写真っていいんだよね。本来、動物がそんなに可愛いと人間に思われているのは、その動物が人間に「保護されるべき」存在だからであろう。人間の赤ちゃんが万人から「可愛い」と思われているのと同じように。しかし、野良化した犬や猫は、決して人間から保護される状況ではないし、むしろ「処分」される対象であったりするのである。そんな、犬や猫が「可愛い」筈はないし、むしろ「ふてぶてしい」姿を我々に見せてくれるのである。そういう意味で、武田花の「猫写真」は「ふてぶてしい」猫満載である。

 これがうれしい。

 ただし、この中公文庫は写真集ではないです。写真集はまた別に木村伊兵衛賞を受賞した『眠そうな町』とか、『猫・陽のあたる場所』『猫 TOKYO WILD CATS』などがあります。

2010年5月 5日 (水)

ヨシターッ! 今日は山古志村だ

 ということで、行ってきました山古志闘牛場。一昨日行った小千谷の闘牛場に比べると全然違い、駐車場から闘牛場に行くまでの道には、『南総里見八犬伝』から、現在の山古志の牛の角突きに至る角突きの歴史が分かるモニュメントがあったり、スタンドもコンクリートで出来ていて、同じくコンクリート作りの事務棟やら水洗トイレやらが設備されていて、さすがに中越地震で壊れたものをただ直すだけでなく、以降は地震に強い建築にしようという山古志の人たちの意気込みが伝わる。

 実は、この山古志闘牛場は昨年11月3日にお披露目をしていて、その日に見に行こうとしていたのだが、降雪のためにすぐそばまで行って、タイヤチェーンなども用意していなかったために観戦を断念したという思い出のある闘牛場なのだ。今日、半年ぶりにやっと山古志闘牛場に行けたという思いも重なって、何とも感激的な印象を持つ。

 取り組みそのものは、昨年何回か行った虫亀闘牛場の取り組みと余り変わりはないのだが、何となく、闘牛場が変わったせいか取り組みのグレードがアップしたような印象がある。「ヨシターッ!」というのは、勢子という取り組みを進めたり、終わらせたりする人たちが、牛に掛け声として発声するものである。人間の相撲で行司がいう「はっけよい」みたいな掛け声で、ただし、相手が牛なので勢子は沢山いる。この勢子たちが口々にいう「ヨシターッ!」という掛け声が、段々と闘牛場全体の盛り上がりを上げてくる。

 ところが、今日はこの「ヨシターッ!」が余りなくても牛たちが勝手に闘いを始めるような、そんな牛自身のノリの良さがあったようだ。今年に入って初めての角突きだということもあるのあろうか、牛としては「この日を待っていたのだ」とでも言いたいようなノリの良さで、次々と対戦を重ねる。しかし、そこは動物同士のよさであろう。頭と頭をぶつけて角を突き合わせている間は、お互い容赦はしないのだが、一方が戦意を喪失して向きを変えると、それ以上は牛は追わない。そこで見ている方にとっては「勝ち負け」が分かるのだが、昨日も書いたとおり、勝ち負けを決めないのが越後の牛の角突きなので、勝ち負けのコールは行わない。また、動物は同じ種ではやはり殺し合いはしないので、要は「戦意喪失」した方が、その日は負けということで、それ以上は追わないのである。同じ種で殺し合いをするのは、動物の中では人間だけである。

 いやあ、予想以上の立派な施設に少々興奮気味であるけれども、それでも1トン以上ある動物が頭から「ドシン」とぶつかって闘う姿は、やはり迫力がある。いちど、観戦をお勧めしたい。

 この5月から、11月にかけて、小千谷、山古志の両会場で1ヵ月に1回くらいの頻度で開催されています。詳しくは「小千谷闘牛会ホームページ http://www.tsunotsuki.com/」あるいは、「山古志・牛の角突きブログ http://www.soiga.com/togyu/」をご覧になってください。

 なかなかの迫力です。

2010年5月 4日 (火)

