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2010年2月18日 (木)

日本は再び鎖国をすべきである

『ガラパゴス化する日本』(吉川尚弘著/講談社現代文庫/2010年2月刊)を読む。

 ガラパゴス化という言葉は日本の携帯電話の進化についてよく言われていたことを覚えているが、この本ではそうした日本製品のガラパゴス化ばかりでなく、日本という国のガラパゴス化、日本人のガラパゴス化という観点から、日本がそうしたガラパゴス化現象からいかにすれば脱却できるかを提案したものだ。

 しかし、考えてみれば、日本は開国してからまだたかだか150年しか経っていない国である。元々、鎖国という制度を採用できたのも日本が外国とは海を隔てていたという地理的な要素もある。つまり、日本は地政学的に言って、元々ガラパゴス化しやすい環境にある国なのだということである。例えば、よく言われる携帯電話について、海という国境を持つ日本は始めから国境付近の状況を考えなくてすむ。これが、国境を地面で決めている(要はヨーロッパなどでは)国だと、この国境付近の電波のスピルアウトを考えなくてはならない。従って、国境を同じくする隣国との間に共通の形式を持つ通信形態を考える必要が出てくる。こうした、隣国との共通する形式を考えて協議を重ねているうちに、国境を持たない国は勝手に自分の国のことだけを考えて新しい形式を作ることが可能なのだ。それがどんどん進んでいくと、その国だけでしか通用しない形式の携帯電話ができてしまうし、同じことが他の機器でもあり得るだろうし、そうなるとそうした企業がどんどん増えてくるだろうし、企業が増えれば国の政策なども同じようにガラパゴル化するし、そんな国の中で育った人間がやはり同様にガラパゴスかすることもあり得るだろう。

 特に、1970年代から1990年代にかけての20年年間は、途中オイルショックとか経験しながらも、逆にそこからの復活という実体験を経て、世界中に対し「日本はここにあり」という実に大変な経験をしてきたのである。一時的には、日本のテクノロジーが世界のデファクト・スタンダードになりのではないかという、幸せな錯覚も持っていたのである。しかし、それが錯覚であったと気づくのに大した時間はかからなかった。その後の「失われた10年」。そして、21世紀に入ってからの10年を見れば充分である。

 もはや、日本は世界のGDP第2位の座も、かろうじて昨年は保っていたが、もはや今年は中国に抜かれるわけだし、日本の製品・規格がデファクト・スタンダードになっているものなど何もない。

 だとしたら、日本及び日本人がとるべき態度・立場はどうなんだろう。そこで、吉川氏は「脱ガラパゴス化」を言うわけである。確かに、脱ガラパゴス化することは、今後日本企業が世界企業として生き残るためには必要なことであろう。というよりも、既に例えばニッサンなんかはフランスのルノーグループの傘下に入ってブラジル出身のフランス人の社長をいだく会社だし、ソニーだって、トヨタだって、日本企業といいながらも、実際には外国資本はかなりの比率で入っているし、そのどの部分をもって日本企業というのかもわからない状況になっている。すでに、日本企業の脱ガラパゴス化は進行していると言っていいのかもしれない。

 とすると、日本という国の脱ガラパゴス化、日本人の脱ガラパゴス化、というところなのだろうけれども。この辺どうなのだろう。

 企業は、「生き延びることが株主に対する責任の取り方」なのであるから、大きくなった際は世界企業になって、生き延びることが必要。元々の生まれ故郷なんて考えずに、企業としての成長を考える必要があるのだ。

 しかし、日本人の脱ガラパゴス化はどうなのだろう。今の若い世代に海外への希望とか、興味とかがなくなっいるということを根拠に「日本人がガラパゴス化している」という言い方をするのであるけれども、いまや、世界の大国化している日本に住んでいる若者である。いまの生活には満足していないけれども、さりとて外国に行って「新天地を目指す」気はないのである。「世界の大国」にすむ人間が外国に興味がなくなってしまう状況は、まさにアメリカ人をみれば分かることである。

