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2010年4月10日 (土)

自衛隊の実態って何だろう

 1月14日付けの「『三島由紀夫『文化防衛論』を読む」で書いたとおり、三島由紀夫にとって自衛隊、特に陸上自衛隊というのは旧軍隊のような、政府から独立した統帥権を持った武士であって欲しかったのだあろうが、しかし、自衛隊の実態は、もっとも官僚的な官僚であり、もっとも融通の利かない組織であり、もっとも時の政府に忠実な「イヌ」なのである。そうした自分の理想たる自衛隊とその実態との乖離の狭間で、三島は自らの美学と世の中の実態との乖離に敗れ、割腹自殺をせざるを得なかったのである。つまり、それは世間の実態のあまりにもふがいの無さから自ら選んだ割腹自殺。残念ながら、三島の自殺にはそれだけの価値しかない。

『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(杉山隆男/小学館文庫/4月11日刊)および彼のいわゆる「兵士」シリーズの中で杉山が追い求めた「武士」としての自衛官の姿はそこにはない。要は「能吏」であることを追求され、一方で「武士」であることを追求される複雑な人間存在、それが自衛官である。それは、世間によくある普通の人の姿でしかない。というか、普通の人そのものなのである。当然、三島が追い求めた「兵士」や「武士」の姿はない。

 杉山が書くように「アメリカによってつくられ、あまなおアメリカを後見人にし、アメリカの意向をうかがわざるを得ない、すぐれて政治的道具としての自衛隊の本質と限界は、戦後二十年が六十余年となり、世紀が新しくなっても変わりようがないのである」と同時に、アメリカの国防予算削減とともに、これまで以上に自衛隊(と世界各国の軍隊)のアメリカ従属の役割は増加してきて、アメリカとの統合指令のもとにあらざるを得ないのである。

 三島の追い求めた「独立した軍隊としての自衛隊」や、杉山の追い求めた「兵士としての自衛隊」は、残念ながらますますその理想から遠のいた、政治的存在にならざるを得ない、というのが21世紀の現実である。

 今日は、これから群馬県の桐生市に行ってきます。桐生市の本屋さんのお葬式なのです。

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