牛の角突き小千谷場所

 5月3日は小千谷市まで『牛の角突き』を観てきた。

『牛の角突き』とは日本で行なわれている闘牛のことで、スペインなどの闘牛は「牛と人間」の勝負だが、日本のものは「牛と牛」の闘いである。もともと、岩手県の南部から、南部の特産物を運んで連れてこられた牛を農耕用に買い取って、新潟県の小千谷や山古志地方で育てた、その牛を闘わせたらどうだろうということで始まったようだ。遠く南部から何故牛に荷物を運ばせたのか。牛は道々の脇に生えている雑草を食べるので、カイバを用意しなければならない馬よりは連れてくるのが楽だ、というのがその理由であり、その牛を新潟で買い取ってもらえるならば、益々上手い取引だというのが、そもそも牛の角突きが新潟で始まった理由であるというのも面白い。

 同じような闘牛は、四国地方や沖縄、南西諸島などでも見られるが、新潟の牛の角突きの特徴は、「勝敗をつけない」という点である。これは牛の角突きは「神事」であり神事に勝負はそぐわないという説や、一度勝ち負けをはっきりつけてしまうと、その後、その牛は自分が負けた牛に対して闘争本能を持てなくなる、という理由があるらしい。まあ、人間のやる大相撲だって神事であるが、こちらははっきり勝ち負けを決めるわけで、それは俵藤太の時からそうであったわけなので、この「神事」だから勝ち負けをつけないという理由はあまり信用できない。やはり、「闘争本能」の問題の方が大きそうだ。

 ところで、この『牛の角突き』の由来はよくわかっていないらしい。しかし、『南総里見八犬伝  第七輯 巻之七 第七十三回」に犬田小文吾がたまたま小千谷に逗留した際に、主の次団太から牛の角突きの話を聞き、興味を持って闘牛場に行き、暴れ牛を抑えた話が挿絵付きで載っている。ということは、この『南総里見八犬伝』の舞台設定である室町時代に、牛の角突きが行われていたのかどうかは、『八犬伝』がどれほど時代考証を厳密に行ったいたのかどうかはかなり怪しいので、最悪『八犬伝』が書かれた江戸時代には行なわれていたと考えるべきであろう。今では、国の無形民俗文化財に指定されている。

 で、5月3日の小千谷『牛の角突き』は今年に入って最初の場所、初場所である。というわけで、神主の祝詞から始まった、最初の角突きであります。

 昨年は、山古志村の虫亀闘牛場の角突きには何度かいったのだが、小千谷の角突きは初めてである。山古志も小千谷も、いまでこそ小千谷市と長岡市に分かれているが、もともとは昔古志群二十村といい、今は二十村郷という言い方をしていて、もともとは同じ村々のかたまりだったようだ。しかし、昨年観に行った山古志の角突きに比べると、なんか今日の小千谷の角突きの方が闘牛の格が上のような感じがした。言ってみれば、地方巡業と本場所位の違いがあるのだ。虫亀に比べると小千谷の方が闘牛場としての格は上なのだろう。そんな感じのする、闘牛場である。もしかしたら、そんな比較が、こうした取り組みの格に関する印象までに及んでいるのかもしれない。

 5月4日、5日はその山古志村の、昨年、新たにオープンした山古志闘牛場(以前は池谷闘牛場と言っていた)で、引き続き角突きが開催される。虫亀闘牛場に比べるとかなり立派な闘牛場のようだ。

 5月5日には、この山古志闘牛場に行くつもりである。そのレポートはまた後日。

 しかし、こうした場所に日帰りで行こうという気になったのも、自民党の「高速休日1000円政策」のおかげである。もっとも、今日も行き帰りとも、ベタ込みだったけどね。

 

2010年5月 2日 (日)

自転車レースファンが書く、自転車小説

 近藤史恵の新作『エデン』(新潮社/2010年3月25日刊)を読む。『サクリファイス』(新潮社/2007年8月30日刊)から2年半、主人公は白石誓(チカ)、チーム・オッジという国内チームにいたのが、ツール・ド・ジャポン(ツアー・オブ・ジャパン?)の富士ステージでの活躍を認められ、スペインのチーズ会社をスポンサーにしたサントス・カンタンというチームにスカウトされ、ヴェルタ・ア・エスパーニャなどに出場していたが、2年たってパート・ピカルディというフランスのチームに移籍し、いよいよツール・ド・フランスに出場というところまで「出世」している。