「ニューヨークやワシントンがどこにあるかも知らないアメリカ人」「世界中のひとがアメリカ語(英語ではない)を喋っていると思っているアメリカ人」という、とにかく「超ガラパゴス化しているアメリカ人」が世界の真ん中にいるのである。そんな中で、日本人だけが「ガラパゴス化しちゃいかん」ていうこともないでしょ。

 たぶん、吉川氏が何と言おうと、もはや日本人は「ガラパゴス化」してるし、もう日本は滅びの世界に向かっているのかもしれない。じゃあ、いじゃないですか。企業には頑張ってもらって、世界企業になってもらって、どんどん日本企業から離れてもらってですね、日本という国と日本人は鎖国をしましょう。

 鎖国の結果、日本人が滅びてもそれは仕方のないことだし、その中から坂本龍馬みたいな人がまた出てくるかもしれないし、まあ、その結果を座して待つ、ということがこれからの日本のとる道かもしれないじゃないですか。

 ま、ちょっと暴論ですがね。

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コメント

企業は自分で勝手にグローバル展開していけばよくて
日本人は日本人としてどんどんガラパゴスすればよい。
英語を覚える前に、まともに日本語を使えるように頭を精進することの方が先なんですね。

企業と国(政府)と国民は、すべて違います。
企業利益と国益と国民益が各々異なる事案なんていっくらでもありますよね。
たとえば消費税とか、広告税とか、TPPとか、民営化とか、ナントカ保障とか、ナントカ手当てとか、まあいろいろ。

英語だらけの世界において
アニメやマンガ、映画や音楽、書物やファッション、スポーツ、日用品、文芸等、独自の強烈な文化を
日本語で堂々とオリジナルコンテンツとして出すせるということ自体が
文化という領域において、どれほど強いアドバンテージになってるのか
全然わかっていない人が多くて「頭大丈夫なのか?」
と思ってしまうこともしばしば。

劣等感を持つことはいいんですが
得意分野、強い分野もしっかりと意識しておかないと、単なる卑屈ですよ。外から見ればキモがられるだけ。
自ら得意な分野をアピールし、苦手なところはウソをついてでも隠し補っていくことこそが
グローバルな世界の常識です。

主張できる部分を持たないものは、存在自体を無視されます。相手にされません。むしろ、食い尽くされます。
それがグローバル社会の本質です。二アリーイコールで資本主義経済にも言えることですが。

脱ガラパゴスといったとき、世界に提供できる部分は何でしょう?アドバンテージとなる部分はどこでしょう?

これがわからないなら、安易に「脱ガラパゴス」なんて考えない方がいいと思います。食われて終わるだけですよw

Viva Galapagos!

鳥取県と島根県を間違えたり
群馬県と栃木県の区別がつかない日本人と
さして変わりませんなw

わざわざのご回答ありがとうございます。m(_ _)m
アメリカ本土に行った事のないハワイなどの人ならまだしも、「ニューヨーク」なら大リーグが好きな人なら、すぐにわかりそうな感じがしますが?
日本人でさえ「シアトル」や「ボストン」の場所がわかる人がいます。アメリカ人は意外と自国の地理に無頓着なんでしょうか?日本人も「からかえない部分」はありますが。
アメリカ人は田舎者ですか。150年前ならそういう印象はありますね。

上記の著書は時間がある時に、図書館で探して読みます。

えらく前のエントリーへのコメントなので吃驚しちゃいましたが、本当です。
それだけアメリカ人は「田舎者」の集団だということ。
詳しくは町山智浩氏の『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』をお読みください。

>ニューヨークやワシントンがどこかを知らないアメリカ人。
それは本当ですか?
テレビを見ない人や新聞を読まない人ならまだしも。
この文面はにわかに信じがたいんですが?

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