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2010年4月 9日 (金)

文芸誌における写真家の位置

 河出書房新社の『文芸』夏号の特集は「荒木経惟」である。同じ文芸誌の『新潮』では写真(機)家の田中長徳氏がエッセイ「屋根裏プラハ」を連載中である。まあ、『新潮』の方はエッセイであり文章がほとんどなので、文芸誌に連載しても別に気にはしないが、『文藝』の方は何故「荒木」なのだろうか。

 内容は、荒木の近作『遺作 空2』からのグラビア「空花」と、森山大道との対談と、森山撮影の写真(表紙も)、川上未映子との対談、草間彌生、立花隆、町田康、山田詠美、フィリップ・フォレストのエッセイと飯沢耕太郎、内田真由美の論考である。いわゆる文芸誌のグラビア・ページでちょっと写真を掲載したという程度のものではなく、完全に「特集・荒木経惟」なのである。

 文芸誌で何故荒木経惟なのだろう、と考える。あるいは、文芸誌で何故写真家特集なのだろう、と考える。勿論、荒木の文章家としての存在感は知りつつつも、しかし、やはりそこに書かれているのは「写真家・荒木経惟」であり、「文章家・荒木経惟」ではない。

『写真時代』のころから荒木(そして森山も)を見続けている私にとっては、なんともはやすごいところにまで行ってしまった荒木という思いもあるのだが、要は、文芸界でも荒木の存在を認めてきているということなのだろう。しかし、その頃の荒木は昔の荒木に比べると随分変わってきている。

 ひとつはやはり妻・陽子の死というものがあるのだろう。荒木にとっての最高のモデルであった陽子の死というものは相当重たかったに違いなく、それ以降の荒木の写真や書くものには「エロトス」と言いながらも「タナトス」の方がずっと重くなってきているようだ。更に、今年に入っての愛猫「チロ」の死と、自分自身の前立腺癌の発見と治療というものが、やはり荒木本人にとっての「死」というものを自覚させられてきている。

 陽子さんの死あたりから、荒木の写真には「本当に姦っちゃうぞ」的な攻撃性がなくなってきて、それは多分肉体的な衰えから来るものであろうと、つまり「勃たなくなってきた」というところから来たものであろうと考えていたのだが、最近の写真を観るとどうも「自らの死」を考えている風が観られるのである。「自らの死」を目の前にした芸術家はどういう態度をとるのであろうか、どういう作品を「生」の証として残すのであろうか。

 そう考えると、これからの荒木にはますます目が離せなくなってしまうし、出版される本をすべて買わなければならないのかな、という脅迫観念にもとらわれてしまう。そんな一瞬を『文藝』は捉えたのかな。

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