『サクリファイス』の時は、随分自転車レースやチームのことに詳しい作家がいるもんだ、と感心していたのだが、近藤氏のブログを読むと、(ご自分が乗っているのかどうかは分からないが)自転車レースには相当の関心を持っていて、2008年にはシャンゼリゼまでツール・ド・フランスのフィニッシュを見に行っているのだ。

 ところが、2007年から以降の実際の自転車界の状況はだいぶ変化してきている。2009年にはスキル・シマノから別府史之が、ベーボックス・ブイグテレコムから新城幸也のふたりがツール・ド・フランスに出場し、新城が第2ステージで大活躍し、別府が最終のシャンゼリゼで逃げに乗って敢闘賞を獲得するなど、この作品が携帯小説として連載されていた2009年1月から10月までの間に、まるで現実が小説を追い越してしまっているかのようだ。2010年はベーボックス・ブイグテレコムのツール・ド・フランス出場選手の中には新城が既にアナウンスされており、すでにツールの顔の一つになっている。今年レディオ・シャックに移籍した別府がどうなるかはまだ分からないが、昨年の活躍ぶりからすれば、選ばれてもおかしくはない。

 で、自転車レースというと必ず取り上げられる「ドーピング」というやつだが、『サクリファイス』ではエフェドリンだった。今回の『エデン』ではCERAという第三世代のEPOである。前回と違って、今回は自分のチームメイトへ及び自分自身へのドーピング・スキャンダルではなく、ライバルチームのドーピング問題である。レース中にチカと親しくなったライバルチームの選手ニコラと幼馴染のライダー・ドニのドーピング問題とドニの死。ドニの死によってCERAの問題は永遠にふたをされてしまう。次の年、ニコラのアシストを失ってしまったニコラのチームから誘われるチカ。しかし、チームメイトのエース・ミッコとの関係を考えるチカは・・・。という「浪花節」であります。

 この日本人特有の「浪花節感覚」が今回の主調テーマ。『サクリファイス』ってそんなに「浪花節」ではなかったように記憶しているのだが、『エデン』は完全に「浪花節」。途中のニコラを一緒に逃げようかという話にも「浪花節」でミッコのところに下がってしまうチカ。こうした、「浪花節」的考え方は、多分ヨーロッパ的合理性から物事を判断するヨーロッパのチームにいる間に、かえって伸びてきたチカの感性なのかもしれない。

 さて近藤さん、『サクリファイス』では最終章で少しだけ出てきたヴェルタ・ア・エスパーニャに引き続き、今回はツール・ド・フランスであるということは、次の作品では当然ジロ・デ・イタリでしょうね。ツールは大きくなりすぎて、少し遠いところにあるようなレースになってしまっている。もう少し、自分たちに近いおちう感覚になれる(あくまでも「感覚」)のはジロでしょう。ツールに比べるとちょっと田舎くさい部分も面白いしね。ということで、次はポルトガルのチームから1年でイタリアのチームに移籍したチカを読みたい。

 ということで、来週5月9日じゃらはいよいよジロ・デ・イタリアがスタートして、グラン・ツールの季節が始まる。またまた眠れない3週間になりそうである。

 で、自分の自転車としては、今日は青梅まで往復、3時間半、72km。まだまだです。

2010年5月 1日 (土)

東京写真展散歩

 新宿と銀座のニコンサロンをはしごした。

 新宿の方は『Portraits of Independence : Inside the Kachin Indepence Army (カチン独立運動の内側から)』(Ryan Libre/ライアン・リブレ)という、ビルマのカチン族の独立運動を捉えた写真40点を展示した写真展である。

 ビルマの諸種族独立運動の実態は我々にはあまり知られていなく、つい最近『朝日新聞』が独自の武装組織を持つ少数民族に政府軍への編入を求めて交渉し、交渉決裂ならば武力鎮圧を行うという方針を決めたというニュースが2010年4月22日のバンコク発の外電で掲載されていたくらいである。アウン・サン・スーチー氏の活動は報道されているが、こうしたビルマの諸民族の独立運動についての報道はほとんどない。Wikipediaで「カチン」と入力しても、出てくるのは「カティンの森事件」という、第2次世界大戦時に約4,400人のポーランド人がソ連の内務人民委員部によって銃殺された事件のことが載っているが、ビルマのカチン族のことは、まったく載っていない。当然、カチン族やカチン独立運動、カチン独立軍などの存在すらも、我々は知らされていない。日本でカチン族のことを知るには菅光晴という人のブログ(http://blog.livedoor/kachin_shan/)位しかないのである。

 フォトグラファーのライアン・リブレ氏は、アジアに住んで8年になるそうだが、主に夏は北海道で動物を撮影し、冬は東南アジアで暮らしているそうである。そんな中、タイで暮らしているときにカチンのことを知り、興味を持ったとのことで、それから何度かカチンに赴き、最後は2009年冬に3か月過ごし写真を撮り、今回、日本で発表したわけである。

 ビルマの軍事政権は中国の後押しを受けているが、ちょうど中国とビルマの国境に位置するカチンの立場は微妙である。カチン族は、ビルマ政府との間に「自治政府」の契約があり、それを守るようにビルマ政府に求めており、「自治政府」を確立するために、独自の軍隊だけでなく、学校、病院、教会、TV放送局、発電所まで持っており、経済的には中国とビルマの間を行きかう輸送車からの税金収入で賄っており、という具合に、いつでも独立できる状況にあるという。しかし、先の『朝日新聞』にもあるように、ビルマ国軍は独立を認めようとせず、むしろ政府軍へ編入しろと言ってきているようである。

 これは長期化(すでにじつに長い時間が過ぎているが、さらに)せざるをえないであろう。しかし、そうした経済基盤を持っている独立軍・独立機構であれば、こうした長期化にも耐えられる筈である。

 なるほど、我々はビルマといえばアウン・サン・スーチー氏の民主化運動しか知らなかったが、こうした諸民族の独立運動がその裏側にあったということは、軍事政権がサン・スーチー氏を解放すると、こうした諸民族の独立運動がますます盛んになることを意味することであり、それを恐れる軍事政権としては、国際的に何と言われようともサン・スーチー氏を解放する訳にはいかないという理由がよくわかる。

 ますます深まる、難しい問題だなあ。ということで、この写真展は5月3日まで開催中である。

 銀座の方は『第29回土門拳賞受賞作品展 RyUlysses 鈴木龍一郎写真展』。

 今年の土門拳賞を受賞した鈴木氏の写真集『RyUlysses(リュリシーズ)』からの抜粋展示である。『RyUlisses』は、『オデッセイ』『ドルック』に続く三部作で、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』の影を追いながら、ダブリンの街とその周辺を彷徨いつつ6年間にわたって撮影してきた集大成である。ということで、『RyUlisses』というタイトルは『Ulysses』とRyuichirouを組み合わせたものであるということが分かる。

 面白いのはフジTX-2というパノラマ撮影が出来るカメラで撮影されていて、通常の35mmフィルムなら<1:1.5>で撮影されるところ、この作品集では<1:2.7>という、かなり横長のアスペクトレシオで撮影されているということである。ところが、この<1:2.7>というサイズにあまり違和感がないのである。むしろ、普通の感覚でこのサイズがみられるというのは、通常の<1:1.5>というサイズが、まさに「現実を切り取った」サイズであるか、ということである。通常はフォトグラファーが「現実をカメラフレームで切り取った」画像を作品として提示するのであるが、この作品集ではあたかも「現実のまま」に提示しているような感覚になるのだ。が、しかし写真はモノクロームであり、やはりしっかり「現実をその横長のフレームで切り取っている」ことには違いない。

 この不思議な感覚は面白い。というか、私もパノラマ写真に挑戦してみたいな、という気になってきたのである。ただし、縦位置で撮影した写真はかなり「気持ち悪い」。やはり、人間の目は横にふたつ並んでいるのである。

 こちらは5月11日までの開催。

 撮影は、EPSON RD1s+Elmarit 28mmにて。新宿と銀座を。

 

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